はてなキーワード: 夏休みの宿題とは
「男らしさ」とは具体的にどういう物なのか?未だに理解出来ていませんが、僕は自分がそれを持ち合わせていない事は理解しています。
男なら、強くなれ。男なら、我慢しろ。男たるもの、立派であれ。男なら、涙を見せるな。
こういう男なら、男だから、強くなれ、強くあれ。という生き方と、僕は正反対の存在でした。
僕は小学生の頃、同級生や上級生から揶揄われいじめられるような弱い子供でした。
運動神経が悪い上足も遅く、急に殴られたり目の前で自分の物を盗まれたりしても、その犯人を走って追いかける事も出来ないようなやられっぱなしの存在でした。
何故僕がそういうからかいのターゲットに選ばれたのか、今でもよく分かりませんが、やられてもやり返す事も出来ないような弱い存在は格好の玩具だったのでしょう。
休み時間になる度に消しゴムや鉛筆を盗まれ、上履きは女子トイレに投げられ、階段では足を引っかけられ、とにかくその事が嫌で嫌でしょうがなかった事は覚えています。
それでも学校その物は嫌いではありませんでした。どうしても行きたくない日が多く定期的にズル休みをしたり、登校日もグループ登校ではなく遅刻寸前になって親に学校まで送ってもらう事が大半でしたが。やっぱり学校は嫌いでした。
ともかく1年生の頃に、僕は同じクラスの女子生徒の事を好きになりました。その子がどういう性格でどういう人柄なのかは全く知りませんでしたが、容姿が自分好みでとにかく一目惚れだったのだと思います。
ある日、体育館で全校集会をしている時に一緒に並んでいた女子と何故か「お互いの好きな人を言い合おう」という話になり、僕は馬鹿正直に「○○さんの事が好き」とその女子に打ち明けました。
その話を僕に振ってきた女子は、僕の好きな相手を聞き出した後に自分の好きな相手を打ち明けなかったので、ズルい、騙された、何て卑怯な奴だ、と非常に腹が立った事は今でも覚えています。
うっかり自分の好きな相手の事をその女子に話してしまったその日の内か、それとも次の日だったか、それは今となっては覚えていませんが、僕は学校の廊下で○○さんとすれ違った時にある事にすぐに気が付きました。
小学校1年生の、まだ6歳の子供でも、自分が強烈に嫌われている事を理解出来るのは不思議な事だとこの歳になっても思います。生まれて初めて好きになった異性に、僕は同じ学校に通う9年間ずっと嫌われ続けました。
○○さんに何か非があった訳ではなく、僕の性格も容姿が決して女性に好かれる物では無かった事が一番の原因だと、今ではよく理解しています。嫌いな相手に好意を寄せられる事が女性にとって非常に不快である事も知りました。
自分は女子に嫌われる男子である事を僕はその時理解出来ました。中学校を出れば流石に何かが変わるだろうと期待していましたが、結局高校での3年間もずっと女子からは嫌われていました。12年間、ずっと嫌われていました。
同じ登校班に家が近くで僕にも優しくしてくれる子が一人だけ居ましたが、僕がズル休み常習犯でグループ登校もしない自分勝手な子供だった事もあって、すぐ疎遠になりました。
学生時代女子からずっと嫌われていた事、自分が女子に好かれるような人間で無い事を学校で学べたお陰で、僕は今でも女性恐怖症です。親からは本当に分かりやすいなぁとその事について笑われます。
道を歩いていて向かいから女性が来ると、その人の年齢に関係なく大きく迂回して逃げるような動きをしてしまいます。自分の方が体格が良くても、背が高くても、情けない事に女性の事が怖くて怖くて仕方がありません。
通りすがり様に、「臭っ…」「キモッ…」と言われるんじゃないか、言われなかったとしてもそんな顔をされるんじゃないか、内心そう思われるんじゃないか、そう思うだけで怖くて血の気が引いて、とにかく女性から逃げてしまいます。
去年散歩帰りに、下校中のまだ低学年であろう女子小学生と狭い歩道ですれ違った時、「自分が向かいから歩くだけで不審者だと思われてこの子に防犯ブザーを鳴らされるんじゃないか!?」と本気で思い、垣根を飛び越えて車道に逃げたところ、着地の際にバランスを崩してずっこけて、右の肘あたりをアスファルトで擦り剥いてしまい、そのまま痛い、痛いと思いながら帰宅する事になりました。本当に何て自分は情けなくて馬鹿なんだろう、と悲しくなりました。
幾らキモくて女性に嫌われていようが男には男性同士の繋がり、「女性を共通の敵として見下し」「男性の友情を尊いと崇める」事で男の同士の絆を深めるホモソーシャルがあるじゃないかと思う人も居るでしょう。
誰が言ったかは知りませんが、同性にさえ好かれない人間が異性に好かれる訳が無い、という言葉を聞いた事があります。キモイ奴として女子に嫌われていた僕は、同じように男子からもキモい奴として嫌われていました。
子供の頃、皆に人気のある男子はどういう人だったか。友達になりたくなるような明るくて面白い子や、運動がよく出来て体育の時間に大活躍するような子は間違いなくクラスや学年の中で人気があったと思います。
前述したとおり僕は運動音痴で足も遅かったので、体育の時間は活躍どころか同じグループに迷惑をかける完全な足手まといでした。性格も、自分が嫌われてる事に自覚が無いタイプの空気が読めないおかしい奴でした。
ボールを遠くに投げられない、捕る事が出来ない、速く走る事が出来ない、長く動く事が出来ない。僕は体育の時間の間完全に単なる数合わせで、もっと言えば僕の入った側が不利になるババ抜きのババのような存在でした。
当然、体育の時間に活躍するような運動がよく出来る男子や、クラスの中心的存在で先生からの評判も良いいじめの主導者からも嫌われていました。同じ男子からも嫌われホモソーシャルから疎外された子供が僕です。
それでも僕には休み時間に落書きを見せ合える友達が居ました。年齢の割に体が小さくいじめのターゲットになっていた子と、母子家庭で鍵っ子である事を理由にやっぱり男子の中から浮いていた子が友達になってくれました。
ある日、いじめのターゲットになっていた友達が転校しました。ひょっとしたら親御さんの転勤などが理由だったのかもしれませんが、クラスメイトからのいじめも大きな原因だったのではないか、と僕は思っています。
その子は何も悪い事をしていないのに、体がクラスで一番小さいというだけで、物をぶつけたり、馬鹿にしたり、○○菌が付いた!と貶して良い存在のように扱われていました。昔の事ですが、僕もされたという事は覚えています。
僕はキモくて役立たずだったので、ホモソーシャルに入る事はありませんでした。僕のようなキモくて役立たずの男子を皆でいじめるあのノリがホモソーシャルなら、僕は昔からそれが嫌いだったし仲間とも認めて貰えてなかったと思います。
男性は男性というだけで女性を見下して上から目線で接する「マンスプレイニング」という差別意識があると聞きました。男性というだけで女性より優れているという思い込みから来る「有害な男らしさ」の一つであるらしいです。
女子に嫌な思い出があるなら、女子なんて、と割り切って見下せたら楽だったのかもしれませんが、僕は自分の能力が他人に勝った記憶が小学校1年生の小テスト以降全くありません。
体育の遠投ではわざとらしくやる気なく投げた女子以外に飛距離で勝てた覚えがありませんし、シャトルランで性別関係なく僕より早く脱落した同学年の生徒は一人も居ませんでした。その事が、今でも忘れられません。
なら勉強はどうかというと、女子は安定して成績が良く、僕は5教科の合計点が150点台という事がありました。自分は本当に馬鹿なんだ、この学年で自分以上に頭が悪い奴は居ないんだとその時強く頭に刻み込まれました。
両親は自宅から近い学校に通って欲しかったらしいですが、結局そんな成績では自分の名前さえ書けば無条件で入学出来る遠くの私立くらいしか行ける高校がありませんでした。僕が馬鹿なせいで、余計なお金がかかりました。
頭が悪いのは僕が一切努力を行わず遊んでばかりの馬鹿だった事が大きいと思います。ドリルは後ろの答えを写すだけ、夏休みの宿題は家族に泣きついて答えを全部教えてもらうという他力本願だけでそれまで生きていました。
結局その私立高校でも男子の仲間に入る事も出来ず、小中学校の時のように女子から嫌われ、勉強もろくにしないでズル休みを繰り返しました。高校を卒業しても、自分がそこで努力して得た物なんて何にもなかったと感じました。
高校受験さえしなかった者が大学受験なんて出来る筈もなく、大学受験さえ出来ない者が就職活動なんてする筈もなく、僕は高校を卒業してから今現在までずーーっと親の脛を齧って何の努力もせずに家に引き籠っています。
僕は自分の能力が他人より優れていると思った事が小学校1年生以来ありません。ずっと引き籠っているので、家族以外の女性と接した事も学生時代以来何かのお店で店員さんとして働いてる女性以外とは殆どありません。
中学校時代からの友達とは話が合わないという理由でずっと疎遠です。彼らともゲームやアニメなど娯楽の話題で盛り上がっていたくらいで、ミソジニーで絆を深めた事なんて一度も無いと思います。何せ女性の話題が出ません。
僕は良い歳して未だに童貞で、所謂専門店の女性とも関係を持った事がありません。中学校時代の友達達はそんな僕に気を遣ってか、僕でも話題に混じれるゲームなどの話題しか僕の前ではしないようにしていてくれました。
僕の男性器は極めて小さく、友達や家族など親しい間側の人とも決して一緒にトイレに行ったりお風呂に入りたいとは思えません。女性が言う所の「ポークビッツ」サイズで、その事に子供の頃から非常に強い劣等感を持っています。
昔から自分の意見や嗜好が人と合わない事が多く、現実より自由な場所であるインターネットでも他人と上手く付き合えた事がありません。自分の好きな物が多数派の意見に叩かれる、という経験は嫌というほどしてきました。
僕はこれまでの人生で親や兄弟に守られるだけで、自分が誰かを庇護したという事はこれまで一度も無かったと思います。我が家という共同体で一番の弱者は僕であったため、家族は弱者であった僕を外から守ってくれました。
「男らしさ」という言葉が全く当てはまらない男だと自分で思いますし、男性同士の繋がりからも完全に省かれています。現状のままで男らしくなりたいとは思っていませんし、男性同士の付き合いに入って嫌な思いをしたくもありません。
貧弱で、競争から逃げ、庇護される側で、何一つ優れている所が無い僕は全く「男らしく」ないと思います。男らしさから降りるまでもなく、初めから男らしかった事なんて一度も無かった、生物学上は男だっただけの存在だと思います。
小学生の頃からずーっと現実がつまらなかったので、漫画やゲームなどの空想に逃げていました。今でもその頃から変わらず逃げ続けています。
結論から言えば全くそんな事は無いと思います。ここまで長々と自分は違う、加害者ではない、ノットオールメンと言い訳をしているだけなのですから。
「男らしさを降りる」というのは現在の「男らしさ」を否定して新たな「男性としての生き方」を広めるために努力し戦う事で、ただ自分が現在の「男らしさ」から逃げる事では無いだろうと思うからです。
結局僕は男らしくなれず、男同士の繋がりの中に入れず、かといって現在の「男らしさ」を変えるための「ジェンダー強者」としての努力も一切しなかった、ただの負け犬でした。
魅力的な男性が男らしさから降りれば「男らしさから降りた魅力的な男性」になるでしょうが、男らしさから降りているだけの男が魅力的ではない、が答えじゃないかな…と僕は思います。ここまでお疲れ様でした。
先日、Twitterで
『娘のゴーストライターをやったことがある。それで娘は賞をとった』
といった内容のことを、軽い調子で暴露しているおばさんの投稿を目にした。もう何年も前のことだから時効だとでも思っているのか、その投稿は非常に自慢気で軽々しく不愉快なものだった。
先にも書いたように子供向けのコンクールである。間違っても、おばさんが子供の名前を使って応募していいものではない。しかも、その文学賞は毎年開催されている歴史のあるもので、受賞すれば新聞に掲載されるほどの、その県では有名な文学賞なのだ。
親が子供の代わりに夏休みの宿題をやり、自由研究や作文等でうっかり賞をとってしまうということはよくある話だ。よくある話ではあるが、それをTwitterで堂々と世界に向けて発信するという、モラルの欠如が自分には信じられない。
そして、そのおばさんは今も作家を目指して小説を書き、娘の代わりに書いたという作品を自分のPNで投稿サイトに掲載している。
創作の楽しさも苦しさも、賞をとる喜びも落選の悔しさも知っているはずのその人が、堂々とゴーストライターを名乗りなんでもないことのようにそれを暴露してしまっているというのはいかがなものか。
子供の文学賞だからいいと思っているのだろうか。子供の文学賞だからこそ、他の子供たちの夢や才能を潰してしまわないように、黙って見守るのが親ではないのか。娘が書いてくれと言ったのか、母親自らが勝手に書いて勝手に応募したのかどうかは知らないが、このおばさんのせいで他の子供たちの夢や希望、期待等が潰されてしまったのはいうまでもない。
そして、その文学賞の名すら汚してしまっていることに、そのおばさんは全く気付いていないのである。
最近そのおばさんはエッセイで賞をとったらしい。自分で書いたものが賞をとるという喜びを知りながら、他人の受賞権利を奪ったことを同時期に堂々と発信できるおばさんの面の皮ってどれだけ厚いのか……。
コロナより前から、自分は仕事へのモチベーションなんてないと思っていた。それでも振り返ってみると、受け身ながらも与えられた仕事はやろうとしていたんだなと思う。楽しいとか好きとかいう感情はあまりなかったけど、嫌いではなかった。
今は受け身で淡々とやるというレベルではないと感じる。仕事の内容も人間関係も変わっているから単純には比較できないけど。
そんな状態だから当然パフォーマンスがでない。時間がかかって怒られ、(自分なりに)がんばってやってもうまくできなくて怒られ。やる気がないのも周りに伝わっているんだと思う。
例えるなら、8/10に手つかずで20日分溜まっている夏休みの宿題を見て憂鬱な気持ちになり、手が付かないまま8/11,8/12と日にちだけが過ぎていく。そんな感じ。
はたから見れば自業自得だし自分でやるしかないしみんなやっていることだしなんだけど、本人からするとどうしてもイヤって状態。
ギリギリにならないと何もできない。
自分で沸かした風呂さえ湯が冷めるギリギリにならないと入る気がしない。
シャワーも先延ばしにしている間に寝てしまうので朝浴びるしかない。
もちろん締め切りのあるものにもまともに取り掛かれない。
徹夜で全力を上げれば何とか間に合う、ぐらいの時間まで手を付けられない。
ギリギリに取り掛かり全力を上げて取り組めばいつもなんだかんだ間に合う。
小学校の夏休みの宿題も、高校の頃の受験勉強も、大学の試験も、卒業論文も、保険の書類も、なんだかんだギリギリから取り掛かってギリギリ間に合い続けてる。
間に合わなくて取り返しのつかないことになったりすれば、そういう障害の人として治療が受けられる可能性がある気もするけど、毎回絶対間に合うので別に治療の対象にはなれない。
もう絶対に間に合わないから飛び降りて死のう、と深夜の大学に忍び込んだ夜もあったけど、生命力が半端ないのでそのまま大学の最上階で3徹してやったら間に合った。
人は一晩でプログラムが書けるようになると知ってびっくりした。
計画的に、とまでは高望みしないから、せめて寝食を犠牲にして全力を上げないと間に合わない時間まで先延ばしにしてしまうのは本当にやめたい。
誰に相談しても、でも間に合ってるんだからそのままのあなたでいいじゃないと楽観的な肯定を与えてくれる人しかいない。
そりゃあ他人に迷惑をかけない範囲で、自分を犠牲にすれば何とかなる範囲で、ギリギリを目指してるみたいなスケジューリングで生きてるので、他人は私に何も言ってくれないのはしょうがないんだが。
もういっそ他人に迷惑をかけて信用を失うか、間に合わなくて取り返しのつかないことになるかしたい。
そうすればもっと、先延ばし癖に関して改善の必要性が周りに認知してもらえる。
直したいから助けてほしい。
読書感想文なくなれ
毎回毎回似たり寄ったりのラインナップの推薦図書からしか選べないし選んだやつが悪いんか知らんけど毎回悉く面白くないし!なんなんだよ推薦図書って。
いや推薦してくるだけならいいよ。でもよ〜その中に書かれてる本で感想文を書かないいけないってのはどういうことなん?
普段から本読むからさ、感想文書けって言われて全然苦にならないほど面白い作品知ってるのに推薦図書のリストに載ってないから書けない。くそ
一回さ、図書館でリストのうちの5冊借りて読んだけど全部おもしろくねえなあ以外の感想が浮かばなくておもしろくなかった、全然共感できなかった、特にこことかこことここがおもしろくなかった!って感想文を出したことあるんだけどさ、なんか先生の評価的なとこでキレられたのよね。
めんどい。
本を読むときに感想書かなきゃ!て思って感想に書けそうなところを探しながら読むようになってる自分も嫌。
だからおもんないのかな。
何か夏らしいことしたかしら?って思い出したら、
もう8月31日に夏休み全日の絵日記を1日で描き上げなくちゃいけない作家先生大忙しよね。
華麗にもコピーアンドペーストで、
もちろん、
そのままコピペしたらアウトなので、
ほどよく自分のマイルドな考えを1行ぐらいは付け加えたらオリジナル!
これで決まりね!
どうやって書いていいか分かんないわ。
気のない本を読んだって
中身入ってこないのよね。
あの夏の自由研究も
私やる気無かったわー
何やったかもどうかも忘れちゃったぐらいよ。
でも朝顔育てたのは
でもやっぱり花だけじゃなくて、
喜びも感じあえれるELTみたいな夏休みの研究ができると思うんだけど、
やっぱりそれはそれで花より団子なのかしら。
実がならないとやる気が無いし
ぜひちびっ子にも収穫の楽しさを知らしめるばっきばきのべきべきよね。
そうあるべきだと思うわ。
上手に育たなくたって、
きっとたぶん。
うふふ。
私の好きなのが無かったけど、
とても食べきれないので、
いくら何でもそのままが美味しいと言っても、
1玉は多すぎるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪いの言葉についてだ。
彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。
どうかこのブログが担任のアカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。
私は去年まで高校生だった。3年間クラス替えが無いクラスで、結果的に担任も変わらなかった。
まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼べそうな子はいなかった。
当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後の自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。
校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校とほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだからここのルールに従いなさい」こんなことを集会で言われた記憶がある。
こんな高校生活だったから早くに女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内の女子大を中心に巡った。
オープンキャンパス巡りは夏休み明けの個人面談で活用する媒体だった。担任になりたい職業や行きたい学部を絞っていく。1年生の秋だったから、みんななんとなくの個人面談だった。
私は今のところの第1志望を担任に伝えた。すると困った顔をされてこう言ったのだ。
「そこの大学に通う子と○○(私の苗字)は会話が合わないよ?うちと偏差値が5〜10違う高校の子が通うんだけど、わかりやすく言うと中学校の頃みたいな感じかな。その子たちと一緒に勉強してもいいの?」
いますぐ志望校を変えろとでも言いたいのか。さもその女子大に通ったことがあるかのように担任は話していた。私は「会話が合わない」という言葉が何よりも悲しかった。16年間生きてきた中で会話が合わなかったことは無かったし、偏差値で人を測る担任が素直に怖かった。今の私だったらてめえの物差しで勝手にはかるんじゃねえ、くらいのことは言う。
これが1つ目の呪いになった。
2つ目の呪いは2年生の修学旅行前に起きた(起こした)。前述した通り、私のクラスは3年間クラス替えがない。その中で1年半一緒にいた友人がいた。運動会も文化祭もその子たちと回っていたし、修学旅行の班も
私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪いの言葉についてだ。
彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。
どうかこのブログが担任のアカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。
私は去年まで高校生だった。まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼ばれる子はいなかった。
当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後の自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。
校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校とほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだから」
そんな女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内の女子大を中心に巡った。
その後
・「」
死にたい。
死にたくない。
精神科に通院したり一旦は治ったりを繰り返して3年ほど生きてる20そこそこのダメ人間。
毎日頭のどこかで死について考えながら取り敢えず化粧をして取り敢えず仕事をして取り敢えず勧められたソシャゲのノルマをこなして眠る。このまま二度と目が覚めなくてもいいのにと思いながら。
昨日も取り敢えずのルーティーンで仕事して休憩と同時に某俳優さんが自殺したとの訃報。
驚いた、特にファンでは無かったけど周りには彼のことをそれなりに好いている子が多かったからふとその子たちのことを思い出したりした。
ツイッターの彼のファンだった人達のアカウントを見て、「嘘だと云って欲しい」「信じられない」悲しみに溢れた言葉に、こんなたくさんの人に求められてるのにどうして死を選んだんだろう?と疑問に思った。
家に帰って、なんとなくテレビを見て、涙を浮かべながら歌を唄う俳優さんを見て心がギュッとなった。
こんなたくさんのファンや同じ業界にいる友人知人を悲しませるなんて、私なんかよりもお金があって才能があって人望があっただろうに、勿体無い、あなたよりも死ぬべき人が沢山いるのに!そう思った。
けれど、家の中のふと縄をかけられそうな箇所を見たとき、そういえば私も死にたかったじゃん…って思い出した。
若くして綺麗なまま惜しまれながらも死を選んだ俳優さんのことで頭がいっぱいだったからすっかり忘れてた、私も死にたいんだって。
もうずっと死にたいって思ってる。
ある時はこのまま仕事に行くフリして線路に落ちようかなとか、ある時は職場に毒性の高い薬品が納品されてきたのを見つけてこれを横領して服毒自殺しようかとか、家に一人の間、一酸化炭素中毒で死のうかとか、貰った薬とアルコールを過剰摂取しようとか、やっぱりシンプルに首を吊ろうかとか、思いつくたびワクワクした。
でもタイミングが合わない、例えば今死んだら〇〇ちゃんに立て替えてもらってる〇〇代の1万円返してないのに死んだら〇〇ちゃんに迷惑かかるなぁとか、職場のモノを横領するのは犯罪だよなぁとか、暫く家に一人になれる日が無いなぁとか、冷静に考え始めてしまっていくうちに今は死にたくないに切り替わる。
今度は死に方に拘り出してどうせなら一番綺麗で高かった服を着て入れたかった刺青を入れて一番好きな化粧をして死のうとか、逆に今は顔の調子が良く無いから死ぬのは後にしたいとか始まってまた死にたい期を逃す。
仮に死ぬ方法とタイミングが合致したとしても、いざ実行しようとすると身体がすくんで結局出来なかった、心は死にたくて死にたくて堪らないのに、もういっそ急に誰かに首をはね飛ばされるとかしたら楽なのに。
しかしここで思い出す、よく考えたら私子供の頃から何一つろくに出来た試しがないダメ人間だったじゃないかと。
小3の頃夏休みの宿題は提出間に合わなかったし、中学も受験勉強するする云って結局まともにしなかったし、高校もちゃんとするする云って結局友達ひとり作れず保健室通い、同人活動していた時代とか少しだけあったけど新刊落とす頻度の方が圧倒的に高いくらいに好きなはずの絵を描くやる気すらない〆切を守れない、家のお手伝いとかそういうのも云われなきゃ出来ない1から10まで云われないと動けないダメな子だと怒られた。
そんな奴が自分の意志で自殺を完遂させられるか?無理だろ。そう気づいた瞬間、自ら死を選んだ彼の決断力がより良いものに思えた。ファンの人には叩かれるかもしれないが。
でもこれは彼に限らず自殺を完遂出来た人達みんなに対して思っている事なんです、1から10まで云われないと何も出来ない、自分から動けない、行動力決断力がない、優柔不断、ダメ人間。
自ら死ぬことを選んで見事自殺に成功した人はすごい、羨ましい、私は今日も取り敢えず出された薬を飲んで、次の通院の時に話すためのメモとしてここに自分のダメ人間ぶりと死ぬ覚悟と決意が出来た人が素晴らしく羨ましいことを残しておきます。