はてなキーワード: えことは
「変わらない」のに「変わった」というのは変に思うかもしれないけど、全然そんなことはない。
もともと日本の社会は、バブル崩壊と同時に「機首が下向きになった」。
そりゃ操縦桿を操作して機首を上げないと、どんどん降っていく一方だわな。
デフォルトで下降状態なのだから、政治が変わらなければ、日本社会は変わる。もちろん悪い方向に。
しかしこれまで日本の政治は、「機首を上向かせる政治」をしてこなかった。
これは自民党政権だけじゃない。民主党政権もそうだった。93年だかの細川政権とかは良く知らないけど。
しかし、じゃあ安倍政権はどうなんだ。操縦桿をうまく操って「機首を上げる操作」をしたか?
安倍政権になっても、大学の授業料は上がる一方。学生は奨学金まみれだ。
安倍政権になっても、物価が上がっても給料は上がらない。高プロも導入された。過労死は増えこそすれ減ることはないだろう。
安倍政権になっても、保育園も特養もなかなか増えないし、低賃金だから建てても誰も働かない。
安倍政権になっても、政治家と役人がグルになって不正をするようになった。「公文書書き換え」「日報隠し」なんかしでかして、なんでトップが誰も責任取らないの?
安倍政権になっても、与党はいつまでも経団連のいいなりだ。消費税はこれからも上がり続けるだろう。
安倍政権になっても、与党はいつまでもアメリカのATM状態だ。まあ昔から日米関係なんてスネ夫とジャイアンみたいなもんだったけど、トランプは露骨すぎるだろ。「PMアベがまたウチの商品買ってくれるってよ!毎度アリ!」なんてカツアゲツイートばっか見せられて、俺は悔しい。
そら株とかで儲けたやつもいるかもしれないけど、俺はいやなんだよ、株とか。
「自分さえ儲かればいい」「自分さえそこそこの暮らしを維持できればいい」。そういうのいやなんだよ。
俺の家族も、俺の友人知人も、そのまた家族や友人知人……つまり、できるだけ多くの人が「そこそこマシに暮らせる社会」がいい。
そうは思わないか?
じゃあ「安倍さんじゃなくて他の政治家が首相だったら今のようにはならなかったのか」というと、それはわからない。
でも将来どうなるかなんて誰にもわからないだろ。
恋愛と同じだよ。速攻振られるかもしれないし、他の奴に寝取られてめっちゃ傷つくかもしれない。だからといって「裏切られるのが嫌だから恋愛なんかしない」ってならないだろ、普通は。
正直、俺はこれまで選挙は行ったり行かなかったりだった。
政権交代のときは民主党に入れた。率直に言って裏切られた。政権運営に慣れないところに大震災が重なったっていう不運はあるが、一言で言えば「グダグダ」だったな。
トドメに消費税増税の決定。なんだよこいつら、って思ったのは俺だけじゃないだろう。
それ以来、国政選挙には行っていなかった。
そんな俺が言うのもなんだけど、今回の参院選、何かが違うと感じている。
今までと違って、「もっと上向かせよう!上昇させよう!」というメッセージを発信している政党が多いように思う。
実際「下向き政治」のせいで、貧しい人からどんどん追い詰められていっている。
これで消費税が10%になって、2年、3年たったらどうなるか。
「失うものがない」人間がしでかす凶行、つい最近見たよな。ああいう事件が増えるかもしれない。
大事な人が、大事にしているモノが、壊されるかもしれないんだ。
これだよな
男は幼児から老人に至るまで、ファーストコンタクトでブスを絶対選ばないから。
女は不細工や爺さんでも金持ちなら選ぶという奴が散見するけど、男はルックス一択。
性格が~とか、付き合ったり、少なくとも友人関係でコミュニケーションとったりしないとわかるわけないだろ。
エスパーかよ。
しかも医者だろ。ちょっと治療に来た地味な女に一目ぼれ!とかあるわけがない。出会い方が不自然すぎる。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。
この増田、そうとう考えて書いてるなと思う。
あるいは欲求のままに書いたのであっても、その欲求は普段から研ぎ澄まされていたものであり、良く練られ良く思考された欲求と思う。
以下に順を追ってみて行こう。
今回のメンツの内、身体に直接触れている女性陣のなかで、増田から直接顔を見ることができるのは本田翼に限られる。
ご存じの通り、本田翼は屈託のない笑顔が素敵な、硬めの役柄も柔らかめの役柄もこなせる可愛らしく美しい女性だ。
そんな本田翼が、おそらく明け透けな笑顔で「あんたバカ?」と言いながら踏んでいる。
もしかしたら笑顔が可愛い女性が真顔になっている、というギャップを愉しんでいるのかもしれない。
増田はその顔を見たいのだ。とにかく、顔が見えるということがこの場合の本田翼の役割だ。
そして、踏んでいる。踏んでいるのだ。何を踏んでいるかはここでは解らない。だが、確かに踏んでいる。
本田翼の脚を皆さん見たことあるだろうか。最近ではラインモバイルのCMなんかでお目にかかったことも多かっただろう。
モデルやっていただけあって白くて奇麗なわけだが、ややもすればネットでは「太い」とか揶揄される。
だが、これがちょうどいい、と増田は考えているに違いない。俺もそう思う。全然太くないから。アクセス稼ぎのネットの焚きつけには辟易しておる。
身長が近い同世代をそろえてきた。大原優乃は他のメンツと比べると格が落ちるのではないかと気をもむ諸賢もおろう。
だが考えてみてほしい。ここでは筆者の主眼はむっちりとした太ももやその他身体との接触にある。
そして如上の通り身体性のバランスの問題がある。どっちかが極端に大きかったり小さかったりするのが、増田の快楽にノイズとなって差し込まれるのだろう。
たとえばヘッドホンで音楽を聴いていて右だけ音量が大きいような、そうした事態を避けたいわけだ。
ここでも脚の果たす役割は大きい。増田の身体の上から押さえこむような、両脚からの力がかかるはずだ。
また筆者は二人の胸部への関心も失わない。腕四の字の先、引っ張られた両腕は二人の胸元へもたらされる。
第一の趣旨である脚への嘱望に止まらない意欲に、理想の構築の確からしさがある。
こうした構成を為すためには、実際には大原優乃の果たす役割は大きい。
頸を足で締める役には広瀬すずが選ばれた。
2015年、佐々木希に替わって広瀬すずがロッテのFit'sのCMで、可愛らしい制服姿で美脚を披露して以来、体感二年に一回くらいのペースで広瀬すずが制服姿で全力ダッシュする的な場面のある映画が製作されている。太すぎず細すぎない、太ももからふくらはぎ、足首に掛けてメリハリのある健康的な脚(俺は特にふくらはぎが良いなぁと思う)。
顔面で愉しむのはそうしたタイプの脚が望ましいのだろう。ふわり、と脂肪が多いと可動性が狭くなるし、締める、という営為がぼやけてしまう。
程良く引き締まった脚だからこそ堪能できる物理的な余地があるのだろう。
永野の役割は、こんな増田を見て幻滅する、というところにある。
精神的な部分に依拠した欲望を、増田は永野に対して抱いていることがわかる。
色白ですらりとしている。連続テレビ小説やモバイルのCMなんかでも見ることができよう。
足部なんかも色っぽい。
暗転後の女性? 陣は、しっかりと前半部の要素を受けた構成になっている。
IKKOのすごさは各種のドキュメンタリーを見てほしい。そんな人物が、増田のシチュエーションを暗転させる。
アジャコングについてはフェイスペイントを施してリングで戦った点に注目したい。増田は本田翼の顔を見られる位置にあった。やはり、踏みつけている顔、というのが《本田―アジャライン》のテーマになるのだろう。
北斗晶と安藤なつ。どちらもパワフルな女性だ。レスラーの北斗はもちろん、安藤も行ってQなどでそのパワフルさで笑いを摂る場面がある。ここも橋本と大原と好対照だ。柔らかな衝撃の裏返しのパワフルな関節技。ここでは腕ひしぎによる重圧こそがテーマとなっていよう。
北斗と安藤に対して、非戦闘員であるマツコ・デラックスは何ゆえにここに配置されたのか? やはり、顔への脚締めは純粋な圧迫だけではないのだ。脚の質感や長さ、筋肉と脂肪のバランス。首四の字は脚を堪能するために配備されている。広瀬と対置されるマツコのおかげで、私たちは増田の首四の字における主眼を明確にできる。
ゆりやんはバラエティで見ていて思うのだが、自分の仕事ってものを解って振る舞っている。増田もそれを解っている。だからああなるわけだが、永野が思わずドン引きするのと対称的に、ゆりやんは作為的に「美味しい」行為を選択しうる心理的余裕がある。ここに対称のエッジを研ぐ増田の真意があるのではなかろうか。
いかがだっただろうか? この増田、ふざけているように見えて、どっしりとした構成を以て増田に投稿していると看取される。
そのテーマは脚にある。何となく、この増田の嗜好が見えてこよう。本田や広瀬、あるいは永野みたいな脚が好みなんだけれども、場合によっては橋本や大原のような柔らかそうな脚も良い。その場合の理想としての腕ひしぎ。そして反転後の人選も、しっかりとベクトルを逆向きにできている。
天然で書いていても、狙って書いていたのだとしても、いずれも良く思考されている。すごいなぁと思う。
あーしには関わりのねえことでござんす
夜のマック。
背中合わせの席で母親が小学生くらいの息子に何やら説明を繰り返している。
客は自分とこの2人しかいないので、自分の意思など構うもんかと会話が耳に入ってきた。
どうやら母子はこれからそれぞれ別のところにいかなくてはならないらしく、母親は息子に行き先を説明しているようだった。
よほど時間がないのか、急いだ様子で店を出てから数回しかない曲がり角を何度も何度も繰り返し説明していた。
そんなに心配なら送っていっても良いかとも考えたが、むしろ母親が心配しているのはそういうことだろうと何も言わずにマックシェイクのストローをくわえこんだ。
「じゃ、いける?」やっと納得がいく説明ができたのか母親がそう言うと、息子はすかさず大声でこういった。
「まくそん!!」
何のこと?と一瞬の沈黙の後、がらがらの店内に母親が息子の頭をひっぱたく音と、僕の鼻からマックシェイクが吹き出す音が同時に響いた。
高卒、特技なし、彼女なし、金もなし。その上ブサイク。昔は女が憎くてたまらず(それなのに優しくされたくてたまらず)ネットで女叩きをしていた。すまん。でも35歳を過ぎた頃から、憎しみが薄れたというか、女を憎むことにさえエネルギーを注げなくなった。「こんな思いをするなら草や花に生まれたかった」と言ったオタクがいたが、今の自分は草花状態。自分で望んで枯れることもできず、ただ毎日を生きている。
支え合う女もいないが、別に支え合うのは女でなくてもいいと、最近になってようやく気づいた。でも強者男性は弱者男性に興味がない。いや、興味がないフリして嫌悪している。
自分は女にも男にもいじめられたことがあるが、どちらも違ったキツさがあった。女はメンタル専門の殺し屋だが、肉体的には弱いので、ある意味安心感がある。中学時代のウシジマくんが敵の集団に対峙した時、カッターを持って「最初のひとりは必ず殺す!」と宣言した話があった。そんな感じ。ただし、そういう「弱い人間にやられている」という悔しさ・惨めさが余分に心にくるのはある。
女はメンタル専門の殺し屋と言ったが、メンタル攻撃は女の専売特許ではない。男は男ですげえことやる。暴力・犯罪の強制なんかも加わってまさに地獄に落とされた。しかも、男には肉体的にも勝てないし(こちとら低身長ガリ)、「最初のひとりは」を言い終わる前にワンパンで倒されそう。つまり犬になる他ないんだワン。。。で、俺のことを散々いじめてきた奴が、今SNSで女性の権利向上やらLGBTの記事をシェアしてるのね。要するに奴らは生まれつきの性別・趣向で不利な状況に置かれた人たちには同情するが、普通に男として生きて下層に流れる奴らは努力か能力が足りてないので自業自得で野垂れ死すべし!なんだよな。本当の弱者は絶対助けたくないような種類の人間だって言うけど、それって俺だと思う。醜く卑屈でネットでアイドルに粘着するおっさん、、、
で、だ。
貯金2000万もできるわけないし結婚も無理、俺を受け入れる女はいない、勝ち組の男も助けてくれない、となると同類同士で助け合うしかない。シェアハウスとかが現実的なのかもしれないと、知り合い数名に提案してみたがことごとく却下。弱者と認めたくないない奴と、自覚はあるがおっさんと住むなら困窮を選ぶ奴。冷静に考えてみると俺もちょっと無理だった。おっさんはおっさんが、特に弱いおっさんが大嫌いだ。自分が弱いおっさんでも。
ネットでは「おっさん同士で助け合えよ。女に救いを求めるな」なんて意見を目にするが、俺はそういう奴が1番嫌いだ。おっさんがおっさんを助けるわけないだろ。ちょっとは考えろ。俺も昔は女が下方婚しろよと某所で吠えていたクチだが、俺たちは女に救われたいんだ。ていうか男は怖いから女に救ってもらうしかない。女叩きをしていた奴らも、男から冷遇されなかったわけじゃないはずだ。男同士の関係が築けていたなら、多分女なんてどうでもよくなる。でも男に刃向かうのは怖いから、女を叩くしかないんだよ。女叩いてる時間、そのコミュニティだけは同性の強い肉体を持つ仲間がいるんだ。男は怖いが男を怖いと言ってはいけない気がしていた。女は嫌いなら「あえて怖がってる、嫌ってる」感が出て多少はマシ。最初に書こうと思ったこととはだいぶ離れたが弱者のおっさん的にはそんな感じです。
自分が住む地域がスラム街みたいなところだからか、女性の歩きタバコは半年に1人レベルでしか見かけないが、男性の歩きタバコはだいたいの成人男性がやってるんじゃないかレベルで見かける。
この煙が届く範囲が俺の土地!みたいな男の本能を呼び起こす効果でもあるのだろうか。
人前でタバコを吸うなんてはしたない女ね、と女性だけ教育された結果歩きタバコをする男性が残ったのだろうか。
男は大胆に、細けえことは気にするな、がさつなぐらいがちょうどいいと教育された結果だろうか。
男女平等を目指すなら、女性がタバコを人前で吸う権利か、男性が人前でタバコを吸わない義務のどちらかを人類は選ぶことになるだろうね。