はてなキーワード: 中央集権とは
・8世紀前半には北海道沿岸まで遠征
・その後は安倍氏による支配下で、中央政権から遠いので影響も及ばず半独立国家的統治。(※)
※東北地方が半ば独立していくという姿は、古代大和朝廷の中央集権国家の一角が崩れたことを意味し、これがモデルケースとなって日本は小さな国の集合体へと変貌していく。日本は明治維新まで、中央集権による統一国家とは言えない。(江戸時代も、あくまで連邦国家である)
→明治維新は政治体制的には「大昔の古代集権国家に再び日本を戻そうという復古運動」であり、決して新しい近代国家をつくろうという思想ではない
・長い間安倍家のもと安定していたが、1052年末法思想のあたりから政局が不安定化し、貴族の摂関政治の衰え、武士の台頭にあわせて朝廷に反発を始める(cf 939年 平将門の乱)
・1051年~ 前九年の役。源頼義および出羽清原氏により安倍家滅亡。出羽清原氏が奥羽の覇者に。
・1083年~ 後三年の役。清平家のお家争いで清衡が勝利し、奥州藤原家として奥州を統治することになる。
・1185年~ 奥州合戦。鎌倉幕府により奥州藤原家滅亡。東北を蝦夷と呼ぶ時代は終わり、このあとは安東氏による統治。安東氏は拠点を津軽に置き、奥羽と北海道南端の蝦夷地を支配する。北海道が蝦夷と呼ばれ始める。
・1325年~ 蝦夷大乱。お家争いが幕府への反乱につながるが和睦。
・14世紀後半~
・若狭出身の武士武田信広が、陸奥の守護南部氏・安東氏との争いを経由して北海道に上陸。
侵略され、搾取され、屈従し、たまりかねて反乱を起こしては弾圧される。
ひたすらこの5つの繰り返し。
それでも何とかアイヌ側の忍耐によりそれなりに共存してきたが我慢の限界!
・1591年 南部に大反乱。豊臣秀吉の命で徳川家康を総大将とする討伐軍。蠣崎家も参戦。
その間アイヌの生活水準も上昇し、集落もまとまるようになった。
各部族をまとめる大酋長も現れ、独立国家らしきものが5つもできた。
・100年あまりの日本人との交易を経て、アイヌの生活水準は向上したが
同時に自給自足でなくなり松前藩との交易がないと生きていけなくなった。
苦境に陥った松前藩は
アイヌはまたも敗北し、絶対服従を誓わされるが、理不尽な交易レートは引き下げられた。
松前商人は利益を追求してアイヌを低賃金でこきつかい、奴隷扱い。
・そのままアイヌの悲劇が黙殺されたままおよそ100年ほど経過。
・地引き網漁の発達により、肥料用の鰯が大量に取れるようになり、
・田沼意次の命で、幕府からの調査団が蝦夷地に踏み込んでくる。
目的は「業務遂行のために必要な知識が足りていないときのギャップを、
それが認識されたタイミングを逃さずに埋める」ことにあります。要するに、知識の「カンバン方式(just-in-time)」ですね。
「必要なときに、必要な知識を、従業員同士が(勝手に)与えあう」ようなプラットフォームこそ、教育システムの目指すところでしょう。
べき「落とし穴」は以下の3点。
1.情報を得るのは、色々な意味で、その能力を持っている人である(質問者であると同時に、情報発信者であることが多い)
2.ソーシャルなシステムは、しばしば情報を持っている人をますます情報通にし、情報の足りない人をますます情報から遠ざける結果を生み出しやすい。
3.こうした傾向は、意思決定が中央集権的になっている組織において、より顕著になる。この場合、システムには意思決定権者への
フィードバックの敷居を下げるような工夫が求められる。
個々のユーザーを中心としたシステム設計をすることが重要であり、なんとなくFacebookっぽいものをそのまま導入してもダメ
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769
歴史的に栄えてた地方をブッ潰して中央集権にしたのが今の状況だろ?
地方で暮らしてる身としては、人材奪ってくのだけはガチでなんとかして欲しい。
そんでもって、出てった奴らの教育コストと残してった両親の介護は地方負担だろ?
そりゃー無理だよ。
小山を潰して作ったアホみたいな急な坂道がある東京に、街並みのことなんて言われたくない。
住んで便利なのが一番。
歴史的に日本という土地で多くの栄えた地方都市を抱えるのは不可能なんだよ。
アメリカやヨーロッパは都市計画なんか考えなくても歴史的必然で地方都市が栄えた。
それに対して日本はどうか?
これはもう京都大阪と江戸以外はひたすらコメ作ってる"ムラ"。
日本はもう歴史的にこの二つしか"都"として抱えきれない構造になってるとしか思えない。
(こんなこというとキレられそうだけど、俺の中で大阪と京都は似たようなもんなので一つとカウント)
だから日本の地方都市は"ムラ"のくせに"都"のふりなんかしないで
農地、あるいは自然保護区、あるいはロハスな人たちの聖地にしたほうがいいんだよ。
ドイツも比較的分散してると思います。
ご指摘の通り、連邦制を採っているドイツはイタリアと並んで、ヨーロッパでもっとも一極集中から縁遠い国です。
但しこれはあくまで「例外の無い都市への人口集中」の範疇に含まれる話です。経済発展に伴う必然なのはあくまで「都市化」。都市化=一極集中ではないので、そこは区別してください。
都市化の受け皿がある一つの都市になるか、幾つかの都市になるか、とういうのは国土の広さや地方分権の政治的歴史的状況によって差があるというだけことです。近代における都市化のトレンドには原則として例外はなく、トレンドとは言い難い範囲まで視野を広げても、都市から田園への人口拡散として挙げられる例外は、
といった異常事態時くらいになっちゃいます。一国一都市圏とは限りませんが、経済が発展する限り、田舎は衰退するものなのです。
国家規模、面積で一極集中してる例ってあるんでしょうか?
欧州の典型はフランス。連邦制国家でありながらイギリスも一極集中が強く、実は欧州の大半の国が一極集中型の国家です。欧州33カ国で一極集中していない国は独伊蘭瑞(西が微妙?)くらいでしょうか。さらに言えば、実は先進国の多い欧州諸国より、急激に経済成長を遂げているアフリカ、アジア、中南米といった発展途上国の多い地域の方が、一般に一極集中の度合いが激しい国が多いです。コートジボワール、メキシコ、韓国、バングラなんかの一極集中度合いは凄まじいです。世界では一極集中している国の方が圧倒的多数派で、その度合いからすれば、日本は決して一極集中が激しい方の国ではないですよ。日本は世界有数の人口と比較的広い国土を持つ国なので、その割には一極集中具合が大きいと言えるかもしれませんが。
「都市化」は近代国家、特に全体主義的な強力な統制を行わない国家では必然で、一極集中の程度については、日本のような
・特別に広大な国土を持っているわけではない
という条件の国では「一極集中しつつも、他にも数個の有力な都市圏が生き残る」という方向に進むのが自然でしょう。今後の日本について言えば、東京圏、中京圏以外はかなり地位が低下していく、と予測されていて、関西圏でも安泰とは言い難い感じです。道州制等を実施すれば、福岡、仙台等発展する都市圏がもうちょっと増えることになるでしょうけど、都市化の受け皿となるような都市圏の数を増やすには、かなり思い切った地方分権政策を採る必要があると思われます。
経済原理が何を指すのかよくわかりませんが、
大雑把には「経済成長を高めるための原則」という意味で使用しています。
物流、自動車関連、インフラ整備、農業、これらがほとんど死滅するんですけど、経済原理を日本に当てはめてこれが本当に望ましいんですか?
特定産業があまり急激に崩壊すると、問題が大きくなりすぎることも考えられますが、経済原理上は、基本的には「死滅OK」です。
建設土木(特にインフラ需要が大きい土木)と農業は日本で最も生産性の低い産業に分類されます。この産業の規模縮小は原則的には経済にプラスです。物流については人口集積が進めば効率化が進む産業です。自動車産業は日本で最も生産性の高い産業の一つで、これが滅ぶのは困った話なのですが、田舎が滅んでも自動車需要は若干へこむ程度。そもそも少数派の非都市住民が減ったからといって
「(非都市住民が自動車にかけるお金-都市住民の自動車にかけるお金)*非都市住民の人口減少数」
分が減るだけですので死滅には程遠いです。自動者産業は基本的に輸出産業ですし。
以上、先進国の経済成長において重要なのは「雇用」より「生産性」であるのが通常だ、という経済学の見解を知らないと、なかなか納得しがたい話ではあるのですが、それが経済成長における経済原理です。
周囲の国家から出稼ぎにくる労働者があって成り立つようなモデルを日本に持ってきていいんですか。
「周辺国からの出稼ぎ」を「(国内)農村部からの『移民』」に置き換えていただければ、成り立つのはおわかり頂けるかと。まあ、本質はそこではなく、現在地方経済を支えている一次産業と建設土木の低生産性(特に資本投下比のリターン)なんで、そんなことにお金使ったら資本の浪費ですよ、ってことなんですけどね。
横からだが、説明しろよ。
はあ、何をだい?
文脈を理解した質問である限りなんでも答えてやるから
「横からだが」なんてセコい手は弄さなくていいよ
昔の農民には、移動の自由がなかった。関所破りとか時代劇でやるでしょ?
関所通らなきゃいけないのは農民だけじゃねーよ
住むとこ自由に出来ないと言えば大名家が最たるもんだ
人権ねーのは農民だけにかぎらねーし
わかったかあ?
一律課税にせず軽減税率やると線引きをどこにするかで裁量の余地が出てきて、ますます官僚政治家の権限が拡大して中央集権が加速するだけでは?特区とかも結局特定地域への利益誘導になるだけ。どこを特区にするかどの商品を優遇するかでまたロビー団体が跋扈する。
途中から、読んだけど、なんか、話がおかしくない?
資本主義も共産主義も、経済のシステムだから、幸福でも不幸でもなんでもないよ。
あえて、この国の悪いところを上げるとすると、中央集権国家・体制的なことかな。
人を育てられない30代40代が多いなぁと感じることかなぁ。中央の言うことを聞いていればいいんだ的な発送で、若い目を潰すのはもったいない。
20代後半の若手下手すりゃ30代と話をしていても、新人・若手がこう言っているから、
こういう事をさせてみたいんだ的なアプローチがなくて、オレオレ的なアプローチだとげんなりするし、市場を独占してどうたらこうたらと
いいけど、日本市場を独占してカッコっちゃったら、独創的なアイデアが出なくなって、国債市場での競争力が落ちるだろ、国内市場だけ取れればいいのか?的な発想とか疲れる。
体制的なところで、保守的に基盤を守っていく活動と、国際的な競争力をつけるために、競争をしながらスキルをつけていく攻めの発想と、
新しいことを次の世代を活かすための、若者の育成的な発想とを
この3つをバランスよく配分しながら、話を進めなきゃいけないのに、なんか、違うんだよなぁ。
どの制度をどの程度まぜて、日本に見合ったシステムにするには、どいう新しいシステムを次の世代のためにつくっていくか?どの制度の何を見習ってって話だよね?
資本主義・共産主義だと話が大きすぎて、よくわからない。資本主義・共産主義も、もう過去のシステムだから、これから先の未来には合わないと思う。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100506
を改訂
4.移民の積極的な受け入れ
・移民派遣大国(フィリピン、インドネシアなど)からの労働者受け入れを積極化
7.あらゆる分野で規制を緩和
・民でできるものは全部、民営化
9.市場機能の整備
・市場機能の基本となる「情報開示の徹底」と「監視摘発機能の強化」を行う
・・例)労働分野:サービス残業、長時間労働、差別待遇などは厳しく摘発
・・例)公正取引委員会による不公正取引、下請けいじめなども同様に
・・例)政治行政の意思決定、金融取引、警察捜査などについても情報開示を徹底させる
10.65歳以上の生活保障
・年金、生活保護等を統合し、最低保障年金(月10万程度)を導入
2.一人一票の実現
「ちきりん案」
・直前の国勢調査、住民登録等に基づき、自動的に議員定数が調整されるよう法律を改正
⇒「修正案」
ちきりん案通りに定数是正を行い、
それに加えて
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/p/131.html
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/p/178.html
3.道州制の導入
「ちきりん案」
・北海道、東北、関東、北陸&中央、中部、関西、中国、四国、九州&沖縄
・意味としては“明治維新以来続いてきた中央集権制”から分権制への体制転換
・霞ヶ関は、国が担当する外交、軍事、憲法関連事項などの管轄組織以外はすべて解散
・なお、これ以降に記載する政策については、各州で修正することも認める
⇒「修正案」
議員数削減は容認するが、道州制・地方分権=「地方切捨」には反対
介護保険等に見られるように、疲弊した地方には、もはや地方分権を担う力はない。
東京都の人口1,300万人超え(その分、例えば鳥取県人口は減少記録更新)
その代わりに、固定資産税を国税化し、一気に5~10倍にすることによって、
東京に住む必要があるサラリーマンはに対しては、固定資産税の税額控除を認めればいい。
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/rd/17.htm
「ちきりん案」
(中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、フランス語などからひとつ選択)
・TOEIC860点に達した段階で、それ以降の教育費はすべて無料とする
(たとえば小学校3年生で860点に達した生徒は、それ以降の教育費は公立私立を問わず高校卒業時まですべて無料)
・国立大学および公務員試験では、語学は英語と第二外国語の2科目を必須とする。
・英語とロジックとITの授業について、英語のみで(日本語を使わずに)教える
⇒「全面却下」
全く意味無し。
実際、「仕事上、英語を必要とする日本人」は、5%もいるかどうか。
6.間接税中心に税制変更
「ちきりん案」
・所得税、法人税、相続税は大幅に税率を下げる。租税特別措置法や農業優遇税制などは廃止
相続税については、むしろ税率を上げる。
また、民法上の法定相続権者から兄弟姉妹甥姪を外すことによって、
これは「高齢兄弟相続発生により、相続人が認知症だったり、二次相続になることによって、
いつまでも相続手続きがなされない不在地主不良資産」の発生を予防する効果も有する。
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/law/9.htm
http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/20050809
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/p/129.htm
また、担税能力があるペット飼育者に「犬税」「猫税」を課すことによって、
税収を確保。
http://itaru-m.hp.infoseek.co.jp/coffee/93.htm
先述の固定資産税引き上げと合わせると、消費税引き上げ幅を最小限に抑えることができる。
とか、(都内のあばら家で)考えてみた。
そんじゃーね。
【民主党】デーブ「ばかげてる」 フィフィ「まともな外国人ほど、申し訳ない気持ち」 「子ども手当」、外国人タレントから疑問続々
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1269672527/
173 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2010/03/27(土) 16:07:04 ID:wBOIZhb10
>1
●結党以来、綱領はありません。
●"脱官僚"や"政治主導"という稚拙なスローガンを用いて日本国民を騙し、中国共産党を手本にした"独裁体制"を日本で実現します。
●"地域主権"という"地方への甘言"を弄して中央集権を破壊し、党の支持母体や外国勢力を含めた"地方からの国家解体"を進めます。
●支持団体である韓国民団との約束で、日本の将来に全く責任を持たない在日外国人に、国民固有の権利である選挙権を付与します。
●支持母体である部落解放同盟の要請で、"人権侵害救済機関"を創設し、"人権侵害"を恣意的に判断し、"自由な言論を封殺"します。
●特定アジアや亡国メディアの要求に従い、靖国神社参拝は今後一切行わず、無宗教である"国立追悼施設"を建立し、定着させます。
●"東アジア共同体"の構築の支障にならぬよう、"従軍慰安婦"や"強制連行"、"南京大虐殺"等の"歴史的な懸案事項"を"解決"します。
●"国連至上主義"を掲げ、常任理事国である支那や露西亜を日本の国防に参画させ、国連での意思決定を"金科玉条"として仰ぎます。
●子供手当てや高校無償化、高速道路無料化等、"次世代へのツケ"無しには実行不可能な恒久的バラマキ政策で財政を崩壊させます。
■あなたも民主党に参加しませんか?
ttp://www.dpj.or.jp/sub_link/volunteer/index.html
党員とは?
○民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上の方なら、どなたでもなれます。
サポーターとは?
○民主党を応援したい18歳以上の方なら、どなたでもなれます。
ttp://www.dpj.or.jp/governance/policy/index.html
>本党の党員は、本党の基本理念および政策に賛同する18歳以上の個人(在外邦人および在日の外国人を含む)で、入党手続きを経た者とする。
ttp://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/160cf7bbd61d29d022ac6b7ee6203036?fm=rss
次の三つの傾向が顕著になるにつれ、マスメディアなどの発信を専門とする中央集権的メ ディアは
縮小していくだろう。
1.インターネットの普及で、情報が流動化し、有益な情報を持っているのが必ずしも物書 きの専門家ではなくなってきた。
一般の個人が、専門情報へアクセスすることが幾らでも可能になってきた。
2.そして、個人が情報を発信しても、多くの人の目に留まり、評価するためのメディアが 発達し、
情報発信を発信して、皆に見てもらうための壁が低くなってきた。
そのため、もともと専門性を 持っていた個人が、本業の傍ら、情報を発信することが可能になってきた
3.更に SNSなどのコミュニティが、情報の選別・検証・発展などの役に立ち、
コミュニティに参加する人間全体の「集合知」を形成す るのが容易になってきた。
(ブログのコメント欄も、「集合知」形成の役に立っているので、積極的にコメントしてね!)
この3つの流れ: 情報のコモディティ化、情報発信の容易 化、「集合知」形成の容易化、によって、
個人が情報を発信し、それをコミュニティ全体で有意義な知を形成していく、ということ が可能になり、
中央集権的な専門的な文筆家がピンで対抗できなくなってきている。
生方氏解任―幹事長室に風は通らない
愚挙としか言いようがない。
民主党が、生方幸夫副幹事長の解任を決めた。産経新聞に掲載されたインタビューで、生方氏が小沢一郎幹事長らを批判したからだという。しかし、解任までしなければならないような発言内容とは考えられない。
生方氏は、小沢氏の政治資金の問題について「しかるべき場所できちんと説明するのが第一。それで国民の納得が得られなければ自ら進退を考えるしかない」と述べた。当然の見識だ。
「民主党の運営はまさに中央集権です。今の民主党は権限と財源をどなたか一人が握っている」とも語った。
皮肉まじりの辛口発言ではあるが、的外れな言いがかりではない。
小沢氏が選挙の公認権と政党交付金などの配分権を握っているのは紛れもない事実だ。元秘書ら3人が逮捕・起訴されても、党内から小沢氏批判の声はなかなか上がらない。陰では「小沢独裁」への不満が高じているのにだ。
解任の理由は、発言の中身というよりも、副幹事長職にありながら党外で執行部を批判した点にあるらしい。そこにいささかの傷を認めるにしても、処分の重さはいかにも均衡を欠く。
生方氏はかねて幹事長室への権限集中に異を唱えてきた。小沢氏が廃止した政策調査会の復活をめざす会も立ち上げ、鳩山由紀夫首相や小沢氏に直接訴えてきた。
それが気に障るから今回の挙に出たのだとすれば、常軌を逸している。「言論封殺」との批判を免れまい。
首相も解任に同調しているようだ。内部からの批判を許容しない体質に、実は首相も染まっていたのだろうか。見識を疑う。
生方氏解任を主導したのは、小沢氏に近い高嶋良充筆頭副幹事長だった。小沢氏は高嶋氏に「円満に解決できないのか」と語ったが、結局は「任せる」と応じたという。
上に立つ者が考えを示さなくても、下の者がその意向を忖度(そんたく)し、成り代わって行動する。意に沿おうと思うあまり、度を越すことも多い。抜きんでた権力者と、その取り巻きがしばしば見せる典型的な「側近政治」である。
それによって昨今の民主党は、風通しが悪く、暗い印象が強まるばかりだ。自由闊達(かったつ)を旨とする「民主党らしさ」はすっかり色あせた。
かつて自民党全盛時代の幹事長室は多くの来客が自由に出入りし、「歩行者天国」と言われることすらあった。自民党でも幹事長をつとめた小沢氏がそれを知らないはずはない。しかし、いまさら氏に改心は期待できまい。
党風を刷新するなら、内側からマグマが噴き上げてこなければならない。もう待ったなしのタイミングである。それができなければ、さしもの民主党への追い風もやむことだろう。
普通の人は「地方が集まって国家が出来る」と考えているのだろうが、私は逆で、「地方は国家に依存している」と考えている。(ウォーラーステインやネグリやハートにはまた異論があるのかも知れないが)
地方というのは地方で独立している訳ではなくて、国家の一機関として中央との関係の中で初めて成り立つものだと考えている。国家が消滅したり、地方が国家との関係を断ったりしたあかつきには、その地方は地方ではなく、新しい国家になってしまう。
地方を国家が完全に吸収するような中央集権と画一化は、国家だけを強化するかも知れないが、国家の論理だけでは地方の問題にほとんど全く対処できなくなる。
国家と地方が同時に存続するには、地方は国家の論理を継承しつつ、地方独自の論理で動かねばならない。地方分権とはそういうことであって、国家への依存と国家からの独立を常に併せ持つ概念である。独立しつつ依存もするというバランスが地方存続のコツになるのだろう。(逆に国家は地方の論理を継承しなければならないことはない。地方の独自性を国家に全部フィードバックして国家の同一性を保つことは普通は不可能だ)
法の世界では、地方は国家に依存していて、地方の条例は国家の憲法・法律・命令、あるいは国家間の条約から逸脱してはならない。
選挙はどうだろうか。国政においては国民以外の選挙権・被選挙権を認めないことで、国家の人事(選挙と国籍)の中で整合性を保っている。
地方は? さっき書いたように、地方であるということは国家であるということを不可避的に含むから、外国人地方選挙権を認めると、国家の人事と地方の人事の間の整合性はなくなる。それは合理的か?
合理性を追求すると、国籍を取得するか、あるいは特別永住権は国籍と同等に扱うという規定が必要になるだろう。外国は地方に責任を負えないのだから、果たしてどのような理由で外国の人事(外国籍)が地方の人事(選挙権)を決定できるのか、という合理性を欠くのではないか。
強いて言えば、多民族国家のように、多国家地方という概念を導入するという手はある。条約によって地方を両国の共同管理下に置くという手だ(アンドラ公国みたいに)。こうすれば複数の国家が地方に責任を負うので、複数の国家の人事が地方の人事を決定することはできなくはない。人事だけで言えば多国籍住民票は既に実現しているので、やってできないことはないはずだ。
ただ、国境問題でそうなっている地方ならともかく、そういう緊急性のない地方がそれをするためには、何か理論的なパラダイムシフトが必要になるだろう。そういう地方分権論を誰か作るとコクが出るのではないかと思うが、それはちょっと私の手に余る。他の人の意見を広く問いたい。
実は「地方分権」って、「愛国心」とか「宗教」とかの助けがないと、危ない橋でもあるんだよねェ・・・
ttp://chiraurasouko.blogspot.com/2009/12/blog-post_9329.html
299 ◆h26ZWDGHQc sage ▼ New!2009/12/09(水) 07:17:47 ID:/BkfXyZu
実は「地方分権」って、
「愛国心」とか「宗教」とかの助けがないと、危ない橋でもあるんだよねェ・・・。
明治以降「中央集権」を図ったのも、「安全保障上、政治に地方色を出すと危ない。」からだと思うのね。
今は「道州制」ぐらいの段階でお茶を濁して段階的に「地域色」を出さないと、
「統一して中央が司らないと危ない安全保障・外交」にも、勘違いした「地方」が暴走する「可能性」があるから。
別に九州や北海道が、ではなく、等しい可能性ですべての道州にその可能性はあると思うのね。
「ローカル内」で経済・娯楽(実はこれが一番重要な気もする)が回るのであれば、
301 日出づる処の名無し sage ▼ New!2009/12/09(水) 07:21:19 ID:oTiicxaD
»299
君主論の書かれた時代のイタリアみたいになるんではないかなーと思ってます。
町ごとにバラバラ。
結束力が無い国。
『経済的合理性以外が働かなければ~』
↑要はココ。ココで一捻り。
子供を育てることに経済的合理性があれば、そりゃ経済的合理性だけでものを見ても、子供を育てるよね。フランスがやってるのはコレだし、まったくフランスと同じ形式ではないにせよ、欧州各国もそれに近い形を行い初めている。今まではココがほったらかしだったわけだ。
でもこういう路線が軌道に乗れば、それで人口は一定数確保できるようになるだろうし、現実そうなり始めている。
資本主義はまだまだ開発途中のシステムという一面もあって、古い中央集権時代に合致していたけれど今は合わないシステムや習慣(教育にコストをかける必要がない時代は一定数産むことは即合理性に繋がった)が、まだまだ残っている。人口減少はその一例で、古いシステム体制に合わせていた部分が修正されていけば、安定ラインに入ると思うんだ。
まず最初の議論である男女平等は、むしろ社会に有益だっていうのは、何度も書いたと思う。
今人口が増えなくなってるのは単に、システムの調整が追いついていないのと、資本主義化の過程で増えすぎて、頭打ちに近い状態になっているだけで、社会システムを父権主義つまり中央集権社会に戻せば、むしろ人口はだだ減りになるだろう。何せ抱え込んでおける人口が少なすぎる。(他に依存できる資本主義社会があるのなら、そこへなんやかや輸出することでどうにかなるかも知れないが、そういうのはいずれ頭打ちになるので、自身も資本主義化せずを得なくなる)
んで、猿の惑星に関しては、個人的にはOK。全然構わんよ。
奴らが人間の文明を引き継いでいるのなら、それで子孫も同然だと思うよ。むしろ血だけ継いで、システムを引き継がなかった人の子孫の方が、他人の気がする。
そしてこれは人類への博愛のつもりだよ。自分の中で人類は叡智の大系を継ぐ者の連なりだと思っているから。
とは言え、これはもう完全に感性の問題だから、猿の方が嫌って人もいるのも分かるんだけどね。
あと二つ目の質問に関して言えば、人口が減って社会システムが駄目になります、なんてことはまず無いだろうと踏んでいる。
最初にフランスとかの例で書いたように、社会システムの方が現状にあった形に追いつきつつあるしね。要は子育てに質が求められるようになって以降、かかるコストや手間が増えて、それが限界にまで達して各個体が子供を育てるメリットが低くなったのが現状で、そのコストを社会へ分散させればいいってこと。しばらくすれば、資本主義社会が抱えておける人口の上限近くを、多少上下に振動しながらも、落ち着くポイントにつくんじゃないかな、と思う。そこから先はより効率の良いシステムが出来るまでは増えないだろうけど、少なくとも中央集権社会の上限よりはずっと高い地点であることは間違いないだろう。
日本のシステムはやや出遅れたスタートで、先進国の中では男女平等化が遅れているし、その分子育てのコストや手間の分散も遅れている方だけど、これは仕方あるまい。資本主義化が始まるのが東洋では最も早かったとは言え、西洋に比べるとちょっと遅かったし、起こる現象が全体的にワンテンポずつ他より遅い部分はあるに決まってる。
大体そんな感じかな。
おし、話をまとめてみよう。
という、論理を持っているわけだな。
ただ1が成立するためには、「人口増加率は文化ではなく、血筋によって決定する」
さらに1と2から3を導くには、「そもそも男尊女卑は、文化ではなく、血筋による本能的な行動である」
がないと駄目なんじゃなかろうか?
で、実際は、人口増加率は「社会システム=文明・文化」によって決定するし、男尊女卑は文化だったりするわけだから、それ以外の部分2が論点として議論されてきたのではないかな、と。
でも自分としては1も3も成立しないし、2も成立しないと考えている。
そもそも発展途上国の人口増加率が高いのは、中央集権社会もしくは部族社会から、資本主義へ移行する真っ最中だからだ。
前にも書いたように、資本主義化以前と以降では、社会が抱え込める人口のキャパが全然違うからそうなる。男尊女卑のみで人口ががんがん伸びるなら、18世紀までの世界の方が、今より人口が多くてしかるべきだけど、実際は逆だ。
概ねどこの発展途上国でも、最初はどこかの資本主義社会に依存して人口を伸ばし、これが頭打ちになりかけたあたりで、自分自身が資本主義化しようとする。
例えばイスラム圏の石油産出国が出生率高くなるのは、それをバンバン買い取ってくれる資本主義の国々があるからで、これが停滞しかけた時点で自分自身で資本主義を運転できるように切り替えて行こうとするわけだ。(他にも植民地の宗主国が資本主義だったために、彼らに依存する経済を走らせているうちに変化していく場合も多い。特にアングロ・サクソンに支配されていた旧植民地によくあるパターン)
そうなってくると、元々被差別者だった人たちの就学率をたたき上げるのに国が必死になるし(男女差別のみならず、インドでのカースト制度なども。どちらもしばらく国民からの反発は食らって一瞬で変わるわけにはいかないが、徐々に変化してきてはいる)、文化的にも一般的な資本主義社会の平等主義に近づいていく。
人口がバリバリ伸びてるサウジにしたって、ある程度成長しきった地域は、石油依存から抜け出すべく、女児の就学率上昇が必須課題になったりしている。
この過程にしくじると、伸びた人口を維持できなくなって、内戦・紛争で人口を減らしだしたりするはめに陥るんだけど。(資本主義とのつきあい方を学べないまま、宗主国との関係が切れ、途端に内紛バリバリになったソマリアとか)
あと渡来人に関しては、そもそも彼らの方が大陸仕込みの生産力の高い文化を持っていたから、やってきた彼らの文化が強い影響力を持ったんじゃないかと思う。文字は法や歴史書・技術書を書くのに重要な存在で、これの扱いの効率が良いと法治の効率が良くなって、生産力を上げるのに一役買うだろう。こういう生産力を伸ばしてくれる文化を持っている側が、移民するにしろされるにしろ強い影響力を持つ。どちらがどちらへ移るかはあまり関係ない。
それこそ、縄文人の文明を、稲作できる弥生人の文明が飲み込んだりとかもしたわけだし、日本の技術者が発展途上国にODAで向かったとして、文化的影響を受けるのは発展途上国の方だ。華僑は金を稼ぐという、それこそ資本主義社会においては根幹とも言うべきスキルを持っているわけだし。
えーっと、要はだ。
いくら元々男尊女卑をしてきた人たちが、資本主義社会にバンバン流入してきて人口を増やしたとしても、資本主義社会の方が生産力が高いから、どんどん資本主義化してしまうし、そうなると男尊女卑も消えていってしまう。
だから血筋的には増えたとしても、そのころには生産力の低い文化である男尊女卑自体は消滅してしまっている、んじゃないかなぁと。
もちろん恥の感情自体がなくなるわけじゃないんだけど、原始的な生活を持続している部族の人とかで、子供に恥部見られた父ちゃんが、恥のあまり自殺してしまった、とかがリアルにある世界みたいだから(うろ覚えでスマん)、恥のレベルが根本的に違うと思うんだ。
あと空気嫁に関しては、日本が若干特殊というか、「日本は原始社会から中央集権社会への改革があまり行われないまま、資本主義社会制度を輸入して取り入れたせいで、罪の意識が低く、恥の意識が強い、やや特殊例」という説を前提に考えているので、日本社会にそのまま当てはめるとアレかも。
衝動がなければ云々に関しては、最終的にはちょっとした「知的好奇心」と、「死ぬか生きるかなら生きる方を選ぶ程度の生存本能」くらいは残らないと何も出来ないと思うけど、逆にそれくらいさえ残れば、脳みそで色々考え倒した理屈を、プログラムとかで機械にさせるような、そういう形なら成立するんじゃないかな、というか強い行動を伴う衝動でしかできない仕事ほど、機械化がされるのが早いジャンルだと思うんだ。
あ、あとあんな長い文章読んでくれてマジthx