はてなキーワード: 乗客とは
つい、
・高齢者
・女性
・整った身なりをしている
・杖を突いて歩くほどの足腰
といった条件に当てはまる方がいると無条件に労わってしまう自分がいるのだが、
今日のある出来事でその価値観を考え直した方がよいかもしれないと思った。
というのも駅で電車を待つためにホームの長椅子に座っていると、
私から1.5mほど離れた位置に上記条件に当てはまる女性が腰を下ろし、カバンから空のポケットティッシュを取り出してすぐ隣に置いた。
私はそれをちらっとみてカバンからほかに物を取り出すために一旦、置いたのだろうと思った。
しかし、彼女は続けて使い終わったティッシュをその空のポケットティッシュの上に置いた。
そこまでの一連の動作を目の端で追っていた私はまさかと思ったがまさにその通りだった。
駅に電車が到着すると彼女はそのごみを放置したまま電車に乗ったのである。
少し前から高齢者が社会のルールを守らないことについて問題になっていることは知っていたが、
それは見るからにルールを守らなそうな人の話で上記条件に当てはまるような方は守るものだと勝手に思い込んでいた。
平たく言えば人は見かけによらぬもの(今回は逆パターン)ということなのだが実際に目の当たりにすると言葉を失うほど驚いたのでここに書き残させてもらうことにした。
毎朝、決まった電車の先頭車両に乗っていますが、私の乗る駅の次の停車駅で若い視覚障害者の方が乗ってきます。
駅員さんに連れられて乗ってくることもあるし、一人で杖を使って乗ってくることもあります。
いつも優先座席は埋まっていて、乗ってきてたその方はだいたい立っています。
杖は乗った後に折りたたんでカバンにしまいます。そして手すりを使わず立っています。ですので電車が動き出して揺れるとその方も揺れます。
正確にはわからないけど、手すりを使わないのは、どうも手すりの場所がわからないからではないかと思います。
電車に乗ることはできるけれど、乗ってきてもなんとなく車内の位置関係が正確には把握できていないような、すこしづつ立ち位置を調整して安定する立ち方を探しているようなそぶりをしているからです。
ほかの乗客と接触するとすこしずれる、というような感じです。手を挙げて手すりを探す様子は有りません。それは、手すりの位置が分からないからではないかと思います。
何もないところで手を挙げて手すりがないという事態に抵抗があるのじゃないかと思いますが、これは私の憶測ですから本当のところはわかりません。
私は、自分が近くにいるときはその人が安定できる位置、例えばドア横の手すりがあるところなどに誘導します。
毎朝そうするわけではなく少し離れたところにいるときは、それはしません。
このことについて私と同じように毎朝のその電車に乗る人はどう思っているのでしょうか。そしてその方自身もどう思っているのでしょうか。
手すりを使わずに立っていても問題ないのかもしれない。しかし誘導するとそれに従って静かに移動します。声を聞いたことはありません。
どういうのが正解なんでしょうか。朝の電車ではみな一様に疲れた顔をしています。優先座席に座っている方はその席を譲ることが正解でしょうか。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。揺れたからと言ってその方が倒れるということもないです。
近くにいて気付いた人は皆なんとなく気を使っている様子もあったりなかったりしています。
何かこうするのがいいよみたいことを教えてもらいたいです。
JALの飛行機がタービンブレードが跳んで、片発停止状態で飛行したことに対して下記のサイトであった解説に誤解があるのでメモ。
http://flyfromrjgg.hatenablog.com/entry/questions-and-answers-i-was-asked
エンジンが片発停止すると、飛行機は推力のバランスが崩れて、故障したエンジンの方向に旋回しようとします。それは作動しているエンジンの方が前進するため、前進した右翼の揚力が大きくなるからです。
まずこれで大きく間違っている。片側のエンジンが停まると、たしかにそれによって飛行機は回転しようとする。左エンジン停止の場合は元記事でいうように上から見て左回りのモーメントが働く。その後、パイロットが何もしないと左旋回に入るという点では間違っていないが、その理由がおかしい。上記引用にあるように、この記事の筆者は右翼が前進するために右翼の揚力が大きくなると書いているが、実際には前進によって揚力が大きくなるわけではなく、上反角効果によって機体の進行方向の軸周りの回転が起こる。
上反角効果というのは、下記サイトに詳しい。要は、飛行機の上反角(主翼のとりついている角度、下記サイト参照)や後退角(主翼がどれだけ上から見えて斜めについているか)によって起きる現象である。
http://www.cfijapan.com/study/html/to199/html-to199/186b-how.htm
http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p062.html#02-02
つまり、もし上反角や後退角が小さく、上反角効果がゼロであれば、片発が停止したとしても機体が旋回をはじめることはない。元記事では前進した右翼の揚力が大きいからと書いているが、実際にはそのような現象は発生しない。
実は実は、上空では真っ直ぐ飛ぶ必要はないんですよ!(乗客の快適性を保つため横に水平である必要はあります。)
このように機種の方向と進行方向が合っていなくてもいいんです。横滑りして飛んでいても別にどうってことありません。むしろ普段は、風の影響でこういう飛び方をしています。風に逆らって横滑りしてやらないと行きたい方向に進めないからです。風はまっすぐ前からやってくとは限りませんよね。横から吹いてきたらどんどん横に流されて行きます。ですので、飛行機は常に風の吹いてくる方向にやや機首を振って飛んでいます。片発のエンジンも同じ要領で、横滑りさせて飛んでいます。
上記の説明はよくある間違いであり、これは高校で習う慣性についてよく理解できていないために起きる間違いである。下記2つの現象は似ているようでまるで違う現象である。
・機体が大気に対して横滑りしながらの飛行
・風の影響を打ち消すために、地上から見て機首の方向と飛んでいく方向が違う飛行
たしかに横滑りしながらの飛行(前者)を行っていても特に大きな問題はない。ただし、横滑りしながらの飛行(前者)と、機首の方向と進む方向が違う(後者)とは全く別である。後者は地上から見ていると横滑りしながら飛行しているように見えるが、実際には横滑りしていない。
どういうことか。前者は簡単である。風のない場合を考えると、飛行機の進む方向と飛行機の機首の方向が違えば、それは横滑りしながら飛行していると言える。後者はやや直感的ではないので、まずは考えやすい例から紹介する。たとえば、まっすぐ時速100kmで進む電車に乗っているとしよう。そのとき、車内にハエが電車の進む方向と同じ向きに時速1kmで飛んでいたとする。電車に乗っている人から見れば、ハエは単にハエ自身の速度である時速1kmで動いているだけだが、電車の外から電車を眺めている人から見れば、ハエは時速101kmで進んでいるように見える。これが高校で習う慣性の基礎だ。
この場合をもう少し複雑にして考えてみよう。ハエは電車の進む方向ではなく、例えば電車の右側のドアから左側のドアに電車を横切って飛んでいるとしよう。そうすると、ハエの進む方向は、電車に乗っている人からみると電車の進む方向とは90度ずれているが、ハエは特に"横滑り"をしているわけではない。ハエは電車の中でまっすぐ進んでおり、外から見た人からだけ、進んでいる方向とハエの向きが異なるのだ。外から見ると、ハエは進む向きと違う方向に進んでいるので、横滑りしているように見かけ上"見える"。
この上記の例が理解できると、元記事が間違っていることが理解できる。機体は風の中を進んでおり、それは電車の中で飛ぶハエのようなものだ。風がどちらに進んでいようと、機体は特に横滑りしているわけではない。地上から見た人にだけ、横滑りしているように"見える"。
取り急ぎ、最も気になった2点について解説した。元記事には突っ込みどころがもっと沢山あるが、そろそろ眠いので寝ようと思う。間違い探しとして見れば、楽しめるかもしれない。
無理やりの割り込み、満員なのにスマートフォンをいじって肩にぶつけてくる人、傘を腕にかけたままスマホに夢中になって人にガツガツぶつけてくる人。
別に満員電車自体は苦じゃないのだけれど、満員になればなるほどマナーが問われると思うんです。
「スマホにばかり集中しないでまわりを見る」
「足を広げて座らない」
「車内で化粧はしない」
「カバンはなるべく網棚にあげ、まわりにぶつからないよう配慮する」
「傘は思いのほか水滴が他人にかかることがあるので気を付ける」
こんな小学生でもわかりそうなことを
できない大人の多いこと多いこと。
特に、いい歳した中高年の方のマナーが本当にひどくて驚きます。(もちろん、中高年できちんとした方もいますが)
今朝がたですが、こんなトラブルがありました。
乗り換える乗客が多い駅にて、私の隣以外にも空きはあったはずなのに
無理やり私の隣におばさんが入ってきました。
まずびっくりしたのが足。
私の右足をぐいぐいぐいぐい左足で押してきます。
びっくりした顔で見ても知らんぷり。
腹が立つからもう寝ようと思って、立ちながら静かに目を瞑りましたが
その後は肩やら腰やらで体を押してきます。
逆側に避けるとそっちの人を私が押さなくてはならないなーと思い
押し返さない程度に耐えてました。
反対隣りにスペースがあるというのになぜか私の側にだけぐいぐい押してくるのは
「すみません」
するとおばさんんがイライラした声で、こっちを見ずに「はい」と言ってきたので
「押さないでもらってもいいですか?」
なるべくイライラがでないよう、落ち着いた声で言いました。
揉める気もなかったので私は言い返さずまたイヤホンをして目を瞑りました。
まあさっきよりはマシになったから許そう。
そう思っていたのですがしばらくすると
「すみませんけど、もっと左よってくれる!?足の踏み場がないのよ!?」
と反撃に出てきました。
反対隣りに寄ればいいだけなのに、なぜこのおばさんは私の側に足を置きたいのか。
なんだか朝からこんなくだらないことで声を荒げてバカみたいと思ってしまい
ついつい笑ってしまいましたが、
「笑ってんじゃないわよ…ぶつぶつ…」とお怒りの様子でした。
もともと私の立っていたところの横に無理やり入りこんだくせに
私は一歩も動いていないのに。
その後、お互い降りる駅が一緒でしたが
向こうは威勢よく怒ったわりにそそくさと去っていきましたとさ。
なんだったんだおばさん。
たまーにこういう人いますね。なにがなんでも己の気に入る場所で気に入る空間を確保したい人。
つくづく頭がおかしい…
本当に混みあっていて、向こうがすみませんって感じで小さなスペースに身を寄せてたら
こっちも「いえいえとんでもないです」ってできる限り身を縮めるのに。
今は確かに若者がインスタ映えを考えすぎて
マナーを守らないとかそんなのよく見るし
一度中高年の方に対して電車のマナー講座とかやってほしいです。
回りをよく見る、譲り合いをする、人に迷惑をかけない。
こんなことくらい当たり前にやってください。
先日Twitterで親子連れの方のファミレスでのマナーについて話題になっていましたが
あれも読んでて恥ずかしいくらい当たり前のことでした。
当たり前のことが当たり前でなくなってしまう、
事実誤認が甚だしいですね。まず、バニラエアは障害者対応もきちんと対応してる会社ですよ。実際、搭乗拒否をしてたのも奄美空港のみです。理由も別に批判されるほどのものではなく、車椅子移動できるブリッジを利用できないからです。そして、再度問い合わせた人に対してはブリッジを利用できる別便の紹介をしていたという記事も見ました。
設備を用意してなかったことに憤りを感じてるのかもしれませんが、それもちょっと違う気がします。ストレッチャーや階段昇降機を利用した乗り降りは、障害者の方が歓迎する設備ではありません。バリアフリーとは程遠い質の悪い設備なんですよ。これは、自分が車椅子ユーザーの立場だった場合、機械で階段を降ろされるかスロープを車椅子で降りていくかどちらを選択するか考えたらわかると思います。
航空会社としては、ブリッジを利用できる代替便や他の航空会社を選択したりすることより、質の悪い乗降りを強いられる方が良いという乗客がいることを想定できていなかったのは落ち度かと思います。ただ、これは増田が憤ってクレームを入れるような問題ではないのでは?
今日から時差ビズが始まったらしいが、これを考えた人間は一人暮らしか、もしくは家庭を顧みない人か、もしくは老害のいずれかだとしか思えない。
なぜなら、家庭持ちなら子供の時間と合わせる必要があるからだ。
子供が未就学児なら出勤前に子供を保育園に連れて行く必要があるから、保育園の時間にも合わせる必要が出てくる。よって時差ビズは不可。
子供が小中高校生なら、子供の通学前に朝食を準備したり親子の会話をしたりする必要がある。よって時差ビズは不可。
これらの家庭の事情に加えて、各業種ごとに取引先との兼ね合いや営業時間の都合でどうしても時差ビズが出来ない場合もある。早く出勤した所で会社が開いていなければ喫茶店などで時間を潰さなければならないし、その費用が毎日となると馬鹿にならない。
となる筈で、これに思いが至らない時点でどうかしている。自己中心的で、ただ呼びかけて自己満足に浸っているだけのいかにもお役所的な無駄仕事である。
それよりも、朝の通勤ラッシュ時に通学時間をぶつけてくる中学高校あたりをターゲットとして、始業時間の繰り上げ、もしくは繰り下げを要求したい。
朝の通勤ラッシュに乗り合わせる学生は全体の何割かわからないが、決して少なくないのは確かだ。この人員を朝7時台や10時台のどちらかに割り振ることが出来れば、ピークの乗客数を確実に減らせる。だから電車通学で通うような中学高校については条例等でほぼ強制的に始業時間を変更させるべきである。
朝ビズは、フレックスタイム制とか朝活とかといった過去の失敗を全く学んでいない愚策であるからただちに取り下げて、中学高校の始業時間変更条例の制定をただちに行うべきだ。
木島英登氏曰く、四肢障がい者へは「現場レベルの対応で十分」だという。彼の主張をそのまま受け入れることは、第一に、現場の人的コストの著しい軽視に繋がる。
「決して小さくない人的コスト」が導くのは、福祉業就業者の超過労働だ。ここで連想するのは、昨年の相模原事件の犯人像だ。彼は、着任当時、「障がい者への"思いやり"に溢れた青年であった」という。薄給に過酷な労働、ひたすら要求される"優しさ"。
木島氏の行動によって、他乗客は遅延などの迷惑を蒙り、現場の人間及び関係者が責任を問われたことは想像に難くない。本当に「社会的弱者の行動は、その加害性を免責されるべき」なのだろうか。
ちゃんと過去にバニラエアで搭乗拒否された人の記事読んだ?その人たちは、車椅子での移動、介助者が抱えての乗り降りを希望したけど、安全上の理由で断られてるんだよ。そして、再度問い合わせた人は安全にブリッジ移動できる代替案を提示されてる。障害者お断りではなく、安全な手段で乗り降りできない便での搭乗を断ってたんだよ。バニラエアとして想定外だったのは、利用者が希望するようなブリッジを利用できる代替案や他の航空会社を選択してもらうという対応が批判を浴びるらしいということだろう。ストレッチャー移動を希望したというのはあんたの勘違いだから、確認してくれ。
はっきりいって、ストレッチャーや階段昇降機ってのは多くの車椅子利用者にっとって質の悪い乗り降りの手段だ。できれば利用したくないという障害者も多い。そもそもバリアフリーの概念とは相容れない手段だしな。駅の階段でエレベータを利用するのとあの物理的に人を下に降ろすだけの大仰な機械とどちらを利用したいと考えれば、車椅子利用者でなくてもそれは理解できるだろ。
そして、この件で対話の価値が下がるということはない。俺が言う対話というのは、何度か書いてる通り「相互理解に基づく建設的な対話」だ。一般論の対話ではなく、政府が方針として打ち出してるこの対話。どっかでも書いたが、ストレッチャー移動の意思表明とそれを予測できなかったバニラエアの相互理解がうまくいかなかったのが原因であって、対話自体が解決の手段にならないわけではない。相互理解さえ上手くいってれば今回のケースは必ず対話で解決できていた。間違いない。絶対に。
俺は、一切の罰則に反対するとは言ってない。対立、軋轢を産むから罰則には反対と言ってるだろ。対立、軋轢が生まれて相互理解が阻害されないのであればこの限りではない。
>>違う。法律では特に危険とは定められていないのに、航空会社が勝手な内規で危険を口実に一律に断っていた。
航空会社は安全に乗客を送り届ける義務がある。それは、言うまでもなく法律にも定められてるはずだ。航空会社の勝手な内規というのはお前の主観であって、何を危険とするかは航空法に反しない中で航空会社が決める。お前の決めつけでどこういうな。
>>バリアフリー法自体は一見味方に見えるが、努力義務になっているところは、企業は別に守らなくてもいいわけだから、普通に破る企業出て来るでしょう。
障害者の意思表明、対話、合意形成のプロセスが上手くいかないケースが多々出てきたら、法律を変えればいい。現に、バリアフリー法も一回改定されてたはずだぞ。また、お前の妄想がはじまったが勝手に破ると決めつけるな。完璧なんてないんだから、運用が上手く行かなかったら変えて行けばいいんだよ。
>>世論については、お前みたいに、声あげた人叩く奴がいるから必ずしも味方じゃないよねぇ。
俺は、バニラエアが合理的な配慮をすることに賛成してる世論の側だ。叩いてるのは、対話の手段が目の前にあるのにそれを利用しない行動に対してだ。しかも、あんたは「人殺し」と叫ぶことまで許容してる。さっきもいったが、方針通り進めて納得いかないなら、裁判を起こすことも自由。デモをしても良いし、メディアに訴えることも全然否定してない。なんで、解決の為の方針を利用せず行動にでることが「声をあげる」といかにも善良なことのように解釈できるの?
>>障碍者の移動・活動手段を何かしら口実をつけて奪って、閉じ込めておこうって、
本当に決めつけが激しいな。どうしてそんな極論になるんだよ。バニラエアしかも奄美便さらにブリッジを利用できない場合だけの対応がなんで、そんな閉じ込めておこうみたいな悪意の話にすり替わる。偏るな。
お前個人のことに関しては、もし難病医療費助成の対象になってないならそれが認められような活動をすることになんの異論もないよ。ただ、病院にいきなりおしかかけて、とにかく手術しろと要求するより前にやるべきことはあるだろうがな。
運賃の補助なら、補助金の分だけ運賃が下がってただけで、別にバニラエアの懐に入ってたわけじゃないでしょ?
強いていうなら乗客の懐に入ってただけで
対話で解決できたぁ????この記事読んでこい。既に、同じ航空会社の同じ路線に事前連絡しても搭乗拒否されたという証言がある。対話じゃ解決できなかった証拠。あんた、この証言者をうそつき呼ばわりするのか?人間の心を持たない差別主義者の外道め。
で、あんた、さらに「自己救済」とか言って墓穴ほってるぞ。確かに自己救済は原則として禁止だが、最高裁判決で後から容認されたケースがいくつかある。法は絶対じゃない、場合によっては、違法でも事情を斟酌して容認するケースが有り、そこに出てくるのが「自己救済」だ。今回のも、本当に突き詰めるなら、最高裁で判決が出ないと合法かどうか分からないってこと。だいたい、タラップを腕で登るのも、当該航空会社が作った勝手な「内規」に違反しただけで、法的には何の問題もない行為だ。乗客は正規の航空券持っているんだから、天候などの他の事情がないのに搭乗させなかったら航空会社の方が民法上の契約違反。航空会社の勝手な内規と民法とじゃぁ民法の方が上に来るに決まっているだろう。他の航空会社が同じような内規を持っているとも限らないし、何も悪いことはしてないと思うぞ。。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8A%9B%E6%95%91%E6%B8%88
駅構内でよく流れている警視庁の痴漢で人生が終わるみたいな警告を見るたび、痴女も人生終わるのかなと考える
満員電車で人並みに押されるがまま、なんであんなところに私の手が……って状況になることは少なくないと思う(私の立ち居振る舞いが下手なんだろうか)
背中を向けあった男性同士の尻の間とか、だらしない格好のお兄さんのシャツの中にうれしくないラッキースケベをしてしまったりとか
しかもそういう時に限って、簡単には抜けないような圧がかかっている
場所が場所なので、無理やり抜いたらそれを故意の行為とみなされて、痴女として訴えられるんじゃなかろうかという謎の不安から、
次の停車駅で乗客の配置換えが入るまで落ち着かない気持ちで電車に乗っている
その程度で訴える人がいないことはわかってるのに、なんとなく不安が消えないのは、自分の根っこに痴女したい願望があるからかもしれない
小学生の頃に痴漢に追いかけられて怖い思いをしたせいか、男の人も同じ気持ちを味わって欲しいみたいな、男性全般に理不尽に肥大した復讐心がある
同じことってなると痴女して怖がらせることになるんだけど、倍以上体格差がある見知らぬ人間に追い回される恐怖はどうやっても与えられない
ボーディングブリッジについて誤解が出回っているので、指摘します。
まずはこれ。
https://anond.hatelabo.jp/20170630101133
奄美空港は改修中でボーディングブリッジの増設工事中。今年11月から運用可能とのことで、以降はバリアフリー対応となる予定。素晴らしい!
奄美空港は11月には新たなボーディングブリッジが運用開始予定です。おそらく3月に就航した関空ー奄美を受けての増設を決めたのでしょうが、予算、設計、施工などを考えると可能な限り最速で対応したのだろうと思います。奄美空港関係者の努力は素晴らしいと思います。
次にこれ。
http://tikuwa.hatenadiary.com/entry/2017/07/01/140352
バニラエアが就航した2014年7月以降、利用客が増大して空港収益が上がった事で、ボーディングブリッジの増設、各階への多目的トイレの設置などを含む、急速なバリアフリー化への対応化が進められている真っ最中でした。
しかし、いずれも誤解です。(空港が整備する、という趣旨でなら正しいが、引用者は、バニラエアが整備する、という趣旨で書いているので、誤解です。)
この点は、私(blueboy)がブコメで指摘しましたが、話が長くなるので、増田に書きます。
ボーディングブリッジとは、次のようなものです。 ( Wikipedia )
ボーディング・ブリッジ (boarding bridge) とは、ターミナルビルから旅客機や客船に乗客や乗員を乗降させるための設備である。
http://www.new-chitose-airport.jp/ja/tmap/floor/img/img-floor_map_2f.jpg
※ 放射状のトゲのようなもの。
ボーディングブリッジは、コストが数億円と高価であることと、使用料が高額になることと、設置台数が限られていることから、格安航空会社(LCC)ではほとんど使われません。たとえ設備が余っていても、使われません。(空港に払う使用料が高額になるからです。)
奄美空港でも、使うのはJALだけであり、たとえ余っていても、バニラエアは使いません。
ボーディングブリッジは奄美にはもともとすでに1つあります。使いたければ、すでに使えます。しかし、料金が高くなるからバニラエアはあえて使わないだけです。
したがって「11月にはバニラエアが使う」という解釈は誤りです。
一般に、LCC では、飛行機の着陸料が非常に安くなっています。なぜかというと、乗客の搭乗経路が、
という短距離ではなく、
ターミナル → 長距離の歩行 → 空港の はずれ → 自前の階段昇降機 → 飛行機
という経路を取るからです。
乗客は何十分も長い距離を(荷物を持ちながら)歩くことが必要です。地方空港ならばともかく、関空や成田ではとても長い距離を歩かされます。
こういうわけだから、着陸料は激安になっています。それゆえ、航空券も激安になっています。
まとめて言えば、「格安航空券が安いのは、ボーディングブリッジを使わないから」です。
このことをきちんと理解してください。
「バニラエアでも、11月からはボーディングブリッジを使えるようになる」というのは、明白な虚偽情報です。
【 追記 】
追記は下記で。
https://anond.hatelabo.jp/20170701192506
「航空会社は対応できる状態にしておくべき」という主張はわかるけれども、
現実問題対応出来る状態になかった空港が、それを踏まえて連絡しろよと告示しているのを無視してぶっつけで利用しようとして、
危険だからと止められるのを強引に搭乗して離陸を遅らせ他の乗客全員にも被害を与えた行為が正しいのか、その全責任は対応できる状態にしていなかった航空会社にあるのかと言われるとノーなんだよねえ。
バニラ・エアの件、論点が増えすぎてうやむやになって終わりそうだったので、論点をいくつかに分類した上で私が思う問題点について書いてみます。
長いので結論だけ先にまとめておくと、車椅子利用者のみが自主的な事前連絡を求められていることはバリアフリーでなく、より確実なバリアフリーを目指すために航空会社がシステムの側で対応すべきということです。
ちなみに私は健常者ですが、中学の時にこのエントリと同じような趣旨で卒業レポートを書いたり大学で車椅子利用者向けのインターフェースについて勉強したりしていたので、どちらかと言うと車椅子利用者側の意見になっているかもしれません。
今回の騒動で話題になった記事は http://b.hatena.ne.jp/topic/300611893821289425 が割とよくまとまっています(おそらく自動生成ではありますが)。これらのエントリを見ると、論点は大きく4つに分けられます。
本エントリでは4つめについて主に述べたいのですが、一応私の立場の表明がてら他の3つについても軽く触れておきます。長くて読むのが面倒だという方は飛ばして次のセクションを読んで下さい。
その場の対応についてはバニラ・エア側も謝罪・対応しており、搭乗拒否したことが問題である点については多くの方が同意するところでしょう。「バニラ・エア車いす利用者搭乗拒否に対するDPI日本会議声明 : DPI 日本会議」でも、やはり搭乗拒否についてが問題として指摘されています。
「LCCに車椅子利用者対応を期待するのは過剰サービスだ」という批判も中にはあるようですが、これは障害者差別解消法でいうところの差別にあたります。コストの理由だけで搭乗拒否することは「合理的な理由」であるとは言えないでしょう。
報道の仕方については、やや見出しが過剰にセンセーショナルであったことは否めないように思います。
「【ラジオ書き起こし】荻上チキ×木島英登×石川准「誰もが暮らしやすいバリアフリー社会を実現するためには何が必要なのか(2017/06/29 TBSラジオより)- "シュプレヒコールを歌え" 」に、「あの、私は、階段を這って上ったことは、僕にとっては屈辱でも何でもなくて。 」とあります。つまり這って上る事自体は木島氏も問題視していません。
一方で最初に話題となった記事のタイトルは「車いす客にタラップはい上がらせる バニラ・エアが謝罪」でした(今は修正されたようです)。このタイトルからは「はい上がらせ」たことが問題であったようにとれる点で、そもそも論点がずれていたと言えます。結果として話題となったのは良いかもしれませんが、論点のずれによって初期の議論が迷走し、木島氏へのバッシングなども引き起こしてしまったのではないかと感じています。
3つ目の木島氏の人格についてですが、私はあまり問題であるとは思っていません。「プロ障害者」という批判があるようですが、当事者として声を上げられるのは当然当事者だけです。「 なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある 」にもある通り、「声を上げた」ことは他の車椅子利用者の方にとっても救いとなるのではないかと考えています。
一方で「本来必要とされている事前連絡をしなかった」という非が木島氏にあることはたしかで、この一点のために個人の責任を問われているところがあります。しかしながら、事前連絡が必要であることそれ自体に問題があるのではないでしょうか?すなわち、搭乗拒否が差別であることだけでなく、事前連絡の必要性もまた差別であり解消されるべきものであるということも、今回の件から考えるべきではないでしょうか?これについては次のセクションで詳細に述べたいと思います。
木島氏への批判の理由として、「本来必要とされている事前連絡をしていない」ことがあるようです。今回のケースでは連絡していても搭乗を拒否されていただけであろうことを考えると、この批判は当たらないようにも感じます。しかし一方で、木島氏は普段から事前連絡をしていないようなので、そのことを問題視する方がいるのも理解は出来ます。
特に「車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ」によって、航空会社側の安全管理上の都合が多くの人の知るところになって以降、その傾向が強いようです。
この航空会社側の都合とは、車椅子利用者の方があると事前に分かっていれば対応できるのだから事前連絡をして欲しい、ということのようです。対応できる事自体は素晴らしいのですが、この考えには飛躍があります。その飛躍とは、「航空会社が事前に把握するための負担を、乗客である車椅子利用者が負わさせられている」という点です。
少し話は逸れますが、他のケースとの比較を通じてこの問題点について考えてみましょう。
機内食についての事前連絡の必要性に関して、ベジタリアンや信教、健康上の理由から、マイノリティでも事前に連絡しているという意見がありました。バニラエアで確認してみると、機内食としてベジタリアン用の食事は予約時に選択できるようになっています。バニラ・エアのグループ会社であるANAで確認してみると、さらに多くの種類の食事が選べるようです。
小さなお子さんがいる場合も航空会社は把握する必要があります。この場合も、システムが利用者の誕生日を入力させることによって航空会社は把握することが出来ます。
すなわちこれらの2例では、マイノリティの存在を把握するための仕組みがシステムの中で事前に準備されているということです。
話を戻して、車椅子利用者についてはどうでしょうか?ANAでは「おからだの不自由なかたへの空の旅へのお手伝い|ANA 」にあるように、事前に電話で連絡する必要があります。今回問題となっているバニラ・エアではFAXまたはフォームからの連絡が必要です(「お手伝いが必要なお客様|ご利用ガイド | バニラエア Vanilla Air」)。すなわち、航空会社がシステムとして主体的に車椅子利用者の存在を把握しようとするのではなく、車椅子利用者の方から航空会社に自己主張をするという構図になってしまっています。
もちろん食のマイノリティや幼児に比べて車椅子利用者は少ないという数の問題はあるでしょう。しかし、だからといってその存在を例外として扱って良いわけではなく、存在するのが当然と見なして対応するべきです。マイノリティについて事前に把握する必要があるならば、そのコストは利用者側でなく航空会社側が負担すべきではないでしょうか。実際「障害者への差別的な対応しないよう航空会社に指示へ 国交省 | NHKニュース」でも、「搭乗前に乗客に聞きとる」という航空会社の主体的な行動が要請されています(この記事に対して、やはり木島氏は事前連絡すべきだったとする意見があるようですが、それには前述した飛躍があります)。
一方で、電話で連絡すれば搭乗がスムーズになるというのは、搭乗できないよりは遥かにマシでもあります。それ故この対応を「差別である」と切り捨てることもできません。
つまり重要なことは、「ある行動が差別であるかどうかは0/1で決まるものではなく、比較可能なものである」ということです。今回のような「比較的差別的」な状態は、「比較的バリアフリー」を継続的に目指すことで解決されると私は考えています。
差別が0/1で決まるものではないという話をしましたが、それは「バリアフリー」についても同様です。事前連絡をすれば搭乗できることは、全く搭乗できない場合よりはバリアフリーであるといえます。しかし同時に、事前連絡せずに搭乗できる場合よりはバリアフリーではありません。本当にバリアフリーな社会が目指すべきなのはこの、「事前連絡せずに搭乗できる」という状態でしょう。
1つのバリアフリーな手段が用意されていることだけをもって「バリアフリーだ」と言い張るのは簡単です。しかし、それによって既存のバリアフリー施設の問題点や改善点が見えなくなってしまうという新たな障壁もあります。そのような「なんちゃってバリアフリー」の状態に甘んじることなく、全てのバリアがない「真のバリアフリー」を目指すことが、社会全体としては必要とされています。
もちろん「真のバリアフリー」は理想論であり、全てのバリアを一度に完全になくすことは現実的に不可能です。だからこそ、一つのバリアフリー施策を実施するだけでバリアフリーになったとするのではなく、既存のバリアフリー施策で足りないところを改善しながら一歩一歩「真のバリアフリー」を目指していくことが必要となります。この、漸近的に解消していくプロセスこそが合理的な配慮である、と私は考えています。
今回のバニラエアの場合は、例えば予約時にモビリティ上の特記事項があるか否かのチェックボックスを用意すれば、航空会社は車椅子利用者の利用を把握できる上、ユーザーの手間もそれほど変わらないでしょう。その上で航空会社がどのように対応するか、主体的に決めることも可能になります。多くの種類のマイノリティが存在する中でどれに対応するのかという問題はありますが、サポートする範囲を少しずつ広げながら、差別を減らしていけるはずです。
差別やバリアフリーを0/1で捉えるのではなく、連続的に改善していける社会になればいいなと思います。長い文章でしたが、読んでくださった方ありがとうございました。私より中立的な立場の方からのコメントや、車椅子利用者の方のコメントが頂ければ嬉しいです。
「11月にボーディングブリッジが使えるようになるのでそれまでは申し訳ないけれども我慢してもらうという姿勢だった」
とあるが、そんなことは無い。
例えば下記にもあるが、もともと今月末を目処に車椅子昇降機を導入する予定だった。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017062800575&g=soc
それまでは我慢してもらうことには違いないが、実際は木島氏が騒動を起こさなくても
問題は認識されていたし、今までに必要な対策は取られていたということだ。
また「バリアフリーに対応する法的義務があります」とあるが、そこにも異論がある。
バリアフリー法でのバリアフリー化は原則3000人/日 以上の利用者がいる空港ターミナルについてH32年までの対応を要求している。
しかし、現状の奄美空港はそこまで利用者はいないし、それを考慮から外しても11月までにバリアフリー化されるのだ。
加えて「障害者が利用できるように「合理的配慮」」というが、それは本人を含む乗客の安全をなおざりにしてまでも
利用させろということではない。こと飛行機に関しては他の公共機関とは全く異なる認識が必要だ。
「無条件で乗れるべき」という人は非常に短絡的で危険な考え方をしている事を認識するべきだろう。
下記も参照して欲しい。