はてなキーワード: 自己肯定感とは
増田見始めてから半年くらい経ったからそろそろ初投稿してみる。
というか、投稿せずにはいられなかった。誰かに話したかったけれど、ちょうどいい人とタイミングが無かった。
今までの人生はなんとなく生きてきたし、中高でもなんとなく恋愛し、なんとなく旧帝に進学した。
大学では彼女はできなくて、ぼくは人間性に問題があるんじゃないかと考えてた。分からないけど。
ただ自己肯定感が低いだけなのだと思う。家族仲が良いほうではなく、愛というものがいまいち分からない。
かわいかったが、好きになるかと言われると、ちょっと違った。結婚するなら知的な人がいい。
家に行ってだらだらしてたら終電がなくなり、泊めてもらった流れでヤった。
年は近かったが、相手は慣れているようだった。女の子の方がつよくて羨ましいよね
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881121091/episodes/1177354054881164422
で、初めて現実で生身の女の子を見たわけ。AV と同じ感じだなーって思った。でも、それ以上はなかった。
舐め合っていれてイった。ゴムはつけたよ。これも AV と同じだなって思った。でも、それ以下でもそれ以上でもなかった。
見聞きして仕入れていた情報に対して、それ以下でもそれ以上でもなかったのだ。
ずっとスマホの小さい画面で見てきた AV はなんだったのか、夢を膨らませすぎていたぼくに少し失望した。
愛し合ってる人とだったらまた違うのかな
これはセックスじゃなくてただ相手がいるだけのオナニーだったのかな
彼女ほしいな
でも、彼女ができてもまたそれ以下でもそれ以上でもないのかな
ここまで読んでくれてありがとうね
煽りじゃなくて事実だと思うぞ。メンヘラが普通は同意しかねるが
数値化出来る積み重ね・拠り所が無いひとほど
年齢でマウント取ろうとしたり、有配偶や子どもでマウント取ろうとしたり、気の毒ななりすまし(出来てない)属性でマウント取ろうとしたり、
このぜんぶが無理だと、『ぼくわたしは精神的に大人』ってマウント取ろうとしたり、『健康』でマウント取ろうとする
気持ち悪いし何よりも"哀れ"なのでそろそろ止めた方がいいもの
↑ 上記を言ってるのが10代だったら可愛げも実利もあるんだけどな↓
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例:ちゃんみな (当時17歳)
『私はこの制服も言葉もno fake だこのコスプレイヤー』
▼ちゃんみな(CHANMINA) - FXXKER (Official Music Video) [YouTube Ver.]
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今は○○だからと思ってるかも知らんけどおそらく一生そのままだよって思ってる
もし自己肯定感()や収入やらに困っているなら自分の特性を受け入れた上で生きたほうが
楽に生きられるんじゃないの?と思ってるよ
文句を言いながら使われて生きるといい
数年前、夏に自分の体臭が気になったため脇毛を剃ってみたところ、シャツを脱いだときのムワッとする感じがなくなり非常に快適で、それ以来ずっと脇毛を剃っている。
いつか陰毛の方も剃ってみたいものだと思っていたが、温泉などに行きにくくなるかなと二の足を踏んでいた。
しかし昨今のコロナで温泉などに気軽に行くことができなくなったことや、その他個人的な理由からもう剃ってもいいんじゃね?となり陰毛を剃ってみたところとても快適であった。
というわけで皆さんに陰毛を剃ってみてよかったところをお知らせしておこうと思う。
陰毛、一応定期的にきちんと洗うのでめっちゃ臭くはならないんだけど、股間は頭皮とは違う分泌物などが漏れ出ているようで、独特の汚れが陰毛についていてなかなか落ちないことがある。
これが独特のムワッとする香りを産んでいると予想され、まあこの香りをフェロモンと呼ぶのかもしれないけど、夏場とか特に不快感がある。
いきなりひどい話で申し訳ないが、手淫の際に、こうなんというか、とにかく後始末が楽。
多くは語らないけど色々感じ取ってほしい。
この状態になってからローションを使用していないけど、ローションを使ってもとても後始末しやすいと思う。
いつもは陰毛が陰茎の2割程度隠してしまうため、その分短く見えるのだけれど、さらけ出されているのでその分長く見える。
いや、よく考えるとこれはおかしい。
陰毛がある状態のときの見え方が短く見えているわけなので「ありのままの長さに見える」が正解なのではないか。
誰かに見せるわけじゃないけど、鏡を見るたび「おっ、ちょっと長い」と嬉しくなる。
恥骨のあたりももちろんツルツルでエモいのだけれども、一番は金玉がツルンとして可愛い。
愛おしい。
最近は剃毛流行っているという話なので大丈夫だとは思うけれども、やはりちょっと恥ずかしい。
ちょっと切れたりしても、まあひげそり時に血が出るていどだとは思うんだけど、やはり大事な部分から血が出ちゃうと想像するとめっちゃ怖い。
タマヒュンするとシワシワが余計深くなるので怖がらないほうが良いのだけれど…。
そんな金玉のシワを伸ばしながら剃っていかないといけないのだけれど、伸ばしてもやはり剃りにくいテクスチャをしている。
つるつる滑る金玉を引っ張って伸ばしながら剃っている姿を想像してほしい。
俺は長らくうつ病になっていた。
そんな時、友人に若くしてガンが発覚した。
俺はそん時思ったんよね。なんて俺は脳天気なんだと。やれ自己肯定感だの職場の人間関係だの、ちっせー事で死ぬか死ぬまいかのレベルで悩んでる(笑)自分がアホの極みに思えたよね。もう恥ずかしいレベルで精神が幼稚。
目が醒めた気分だった
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
健康に生まれ親は喜んだろうなと思うと少し申し訳なくもないが、眠ったら目覚めなければいいと思っているのは事実だ。
正直死産だとかどーーーでもいい。
恋愛弱者としては、あんたら恋愛ステータス持ってるんだろ、贅沢な悩みなんだよ満足してろよと思う。
自殺止めた高校生カップルはさぞ自己肯定感増したんでしょうなと思う。
5年前からメンタルやられているのは職場にカミングアウトしていない。気遣われて仕事振られなくなるのが嫌だから。
それでも寝たら朝は来るし、進捗無いから朝一のミーティングでボコボコにされなければならない。
日々をただ過ごすことだけならなんとなくこなせる。
けどやはり辛さは消えてくれない。
それでも僕は生きます
まとめると、
・二次元とはいえハゲデブ汗ダラダラなキモ男を好きな女がいると思わなかった、そこはマジすまん
・キモ男で自己肯定感アップは謎、女ってだけで好かれる=乳と穴ついていればなんでもいいみたいな人に好かれて自己肯定感上がる?ここはお互い理解できない価値観のギャップありそう
・キモ男と言わずとも三次元でもおじさん好きならpairsとかで探せばいくらでも出会えて、好みの人が多くて人生めっちゃ楽しそう
なんかめっちゃ読みにくい文章書くね?もっと分かりやすく書いてくれ
キモ男好きの女商業作家はぶっちゃけあんま知らないけど、趣味で描いてる人は結構居るし私もそのうちの一人だし少数が自給自足で描いて食ってる感じある
グッドエンドは死なないやん。あとヒロインみんな好かん。ダルでいいわ
- 紅莉栖。ハヤテのヒナギク亜種キャラで説明が終わるキャラ。ゆえに嫌悪感を持つ要素はゼロだけど好きになれる要素も皆無でトゥルーエンドも非常にモヤッとした気持ち。みんな助かってよかったけど別にお前のこと好きじゃないんだが?みたいな。心底友達キャラでよかった
- ルカ子。メンヘラ1号。とりあえずコスプレで自信がモテるようになるみたいで何より。ルカ子の自己肯定感と父親と姉の女として育てたい(虐待だがコミカル要素として描写)が深刻な話な気がするんだがなんかサラッと終わってモヤッとする。男の娘だがぴくりともしなかった
総評:橋田親子以外みんなまともじゃない。少なくとも恋人キャラでは無い。モモーイのフェイリスはギリ有りだけど、他のヒロインが魅力がないので相対的に順位が上がっただけ
ヤリマンメンヘラクソビッチって基本的に金欲しさに軽い気持ちで援助交際してた経験があって、男と付き合ってもすぐ捨てられて、アプリで会った男とワンナイトしまくって、彼氏欲しいときにヤリモクに遭うと発狂して、自分がヤリマンメンヘラクソビッチになったのは「過去に男に性的な目で見られたせいだ…」とか「親に愛されなかったから自己肯定感が低くて…(大体十分愛されてるのにワガママなだけ)」とか「私たちは買われた(キリッ」とか他責ばっかで、その後なんか微妙な男と結婚した挙句「色々あったけど素敵な人と出会いました!」ってSNSに幸せアピールしまくって、実際は浮気疑いまくり自分も浮気しまくりで、ガキ生まれたらまた自分もソフト虐待してくんだろうな、ガキに許可取らずにガキの写真SNSにアップしまくって幸せなママを演じて生きてくんだろうな
セックスできる→性的魅力がある→自分に価値がある というので本当は好きというわけでもないのセックスを続ける女性はたまにいる。
結局彼氏はいないのかな?彼氏にも求められたらチンコにしか見えないような状態であれば、彼氏に素直に相談するか、難しいなら心理カウンセリングとかも考えたほうがいいかもね。
「私という人間を見てほしいのに。」が最終的なゴールなのだろう。
誰かに自分のその気持ちをリアルで話せる人がいないと厳しい気がする。
1人で解決するなら自己啓発本や心理学の本とか読み漁って見るのもありだとは思う。
参考になれば幸いです。
もしわざわざ指摘するなら上司には自分から挨拶した方が印象いいよだな
もしくは挨拶は相手の自己肯定感を高められるのでとメンバーのレジリエンスの面からお話しする
なんにせよ親切なこったな
メンヘラだとかかまってちゃんだとか思われていることもわかっていたし、自分自身も自分自身にそう思っていた。
死ぬことはなんとなく「絶対」良くないことだと思われているし、まぁ実際大体そうで、なんで「死にたい」かって言うかというと、良くないことだとわかってるから言うんである。
本当に死にたかったのかといわれると、本当のところは死にたくなかった。そして、「死んでほしくない」と言われたかった。同時に「死にたくない」と思いたかった。
死にたくないから「死にたい」と思うことで、死にたくなさを確かめたかった。
もちろん他人に「死なないで」と言われることは自己肯定感みたいなものが刺激されて気持ちいいし、それを強く求めることをかまってちゃんって言うんだろうけど、
たぶん、みんな、少なくとも、私は
「死にたい」と強く強く思うことで、自分の中にある死にたくなさを確かめたかったのだ。
で、他人が「死にたい」に飽きてくるように、自分も「死にたい」に飽きてくる。
ああ、またか、と、なる。
行為が具体的になる。手を止める段階が深くなる。
頭がボーッとして何も考えられなくなる。ただ、ただ辛い。ここで終われば、辛いのもまた、ここで終わる。
私は死ななかった。やっぱり私の中の死にたいは生きたいだった。だけど、それをちゃんと見極められたのは運がよかったからにすぎないのかもしれない。