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はてなキーワード: 必然とは

2011-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20110227171553

横だけど、増田がみな他人の理解を求めてるわけじゃないと思うけどな

からないことがあって相談しに行く→話しているうちに考えがまとまる→自己解決、みたいな効果を狙って話してるのかもしれないじゃん

文章にするには必然的に考えをまとめないといけないし、人の目に晒せばツッコミも得られる

機械や人や未来についてのひとりごと

オートメーションが進めば、なくなるのは「肉体」労働なのか。

機械だけになって機械を作る機械が出来ても、その機械設計する人間は必要になる。だから、肉体で労働するわけじゃないが頭を使って労働する人間は必ずいる。

そして、次にメンテナンスが必要ということだけど、そのメンテナンスをそもそも人間自身も行ってるわけで、

なぜ他の人間がいなくてもメンテナンス出来るかといえばそれは自立行動し自分栄養補給し排泄することが出来るからだ。

とすれば、全てを機械にやってもらうためには自動メンテナンスすることが必要だ。

さらに、知能労働人間だけのものということでもなくなってくる。

自動メンテナンス出来る機械誕生すれば、そもそも自分の意志で何かを考えることが出来る機械が登場してもおかしくはない。

その機械を何らかの方法を使って制御し、ある一定の労働のみを行わせることが出来れば・・

教師ロボット政治家ロボットというのも不可能はない。

だけどその時人間がどうなっているかということだ。

かに教師ロボットなどの知能労働をするロボット過去SF作品でよく出てくるしありきたりな話ではある。

しかし、人間そのものが大幅に変わってしまうという作品はなかったかもしれない。

そこで人間がどうなっていくかを考えれば、やはりこれは機械に近づいていく。つまり、機械のような都合の良い肉体を求めていくということになる。

たとえば、視力が落ちない義眼、怪我に強く疲労しない腕や足、睡眠の必要がない身体。

そもそも人間人間にとって都合の良い世界を作るために必要としたのが機械だ。機械を必要としているのは、人間というよりは人間の脳だ。

だとすれば脳以外の肉体をそっくり人工の、脳にとって都合のいい身体に変えてしまっても問題はない。というより、それが脳の願いなんだろう。


機械が徐々に人間らしくなっていき、人間が徐々に機械になっていく。どこまで行くかは分からない。しかし、今の自分想像力では、機械が完全に人間になるということは多分ないと思うし、人間が完全に機械になるということはない。

機械人間になるということは、本来の機械の役目(都合の良い労働力)が失われてしまうし、人間機械になったら、つまり人間の脳まで機械になってしまったら、それはもう人間とは言えないし、都合の良い身体を欲しがる人間はいても、人間を捨てて機械になりたいと思う人間がいるとは思えない。

でも、人間機械微妙な均衡点というのが一体いつまで維持されるのか分からいし、それを維持するという明確な理由が見つからない。つまり、「人間機械になってはいけない理由」や「機械人間になってはいけない理由」。

人間機械になるなら、都合の良い労働力として工場派遣されても問題はないし、元機械だとしても性質は完全に人間のそれと同じなら彼らを機械カテゴライズする理由もなくなってしまう。

個人的にこの未来は恐ろしいと感じる。この恐れは、多分自分が許容できる未来限界点を示してるんだろう。

人間機械になり、機械人間になる、こんな未来がいったいいつになるのか想像も出来ないが、もしかしたら1000年以内にやってくるかもしれない。500年以内と言っても早くはないかも。


結局、脳は機械になることを望んでいるんだろうか。

脳の持つ性質は、人間味という言葉からはいずれも遠いし、脳が願ったものを見てみても、そこに人間らしさというものはない気がする。

デザインという右脳の意向が強く反映される部分だけ見れば確かにそこには人間らしさがあるが、ほとんどの部分左脳の意向に沿ったもので、そこにあるのは無駄がないすっきりとしたデザインだ。

このまま行けば、もしかした右脳が完全に左脳にとってかわられ、人間らしさというものは完全に失われるのかもしれない。

たとえば、機能ごとに何を選ぶかという自由はあっても、同一の機能で違うデザインのものということはない。

ファッションを見ると、概ね左脳に支配されていない、つまり時間軸的には過去文明でいえば未発展のほうがより派手で無駄が多いデザインになってる。

これは、右脳がそういうものを求めていて、まだ言語世界が発達していなかった世界ではそういう華美なものが求められていたのかなと思う。

逆に現代に近づくにつれ、だんだん右脳よりも左脳デザインに口を出すようになり、より合理的で、無駄がなく、画一的デザインが選ばれるようになっていった。

グローバル化もそれに似ている。素晴らしいものが一つあれば皆がそれを真似し画一的になる。萌え絵ハリウッドの方法論、ファストフード店、郊外店舗などなど。


このまま左脳が優位になればどうなるか。人々は次第に画一的なものを問題だと思わなくなっていく。

たとえば草食系。必要のないものにはお金をかけない、すなわち安い画一化されたものを購入する世代の出現。

ユニクロがバカ売れする時代。もはや重要なのは「機能的かどうか」であって、個性的かどうかではない。

言語も統一される可能性がある。英語かどうかは分からないが、この勢いでいけばやはり英語地球標準言語となる可能性は高い。

しか言語というのはその土地に根差したきわめてローカル存在から、もし英語世界言語を統一するとなれば、よりグローバルな言語となるため進化が必要になるだろう。

ここで考えられるのが、どうやってグローバルな言語となるために進化するのかということ。

かに元々ローカル言語というものは、どうやったってその民族環境などに影響されやすい。


まず環境を考えるとすれば、実は地球上では既に環境グローバル化が起きている。それが、自然環境に左右されない都市化という現象だ。

都市は概ね自然から断絶されており、都市間には自然環境ほどの劇的な違いは見られない。どの都市コンクリートで舗装された地面があり、車が走り、高層ビルが立ち並び、駅やコンビニが点在している。

ということは、実は都市だけを見ればほとんどの都市は似たり寄ったりで、そうなるのは必然なのだ。

次に、民族。これも、実は統一されつつある。都市間の流動が激しくなっている。

日本はそうでもないかもしれないが、アメリカには中国日本韓国インドドイツ系・・いくらでもいる。

たくさんの民族が一つの都市で暮らすことが出来るのは、都市が画一化されていてどこにいても大して変わらないからだろう。

かつての江戸ロンドンはあまりに違う。人々が着ている服も習慣も全く異なっていた。しかし、今は不完全ではあるがすべてが画一化されようとしている。

また、混血も重要だ。日本人アメリカ人先祖に持つ人間というのは珍しくない。移民ネガティブな問題として取り上げられることが多いためまだ混血というのは多くないかもしれないが、確実に今後は増えていく。地球という広い土地の上で、かつて絶対に交わることのなかった複数の民族の血が混ざるという時代に既になっているのだから

地球人という考え方が当たり前になれば、次第に言語も統一される。次はやはり宇宙の時代になるんだろうか。

宇宙でも人間土地を拓き画一化された都市を築き、ますます便利になって、ますます遠くへ行く。

その先に何があるのか、まったく分からない。自分想像力はここまでだな。

2011-02-26

小麦の18%値上げと、貿易収支の赤字転落。

世界中通貨の切り下げ競争をやっていて、日本ですら、民主党政権が去年の9月に円売り介入をやらかした。

おかげで、通貨や、それを通した株式債券といった、比較的資金吸収量の大きい道具が、それぞれ、国内資金だけで支えるようになっていっている。行き場を失ったお金は、コモディティに流れ込み、純金や原油小麦といった商品相場において、結果的に高値を作り出している。

それらの相場は、高値になれば、それまでコストがあわなくて放置されていた鉱脈油田が操業を始めるし、荒れ野が開拓されて小麦コーン大豆の作付けが行われるので、供給量については、心配する必要はない。

先物を売ったのに、不作で納品できないという生産者や、先物を買ったのに不作で納品してもらえないかもしれないという実需家の契約不履行リスク、仕方がないので差金決済をしようにも、相手が破産していてとりっぱぐれるという信用リスクは、旱魃や水害の直撃を受けている畑の所有者や、それと取り引きしてしまった実需家にとっては重大なリスクであるが、価格の上昇による需要の減少と、その他の地域における生産余力が、結果的には、市場需要を満たすのである

つまり、コモディティにおける価格の上昇は、需給バランスによるものではなく、通貨の切り下げによるモノであって、小麦の売り渡し価格の上昇率18%というのは、民主党政権になってからの、日本円の本来の価格からの切り下げ(円安誘導分)であり、日本円の信用毀損分に等しいと考えられる。

ちなみに、この冬の暖房灯油価格は前年比18.7%の値上げであった。円売り介入や経済に疎い政治のせいで通貨価値が切り下げられた分だけ、相対的に物価が上昇し、庶民の生活を直撃するのである

通貨価値の切り下げは、物価の上昇に繋がる。日本ですら18%上昇しているとなれば、外貨準備が貧弱で、スポット契約主体で物資を手配し、輸出の為に通貨意図的に切り下げている後進国・中進国において、食料や燃料といった生活必需品が高騰するのは当然であるし、政治を批判する暴動が発生するのも、必然と言える。

日本が去年の9月に円売り介入をした事によって、日本円は、ラストリゾートとしての信用を失い、その他の通貨と同列の信用度に見られ、本来の価値よりも、18%割安になっているとも言える。今の経済に疎い民主党政権を握っている限り、日本円通貨政策に対する信任はかえってこないであろう。

日本円基軸通貨になることを避けるというアメリカの意向から国債格下げのアナウンスによって、当分は、米ドルとペッグしたかのような動きを見せると思われる。

産業構造を改革し、新製品・新技術を生み出せるようにしないと、アメリカの消費物価の上昇に日本も付き合う事になる。軍事的・政治的には日米同盟は磐石であるが、経済においてまで付き合う必要はない。

2011-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20110225192505

いやそうじゃなくて、「必然的な流れ」によって「目的意識を持って努力することは美しい」と思えるようになれなかった増田のような人間には、「必然的な流れ」によって増田が「美しい」と言うような現象は起こり得ないんだなあということを言っただけ。

2011-02-24

リビアなど後進国での暴動多発の理由

小麦の18%値上げと、貿易収支の赤字転落。

世界中通貨の切り下げ競争をやっていて、日本ですら、民主党政権が去年の9月に円売り介入をやらかした。

おかげで、通貨や、それを通した株式債券といった、比較的資金吸収量の大きい道具が、それぞれ、国内資金だけで支えるようになっていっている。行き場を失ったお金は、コモディティに流れ込み、純金や原油小麦といった商品相場において、結果的に高値を作り出している。

それらの相場は、高値になれば、それまでコストがあわなくて放置されていた鉱脈油田が操業を始めるし、荒れ野が開拓されて小麦コーン大豆の作付けが行われるので、供給量については、心配する必要はない。

先物を売ったのに、不作で納品できないという生産者や、先物を買ったのに不作で納品してもらえないかもしれないという実需家の契約不履行リスク、仕方がないので差金決済をしようにも、相手が破産していてとりっぱぐれるという信用リスクは、旱魃や水害の直撃を受けている畑の所有者や、それと取り引きしてしまった実需家にとっては重大なリスクであるが、価格の上昇による需要の減少と、その他の地域における生産余力が、結果的には、市場需要を満たすのである

つまり、コモディティにおける価格の上昇は、需給バランスによるものではなく、通貨の切り下げによるモノであって、小麦の売り渡し価格の上昇率18%というのは、民主党政権になってからの、日本円の本来の価格からの切り下げ(円安誘導分)であり、日本円の信用毀損分に等しいと考えられる。

ちなみに、この冬の暖房灯油価格は前年比18.7%の値上げであった。円売り介入や経済に疎い政治のせいで通貨価値が切り下げられた分だけ、相対的に物価が上昇し、庶民の生活を直撃するのである

通貨価値の切り下げは、物価の上昇に繋がる。日本ですら18%上昇しているとなれば、外貨準備が貧弱で、スポット契約主体で物資を手配し、輸出の為に通貨意図的に切り下げている後進国・中進国において、食料や燃料といった生活必需品が高騰するのは当然であるし、政治を批判する暴動が発生するのも、必然と言える。

日本が去年の9月に円売り介入をした事によって、日本円は、ラストリゾートとしての信用を失い、その他の通貨と同列の信用度に見られ、本来の価値よりも、18%割安になっているとも言える。今の経済に疎い民主党政権を握っている限り、日本円通貨政策に対する信任はかえってこないであろう。

日本円基軸通貨になることを避けるというアメリカの意向から国債格下げのアナウンスによって、当分は、米ドルとペッグしたかのような動きを見せると思われる。

産業構造を改革し、新製品・新技術を生み出せるようにしないと、アメリカの消費物価の上昇に日本も付き合う事になる。軍事的・政治的には日米同盟は磐石であるが、経済においてまで付き合う必要はない。

2011-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20110221161654

たとえば交際するのに「付き合ってください」なんていちいち告白すんのか?

しないだろ?

飲み会でいい感じになってそのまま酔いつぶれて自宅お持ち帰りかラブホだろ?

お前人間関係なさそうだな。

だいたい俺の周りの女(上位国立not旧帝)はそういう告白は「重いからやめてくれ」と皆が言う。

これって要は君みたいにいちいち手続きすんのだるいから、それっぽかったらしていいよって言ってんのと同じ。

レイプはいや、でも好きって告白されんのもいや。

んな道理が通ると思ってるわけじゃあるまい?

レイプってのはある意味必然なんだよ。

追記:

勘違いするなよ。俺が告白したわけじゃないぞ。そういう話題になるたびそういう結論に落ち着くんだよ。

2011-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20110220014829

成功してもダメな奴

それは、成功した理由を「自分の運によるもの」だと思ってしまう奴。

そしてさらに、成功出来ない奴を「運が足りない」とか「何のために生きてるの?」などとドヤ顔で見下してしまう奴。

もちろん、ネット上でもリアルでも、あからさまにそんな態度を見せつける奴はまずいない。

でも、奴らはどんなに巧妙に隠しても必ず隠しきれないそういった面がある。

自分は本当に努力したと思うし、たまたま運が結果に結び付いたのかも」という風な言い方をする人間は大抵ダメ

それは、努力したという言葉真実のものとしてではなく「謙遜」という社交テクニックとして使っているに過ぎないから。

つまり本当は俺の運がよかったから成功できたんだけど、あんまり言うと自慢っぽいから少し努力たまものってことにもしておくか、という態度だから

自分が成功できた理由など単に努力が実った以外にないことに気付けないうちは、いつまで経ってもダメな奴。

世の中には努力が実る奴とそうでない奴がいるだけであって、決して「才能がある奴」と「才能がない奴」がいるわけではない。

全ては努力である。全ては必然。全ては人間のたゆまない努力によって動いている。これに気付かず運命論に酔っている限り、そいつダメな奴のまま。

無論、ダメな奴だからといって天罰が下るわけではない。単にダメなだけである

追記:今更感あふれてる?確かにね。

成功してもダメな奴

それは、成功した理由を「自分努力によるもの」だと思ってしまう奴。

そしてさらに、成功出来ない奴を「努力が足りない」とか「何のために生きてるの?」などとドヤ顔で見下してしまう奴。

もちろん、ネット上でもリアルでも、あからさまにそんな態度を見せつける奴はまずいない。

でも、奴らはどんなに巧妙に隠しても必ず隠しきれないそういった面がある。

自分は本当に運が良かったと思うし、普段から努力結果に結び付いたのかも」という風な言い方をする人間は大抵ダメ

それは、運が良かったという言葉真実のものとしてではなく「謙遜」という社交テクニックとして使っているに過ぎないから。

つまり本当は俺の努力があったから成功できたんだけど、あんまり言うと自慢っぽいから少し運のせいってことにもしておくか、という態度だから

自分が成功できた理由など単に運が良かった以外にないことに気付けないうちは、いつまで経ってもダメな奴。

世の中にはたまたまツイてた奴とそうでない奴がいるだけであって、決して「才能がある奴」と「才能がない奴」がいるわけではない。

全ては運である。全ては偶然。全ては人間には到底計り知れない何かによって動いている。これに気付かず人間原理に酔っている限り、そいつダメな奴のまま。

無論、ダメな奴だからといって天罰が下るわけではない。単にダメなだけである

追記:今更感あふれてる?確かにね。

「運」だけで、努力した奴より成功しちゃうと、とてもとても居心地悪いんだよねえ。「運」が良くてごめんね、ごめんねーって気持ちになる。「運」は誰にでも平等に訪れるけど、掴めるかどうかは、それこそ、そのときの心の準備次第だからねえ。それを「努力」と言っても差し支えないと思うよー。

2011-02-16

政治に「民意」が反映されなくなった本当の理由】

政治民意が反映されていないとして長らく選挙制度改革や利権構造の問題などがメディアで取りざたされてきましたが、実際には選挙制度が変わっても利権圧力団体をいくら叩いても「民意が反映」されるようになるどころか政治ますます民意から離れていくだけでした

圧力団体」「利権」とは言いますが、「選挙」と絡み合ったこれらの動きは実は「政治」に最大公約数的な民意を反映させる仕組みでもあり、こうした構造の上に日本の政治では長期にわたる安定した政権と安定した成長が保たれてきました

選挙制度改革も、結局、従来の支持基盤を分断・破壊し、政治有権者の声が届きにくい構造へと変わっているのが実情です

マスメディアがやってきたことは現実には「民意」の分断と「体制」の破壊であったといえます

マスコミ業界には元々「インテリゲンチャ=体制・権力の分け前にあずかれなかった知識階級」が多く、そのため必然的に反体制的な性格をおびてきます

さらに大衆の人的ネットワーク破壊し、メディアがそれに取って代わることはマスコミの「利益」にも合致したために、この破壊活動は長く、執拗に続けられてきました

その結果55年体制崩壊・そして史上希に見る無能政権などの政治の混乱であると言えます

マスメディアに悪意がある黒幕存在するわけではないかも知れない…しかしながらその出自からして「反体制的」であり、かつ大衆の人的ネットワーク破壊し、世論への影響力を強めることは「マスコミ利益」でもあるため、マスコミの持つ本質的な性質が有害作用しているというのが現在の状況と言えます

近年、マスメディアによるインターネットへのネガティブ対応・攻撃姿勢の背景にも、マスコミの影響力を弱めるような新たな人的ネットワーク構築を阻むという、いわば「マスコミ本能」があると言えます

これが「政治」と「民意」を本来は結びつける「メディア」の役割を弱体化させ、現在政治の混乱を招いている元凶と考えられます

外国ではネットマスメディアの関係にも共存の傾向が見られますが、「ネット対応できない世代」の方が多数派である日本においてはマスコミの徹底的なネットとの対立が存在しています。

…「メディア」の在り方を健全化し、人的ネットワークを再構築することが必要ではありますが、残念ながら日本ではその可能性は絶望的なようです

2011-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20110215214632

一個ずつ思考実験。言っとくけど、今考えてるからな。あてにすんなよ。

会社場合は、会社が所在している国。ということなら、海外会社作って、そこにお金を預けて株式にすれば終わりじゃない?

つーか、海外に限らず「株」にしちゃえばマイナス金利適用除外だろ。株には金利はかからん

普通に外資株買えば金利からんよ。ところが、この「マイナス金利」の本旨は、「国内でカネを回す」ことだから

海外への投資には締め付けがかかるだろーね、でないと意味いからね。

・ちなみに、日本国籍を持っていて、海外で働いている、実際に移住していて、年金等も納めていない人の日本口座や海外口座は?

日本口座に持ってれば「減らないもの所得である」の原理適用されて、日本で稼いだと看做され課税。後は租税条約を援用する形になるんでないかな。

海外国籍の人の日本口座は?

日本で稼いだ、という形式になるから課税。普通に日本の口座はマイナス金利です」って形。

つーか、マイナス金利ってのはさ。

銀行日銀に積んでる預金に課税します、ってことなんだよ。日銀収入国庫に入るから、それすなわち課税。

銀行は持ってるだけでカネが減る。だから、預かってるカネからそれを払う。だから口座を持ってる人のカネも減る。

「じゃあ日銀にカネ預けなきゃいいんじゃね?」って発想に対しては、「金融機関はこんだけ日銀に預けなきゃ死ね」って決まりが

あるのでそこでカバー。要するに、日銀にカネを預けてる機関にカネを預ければ、減るってこと。

んで、これだと必然的に海外にカネが流れて日本が抜け殻になっちまうから

細目に触れるまでもなく、そこは対策しないと日本が死ぬ。だから、そこは当然対策されるっつーか

それが出来なきゃ、そもそも前提のマイナス金利作用しない。国内でカネを回すどころか、全部逃がす結果になる。

そーいうわけで、そういう各論はこの議論では成立せんよ。

ただ、「具体的にどーするか」って発想を色々やってみるのは面白いけど。

結論としては、マイナス金利現実的じゃねーってことだ。

2011-02-11

相撲就活社会

貴乃花ガチンコで、八百長に関与しないために周りとの口を閉ざしたしい
石原慎太郎記者時代に八百長を指摘、「ものの哀れ」というものがあると諭された挙句に、謝罪したしい


相撲伝統芸能から八百長があっても問題ないという。
そういうものだとして、だまされて楽しむもんだ、と。


ただ、かりにそういうのがあったとして、許されるのは伝統芸能から、という前提があってこそのものだ。
僕自身としては、伝統芸能だろうと、許されないと思うし、実際ガチンコ相撲をする力士というのはそういうものが嫌いなんじゃないだろうか。


社会性というのは、どんな状況だろうと現状を追認しろ、ということなのかもしれない。
そういう意味では社会性を重んじる、というのは個人と社会との徒弟主義であり、ヤクザ的とも言える。そういうのが礼節だ、という考えもたしかにある。


就活と表題に書いたが、就活に限らず、新しいときにそれは既存社会より上位と捉えられがちな)社会に参入しようというとき、場を濁すんじゃない、というような考え方は今も根強い。
これは世代の話ではない。Twitter上でも「TL汚し失礼しました」という考え方があるように、どちらかというとこれは空気的、精神的なもので、恥の観念に直結する。
ときに「恥を知れ」という言葉空気を読め、という以前に、「社会性がない」というラベリングとして機能する。
そしてそれはだいたいが先に社会にいるものから、そうでないもの押し付けられがちである


から、なのかはわからないが、「そもそも」というのを日本人は極度に嫌っているのではないだろうか。
議論の前提、既存社会根本に注意を向けるということは、これまでに費やしてきた時間をムダにすること、これまで現状追認してきた社会構成員すべてに過ちを指摘することと同義に捉えられがちに思う。
ゆえに「そもそも」というのはだいたいが「出る杭」であり、それはこれまでの空気を壊すことである
からこそ、と言えばいいか、そういう人は空気を読め、恥を知れ、と言われるのだと思う。
そしてそれが無知によるものかどうかはともかく、社会や議論の前提の共有ができていないということで、村八分にされがちなのだろう。
先の朝生ホリエモンの「そもそも尖閣って必要なんですか」というのは、つまりは「領土は失うものではない」という前提に突き刺したものだが、ゆえに多くのナショナリズム的非難を浴びたのではないか
ときに、日本の議論は意見を戦わせて場としての結論を見出すことより、反対論なしの村社会に特有なイエス会議に陥りがちである
結果を求めるだけなら、会議にムダな時間はかからない。


就活を演じろ、就活茶番だ、というのは、言ってしまえば既存社会に追認しろという社会性の押し付けだ。
もちろん、当事者である民間企業新卒を捨てる気はないのだろう。相撲界も八百長を捨てる気はないだろう。
新人記者でドブの記者から八百長確信した石原慎太郎は 、社会性がなく、空気が読めなかったのだ。そして彼は強くなかった。
今彼が体制側にいるのは皮肉というか、必然というべきか、彼なりの答えなのだろう。老人の哀愁が感じられてしまう。
おそらく、というかすべてが憶測によるものなので、これももちろん憶測だが、彼は今の若者自分を超克できるならば、それをすべきだと思っているような感じがする。それを口にだすのが富野由悠季であり、それを口にしないのが石原慎太郎で。
そして、それができないことは石原も、今の若者の多くも、実感しているはずだ。
我々のほとんどは社会というオヤジに屈服するしかないのだ。


日本社会はよく男性社会というが、それは違うんじゃないか最近よく思う。
社会社会人という使われ方の社会)」構成員が男性に多いというだけで、その性質は「女形」だと思う。
もし真に社会がマスラオであるならば、既存体制の打破にもっとエネルギーが注がれるはずで、社会社会、個人と社会の関係性などぶち壊しても気にならないはずだ。
女性の本性の一面を見せる手法で給湯室や化粧室の会話が用いられるが、なんということはない、男は酒場喫煙室で愚痴り、男女問わずネット愚痴るのだ。


もし、日本社会の究極としての国家が揺らぐのであれば、私たちはどうなるのだろう。
仮にお隣さんに併合されたとして、私たちの社会は今のままで在り続けるのだろうか。
社会文化まで島嶼化していたとして、よその社会についていけず、自壊するのがオチではなかろうか。
私は政界再編を望むが、ムダな望みなのだろう。そして私はそんなやつらよりコネクションもないから、彼らの現状を追認するしかないのだ。
なんにせよ、私は今の日本社会が嫌いだ。だが、私はよわっちからごまをすることしかできない。
こんな私を許して欲しいとは思わない。力なき私には、こんな形でしか何かを主張することができないのだ。
私は望む。内から坂本龍馬が出で、外から黒船が訪れるのを望む。それが中国でも構わない。というより、可能性としては中国しかありえない。
こんな国、ぶち壊してくれ。もうたくさんだ。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらのインクさんのレビュー

http://www.amazon.co.jp/review/R92LAB0MXPIE0

話題の本ということで読んでみたのですが、予想以上に凄いシロモノでした

主人公の川島みなみちゃんは重い病気入院してしまった親友の代わりに野球部マネージャーとなり、彼らを甲子園へ導くことを決意します。

しか野球はもちろんマネージャーについてもよく知らないみなみちゃんは、それについて学ぼうと思い立ち、本屋ドラッカーの『マネジメント』を購入しました

ここから彼女人生は狂いはじめます

帰宅してマネジメントを読みはじめたみなみちゃんは本文に出てきた『真摯』の二文字を見て、突然泣き出します。

あまりにも唐突な事態に読んでるこっちが泣きたくなります

なお、この時みなみちゃんがなぜ意味もわからなかった『真摯』という文字を見て号泣したのか、その理由が後に語られることはありません。

そして翌日からみなみちゃんは何かにとりつかれたようにマネジメントを信奉しはじめます

問題が起きる→マネジメントを読む→解決!

終盤まで延々とこんな流れが続きます

一般的な物語ならそう簡単に話が終わるはずなどなく、むしろさらなる困難が待ち構え、それにどう立ち向かうかが重要になってくるわけですが、そんなものドラッカーマネジメントの前では無意味です

これさえ読んでいれば人生は全てうまくいく。週刊誌宣伝している願いのかなう宝石のような効果がマネジメントにはあるのです

少なくとも、本書を読んで私はそういう印象を受けました

そんなに凄い本なのだからみなみちゃんがより深くマネジメントにのめり込んでしまうのは必然でしょう。

病状が悪化して今まさに死にかけている親友が文字通り必死に何かを伝えようとしているのに、その言葉をさえぎってマネジメント朗読をはじめるみなみちゃんの姿は、カルト洗脳された信者そのものです

そして甲子園出場をかけた決勝戦当日に親友は亡くなりました

どう考えても、みなみちゃんのせいです。

マネージャーを失った悲しみを乗り越えて決勝戦に挑む野球部員たち。

ちなみに今までろくに練習もしてこなかった彼らは、マネジメントのおかげで普通に練習するくらいには成長していましたが、その程度の彼らがどうやって決勝まで進むことができたのかは謎です

決勝戦の相手は当然、甲子園出場のために日夜凄まじい練習と実戦で鍛えてきた強豪です

結論から言えば、みなみちゃんの学校はその強豪校に勝利して甲子園への切符を手に入れるわけですが、勝利できた理由は「なぜか」です

なぜか相手がどんな球を投げてくるのか分かった。なぜか今日調子がいいといった具合に、本文中ではやたら「なぜか」という言葉が繰り返され、選手たちは謎の覚醒をします。

もはやマネジメントは関係ありません。

それについさっき元マネージャーが亡くなったばかりなのに、今日はいつもより調子がいいというのはあんまりではないかと。

それとも、元マネージャーという大切な存在を失ったことで選手たちは自分の中に眠っていた未知なる力に目覚めたのでしょうか。

女子マネージャードラッカーの『マネジメント』を読んでいる隙に、他の部員たちは久保帯人先生の『BLEACH』を読んでいたに違いありません。

そして甲子園当日、野球部キャプテンインタビューを受けるところで物語は幕を閉じるのですが、

比較的まともだと思っていた人物が実は誰よりも洗脳されていたことが判明する、ホラーとしてはかなり秀逸なラストが待っています。

あらすじだけでも十分おそろしいのに

日本企業体育会系出身者が多いか運動部に所属していると企業採用されやすい」

など、お前それドコ情報だよと問い詰めたくなるようなことを平気で言う登場人物や

散々指摘されている通り、適当な英文を適当翻訳サイトで変換したような支離滅裂な日本語など、全てが不気味です

オススメはできませんが、本当に怖い本です

こんなものが出版されてしまったことに恐怖を覚えます

2011-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20110210221436

それが良い事だとは言えないけど、必然ではあるんだよね

2011-02-09

感情理論に先だっていいのか。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110208

永田洋子氏 死亡 - Chikirinの日記

卑近な話題

僕個人は、理屈理論は必要だと思う。
というのも、秩序、規範というのは理屈が先立っていなければ成立しないからだ。
秩序や規範はあらゆる感情を抑圧する。
それはいわば「全体優先のべき論」であり、個人の感情を優先するものではない。
ゆえに個々人に与えられた表現、思想、信条結社の自由も、公共の福祉破防法の前に抑制される。
とき表現においてリスペクトなんぞ必要ない、というのがたまに話題になるが、リスペクトはたしかに問題ないが、規範および秩序優先に考えれば、相手を不快にさせないマナーが、リスペクトとして形象化されていると考えれば、個人レベルの「リスペクトなんぞいらねー」というのはより低次なものとして抑圧されても文句はいえまい。


マナーというのは見えない秩序、規範を求める公共的な空気である
ゆえに、マナーは各人が意識すべきだが、強制はできない。
しかし、先にも触れたとおりマナー規範、秩序意識から生まれでたものであり、そちらが優先されるのが合理だ。


そういうわけで、感情的にどうこう思い行動するのは結構だが、それは公共的福祉が許される範囲内ですよ、ということ。
「俺は人殺しするぞジョジョーーーーーー!」と秋葉原ど真ん中で有限実行すれば、その毀損しただけのペナルティが与えられる(行為の自由は保障されている)
「俺はこの授業中机の上に立って裸踊りするぞジョジョーーーーーー!」と有限実行したけりゃすればいいが、そんなのは邪魔なので追い出されても文句は言えない。個人の自由行使はその応酬まで受け入れるものだ。


事象

個人的に興味のある事例を紹介したい。ネトゲ内の自由と秩序の対立である


任天堂wiiに「大乱闘スマッシュブラザーズX」というソフトがある。これは匿名環境ネット対戦することもできるソフトだ。
手軽に対戦できる環境からか、発売から数年経った今も、多くの人がこれを利用している。
構造は単純で、四人までが一部屋に時間内にマッチングされ、そのままゲームに移行する。


しかし、この環境には致命的な欠点があったのだ。
それは「部屋にマッチングされれば何をしても許される」ということ。
乱闘という文字通り、公式にもそういうプレイが推奨されているのだが、様々な遊び方が空気のように生まれた。
その中でもっとも物議を醸しているのが「馴れ合いリンチ、およびリンチを潰す」プレイである。以下に詳しく説明したい。
  1. 馴れ合い
    実際に遊んでみればわかるのだが愛嬌あるキャラクターが多い。
    そこで、乱闘をせずにアイテムを使ったりキャラクター固有のアピールを使ったりして交流しているようだ。
    今ほどではないが、一時期はこればかりが流行り、乱闘ができない部屋が多く、乱闘できる部屋は実質真夜中に追いやられたカタチとなる。
    そこから派生して潰しとリンチが生まれることとなる。
  2. リンチ
    馴れ合いがどれだけ増えようと、元はといえば乱闘するゲームなのだから馴れ合い3人の部屋に1人の乱闘者が加わることは往々にしてあり得る状況だ。
    その状況下の時、いじめにも似たものが生まれる。馴れ合い3人と乱闘者1人で戦うのだ。
    大してゲームが上手くないような人の場合、3対1で勝てるような技量はないのだから、当然負ける。
    それに勝てる人というのは腕がいいものだ。負けた場合、結託した3人から容赦ないアピールが飛び交う。
    これはたまらない屈辱である。ゆえに、何度も抵抗したり、その3人を部屋から追い出すリンチ潰しが生まれるのは必然とも言える。
  3. リンチ潰し
    先に述べた「馴れ合い-リンチ」の部屋で、リンチを潰す勢力。
    往々にして腕がいいプレイヤーが多い。
    彼らはリンチを潰した成果をニコニコ動画等にアップロードし、その動画リンチに潰されたゲーム下手な人がそれを見て溜飲を下げたり、時にはコメントで罵声を浴びせたりと、そういう者が嫌いらしい人々の居場所となっている。
    当然だが、彼らはリンチと相手して勝った動画だけ上げている。
    負けた動画犠牲になったのだ・・・。


他にも、擬似タイマン(4人部屋で2人だけが対戦し、他のプレイヤーステージ端で傍観)など様々なスタイルがあるが、説明は省略する。
上記したものも概論のようなものなので、それですべてを理解されないよう注意して欲しい
一番詳しいのはニコニコ大百科中の該当記事()だろうか。


さて、前置きが長くなったがこれは自由と秩序の対立の典型と思う。
不幸なことに、今の環境では乱闘以外の行動を取り締まることができない、無法地帯である
ゆえに、彼らは自由な行動として馴れ合いを行い、それを許さない者は潰し、それを気にくわないものリンチに走る、という循環になっているわけだ。
しかも発売から数年が経過したこのソフト、これらの行動を取るものはすべて確信的といってよい。
慣れ合うものは潰されても構わないから慣れ合っているのであり、リンチに負けてもいいかリンチしているのであり、潰しに失敗してもいいから潰しているのだ。
そして参加者の多くはこれら一色に染まらぬグレーのような者が多いだろう。取り締まるものがないのだから
しかすると、リンチを潰す行為というのは正しい行いだと賞賛する人もいるかもしれない。
事実、彼らの一部には「乱闘する場を増やす」という大義を掲げた自警団的振る舞いをする者もいる。
取り締まるものがないのだから自分たちで取り締まればいいじゃないかというのは聞こえが良いが、それは自分らの感情を大義によって理屈をつけ、正当化させただけの偽善である
「潰しは乱闘の延長」「リンチする奴が悪いのだから潰すのは正しい行い」というのが彼らの弁だ。
おおかた、旧来的正義の像と重なる行いに酔いしれてるのだろう。


そういう意味で、このスマブラネット対戦理念としては失敗したと見てよいだろう。
しかし、その失敗は、人間良心に頼った管理システムがどうなるかという現実を教えてくれる。
人にとって居心地が良いのはジャングルはない。適度に整備、調整された公園のようなものだ。
「なんでもあり」は軋轢を産む。軋轢は闘争を呼び、究極には荒野になる。
ゆえにそれらは秩序によって統制され、統制するのが人間ならば恣意的な運用がされるのだから、限り無くシステムに委ねるべきだ。
実際、この環境にはIP規制というペナルティすらない(もっとも巻き添え規制と現状追認、後者を優先した可能性もあるわけだが
ないがゆえにこのザマなのだ。

オチ無し

余談だが、「コマ抜け」という方法がある。
コマンド入力で強制的に部屋から抜け、抜けた後はコンピュータが代わりに部屋に居座るなかなか画期的なものだが、潰す人にとっては、それが許されないらしい
リンチされた部屋を抜ける行いは「逃げ」であり、ついでに言えば「CPUリンチする奴らのキモさがわからないのか、あいつらはキチガイだ」というようだ。
同調圧力とはおっかないものである

2011-02-03

五辻の涙

事故の町内の者です。何十年も一日中自動車路上駐車していて、近所とトラブルになっていたんですが、逆に抗議されるので、腫れ物に触るような感じで過ごしていました

昔、近所のオジサンが警官を呼んで自動車を何とかしろと頼んだんですが、警官に「差別だ」とつかみかかっていたこともあり、皆が恐れていました。近所ではやっぱりあの方かという感じです。亡くなった先生があまりにも可愛そうで涙が止まりません。トラックゆっくり走っていたそうですが、倒れた瞬間にお腹をひかれたみたいです。その中学にはやんちゃな生徒が多く、校門で登校指導されていたり本当に熱心な先生した事故現場花束で山ができて、生徒さんが泣きながら手を合わせています。補償なんでしてもらえないでしょう。

人権を振り回す前に、社会人としてちゃんと行動をして欲しかった。こんな若くて素晴らしい先生の命を奪うとは…。

こんなこと書くべきではないのでしょうが、真実を伝えたかった。

わざとやったのではないでしょう。また、反省もされていることでしょう。

でも、それは西陣という旧市街の広くない道路駐車場のように使って、人の意見自分に対する差別だとすり替えていたので、必然的に起こることだったのです

警察逮捕しなかったのは悔しいです逆境で苦労されたでしょうし、訴訟を起こしたりされていました

でも、自分人権を言うならば、少しでも他人の人権に心を向けて欲しかった。差別は醜いことです

この事故で、私も隣人として恐れず注意してやめさせなかったことに重い責任を感じ、毎日暗澹たる思いで暮らしいます。

場所は五辻通の智恵光院を少し西に入ったところです加害者のことはもうどうでもいいので、これをご覧になった方は、彼女のために、電柱の横に小さな花か飲み物をお供えいただけませんでしょうか。

http://anond.hatelabo.jp/20110203142001

運も実力の内【うんもじつりょくのうち】

一見、たまたまの幸運に見えることも、実はその人の日頃の行ないや努力によって必然的に起こっているのだということ。

原義はこうらしい

2011-01-30

テロ価値のある政治家日本はいない

1960年日本社会党委員長浅沼稲次郎右翼少年山口二矢に刺殺されるという事件があった。

当時の言葉でいえば暗殺、今の言葉でいえばテロだ(あんまり変わらんか・・・)。

この犯人「少年」だった。当時17歳である。そのことは覚えていた。

しかし、今日この記事を書こうと思うまで、わたしはこの事件を戦前の事件だと思い込んでいた。

ところがちょっと調べてみると実際には、学生運動盛んなりし頃、まさに1960年のことだった。

驚いた、というか自分の思い違いを恥じた。

ここで、不謹慎ながら、いまみずぽ暗殺しようとするやつがいるだろうか、と考えて

失笑とも落胆ともつかない思いに駆られた。

いや、Cだろうが、管だろうが鳩山だろうが、小沢だろうが(そのほかもろもろ)

いまこの日本暗殺されることで世の中に衝撃を与える政治家がいるだろうか。

やれやれ

さて、一方で最近日本では、若者が元気がないと言われる。

いわく、これだけ世代間格差があるのに抗議もしなければデモもやらない。

人口年代別構成率の上でも少ないのに、さらに悪いことに投票率も低い。

絶望絶望を呼ぶだけなのだが、今一度ここで確認したい。

政治家というものは、民衆の意思を"集約"する「仕組み」である

それがどこまでいっても"集約"である限り、多数決原理は覆らない。

とすれば、高齢者が若年者に勝つの必然であって、

これはどこまでいっても、若者にとっては負け戦である

では、高齢者が「自分たちの利益ばかりを優先していてはこれはまずい!!」と思い直すにはどうすればいいか

社会を構成していることになっていても、そのじつ、構成していることにはなっていない(つまり、これまで価値を生み出していなければ、今も生み出していないような)有権者を効果的に削減していく」ほかない。

「で、それはどのようにして?」とな?

それはおぬしで考えよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110129144821

そりゃ商業ベースに乗る程度の需要が見込めないからでしょ。

無視するには惜しい需要があれば、必然的に変わってくる。

2011-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20110124005137

革命ですから、成った時にはトップはいません。

経営陣が「こりゃやばい」と真剣に思った時には、もう館は火の海です

そう,経営陣がその判断をできるときには火の海だよねぇ,と.

そうか革命から経営陣というか会社が消えるのか.なるほど.

具体的に言うと、会社が先に潰れるよね。

グータラ放置してたら、皺寄せを嫌がってマトモな社員は逃げるし、

それを理由に次世代の解雇したら、マトモな学生は受けに来なくなる。

なるほど確かに

しかし役所みたいなところはどうすれいいだろう.

あとは日本人の特性からいってそこまで天晴なグータラぶりを発揮できるかどうか.

完全サボタージュになるとどうしようもないが,

ある程度のことはゆるゆるやる人たちだとすると,どうなるだろう.

実際問題として何割の人が真面目なら企業は成立するのだろう.

IT化やアウトソーシングが進んだら,日本大企業なんて2割の優秀な人がいれば,

残り8割の人の主たる業務は「優秀な2割の邪魔をせず黙っておくこと」だとすると,どうなるだろう.

2割を選出するための多様性としての8割.

1億円の宝くじ1枚を当てるために買われた外れクジ999枚みたいな.

outputは天と地でも,いずれも買値は同じ300円.

もちろん8割にただ飯食わせることに,優秀な2割が耐えられるかという話があるが,

ここもまた日本人メンタリティ的にふんばれてしまいそうな気が.

まぁ2割だけで戦う無理のある組織は,

いずれそうでないところに負けて,淘汰が進むのかな.

そして「そうでないところ」ってのは多分,外資なんでしょうねぇ.

やはり日本黒船しか改革できないってことなのかな.

まぁ「我慢強さ」「勤勉さ」といった日本人の利点からくる必然なのかな.

2011-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20110121151501

論証するときは、むやみに「必然的に」等の例外がないという表現は使うものではない。

例外として恵まれた環境に生まれたことを自覚している強者が自由意志を否定している場合が考えられる。

たとえば莫大な遺産を譲り受けた人や、その人には自主性がないのに親が教育熱心だったためにエリートになれた人などだ。

自由意志を否定する人間社会的弱者であるという簡単な導出

  1. なにか失敗したとき自由意志を肯定する人は自分の失敗だと自覚し、責任を感じ、次も失敗しないように意識する。
  2. 逆に、自由意志を否定する人は、運が悪かっただけで、この失敗は必然であり、自分能力の問題ではないと結論づける。
  3. 自由意志を肯定する人はそこからさらにステップアップできるが、否定する人はそこからの向上はありえない(すべて偶然なのだから
  4. ゆえに、自由意志を否定する人は、すべての人間を偶然だの運だので片付ける人間だということだ。
  5. 自由意志を認める人はそうではない。トップに登るためにはそれだけの力が必要だということを自覚し、自分をそこまで高めるために時間を惜しまない。
  6. 自由意志を否定する人は彼のその努力すらも偶然だ、と片付けるが、これは言わば嫉妬である
  7. ゆえに、自由意志を否定する人は自分努力できないことを社会全体の責任になすりつける弱者である
  8. であるから自由意志を否定する人は必然的に社会的弱者なのだ。

2011-01-18

みんなの将来予測は明るいのか暗いのか

浮上する「6月総選挙」のシナリオ 世論調査から見える菅民主党勝敗分水嶺小林良彰慶応大学教授に聞く (2011年1月18日)

http://diamond.jp/articles/-/10786?page=3

生活実感はきわめて悪い。景気自体はそこそこに回復するだろうが、自分の生活は悪くなってしまうと感じている人が3分の2以上いる。職を失う。あるいは、可処分所得が下がり続ける。そうした状況が続いているのだから、将来の生活に対して悲観的にならざるを得ないのだろう。

自分の生活は悪くなってしまうと感じている人が3分の2以上」というのはたしかに高いが,

これだけ景気が悪い,将来が不安,とあおっているのに景気将来感で47.5%,生活将来間で34.4%が「良くなると思う」と回答しているのは,

それなりに前向きな気分になってきているのではと解釈できそうな気もするが,どうなんだろう.

まぁ前回調査結果がわからないのでなんともいえないけど.

書いている内容はなるほどなるほど.

管さんが小沢さんにこれでもかというくらい冷たいのは,

小沢さんがいなくなれば消費税増税の話を進めやすくなるし,

公明党が仲間になる可能性が出てくるし,ということで戦略的に必然なのね.

小沢さんはこの後,どう戦うんだろう.

総選挙まで耐えて民主党が負けたら飛び出して党を作るとか?

それとも総選挙で息のかかった議員が勝つように頑張って民主党最大派閥を狙う?

それとも民主党の誰がトップになってもうまくいかないだろうからおのずと順番が回ってくるであろう時を待つ?

http://anond.hatelabo.jp/20110118183543

これは、質問送付先からして無理筋だと思う

そもそも

Buffaloソースコード請求したら大変困ったメールが返ってきた

はな

Buffaloサポートセンターソースコード請求についての質問をしたら大変困ったメールが返ってきた

が正しい

バッファロー本社には1ミリも伝わってないし本社の意向は1センチも反映されてないぞたぶん

こういう一般ユーザー問題解決用フォームから

https://online.buffalo.jp/toiawase/mail/modem.html

DWR-PGに含まれるGPLソフトウェアソースコードを公開していただけないでしょうか。

という一行質問を送ったら

大変恐れ入りますが、GPLソフトウェアソースコードにつきまして

誠に申し訳ございませんが、社外秘情報のため、公開することができかねます

というサポセンバイトの穴埋めテンプレ回答しか返ってこないのは必然かと…

http://anond.hatelabo.jp/20110118130011

高校の必履修科目でさ

地理歴史:以下の2区分にわたって必履修。括弧内は単位

世界史A」(2)または「世界史B」(4)

日本史A」(2)または「日本史B」(4)または「地理A」(2)または「地理B」(4)

公民:「現代社会」(2)1科目または、「倫理」(2)と「政治・経済」(2)の2科目

受験に必要不要を問わず世界史は必修なわけ。

したがって、最少単位数でも

世界史A,日本史Aまたは地理A,現代社会の3科目は必須。

理系でも受験社会科をつかう場合、まあ国公立を受ける場合はほぼ必然だが、このうち一科目以上をBをとっとかないといけない。

理由はしらんけど受験校では現代社会よりも倫理政治経済を履修させる傾向にある。

したがって大半の受験校では3~4科目、少なくても一つは4単位(週4日授業または2学年にわたって週に2回授業)の科目を履修する。

世界史はAかBか選べるとはいえ、全員が必修してるにも関わらず、国民の知識レベルはこんなんだからまともに守られていたとは思えないんだが、必履修科目未履修問題が起きて以来、ちょんぼは出来なくなってるはず。特に公立高校では。

コース分けが分化するまえに、受験に必要ないが単位数として必要な科目は履修させたいから、どうしても1、2年は公民現代社会倫理政治経済)の授業数が増える。

他方、理科卒業だけなら実はあんまり履修する必要はない。

理科:「理科基礎」(2)、「理科総合A」(2)、「理科総合B」(2)、「物理I」(3)、「化学I」(3)、「生物I」(3)、「地学I」(3)のうち、「理科基礎」または「理科総合A」または「理科総合B」を含むたった2科目

国立理系クラスは科目数がとにかく多い。

これは新しい指導要領だけど、このまえまでのもほとんど一緒。

やっぱ社会科受験で使わなくても世界史は受けないとならなかった。

加えて理系物理化学生物はそれぞれⅡがあって、数学もⅠ,Ⅱ,Ⅲ,A,B,Cと教科書6冊あった。

http://t.co/4CnGTxp

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