はてなキーワード: 国分とは
宝永年間(1700年代)の富士山の噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています。
江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な
煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野に煙草試験場が開設。
亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。
時は流れ、秦野の町は大きく発展。
煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業に従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。
秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年を最後に秦野から姿を消しました。
その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も
この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。
http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html
宮根→芸能界に入ったんだから安月給は当たり前(ちなみに宮根は元局アナなので芸能に関わった時からしっかりとした給料をもらってます)
坂上→安月給は当たり前。僕らの若い頃は5万なんて当然(坂上の若い頃は何年前か、そして坂上は子役なので20歳ごろにはたんもり貰ってます)
高橋克己→役に入り込んで体調崩すのは当たりまえ(過去に変態仮面とブルマを履くような性的な仕事をしたのだろうか)
東MAX→仕事なんだからどんなに嫌な仕事であっても全て我慢するべき(なお幼少から金持ち、ドラマ映画主演はしたことが無い模様)
文献並べるのが流行りっぽいので、参考になるかなー。コミュニケーション上達なら自分は以下がお勧め。
Amazon.co.jp: 〈つきあい〉の心理学 (講談社現代新書): 国分 康孝: 本
これ読んで考えてみてね。じゃね。
これを読んで、なんでアメリカは5000発しか予備がないのか不思議に思ったので調べてみた。喫緊に危機が迫っている韓国軍の予備弾が少ないのはもともと戦闘を想定していなかったというのは納得なんだが、しかし2000発程度しか予備がないとの情報もあり、なぜ各国で予備弾数がこんなにも違うのかというのはやはりわからなかった。
で、いろいろ調べてみたんだが、まずPKOでは兵站は一元管理しているようだ。
http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison13.html
私は、2011(平成23)年9月よりハイチの首都ポルトープランスのデルタ・キャンプにある国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)軍事部門司令部兵站部において「兵站幕僚」として勤務しています。編成は7名、国籍はチリ、ブラジル、アメリカ、ヨルダン、フィリピン、ハイチそして日本とバラエティに富んでいますが、これだけ異なる国が揃うと仕事のやり方もそれぞれ異なることは言うまでもありません。兵站部では、具体的にはCOE(派遣国保有装備品)及びUNOE(国連保有装備品)の定期的な現況調査、使用弾薬の管理、国連車両の管理、派遣部隊に対する任務支援(主に輸送任務)、補給品調達及び生活環境の構築・改善等を行っています。2010年10月よりコレラの流行が問題となり、特に生活環境(汚水処理施設やゴミ処理方法)については適時確認、改善させる等、万全の態勢で臨んでいます。私のこの他の任務としては、MINUSTAHと日本隊との連絡幹部的役割を担ったり、本邦とMINUSTAH関連情報のやり取りを実施しています。
その兵站支援の方式としては平和維持軍に参加する一国が担当する一国支援担当方式、相互依存の原則に基づき複数の参加国が他国分担方式、地域ごとに担当区域を定めて行う分権方式がある。[13]
と思って調べてたらばっちし兵站部のひとの話があった。
http://www.pko.go.jp/pko_j/liaison/liaison22.html
兵站幕僚は、UNMISS軍事部門司令部(Force Headquarters(FHQ))兵站部(J4)に配置されています。FHQは司令官(Force Commander(FC))以下約90名(23カ国)から成る、UNMISSの中で唯一軍人だけで構成される組織で、兵站を所掌するJ4はチーフ(オーストラリア陸軍中佐)、副チーフ(オーストラリア海軍少佐)、部員2名(スウェーデン海軍少佐と私)の計4名で構成されています。
派遣部隊との業務上の関係については、UNMISSに派遣された部隊は全てFCの指揮下にありますが、FCが運用権限を有するのは歩兵大隊(インド軍、ケニア軍、ルワンダ軍、モンゴル軍、ネパール軍)に対してのみで、支援部隊に区分される派遣施設隊の運用権者はFCではなくミッション支援部長(文民)になるため、直接的なつながりはありません。しかしながら同じUNMISSという枠内で活動する自衛官として、日本の現地支援調整所や施設隊とは定期的に情報共有を図っていますし、新規部隊の派遣・展開といった他国部隊の動向に関する情報はFHQに集約されますので、情報収集の観点からも自衛官をFHQに配置している意義はあると考えます。
というわけで、日本・韓国の兵站は独自にやっているもよう。ちなみに兵站はかなり困難な状況のようだ。
http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html
さて、それで実際どの程度の武力を持つことができるのかというはなしだが、Wikipediaには
無撃的武力は車両による道路封鎖など、加撃的武力は小火器の使用などが挙げられる。最終的手段としての加撃的武力の行使は自衛戦闘においてのみ認められている。自衛戦闘とは兵士個人または部隊の一部が危険に陥った場合、対立勢力の一方が平和維持軍を撤退させようとして平和維持部隊の安全が危険となる場合、武力で平和維持軍の武装解除を行おうとする場合、平和維持要員を逮捕・誘拐しようとする場合、平和維持軍の資産を武力で侵犯した場合がある[12]。
という記述がありかつ、FCの指揮下にいるので、各部隊には予備弾などのルールもあると思われる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20131224-00030921/
これでみると日本は330人位(二個中隊?)、韓国は273名(一個中隊)、アメリカはよくわからん。予備弾1万発を330人で分けると一人あたり30発(弾倉1個分)。どれくらい予備弾を保持するのが可能なのかと推測すると一人あたり弾倉2個くらい?予備でないの含めると弾倉3個が一人あたりの分配なのかなという感じ(自衛隊は首都にいてUNMISSも近くにあるので全部渡しちゃったのか?だとすると弾倉2個が持ち分の可能性もある)。とりあえずアメさんが出してきた量からアメさんの人数を想定するとおそらく150人程度(一個中隊)かな。韓国も同じ割合で保持しているとすると、約2万5千発(うち予備約1万6千発)を保持、今回足りないかもで足した分が1万5千発。だいたい予備が二倍になったくらい、かな。
重武装の反乱軍部隊1000名(しかも戦車もいる)のに、小火器で弾倉五個(下手したら四個)というのはかなりつらそう。まぁ三個しかないよりはマシだが。
~~~追記~~~
色々見てたら自衛隊の予備弾薬8万発、韓国の戦闘員は40~50人という情報も出てきた。
たしかに工兵中隊は文民扱い文民指揮下だから、戦闘員40人x弾倉2個(60) = 2400発。だいたい整合性が取れる感じ(追記2万発の間違いくさい。たびたびすみません)。これを非常時ということで工兵にも分配したらそりゃ足りないわ。1.5万発は本当にありがたいだろうね、現場の人的には。そしてそれくらい切羽詰まってるってことでもあるような気も…。しかし自衛隊の予備弾薬多いな。一人あたり弾倉8個分か。兵站が困難なことが予想されてたから予め多めにおいといたのか。
アメリカは戦闘員しかいないので、自衛隊と比べてはいけなかったな。多分一個師団くらいできてるよなぁ…
http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/pdf/gaiyou.pdf
一次ソースを読み直してみたら、武器数はちゃんとかいてあった(自衛隊の)。今回の弾薬提供に関係する武器は89式小銃と5.56mm機関銃MINIMIなので、計302丁。所持弾薬数8万発の話がほんとだとすると、一丁辺り260発。でもたぶん機関銃が100発ずつ確保するとなると、200発弱ぐらいというところか。弾倉7個程度なので平和維持活動をすると考えるとまぁそんなものなのかなぁ…普通どの程度かがわからない。
なお、10月から自衛隊は組織改編して増員(5次要因)している途中で12月末をめどに400人になる予定だったようだ。入れ替えで陸路を通らないといけないということでちょっと多めに予備を持っていたのかもしれませんね。
~~~追記ここまで~~~
しかしこれで反乱軍部隊におそわれて弾薬等を奪われてしまったら危険だなぁ。大丈夫なんだろうか。中立ルールにのっとって大量虐殺を阻止できなかったボスニア・ヘルツェゴヴィナやルワンダのようになってほしくはないが、かといってヒャッハーせんそうだぜぇ!を国連が許すとは思えないし、とっととPKFで介入しろというのが結論の気がする。
なお弾が足りないとか公言したらむしろ危ないだろなどというコメントが散見されるが、地理的に近い+UNMISSが関与しているので、閣議決定された時点で弾薬の受け渡しが開始され、それが済んでから発表されたのでは?というか閣議決定される前から動きはじめていたのでは?という感じだなぁ。現場のことはわからないけど。海外ニュースではちょろっと日本が初めて他の国に武器をあげたよっていう話題は出ているが、それほど大きく取り上げられてはいないので、あちらさんには弾が足りないとかいう情報は殆ど伝わってないだろうし。そもそもガラパゴスな日本語と韓国語の応酬だからなw
余談だが、弾薬提供は逆に戦闘力があると見做されて攻撃を受ける可能性を作る事になりかねない、ってのを見かけてちょっと笑った。いやいやいや…たしかにPKOで武器をできるだけ持たないのは現地民からの反感をかわないためだが、避難民が狙われている状況ではむしろきちんとした装備を持っていることをアピールしないとまずいですよね。
なんか申し訳ない感じなので一応まとめておきます。間違ってたら指摘してください。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/s_sudan/data.html
もとは1956年に独立したスーダン共和国の一部。二回の内戦と一回の紛争の後、2011年に南スーダン共和国として独立した。
4世紀頃からキリスト教徒が多い国だったが、その後エジプトの支配が強まり、北のほうからイスラム化、途中エジプトが英国領になった影響でそのまま英国領になった。で、19世紀の後半にイスラム教徒が蜂起して乱を起こし、国家を設立。この時に噛んだのが多分フランスで、その後はフランスとイギリスの代理戦争の場となる。
一応その騒ぎは収まって結局イギリス保護下になったんだが、北側は独立の意思が強く、南北で分断して統治をすることになった。これが今も南北で仲が悪い遠因らしい。北は独立するために自治政府をつくり、第一次内戦をへて56年に独立、以後イスラム系が強い国になる。
が、石油が南部で発見されてしまったため、北部の人たちが無理やり地域区分を変えて利権獲得に奔走したり、イスラム原理主義に走ったので、これに南側の非イスラム系が反発してまたもや内戦勃発。この後はウガンダとかエチオピアとかマリあたりもごたごたしてぐっちゃぐちゃしてるのでようわからんが、とりあえず最終的には2003年にイスラム系と非イスラム系の間で紛争がおこり、暫定政府を作ってようやく集結……かとおもいきやナンバー2が事故死してカオスになったりしつつも、2011年にようやく南スーダンが独立することに住民投票で決定した。
ほとんどはイスラム系と非イスラム系の戦いではあるが、一部部族間抗争だったり、二回目の紛争の遠因になった油田をどっちの国にいれるかでもめてたりなどするので、単純な宗教対立ではない。南側は地下資源が豊富だというのもキーポイントのようだ。どこの国でも同じですね。
で、このスーダンと南スーダンは近年落ち着いてるかって言うと、全然そんなことはなくて、未だに国境ラインでもめている。
スーダンは内戦と紛争で荒廃しきっているので、とりあえずインフラ敷設とかやろうというわけでPKO派遣が決まった。決まったと言っても未だごたついている地域なのでそれでいいのか、なんだがまぁやっちまったもんはしょうがない。日本がスーダンへの派遣をきめたのは2008年の福田首相の時、実際に派遣が始まったのは2011年7月からなので菅首相のとき。現場はあんまり乗り気でないムード(要出典)だったみたい。
http://blog.livedoor.jp/takami_neko_shu0515/archives/67027137.html
南スーダンPKOへの自衛隊派遣における最大の障害は、兵站上の困難さである。自衛隊の要員や物資は、ケニアのモンバサ港から陸揚げされるが、自衛隊が活動拠点とすることを予定しているジュバは、そこから1900キロの、いわば陸の孤島である。陸上輸送ではジュバまで1カ月以上かかり、空輸であれば、大型輸送機がジュバの空港に着陸できないため、隣のウガンダで中型機に積み替える必要があるという。そして、自衛隊の南スーダンにおける活動は少なくとも5年は継続される。このような長距離輸送は、今までに経験したことがないと、自衛隊幹部は指摘している。政府は、ジュバ周辺の安全性ばかり議論しているが、真の困難は兵站にある。(図参照) ジュバ周辺の治安に不安があるという理由で武器使用基準を見直すなどというのは、後付けかつ極めて的外れである。
政治が、自衛隊派遣の政治的目的を明示し、それにかかる軍事的コストを自衛隊側ときちんと擦り合わせるというプロセスが、全く十分であったように見えない点が大問題である。本来、それこそがシビリアン・コントロールの重要な機能である。
このように兵站が大変ということは最初から自衛隊幹部は指摘していた。実際現地からの声にあるとおり、雨季は道がつかえずかなり苦労している模様。竣工式などは和やかにおこなわれているみたいなので、ここ数日で急激に情勢が変化したんだろうなぁ。
韓国軍がいたのはボルという街で、ネパール軍とインド軍がその警護にあたっていた。インド軍は医療部隊も持っていたけど、韓国軍は工兵中隊なのでPKOでは文民。
日本がいるのは首都のジュバで、ルワンダの部隊に警護をしてもらっている。ボルからは真南に15km150km(桁間違えましたすみません。高速道路でいけるらしいです)だそうだ。日本がやってるのは道路の整備とかコンテナ住居の設置とか。
で、今月15日に反政府軍がクーデターを企図、一応未遂にはなってるみたいだが、火花が散れば燃える国なので戦闘が継続している。なんでか特定民族の殺戮も行われていると言う話だが、これはどこまでほんとかは微妙。
http://www.afpbb.com/articles/-/3005548/12849717
戦闘は、サルバ・キール(Salva Kiir)大統領を支持する政府軍の部隊と、7月に解任されたリヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領を支持する部隊との間で行われている。
キール大統領は、マシャール前副大統領がクーデターを企図したと発表したが、一方の同前副大統領は、同国部隊同士の対立を利用してキール大統領が粛清を行ったと主張している。
大量殺人から逃げ出したとする証言者2人は、自分たちがマシャール前副大統領と同じヌエル民族であるために狙われたと話している。一方の殺害行為を行っている兵士らはキール大統領と同じ多数派民族のディンカ人だという。
ボルのそばでもこの戦闘が行われており、インド兵が死亡するほどだった。しかも睨み合っていた政府軍がとつぜん反政府軍に寝返り、ヌエル族の殲滅にうごいているようだ。それでインドとネパールはやや退却したんだけど、施設に避難民がきている韓国軍は撤退するにできずとどまっている。難民の数は1万~8万との情報があり、ここに反政府軍が雪崩れ込むと大変に危険。今朝の時点ではまだ接触はない、みたいな感じだったが、夕方には迫撃砲が基地のそばに着弾したとのことでなんとなく時間の問題な感じがする。
ちなみに反政府軍が狙っているのは避難民なので、韓国軍はがんばればたぶん撤退できないことはない。撤退したらスレブレニツァコースだが。
で、工兵隊の韓国軍は弾数足りない!誰か送って!となったわけですね。
本来ならインド・ネパールが蹴散らしてくれるはずだったので、装備にそれほど気合入れてなかったのかな。どの程度の武器を所持しているのか調べきれていないのだが、相当の備えをしていても厳しい局面であるとは思う。というかよく避難民残して退却するという選択肢をえらばなかったなというくらいの状況だ。武力行使が起こる前に補給が間に合うか、PKFで介入するほかないのではないかと思われる。
現地の状況(英語多し):http://matome.naver.jp/odai/2138774124472690501
なんかー…
TBとかTBのTBとか一部ブコメとか、なんで韓国と日本のことばっかり言ってるのかわからない。今現在起ころうとしてる民族浄化がどうにかできないかって思わないのかなぁ。なぞだ…
何ごともなく自体が収束すれば、それでよいじゃないですか。なにごとかがもし起こってしまったとしても、それは当事者国の問題でしょう。犠牲者が出たことを悼みはするけど、こちらはせっせと働いて人道的支援のための金を捻出するくらいしかできることはないし、それだけでいいんだと思う。現場の人には無事でいて欲しいし、全部終わったあとに第三国の人間がなにをいおうとどうでもいいよ。
「ジャニーズは嫌いだけどTOKIOだけは認める」ネット層って何なんだろうねw
もちろん自分もTOKIOいいと思うけど、他と比較してそこまで持ち上げられるほどかねえとブコメ見て思う
TOKIOはジャニーさんの姉メリー副社長のお気に入りで、メリーの娘ジュリーも初めて手掛けたグループ
メリーに見捨てられた後に思いがけず人気が出てしまったSMAP(マネージャー飯島女史が育てた)に負けじと、
女の意地であの手この手で超ゴリ押しされてようやくダッシュで食いつないでるっていう状態
でもどんなに人気がなくても、視聴率が取れなくても、全員これでもかとおいしい仕事を
振って貰えていて、毎日何かしらのTVに出て大手CMにも出てる
「嵐以下のグループはわからない」という人が多いのは、上が詰まっててグループでの
中居がたくさん司会やってるのはまだ納得できるんだけど、国分はあんなにレギュラー
持つ必要あるのか?w
とりあえず1万くらいのタイトルから選んで内容をざっと見てみた
どうせお堅いのはスルーされるだろうってことで際物中心
ーーーー
性及性慾の研究,,羽太鋭治 著,前田書店出版部,1920,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1899459
処女性の本態,,正木不如丘 著,至玄社,1929,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189598
夫婦の道,,徳富猪一郎 著,主婦之友社,1928,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178062
若き女性の問題,,三田谷啓 著,同文館,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276740
女性の愛と美,,金子白夢 著,東洋出版社,1924,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885760
男女淫慾論,初篇 上,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994764
男女淫慾論,初篇 下,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994765
男女淫慾論,二篇 上,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994766
男女淫慾論,二篇 下,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994767
男女淫慾論,続篇,扶徳 撰||片山平三郎 訳,うさぎや誠,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994768
娼妓解放哀話,,沖野岩三郎 著,中央公論社,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915360
性慾教育の研究,,羽太鋭治 著,大同館書店,1915,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1899280
児童の自殺,,三田谷啓 編,三田谷啓,1916,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980097
貧乏と奴隷,,海野幸徳 著,赤炉閣書房,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178127
フリーメーソン秘密結社に就いて,,四王天延孝 [述],人類愛善会亜細亜本部,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097122
メーデーとフリーメーソンの正体,,四王天延孝 述,愛国義団本部,1937,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100146
創価教育学体系,第1巻,牧口常三郎 著,創価教育学会,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464901
諸官立學校最近拾五年間英語試驗問題答案,上卷(自明治33年至明治38年),英語研究會 編,金刺芳流堂,1914,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184046
諸官立學校最近拾五年間英語試驗問題答案,下卷(自明治44年至大正2年),英語研究會 編,金刺芳流堂,1914,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184073
諸官立學校最近拾五年間英語試驗問題答案,中卷(自明治39年至明治43年),英語研究會 編,金刺芳流堂,1914,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1184059
我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか? : 東京帝国大学法学部赤化教授対「しきしまのみち」学術的剖析,第1,三井甲之 著,原理日本社,1929,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178862
臆病のコドモの取扱,,三田谷啓 述,大日本児童協会,1923,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939339
いろは引江戸と東京風俗野史,巻の1,伊藤晴雨 著,城北書院,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186793
いろは引江戸と東京風俗野史,巻の3,伊藤晴雨 著,城北書院,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186798
いろは引江戸と東京風俗野史,巻の4,伊藤晴雨 著,城北書院,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186803
江戸と東京風俗野史 : いろは引,"巻1,5",伊藤晴雨 著,成島乙次,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1187071
日本常民文化研究所彙報,第56 (おしらさま図録),日本常民文化研究所 編,日本常民文化研究所,1943,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193998
沖縄風俗図絵,,,東陽堂,1896,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993006
朝鮮風俗資料集説扇・左縄・打毬・匏,,今村鞆 著,朝鮮総督府中枢院,1937,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1256426
支那習俗,,太田陸郎 著,三国書房,1943,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453555
支那女研究香艶録,,井上紅梅 著,支那風俗研究会,1921,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1885902
当世かもし雛形,,安部玉腕子 著,米山堂,1936,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186040
可愛良集,初篇,岡野敬胤 編,岡野敬胤,1883,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768035
禁忌習俗語彙,,柳田国男 著,国学院大学方言研究会,1938,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1821869
芸妓三十六佳撰,初編,雑賀豊太郎 編,鈴木八三郎,1882,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768053
三都花街めぐり,,松川二郎 著,誠文堂,1932,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458091
售媚艶評 : 一名・東京美人かがみ,,小池洋次郎 (玩柳道人) 著,巌々堂,1881,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768082
自作俳調芸娼略伝百人集,,山口近太朗 編,永玉堂[ほか],1883,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768068
夢遊余談吉原新繁昌記,初編,夢遊仙史 著||春夢居士 (国分広志) 編||同窟狢史 評,法木徳兵衛,1882,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768233
吉原細見記,1冊,広瀬源之助 編,広瀬源之助,1895,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768223
よし原,,浅野与吉 編,浅野与吉,1890,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/768217
妹の力,,柳田国男 著,創元社,1940,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461605
一目小僧その他,,柳田国男 著,小山書店,1934,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444010
桃太郎の誕生,,柳田国男 編,三省堂,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062590
山の人生,,柳田国男 著,郷土研究社,1926,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183913
帰還兵の声,,,興亜歴戦者有志会設立準備会,1940,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112736
生兵閑話,,高田義甫 著,勧善舎,1879,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843076
軍縮読本,,伊藤正徳 著,中央公論社,1934,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232801
赤軍は嘲笑う,,国際情勢研究会 編,太陽閣,1937,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221127
比島作戦,,,読売新聞社,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062822
学鷲 : 陸軍特別操縦見習士官 写真報道,,,朝日新聞社,1944,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1457627
防空壕の実際知識,,,東洋経済新報社,1941,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062961
なぜなぜ科學教室 : ポケット知識,,日本放送協會 編纂,日本放送出版協會,1942,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1731429
花鳥写真図鑑,第1輯,岡本東洋 編,平凡社,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1241059
白濠洲と有色人種 : 濠洲諸新聞の批評,,イー・ダブルユー・コール 編,警醒社,1903,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832938
大日本植物図彙,第1巻 第1輯?第6輯,伊藤篤太郎 著,大日本植物図彙出版社,1924,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908225
新集全動物図鑑,,日本動物研究学会 編,泰明堂,1934,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1234062
日本通俗昆虫図説,第1巻,松村松年 著,春陽堂教育図書出版部,1932,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1191740
野鳥巣箱の懸け方図解,,農林省畜産局 編,日本鳥学会,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1237141
中華民国医師講習録 : 附録・講習会記事,第2回,同仁会 編,同仁会,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1026532
薬草薬木民間療法,,紙硯社編輯部 編,紙硯社,1943,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1046544
生殖器新書 : 一名・既婚未婚男女必読婚姻案内,,ホリック 著||守矢親国 訳,博文館,1897,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833821
正しい性生活,,H.W.ロング 著||性科学研究所 訳,産児制限評論社,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1149919
正しき性の生活,,ロング 著||街頭社編輯部 編,街頭社,1932,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1149914
男女生殖器の研究,,ホリック 著||伊沢徳 訳,求光閣,1906,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833822
医師は結核家族へ何を教示すべきか,,三戸時雄 著,診断と治療社出版部,1931,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024960
皮膚毛髪の生理衛生・偉人の生立,,日本放送協会関東支部 編,日本放送協会関東支部,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098150
阿片及他ノ危険薬品ノ取引ニ関スル暦年一九三二年ニ於ケル日本政府ノ報告,,外務省条約局 編,外務省条約局,1933,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208383
支那ニ於ケル阿片及魔薬品,,外務省通商局 編,外務省通商局,1925,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1849317
中華民国医事衛生の現状 : ライヒマン報告,,国際聯盟事務局保建部 編||同仁会 訳,同仁会,1930,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1872345
戦時国民食,,日本赤十字社 編,大日本出版,1941,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1070591
青少年工員の生活管理の理論と実際,,日本産業経済新聞社通信部 編,国民社,1944,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1064612
薩摩藩と富山売薬薩摩組,,富山売薬薩摩組 編,富山売薬薩摩組,1938,http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1047130
皆さん、入社おめでとう。
長期不況、就職難のこの時期に、世界最大の部数と、高度の評論・報道を誇る読売新聞に入社試験を突破して今日入社できた諸君は、きわめて優秀な知性、体力の持ち主だと信じる。
「ネット時代に新聞は生き残れない」との扇情的な言論が見られるが、生き残る力のない新聞とは何らかの経営者の失敗、紙面の偏向、一般社員の能力の低下、愛社心の欠如等によるものであって、それらは読売新聞には当てはまらない。
私が誇りに思うのは、読売新聞の論調が公正であり建設的であること、報道が迅速、正確で、今日の国家、社会、国際関係等からみて、いささかの偏向もないことである。
今はやりのネットの世界では、責任不明の発信者による無責任な言論、他人の名誉に対する棄損行為、流言飛語、わい雑で反社会的な情報の流布、思想体系のない断片的言説のツイッター等が氾濫しており、青少年の教育を害するポルノや出会い系サイトのようなものを規制することもできずにいる。
私は、新聞も本も読まず、ネットの世界にのみ侵入している若者は、将来日本を支える指導力、知性、生産力、倫理観等を身につけることができず、国民の文化や民度の劣化を招くものと心配している。
欧米の新聞と違い、日本の新聞は個別配達制という日本特有の販売、配達網があり、販売収入が安定している。それに比べ、欧米はもとより、新興国、途上国では個別配達網がないか、あっても脆弱なものであって、その収入の七、八割を広告収入に依存しているため、その経営力は不況に恐ろしく弱い。欧米の著名な新聞が次々に倒産しているのは、収入源の七、八割が広告収入であり、不況時には企業の広告出稿が大幅に減るためだ。
日本の新聞は、独自の個別配達網を維持し、正確性、公正性、一覧性、ニュースの重要度による多様な情報の有用な整理力による総覧性、可搬性、利便性、教養性等を維持する限り、衰亡することはない。むしろ、乱立し、無謀な競争をし、無責任な情報を発信するネット業界の将来の経営の方が危ぶまれる。
だが、読売新聞も、新しいメディアの世界を傍観しているのではない。YOLや「あらたにす」等を通じ、必要で有用な情報の発信手段は広げている。問題はそれが十分な利益をもたらすかどうかであって、本社の強力なメディア戦略局が日夜、研究、開発し、効率よく利益を得るような事業を展開している。しかし、我々にとってはあくまで新聞が主軸であり、ネットサービスは副業だ。
読売グループには、姉妹社に日本テレビ、子会社に巨人軍、中央公論新社等があり、この不況の中で、黒字経営を維持している。
今政界は指導力が低下し、与野党とも諸勢力が四分五裂している。その結果、経済不況に伴う失業や要介護者等に対するセーフティネットが構築されていない。政権党は大衆迎合のマニフェスト原理主義で、財源がなく投資乗数効果も低い、子ども手当のようなバラマキに没頭している。そのため予算の歳入は赤字国債が税収を上回り、国家財政は世界最悪の状態だ。
ただし、米国や南欧の財政危機と異なり、日本国債の九三%は日本国民が持っている。しかし、国債発行も限度を越えれば価格の暴落、金利の上昇、そして不況の一層の深刻化につながる。
私はその解決策を持っているが、部分的には社論でも報じ、時を見て全面的計画を発表する。
日本政治の劣化、それによる不況の深刻化を防ぐためには、新聞、特に読売新聞の論評、解説、報道により、政治そのものの質の向上、活性化を図るしかない。
読売はこれまでにも、憲法改正案、行革案、戦争責任の検証、社会保障と税制改革などについて、次々に建設的提案をしてきた。今は不況脱出のための財政、金融、産業政策についての提案に力を入れている。
最後に、読売新聞の将来について極めて重要な計画を申し上げる。
今朝の朝刊にも出ているように、新社屋の建設である。この大手町の本社は一九七一年に建てられ、築後約四十年となる。
その建設当時は、古い経営者の頭の固さもあって、一極集中印刷が最も効率的であると誤信し、しかも鉛と手拾いの活字による輪転機、印刷とその発送のための長方形と三方道路の立地にこだわり、九五台の輪転機を地下五階層にわたって並べることを理想としていた。
私や内山グループ本社社長は、印刷の電子化、発送、輸送の合理化、全国分散印刷体制を主張したが、まだ若かった我々の主張は頭の古い硬直化した経営者に押しきられてしまった。中でも内山社長は長文の全国分散印刷体制論を当時の社長以下に提出したが、却下されてしまった。
私は三年ほど前から、ひそかに大手町から輪転機を完全に移動し、IT時代にふさわしいシステムの配線やコンピューターの設置に適した新社屋の建設を検討してきた。
その結果、この大手町の社屋を壊し、その跡に、三○階建ての最新機能を備えた新ビルを建設することを決断し、一昨日の東京本社役員会で正式決定した。再建期間中、三年から四年は、銀座の新橋演舞場に面した旧日産本社ビルに借家する。この借家は、この本社より外見、内装とも立派だ。皆さんもいずれ新社屋が建設されれば、日本における情報・金融機関の中心である大手町を睥睨する新本社で、執務することになるだろう。
思い起こせば、大正末期以来、読売新聞社屋は受難の歴史だった。一九二三年、銀座三丁目に建設した新社屋は、披露パーティーを前にして関東大震災で完全に崩壊し、一九四五年には空襲で跡形もなく全焼した。
その間、朝日、毎日は大阪に本社を置いていたため、関東大震災の被害を受けなかったが、一七紙あった東京紙はほとんどなくなってしまった。大空襲でも朝日、毎日は戦火を免れた。
このような二度にわたる社屋崩壊にもかかわらず、新社屋の建設を続け、不死鳥のごとくよみがえり、一九七七年、務台社長のもとで発行部数が日本一となり、翌七八年には世界最大発行部数としてギネスブックに登録された。九一年に私が社長になり、それから間もなくの九四年、一○○○万部の世界最大部数を達成した。この時巨人軍も、日本一に輝いた。
創刊以来の苦難の中で、百三十年余にわたる先人たちの苦労の上、今や不滅の読売を象徴する超高層新社屋をこの大手町に建設することは、私の生涯の最後の使命である。このデフレによる営業収入減の中で無謀ではないか、との批判も出るかもしれないが、わが社の資産力、経営力からしてもいささかの不安もない。
もちろん、この大事業は私一人の力でできるわけではない。全役員及び社員諸君も、日常的な経費節減及び販売、広告収入の増強に向けて、全力をあげて協力していただきたいと思う。新聞窮乏化論のなかで、読売新聞の未来は限りなく輝かしいものだと確信する。