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はてなキーワード: ホモフォビアとは

2019-07-20

民主主義多数決ではない。“だから杉田水脈のような議員必要

1.民主主義多数決ではない

民主主義多数決である。よって、少数民族を皆殺しにして財産没収する法案多数民族が多数を占める議会で、賛成多数で可決されました」

……のようなことはあってはならない。だが、残念ながらこのような政治が行われた例は多数ある。

暴力装置をもった政権が実際にこのようなことをした時に現実的にどこまで阻止できるか、というのは難しい問題である

だがそれとは別に、『少なくとも理念としては、あってはならないことだ』という点は強調しておく)

そのような事態を防ぐために憲法が制定され(厳密な成文憲法を持たない英国のような国もあるが)、

犯罪に対する刑罰を含め、法律によって国民権利制限する際はこのような手続きを踏まなければならない。

また、このようなことをしてはならない』ということが定められているわけである

2.議会とは何か

 民主主義における議会役割については2つの考えがある。

1つは、『多数決民主主義』と呼ばれるもので、『手続きに沿って皆が意見を出し合った上で(ここ重要)、最も良い意見を選ぶためにある』というものだ。

民主主義多数決ではないとは書いたが、実際には多数決を行わざるを得ない状況があることは否定できない。

ただし、『何でもかんでも多数決で決める、それ“だけ”が民主主義』ではない、というのが表題意味だ。

もう1つは、『熟議民主主義(または討議民主主義)』と呼ばれるもので、

『世の中にA,B,C,Dの意見を持つ人がいるとき、その代表者たちが議会で熟議を重ね、皆が納得するEという結論を出すために議会はある』というものだ。

この2つの考えはどちらが正しいというものではない。議題によって多数決よりになることもあれば熟議よりになることもあるが、2つともが議会役割である

3.議会における杉田水脈役割

 多少の誇張を含めて言うのであれば。杉田水脈は『ホモフォビアの人の代表である

現在の世の中には、ホモフォビア存在する。それは自明事実だ。

そのような『ホモフォビアの人の意見を、メディアでは取り上げません』というのはできるかもしれないし、

ホモフォビア的な内容を掲示板SNSに書き込むことを禁止し、削除させます』というのも、もしかしたら将来は何とか可能になるかもしれない。

だが、『選挙立候補者政見放送選挙公報でホモフォビア的な主張をすることを禁止します』というのは政治的に困難だ。

それを可能にすると、次は反安倍政権的な内容が規制されるかもしれないし、逆に反移民の主張が禁止されるかもしれない。

ましてや、『あなたレイシストから選挙権も剥奪します。投票できません』などということは二重の意味絶対にするべきではない

─1つには人の内面を、言動に現れていない部分まで正確に読み取る技術存在していないし、2つ目にはアウシュビッツ博物館の”差別心を持たない人の扉”が示すように、差別心の無い人はおそらく存在しないからだ─。

 だからこそ、ホモフォビアの人の代表として『俺たちの杉田水脈』が議席を持っている。

同時に、杉田水脈議席を持って活動しているにも関わらず『俺たちの杉田水脈の主張するホモフォビア政策議会で通らなかった』という事実こそが、

我が国にもホモフォビアはいますが、そのような政策は実現されません』という何よりの証明になる。

 『そうではない。市民代表ホモフォビア的な主張をすること自体が、同性愛者に対する圧力になるからそのような主張をさせるべきではないし、そのような人を議会に送るべきではない』

という考えの人もいるかもしれない。だが、そのような“政治的に正しくない”意見を遠ざけていった結果がトランプ現象を生んだという事実を我々、特にリベラル”な人たちはきちんと受け止めなければならないのではないか

4.追記(2019/07/21 19:27)

id:quick_pastから例えば殺人を犯す自由を、意見自由多様性として認めるのかって話でしょ。政治の場においては公共性社会性が上位に来るはずで、そこを無視した話なんてもう中学生卒業しておくべきこと。

まさにこの意見なんかが典型公共性社会性に欠ける有権者大勢いるけど、そういう人を排除したら民主主義ではない。

公共性社会性に欠けるような意見』を『政治的に正しくない』と緩やかに退場させていった結果、逆にそういう意見を持つ人たちにとって『トランプこそ俺たちの代弁者』になったという話ですよ。

2019-07-07

ギャグ漫画で笑ったことがない

選んだ作品が悪かったのかギャグ漫画面白いと思ったことが一度もない

ルッキズムミソジニーホモフォビアなど日本大衆の俗悪な感情を煽るものばかり

より露骨レイシズムに傾倒したものもある

マジョリティにとっては笑えるのだろうがな

笑いを取るには他者を傷つけるしかないのか?

2019-07-06

男は甘いもの食ったら恥ずかしいみたいな風潮なんなの?

まあ俺は気にせずむさぼり食ってるし雑音耳に入らないけど、ネットとか見てると気にする人沢山いる。

俺は普段家では甘いものなんか全然食べないけど、ホットケーキとかクレープとか外で食べられる甘いもんが大好きなのでたまーにそれを食べられるときは必ず買って食べてる。


男が甘いものなんて・・・っていうのは日本だけどうこうではなく外国人にもあるよね。

このあいだも秋葉原の路面に接してるクレープ屋でブルーベリーチーズクリーム盛り盛りのやつ注文したら

それをじっと見てた旅行客らしき白人男二人組が「男が食べるのありなのか!なら俺達も食べるぜ!」みたいな感じで嬉々として注文してた。

ホモフォビアとかよりもっと意味不明というか過去社会での社会的意義すら想像できない謎のタブーだよね。

anond:20190705162211

2019-07-02

anond:20190702140946

そもそもだってさまざまな理由で『人の居住が禁じられている場所』はあるわけで。

内心の自由を除く?)どんな権利絶対ではなく、他の権利対立したら制限される場合はある。万人の自由を最大化するためには、『同性愛の人がホモフォビアの国に住む自由』『ホモフォビアの人が反ホモフォビアの国に住む自由』は制限されてもやむを得ないという考えに至ったまで

anond:20190702140522

ホモフォビアの国で生まれホモセクシャルの人は移住を強いられることになると思うけど、「本当の自由」の中に「居住地選択する自由」は含まれないわけだね?

anond:20190702140522

それを考えるとボトルネック居住移転の自由なんだよな。

いや居住移転の自由はもちろん今でもあるけど

実際にはそんな簡単に転居はできない。

ホモフォビアの国ができたので同性愛者は出ていってホモフォビアは来てください」

と言って次の日にはまったく生活レベルを変えずに転居できているような状況にならないと難しい。

ホモフォビアのための国(同性愛者は入れない)

同性愛者もホモフォビア共存義務付けられた国

ホモフォビア排除された国

この3種類の国が上手く共存していくようなそんな世界になるのが本当に自由世界なんじゃないかな?

2019-06-29

anond:20190624192539

あれを「BLである」(だからノーマルな男には関係のない作品)として切って終わらせるのって

典型的ホモフォビアホモソーシャル男の仕草

作品論とは別として

あなた存在こそが「男は男に救われたくない」っていう生きた証明のようですけどね

考察の主張よりも「女ごときに物言われてヒスってる」感情漏れ出てて怖いです

2019-06-24

『「男」に「男」は救えるか?』の『さらざんまい』の根本的な誤読について

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2019/06/21/190301

 タイトルからはわかりにくいが、本論はアニメさらざんまい』の感想

 が、この記事の評者は根本的に本作を誤読している。

 "ここのところ、はてな匿名ダイアリーで、(シスヘテロの)男性男性関係についての、男性書き手による記事が次々と公開されて、ブックマークを集めている。"という書き出しかゲンナリさせられるが(一生、インターネットを見るだけで終わるお前の人生)、

 「主人公少年3人がその繋がりを支えに未来に進む」という結末の解釈はごく妥当ものに思える。

 しかし、その妥当性は表面的なものだ。

 本論をざっくりまとめると「男同士が女同士のように関係を築きにくく、そのため現状、男性間では人間関係が支えになりにくい。『さらざんまい』はそれを問題提起した」というものだ。

 これはセジウィックの有名な「ホモフォビアを起点としたホモソーシャル」の議論を参考にしたものだろう。そのホモソーシャルの対極は、これまた有名なアドリエンヌ・リッチの「レズビアン連続体」だ。これは女同士だと友情恋愛境界曖昧であり、このことを利用して男に頼らない女同士の絆、連帯を育もうというものだ。

 主人公3人、一稀、燕太、悠は最終回までで簡単に言って三角関係になるのだが、最終回では悠の危機に3人の繋がりが強調されて、最終的には「友情サイコー!」という感じで3人で未来に進むことを決断するので、その読みは大きく外れてはいない。まあ要するに3カプですね、3カプ。

 だが本論が合っているのはここまでだ。

 なぜなら、第7話にも、第6話に大きな危機があり、それを克服したことで3人による友情を築いたような展開があるからだ。そして、それは三角関係によって崩壊してしまう…

 『「男」に「男」は救えるか?』の記事はこのことを自覚的にか無自覚的にか、省いている。この記事の評者は曲学阿世の徒だ。

 第7話と最終回(第11話)のあいだにどうした変化が起きたのかと言えば、主人公たち3人が自立した存在になったことだ。このことは「忘れないで。欲望をつなぐものけが未来を手にできる」という台詞で何度も作中で強調されている。

 というか、作中で「つながり」という言葉は半分くらい「欲望をつなぐ」という文章で用いられているのに、『「男」に「男」は救えるか?』の記事は、やはり自覚的にか無自覚的にか、このことを省いて、「つながり」が作中で人間関係の繋がりを指しているかのように誤導している(もちろん、そういう用法で使われていることもままある。が、もっとも肝心な最終回では「欲望をつなぐ」という文章しか用いられていない)。

 この記事の評者にとって、あらゆる問題は同性間の人間関係によってしか救われてはならないらしい。だからこの評者は曲学阿世の徒だと言ったのだ。

 さて、前述の「レズビアン連続体」、女同士の絆、連帯、いわゆるシスターフッドは20世紀に被抑圧者である女性たちが戦うために必要ものだった。では、仮に現在ブラザーフッドなるものが実現した場合、それはいかなるものになるのか。現状、多くの男たちがそうした関係小馬鹿にしている。それは評者の言うとおりだ。

 ただ、私はそうした評者の言う「弱者男性」たちがネット上で連帯し、女性叩きや中韓叩きに走ったときに、ブラザーフッドなるものを揚言していた女性が急に前言を翻す気がしてならないのだ。

 女性叩きや中韓叩きに走るという仮定を不自然に思われるかもしれないが、もともとフェミニズム運動公準は「私的もの政治的もの」であり、個人的敵愾心敷衍しないシスターフッド、ブラザーフッド存在しないし、仮に存在しても、意味がない。

 また、評者は今、「生きづらさ」を描く作品商業的に大きな成功を収めており、また、それはすべて女性対象にしたものだと言う。

 現在世界的に女性の消費に占める割合は64%だ。人口の男女比が同じとして、女性の消費性向男性より20%以上も高い。実際には男性の平均所得の方が高いから、差はより大きいものとなるだろう。そして、この差はあらゆる社会的女性差別と相関している。

 仮に「生きづらさ」を描く作品商業的に成功して、それが女性限定されたものなら、それは社会的女性差別と連関したものに他ならない。

 これは差別の原因だろうか、結果だろうか。

 男性にもそうした「生きづらさ」があると言う評者の意見に従えば、性差別特別女性に「生きづらさ」をもたらしているため、結果的にそういう作品女性対象としてのみ存在していると言うことはできないだろう。つまるところ、そうした「生きづらさ」に過敏に反応し、感情論を振りかざし、問題解決ではなく共感を求める姿勢こそが、現在女性差別の一因になっているということになる。無論、これは男性にも「生きづらさ」があるにも関わらず、なぜか男性向けではそうした作品存在しないし、女性である自分からしてみれば、そうした作品存在すべきだ、という評者の意見に従えばの話だ。言うまでもなく、私はそのような意見に従うことはできない。

 そもそも、『違国日記』が「生きづらさ」を描いたものだと言うなら、それはあまりに粗雑に過ぎ、作品を読んでいるといえるか疑問に思う。

 『違国日記』は登場人物登場人物がそれぞれ分節化されており、それは感情的連帯とは一線を画している。

 また、本作でおそらく評者が「生きづらさ」を抱えていると言いたいのは槙生だろうが、槙生は独力で生計を立てており、そのために朝に影響を与えることとなる(これが会社員、もしくは無職なら朝にとっては何の影響ももたらさない。ただ無職なら悪影響だけはもたらすかもしれないが)。そうしたエコノミーを営むことは、情緒的な「生きづらさ」とは対極のことだろう。エコノミーという語はもともと節倹、家計を指していた。無論、感情資本主義全否定するのはただの犬儒主義だが……それでも私は、「生きづらさ」を云々し、消費活動SNSの利用に人生を費やしている人々には、「一生、『凪のお暇』を読んで、夜10時台のドラマを観て、SNSお気持ち投稿してろ」と言いたくなってしまうのだ。

 一生、インターネットで男女問題を論じているだけで終わるお前の人生

 そもそも評者は幾原邦彦監督がこれまでシスターフッド的な関係を描くだけで、ブラザーフッド的な関係をとり落としてきたため、その姿勢反省したという論を展開したいようだが……

 幾原邦彦監督の『少女革命ウテナ』で、主人公ウテナシスターフッド的な関係をもっているのは親友若葉だ。若葉の劇中での扱いは……観たひとなら知ってるよね?

 何にせよ、そうした感情的連帯は、副次的な支えになりこそすれ、そのものが救済になることはない。少なくとも『さらざんまい』ではそうだ。

 例えばねとらぼ社員である青柳美帆子はこんなツイートをしている。

 「男性男性の弱さに寄り添えないというのはいろいろな本で言語化されていて、「ケア役割女性に任せていた(なので訓練されていない)」「ホモフォビアが壁になる」「弱さの吐露男性性の剥奪になるのでまず弱さを言えない」というのがあり、つまりその人個人というより社会が悪いのです。しか男性が(限定された部分ではあるけど)弱さを吐露できるし、男性同士で連帯できる空間があるんですけど、それが運動コミュニティなんですよね。「男らしさ」が担保されている空間であれば弱音を吐けるし連帯できる、けど限定的なので、まあやっぱり社会が悪い。そんな2019年エンタメの中で登場人物全員に欠陥がありコミュニケーションがうまく成立してるとはいえないけど「漏洩」という強制的な弱音共有装置により男性たちがつながっていく作品が出てきてるのはすごいことだなと思っていて、今晩最終回の「さらざんまい」というアニメなんですけど…はい…」

 「さらざんまい」という現象がそうした個人間の差異強制的にとり去る装置であることは間違いないだろう。しかし、それはあくまでそういうメタ的なシステムであって、物語を進めるための小道具であり、劇中における日常的な物事ではない。

 仮に感情的連帯を結ぶことが救済なら、やがてそのことが自己目的化するだろう。ああ、でもいますよね。一生、人間関係だけやって終わりそうな人間

 さて、ではなぜこのような誤読が生まれたのか。

 一つには「インターネット感情的なことを言うと気持ちいい」からだ。

 このことはSNSに関する無数の社会実験が明らかにしている。代表的ものだと、フェイクニュースの方が真正ニュースより圧倒的に拡散の速度がはやいということの、幾つかの統計

 前述のセジウィックは有名な『クローゼット認識論』で作品センチメンタリティ属性付与することの危険を「解釈暴力」と言っている。同人界隈のこじらせた腐女子みたいな言葉だが、まともな文芸批評用語だ。

 もう一つには……これがBL作品であるということ。竹村和子は『愛について』でユニセックスセックスレスが標準となった社会では、ゲイネス記号化して商品として流通やすくなるということを分析している。『「男」に「男」は救えるか?』の記事の評者や、上述の青柳美帆子氏が「男性同士の連帯!」ということを言うときは、まるで目をキラキラさせてショーウィンドウの中のラッパを眺める少年のようだ。そこにはユニセックスセックスレスが標準となった社会で、ゲイネス商品として心地よく楽しみたいという欲望が潜んでいる。従順で飼いならされた消費者の姿。消費活動SNSの利用に人生を費やす人々の姿……

 『さらざんまい』は女性顧客層として想定し、そのマーケティング戦略はまず成功したと言ってもいいだろう。そのことは喜ばしい。

 しかし、まさにそのためのBL作品の外観のために、作品解釈が「感情的気持ちいい」ものに歪曲されて、そうした有害無益な「解釈」が、SNS論理性を欠き「共感」だけで拡散されているとすれば、それは悲しむべきものではないかと思うのだ。理性と真実ではなく、共感幻想インターネット。図らずもそれは、『「男」に「男」は救えるか?』の記事の評者の揚言する「つながり」を体現している。

2019-06-19

anond:20190617221819

この増田学問に触れた人なら反射的ににホモソーシャルホモフォビアだと断じそうなのだけど、多分そこに齟齬があるのではないかと思う。

ホモソーシャルから離れること、男性社会から孤立を恐れず連帯も求めずといった趣。

社会ひきこもりからアプローチの方が面白いと思う。

ひきこもり支援で男のコミュニティつくる話あったけどあれが受け入れられない人もいただろうし、後で確認

2019-03-25

anond:20190325122749

もちろん無関係とは言わないけどね。私たちはこの社会に生きる市民で、社会根付女性差別ホモフォビアに対して責任があるし、選挙でそういう行政を黙認する首長議員を選んできているわけだから

社会根付いてるのは男性差別と「弱者の選別」意識女性差別ではない。「女性」は選ばれた「弱者」であり、むしろ優遇されてる

anond:20190325104234

有害図書認定は男オタク関係ないやろ……

あれやってるのは行政の、もうオタクコンテンツなんて男女関係なく滅ぼしたろ! みたいな勢いの保守派のガミガミじじい&ばばあでしょ。

ウェブ上での腐女子叩きについては、男オタクとして申し訳ない、と思うし責任も感じるけれど、流石にそこの責任まで負えと言われても困る。

もちろん無関係とは言わないけどね。私たちはこの社会に生きる市民で、社会根付女性差別ホモフォビアに対して責任があるし、選挙でそういう行政を黙認する首長議員を選んできているわけだから

ただそれは男オタクだけの話じゃないので責任所在矮小化しないでくださいと思う。

ニコ動とかpixivとかでの腐女子差別は明白に男オタク責任だけど、行政のやることにまで男オタク責任持てと言われても……

2019-02-07

ホモフォビア

好きでも無い男から告白。 女「好きでない男から告白キモい」>告ハラ

ゲイ(大抵のトランスは好き(love)でない)から告白。 男「好きでない男から告白キモい」>LGBT差別

なんで?

2019-02-04

anond:20190204133512

ホモに寛容なのは進歩的リベラルの証であり、ネトウヨは大抵ホモフォビア」なんじゃなかったっけ

2019-02-03

コンビニエロ本』と『公式タグホモ絵投稿

コンビニエロ本撤去お気持ち表現の自由!と噛みついてる自由戦士が、公式タグホモ絵投稿すんなって言ってんのを見かけてつい笑ってしまった

そこで前述の不心得者はべつとして、エロ本撤去に反対の諸兄とひとつ合意形成したいのだが、

貴殿らの目指すところは、for meな性表現自由に取り扱われるかわりに、not for meな性表現でも溢れかえる世界だ、という認識で構わないな?

自分ら向けの性表現は今まで通り自由でやりたいけど、腐女子ホモは俺がご不快から目に入れたくないんで隠れてろ、とは言うまい

よーするにだ、貴殿らが目指してんのは貴殿自身が性表現で傷つけられる可能性のある世界、ということで、

そういうわけなら、われわれ腐女子は表立って貴殿らの身体をどんどん眼差すかわり(今ですらどっさり隠れてるんだぞ)、貴殿らの味方となろう

……腐女子ホモを「キモい」と感じるその気持ち、それが要するに貴殿らの揶揄するところのお気持ち

そしてそれは、もしかしたら貴殿らの中にもあるかもしれない

(本来腐女子ゲイを一緒くたに論じるべきではないんだが、ネット空間を取り巻くホモフォビアは主にこの二つに振り向けられてきたと思う。ホモというワード選択も褒められたものではないのだが、腐女子ホモ現実同性愛と一致しないわけだし、このワード、扱いが難しい。どう言うべきか教えてくれ)

われわれは、ピクシブ腐女子流入し、ホモ絵が増え始めたころに排斥キャンペーンを張られたことを忘れてはいない

2000年代ネット空間で、間違いなく最も石を投げられた属性のうちひとつ腐女子だったことをわれわれは覚えている

腐向けでないニコニコ動画ちょっとでも腐的なコメントがあろうものなら「巣に帰れ、出張ってくるな、腐女子キモい、ほんとどこにでも湧いてくるな」などのコメントが大きな赤い字で流れ、罵倒ばかりで肝心の腐女子コメが見つけられないこともあった

そして、いまも多くの腐女子が、腐女子は表立って存在しているべきじゃないという価値観内面化してしまっている

からこそ、お気持ちをぐっとこらえ、多様な性表現へ門戸を開く態度が世界をやさしく生きやすものにするだろうと、わたしはこの身に降り積もった経験からそう思うのだ(三次元搾取される実在児童がいなければ、ペドロ表現もまた許容されるべきだと思う)

知って欲しいのは、男性もまたお気持ちで性表現排除してきたということだ

からこそ、ヘテロ男性に向けた性表現が誰の目にもつくところから排除されることを正しいと思わないのであれば、それは貴殿らの内省にも繋がっている必要がある

まりヘテロ男性向けでない性表現もまた、ゾーニングの向こう側に押し込められるべきではなく、貴殿らの目につくところに出てきていいということだ(未成年の目につくことに関しては別の議論がいると思う)

タイトルのふたつが一見まったく関係ないように見えて、実はヘテロ男性自身差別感情によって繋がっているということが、賢明貴殿らには理解できたことと思う

さあ、それを振り捨てて、この世界はあらゆる人間のための性表現で溢れかえっていていいのだと、それが差別から自由であることだと、大手を振って主張しよう

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…ところで、賢明な諸兄は、わたしが単純に主義主張における趣旨一貫を炙り出そうとしていることにお気づきかと思う

普段この手の話題女性お気持ちを重視する発言をしているなら男性お気持ち(ホモ絵見たくない)もまた重視しろ、みんなが傷つかないことが大事だ、と言わなくてはならないだろうし、

逆に表現の自由を支持する発言をしているなら、腐女子向けの性表現、実際の同性愛者向けの性表現、その他さまざまな人のための性表現で目に見える世界が溢れかえることもまた支持すべき、となるだろう

普段からこの話題で、ヘテロ男性向け以外の性表現の許容について触れているブックマーカーは多くない(驚いたことに少数存在する、はてなは進んでいると思う)

さて、思いつくままに多少とりとめのないことを書きなぐってしまったが、今日言いたいことはそれくらい

乱文乱筆失礼しました、ご意見感想ご指摘は随時歓迎しま

あと、この話題にかこつけて腐女子同性愛差別してるじゃん、と指摘したい御仁、その指摘は非常に正しいので、遠慮なく指摘し続けてくれ(とはいえ話の本筋からは逸れるんだが)

2019-01-25

anond:20190125094606

前までのマジョリティは「LGBTは差別していい」って思ってたけど、

今のマジョリティは「ホモフォビア差別していい」って思ってるだけの話だよな

結局ポリコレなんてその程度の代物だ

2019-01-20

anond:20190118213332

自覚のないゲイホモフォビア的態度はリアリズム

キャラブレとか言ってるお前は単に頭が悪いだけ

えみる親がネグレクト気味の毒親なのは自明なこととして描かれてるだろ

お前の目は節穴

2019-01-13

anond:20190112203947

これのブコメ

中身なさ過ぎ。シス男性ゲイ男性排除していないというが、ゲイがいる事を認識出来ていないだけの話。上野駅公衆便所ゲイ集会場所からそこのトイレ使用は避けよう、なんて話は幾らでも聞く。

シス男性による公衆浴場でのホモフォビアはなくはないと思うんやがな、どこどこのサウナはハッテン場だから怖いみたいな会話は聞いたことある

いや、川崎だかどこかであそこははってんばだって噂が立って客が来なくなっていう風呂屋がそういうことはやめてくれって張り紙出したって話あったじゃん。

ってのがあるが、これは「あそこ行くのやめよう」という話であって「男湯に入ってくるなと言った」話じゃないよな。

もちろん、あそこはハッテン場だから、などと利用を避けようとするのは差別であり、認められるべきではない。ゲイが多い浴場だろうが普通に利用するべきだ。その意味で、男湯でのゲイ差別がないなんていうのは嘘だ。

でも、「ハッテン場と噂された浴場の利用を避ける」という行為と「トランス女性は女湯に入ってくるな」という行為は、同じ差別でもぜんぜん違うよな。どう考えても相手の行動の自由を縛り追い出そうとしている後者の方が悪質だろ。

「あそこの銭湯トランス女性普通に入ってくるから行くのやめよう」くらいになってようやく男湯のゲイ差別比較可能になる。入る権利を認めようともしない現状は悪質な差別だ。

2018-12-19

anond:20181219213911

世界中で進む同性婚合法化の潮流。日本でも同性パートナー制度が各地の地方自治体で制定され、遂には大阪市という第2の都市までもが同性カップルを認めるまでになっています

しかし、安倍首相とも繋がりの深い極右団体頑張れ日本!全国行動委員会」やカルトの「統一教会」、

産経新聞などを筆頭に、同性愛嫌悪ホモフォビア)を丸出しにして攻撃を加える勢力存在していました。

もちろんこうした同性愛嫌悪はもちろん日本だけに存在しているわけではなく、世界中問題となっています

こうした中でオーストラリアクイーンズランド大学研究者らは知能と同性カップルへの態度の関連を調べました。

この研究IQの低さと同性愛嫌悪人種差別との関連性を調べた先行研究を踏まえたもので、ジャーナルIntelligence」に掲載されています

研究を主導したFrancisco Perales博士は「重要普遍的主題であるにもかかわらず、

これまで認知能力LGBT問題との関連性に特化した研究ほとんどなされてこなかった」と指摘しています

この研究は11564人のオーストラリア人を対象としており、研究者らはIncome and Labour Dynamics in Australia(HILDA)が行った調査分析しています

2012年のHILDAの調査では認知能力査定しており、また2015年調査では対象平等権利についての質問を行っています

特筆すべきは、HILDAは「同性カップルは異性カップルと同じ権利を有するべきか」という質問を行っており、

研究者らはここから知能が低ければ低い人ほど、同性カップルに対して偏見を抱いていたことを発見しました。

2018-12-07

anond:20181207012603

マジョリティ自由平等を声高に叫ぶくせに、

どっかのラインで「さすがにこのラインから向こうの奴には寛容になれないな」って足切りをする。

GBTはそのラインの内側に入れて、ペドフィリアラインギリギリ外側に残された。

結局決めるのは多数派の連中だ。

GBだって見方を変えれば、今までホモ差別対象だったのが、

マジョリティの気分が変わってホモフォビアが差別対象になっただけとも言える。

2018-11-06

anond:20181106203512

男のジェンダーロールが守れない=女になっちゃうという感覚があるのでは?

ホモフォビアに通じるものがあるかも

2018-10-24

anond:20181024191127

いや別にあなた認定してもらわなくてもちゃん動画とか体験談も世の中に存在してるんで・・精神異常者だとしたらホモフォビアって名前のつく症状のあなたですよ。じゃあね~

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