はてなキーワード: 絵画とは
【解説】学歴コンプレックスなんて単語は使いません。生まれより年齢をかけ。
【誤】大学、短大進学率で約6割、専門学校を含めたら8割が高校卒業後に進学するこの平成末期に底辺高卒で清掃業やってる俺ってマジでなんなんだろうな。
【解説】まず何割とか分析しねーから。平成末期とか修飾語いらねーから。
【誤】4時半からオフィスビルのフロア清掃してると発狂しそうになる時がある。
高学歴のスーツ組が闊歩するフロアの一画を彼らが深い眠りの淵にいる時間からこうして掃除機かけるのが俺にお似合いの仕事なんだと思うと発狂しそうになる。
社員食堂の清掃してる時もヤバい。俺が掃除機かけてる最中にぽつぽつとまばらに社員が入室してスマホゲームに勤しむ社員とか何やら歓談してる社員とか見てるとよく分からない羞恥心が起こってくる。
【正】正社員がスーツ来てダベってるのムカつくわ。こっちは朝の四時から働いてるってーのによ。
【解説】お前は物書きかもしれんが高卒は工場が多い。こんな長い文章は書かない。
【誤】あとトイレ清掃もヤバい。俺が小便器にこびりついた尿石をブラシで擦り落としてる横で小便をする社員という構図は絵画の題材に使って欲しいレベル。なんの話だこれ。
別に俺が底辺高卒なのは俺自身が招いた不幸だと思ってるけど、全てが自業自得だと言われると納得できない部分もあるかもしれない。
幼稚園児の頃に父親が逮捕されてから離婚して母子家庭になって都営団地で高校卒業まで過ごしてきたけど、そこには俺の部屋というものが存在しなかった。勉強はリビングで兄弟や親が騒々しく騒いでる中でやるしかなかった。
まあでもこんなの言い訳にならないんだよな。家がうるさいなら図書館まで自転車こいで勉強しに行ったりしても良かったわけだし何なら耳栓でも買ってつけても良かったんだよな。そりゃそうだ。
でも家にPCがなかったのは割りと辛かったからそれくらいは不満言ってもいいと思うけどな。
まあ環境が良かったとは言えないけどそれ以上に地頭が悪かったんだろうな。まあしょうがないんだろうな。
なんか何言いたいかわからなくなってきたけどタイトル確認した。つまり学歴コンプレックスが凄いって話なんだよな。
それでどうしたら学歴コンプレックスを解消できると思う?って訊ねようと思ってたんだけど、テーマに沿った文章を書くのが久しぶりだし気がついたら日頃の不平不満ばっかり書いてしまってたね。
でもまあ学歴コンプレックスの話って意味では関係してるとは思う。
【正】何であいつらのしっこやうんこまで掃除せなあかんのじゃ。便器に頭突っ込んでやろうか?
【解説】高卒は親の社会地位が子供に引き継がれると言ったような分析は基本的にしない。お前の違和感ある文章はまるごとカット。
【誤】こないだ小学校時代の友達から連絡が来てとてつもなく久しぶりに飲んだ。
今理系の大学院生で今の彼女は年下の医学生だって話で、年始に二人で香港に旅行した話をしてくれた。香港が国名じゃないことを初めて知った。俺の仕事の話は興味深そうに聞いてくれた。
今度また飲もうねって言って駅前で別れたけど
たぶんもう飲まないと思う。たぶん俺のせい。
なんの話がしたかったんだっけ
【正】この間小学校からの友達と飲んだわ。近場の風俗にいい女が入ったんやって。めっちゃフェラ上手くて二回いったっていっとたわ。どっか旅行にいったらしいけど中国だったかな?たぶんそうや。
ところで何言いたかったんやろ俺?
【解説】もう題名とか関係なくなってくるところもポイントや。香港も朝鮮も台湾もベトナムも中国で別にエエんや。それが高卒の世界や。
大学、短大進学率で約6割、専門学校を含めたら8割が高校卒業後に進学するこの平成末期に底辺高卒で清掃業やってる俺ってマジでなんなんだろうな。
4時半からオフィスビルのフロア清掃してると発狂しそうになる時がある。
高学歴のスーツ組が闊歩するフロアの一画を彼らが深い眠りの淵にいる時間からこうして掃除機かけるのが俺にお似合いの仕事なんだと思うと発狂しそうになる。
社員食堂の清掃してる時もヤバい。俺が掃除機かけてる最中にぽつぽつとまばらに社員が入室してスマホゲームに勤しむ社員とか何やら歓談してる社員とか見てるとよく分からない羞恥心が起こってくる。
あとトイレ清掃もヤバい。俺が小便器にこびりついた尿石をブラシで擦り落としてる横で小便をする社員という構図は絵画の題材に使って欲しいレベル。なんの話だこれ。
別に俺が底辺高卒なのは俺自身が招いた不幸だと思ってるけど、全てが自業自得だと言われると納得できない部分もあるかもしれない。
幼稚園児の頃に父親が逮捕されてから離婚して母子家庭になって都営団地で高校卒業まで過ごしてきたけど、そこには俺の部屋というものが存在しなかった。勉強はリビングで兄弟や親が騒々しく騒いでる中でやるしかなかった。
まあでもこんなの言い訳にならないんだよな。家がうるさいなら図書館まで自転車こいで勉強しに行ったりしても良かったわけだし何なら耳栓でも買ってつけても良かったんだよな。そりゃそうだ。
でも家にPCがなかったのは割りと辛かったからそれくらいは不満言ってもいいと思うけどな。
まあ環境が良かったとは言えないけどそれ以上に地頭が悪かったんだろうな。まあしょうがないんだろうな。
なんか何言いたいかわからなくなってきたけどタイトル確認した。つまり学歴コンプレックスが凄いって話なんだよな。
それでどうしたら学歴コンプレックスを解消できると思う?って訊ねようと思ってたんだけど、テーマに沿った文章を書くのが久しぶりだし気がついたら日頃の不平不満ばっかり書いてしまってたね。
でもまあ学歴コンプレックスの話って意味では関係してるとは思う。
こないだ小学校時代の友達から連絡が来てとてつもなく久しぶりに飲んだ。
今理系の大学院生で今の彼女は年下の医学生だって話で、年始に二人で香港に旅行した話をしてくれた。香港が国名じゃないことを初めて知った。俺の仕事の話は興味深そうに聞いてくれた。
今度また飲もうねって言って駅前で別れたけど
たぶんもう飲まないと思う。たぶん俺のせい。
なんの話がしたかったんだっけ
って言うほど問題視されないよね。叩かれるのは大抵「萌え絵」と呼ばれるアニメ調のイラストばかり。そういうダブルスタンダードさえなくしてくれたら議論の余地はあると思うんだけどね。逆に言えば、絵画とかに文句がついたときに「とうとう芸術にまで~~」とか言って嘲笑する空気には乗れない。
「性表現=エロ・猥褻」なのか?という問いばかりが先行して、それに対する答えを用意している人が少なすぎるのも問題じゃないかな。
結局、なぜそれを批判されたときに心がざわつくかと言えば、それが我々のsexual expressionであり、「ミニスカート」や「タトゥー」と同様に我々のアイデンティティーを構成しているからだと思う。そう考えて見れば、なぜそれらが「公共空間」において許されないのか?という問いにも一応の説明がつく。公共施設の職員が、「ミニスカート」や「タトゥー」を「義務付け」られていたら、やはり問題だろう。個々人のアイデンティティーは、誰からも侮辱されない権利を持つ代わりに、誰にも押し付けてはいけない義務がある。
ところで、我々のアイデンティティーを構成する「性表現」を「エロ・猥褻」呼ばわりしてきたマジョリティーの皆さん、今度はあなた方の番ですよ。いい加減、公共空間からあなたがたのsexual expressionを撤退してはいただけませんかね。あなた方マジョリティーの考える「素敵なセックス」が、いったいどれほど公共空間にあふれているか、未だに気付いていないんですか?それが一体どれほどのセクシャルマイノリティーに対し、「君たちは所詮アブノーマル」という傲慢で不快なメッセージを伝え、侮辱してきたのか、ほんの少しでも考えていただけませんか?
毎回フェミが晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田でアウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。
フェミの主張の大筋は要するにエッチなものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチなものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由の侵害」「お気持ちを押し付けるな」という反論だけでは有効なカウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間のデザインと表現の自由のバランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。
例えば近年、学校や官公庁や公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフは西洋芸術の文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチなモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチなものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート、公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチなものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。
言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者と自分とが相互に関わりあう空間であり社会そのものである。そのような場にエッチな創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしなフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由は公共空間、社会という危うい綱渡りに最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそもが幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為を批判しているようにはどうにも思えない。公共空間に作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチなものが忌避されるならばそれは綱渡りの判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由の侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ。
そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間だからこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモである「お気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。
あんまり規模が大きいイベントでもなくて、開催期間も一週間かな。無料だったしそれで告知もひっそりとだったのかも。
昨晩、仕事から帰る途中でポスターに気づきまして、ああこんなんあったんだと。
で、今日の夕方までだったから行けないかなと思っていたんですけど、嫁さんに話すと行きたいといいまして。
嫁さんの仕事が今日は午後出だったから一人で行こうかなって言っていたので、じゃあ僕も行こうと思ったわけです。
幸い、僕のほうも午前中は急ぎの仕事もなかったため、朝から職場に電話して半休を取りました。
それで、いつも通りに子供たちを保育園や小学校に送り出したあと、いつもよりゆっくり目に家を出たんです。
嫁さんと二人で絵を見て回って、平日の午前だし、告知もほとんどなかったのもたって、ほかにお客がいなかったのはよかったです。
そうして一時間くらい見て回って、すごく楽しんだんですけど、なんだか久しぶりにデートみたいだねって笑いあいながら。
一通り見て、ちょっと早いけどご飯食べてからそれぞれ仕事に行こうという時間になりまして、回転寿司にいきました。
二人席で向かい合って、いろいろ話しながら食べる料理はおいしくて。
それで分かれて仕事に向かったんですけど、正直、すごく心が軽いですよね。
幸せってこういう感じだなって思うし、また嫁さんと二人で出かけたいです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00009302-bengocom-soci
京都造形芸術大の公開講座で精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こした件へのブックマークコメントだが、
「勉強不足」
「シラバス読め」
「当たり屋」
なんだこれ。地獄かよ。
こういうコメントつけている奴らは、公開講座が何なのか分かってんのか?
公開講座は、あらゆる人の生涯学習を支えるために行われる大学の社会貢献的事業であり、
正課の授業とは全く性質が異なるんだよ。
専門分野に属した学生がカリキュラムに従って体系的に学ぶものではなく、
本当に60-70代のおじちゃんおばあちゃんばっかりだったりして、
講座によって参加者層は極めて多様なわけだよ。
特定の年齢層や特定分野の前提知識を有する層を対象とすることは、
今回はあくまで原告が偶然この分野を専門とする人だったというだけで、
公開講座の趣旨を鑑みれば、年齢や学歴問わず「学ぶ自由」を保障するための仕組みなんだから、
参加者層を限定していない以上、主催側たる大学が、きちんと事前に条件や詳細な内容を説明して
参加者募集をする責務がある。
そもそも「シラバス読め」と言っている皆さんは、自分でシラバス読んだんですか?
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1811318
第3回:ヌードあれこれ話
ヌード、あるいは女性像を画題にした自作を中心に話します。たぶん芸術と対立概念になりがちなポルノの話や、第二次性徴期の話、フェミニズムの話なども避けては通れないでしょうね。
会田 誠 (美術家)
1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術館研究科修了。絵画、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など表現領域は国内外多岐に渡る。近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館、東京、2012-13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナント、フランス、14年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、14年)など。
この文章で、残忍で強烈な画像を見せつけられそうな雰囲気が、どこから汲み取れる???
本当に何も知らない人が読んだら、普通のアーティストさんにしか見えない文章じゃんか。
これ読んだところで内容の想定は不可能だと思うし、公開講座の受講者がシラバス以上に深い知識を
事前に自分で調べないと応募してはならない、なんて義務はどこにもないですよ。
ちなみに、シラバスを見ればわかる通り、受講条件も何も書いていない。
他の科目を見てみると、何らかの条件がある場合は「備考」に書いてあるケースも
あるので、決して書く欄が無かったわけではないことは明白である。
(例)"なお、認定の条件は、18歳以上で、"
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1823304
さらに付け加えると、↓の上部に掲載されている受講規約を見れば、
https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/matter/matter/
受講資格は、満 15歳以上の藝術学舎で学びたいという意志をもち、本受講
規約を遵守することに同意される方とします。学歴等の制約や選抜試験はあ
りません。
と書いてあり、シラバスで特段の条件指定が無ければ、15歳の中学生が受講する可能性だってあるわけで、
そのような前提の講座にも関わらず、事前説明なく記事のような内容の授業が行われたとすれば、
何より、この原告の女性は、会田誠の芸術表現自体は否定してないじゃんか。
会田誠のような芸術表現が世の中に存在することは理解するとしたうえでも、
それを大学の公開講座という学問のプラットフォームにのせるのであれば、
その主催者が相応に運営上の配慮や工夫はしてよ、というお話でしょ?
そんなの当然じゃんか。それをやらないなら、大学は何のために存在してるんだ?
学問のコーディネータとしての責務を果たせていたかを問われているわけでしょ?
にも関わらず、「会田誠くらい知ってて当然。知らなかったほうが悪い」という論調のブコメばかり。
二次創作同人誌の値段設定が時々話題になるけれど、私は印刷代以上を受け取る理由が理解できない。
交通費とか宿泊費とか言っているけれど、それはその人の都合でしかない。
同人誌以外の表現活動に目を向けると、絵画も彫刻も写真も交通費や宿泊費がかかったからその分を徴収するアマチュアはほぼいない。
しかし,なぜか同人誌だけは赤字を回収することが許される、許そうとしている。一次創作なら理解できるが二次創作なのに。
私は二次創作の同人活動は名前を売るためだけにした方がいいと考えている。
(なぜか二次創作界隈は売名行為を嫌うのだが印刷代以上を受け取らなければ文句は言えないだろう)
二次創作の赤字は広告だと割り切り名前を売って、一次創作で収益化するべきだ。
金を持っている人間は金を持っているというのは分かるが、彼らは何に価値を見出してそれを続けるのだろうか?
きっと100円で歴史的な絵画が買えたら欲しい人はたくさんいるだろう。だが、世界に数枚しか無くそれに価値を見出す人間が多いからこそ、その価値が保たれるわけだ。物というのはそうやって価値が決まるわけで、誰も価値を見出さないものに余分なお金を支払うことに意味なんて無いわけだ。
つまり、マネーゲームが続くのならば、その物にはそれだけ所有している事に価値があるから続いてるわけ。例えば、あるアイドルのコンサートに1億払える人間がどのくらいいるのだろうか?その人数が席数よりも少ない人数なら1億の価値はなく、もっと低い金額に下げられるだろう(そもそもそんな価格になるまで転売されないが)。そのようにしたら均衡点が見つかるわけで、それよりも度が超えて高い金額(均衡点の10倍)には、意味がないからならないんだよ。ちょっと考えれば分かるだろ。
元増田です。
私は秋葉原にまだバスケボールコートがあったときからラジオ会館とかを利用していたのですが、随分様変わりしましたね。今はよりどりみどりなので知らない人は驚かれると思いますが、当時は秋葉原はご飯不毛の地と呼ばれており、牛丼やラーメンくらいしか食べるものがありませんでした。コンビニも無かったのでお金もおろせませんでした。もちろんその頃が一様に良かったというわけでは決してなく、日が落ちてから少し裏通りに入れば手焼きCDに手書きでWindowsやPhotoshopと書かれた謎の商品を路上で売っている人がいたものです。そこからそこそこの年月が経つと、「絵画に興味はありませんか?」としつこく追いすがってくる女性や、毎日閉店セールを行う貴金属屋が名物になっていました。また、ダイビルのような明らかにこれまでとは目的が異なる建物が建ち、ここから先が電気街、その向かい側はビジネス街という認識が出来ました。その後、2008年には秋葉原通り魔事件が起こり、連日のニュース報道と大変なバッシングがありました。今でも最終的に逮捕の場所となったクラブセガの横道を通るときは複雑な気分になります。歩行者天国もかなり趣が変わりましたが、よく持ち直したものだと思いつつ、関係者の苦労が偲ばれます。さらに時が経ち、今ではメイドカフェに限らず様々なカフェの客引きが跋扈し、リフレが点在する街になりました。ここは歌舞伎町か大宮かな?と思うほどしつこいアレには大変辟易しており,さっさと規制されることを強く願っています。