はてなキーワード: 勢力とは
働ける人が怠けることは何人たりとも許されない、という考え方はマルクス主義の革命家であるエルネスト・ゲバラもそう主張していたように思想の右左を問わないものであって、その考え方自体にも一理はあると思う。
ただ、
>そういう雰囲気や理屈を社会に蔓延させて、ベーカムに反対する人を空気で抑え込もうとしているいつものパヨクのやり方。
というような解像度で政策の議論をしよう、というのは少々無理があると思う。
確かに大衆煽動に徹して○○運動を散々やってきた左派勢力、と言われても仕方ないことをやってきたのが日本の左派勢力ではあるとは思うのだけど、
「左翼は詭弁で社会の雰囲気を操って、空気で反対勢力を抑え込もうとしている。それに保守勢力は正しい理論で対抗をしているのだ」
というテーマに対して、「保守勢力はベーシックインカムに反対している!よって賛成派は詭弁を弄する左翼だ!」
という結論になってしまい、その政策に対してどう思うか、という議論がさっぱり出来なくなってしまう。
あるいは今回の話題でベーシックインカムを導入しようと言っているのはそもそも自民党に近い(というか小泉純一郎内閣時代の閣僚であった)竹中平蔵氏であるのだから、ではベーシックインカムは正しい理論であり、反対派は詭弁を弄する左派勢力だ!という話になってしまわないだろうか。
(2)自集団の思想は他者から認められて当然だが他者の思想は認める必要性がないと考えており
こと。
(1)の庇護を喉から手が出るほど欲しがっている集団も数あるが、庇護対象はポリコレ理論で予め定まっているのでどうしようもない。
(2)はポリコレ庇護対象の属性なら実はあまり高いハードルではない。
庇護を受ける属性同士でどちらが真の弱者なのかを競う揉め事があちこちで起きており、己の思想を信じて戦えばよい。
「多様性」は自分の思想の正当性を訴えるためのツールとして利用するだけすればよいのだ。
ポリコレの庇護対象となる属性はあまりに少数派であるため庇護対象になったものや、そもそも人口再生産が難しい属性であるもの、常に一定割合を超えないことが明らかなものもある。
https://anond.hatelabo.jp/20200921165747
しかしこの指摘はやっても無駄です。指摘されてる内容は全部低偏差値のフェミニストたちによるものです。
低偏差値層のフェミニストは、人の批判を受ける知能を持っていません。会話が通じる人間だと思っても意味がないのです。
フェミニズムは「バッドフェミニスト=教養や最低限の勉強すらしていない、ただフェミニズムにきょうみがあるだけの人であってもフェミニストを名乗ってよいのだ、むしろそういう人たちこそがフェミニストを支えるのだ」というスローガンで低偏差値の思考能力カスな女性をどんどんフェミニズムに勧誘し続けたという過去の経緯を持っています。
また「レイシストでないならフェミニストである。フェミニストでないならレイシストである」というような韓国や一部欧米セレブで流行ったむちゃくちゃな理論を用いて、フェミニストであることの敷居を徹底的に下げようとしたこともあります。togetterでなんどかそういうものを見かけた人もいるでしょう。いうなれば、大学全入時代ならぬフェミニスト全入時代というのがここ十年以上続いていたのです。そして、それは一定時期はフェミニズムの勢力を拡大させるのにとても役に立ちました。
しかし、その結果何が起きたかというと、フェミニズムの平均が偏差値Fランのアジテーションだけがうまい人たちに移行し今まで主流だった人は影響力をもつことができなくなり、何も思考しない、他人を殴れればなんでもよいという暴力主義者たち主導権を奪われ、集団としては制御不能な暴徒化したのです。
これはBLMについても同じ現象がおきています。キリスト教が殺戮者の歴史であるように、本来のあり方が崇高であってもその教義のもとに集う人たちが優れた人間ではないというのは我々は歴史から学んでいるはずです。フェミニズムもBLMも、総体として素晴らしかったとしても構成員がだめならその活動は腐るのです。BLMは目に見える形で暴徒化した制御不能な集団が一般市民を襲う事例まで発生したのにそういった暴徒による暴力すら批判することができないというおかしな状況になっています。
受け入れ口を広く持つことは別に悪いことではありません。ただ、そういう取り組みをしていいのは、受け入れた後はきちんと統率したり教育したりができなければいけないでしょう。
それができなかったありとあらゆる歴史的反乱は、一時的な勝利を収めても崩壊していったのです。
今日本で暴れているフェミニズトたちの群れは、秦帝国に反逆した農民反乱のような無秩序な集団となっており、時々勢いよく吹き上がりこそすれどこちらもあまりガラのよろしくないアンチフェミ集団によって各個撃破されるくらいに弱体化しています。 その結果反撃してこない企業への攻撃などにシフトしているのですが、これもいまいち勢いがなくなっています。 最近はTERF問題をめぐって内ゲバも発生しており、放っておいても内部崩壊しそうな勢いです。元々フェミニズムは当初から内部での対立が激しいんですけどね。一人一派とか言ってるのはフェミニズムの勉強したことない人たちだけでしょう。
今の日本においてフェミニストのブランド価値は底まで堕ちきっています。
考えてみてほしいのですがたとえばFラン大卒のニート男性が社会問題について偉そうに語っていたり、会社経営について上から目線でコメントしていたら誰一人共感などしてもらえないしバカにされて終わるだけでしょう? ところがフェミニズムの世界ではまさにこういう無学で浅慮な人たちのお気持ち表明が、お気持ちであるゆえに支持され拡散され、まるでこれがフェミニストたちの総意であるかのように影響力を持ってしまうわけです。こんな情けない話がありますか?私からしたらあれらの活動は「全然わからない。私たちはFラン大ニートのお気持ちに従って雰囲気で組織を運営している」ってプラカードを背負いながら街中を歩いているようなものです。そんなのはただの羞恥プレイじゃないでしょうか。
私は大学でフェミニズムを勉強しましたが、フェミニストを名乗ることに抵抗を感じずにはおれません。フェミニズムを名乗るのであればなおさら質の悪いフェミニストたちを批判すべきなのにそれも許されないような空気でフェミニストを名乗ってもフェミニストであることに誇りを持てません。 スラムダンクで「お前と一緒にバスケやるの息苦しいよ」という言葉がありましたがまさにそのような心境です。
こういう状況は終わりにしたいです。
全員がそうすべきだとは思いませんが、Twiterで5000以上のいいねを得ているようなフェミニストたちの発言については、それぞれのフェミニストさんたちに偏差値の概念を求めたいです。それがどの程度フェミニズムの文脈において妥当性を持っているのかをきちんと判定してほしいです。もうそのくらいしないと、日本のフェミニズムはFランの下から目線によるひがみだとか、もっとひどいものになると鎮圧すべき暴徒程度にしか認識されないでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6371153
で、不思議な抗体ができて、稲ちゃんから画期的な特効薬が作られるようになる
大量生産のために稲ちゃんのクローンが大量に作られ、一万体を超える稲ちゃんが人類の最後の希望となり、
ドモホルンリンクルみたいな感じで一滴また一滴と滴る液体は人類有史最大の聖水と崇められる
世界各地には功績を讃える立像が林立し、「INADA」という言葉は「救う者」という意味を持ち、全世界共通語になる
それと同時に「反稲田共同戦線(AIJF)」という地下組織が暗躍し、「稲田る者」、いわゆるシャクレたちが襲われる事件が激増する
次第にAIJFの勢力は拡大し、いつしか地球を二分する天下分け目の決戦「世界稲田大戦(W-I-W)」が勃発
Twitterをのぞくと大坂なおみを「嫌い」という人で溢れている件。最初は「やっぱりツイッターはクズばかりだな」と思ったが、読んでみるとなんか理解できてしまう部分もあり、「嫌い」の中身を以下のように分析してみた。
1.日本人は政治と日常社会や娯楽の世界を完全に分ける。さらに言うと、政治は政治家や官僚の仕事であって、国民は政治には無責任で無関心、党派的に無色透明であるかのように装う。支持政党はもちろん、選挙の投票先も家族にすら明かさないのが普通。政治的な主義主張は、必ず「押し付けがましい」「上から目線」と思われるので、常識人は必ず日常会話では避ける。「スポーツの世界に政治を持ち込むな」は、「テニス選手風情が」という意味ではなく、「純粋にスポーツを楽しんでいたのに、とつぜん勝手に政治的な主張が出てきて無理やり押しつけられた」という不快感にある。
2. もともと「大坂なおみってなんか苦手」という人は以前からそれなりにいた。イチローや田村亮子や三浦カズだってアンチがたくさんいたので、スターである限りは別に当たり前で宿命だろうと思う。とくに大坂はコミュニケーション文化は完全にアメリカ的なので、「日本人」として見ると違和感を覚える人が多くなるのという事情がある。しかし、彼女が「反差別」の主張を行い、それをメディアが絶賛したことで、気軽に「苦手」「嫌い」と言えない雰囲気になった。そこで、もともと大坂なおみがなんとなく好きではなかった無数の人たちが、「嫌いとすら言っちゃいけないのか」という被害感情を抱くようになってしまった。
リベラル派の人たちにも文句がある。「人権や平等を訴える人間が嫌いなだけなんだよな」「まるで自分が叱られている気分だったり、あるいは告発が現行の秩序を乱すとでも思っている」「声を上げる若い女は取り敢えず叩き潰したいだけ」とか、「敵」の分析がすごい雑で的外れ。「敵」が何を言っているのかくらい我慢して読んでちゃんと理解しないと、「敵」は「あいつらは俺たちをバカにしやがって!」と言うことでますます過激化する。過激化すると、本来は無視できるほどの少数勢力なのに、実際に政治や社会に影響を与えてしまうようになる。というか、この20年の間にそうなってしまったわけだが。
多分地球の時刻系が元になっているんだろうけど、地球はまともには管理されてないっぽいし
原子時計を使った秒のカウントだと、時点を基準とした秒のカウントからどんどんずれていきそう
ナレーションとか登場人物の会話を聞いていると、宇宙標準時みたいなある気がするんだけど、
どうやって決めてるんだろ?
宇宙歴と帝国歴があるから、それぞれの勢力のローカルタイムがあるとは思うが
「少し前までは宇宙歴と帝国歴の差は309年でしたが、最近は310年の差があります」
みたいな
地球に合わせて自転をコントロールするのはさすがに難しいだろうなぁ
それぞれの首都星の時刻を基準として、各惑星にローカルタイムがあるような気がする。なんとなく
原作読むかな
youtubeに『ホロコースト論争』とタイトルされた動画が存在する。
内容は一話程度しか見ていないが、冷静なタッチで一見して事細かに一次史料的なものを上げて、疑わしいところがこれだけあるのがホロコーストの真相だ、のように作られている。
私は海外の否認論の狡猾さを知っていたので、日本でも同じことをする人がいるんだなと呆れた。
海外で有名なのはアメリカのカリフォルニア州オレンジ郡に本拠地を持つ、歴史見直し研究所だ。よくIHRと略記される。
IHRは明白なホロコースト否認派なのに、「歴史見直し主義者」と自称し、見かけ上は真面目な研究機関であることを装い、ジャーナル・オブ・ヒストリカル・レビューなる一見しただけでは真面目な歴史研究雑誌にしか見えない雑誌まで出している。
しかしIHRを創設したのは、極右からも問題視されるほどの超極右ウィリス・カートなる人物が作ったのである。但し内紛でこの人は去っている。
ともあれ、ネオナチとしてイメージされるようなスキンヘッドなど全くイメージさせない巧妙さなのである。
IHRは米国憲法修正第一条に守られて、ホロコースト否認論はアメリカでは存在を許されているわけだが、CODOHなる派生団体を作って多くの大学の新聞に広告まで載せた実績さえ持つ。議論を要望する組織なので、議論するくらいいいだろってわけだ。
しかし、デマに議論参加資格など許されていいはずがない。明白にホロコースト否認論はデマなのである。
ホロコースト否認論者たちは狡猾なまでによく出来た否認論ばかり垂れ流し喧伝を繰り返す。
ホロコースト否認論はその存在さえ認めてもらえたら、あとは支持者を増やせばいいだけなのだ。
多分、ホロコーストについて無知な人がその動画を見たら、「もしかしたらほんとにそうかも知れない」程度に思う人を含め容認する人が半数を超えるだろう。
それくらいよく出来ているのである。私は見ていて本気でゾッとした。
チャンネル登録者数は話題が話題だから比較的少ないとは言え、それでも数千人もいる。見ただけで登録しない人も含めたら、信じた人は万を超えるだろう。
とは言え、日本人にはホロコーストなどほぼ関係はない話だし、その背景にある反ユダヤ主義だって、日本ではそれを主張する意味もないから、放っておいても特に害はない。日本人極右の敵はあくまで韓国であり中国でありパヨクである。高須のような馬鹿は見学しておけば済む。
でも、ほんとにあっさり騙される人があまりに多いという事実には恐怖を感じざるを得ない。
歴史問題というのは、日本人に馴染みのある南京大虐殺ですらも、その史実的なことを知ろうとするとこれがなかなか厄介である。日本においてはすでに勢力は否定派の方が強いので、情報を得ようとしたら否定派の情報が入ってくるのは避けられないからである。その上、まともな情報を得ようとするならば、最低限度秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書)程度は読まねばならない。歴史問題の事実を把握しようとするのは、実際そこそこハードルが高いのである。
ホロコーストなどはもっと遥かに高い。日本人のほとんど大多数は、ホロコーストの全体像なんて全く知らないであろうし、「ヒムラー、ハイドリヒ」と言われても「はぁ?誰それ?」な人が大半だろう。
アウシュヴィッツと言われたらドイツにあると思っている人だって多いに違いない。
ガス室と言われたら「シャワーからガスが出てくるんだよね?」と思っている人だってたくさんいる筈だ。しかしそれは少なくともアウシュヴィッツのガス室ではない。
こんな無知な状態なのだから、日本人を騙すのが如何に容易いか、そこは容易に理解できるのではある。
しかも、自分で調べようとしても、日本語文献自体がほとんどない。
その動画はほんとかどうかはともかく、脚注みたく多くの文献を調べているという体裁をとっており、沢山の文献情報を載せているのだけどその全ては海外文献であり、調べようったって日本人ならほぼ無理だ(しかもテキストスクロールだからすぐ脚注は流れ去るので、あんなのそれっぽく見えるように飾りでしかないのである。動画主は明らかにそれをわかってやっている)。
さらに言えば、紹介されていることはほぼ何も間違っていないのである、表面的には。
例えばアウシュビッツ強制収容所で、囚人が結婚したという話が出てくる。
これ自体は実は有名な話(書籍にまでなっている)なので、事実なのである。
結婚した囚人はユダヤ人ではない。アウシュビッツにはユダヤ人だけではなく、それ以外の政治犯やら戦争捕虜なども大勢いたのだ。
しかもこの話は、大虐殺の本丸であるアウシュビッツⅡ(ビルケナウ)ではなく、そこから三キロ離れたところにあるアウシュビッツⅠの話である。
否認論はこれらの情報を見事に言わない。極端な話、奴らは嘘をつかずに嘘を付くのである。
例えれば「水道局の方から来ました」と水道局でない人がよくやる詐欺のようなものである。彼は何も間違ったことは言っていない。
そして否認論に染まってしまうと、こんな否定しようのない証拠資料ですらも認めなくなる。
https://note.com/ms2400/n/n61f6452e88f8
内容は海外サイトの翻訳が大半だが、ここまで検証しても否認論者は難癖をつけて絶対に認めようとしない。
ここまで完璧なほどに物理的に資料を捏造するのであれば、どうして内容に間違った部分のあるような証拠になっているのか辻褄が合わない。
ある捏造者はかつて「ヒトラーの日記」まで捏造しているのである。
ちょっと頭を使えば、如何に否認論が下らないか、わかりそうなものなのだが……。