2012-10-23

週刊朝日橋下徹批判の何がいけないのか

公人の生い立ちを考察するうえでどこまで許されるべきなのか。

人は生まれる場所を選べない。もし、被差別部落出身者で父親がヤクザでという生い立ちが、橋下の人格形成に影響を及ぼさなかったとすれば、W.ブッシュ富豪で大政治家の家に生まれて叱責を受け続けて育ったという経歴についてもそこから彼の性格を読み解くべきではないだろう。

公人そのものについてはいいとしてもその周辺者についてはどうあるべきかという問題もある。例えば今回の件は、橋下の父は自身は公人ではないにもかかわらず、プライヴァシーを露呈させられた。両親や配偶者など、ごく親しい人物については公人について生い立ちを語るならば言及せざるを得ず、彼らのプライヴァシーの問題もある。

私たち竹下登の生い立ちを知ることによって、彼の最初の妻が、彼の実父によって強姦されて自殺したことを知っている。

私たちクリントンの義父が家庭内暴力を繰り返し、その男から母と幼い弟を守るためにクリントンが神経をすり減らさなければならなかったことを知っている。

公的には犯罪として処理されていないこうした事例における、竹下登最初の妻、父、クリントンの義父のプライヴァシーについてはどうやって保護されるべきなのか。

エリザベス女王は4人の子のうち3人までが離婚したことについて親の教育が悪かったのではないかと批判された。そうかも知れない。そうではないかも知れない。

田中真紀子には子が二人いて、角栄から後継者と目された息子とは絶縁していて、娘は日本経済新聞社に勤務し、離婚している。

その娘の離婚について週刊誌報道した際、裁判になり、子のプライヴァシーは公人の情報とは成り得ないと判断が出ている。

子が親の教育によって生育されるなら、選べない親よりも、公人のひととなりを判断する材料になるはずであるが、司法はそうは考えていないらしい。

石原慎太郎は、出自からなにから公人は明らかにして、有権者の判断を仰ぐべきだとかつては主張した。その判断からか、在日朝鮮人から帰化した新井将敬について、その出自を喧伝するビラを配布した。新井将敬帰化であることを伏していた。

今回の件で週刊朝日を擁護するならば石原慎太郎も擁護されるべきかも知れない。

さて、橋下の出自については何をいまさらという話である。みんな知っている。

それについて週刊文春報道した時にははてなサヨクの人たちの中では、それはそれとして、文春の姿勢を批判する声も多かった。

固有名詞が文春から朝日に代わると、そういう声はほとんど見られない。

不思議である

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん