はてなキーワード: カメラマンとは
Day 3
3日目 4,000年に一度
寝る前に飲んだ睡眠導入剤が効いたのか、夜中に一度目が覚めたものの、計8時間ほど眠る事ができた。
自律神経の回復に大事なのは睡眠なので、まとまった量眠れたのは喜ばしい。
5:45からの2度寝の最中に見た夢で、自分は刃物が絡むような人間関係のトラブルに巻き込まれそうになった後、道路が波のように捲れ上がって崩れ落ちる大災害を間一髪で逃れて、その様を遠い目で振り返る後日・会社のビルの前で、髪型の悩みを訴えてくる女性を褒めちぎって赤面させた挙句、恥ずかしさで昏倒させていた。
全身をピンと伸ばしたまま、後ろ向きに倒れた彼女が道路に激突しない様に抱きとめて、気分を落ち着けるために、彼女の真っ赤になってしまったうなじをさすっていると、仕事に厳しい事で定評のある女性同僚が「おい!」と咎めてくる。
場面が変わって、その後のオフィスでも自分は女性を褒めていた。
春の香港で、夢の出演者が習近平と麻生太郎だったのと比べれば、ややテーマが卑近になった印象がある。
願わくば刃傷沙汰や崩落事故はスキップして、女性を褒めちぎる件だけ現実のものとなって欲しい。
7:59、ホーチミン。
窓の外の通りではもうスクーターが行き交い、そこかしこでクラクションが鳴っていた。
予報によると、今日も雨は降らないらしい。
今回の旅程には自律神経の調子以外にもちょっとだけ不安要素がある。
前にも書いたが、2日後の帰国便は6:25発。
当日にホテルをチェックアウトしては到底間に合わないので、前日にチェックアウトして、タンソンニャット国際空港で夜を明かす事になるのだ。
そうなると日中歩き通しも辛いので、何処かで休めれば一番よく、H.I.Sの支店でそれが可能かどうか確かめたかった。
電話で事足りるのかも知れないが、日本人と顔を合わせて確かめたい。
朝食後の散歩ついでに行ってみよう。
軽く支度を整え、ベッドにチップを置く。
ベトナムではチップの習慣は一般的では無いらしいし、これだけ格式の高いホテルでホテルパーソンが悪さを働くとも考えづらいが、充分な額のチップがあれば不意に襲ってくる邪念の抑止効果にもなるかも知れない。
適正な額は分からないが、昨夜食べたバインミーが25,000ドン、と考えると昨日置いた5,000ドンでは軽食にも足りないぞ。安すぎだ。
一仕事片付いたらバインミーを食べられる額、25,000ドンを置いて部屋を出た。
ホテルの目の前にある公園で、制服を着た少年の一群が、順番に手にマーカーを持って走り、おそらくは地面に置き、次の少年がまた走ってそれを回収するという運動をやっていた。
少年達の歓声が、快晴の朝の公園の風景をより活き活きとしたものにしていた。
H.I.Sの日本人女性スタッフはちょっと素っ気ない感じで、満面の笑み少し期待していた自分の甘さにガッカリした。
接客業者が客に対して笑顔で接するのは日本独特の事で、ベトナム人にそういった過剰サービスは期待していなかったが、日本人に素っ気なくされると少し驚く。
異国に長く住めば、日本人でもサービスは異国風になるのだろうか。
ラウンジにいたベトナム人女性スタッフの方が物腰は柔らかかった。
まあとにかく、明日、ここで休憩できるのは間違いない。
ちょっとだけ一息ついて、目と鼻の先にあるフレンチ・コロニアル様式の建物に向かった。
歩いて5分もないところにある美しい建物は2つ。
ここはレートの良い両替所として事前にチェックしていたが、入ってみると内装のレトロな美しさに圧倒された。天井のアーチの下には扇風機が緩やかに回り、さらにその下に並ぶカウンターでは人々がガラス越しに職員と話している。郵便か、預金か、両替か。
アーチの突き当たりに掲げられた、ホー・チミンの絵画がその様を見守っている。
スマホで何枚か撮ったが、出来ればちゃんとしたカメラでも撮りたい。
可能ならまた来よう。
と、外に出ようとして、館内の土産物屋が目に留まり、のぞいて見ると帽子が売られている。
黒いハットをレジに持って行った。
「80,000 don.」
「non , non. That,s 800,000 don. This is 80,000 don.」
お金が流通する郵便局で派手な間違いをしてしまった。ドンマイ。
ベトナム人はこういう際にも誤魔化しはしないらしい。
と、広場脇の木陰に、白いドレスを着た少女が大人に手を引かれて、何かの記念撮影の準備をしていた。
「Excuse me , Mr, I want teke she photograph.」
後から考えれば文法がメチャクチャだが、自分の為だとゼスチャーで伝え、
「She is beautiful.」と言うと、カメラマンは笑顔で
「No probleme.」
マリア様に続いて、木陰で微笑む小さなレディーを写真に収めることができた。
ここで旅の目的の一つ、練乳たっぷりのベトナムコーヒーが飲めそうだ。
カウンターで指差し注文をすると、ややあって陶器のカップに注がれたベトナムコーヒーがサーブされた。
カフェの奥に陣取って口にする。
柔らかで濃い苦味に、底に溜まった練乳がほのかに香る。美味い。
旅の目的に充分耐えうる味だ。
ふと思いついて、ベトナムでMV撮影したガールズグループの新曲をDLした。
強い日差しの中を歩いてなんとなく思い出し、この瞬間にぴったりだと思ったからだ。
日本で聴いた時は「ちょっと古いテイストだなぁ」と思っていたが、自称「4,000年に一度の美少女」が唄う希望や自由に溢れる歌詞と、明るいメロディーに涙が溢れてきた。
自律神経をやっていて心がある面で脆くなっているのは間違いない。
でも涙を流せばストレスも流れ落ちると言う。
泣けるのはきっと良いことだ。
この瞬間を楽しもう。きっと今しかできないことがある。
校門にたむろする白い制服。
カオタン テクニカルカレッジでもそうだったのだが、校門前にはスクーターが引っ切り無しにやってきて、学生が乗り降りしている。
ちょうど昼時だ、近くに食事を取りに行くのかも知れない。
女学校を通り過ぎてしばらくすると、正面から長い黒髪の少女が駆けてきて、すれ違った。
ときどき、SNSにやたらと長文をアップしたり、写真を何十枚とアップしたりする輩がいる。
旅の記録とかだとみんなに読んでほしい、見てほしいという気持ちは分かる。が、ネットの世界は大量の写真と長文に向いていないと思う。決して写真も文章も悪くないときでも、文章が長すぎるとか写真が多すぎる投稿は何度もスクロールして全部見るのが正直苦痛だ。それがリアルの知り合いなら、きちんと全部見て感想をコメントしてあげるのが望ましいのかも知れないけど、それは少々難しい。
自分も無駄に長文を書いてしまいがちだけど、スマホで読む人も多いことを思えば、さくっと読める文章とせいぜい一回スクロールすれば全部見られる量の写真が良心的だと思う。
紙の本に載せるのにふさわしい写真と文章の量とweb上のそれは別ものだと思う。昔は数枚の写真とポエムみたいな短文だけのブログとかを見て「気取ってんじゃね~よ!」と思ったけど、最近はそのぐらいの量が正義だと思うようになった。
私の好きなプロカメラマンは、ブログでもSNSでも写真1枚と簡潔な文章というスタイルを貫いており、「もっと写真を見たい」「もっと詳しい話を聞きたい」と思わせる達人だ。立場上、商品として売る写真は無料公開するわけにいかないので、写真の数を控えているんだろうけど、その腕前も相まって、「もっともっと」と読者に思わせるところが商売上手だと思う。
「聞いて聞いて~」と長々自分語りをされるのが迷惑なのと一緒で、向こうが聞きたくなるように、導入部分を上手く作って、読者にコメントや質問をさせるのが上手いやり方なんだろうなと思う。
昔はなるべく説明は詳細に、文章は細かいところまで書くのが親切だと思って生きていたけど、簡潔に相手が知りたいところだけ語るのがwebのお作法らしい。うっかりすると無駄に長い文章を書いてしまうけど、なるべく気をつけていきたいと思う。
ゆうこすってそんなにすごい存在なんだ。事務所やマネージャーに繰られるままにイベントに出たりコンサートやったりしているアイドルよりは自己プロデュース能力高そうだけど、「結局若くて可愛い間だけでしょ」って私は思っちゃうんだよね。うちの会社とは真逆の世界に生きている人なので、なんとなく後輩が憧れるのは分からなくもないけど、オバさんになってもやっていけるのはうちの会社の方なのだ。一時的に熱中するだけで、ある日目が覚めて彼女から離れてくれたらいいなと思ってる。
それにしても最近のカメラ女子ってとにかくSNSをやたら重視するのね。プロカメラマンの写真展とかカメラ雑誌とかいろいろ見て勉強しろよって思うんだけど。あと、スマホやカメラの液晶で見て満足するんじゃなくて紙にちゃんと印刷しろと思う。逆に私は動画とかを見るのがめんどくさいので、Photoshopの使い方とか全然覚えられなくて困ってるけど。私のような古い世代と彼女の世代とどっちがお得なのかよく分からない。
会社の後輩でゆうこすとかいう女を崇拝している子がいる。いちおうカメラ女子で、ときどき「ゆうこすさんと会えた!」「ゆうこすさんの写真撮らせてもらった!」と嬉しそうにSNSに投稿してくる。
そんな彼女は写真を撮る側より撮られる側に回った方がいいんじゃないかと思える美人ちゃんだ。というか彼女がアップする写真を見るとゆうこすの取り巻き自体が彼女と同じぐらいの年代で美人ばかりを取り揃えており、見ると女の私でも「ま、まぶしい!」と言いたくなるレベルだ。
が、私は彼女の写真に対する意識に納得いかないものを感じている。ひとつはそれほどカメラ女子として知識も経験もないのに、「私は写真が上手いからゆうこすさんに選ばれた!」みたいに思っているところ。そして「美男美女じゃないとモデルに値しない」と思っているところだ。
まぁ美人は自分の顔を基準に人の顔を判定するので、基準が厳しくなるのはやむを得ないのかも知れないけど、普通の顔の人の良いところを引き出して撮る方が腕前的に上じゃないのか。現に私の知っているプロカメラマンは、田舎のおっさんおばさんばかりを被写体にした写真集を出版しているが、皆いい感じの表情で写っており、「これぞプロの技!」と言いたくなる。
で、彼女よりポートレートがうまいカメラマンは山のようにいる。多くが男性で、むさくるしいおっさんも少なくないが、写真の技量で勝負したら確実に彼女は負けるだろうと思う。ゆうこすはたぶん自分の回りを同年代のかわいい女の子で固めたかったのではないかと思うんだが違うだろうか。後輩は美人ちゃんだから選ばれたんじゃないかと私は思っているんだけど。
うちの会社はわりと固いところなので、彼女は真面目な仕事の紹介などでないと自分の写真を会社名と実名つきで表に出すことができないだろう。それでも彼女はそんな会社を熱望して入ってきて、それなのに不安定の極みの世界にいる女子を崇拝している。ないものねだりというものなんだろうか。彼女を見ていると私は「今時の若い女の子は何を目指しているんだろう?」とわからなくなる。
もはや高校野球の風物詩となってる各校のチアガールをエロ目線で見る人達とそれをまとめる人達の図。
世の女性の皆さんは毎年品評会をされて、しかも野球そっちのけで高校生チアガールに夢中のおっさん達を知ってるのだろうか。
知ってたら絶対通報されるだろう、腋チラ、胸チラ、汗だくになった胸元やブラ線、太ももをテレビ朝日のカメラマンが撮影したのをテレビで見て劣情を燃やして
ある人はそれを画像キャプしてなんJとかにアップロードしてこの子かわいいこの子ブスと品評会をやっている。
その場面をつと見かけた事があって、非常に気持ち悪かった。
まとめサイトには肖像権を無視した彼女たちの痴態をかなり閲覧できる状態になっている。
要するに児童ポルノの類で、まとめサイトではコメント欄で更に品評会が為されてて、非常に気持ち悪いしセカンドレイプされてしまってる。
なのに誰も指摘しないし、指摘してる人の数が圧倒的に少ない。
多分然るべき機関、例えばBPOとか高野連に通報してる人も中にはいると思うけど今の今まで全くそういうのを駄目と言ってるのを見た事がないので半ば公式が黙認してる状態でないかと思えてならない。
チアガールや応援席の女子高生のプライバシーが今も侵害され続けてるのにテレビ朝日は感動ポルノとか美談にしちゃうんだろうか。
昨日ローカルなお祭りを見てきた。地元の商店街主催の阿波踊りからチアリーディングからサンバまで何でもござれのごった煮なお祭り。で、私はそのステージに結構長いこと張り付いて写真を撮っていた。私はそんなにチアリーディングが見たかったわけでなく、むしろ阿波踊りとサンバに興味があった。
そして、某大学応援団のお出まし。今どき微笑ましいようなバンカラ応援団(団員は学ラン着用で、団長や各学年の責任者と思われる人物は羽織袴姿)とチアリーディング部と吹奏楽部の連合部隊だ。それまでは結構自由に撮影させてくれたのに、この大学のときだけ撮影禁止。要するチアリーディングのメンバーを守りたいという趣旨のようだったが、だったら吹奏楽部の演奏だけのときとか応援団の団長の絶叫シーンぐらい撮影させろっちゅうの。
ま、それはさておきチアリーディング部主体の演技を見て、撮影禁止にちょっと納得した。彼女たちはスカートの下に衣装の色に合わせた見せパンを履いているので、たぶんそんなに見られることに抵抗はないんだと思うけど、ときどきラインダンスみたいな振り付けで足を上げたり、バック転ならぬ横転をしてスカートの下が見えるような演技をするのだ。私は以前仕事の関係でイベントの記録係をやったことがあり、いろんなチアリーディングチームの演技を見たので、そういうサービスはどこのチームでもやるもんだということは知っていた。
が、自分たちでわざわざ見せる演技をしておいて撮影するなっていうのは何なんだよ…。ま、私は女なので怪しまれることは少ないし、際どいアングルで撮影しようとするカメラマンがいたりとかその映像が悪用されたりメンバーがストーカーに遭ったりすることを恐れているのだということは分かる。でもそれだったら始めからホットパンツで演技するとか長めのスカートをはくとかスカートの下が見えないようにすればいいじゃんと思う。
私は男子のチアリーディングも見たことあるけど、お色気とか華やかさの要素を抜きにするならば、男子の方がジャンプ力とかがあってスポーツとしてはかっこいいぞ。逆にいえば女子のチアリーディングにはお色気とか衣装などの華やかさとかがないと価値がないということだ。応援団を擁する大学側としては極力チアリーディングのメンバーを危険に晒したくないんだろうけど、そもそも女子のチアリーディングというのはその華やかさとお色気が価値なんだから、変な男に目を付けられてイヤな思いをしたくなければチアリーディングなんかやるなと思う。まぁチアリーディングなんかやってなくて、ごく普通の服装で過ごしていても変な男に目を付けられる女の子は確実にいるけど、チアリーディングの連中は自分で好き好んでリスクを上げてるんだから仕方ないじゃん。
まぁこれは性犯罪とかで「露出度の高い格好をして歩く女と犯人の男とどっちが悪いか」というのと同じ話で、「たとえ女が露出度の高い服を着ていたとしても襲う男の方が悪い」というのが正論なんだけど、わざわざ被害に遭う危険を誘発するような行動をして、何かあったら被害者面するのってどうよ…と思ってしまった。
ちなみにその後ステージでは何組もサンバチームの演技が行われ、あの露出度の高い衣装のダンサーたちが撮影し放題だったが、なぜこっちの方は撮影規制されないのか謎だった。せっせと写真撮っていた私がいうこっちゃないけど、隣でず~っとビデオを撮ってるおじさんとかいて、ちょっと気持ち悪かった。ブラジル人と思しきダンサーなんてとても堂々としていて、「私の美しさを見て!」と言わんばかりに踊っていたけど、どう見てもあれは襲われる危険を誘発する格好じゃないんだろうか。「たとえ女が露出度の高い服を着ていたとしても襲う男の方が悪い」という理論が正しくても、やっぱりわざわざ露出度を上げて自分の女性的魅力をアピールするような格好をしてそのせいで危険な目に遭う女には同情できない。
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2009/08/post-b8c3.html
D「ボクは戦争はしてもいいコトだと思っています。自分の家族が殺されそうになったら、自分は戦います。当たり前のコトです」
D「ええ、そうですね。それにそれも戦争です。それが戦争じゃないと言えるのですか。」
D「当然です。それは」
うじき「当然と言っていながら、戦争はしてもいいといっているじゃないか。
父親が戦争に行っているということは、ものすごく自分の人格、人生に大きな影響を与えている。
大きな影を落として、物凄く大きな影響を与えていつ。
人生の中のどこかで、もしかして勘違いして、何か突き進んでしまう瞬間があるのではないか。恐怖心がある。
やっぱり、怖くて聞いていなかったのかナ。
自分もウチの親父は息子にだけは伝えたくないというコトではなく、後世の人に伝えておきたいという意識はなかったからね。
D「(うじきのお父さんは)誰にも話したくないけれど、息子だから話すんだと言っていましたよ。それはどう思いますか」
うじき「そんなコト言っていたの?」
D「お父さんが話さなかっただけではなく、僕らの世代も聞かなかったことも、
まあ、うじきさんみたいにこうして真剣に聞かれる人もいるけれど、ほとんどの人は聞いていない。うじきさん、がんばってください。」
うじき「なんだ?それ. …ウーン」
楽しんで死体を運んでいるかの様に言っていたが、そうではないと思います。
うじきには、そういった部分も理解できない様でした。
その前に、自分のポリシーとして、ライフスタイルとして、国民、国家、世界を幸福に平安にするという事に日々活動しているべきです。
『美しい顔』読みました。
海側ではないのでこの小説のような壮絶な被災経験はありませんが。
震災の映像と同じく、心身ともに影響のない人だけが読んだ方がいいです。
まず、主人公が岩手ないし宮城の海側の女子高生とは思えないところ。
冒頭のカメラマンに対しての「電車も走ってないのにわざわざきた」「ここが銀座八丁目だったら」「いいねが欲しいんだろ」の部分。
車必須社会なのに最初に電車を思い浮かべるかな?と。新幹線ならわかるけど。
この辺の電車だから本数なんて1時間に数本レベル。それなのに車じゃなくて電車?といのがひとつ。
あとJKが思い浮かべる都会は渋谷原宿新宿東京上野はあっても銀座は(ヾノ・∀・`)ナイナイ
そして震災当時はそこまで「いいね」文化はなかった。「いいね」って言葉はまだ一般的ではなかった。
Twitterのファボはハートじゃなくて星だったし、インスタはまだない。ミクシィがまだ活躍してた。
女子高生が複数の医師と看護師をみて「あー医師団だ」って思うだろうか。
こういうことをあげていったらキリがないけれど、とにかく17、8の女子高生の一人称視点には思えない。
最初読んでいてずっと大学生だと思ってた。それでも合ってないけど。言葉のチョイスやものの見方がその年代と合っていないと思う。
感性が老けてる。10代のそれじゃない。なんのために主人公を10代にしたのか分からないくらい女子高生に思えない。
まして主人公は「大学に行っておいたら」と母に言われてるってことは、大学行っても行かなくても良しとされる程度の学力だと思われる。
なので頭の回転とかもお察しだから、年相応以上の言葉選びに余計に違和感。
先入観があるからだけど、都会に住む大人がルポを読んでいい感じに組み立てた小説にしか思えない。
主人公が東北の片田舎に暮らす女子高生とは最後まで思えなかった。
この小説に凄みがあるのは、“盗作された”と名前のあがったノンフィクション作品がそれだけ凄いんだと思う。
それならそれでいいけど、なおさら何故参考文献として触れもしなかったのか。
著者にコンタクトを取らなかったのか。
もうそこに尽きるよね。