はてなキーワード: ストラテラとは
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
【前回の話↓】
https://anond.hatelabo.jp/20230225171843
健康診断とWAIS検査の結果を持って、三度目の心療内科へ参りました。
やはり血圧の低さ(基本上が100ない)によりインチュニブの服薬は断念。一番症状に合ってる感じだったからちょっと残念。
代わりにストラテラを勧められ、40mgから飲み始めることに。こちらはむしろ血圧を上げることがあるらしいから体には合ってるのかな。
先生に「意外と簡単に薬って出るんですね」と言ったところ、「簡単と取るかは人によると思いますが、グレーゾーンの人にも処方はしています」とのこと。「自分はグレーゾーンではないですよね?」と返すと「診察結果としては確定という範囲になりますね。WAIS検査からは読み取れませんが」とのお答え。
正直「ちゃんと生活出来てますし薬飲むほどじゃないですよ」とか言われるものかと。バリバリADHDの自覚もある一方で……人の心は難しい。
にしてもADHDの診断には無関係だし不器用の理由も不明なままだし、WAISの18000円はちょっとうれしくなるために払ったようなものだ。ちなみにやっぱりADHDはワーキングメモリー低い人が多いらしい。
ということで、先程夕食後に記念すべきストラテラ第一錠を飲みました。なんとなく腹の中がモヤモヤする気がする。
「絶対ADHDだけど薬飲んだら良くなんのかな」と思い続けてはや幾年、うまいこと効きますように。
【↓続き書きました】
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
【前回の話↓】
https://anond.hatelabo.jp/20230202130751
②で送ったアンケートとCAARS=ADHD診断スケールの結果をふまえて、心療内科で30分のカウンセリングを受けてきました。
まずはCAARSの結果。6個中2つでADHDと判断されるところ、見事に6ヒット。これにより「ADHDの診察を受けに行った話」は晴れて「ADHDの診断がおりた話」となりました。タイトルは変えないけど。
ちなみに注意欠如(最近は欠陥と言わないらしい)より、多動の項目の方が重いとのこと。これは自覚がありあり。
ADHDの偏差値表みたいなものもあって、平均的な人を50とすると自分は不注意偏差値70・多動偏差値90・総合偏差値83。ちなみにグラフ上90がMAX。
まぁこれは自己申告に基づくものなので、悩んだ末病院まで辿り着く人は概ね高いものなんじゃないかと。
ちなみに「自己概念の問題」という自尊心の低さをはかる項目もあって、これは偏差値40以下でした。自信満々の多動。これが高いと二次障害が心配なんだろうな。
そこからはADHDとはどういうものかの説明を受け、「注意力散漫だったり集中力が続かなかったりより、喋りすぎてしまうことに困っている」と相談しました。発達障害の対人関係には孤立型、受動型、積極奇異型、尊大型があるというけれど、まさにこの積極奇異が一番の問題。
ADHDですよ〜と言われてもそりゃそうだよね〜という感じでしたが、この話をしているときはなんでか妙に悲しくなりました。「ミスばっかりする人」もつらいけど、「なんか変なテンションでぐいぐい来る人」もキツイんだよな。周りからは悩んでるように見えないだろうし、話してるときは自分もノリノリだし……
最後に服薬の話。候補順にインチュニブ・ストラテラ・コンサータを挙げていただきました。
インチュニブは「多動と衝動性と感情に対する薬」だそうで、まさに自分向き。ただ元々は血圧を下げるための薬なので、低血圧だと飲めないとのこと。普段上100切ってるから厳しいかと思いきや、その場で測ったら120ありました。無事飲めたらいいな。
ということで今回の診断は終わり。30分あっという間でした。ちなみに初診が3000円、今回が5000円ぐらい。
次回はWAIS検査の結果を聞いてから、いよいよ薬の処方が始まる予定。発達障害の診断って時間がかかるイメージだったけど、意外とポンポン進むなぁ。
【続き書きました↓】
タイトルでわかると思うが私は先日ADHDという診断を貰いストラテラを服用し始めた。そしていつものようにpixivで推しカプの作品を漁ってたら異変に気がついた。
「え……? なんで知らないカップルのいちゃいちゃを見せつけられてるの?」と思ってしまったのだ。
私は昔から空想癖が激しくて小学生の頃は授業中や休み時間、寝る前の布団の中などで少女漫画ならきらりん☆レボリューションやミルモでポン、ゲームならポケモンの世界の主人公になりきって色々と空想を繰り広げていた。内容はだいたいイケメンキャラに迫られるみたいなしょうもない内容だったと思う。そして中学生くらいになるとネットで二次創作を漁り始めた。だいたい女主人公受けの内容が多かったと思う。そしてその二次創作を元に布団の中でまた妄想…というルーティーンを繰り返していた。
自分で二次創作し始めたのはつい2年〜3年前だ。今までは布団の中の妄想で満足していたのが突然、アウトプットしたいと思うようになった。別に絵を描くのが好きというわけではなかったが、ポスターやら絵画やらが受賞したことは何度もあり、親も絵を描くのが趣味なこともあって子供の頃からコピックや水彩、油彩にアクリルガッシュ、パステルなど様々な画材を与えてくれた(別にコピックだけでよかったのだが)。今まではアナログでしか絵を描いたことがなかったが、ADHD特有の衝動性でなぜかいきなり高い液タブとクリスタを購入。そして買ってみたらびっっっくりするくらい描きやすかった。私はアナログよりデジタルが向いてる人間だったんだと知った。両親よ、ごめん。
これまたADHD特有の衝動性でスカルプターとかソッカとかモルフォとか有名所の教本を買って(ルーミスはさすがに古いらしく買わなかった)、ADHD特有の過集中で一週間程度で全ページの模写を終えた。画力は高くなった気がするが二次をするならやっぱ今風の絵柄を身に着けないとと思い、好きな作家のイラストを保存しまくって、最大公約数的な絵柄を試しに描いてみる。「おお、個性はないけど今風じゃないか?」
試しにハマってるジャンルの一枚絵を適当に描いてpixivに上げてみた。あっさり4桁ブクマ。お次は男女カプ(というより夢?おもくそ自己投影してるので)の漫画を描いてみる。これまた4桁ブクマ。
せっかくだしと思いTwitterも作って趣味の合う人とそれなりに楽しくやっていた。それから精神科に行ってADHDという診断を受けてストラテラを処方してもらった。そこまではいい。服用してから数日したら二次元にめっきり萌えなくなってしまったのだ。今までは容易に感情移入できてたのに、推しカプを見ても知らない人のイチャイチャを見せつけられてる気分になってしまう。そもそも二次創作なんて長時間作業しても読まれるときは一瞬、コスパ悪すぎるし馬鹿げてると妙に冷静になってしまった。
これが健常者の感覚なんだろうか…。妙に気分が落ち着いていて変な感覚。不思議なことに創作意欲が全く湧かない。二次元キャラに対しても「こんな意思疎通の取れない相手に今まで何恋愛感情に近いものを抱いてたんだろう…」と思ってしまう。すごく悲しかった。
Twitterのタイムラインを眺めていても全然ピンと来なくて、知らない国に来たみたいだ。
彼氏に二次創作が捗らないことを嘆いたら「正直、○○(私)の推しに嫉妬してたから俺の相手をしてくれて嬉しい」と言われてしまった。いや、二次元に嫉妬って心狭いな。
まず自分の症状、困っている事については、
デスクワークの仕事中に耐えられない程の眠気を感じ、寝てしまうというもので、
新しく仕事を始めてはクビになるという事を繰り返していた。
現在28歳であるが、年々と日中の眠気が強くなってきている様な気がしていて、
ある時、自分の適性にも合っていると思えて内容も楽しいと思える仕事を始められた時、
「この職場は慎重に、ボロを出さずに長く続けよう」と自分の中では決意したのだが、
上司の方には昼寝さえ改善出来ればこれからも雇用していきたいと、
優しく言って頂いてはいたのだが改善できず、半年ほど粘ったが泣く泣くクビとなった。
自分も相手もお互いに関係性を維持したいが、自分の寝坊、約束の反故、無断欠勤(バックレ)等により
原因は紛れもなく自分自身なのだが、破壊したくてそうしているのではなく、
自分でもわからないがいつの間にかそうなってしまうというのが本心であった。
思えば自己防衛のためか、「どうせいつか壊してしまうのだから」と、
わざと深い関係にならないよう、壁を作るようになっていた気もする。
そんな人生であったが1年程前から、尊敬できる女性と同棲する事となった。
今までは適当な仕事を消化して、たまに風俗に行って、金が無ければ消費者金融に借り、
誰かと人生を共にするとなると話が違ってくるのでは、と急に焦り始めた。
そう思って始めた仕事の顛末が半年ほど粘ってクビになった前述の事であった。
そんな頃、やっと今まで避けていた原因追及に乗り出した。
そもそもの人としての「土台」が怪しくないか?と思い始めていた。
若い頃から夜型の生活をしている人がなりやすいという病気?だった。
治すというよりうまく付き合っていけるかどうか、というような話をされた。
ネットで同じ症例の記事を見ていると「ADHDやASDと併発している人が多い」との記述があった。
今まで冗談半分で「俺はADHDだから」と言ったこともあったが、
冷静に思い返して調べるほど真実味を増してきた。
「多動」や「よく喋る」などの特徴には当てはまらなかったが、
「忘れ癖」「ケアレスミス」「片付けられない」「スケジュール管理が苦手」など、
かなり当てはまる点が多く笑ってしまうほどだった。
そうしてまた次の職場でこそこそ寝ながらも、精神科のクリニックに通い始めた。
そこで処方されたのが「アトモキセチン(ストラテラ)」であり、
「メチルフェニデート(コンサータ)」と共にADHD界隈を支える二大巨頭の一つらしい。
アトモキセチン40mgから飲み始め、80mgに増やした所、
もちろん、アトモキセチンは効かずにメチルフェニデートの方が合うという人もいるし、
40mgでも十分効く人もいれば120mgでも効かない人もいるだろう。
自分の場合、40mgを服用していた時は特に効果、副作用ともに感じず、
言われてみれば日中少し脳がすっきりしているかな?という程度であった。
それが80mgに変えた途端、はっきりと体で、脳で効き目を感じるのだ。
午前午後それぞれ100%寝ていた自分が、眠気を一切感じずPCに向かい作業している。
眠さを必死にこらえながら12時の休憩を今か今かと待たずに済むなんていつぶりか。
昼食後、油断が出てくる14時!飯を食った後に眠くないとは何事か?
昼休憩中も起きていたというのに、何が起きている?
意味も無く続けていたカフェイン錠剤をコーヒーで流し込むという荒技は何だったのか?
120mgを飲んだらどうなるんだとか、じゃあメチルフェニデートはどんな感じなんだとか、
もちろん容量を増やせばその分の副作用とも付き合っていかなければならないだろうし、
一生飲まなきゃいけないのかとか、
効かなくなる時が来るのではとか、
冗談抜きで人生が変わる、というかやっと普通に働けるかも、と思った。
自分のような昼間にどうしても寝てしまうタイプの社会不適合者が、
もしかしたらADHDで、それは薬で抑えられるかもしれないという、少しの希望になればと思う。
効かなかったらすまんが、その時はまた別の方法を考えよう。。
この増田(anond:20221114191846)、服用による改善の個人差が気になっていたのですごい参考になった。
ストラテラを服用しているみたいだけど、私はコンサータを服用しているので、そのレビューをしてみる。
同じくコンサータを服用している人、もしくは治療薬を服用するか悩んでいる人の参考になれば幸い。
あと自分語り。
30代後半男性。ITエンジニア。20代はディレクター、30代からITエンジニアに鞍替えし、今に至る。
20代中盤でうつ病になり、サインバルタを処方される。その後ADHDやらパーソナリティ障害も発覚し、コンサータ含め色々処方され、現在も治療中、服用している。
ADHDの症状に記憶障害がある。鳥頭ってやつ?私はずいぶん苦しんでいたけど、コンサータを服用してかなり改善された。
プログラムを触る人にとってこの症状は致命的で、考えたことをすぐに忘れるから論理が成り立たなくなって構築していたプログラムがすぐに崩壊する。
コンサータを服用してから、ある程度だけど論理的思考が可能になって、業務効率も上がった。
余談だけど、今でもオブジェクト指向に則った構築はできない。
上とちょっと被るんだけど、記憶障害は会話のキャッチボールにも影響が出る。
今までは相手の会話が頭に入ってこなくてそもそも議論というか会話自体ができなかったけど、相手の会話をインプット、整理できるようになって、ある程度だけど議論できるようになった。
ただ長考することもある。
服用するまでは、2つ以上タスクがあると優先度を無視してあっちらこっちら気移りしながら業務をしていた。
服用後、ある程度は集中して業務をこなせるようになった。
ただ本当にある程度で、2時間くらいしかもたない。(個人差あり?)
これが一番大きいと思う。
服用前はそんなに意識はしていなかったんだけど、服用して「普通」を知ったことで、自分は劣っているんだという認識が強固になって、劣等感が増してしまった。
割り切れればいいんだけどね。なかなか難しい。
先の増田にもあったとおり、趣味が義務になって楽しくなくなったからなのかな。よくわかんない。
現在、36mgを一日二錠服用しているけど、保険適用で一か月分で7千円くらいかかる。
診察費とかも含めると一回の通院で1万オーバーになる。他の薬代も含めると1万5千円くらい。これには参った。
なので自立支援の制度を利用させてもらっている。薬代で困っている人は区の制度を見てみてほしい。
なんであんなに高いんだろうね。
当たり前なんだけどコンサータはADHDの症状を改善させる薬なので、ADHD以外の症状には変化がなかった。
コンサータ服用前後での変化に驚いて、これなら他の症状も治るんじゃない?って期待してしまった自分が悪いんだけど。
ただ、私はパーソナリティ障害も抱えているから変化がなかったのかもしれない。
服用して集中力が向上→私もやればできるんじゃん→自己肯定に繋がるから、人によっては変化はあるかもしれない。
先の増田では勃起力が弱まったってあったけど、幸いにも私にはそういった症状は出ていないみたい。
年齢相応の勃起力ではあると思うし、デイリーで性欲の発散もできる。これも個人差なのかな。
色々弊害はあるけど、服用してよかったと思っている。というか私の生業で生きていくためには服用するしかなかった。
ADHDの症状は概ね改善されて、業務もなんとか普通の人たちに追いつけている、たぶん。
ただ、自分が劣っているという劣等感が強くなってしまって、治るはずのうつ病をずっと引きずっている。
一昨年?にコンサータを服用するには特別なカードが必要になったんだけど、そのカードを持たされると、改めて私は劣っているんだなと考えてしまったっていうのあると思う。
もしコンサータ、ストラテラのようなADHDの治療薬の服用に迷っていたら、先の増田にもあるとおり、まずは担当医に相談するのがいいと思う。
自分も長年飲んでる人だけど、もはや服薬してなかった頃の自分ってどうやって生きてたっけって感じ。
服薬し始めてから知り合った嫁には当然伝えてるけど、いつか飲んでない素の残念な自分を見せるのが少し怖いし、
就職して1年くらいで業務不適合で休職→復職デイケア中に成人に対するストラテラの処方が解禁されてそれからずっと飲んでる。
復職後は再休職無し。最近昇進したけどそんなに給料は上がってない。
この二点が改善されたことは相当大きくて再休職が無いのはこれがでかいと思う。
性欲は昔と比べたら減退してるけど加齢のせいでは?と思うのでわからない。
いろんな意欲が無くなったのは感じるけどこれも加齢のせいな気がするからなんとも言えない。
創作意欲は元々無かったけど最近AIの補助をつかって小説を書いたりAIお絵かきをやってるからむしろやってる方かもしれない。
ストラテラは合う合わないが他の薬よりも大きいように見えるので慎重にやった方が良いと思う。
何年飲んでるかは忘れたが、
40代前半男性、技術職。比較的コミュ力が無くてもなんとかなる仕事なので、それなりに成果が出せて概ね評価して頂いている。
幼少の頃から人付き合いに難があり、それは今も変わらない。ことあるごとに人間関係に起因してコミュニティを変える、というような生き方を否応なしにしてきた。
30代で精神科にてWAISを受けたりしたが、ADHD、ASDの傾向は人より強いものの確定診断できるほどではない、というお話。
それでもしんどいんですよ、という話をしたらコンサータが処方された。
それまでは朝起きるのが死ぬほど苦しいし、日中は眠くて仕方がなかった。仕事中にデスクでうつらうつらして先輩に怒られたこともある。充分に睡眠をとってもだめ。
コンサータのおかげで、朝は薬を飲んでしばらくすると苦しまなくても動けるようになった(これがどれだけありがたいかは筆舌に尽くしがたい。これだけでQOLが爆上がりなので薬を飲んで良かった)
おそらく、ナルコレプシーとまではいかなくとも過眠症のけがあったのだと思う。コンサータの効用としては副次的?なのかもしれないが、これが一番ありがたかった。
おかしな話だが、この眠気が改善してはじめて、自分は異常な眠気に悩まされていたのだという認識を持てた。
これは、飲まないよりも良いという程度。もともと確定診断が出ない程度だったから、かもしれない。
たしかに物事に集中するのが楽になり、注意の切り替えは未だに苦手だがマシになり、飲む前よりも落ち着いた人間で居られるという自覚がある。
これは上記の点が改善されたからだが、生産性は格段に上がった。
コンサータがなかったらこの数年のアウトプットはまったく異なっていたと思うので、まさにコンサータ等の薬に人生を助けられたと言っていい。
正直な話、特に無い。
金がかかる、飲むのが面倒、薬をもらいに定期的に医者に行くのが面倒、などはあるのだが、それを補って余りあるメリットが俺にはあった。
クリエイティビティにも影響は感じない。むしろ生産性が上がっている分、マシになったのではないか。
勃起力は変わらないと思う。
これは改善されない。
未だに人付き合いは苦手だし、人と居るときの眠気が薄まっただけマシにはなったが、まあそれだけか。
人付き合いが得意になったという感じは1ミリも無い。
上とも通じるが、結局のところ人生は人付き合いみたいな所がある。そして、その部分は別に改善されていない。だから、そういった意味での人生の苦しみは変わらないと言えば変わらない。
しかし仕事や趣味で成果を出して評価を得るとか、眠気で動けない休日を有効活用するとか、そういう意味ではQOLは向上した。
総合的には薬を飲んで本当に良かった。まだ試していない人で、なんとなく嫌な印象で飲んでいないなら試してみると良いと思う。
これで人格が変わるとかは一切無い。あなたのコミュ障も別に治らないから安心して欲しい。そして薬を辞めればすべて元に戻る。それでも飲む価値は、個人的にはあった。
ただ薬は人によって合う合わないがあるので、一つ試してダメだったらさっさと辞めて次を試せば良いと思う。俺はストラテラは眠いし気持ち悪くなってダメだった。
メガネが必要な人がメガネをかけるようなもの、はまさにその通りで、薬はたかが薬だ。
改善しうるADHDの症状 | 多動・多動による不注意・過集中 |
---|---|
効能 | 思考のざわつきが収まる。脳内リソースに余裕ができ、合理的に判断できるようになる。 |
副作用 | 感情の減衰 |
注意点 | 飲み続けることで効果が高まるので、飲み忘れ対策をする必要がある。 創造的な仕事は感情の減衰に引っ張られて効率が落ちる。 死への恐怖も減衰するため希死念慮があるとまずい。「人生めんどくさいし、死んだ方が楽そう!」とポジティブに検討し始めてしまう(ので、やめてもらった)。 |
改善しうるADHDの症状 | 意識の薄弱・意識の薄弱による不注意・過眠 |
---|---|
効能 | 意識が一段階クリアになる。集中が切れにくくなる。対象に興味が無くてもやる気が湧くようになる。 |
副作用 | 食欲の減衰・躁鬱傾向の増加 |
注意点 | 薬物乱用歴やそのケがあると処方されない(準覚醒剤みたいなものなので)。 医師側に資格が必要なので処方できない医師が多い。 使用者登録と処方時に登録を照合をする必要がある。 12時間眠気が飛ぶので昼以降に飲めない。 |
こういうレビューありがたいです
自分はコンサータですが、何か一つのことに集中する力が上がった感じは同様にあります
ただ、想像力?のあたりはストラテラとは違うようで、想像する方面への集中力も同じように上がる感じがあるので、自分は逆にそういった活動も以前より精力的に行えるようになりました
元増田と同じく業務不適合起こして降格と閑職へ一時的に異動したときにメンクリへ受診。
ストラテラを処方された。
2週間に1度くらいの診察で薬の量はどうかなどを決めていってその分を処方される。
用量は覚えてないけど、少な目→中くらい→多め→中くらいの流れだった。
最終的にコンサータに手を出したかったものの、処方できる医師が捕まらなかったのと、
同時にカウンセラーが変わったタイミングでカウンセラーからのプレッシャーが強くなった感じがあってそのメンクリからは離れた。
今は何も飲んでない。
頭の中がすっきりした感じで仕事しやすくなるなどがあるみたいだが、
正直閑職でほぼほぼ何もすることがなかったのと、後述の飲んだ後の副作用がキツくて午前中は仕事にならず、午後は昼めし食った影響の眠気が倍増してどうにもならないという日々が続いた。
徐々に作業を渡されたが、考える方向が変な方向には少しは行きにくくはなったが、集中力などは変わらずといったところ。
飲み始めて30分たったあとから倦怠感が半端なく、30分~1時間くらい続き、その後も眠いようなボーっとした感覚のままなので午前中は仕事にならない。
飲み続けることで「慣れ」はあったが、ストラテラの量を増やしたら増やしたで倦怠感が強化されるので一番多い時期から少し減らしたタイミングまでは地獄だった。
性欲は飲む前よりは減退したと思うが、加齢も要因かもしれないので一概にいえない。
感覚過敏は当時はなかったが、今のほうが過敏になったかもしれない。
クリエイティブなことを考えることができなくなったのは起きたと思う。
その時期に思いついたものがないのでそこだけすっぽり抜けている感覚がある。
1年飲んでも効能は得られないし、副作用の影響のほうが大きくやめてしまった。
離脱症状はあったものの、飲んだ後の倦怠感以下のだるさしかなかったのでそこは問題なかった。
ヤッホー、お前らが大好きなハッタショ増田だよ。
発達障害の話題(anond:20221113233839)が注目トピックに上がっていたので、前から書こうと思っていたADHD治療薬(ストラテラ)のレビューをしたい。
30代後半男性。デスクワーク。総合職勤務だけど仕事内容としては法令知識等の専門性が求められる部署で新卒から働いている。
高校までは成績もよく、旧帝のどれかに現役で合格して入学したものの、大学時代に授業についていけず引きこもり、留年を経験する。
何とか卒業して新卒で就職した会社では業務に不適応を起こして迷惑をかけ、降格になる。
そのぐらいの時期に初めて心療内科に行き、ADHD(と軽いASD)の診断とストラテラの処方を受け、かれこれ7年飲み続けている。
(後に会社も特にその辺りの事情を明かさず転職し、どうにか働けている状態)
⇒たぶん元々できる人には全然及ばないと思うけれど、絶望的に苦手だったタスクの洗い出しや長期的な計画立案など、
ADHDの人が苦手とする作業について腰を据えて考えられるようになった(スキルや経験値が上がる訳ではないので、そこから出来るようになるかは訓練次第)
また、前は音が鳴ったり姿がチラついたりした時についそっちを見てしまって集中して話を聞く事ができなかったが、それも改善された。
・頭が真っ白になる機会が減った。
単純にしゃべるのが苦手なんだと思っていたけど、意見を求められた際に頭が真っ白になったり脳みそが空回りしたりする感覚があり、
就活のGDで議論についていけなくなったり、会議で意見を求められた際に言葉が出てこずとても苦労していた。
その感覚がなくなり、当時の自分からすれば驚くぐらいスラスラ言葉が出るようになっている(但し話が上手くなった訳ではない)
・感覚過敏が減った
自分の場合、他の人が平気な場面でもしかめ面をしてしまうぐらいまぶしい光が苦手だったのと
飲み会やパーティーなど騒がしい場面で全然声が聞き取れなくなっていた困りごとがあったが、それぞれ軽減された。
幸いなことに薬が合わないとか気持ち悪くなって飲めないとかはなかったが、それでも下記のネガティブな影響は感じている。
・勃起力が弱まった
もちろん添付文書には副作用として書いてあって、自分もそれと他のQOL改善を天秤にかけた上で飲むことを選んではいるんだけど、結構キツい。
服用してなかった頃ほどビンビンにならないだけでなく、絶頂に行く前の変なタイミングで漏れ出すように射精することが増えた。
翌日服用していない状態だとマシになるので、先生に相談した上で性行為の予定に応じて服用タイミングと量を調整して何とか凌いでる。
(バイアグラも処方できるけどどうする?とは聞かれてるが、まだそれは早いかなと思ってる)
増田は元々作曲・DTMが趣味の一つだったけど、前はふとした時に浮かんでいた曲のフレーズなどが浮かばず、作曲趣味が義務みたいになって楽しくなくなった。
それを生業にしている訳じゃないからダメージは少ないが、デザイナーとか面白い企画考える人(プランナーや放送作家等?)とかみたいに
クリエイティブな感性が求められる仕事の人はよく相談してから飲むか決めた方がいいと思う。
⇒こだわりが強いとか、人付き合いでMPが減っていくとかの部分。その辺りを改善する薬は今のところないらしい。
⇒会社にいる普通に仕事できてる同僚や後輩を見ると、自分って年齢なりの情緒や考え方の発達ができていないなと感じる時がある。
これまでうまく人付き合いができなかったツケのような部分であり、薬がそこまで改善してくれる訳じゃない。
ADHDは、その症状自体というより、その症状によって自信を失ってしまって社会から遠ざかったり二次障害の鬱になったりしてしまうのが問題だと感じる。
今は各社からジェネリックも出て薬価も最初の頃ほど高くなくなってきているし、自立支援医療の制度もあるので
服薬して改善できるところは改善して、少しずつ社会への折り合いと自信をつけていくというアプローチは考えてみてもいいんじゃないかと思う。
(心療内科の先生も「服薬を過度にマイナスに感じる必要はなく、メガネが必要な人がメガネをかけるようなもの」と言っていたし自分もそう感じてる)
「何らかの問題に対し別解が思いつかなくなる」「やれば一応そのことをやれるっちゃやれるがそれ以外できなくなる」という感じだった記憶はあるが
https://www.38-8931.com/pharma-labo/column/study/concerta.php
薬のききかただけど、コンサータの時はギアが入る感じ、ストラテラはスーンとする感じでききかたは確かに違うけど、どちらも仕事に集中できるようになったよ。
30代前半・診断済みADHD
夫
30代半ば・たぶん健常者?
増田はADHDと診断されてから、仕事や家事をするためにコンサータという薬を飲んでいたが、
2020年からコンサータの処方が厚生労働省により厳しく取り締まられることになり、
インチュニブという薬を試したものの低血圧になってしまい合わず、
それとは別に夫とはだんだんセックスの頻度が減ってきており、増田は悩んでいた。
増田が結婚前より7kg太ったからか?(→その後4kg痩せ、今は+3kgくらい)
ある夜、夫も増田もあまり寝付けずにいたので、セックスレスの話を切り出した。
結婚するまではデートのたびにラブホテルに行っていた我々が、今では半年に1回レベルの性交渉になっている。
そう問いかけると、夫はそういえば……と答えた。
「なんか、手マンしても昔みたいに貴女が濡れない。それが面白くないからかも」
……確かに!
昔はベロチューするだけでぐっちょぐちょのべっちょべちょ、
帰りにこのパンツ履いて帰るのやだな、とまで思えるくらい濡れていた増田の膣は、最近全然濡れない。
涸れ井戸にでもなったのだろうか。
なにか原因があるはず、と思うと、ADHDの処方薬、ストラテラが思い浮かんだ。
膣が濡れにくくなったのとストラテラをのみはじめた時期が重なるのでは?
主治医に確認するのはやや気が引けたので、有料でお医者さんに質問できるサイトを使ってきいてみた。
インターネット、何でもあるな。
お医者さんの回答によると、ストラテラ服用者の1%未満に性交痛が起こるらしい。
性交痛が起こるということは、きっと膣が濡れにくいからだ!!!副作用だったんだ!!!
・喉が乾きやすくなる、
・長年悩まされていた花粉症症状が軽くなった
ということを実感していた増田だが、
喉の中も粘膜、鼻の中も粘膜、ならば、膣の中も粘膜なので乾きやすくなっても不思議はない。
ストラテラの副作用でEDになる人はインターネットに多く見られるが、
そもそもADHD持ちは男性より女性が少ない傾向にあるから今まであまりメジャーにならなかったのかもしれない。
・主治医はコンサータ処方医にはなれない(入っている学会の関係)
・服薬しないと仕事のみならず日常生活に支障が出るので何かしら服薬はしたい
・ローションを使っても夫は楽しくはない
以上から、コンサータ処方医が居る病院に転院するしかないっぽい。
・発達障害やアスペルガーは人間の新しい形式であるということを周知する。
・近年の「発達障害」という概念の広まりは発達障害者を救うものではなく、社会における差別やレッテル張りを加速させるものにしかなっていなかった。
・診断がつくようになり本人の困りに説明が付く、のではなく、社会による忌避の手段に「あいつは発達障害だから、アスペだから」というレッテル張りが追加された。
・発達障害と言う用語を、特に「障害」を、別の意味に取り換えることを議論する。(現状、この記事では以後も発達障害としておく)
・定型発達と言う用語については、「定型」妄想障害とすること。自分達の生活やコミュニケーションの方法が常に正常であるという広範な傲慢さは妄想の上にしか成り立っていないので。(以後、定型妄想障害とする。これは我々を取り巻く社会とほぼ≒であろう。)
・運動の先例として、CP者による「青い芝の会」による運動は大いに参考になる。無論、全てを教条的に引き継いだり無批判で参考にするものでは無いが、障害当事者の抵抗活動として大いに研究に値する物である。
・手足の自由が利かないCP者にとって、バス闘争は体一つで示せる、かつ命がけの抵抗活動だった。発達障害者は社会に浸透し定型妄想障害者の一方的なコミュニケーションバイアス、矯正、同一化に歯向かっていくことが同様の手段となるだろう。
・実力の抵抗も究極的に排除しない。発達障害手帳の効力が低く、交渉も拒まれるなら、役所のロビーを占拠しマスコミを呼び込みプロテストするなど。
・発達障害者、アスペルガー、境界知能者らは、定型妄想障害者の社会に盛んに乗り込むこと。何か特別な意気込みは不要。即ち、学校・職場・恋愛関係などあらゆる場所で発達障害者として社会に同化しないコミュニケーションを行う。
・発達障害者は、定型妄想障害者の支配する職場や学校などにおいて「挨拶や謝罪の形式といった社会的マナーや文化が備わってない」などと攻撃されてきた。では、定型妄想障害者の「正しい社会的マナーや文化」はどこから来たのか?
・今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」「発達し」作られた瞬間が存在する。にも関わらず、現代の発達障害者らのコミュニケーションのみが問題視され、矯正対象とされるのは差別である。(そもそも、近代以前の社会では社会の一部領域を発達障害者が担っていた)
・一方で我々は科学などを否定することはない。我々はポルポトやルイセンコではないので、科学的手法を排除する必要はない。あくまで「科学」を自身の妄想に利用してきた社会を攻撃する。黒人が、白人の作った武器で植民地政府に抵抗するのと変わらない。
・医療機関などにおける発達障害の認定を、より明確な基準に置き換える。また、グレーゾーンや、引きこもり等潜在的な人々に対する救済策を講じさせる。
・投薬治療に疑問を持つ。社会に順応させられる手段としての投薬を拒否する。治療されるべきは定型妄想障害の社会であるという前提を持つ。
・障害者のみがコンサータやストラテラなどを飲まされるのではなく、水道や給食などに混ぜ込んで定型妄想障害にも平等に投与し、その異様な効力を自覚させる、などの手法も考えられる。
・社会への同化を目的とした「自助グループ」を拒否する。発達障害と見なされる児童への「療育」を拒否する。定型妄想障害社会への、「教育」による同化を拒否する。
・これらは現代の「インディアン寄宿舎」である。発達障害による文化(その創造)を一方的に奪う方策である。これを指摘する研究や書物は、ほとんどない。
・就職活動などにおいて受けさせられる「性格診断キット」「性格テスト」などに関し、近年では明確に発達障害者らを選別・排除する意向を隠さないものも存在する。これらを廃止させる。
・男女を問わず「カサンドラ症候群」などという定型妄想障害者の詐病を徹底的に糾弾すること。発達障害者とのコミュニケーションにのみ「症候群」を発生させるのは傲慢な差別であるということを周知させる。
・フェミニズムやあるいはマッチョイズムといった物は、当運動では関係しない。また運動に取り込むべきではない。これらは発達障害者を敵と見なしてきたものである。
・前述の「青い芝の会」で例えるならば、フェミニズム運動は優性運動に加担し障害者をまさに先天的に排除しようとしていた。現代ではフェミニズムは定型妄想障害に加担している。
・このマニフェストが究極的に目指すところは、定型妄想障害者の社会を発達障害者が完全に塗り替えることである(前述したが、発達障害という言葉はその時には別の言葉に変わっているだろう)。
・硬直化した社会は消滅し、発達障害者によるイノベーションが日々行われる。コミュニケーションの形式は軛から放たれ、自然な発達と自身の自由な表現、他者との健全な切磋琢磨が初めて実現する。
・政党政治は消滅する。早期にインターネット回線による直接民主制政治に切り替えられる。
・海外にも発達障害の抵抗を伝播させる。(定型妄想障害に捉われている確率が低い、各国の障害者団体や先住民社会との連帯などが考えられる。)
あ゛ー。ぐれーぞーん!!ストラテラ飲んでました
(薬飲めば少しはマシになるかと思って病院行きました。飲んでもおポンチなのは変わりなかったです。コンサータだと違ったのだろうか。
しかし、ガチ発達と違って「根性で長く仕事を続けることで普通レベルにはなる」タイプなので、現状「人よりミスが多い」ということは無いです)
ミスを注意されると言ってもごく稀で、誰でもやる様な「うっかり忘れ」です(だからみんながいちいち注意されている。そして注意する側も同様のミスをしているけれども誰も言わない)
そういう状態なので「深刻な叱責」ではないのです。それでも素直に聞けない自分が居るのです(「そんなこまけーこと一々言ってくんな。暇か」って思う)