はてなキーワード: ドライバーとは
http://anond.hatelabo.jp/20160311110122
http://www.city.toyama.toyama.jp/data/open/cnt/3/2961/1/1.pdf
そもそも、ミュンスターの都市交通政策は、1980 年代に渋滞を緩和させるためにはじまった。
(1) 渋滞の緩和:都心部から車を排除する政策をとって1年で、渋滞がなくなった、ビジネス効率が高まった、等の目覚ましい効果。
(2) 交通死亡事故の激減 :交通死亡事故が激減した(初年度 死亡事例 0 件)交通事故の死亡事故は、自動車がからむから起こるのであり、自動車が通行しなければ事故はあっても死亡には至らない。
道路から自動車という専有面積と重量が大きく高速で動く存在が無くなれば、重大事故原因要素を根本から無くせるため。
(3) 医療費の大幅削減:・ 医療費の大幅削減に成功し平均寿命がのびた。自転車政策が立ち遅れているイギリスでは、環境ではなく医療費削減の目的で自転車政策が始まった
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
自動車から自転車への乗り換えが重大事故を減らすんだよなぁ。善良だよなぁ自転車って。
じゃけん歩行者と自転車を守る為に自動車への規制取り締まり強化をがんがん警察と議員に要請しましょうねえ~
http://news.azwad.com/post/31975473123/1
自転車の数百倍以上他者に対して危険で、公害性も高く、免許制な乗り物である乗り物= 【自動車】 であるが、その実態は
http://homepage2.nifty.com/onami/social/kr-02.htm
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20111021/1319158025
横断歩道でさえも歩行者自転車の安全が、自動車の交通犯罪暴行行為により侵害されています。
横断歩道、93%の無関心 横断歩行者等妨害等違反の自動車の多くは、速度超過も併せて犯しているという惨状は、取り締まり強化要請の継続で打破しよう。
http://pon-s.tea-nifty.com/blog/2006/08/zebra_crossing.html
無信号の横断歩道で自動車の9割が減速しない: Vitz and Eco life
http://heritage.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/yomiuri-online-.html
87%が違法運転、というクルマ社会の惨状 ( その他社会学 ) - ujiin - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/nmiaitjhuaabghna/8409954.html
停止しないドライバーが3割?いやいや、警察を相手に抜け抜けと交通違反を宣言するドライバーが3割ということ。
http://d.hatena.ne.jp/delalte/20130329/1364566973
『親に言われ、先生に指導され、行政に従って渡る青信号の危険!』 命と安全を守る、歩車分離信号普及全国連絡会
http://www.obihiro.ac.jp/~philosophy/gyouseki/car4.html
http://blog.goo.ne.jp/utukusiinatu/e/c76fb5968700d77d3b3720ef8efa7950
クルマ社会を問い直す会
あなたみたいな考えを持っている人間は遅かれ早かれ必ず事故をおこす。
あとはそれが相手や自分の一生に関わるようなものにならないことを祈るだけですね。
例えばあなたが黒スーツのサラリーマンと事故をしたとして、はずみでそのサラリーマンが死んだとしましょう。
直接の原因じゃなくても、例えばあなたを避けて車にはねられてしまったとかでもいいです。
そうして大切な人を亡くしたその家族に向かって「徒歩で街灯のロクにない夜道を歩くときにライトさえ点けて歩いてくれていれば。」って言えますか?
それを言ったとして何かが変わると思いますか?
もしかして、あなたは事故を起こしても刑事罰さえうければいいって思ってませんか?
そこには大切な人の命とその家族がいることが想像できていますか?
どんな状況であれ、加害者になった時点でその人はその家族に対してなんの言い訳もできません。
ただひたすらに残された人の悲しみに沿い続けることしかできないんです。
乗り物に乗るということは、利便性と引き換えにそれだけの責任を持つということなんです。
速度が遅かった頃の自転車ならそこまで意識する必要もなかったでしょうけど、もしあなたののる自転車が人の命を危険に晒す可能性のあるものなら、早くそんな考えを捨てて、自分がどんな乗り方をすれば常に歩行者の安全を守れるかを考えるべきです。
それこそが自らの身を守る一番の方法だと、長年事故を起こさないドライバーは知っているんです。
NHKでやってた、旅行バス会社が規定料金よりも安い金額で仕事を受けちゃうバス会社が後を立たないという件でちと思った。
なんでこんなことになっているのやら...と正直オモタ。TVに出てきたバス会社の苦労って、大変申し訳無いのだけれど、今の仕事をやり続ける為の努力をしても、どう考えても報われる見込みがまったくない典型例のような気がする。競争相手の少ない他の職業へジョブチェンジしようって発想はないのだろうか..?
ひょっとして、俺って世間しらず?
http://anond.hatelabo.jp/20160222235701
クルマから自転車へ 運転免許保有率「都心」「若者」で減少 物流・運送・ロジスティクス業界の総合専門紙
http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-11318.php
トラックドライバーにとって、なくてはならないものが運転免許だ。
運転免許の保有者は毎年増加しているものの、高齢者の保有率が増加し、若者の保有率は減少している。
運転免許の受験者数は2004年の387万人から2013年には290万人へ減少している。
全国的に見ると、大都市ほど運転免許の保有率は減少傾向にある。
最も低いのは大阪(保有率58.7%)、次いで東京(同58.9%)、京都(同61.8%)と続く。逆に、保有率が高いのは群馬(同72.5%)、次いで山梨(同71.5%)、栃木(同71.1%)となっている。
大都市ほど免許の保有率が低い。しかも、高齢者の保有率は伸びている。
2005年の免許保有者数は7879万人だったのに対して、2013年には8186万人に増加している。
65歳から69歳では436万人だったのに対して651万人に増加。
70歳から79歳では464万人から713万人、85歳以上は15万人から42万人となった。
大都市にある運送事業者ほど、若者のトラックドライバーを雇用しにくい状況が生まれている。
昨年、京阪神交通計画協議会が実施した近畿圏パーソントリップ調査によると、高齢者(65歳以上)が交通手段として自動車を利用する割合は昭和55年で8.8%だったものが平成12年で23.4%、同22年で33.7%に増加している。
また、大阪府の「休日の代表交通手段構成の推移」によると、20―24歳男性の自動車の利用率は26.3%(平成12年)から20.4%(同22年)に減少。
40歳までの男性の自動車の利用率はすべて減少しており、自転車の利用率が大幅に上昇している。
現在、若者は「クルマ」から「自転車」に交通手段を変化させているようだ。
ドイツのことわざ『トラック一杯の薬より一台の自転車』 総合内科専門医 矢木 真一
http://web.archive.org/web/20140811155540/http://www.heisei.or.jp/docterseye224.htm
2009年から本格的に乗り始め、ほぼ毎日25キロの通勤をしていたところ95キロあった体重は82キロまで下がり、
献血時の血圧測定で140mmHgを超えていた血圧は正常化し、脂肪肝によるものと思われたGOT・GPT高値は正常化するわ、
右の頬に出ていた慢性の吹き出物は消失するわで深夜のテレホンショッピング、雑誌の広告も真っ青な効果でした。
海外に、「トラック一杯の薬より一台の自転車」という諺がありますが、その通りであることを実感いたしました。
長距離を走るなら是非ロードバイク(ハンドルが下に曲がっているやつ)を購入したいところですが、
如何せん高価です。まずは家のママチャリのサドルを高めに設定し、
タイヤの空気圧を高めにしてチェーンの注油をするだけでもかなり快適に走れるようになります。
本格的に走りたいという方は是非スポーツバイクの購入をおすすめします。
この人、決算報告書とかPL読めない可哀想な人なんだろうなって思った。
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本来は、株主に配当し社員を養い事業を継続させることと、研究開発によって新しい価値を生み出し人々に新しい幸せをもたらすため、というシンプルな話であって、そもそもが不確実性とリスクを織り込んだ上で、企業理念や生み出される価値に共感した資本家が投資し、企業を育て応援し、その結果、社会は前進し、人々にもたらした幸せの総量が増えることで経済的な対価としての配当を得るというのが本来の筋であって、利益とはそういったエコシステムの中で確約されていない、ドライバーの一つのはずなのに、どこでどうして目的にすり替わってしまうのでしょうね?
もちろん利益が上げられないと企業として存続できなくなるので、そりゃ当たり前の話なのですが、その手前に、理念と利益の使いみちが関係者に遍く、わかりやすく語られてないと話がおかしいだろうと。
そしてここで避けて通れないのが、成果主義による従業員の管理でございます。
一般論としてですが、上場企業にとって会社とは株主のものだという意見をよく耳にするけれども、そもそもが、リスクを織り込んだ上でその企業をどう育みたいか、どのような方向性でもって成長拡大して欲しいかという意見を持ち株比率で言えるから、という視点での話であって、そういった前提がなし崩しなまま株主利益至上主義みたいな言説が現場レベルで浸透してしまっているとしたら、いったい自分は何のためにこの仕事やってんだか?って思ってしまうことはありませんか?
株主配当後の利益をどのように活かす目論見であるか、という、しごく当たり前のことが、組織マネジメント上の自分の業務目標とどのように関連していて、どのようなシステムの中で何と紐付いて他の社員と連動してるか、連携していかなければいけないか、という、これまた当たり前の役割や見通しのことが、本当の意味でハラオチして皆働けているのだろうか?
というのが、就職してからこれまでいわゆる「成果主義」的な世界の中で「目標」を「管理」されながら生きてきて、お給料もらってきた中で、ずーっと疑問でなりませんでした。この「目標」を「管理」されることは上場企業だと社長になっても株主からされるわけで、目標ってなんやねん、なんのための目標やねん、そりゃ理念にひもづいてるはずですよね?という心の声が青臭く遠くゴーストが囁くかのごとく、あるいは何かしらの幻聴のように、いつだって僕の心のなかでは響いております。
もちろん仕事で生み出した成果は正当に認めてもらいたい。
そしてその結果としての賞与、もちろんどっさりたくさん欲しい。
だけれども、全体的にシステムとしての企業の利益の使われ方などを俯瞰したところで、その成果がどのような意味を持つのか、そしてそのリターンとしての賞与というのが、企業が企業として社会に提供できるインパクトに対して額面で考えたら、なんというかものすごく矮小なものに思えてしまって、「目標」を「管理」される中でこのちっぽけな(語弊あってすみません)、世の中の動きからしたらものすごくちっぽけな「お金」のために、日々の「目標」を達成するためにアクセクせざるを得ない「成果主義」なるものに、変だよなぁ?ちいせぇよなぁ?という違和感は、この制度のもとに働く労働者なら誰でも感じるところなのではないか?と思って悶々としています。
なんか、これってアラフォーなのに独身のままここまで来てしまった、ある意味、社会・経済的責任から逃れて生きてきたガキンチョの感じるたわごとなのかもしれないですけど、でもやっぱり、なんだろう、この仕組み、変だなぁと思うんですよね。
要約:おら早く結婚して家庭を持ち家を買い、会社ではそれなりに偉くなりたい。
以上、ガキのたわごと、大変失礼いたしました。(謝るくらいなら書くなという神の声が聞こえてきたけど聞こえないことにします)
週末に首都高乗ろうとしたら、入り口の電光掲示板に4月から料金が変わりますの案内。
は?ナニソレ。ドライバーの中では常識?そんなニュース全然聞いたことないんだけど。
それでどうやら調べてみると、まずは車種が普通と大型の二種から、軽・二輪、普通車、中型車、大型車、特大車の5種に分かれるらしい。
それぞれで料金が異なり、普通車の場合は最低区間が500円から300円に値下げするも、上限金額が930円から1300円まで伸びるとのこと。
ついでに現金は一律以下の通り。
軽・二輪 1,070円
普通車 1,300円
中型車 1,380円
大型車 2,040円
特大車 2,600円
軽と二輪車は値下げだからラッキーだけど、これでまた都心と郊外の距離が離れて郊外のマイルドヤンキー化が更に強くなりますね。
でも、その表題が「4月(予定)からの首都高の新たな料金(案)について」みたいに括弧書きだらけでいまいちはっきりとしないんだよね。
なぜ配達希望時間帯が「午前中」「12-14時」のように広くとってあるのかよく考えてほしい。
そうしないと最短ルートを組むことが出来ず、西へ東へ走り回ったあげく時間内に配りきれなくなるからだ。
たった一人の配達希望を叶えるために他の配達希望が犠牲になることがあるのでやめてくれ。
すぐに停まれるような道でも突然の電話だと最低3コールはかかる。
ましてや車通りの多い道なんかだと10コール以上かかるなんてザラにある。
※運転中などすぐに出られない場合があります。の文言をちゃんと読んでくれ。
・「チャイムを鳴らしても出てこない」
"なかなか出てこない"のレベルではなく、最終的に不在連絡票が入れられるまで出てこないお客様。
時間のロスになるのはまぁいいが、問題はそのあとコールセンターやドライバーズコールで「いたのに不在にされた!」とクレーム入れるのは本当に迷惑なのでやめてほしい。
そう言われるとこちらに落ち度がなくても速やかに行かなくてはならないので予定が盛大に狂う。
実際に再配達に行ってみると「実はただお風呂に入ってただけなんだけど取り合えずそう言えば飛んでくると思った」などという故意犯なパターンも。
代引きでたまたま手持ちの現金がなく、コンビニATMで下ろそうとするお客様。
たとえそれが5分や10分でも、時間指定の荷物を抱えた配達員には非常に大きなタイムロス。
次の配達先が近くにあれば、その配達を終わらせてから来ることも出来るが、次の配達先が遠い場合はさすがに無理。
代引きに関連して、三千円そこそこの荷物の代引きに万札を出してくるお客様も厄介。
基本的に釣り銭は局内の専用ATMから下ろして持ち運んでるが、代引きの数が多く、さらにちょうどを用意していないお客様が多い時などは、配達中に釣銭を使いきってしまうことがある。
そうなると釣銭を取りに戻るか、もしくは配達指定がなければ翌日に回すかしなくてはならないので非常に迷惑する。
「いずれ人が公道を運転するのが禁じられる時代が来る」と、アメリカのどこぞの社長が言っていた。
田舎に生まれ育ったくせに、車に全く興味が持てなかった私としては、素晴らしい未来像だと思う。
何がネックになっているかというと、雇用が少ないのと、公共交通が高くて不便なのと、
おかげで都市部からちょっと外れると、すぐ自家用車が必須になることだ。
地方創生と称して、雇用を都会から奪うのが正当化されるのなら、こっちも早くどうにかしてほしい。
反対意見があるのはわかる。安全性は何より重視されなければならない。
しかし、いい加減な扱いをしていたら人間の運転だって危ないと、今までの事故が証明している。
おそらく、技術的な課題は早期にクリアされるだろう。後は、責任をどう取るかの仕組みを作るだけだ。
運転の楽しさが奪われるというのもある。車のCMやキャッチコピーからもわかるように、
車を売る側は、運転は楽しいものだ、というイメージを植えつけることに腐心している。
実際、運転を楽しんでいる人もいる。
しかし、本当のところどうだろう。トータルで言えば、車庫入れや信号待ちや渋滞や、
他人のヘタクソな運転に、ストレスをためることの方が多いのではないか。
少なくとも私は、やらなくて済むならやりたくない。責任を負わなくていいならそれに越したことはない。
それに、運転が楽しいのならサーキットか何かでやればいい。なんなら逆に手動運転特区でも作ればいい。
この平成の時代にも、居合や抜刀道を嗜む方というのがおられるが、
車の運転というのも、要は彼らと同じような立ち位置になればいいと思う。
別に彼らの楽しみを否定しないし、バカにもしないから、身内だけで存分に楽しんでいただきたい。
そんなものより深刻なのが、バスやタクシーといったドライバーの雇用が奪われるという問題だ。
これは本当によく考えなければならない。
ただ、私の地元を見る限り、バスの便数なんか自動運転以前に、明らかに減り続けている。
人力に任せて、この先好転する見込みなんかないのだ。
よく車の後ろに貼ってある「Child in car」や「Kids in car」の存在意義が分からない。
最初は「子どもが乗っています。気を付けて下さい、配慮して下さい。」という意味なのかと思ったが、その割にステッカーを貼りつけたまま、交通違反をしている車が多過ぎる。蛇行運転にスピード違反(高速道路並のスピード)、黄信号時の無茶な加速等々をしている車を、日に四台は見かける。もちろんステッカーを貼りつけていない車で以上の様な違反車は多々いるのだが、ステッカーを貼っている車は目立つのでつい目で追ってしまうから余計に目につく。
親からは「特に意味は無くて、ただのデザインなんじゃないの?」と言われたが、それならわざわざ「Child in car」の表記はいらないんじゃないかと思う。
もしかして、通園・通学に間に合わないから無茶な運転するかもしれないよということを主張しているんだろうか?と馬鹿なことを考え始めている。
追記:トラバして下さった方々、ありがとうございました。「Child in car」や「Kids in car」ステッカーは非公式ですが、何か意味があるのかも…と気になっていました。交通事故や熱中症等の緊急時のためにあるのですね。1ドライバーとして知ることができて良かったです。勉強になりました。
長い下り坂でフットブレーキを多用すると、熱の関係で突然使用不可な状況に陥る時がある。(ベーパーロック、フェード現象)
また、タクシーや乗合バスでは、時に運転手が意識を失ってしまう場合がある。
そんな時、運転席に座らずに車を制御できる2つの方法をお教えしたい。
ただし、いずれの場合であってもまずは必ず片手でハンドルを握り、車体の制御を優先しよう。
1.エンジンブレーキによる減速
ギアの制御の関係でスピードが落ちる。(Nでは減速が弱い。むしろ下りでは加速する場合がある)
ブレーキほどの効果が有るわけではないが、衝突時の大惨事を避ける程度には減速できる。
また、次に記載するパーキングブレーキによる停止の前準備段階としても利用できる。
2.パーキングブレーキによる停車
運転席のサイド、ハンドルの下、フットブレーキの隣などに見られる。
ただし、一気に作動させるとタイヤがロックされてしまい、スリップやスピンなど別の危険性を生じる。
停車時のように一気に作動させるのではなく、フットブレーキ同様に速度に合わせて少しずつ効かせるようにする必要がある。
過去実際に、タクシーやバスの運転手が意識を失った時にこの対応で助かったケースは多数ある。
運転の習熟度問わず、山道の経験のないドライバーはフットブレーキが使えなくなる危険性を忘れてしまうことが多い。
もし下り坂で不必要な加速を繰り返すドライバーや、フットブレーキを多用するドライバーには、危険性を示唆した上でエンジンブレーキの使用を推奨しよう。
ただし、当然エンジンブレーキだけでは減速は追いつかない。車体の重量の関係でどうしても多用せざるを得ない時は、長くゆるやかに効かせるのではなく、短く強めに効かせることで冷却時間を長く確保する必要がある。
この2つは運転免許をもっていなくてもいざというときに身を守る知識になる。覚えておいて損はないだろう。
また、運転者であれば、ちょっとした下り坂でもエンジンブレーキを使う習慣を付け、いざというときのためにパーキングブレーキを利用した停車を経験しておくべきだろう。(当然周囲の安全を確認した上でだ。)
しかしながら、バスの蛇行を止める方法はまったくもって検討がつかない。
いずれにしてもあの事故は、料金を安くしようとするあまり運転技術が未熟な人間を採用したが故に起きた人災と考えざるを得ない。
夜間ハイビームで走ってる車が少ない。
ちょっと改めて考えると
と考えるのが普通だと思んだが、他方、ロービームでの走行の危険さを過小評価してる気がする。
となっていて、実際はもっと先まで光は届くけど、それ以上の距離のものは視認出来ないと思っていたほうがいい。
日中モノを見る時は形だけでなくて、動き、影の方向、色、様々な情報を複合してみている。
急に光の先になにか現れたモノがなんなのか、脳内で処理するには時間がかかる。
ロービームでは30mくらいが視認出来る距離と思っていたほうがよい。
ちなみに、時速60kmで巡行中に急ブレーキで止まろうとすると、32mくらい必要だそうだ。
もちろん諸条件によって前後する。
視認までの速度、視認からブレーキを踏むまでの反射速度、ブレーキ性能、タイヤと路面の摩擦、etc…
言いたいことは、ロービームで夜間運転することは、かなり危険だということ。
最善を尽くしても止まれるかどうか。
夜は道が空いていて、かなりスピードが出る。
にも関わらずロービームは、かなり危ない気がするんだな。
横だがあの警告音うざくってしょうがない。ああ、もちろん自分は必ずシートベルトをつける。
問題は助手席で、人が乗ってるかどうかの判定はどうも重量で判断してるらしく、検証した結果、3kg以上の重さを検知したら警告音を発する仕様のようでちょっとした荷物を置いただけでビービービービーけたたましく喚きはじめる。いやいや・・・閾値低すぎじゃないか。買い物すれば2・3kgなんて余裕で超えるし日常使いのカバンでもそのくらいはいくだろふつう。助手席に置くなって?いいえ、それは違います。シートの先に荷物が落ちないようにちっこいゲートみたいなもんがせり上がるシステムが用意されているのです。つまりメーカーは助手席に荷物を置きなさいよと俺に推奨しているのだ。にもかかわらずだ、3kg程度の重さで、「ムムッ!これはヒトだ、この重さは人間が乗っておるぞ!」って忌々しい警告音を轟かせてドライバーを無為に混乱させるってちょっとアホすぎないか俺の車? おかげで毎回、荷物にシートベルトしていますよ。
普通車両のドライバー席の場合はそうだが、この増田が言っているのはバスなどの大型車両の乗客席のシートベルトの警告音のことでは?
バスでドライバーがシートベルトをするのは勿論のことだが、乗客のほうでもシートベルトをつけないと警告音が出続けるようにすれば、乗客はシートベルトをしてくれて、交通事故が起きても被害を少しぐらいは抑えることが出来るだろう、と。
その場合、警告音が出ても何ら気にせず乗るやつが絶対にいるだろうし、
今まで発生しなかった未知の騒音でトラブルが発生しそうだし、立っている乗客や、空席の扱いはどうするのか(空席とは言っても、物を置いていて人が座れない席もあるはず)、って話になるし、実現は難しいと思うな。
2,3年おきに1回行くか、いかないかという感じで90年台の半ばから。
今回行ったのは、ノートのメモリを緊急で必要になってしまったからだった。
さて、色々メディアで聞く限りだと秋葉原はビジュアルメディアのオタクの街(にかわってしまった)という話だったので、ふーんと思っていたのだ。(なぜなら2,3年前の時点もうそんな感じだったから。
でも今回行って見て思ったのは、もうそのレベルでさえ通り過ぎた感じになっていた。
メイン通りは中国人の観光客しかいないし、著名な電気店も顧客はほとんどいないようでビックリした。
なんと形容していいのか分からないのだけど、外国人が来るようなある意味「ダサい」観光地に成り下がっているのかもと思ってちょっと寂しかった。
ちなみにメモリは飛び込みで入った、ツクモさんで買ってその場で、店員にドライバー変えて換装とテストまで、できたので満足だった。