はてなキーワード: 自己肯定感とは
掲題の通り。
コロナ禍で週5在宅勤務になり、作業通話というものの存在を知ってからdiscordをよく使っている増田が、必ずと言っていいほどどんなサーバーでも遭遇するのが
雑談用や誰でも参加OKなVCチャンネルに入室して「初めまして」から30分以内で自分の病名やら飲んでるお薬やらを話のタネに持ち出すメンヘラ。
隙があれば自分語りをされて嫌な思いをされた方も少なくないだろう。
増田もその一人だ。
こいつらの思考をなぞってみる。
なぜなら自己肯定感が低いのでその場が静まり返るとセルフ反省会という名の自己攻撃が始まってしまい、耐えられないから。
ただ人が黙っているだけで気まずくなってしまう。
また、自分を客観視する能力が低いため、自分の身の丈以上の承認欲求がある。
沈黙に耐えられず無理矢理話題を出そうとするが、承認欲求がデカすぎて自分と会話してる相手のことを知ろうとするのではなく、まず自分の話したいことを話題に出してしまう。
しかし病気のため仕事はしていなかったり、コミュ障なため恋人や友人もいなかったり、出かけることも少ないため話題のインプットがない。
自分のことで他人に話していちばんリアクションが返ってくるのは「私病気なんですよ〜」の一言。
通りすがりの優しい人からしたら、面白くない話を面白そうに聞くのは難しいが、人の苦労話に同情を示してあげるのは容易いからだ。
そうして「病気ネタ」での成功体験を積み重ね、そのネタに反応しない人は「冷たい人」と認識することで「コミュニケーションの初手でメンタルの病気をカミングアウトしてしまうメンヘラ」ができあがるという訳。
正直なところ反応に困るし、「構ってちゃんなんだな」としか思えないし、引かれるのが関の山なのは正常な思考回路をしていれば分かりそうなもんだがなあとドン引きしながら「へ〜そうなんすね〜」と鼻くそをほじりつつ流している。
なかなかオンラインのコミュニティで馴染める場がないメンヘラよ、
まずは初手で病気のカミングアウトをするのはやめて、○○さんのご趣味は?とか
このコミュニティってどんな人が集まってるんですか?と聞くところから始めろ。
病気ネタで反応してもらえるかどうかのガチャを引き続けるのをやめろ。
そこで積み重ねる成功体験はお前のコミュ力の賜物ではなく、お前のカルテに書かれた内容への同情だからだ。
それを辞めればdis○oardやらTwitterで「雑談」という看板を掲げてメンバー募集をしているサーバーに入っては最初のVCで気まずい思いをして、顔を出さなくなるループから抜け出せる一歩を踏み出せる。
営業として力がつく感じではないんだね。キャリアの広がりはなさそう。
BLは書いたことあるけど、夢小説はまだ書いたことがない。夢小説が最近流行ってるから書いてみようと思った。
全然書けぬ。
夢小説の主人公ってつまり作者でしょ。それがモテて愛される描写がどうしても書けない。
これって自己肯定感が相当高くないと書けないと思う。
書いてるうちに麻痺してくるのかな。腐女子がエロ書くのに慣れてくるみたいに。
でも最初の一歩が踏み出せない。くやしい。
今お付き合いさせてもらってる5歳上の彼氏。
頭も良くてスタイルも良くて、上場企業の正社員で役職もついてるベテラン。
とても優しかったし、お金も多めに出してくれるし私のことをとても愛してくれていた。
私はきっとこの人と結婚する。したいと思ってる。
のだけど…
(後述するけど持病があって太ってしまったし仕事も転々としてる…)
彼は仲のいい人に対していじりをする事がよくあるみたいなのだけど、私はそれが少しつらい。
つらいと言っても、「でも好きなんでしょ?」と、私が夜にマゾなのを持ち出して言ってくる。
私がする日常の報告は全て「俺はさ〜」で上書きされたりスルーされたりする。
もう自分の言いたいことを言っても仕方ないと思って、自分の話をしないようにしていると「自分の話ばっかり一方的にしてるみたいで嫌だ」と言ってくる。
何もかもに疲れた時、私を肯定してくれる人は…いないことに気づいてしまった。
そうだ。そうしたら外注すればいいんだ。
って思うようになってしまった。
身体の関係はさておいて、私のことを肯定してくれる人が欲しい。
くだらない話も、真面目な話も…ちゃんと聞いてくれなくても反対意見や自分の話に持っていかないような…
それは所謂割り切りのような関係になるのかもしれないけど、それでもいい。
なんか疲れてしまったよ。
彼では満たされない私の自己肯定感。
それでも満たされない。
なんで別れないのかって聞かれそうだけど
持病は精神障害ですね。これは付き合う前に言ってて、彼も承知の上で私を選んでくれた。
それだけですね。
何年か前ぐらいから「生きているだけで偉いと言われたい」とか「息をしてるだけで褒められたい」って言うのが良く出てきていて、
何もしてないけど褒める というジャンルが出現したように思える。
でもこれ言うほど自己肯定感上がるか?
・生きている事を褒められているという事は、暗に何もしていないと言われているようなものである。
・この世界の人間は全員生きている。皆生きているだけでなくほかに褒められるような事をしているのに、自分はなんなのだろう。
・自分のようなものにかける褒め言葉が見つからないだけなのではないか。
・本当に生きているだけで偉いのなら苦労はしない。
・この人は生きているだけでこんなにも褒めてくれるのに、私と言ったら……。
など、考え方のルートは色々あるけれど、いずれにしても自己肯定感がない人が、この言葉をかけた事によって自己肯定感上がるというような事は無いような気がしている。
大昔の話だよ。お気持ち思い出話注意。
断ったんだけど、どうしても!とお願いされて
若干ワクワクした。
友人の友人をBとでもしておこう。
2人が登場。すごい!コスプレイヤーだ!
き、緊張する!!!
キメ顔の2人をパシャパシャ撮る。
ある程度撮って別の部屋に移ることになったが、
Bが「この部屋でコレ(違う小物)まいたら絶対
良いよね〜!」と何か思いついたらしく、
友人も「いいね!」と盛り上がっている。
でもどちらかが「一旦片付けないと...」と呟く。
と言い残し、2人は別の部屋へと向かった。
増田はポツンとした。
一瞬考えたが、ああ2人で撮りっこしてる間に
増田がここを片付けて、さっきBが言ってた
小物を用意しておけば良いのね、と理解した。
遠くで2人のはしゃぐ明るい声が聞こえる。
片付けと準備が終わって2人がいる部屋に行くと、
2人は別の部屋で小物をばら撒き、写真を撮る。
片付けが終わったら2人のもとへ走り、
終わったら片付ける...。ずっとそんな感じだった。
前述の通り貸切の家っぽいスタジオなので、
2人は「メイク落としと着替え終わったら
おっけー。
そう言い残した2人だったが出て行く時間までに
本当に加勢してくれたのは友人だけだった。
玄関で待ってたら「お待たせ〜」と出てきた。
ありがとーとは言ってくれた。
その後は打ち上げに行って、
散々な1日だった。とは言えない。小心者。
3人で割って○○円、あとでお願いね!」
衝撃過ぎた。え、タダ働きどころか有料働き?
さすがに友人がヤバいと思ったのか
とか何とか言ってくれてその場は収まった。
多分3人で使ったんだから3人で割らないと!
と単純に思っただけだと思う。
だから悪意があるとかではないと思う。
ことに見えてたのかということに驚いた。
場所代払うとかならまだ分かるけどね、
性欲もわかないしね......。
ハマってたんだけどスーッと冷めてしまって
いう点では良かったのかもしれない。
あと、コスプレイヤーが苦手になった。
この後も友人に何回かカメラマンを......と
言われたが曖昧に笑って濁すようになった。
察してもらえたのか今はお声はかからない。
友人にせよBにせよ、本当に悪意はない。
喜び!」と思ってるだけだと思う。
偉いよ。ピュアで偉い、素敵なこと。
コスプレじゃないけどなりきりという点では、
https://twitter.com/nanai_komusai/status/1397122109319483393
これ。
もうウンザリよ、なにこれ?
"サンは15才、僕の考察では当時が建武元年(1334年)その15年前となると元応元年(1319年)これは後醍醐天皇即位の年でエボシと後醍醐は関係があったと考えるからサンの父親は後醍醐天皇ということになる"
なにこれ?
なんの妄想?いや、妄想なら妄想でいいんよ、問題はこれを学問っぽくペダンティックに書いてるのがウンザリ。
この引用文の証明だけで、本来は論文一つ書けるんよ、ちゃんとした学問やるなら。
それでようやく次のステップに進むんよ。
じゃあ当時の後醍醐とエボシに交わりがあったのかを仮説立てて検証するわけよ。
タタラ場の場所とか、エボシの出生、経歴とか、後醍醐の巡幸ログとか引いてな。
それを「僕の考察では」でもう前提として始めるわけ。
どおなっちゃってんだよ?どおなっちゃってそこまで事実と仮定と妄想をごっちゃにしちゃうのよ?
いや待て待て待て、それどこ情報?って。
それ置いてけぼりにして、物語の構造を飛躍中の飛躍でぶっ飛びこじつけ始めるわけよ?
もうその論の足元には何ひとつテクストからの積み上げがないわけよ。ぶっこいてるやつの精液しか落ちてないわけ。
どういう自己肯定感あるとここまでの妄想を、さも新説や確定事項のように語れちゃうわけ?
その後も言うてること何もかもめちゃくちゃなわけよ。
点と点が線になってないのに、曲げて線にしちゃってるんよ。
妄想は妄想らしく扱ってつかあさい、説とか考察とか言わないでね、ウンザリしちゃうから。
こんなんに踊らされて、ハハアと唸ってる奴らも、知性やべーぞ。
自己判断だけどなんとなく自分はややADHDっぽい性質があると思ってる。20年ぐらい前に安易にリタリン出すタイプの精神科医に生活上の困難を相談したら、あんまり深く検査もしないでADHDでしょうねとか言われたことがあったレベル。でもセカンドオピニオンを求めてちゃんと検査する大学病院行ったらリアルに鼻で笑われたから投薬とか受けてないけど。
社会人になってからタスクの管理が全然できなくてミスして怒られてばっかりで、鬱っぽくなって自分ADHDかも?と疑って受診したのが始まり。何も覚えていられないから細かいタスクまで全部テキストに書いて毎日何度も見返してた。時間感覚が全然ないことにもその頃に気づいて、自分がさっきまで何してたのか、何でこんなに時間たってるのか分からないこともしょっちゅうあった。何時までに何をどれだけやるのかっていう計画性とか時間の見積をする習慣が本当に全くなくて、これを少し身に着けて日々繰り返すことで少しずつ普通にこなせるようなってきた。(でも休日になると子供の頃と同じ暮らしに戻る)
自分の場合はよく過集中しちゃうんだけど、それって「今は先に○○しなきゃ」っていう短期記憶がすぐに揮発しちゃうのも一因かなと思ってる。視界に入ってないものは何でも本当にすぐ忘れる。本読むのが苦手で、前のページまでに何書いてあったか覚えてられなくてストーリーの全体像が頭に入らない。深く練られた物語とか伏線とか推理小説とか大抵くみ取れない。1日3回飲んでる薬があるんだけど、さっき飲んだのかどうか思い出せないことがしょっちゅうあって、飲んだ記憶がさっきなのか昨日なのか本気でわからないなんてのもザラにある。深夜になって、今夜の夕飯が何だったのかを思い出すのも10秒ぐらい悩んで頑張ってようやく思い出せる。
仕事の打ち合わせなんかしてるとき、細かいToDoとか懸念点とかの話がたくさん出てくるけど、3つ目ぐらいになるともうワーキングメモリからあふれるのが分かる。最近では「あっ今何か忘れた」って感覚すらある。(シナプスが切れた感覚とでもいうのかな?)怖くてひたすらメモするからメモが大量に膨らんでそれの整理に追われて疲れ果ててる。毎日何も抜けないようにするなんて無理で周囲からのトレースに物凄く助けられてる。
でもなぜか学歴はそんなに低くなかった。子供の頃は勉強する意味も分かってなかったし授業も一切聞いてなかったし、なんか怒られるからただやってた。テストでいい点とりたいと思ったことも無かったから万年学内で劣等生だったけど、高校卒業してから仕方なく大学受験のために自分で参考書買ってマイペースで独学したら結構楽しくて、人並み程度の点は取れるようになって一浪してちょっとましな大学入った。みんなが言ってる勉強ってこういうこと頑張ってたんだなってここで初めてちゃんと理解した。
思い起こせば幼稚園から大学卒業まで、犬猫みたいに瞬間瞬間を主観的に直感的に本能で生きてて、同級生がそれぞれどんな性格の人だったかほとんどわかってなかったことにも気づいた。他人にも感情があって、他人の立場から見て自分の振る舞いがひどいものだ、っていうことを理解したのは社会人になって数年たったころだった。孤独耐性がかなり強いし友達と呼べる人は今はいなくて、大学の知り合いと年に1回連絡とるかとらないかぐらいしか関係は残ってない。
こういう頭の悪さって家庭環境とか遺伝も関係あるのかなと思う。父親はかなりアスペ疑惑の強い友達いない嫌われ者だし、母親は部屋散らかってて掃除しないAC気味で離婚した。兄弟はDVキチガイでこれまたアスペ疑惑で20年ぐらい毎日自分が殴られてた。こんな家庭出身で自己肯定感は地に落ちてるし子供とか死んでも要らない。相方はいた方がいいとおもうけどまあどうでもいい。生きていくのしんどすぎわろた
子育て中の親が「うちの子が脱線ばっかりして宿題しない」とかいうのを目にすると、例えばこんな感じで無自覚に記憶が飛んでるのかなと思ってる。自分がいつもどんな行動パターンで時間を無駄にしたり何かを忘れたりしているのかを、まず本人が時系列で振り返って自覚したり、それを改めたいと自発的に思わない限り改善は難しいんじゃないだろうか。
なんで吐き出したら楽になると思ったん
そういうとこじゃないん?
それで抜け出すってどういうことなん?
ハマってるとか進むっていってもどっちにか抜けたら先になにかあるんかとか
ゆうて抜け出すとかハマってるとかそんなん他人の言葉借りてるだけやろ
自分の今の状態だけ明確に理由があってどういうことなのか情報発信するんはどうなん
鏡みるやろ普通
他人は自分からみたら見えるやろ でも他人かて自分の姿格好は見えてへんやろ
あんたがみたもんを反射して自分がどういうものなのか解るってもんちゃうん
お笑い芸人がおったとしてな おもんないギャグでなんでウケへんのやろって
そのギャグがおもろいかどうかはお客次第やろ そのお客にどうしたいかは自分次第やろ
自分が赤い色が見たいとおもったらどうするん 自分が赤い色を発したら辺り一面赤くなるやろ
お客を笑わせたかったらどうしたらええんや 笑われることしたらええんやろ
この笑いが腑に落ちて自分の記憶と思考と合致したときにでるもんと 自分が絶対正義で相手が間違ってたり弱者であることの自己肯定感から来る嘲笑との違いがわかってへん若手も素質のないやつもおるけどな
なんで自分のギャグがうけへんのやろ 自分は赤い風景がみたいのになんで青にしか観客席がひからんのやろ って原因考えたら自分が青にひかっとるからだけなんちゃうん
たとえばな
器用に生きてて思い切れてるんいいなってみとるやん
じゃあやってみろっていわれて 恐る恐る手をだしてみるけど とどかんから不器用やないわれるんやろ
それもともと手がとどくとおもてやってへんやん
必死に手を伸ばしてとどかんかったら恥ずかしいとか 傷つくとかそんなんでわざとはじめから失敗するの前提でやってんのやろ
それで偶然とどいたりまわりが届かせてくれるようになったらええのにな とかそれだけが希望なんやろ
ちょっとそれナメすぎちがう? 他人が良い人になってくれるように自分が足りない人間やってる自負でもあるんかいな
自分が弱者でなんにもできないから周りの人に助けてと喚く それを聞いて堪えかねて助けてくれる人にお礼をいってなんてありがたいことかと返す
たちのわるいギャグやん 障碍者ネタでウケねらってる芸人みたいなもんやん 赤子かなんかなんか?
スポーツ選手が技をきめて成功したときでる観客の笑みは嘲笑ちゃうやろ それまでの失敗と苦労を笑ってるのとちゃうやろ
今来るべきところが選手にも観客にもわかっててそこに来れたときに自然と出る笑みやろ
その相互理解のために必要なんは失敗はありきで練習もありきでいさせてくれる環境なんちゃうん
まずなにより失敗を受け入れる自分自身の在り方がないとまず失敗のひとつもできんやろけどな
失敗するのわかってましたw っていえる自分がそんなにカッコいいんやったらカッコつけ続けたらええがな
器用ってもんはそれで大体わかるんちゃうん?
失敗したときどうすんのか 成功したときどうすんのか 準備できてるってことなんちゃうん?
なんでそんな先のことがわかるんやって わからんやろ
わからんけど 何回も繰り返してきたことやったら失敗したときも成功したときもパターンあるやろ
なんで毎回はじめてのチャレンジで練習もなしにできたことを評価されなあかんのん
そんなんラッキーマンかなんかやろ 自分の運を常にためしてんのか?
じゃあそのときどうしたらいいかわからんって なんも準備がなかったときどうするかってそれも経験値でなんとかなるやろ
ならんとしても ならんかったときどうするかって自分のテンプレがあったらええんちゃうん
失敗したときほかの人間はどうしてるん なんか真似したりしたらええんとちゃうの
全ての手が失われて想定外のときにはもう呆けてへたりこんだらええがな
もしあったとしたら めっちゃ貴重やろ その時にできなかったことをするチャンスがくるなんかそんなない事やからな
自分がそうなるんはもちろん嫌やけど でもそれを見た誰かがその次の手を考えるきっかけになるんやったら 自分はそこで失敗してもええかなって思う
そういう大切なもんは一個くらいあってもええんとちがうのん
まず失敗してみて失敗の仕方とその次の手を覚えるべきなんちゃうのん
失敗は失敗で終わらせて次をそのもひとつ向こうまですすめたらええやん
その先でまた失敗したらそこまでは失敗やけどその次成功させてもうひとつ進めたらええやろ
なんで連続成功体験でゴールまで無傷でいかんのかな とかおもてんの?
他人はみんな失敗したとこなんかみたことないから普通一度も傷つかずに成功しつづけてゴールしてるとでもおもてんの?
ちょっとそれは失礼すぎやろ 他人がコストをかけて売価かけてる売り物みんなぼったくりやゆうことになるやん
苦労して失敗やロスがあって その分加味しておゆずりできまっせゆうのが付加価値やろ
自分でやったら原価ゼロやんゆうてるんのおんなじやな じゃああんたの仕事ゼロ円でこっちにしたってくれやって話なるやん
ともかく
①器用に見えるんは準備があるから 準備すんのにはなにを準備したらいいか知らんといかん 知ってできるようになるには失敗せんとわからん
②自分を変えるにはまず自分を知らんといかん 自分は自分で見えんのやから自分を見てくれる人を探さんといかん
そんなとこちゃうの?
とりあえず失敗してもええからってことは失敗が取るに足らんことやと思えんといかんわけやろ
ということはそんなもんが小さいってみえるように 小さいゆうんは相対やから大きい目標もっとったらええんちゃうの
その大きな目標が崩れたら傷つくからこわい とかゆうんやったらせんでええがな
せんかったらどうなるかもう充分にわかってんのやろ 傷つかんですむ生活しとんのやろ それがそれでええんやったら続けたらええがな
実際いま完成してる成功体験に満足しとるんやったら何の問題もないやろ
失敗なんて小さい 大きい目標に比べたら なんていらん体験のために不安になったりする必要ないやろ
大きい目標に努力とかせんかったらもちろん成功もないけど傷つきもせんからな
けど絶対に大きな目標の達成が棚ぼたで寝ててもやってくる可能性はゼロじゃないといったところでほぼゼロやからな
自分がどういう人間かまわりに友達もおるんやからわかるのかもしれけど周りから返ってくる返事で自分を自分で知るって話先にしたやん
いま友達がおるしその人がゆうてるしでええんやったらそのままでええがな
ただ自分がどうしてそんなやつなんやろって それ自分がそんなやつやでって返してくるまわりの人間がおるからやろ
そうじゃない君がおるって話をするやつがおらんからそのままでおんのやし どうしたらええのかもわらんのやろ
自分のギャグがウケへんのやったら お客がウケるのにしたらええねん
自分を曲げてまでお客がウケるのしたないゆうんやったら 自分でおれる場所をさがして移動したらええやろ
どこにもないかもしれんけど 一生みつからんかもしれんけど 探しとるやつはいっぱいおるはず
探しとるやつを応援する自分やとか そういう人間に反射する鏡の立場になってないからそんな人らの姿もみえんのやろ
自分が鏡として役に立っとるんは 自分が反応を返しとる相手だけやでな
自分が自分でわからんとか 自分が自分の期待通りの自分じゃないって姿を返してくる環境とか友達とかは そういう鏡やってことやでな
自分をみっともなく蔑んで姿を映してくれる鏡やからこそがんばれるゆうんやったらそれでもええやろし 褒められて伸びるんやったら自分が綺麗にうつる鏡を探すべきやろ
失敗したらどうなるばっかり肯定してできないからしないって断固たる決意だけはできるのに どうなるかわからん未来はどうなるかわからんから不安でできないって意味わからんくないか?
なんで失敗したらやばいからできないってことだけ絶対選択できるんや
まあええけどな
じゃあせんかったらええねん
自分で行動しないけど結果がほしいときって もうほかに選択肢ないやろ
じゃあどうやって手に入れるん
自分で手に入れられるように訓練して出てくるけど まあまた戻っていくわな
無理なんは無理なんかもな
自分でせん人間には選択肢はもうないでな 自分でせんのやから生産が自分でできないの100%確実なんやから
とりあえず失敗して 失敗したっていえる人間がおって 次がんばろうやって言ってもらえたらええんとちがうの
ふとした瞬間に訪れるいなくなりたい気持ち。
新しい環境を目の前に控えた不安とちいさなミスが重なりどん底に。
でも私には大切な大切な子供がいる。
大きくなるまでもちろん見たいし、育てるのが親の義務だ。
(金銭や身の回りの世話だけでなく精神的なものも含めいるべきと思う)
それはしてはいけないことだと知っていたので
気づかぬ内に自分の周りの檻の鍵を増やしていたのだなと気づいた。
夫がいるから
息子がいるから
大切なのと同時に煩わしい。
息子に対してそんな感情を抱いたことがとてもとてもショックで、
向き合うべきなのかと思った。
生きることに対しては同じことの繰り返しの時間って辛いなぁという印象。
息子はそりゃあもうかわいく、無償の愛を与え合えるって素晴らしいと思う。
夫のことは好きで、仲もいいと思う。でもミスは笑って許されることはなく、
自己肯定感の下がる日々。それのせいか誰も周りにいなければいいのにとよく思う。
自分のせいで誰かが傷つくことは嫌なのでそれならいっそという短絡的な思考です。
死にたいってみんな定期的に思うものだと思っていたけどそうでもないようで
病気なのか、性格なのか、はたしてこれは治るのか、治したいのか
いつもここまで辿り付き、考えるのをやめます。
今回ばかりは猛省。
愛と幸せについて考えている。
SNSを見てると、色んな人がいるんだなあ、と思う。
婚活で結果が出せず焦る人間。婚活で夫をゲットした女のブログ。アプローチしていた女が他の男と帰るのを見て精神を病んだ人間のSNSの投稿。
彼らは自分に自信がない、もっと言えば自己肯定感がないゆえに他者からの承認を必要としている。自分の存在を認め、精神を安定させるためにわかりやすい形で他者からの承認を必要としている。
他者からの承認を手っ取り早く得るために使われるのが「パートナーを作ること」とである。パートナーがいる自分は社会的に強い。パートナーが自分を承認してくれる。
でもそれはパートナーに自分の精神の安定を委ねることに繋がってしまう。パートナーがいることで得られる安定は仮初めでしかない。
そんな自己肯定感が希薄な人間は幸せな人間を見て劣等感を募らせる。「どうして自分はパートナーがいないんだろう」「愛されないんだろう」「だから自分は駄目なんだ」そうしてまた彼らは自己承認を失っていく。
卑下がすごい人間、自信の無い人間には、誇りが欠けている。嫌われないかビクビクしている。
周りにもそれは伝わる。おどおどしているように見える。
でも人に承認を求めると人ありきの自分でしかない。その安定は人ありきのもの。だから、自分で自分を承認できるようになれよ。肯定できるようになれよ。
そのためには頑張るしかないんだよ。何でもいい、仕事でも趣味でも、何かで結果を出すしかないんだよ。どんな小さな結果でもいい。「勉強1時間できた!えらい!」「ちゃんと出勤した!えらい!」というように意識的に自分を褒める、適切に自分にご褒美をあげる、そしてまた頑張る、を積み重ねて、「自分はこれができるんだ」という体験を重ねて自信にしていくしかないんだよ。
それを小さなハードルから設定してだんだん大きなハードルにしていけ。
越えたハードルの高さと量は自信になる。
結果を出す人間、自分に自信がある人間は、それだけで魅力的だ。
https://anond.hatelabo.jp/20210520144001
本当にヤバい奴って自分のことバカだと思ってないしむしろ普通レベルよりは少し上ぐらいに思ってる
質問に答えないし何言ってるか分からないけどそれを指摘したら怒る
おまけに
「自分が言いたいことはこれだし、何も間違ってない」
とか言い出して会話が成立しない
「YesかNoかで答えて」
に対してYesでもNoでも答えない
よく政治家が使う戦略とかじゃなくて本人は至って真剣に答えてるけどYesでもNoでもなくて自分のお気持ち表明しかしない
ちなみにお気持ち表明は元の会話とは全然関係ないお気持ち表明しかしない
おまけに
みたいなことまで言い出すし勝手にキレる
「言ってない」「そういう意味じゃ無い」
の連発、もしくは嘘をつき始める
よく言われることだけど自己肯定感が低いと少し否定されただけでアイデンティティを保てなくなるから
例え間違えていたとしても必死で主張を守りにくる
自己矛盾してようが嘘をつくことになろうが関係なくアイデンティティを守ろうとする