はてなキーワード: トマトとは
鱒とトマトのピツァだな
無駄な調理器具を買えば、何よりも「自炊しなきゃ…」という無駄な罪悪感まで背負うことになる。メンテナンスが必要になる。場所も必要になる。いいことはない。
炊飯器は買うな。箸も買うな。茶碗も鍋も買うな。ガスコンロも買うな。契約するな。場合によっては包丁すらもいらない。
毎日ピザを焼くことができる者だけが次のステージに進むことができる。和食はゲーム終盤にならないと解放されない高度スキルと心得ろ。
まずは黙ってピザを焼くんだ。
何を合わせても旨い小麦と、トマトソースと、チーズからなる。しかも特別な調理器具がいらない。オーブンだけだ。アルミホイルに載せて焼けば皿もいらない。
野菜も唸るほど食える。むしろトマトソースとチーズだけで「油欲」は満たされるので、特別に肉を乗せなくてもいい。カット野菜を適当に散らせばそれでいい。
「ピザ野郎」と言うとだいたいデブを想像するが、そうではない。単にピザを食い過ぎたやつがデブになっているだけだ。
自炊をピザに固定するメリットは計り知れない。先述したが、まずもって調理器具と食器を大幅に減らせる。そして調味料をガツンと減らせる。塩すらも必要なくなるからな。
必要なのはオーブン機能付きの電子レンジ(でかめ)と、アルミホイルと、冷蔵庫だ。冷凍庫が使いやすく、広いものを選べ。
中途半端に「両親が作ってくれていたいつもの食事」を再現しようとするやつは死んでいく。それが自炊戦争の現実だ。
両親が維持してくれていた毎日の食卓は、高度なスキルによって維持されている高等技術だ。お前にできるものではない。だからまずお前はピザを焼くんだ。
一人暮らしを始めて、無謀にも自炊を始めた愚かな者どものキッチンを見るがいい。そこには賞味期限の切れた調味料の山、山、そして山だ。結局料理するときに調味料も買ってくるというわけだ。そしてまた山が大きくなるというわけだな。
それに比べて…ピザ野郎はどうだ?ピザ生地を冷凍庫から取り出す。アルミホイルの上に置く。ピザソースをかける。チーズを唸るほどかける。カット野菜をばらまく。あとはオーブンに25分だ。
火加減など気にすることなく、ゲームでもなんでもやればいい。時間がたったらアルミホイルをそのまま持ってきて食べる。旨い。確かな満足。
いつまでも「自炊しなきゃな…」とか言っている罪悪感君には至れない至高の高みにピザ野郎はいるというわけだ。
ついついピザ野郎と言ってしまったが、女性にもピザはお勧めだ(アメリカ調べ)。
いやまぁ、ネタではない。
単純に炭水化物と、食事の総量で太るか否かは変わる。市販の冷凍ピザ生地一枚じゃ食い過ぎなんじゃないかと思うなら、それを半分に割って、半分だけで作ればいい。カロリー調節は自由自在だ。
さらに極みを目指すなら、全粒粉を使って自分で作ればいい。5分もかからない。それで確かなダイエットができる。マジだぜ。
さて、ここまで読んで何か言いたげな顔をしている非ピザにはもう少し説明を加えよう。
諸君らの考えはよくわかる。食事のバランスが、だとか脂質が、とかアメリカ人の体系を見てみろ、とか言い出すわけだろう。わかっている。
ぶっちゃけ脂質は大した問題ではない。脂質は取れ。炭水化物も取れ。ただし炭水化物の撮り過ぎは良くないので、適宜ピザ生地を半分にするとか、潔くピザ生地半分食わないとか、全粒粉で自作するなりいくらでもやりようはある。
そして、野菜はカット野菜や冷凍ブロッコリーなどで唸るほど食える。確実に毎日牛丼よりは健康だ。確実にな。
それに米は極めて面倒くさい。例えば米を炊くとしよう。もう考えるだけでうんざりだな。米を炊いて食い終わるまでにどれほどのステップが必要だ?
重い米を買ってきて容器に移しておいて、そこから米を計量し、研いで、水入れて、炊飯器にセット、50分後に炊けて、茶碗によそって、食って、茶碗と箸を洗って、余った米は冷凍して、釜も洗う。
しかも炊飯器と食器を置くスペースまで必要だ!おお、神よ!ピザならぬ身をお赦しください!ピザならこんな懲罰は必要ないというのに。何が楽しくて現世で懲罰を受けるのか。ピザを焼けば解決するのにな。
自炊をするにしても、段階と言うものがある。「毎日ピザを焼く」というミッションを楽しく完遂できたら、そのうち本格的に自炊もしたくなってくるというものだ。
いきなり和食を自炊しようとしてホコリまみれの調味料マンになるか、毎日熱いピザを食べて心身ともに充実しきったピザ野郎になるか。答えは一つ。ピザを焼くんだ。
脂質教徒にはもはや何も言うことはない。そういう輩に限って、オリーブオイルジュワッジュワのパスタとか食ってるんだよな。自作ピザ野郎の油はチーズのものだけだ。目に見える固形の油を扱うピザ野郎のほうが油に自覚的だ。もこみちはオリーブオイルを使いまくるのを自覚している。自覚する者こそが強者。脂質教徒も今日からピザを焼くんだ。
アメリカ人が太っているのはハンバーガーとホットドッグと清涼飲料水のせいなのでピザは関係ない。
…とはさすがに言い切れないが…
これも先述したが、要するに量だ。それに日本人はアメリカ人みたいに太る前に糖尿病になって痩せていくから、アメリカ人のようにはならないからな。冗談だが。
しかしピザが太るという言説の意味が分からんな。炭水化物と脂質は3大栄養素だ。それを合わせて食って何かいけないことがあるのか?要するに量だ。カロリー神話は捨てろ。量だ。
カロリーとかPFCバランスとか、まぁピーピーと吠えよるわというところだな。糖質制限?笑わせるぜ。ピザを焼け。
ピザ野郎なら当然気づいてると思うが、自宅ピザはダイエットに最適だ。
まず、食べる炭水化物の量を自分で選べる。ごはんのように作り過ぎて冷凍などと言う手間はない。食べる分だけ切って使えばいい。ピザは円形でなければならんとか言う心の中の原理主義は殺せ。
さらに先にも言ったが全粒粉でいくらでも調節できる。チーズの量も自在だな。カット野菜も自由自在だ。多少量が多すぎてピザ生地が生焼けでも気にすることはないからな。
また、ピザを焼くまで25分かかるので、「もっと食いたい」と思っても食えるのは25分後になる。そのころには満腹中枢が働く。
焼いた肉さえあれば無限に食えてしまう米とは違う。ピザは己を律するシステムでもあるのだ。もうこれでわかったな?ピザを今から焼くんだ。
「そうはいっても、ピザしか食わないって人間としてどうなの」という人もいるだろう。残念ながらな。アメリカなら人権を失う発言だから気を付けるんだ。
そもそも「ピザを食え」と言っているわけで、「ピザ以外を食うな」と言っているわけではないことに注意してほしい。
ピザ以外を食いたければ外食するんだ。それで全部解決だ。無駄な食材と調味料、調理器具は家に持ち込んではいけない。
生ものを買うと、それは負債になる。賞味期限以内に食べなきゃいけないという恐るべき呪いに自らかかりに行っているということだ。
まぁ、ピザに乗せて焼ければ別にいいんだが、妙な気を起こしてオシャレな調味料とか買いこんじゃったら大変なことになるぞ。
「自炊しなきゃいけないけど、できない…」という呪いが何を引き起こすか教えよう。
まず、罪悪感からその買いこんだ調味料をあまり見ないようになるな。そうすると当然賞味期限は切れるんだが、まぁここまでは良い。
罪悪感を嫌って調味料の置いてある場所を見なくなるから、掃除もしなくなるな。するとホコリ、ダニ、フケ、皮膚、髪の毛がうじゃらうじゃらと混じったざらざらしたきったねぇホコリが溜まりまくる。キッチンの床に飛び散った油がそれらを強力に粘着する。
とすれば結果は一つだ。その素晴らしいごちそうを目当てにG先生が雲霞のごとく押し寄せるというわけだ。
それはすなわち、君の死を意味する。
そう覚えておこう。
ピザならそんなことにはならない。すべてが冷蔵庫とオーブンの中で完結する。掃除も楽ちんだ。
もうわかったね?ピザを焼くんだ。
ここまで読んだら、さしものバランス原理主義者や脂質教徒などのカルト野郎も押し黙る頃だろう。
とはいえ、単純だ。
まず引っ越しに当たり、どの調理器具を買うのかはもうわかったろう。電子レンジ付きオーブンと冷凍庫広めの冷蔵庫だ。むしろ冷蔵庫は一人暮らしに不釣り合いなデカさでいいと思う。
ピザを作るために買い物も単純だ。
このピザ生活の利点は、買うべきものがはっきりとしているので、ディスカウントや通販を使ってどんどん安く済ませられるようになるのもポイントだ。
最初は全部買え。そしてピザを焼け。当然旨い。すると自信がみなぎってくる。
よし、じゃあ次はもっと安いのを狙うか…とか、まとめ買いして原価を抑えるか…とか、ピザ生地くらいは自作するか…とか、野菜くらいは切るか…とか、どんどん正しい方向へ進む自分に驚くはずだ。
基本をピザに置くことで、秩序を持った料理の拡張が行えるようになる。どうしてもうどんが食いたければうどんを生地にしてピザを焼くとか、可能性は無限だ。
包丁や皿は必要な時に、テンションの上がるものを最小量揃えること。使わないな、と思ったら即捨てて基本のピザを焼こう。
自分にとっての確かな土台があるということは何よりも大きな自信になるはずだ。
一人暮らしが寂しいときも、恋人を部屋に入れたときも、別れて悲しいときも、金がなくてやべぇ時も、ピザを焼いている自分に気づくはずだ。
寂しさをペットで癒そうとする者もいる。心の傷を酒で埋めようとする者もいる。しかし、結局立ち返るのはピザだ。アメリカ人もそうしている。俺もそうしている。お前もそうなる。ピザを焼け。
家飲みで友達が集まってきたとき、とりあえずピザを焼く君は強い。冷蔵庫には野菜以外入れておくことがないから、飲み物やお菓子をたくさん入れて置ける。それも強い。
友達が買ってきたつまみをピザの具にするのもいいだろう。それは実に強い。
男女関係なく、「すげぇ、なんかピザが出てきたぞ!」と盛り上がる。ピザというのはそういうものだ。
クソな社会がお前を貶めるとき、人は神とピザを求めるものだ。聖書にもそう書いてある。
ヨハネによる福音書6章33節「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」
これがピザだ。求むればすなわち得ざらしめん。人々はイエスにピザを願った。そういうことだ。残念ながらな。
ところでピザの具は基本何でもいいが、ひき肉とかの油めっちゃ出る奴はやめておいた方がいい。油があふれてオーブンがひどいことになる。忘れたころにやっちゃうんだよな。
まぁ、ひどいことになるのはオーブンだけだから、掃除も楽だけどな。
あと、全粒粉とかでピザ生地作ろうって時、たいていはまずレシピを見ると思うが…世のピザ生地のレシピはクッソ面倒すぎてピザ野郎を殺しにかかっているとしか思えない。
全粒粉と強力粉と薄力粉を混ぜて、イースト、砂糖、塩、バター…自殺しろと言っているようにしか聞こえない。
なので、面倒なら全粒粉に水入れてコネてそれっぽく成型しただけで充分だ。チーズとトマトが君を助けてくれる。無残な味にはならないから安心してくれ。
それでも思考のピザを求めるのなら、俺は止めない。大いにやってくれ。極めたとしても、調味料や材料が冷蔵庫をひっ迫することにならないからな。
あと、ピザ生活が板についてきたら業務用スーパーなどで冷凍カット野菜を扱っているところが近くにないか探っておこう。通販は段ボールが溜まるから困りものだからな。ゴミが溜まるとそこにホコリが溜まり…あとはわかるな?
俺はピザのために引っ越して、ホテルなどに卸している業務食品専門店の近くに移り住んだ。快適すぎて異常なくらいだ。
長々と書いてきたが、まぁ、ピザを焼こうぜ。体を大切にな。いつか両親が作ってくれたような温かい食卓を築ければいいよな。がんばってくれ。
○ご飯
朝食:ハムチーズサンド。昼食:味噌煮込み。夕食:ニンジンとトマトとソーセージのスープ。パン。春雨サラダ。
○調子
むきゅーはややー。
仕事が嫌すぎて、むきゅむきゅしてたら
まーーたトラブル。
はああああああああああああ。
今週もランダムにきめーるまた遊べなさそう……
もう嫌になってきた……
六周年アプデの中身が見れてない……
スクラッチは種、種、種、銀天。
○ご飯
朝食:サンドイッチ。昼食:とりめし。夕食:ニンジンとトマトとソーセージのスープ。パン。コールスロー。
○調子
むきゅーはややー。
仕事はもうさあ…… はあ……
めちゃくちゃなこと書くけど
コマスターのこと好きだったんだなあと最近しみじみする日が多い。
なんかものすごくニャヒートでゴールキーパーを殴りたくて仕方ない。
それと、エウロペ琴4凸作った。
エウロペ琴4凸二本目か終末4凸かが選択になってしまうので、次のストイベで水エレ掘れることを祈ろう。
もしくは日課にリヴァHLも追加して、水エレ堀りを真剣にするかだなあ。
あと300個有れば終末4凸と琴4凸の両方出来るから、リヴァHL? うーむ。
──人は皆、いつかカレー作りに熱中する日がやってくる。俺のCデイはまさに今日であると言えた。
これは秘伝のカレーレシピではなく、俺がバターチキンカレーと呼べるものを作るまでの物語である。
カレーとは何だろうか。
カレーだけに一口に言うならばインド発で香辛料をふんだんに使ったスパイシーな料理等とでも言っておけば良いだろうが、誰もがそれを思い浮かべた際、そのイメージは一様ではないだろう。
きっと誰もが心の内に思い思いのカレーを秘めている。
時にナンで食い、時にライス、また時にはチャパティ、パン、ヌードル、言い出したら際限が無い。付け合せや隠し味になんて言及すらしたくない。
台所になぞ録に立ったことのない男子大学生が天啓の如くチャーハン作りに凝りだすように、俺は今カレーに拘りを持とうとしていた。
俺のカレーとは、バターチキンカレーである。インドカレー屋で食べるバターチキンカレーは何故あんなにうまいのか。なぜあんなにナンがでかいのか。なんでどの店でも小鉢のサラダに同じようなドレッシングがかかっているのか。きっと俺はその真実を知ることなく死んでいくのだろうが、それでも家でそれなりのバターチキンカレーを作ってみたいと、そう思ったのだ。
これが昭和の時代なら、俺はインドカレー屋で十年修行どころか単身渡印の上カレーの秘奥を求めて七難八苦を味わう羽目になったかもしれないが、今は情報の時代である。検索したレシピを適当につなぎ合わせて家と近隣のスーパーでどうにかなりそうな材料を見繕う。拘りとは時に労力をかけないことであると俺は都合よく解釈した。
具材はスタンダードなもので、スパイスといった雑多なものを除けばタマネギとニンニク、ショウガにホールトマト缶くらいのものである。あと鶏肉を事前にヨーグルトに浸けて置くといいらしいので、そうした。
理性的な量のバターを鍋に敷いたあと、タマネギとすりおろしたショウガニンニクを精神的に満足するまで炒めた後カレー粉を入れて更に炒め、缶のホールトマトを入れる。
本来であれば投入する量等も一考すべきだが、缶詰ってなんか半端に残すのが嫌なので全部入れてしまう。翌日以降の料理に引っ張られるのが自炊の嫌なところである。
溶岩みたいになってきたところで鶏肉を入れさらに煮る。浸けていたヨーグルトも一緒に入り急に店のカレーみたいな色になる、感動の瞬間だ。ひとまず味を見てみる。
トマトが、強すぎる。
あのカレー粉が完全に力負けしていた。トマト味のカレーかカレー味のトマトかで言うならば、トマト味のトマトである。
一人で食べる程度の量のカレーにトマト一缶は多すぎたらしく、俺の眼前にはホールトマトの壁が立ちはだかったのだ。つまり、ウォールトマトだ。
しかし、勝負はまだ終わっていない、むしろここからが本番なのだ。
カレー粉を少し足し、レシピの生クリームを拡大解釈し牛乳を足していく。きっと店ではちょっと引くほどのバターや生クリームを入れているのだろうな。
カレーの色合いが変わった頃合いで再び味見をするとトマトの向こう側に僅かだがカレーの健康的な浅黒い肌が垣間見えた。
なんだ、待っていてくれたのか。
牛乳を足し、カレーを啜る。牛乳を足し、カレーを啜る。そのたびに遠くで手を振るネパール人店員が近づき、その笑顔が鮮明になっていくかのようだった。俺が脳内で店員と握手を交わした頃、現実ではカレーが完成していた。
もちろん、プロの作るカレーと比べるべくもない、やや一人前の量を逸脱したバターとチキンが入ったカレーとでも形容すべきそれは、しかし俺にとっては紛れもなくバターチキンカレーと呼べるものだった。
途中我慢できず何度も味見をしたが、その度にうますぎて思わず笑ってしまった。
冷凍のナンをトースターで焼き、カレーを通販で買ったカレー屋でカレーが入ってるあの金属器に入れる。なんならラッシーも作ってみればよかったと後悔した。
仰々しく食レポをする暇もなく、俺のバターチキンカレーはあっけなく胃袋に消えていった。後に残るのは汚れたキッチンと皿くらいなものであるが、それでも俺は満足感に包まれていた。消去法で厳選された材料を目分量で適当に入れたカレーは、決して店のカレーの代替にはならないものだ。
それでも。
それでも、カレーを作ってみてよかった。
月並な感想ではあるが、自分でやってみることで、それをとりまく楽しさ、苦労といった感情が実感できるものである。
またいつか俺はカレーを作るだろう。
それはビーフカレーかもしれないし、フィッシュヘッドカレーに挑戦するかもしれない。
しかし、カレーを作るたび、俺は初めて心からカレーに対面した今日のことを思い出すのだ。
子供の頃は商売をしてる祖父母と同居してたから、祖母が店を閉める少し前に早めに帰宅してくれて、店の売れ残りとかレトルト食品とかを食べてた。夏は素麺・冷やし中華・冷やしうどん、冬は鍋鍋鍋。
あとは、子供向けにと思っていたのか肉類、特に豚肉がやたらよく出て、ケチャップ味とか生姜焼き風とか照り焼き風とか。ご飯・メインのおかず+付け合わせのキャベツやレタスやトマトの皿・汁物・大人用のおかず(煮物とか)が多かった。
中学に上がる前に祖父母が老人向けマンションに入ってからは、自分で父と妹の分を作ってた。母は帰りが遅くて、頑なにわたしの作ったものは食べようとしなかった。
祖母仕込みというほどの腕前では無いのでせいぜいご飯・生野菜・具の多い味噌汁のセットと焼いた魚か焼いた肉かクックドゥーの中華か…というのが関の山だった。もちろん夏は素麺と冷やし中華と冷やしうどんに夏野菜の焼き浸し、冬は鍋鍋鍋たまにシチューだし、割と高頻度でめんどくさくてパスタ茹でてレトルトソースかけたものとか、市販のチャーハンの素使ったチャーハンとかも出してた。凝ったものは本当に作らなかったから、生姜焼きも使ったことないし、煮魚も使ったことない。時々食べたくなった父親が自分で作ってたけど。
土日や朝食や弁当は母親が作ってたけど、全然料理上手な人じゃなかったから、二段の弁当箱の一段は白米もう一段は卵焼きとトマトとリンゴが三分の一ずつ入ってるのはしょっちゅうだったし、健康に気を使って規定量からさらに調味料を減らした味のしない野菜の炊き合わせとか、鱗の残った煮魚とか、老人向けの料理でももうちょっと彩りと味があるだろう…という食卓だった。
で、この度めでたく自分も結婚する運びになったけど、毎日の夕飯がどのくらいの量と品数を求められるものなのかいまだによくわからない。
手料理を振る舞ったこともあるけど、毎日ハンバーグと焼きそばとカレーってわけにも行かないし、共働きでそんなに時間もないだろうし、そもそも一人暮らししてて夕飯とかほとんどコンビニとレトルトだし。
雑誌読んでも二人前量少なくない?こんなに一度に複数の種類の食材用意できないよ?そんな調味料一般のご家庭にあるの???みたいな解せないポイントが多すぎて萎える
トマトには顔がある。4人分の顔がある。うち1人は半分腐ってる。羽があって飛んでいけたら良いのに。トマトが空を飛ぶ。横田基地を避けた航路で空を駆ける。もう8月だというのに、核の冬はまだ終わらない。葬儀の出席者だけで軽トラを埋めて、そこに家を建てよう。台所とお風呂が二つずつあって、天井は1m80cmとやたら低い。何ならみんな全裸になって公民館でバーベキューをするという手もある。人類の罪を1人で背負ったキリストは、当然小学生の時に借りたまま返してない鬼武者2の罪も背負ってる。だから文句を言うならキリストに言って欲しい。見るからに大丈夫じゃない人に大丈夫ですかと声をかけるのはやめた。実質修学旅行みたいなものだから、楽しいと言えば楽しい。
今月はdポイント20%還元のおかげで破格の値段で買えるのが良い。
いつもかむかむ。
まあまあ良い。
取れるだけ取った。
他の乳飲料が人工甘味料マシマシの味わいカルピスとメロンっぽい風味がするフルーツ牛乳のメロンミルクだけだったので、乳飲料はこれ一択だった。
ディスカウントストアで安売りされそうな感じがする。
ひな祭りで食べるやつに似てる。
うまい。
普通のアーモンドチョコレートも隠し枠であったようだが、気付かず品切れに。
歯ごたえ重視で薄味。
まだ食べてないジンジャーエールアップの方を取りたかったが、どこにもなかった。
ドン・キホーテで稀に30円くらいで売ってるので、あまりお得感はなし。
お得ではあるが、わざわざ買うほどでもない。
・材料に塩が書いてない(追加用だけでなく)
コンソメだけで味をつけようとするといつも同じ味に感じるしくどくなってしまう(にんにくもいつか急に飽きる)
塩は野菜+水の重量の0.7%~1%。600cc+野菜たっぷり200gなら1%で8gだが、
小さじ1の5gでよい。小さじ1って結構多い。手のひらで小山になる量だ、つまんでいれると人によるが10往復くらいかかる
今までコンソメだけでやれていたのならコンソメ+ウィンナーベーコン類の塩分、酒が料理酒で塩入り、有塩バターでなんとかなっていたのでは
ごくごく飲める程度のスープはダイエットにはいいが夏はあっという間に痛む
それでもあまり薄い味につくってちょうどいいころまで煮詰めるのも大変だから、
・セロリと牛乳のスープ、トマトとベーコンのスープ、カレーとじゃがいものスープなどいろいろアレンジを試すといいが
どれにせよ油分は少しいれなければいけない
カレーじゃがいもだとサラダ油かオリーブ油かベーコンの脂身かなんかを小さじ1は足す(具材を煮込み始めた液面にタラタラっと適当に流し入れるおまじない程度でよい)
さもないと野菜からツンとしたチオイソシアネートやエグミが抜けない。味が丸くならない。
味噌汁も同じことで、具材が油揚げだったり豚汁のごま油を使うときとてもまろやかに感じる。
アクをまとめる役割もあるので、アクすくいをするのならカロリーはさほど気にしなくて良いと思う。
そもそも野菜スープ自体、食物繊維で油分を包み込んで出してしまう役割が期待できるものだから
鍋に小さじ1程度なら入れてないのとおなじだ。人参のカロチンの利用率も高くなる。入れないと損するレベル。
美味しくつくって飽きずに長く食べよう。
もう30年前かなあ~
ポハンだったかなーそこで現地の人と仲良くなって
ケーキをごちそうになったんだけど
それが「バタークリーム」で「トマトがイチゴみたいに上に乗ってた」んだ
もぅびっくりしたな~日本のショートケーキとは微妙に見た目が似てるんでどうも受け付けなかった
なんでトマトが乗ってるのかって聞いたら「トマトはフルーツだから」っと言われてたが
残りの期間を過ごしてるとホントに韓国の人はトマトをフルーツだと思ってたようだった(砂糖をかける)
生クリームを使った日本みたいなイチゴケーキはソウルでしか見なかった気がする