内容は聞いてないが、間違い無いだろう。父と母から連絡が入っているのだから間違いない。
大学を辞めた。
価値がない。
最善手が死ぬことだというのは明明白白だ。
が、家は出るべきだ。
日本においては日陰にいて人目についてはならない存在であり、新たな被差別部落民だ。
僕はそうなる。
思えば、受け身ばかりの人生だった。
何も創造的なことができず、インプットができてもアウトプットは乏しく、応用が利かず、不器用で、屑だった。
MARCH未満大東亜帝国以上の大学に進学したものの、就活に負けて意欲が減退し、卒論も書く手が止まり、それから一年天井を見ていた。
改善されるわけがなく、声とも似つかぬ音波で大学を中退する旨を教授に申告する。教授は僕に期待していたのか、それともただの世辞なのか、今でもよく分からない。
よく褒められた。嬉しかった。でも、一度期待に応えることができなかったそれだけで息苦しくなり、死にたくなる。
もしかしたら、祖母に何かあったのかもしれない。
足を骨折してリハビリしていると聞く。震災以降、里帰りさえしていない。ましてや、祖母に顔を見せることなど、しようはずもない。
少し、胸が透く。
不快だ。祖母に何かあったと決め付けることで、自分を免責しようとしている。
ともあれ、頭の隅には入れておいていいだろう。
どのみち、屑なのだ。
出せる卒論も出さず、5年を無為に過ごした人間に、社会参与する資格はない。
企業の人間だって、そんなクズを雇いたいとは思うわけがないだろう。
救いがたい。
免許も持っていない。癲癇なのだから、これはいいことだとは思っているが。
思っているが、それは重荷でしかない。
仕事に貴賎はないという。しかし、貴賎はないというが、あるだろう。
選り好みしてられる環境ではないし、選り好みしたっていいという意見もわかるが、許さないだろう、すべてが。
理想論が叶うなら、こんなところに身を窶してなどいない。
選別される覚悟で、選別しなければならない。
たとえ、ナチズムと言われようと。
しかし、私には選別する権限も、地位もない。
私は常に選別される。
私は選別された結果に、身をまかせるしかない。
それが、今の結果としての環境。
その汚泥に埋伏するのが、私の結果。
何も殺人をしようというわけではない。
しかし、私が生きていたという厳然たる事実を、残せはしまいか。
何か、ポジティブに、何かを残して笑って死ねる、そんな場はないか。
しかし、一度踏み違えてはならない。
見方次第で、それは殺人と地続きだ。
親と連絡がつかない。
電話をかけても、連絡がつかない。
消える。親とのつながりから、私の記憶から、世界から、私が消える。
虫っ子ひとつをたやすく殺す人間が、死に際に卑しく這いずり回る。
お前は蟻だ。
小学校の帰り道、何度踏みつけても死なずに逃げまわり、つま先に力を入れて踏めば軽く死ぬと学び、私が踏みつぶしてきた蟻だ。
お前は私だ、例外はない。
それは生きろという意味ではない。俺の見えないところで死ね、という率直な表現である。
すなわち、死にたいならば、ホームレスのように死なねばならぬ。
鉄塊に投身などあってはならない。
そのような死の露出、生の証拠など、残してはならない。
酸素を取り込み、二酸化炭素を吐き出すよう、連続的に、無自覚かつ無意識に為されなければならない。
それが生死の狭間にあるべき姿なのだ。
死を知覚させてはならない。視圏に死を漂わせてはならない。
私は死ぬ。
お前も死ぬ。
苦しみ、安らかに、消え去よ。