はてなキーワード: ネイチャーとは
すぐに出身著名人を思い浮かべられる市町村。岸和田市=清原、みたいな感じで。都道府県レベルだとよくあるけど(安室奈美恵は沖縄、マツコ・デラックスは千葉、みたいな)、市町村レベルになると案外思いつかないな。
パッと思いついたのだと、
函館市=GLAY、四街道市=四街道ネイチャー、東村山市=志村けん、川崎市=BAD HOP、横浜市=横浜銀蠅、横須賀市=小泉純一郎、相模原市=SD JUNKSTA、静岡市=さくらももこ、常滑市=TOKONA-X、福知山市=千原兄弟、生駒市=森見登美彦、枚方市=岡田准一、八尾市=河内家菊水丸、千早赤阪村=桂南光、尼崎市=ダウンタウン、宝塚市=金村義明、姫路市=桂米朝
わりとあったな。
■石正麗(Shi Zhengli) 55歳女性 武漢ウイルス研究所 研究主任
彼女は2015年のNature Medicine誌において、「SARSコロナウイルスバックボーンと中国キクガシラコウモリの遺伝子操作により
人間のACE2受容体と結合できるハイブリッドコロナウイルスを設計した」と発表。
コロナウイルスには王冠のような突起があり、その突起が人間と結合すれば感染する仕組みだが、コウモリの中にいた元のコロナウイルスは人間とは結合できない種類。
しかし石正麗はそのコロナウイルスを改造し、人間への感染を可能にした新型コロナウイルスを開発。
その上で更に研究を進め、ヒトが新型コロナに対して免疫を持ちにくくするため、HIVウイルスとの遺伝子合成する研究も行っていた。
https://www.nature.com/articles/nm.3985
上海の復旦大学ル・ル氏とニューヨーク血液センターのチャン・シボ氏の研究者チームによって、新型コロナウイルスが人の免疫細胞を殺すことを発見したのです。
この免疫破壊作用は、コロナウイルスの感染症である重症急性呼吸器症候群(SARS)にはなく、新型コロナウイルス特有のものであるとのこと。
論文全体に日本が占める割合が2.9%なのにも関わらず(米国:26.1、中国:19.3%、 英国:5.9%、独逸:5.2%)、
Nature や Science に不正を名指しされるレベル
[Science] Researcher at the center of an epic fraud remains an enigma to those who exposed him
[nature] What universities can learn from one of science’s biggest frauds
なお、記事内に “撤回論文” が出てくるが、論文の変更措置は「訂正」「懸念表明」「撤回」 があって、「撤回」が最も重い
ネイチャー誌が糾弾~日本発最悪の研究不正が暴く日本の大学の「不備」(2019/06)
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20190626-00131623/
撤回論文を監視する「リトラクションウォッチ」は撤回論文の数でランキングを作っている。
ちなみに、世界第一位は日本の麻酔科医、第五位はS氏の共同研究者の医師、第六位は一位の麻酔科医と共同研究をしたことがある麻酔科医だ。上位6人中3人が日本人の医師、上位15人中6人が日本人(うち医師が5人)と、日本人は世界に恥をさらしている状態なのだ。
ただ、ネイチャー誌の記事は、日本人研究者の問題を取り上げたわけではない。ネイチャー誌が指摘したのは、日本の大学の研究不正調査体制に問題があるということだ。
(略)
大学の調査は「不透明で、不十分」であったという。誰がどの論文を調査したのかも明らかにしなかったうえ、研究不正の調査にばかりエネルギーを注ぎ、重要であるはずの研究が妥当かどうか、論文の撤回や修正が必要かどうかの判断はおざなりだったという。
記事の中で、研究の誠実性に関する専門家であるCK Gunsalus氏は、日本の機関は、不正行為を調査するためのプロセスを見直すべきであると指摘している。日本の研究機関は外部の評価委員を入れる、Gunsalus氏が作成したチェックリストを活用するといったことが必要だという。
私自身何度も記事にしてきたが、日本の研究機関の研究不正の調査には大きな問題がある。研究不正が認定されなければ、調査報告書は公開されないうえ、研究不正の可能性があることを指摘した研究者を処分したりもするのだ。
関連増田:
問題意識低く、DNA鑑定軽視 遺骨取り違えで報告書 厚労省調査チーム
横田めぐみさんの遺骨は本当に偽物か?火葬された遺骨からのDNA鑑定はほぼ不可能
遺骨からDNAを検出できなかったのはなぜか? 吉井講師は、ネステッドPCR法によって鑑定を進めた。ネステッドPCR法は、DNAを増幅するPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法の1種だ。DNAを十分に増幅できない場合は、検出感度を上げるために反応を2回行う。
その結果、感度がより高まるが、コンタミネーション(試料汚染)が起きやすく、検出時間がかかり、分析精度が低減する欠点がある。しかも、吉井講師は、火葬骨の鑑定経験がまったくなかった。また、遺骨は鑑定時に使い果たし、再鑑定は不可能になった。
DNA鑑定の最高権威として知られる米国国立標準技術研究所のジョン・バトラー博士によると、1200℃で焼却された遺骨をDNA鑑定するのはほぼ不可能という。世界的なDNA鑑定の専門家の多くは、北朝鮮が提供した遺骨のDNA鑑定の結果は疑わしいと見ている。
朝鮮半島に火葬の習慣はないため、北朝鮮が提供した火葬骨の捏造への疑念を主張する論調もある。
拉致事件を時系列に追うほど、内外の情報を集めるほど、ますます真相から遠のき、視界が悪くなる。なぜか?
『ネイチャー』(2005年3月号)は、論説『政治と真実の対決』を掲載、「日本の政治家たちは、どんなに不愉快でも科学的に信頼できないことを正視しなければならない。日本政府は、科学的整合性を犠牲にすべきではない」と強く反論。
さらには、「別人判定を下した帝京大講師がその後、科学捜査研究所の法医科長となり、インタビューが事実上不可能になった。この転職は拉致事件の調査を妨害する」と日本政府を批判している。
拉致されて38年となった昨年
反証が現実的に困難であることと反証可能性がないことを一緒にされても……
しかし、である。オカルトが科学ではないのはいいのですが、すべての科学が反証可能性を持っているかというと怪しい。化学や物理学の最先端の研究だと、現状そこの施設(しかも営利企業だったりする)でしか検証できない実験結果がネイチャーとかに載ってたりする。あれはいいのか、という話になる。「いずれ反証できる『可能性』があるからいいのだ」という人がいるかもしれないが、いまこの瞬間はまだ反証可能性が無いのにネイチャーとかに載っちゃうのはどうなのそれは本当に科学なのということはまだ言える。
現実的に反証が困難でも反証可能性はあります.当たり前のことでしょ.
たとえば「シリウスには惑星があってその惑星には高度な文明を有したシリウス人が住んでいる」という主張は,究極的にはシリウス星系まで行かないと検証できず,かつ現在の人類には恒星間航行の技術がないので反証不能か? そんな馬鹿な.シリウスに行けば反証できるんだから反証可能に決まってる.
「現在の地球人類には反証するすべがない」と「反証可能性がない」は全然違う.
というかそれでやばいことになった事例もあるわけで(ヘンドリック・シェーン、STAP細胞など)。まあ「可能性がある(実際先の2つは実際反証されたやろ[STAP細胞が無いと証明した人が居ないのに反証されたと言っていいのかとか問題もあるのだが省略!])」というところでそこは押し切るとしても、更に根本的な問題がある。
「小保方さんの書いてたやり方で作ってみたけどSTAP細胞はできなかったよ?」で反証は成立です.小保方さんが論文に書いた方法ではSTAP細胞は再現されなかった=小保方さんの論文に書かれた手法が正しいという主張が反証された,でFA.
ひょっとしたらSTAP細胞は存在するかもしれないけど,その存在を証明する責任は小保方さんが負っていて,彼女はそれに失敗したわけで.どこも反証可能性に問題はありません.反証可能性がある主張が反証された結果間違いであるとわかったというだけです.
否定されたのはあくまで「小保方さんの論文に従って得られるSTAP細胞の実在」に過ぎない.もちろん厳密にはSTAP細胞の存在そのものが直接的に否定されたわけではないけれど,STAP細胞なるものが余人に観測されておらず小保方さんの提唱した概念である以上まあそれは実在を否定されたってことでいいんじゃないですかね(他の人も見てるなら「小保方さんの論文はおかしいけどどうもこの細胞は本当にあるっぽいぞ,別の論文で実在を証明しよう」という話になったかもしれないけど,ゴッドハンドしてたんじゃ救いようがないよなぁ).というかマジで反証可能性を何だと思ってるんだ……
というかそれそもそも研究不正の事例であって反証可能性関係なくね? シェーンさんの研究にも小保方さんの研究にも反証可能性はあったよ.反証可能性以前の問題で連中はインチキしてたわけだけど.
ちなみに元増田についたブクマで雑な文系叩きをしている連中に対しては,俺も人文系の研究者じゃボケと言っておくことにします.
反証可能性がないことそれ自体はなにも悪くないのだけれど(たとえば,哲学や法学に反証可能性を求めるのは無意味だろう.自由主義とコミュニタリアニズムのどちらが正しいか? 住居侵入罪は住居の平穏を保護しているのか,それとも管理者の自由意志を保護しているのか? どちらも反証可能性なんてないがそれでも学問として成り立っている),反証可能性が厳密に求められる分野に対して雑な反証可能性理解で殴り込みをかけるのはやめような.
こういう運動は「乗るしかないこのビッグウェーブに」「どこまで警察をおちょくれるか」的なIT業界の内輪ノリ的な部分が大半を占めていて(Twitterでも面白がってるレスしかみない)、「こういう運動で警察が反応してくれたり、社会の認識が変わってくれたらラッキー」程度にしか思っていないと思う。
ただ、もし警察上層部があなたの言う通り「痛くも痒くもない」と思っているのならそれはそれで既に判断ミスというか楽観的すぎて、こういう風に「日本のサイバー警察は無能」という趣旨の運動はのちのち効いてくるというか、少なくともインターネットの歴史には残るし、検索すれば出てくる汚点となる。こういうのが言わゆるデジタルネイチャー世代の人間は当然のように知ることになると思うし、警察に失望するし、優秀な学生が警察に入ることはないし、ますますサイバー課が発展する未来は暗くなる。優秀な情報系学生が果たして兵庫県警サイバー課に就職したいと思うだろうか?
それによって割を食うのは若い世代なので、警察上層部は定年で逃げ切る認識での「痛くも痒くもない」だとするとそれは個人の生存戦略としては正解だとしても、そこに正義はないし屑のムーブだとは思う。
ゴーストうんこ 出たと思って下を見ると、便器には落ちてない。でも紙にはちゃんと付くうんこ。
クリーンうんこ 出たと思って下を見ると、確かに出ている。でも紙はよごれないうんこ。
ウェットうんこ 50回ふいても、まだ付いている気がするうんこ。万一のことを考えて、パンツにトイレットペーパーをあてがってトイレを出ることも。
セカンドうんこ 終わってパンツを上げかけたところで、再びもよおすうんこ。試してみると、確かにまだ出る。
ヘビーうんこ 食べ過ぎ飲み過ぎの翌日のうんこ。重くて流れにくい。
ロケットうんこ すごい速度で出てくるので、パンツをすばやくおろさなくてはならない、そんなうんこ。
パワーうんこ 勢いがあるので、水がピチョンとはねかえってくるうんこ。広範囲を拭かなくてはならない。
リキッドうんこ 液状で、一般に痛みと音がすさまじいうんこ。3日たっても肛門が痛いことがある。
ショッキングうんこ においが強烈なため、便後1時間は誰もそのトイレに入れない、そんなうんこ。
アフターハネムーンうんこ すぐそばに他の人がいても、平気で音とともに出せるようになる、そんなうんこ。
ボイスうんこ あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なうんこ。
ブレイクうんこ 量が多すぎるため、休憩をとっていったん水を流さないとあふれてしまううんこ。
バック・トゥ・ネイチャーうんこ 森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるうんこ。
インポッシブルうんこ 絶対にトイレに行けない状況のときにもよおすうんこ。すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーうんこしかない。
ゴーストうんこ 出たと思って下を見ると、便器には落ちてない。でも紙にはちゃんと付くうんこ。
クリーンうんこ 出たと思って下を見ると、確かに出ている。でも紙はよごれないうんこ。
ウェットうんこ 50回ふいても、まだ付いている気がするうんこ。万一のことを考えて、パンツにトイレットペーパーをあてがってトイレを出ることも。
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ボイスうんこ あまりにも固くて切れないので、出すのにかけ声が必要なうんこ。
ブレイクうんこ 量が多すぎるため、休憩をとっていったん水を流さないとあふれてしまううんこ。
バック・トゥ・ネイチャーうんこ 森の中や田舎のあぜ道、時にはビルの地下などにナチュラルにしてあるうんこ。
インポッシブルうんこ 絶対にトイレに行けない状況のときにもよおすうんこ。すべてをあきらめるか、バック・トゥ・ネイチャーうんこしかない。
世界各国の論文文化が閉鎖的でガラパゴス化していることの正当化とも思わなくもないし、それは威張る様なことなのかと思わなくもないけれど、
また、英語が重要なのはこちらからのアクセス容易性ではなく、自身の論文に対する世界からの被アクセス容易性なのではと思わなくもないけれど。
それよりも個人的に気になるのは、ならどうやってその閉鎖的な世界で学術性を担保しているのかという話。
先日ノーベル賞を受賞された本庶教授も「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘」と仰られていたけれど、
査読なし英語なしってつまり、閉鎖的な仲間内の忖度互助会さえ構築出来ればそれだけで回せてしまうのでは?
国際的な批判や監視の目に晒されず、まして査読というある意味最低限度のチェック過程すら経ず、
「そういう論文の中にも優れたものがある」というのは分かるけれど、なら「そういう論文の中の駄作や嘘」は誰が判断し、どうやって学術性が担保されるのか?
その時々の時勢や学術界の権力者におもねった論文が跋扈せず、トレンドに逆行した真に革新的な批判や論文が介入する余地がどの程度あるのかが問題なのでは?