はてなキーワード: 弁当とは
大阪府の支給額が2000円のところ、中抜きされまくって300円の弁当になったとかなんとか。
こういうのって利権がらみでどうしようもないんだろうな。
カルントゥールクンバロードラァカッティパンティ食った買った
ポールヌンマターラムンロポット鳴った食った買った
チランバーラ吸って買って買ったランディベッティカッティ
なにからなにとるメルヴィドゥールケルピ買って!
やっぱった食ってーやっぱった食ってーやっぱった食ってー
ナートゥナットゥナットゥナットゥナットゥナットゥ食った買ってー!
ナートゥナットゥナットゥナットゥナットゥ弁当食った買ってー!
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ナートゥナットゥナットゥレッティゴリエなってビーガンカートゥーン
レンディ居たやんムンナーキー ダンラ中野ムーランゴット
キルイブイユバッタキティ ケッチ来たークービ来たー
ケンユサラポサーダーピー チェッパーナサージ買って
カーレタトゥーターラッテ レラメーラーマディラビタラ
チャッターバガインだってー
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だめだ疲れた
あとはRRR見て確かめてくれ
長いので
月給20万。
でも私には上司がいる。
私から返せるものはないので、私は行ったことのない美味しそうな店を調べる係。なんなら予約もする係。
週1で行って一回1250円前後ご馳走してもらうので、月に5000円ぐらいは奢ってもらってる。
ランチに行かない日は400円の弁当を自腹で購入してるので、400×4=1600円も浮いている。
物価上昇には追いつかないが、2000+5000+1600=8600円となり、
私には店を調べることと、ちゃんとお礼を言って気持ちよく奢られることぐらいしかできない。
上司は保守的で普段は面倒くさくて決まった店、しかも別に美味しくない店にしか行かないけど、私が新しく美味しいところリサーチして誘うから気分が変わって楽しそう。
マジウィンウィンな関係だわ。
基本的にお互い無言で黙々と食べてるし特に話は盛り上がらないけど、飯目的で厭々一緒に行くとかは一切ない。上司は普通の良いおじいさんです。
本質的には全く別の話なんだけど、セックスレスに関するエントリやそれに対する「セックスレスはDVだ」という旨のコメントを読んで、性行為に対する嫌悪感が自分やパートナーの人生に及ぼす影響について思うところがあったので自分でも書き起こしてみたいと思う。
私の性嫌悪の根本は、幼い頃に5つ上の親戚から受けた性的ないたずら?によるものだとぼんやり思っている。
小学校低学年か保育園児くらいの時、近所の親戚のお兄ちゃんに性交渉の真似ごと(というかほぼ本番に近い)のようなことをされている時期があった。相手も私も子供だったし、その時は何をされているか分からずただ痛いから嫌というだけだったんだけど、あとからその行為の意味を知って気持ち悪さが追いついてきた感じだ。
今でもなんとなく性行為に対して汚い、気持ち悪い、という感情がある。
性欲がないわけではないので、10代後半から20代前半くらいの頃はBLや百合もののエロ漫画なんかはよく読んでた。だけど男女のものになると嫌悪感が勝ってダメだった。BLと百合なら大丈夫なのはファンタジー感が強いからだったのかな。今はもうBLだろうが百合だろうがそういう性的なものに興味が湧かなくなっちゃった。
高校生の時に付き合っていた彼氏とはプラトニックな関係だったので、自分が「性嫌悪」にあたると気づいたのは大学生の頃だったと思う。
お互い一人暮らしで家が近かったこともあり彼氏とは家で会うことが多かったのだが、並んで座って笑いながらテレビを見ているとなんとも居心地の悪くなるような視線を感じることが多々あった。
私はなるべく目を合わせないようにしたが、ハグしたいという彼氏の要望を断りきれずやっつけ仕事みたいにハグをしたのを覚えてる。それから彼氏と会うのが嫌になって結局数週間後に別れてしまった。その後にも一人付き合ったけれどハグもせずに別れてしまった。
世の中のカップルがどんな流れで性行為に至るのか想像もつかない。特に女性の方、抵抗ないのかな。
学生時代には彼氏以外にも好きな男がいたから、Aセクというわけでもないと思う。
ただ、今考えれば私が好きになる男性はいつも友達として仲良くしてくれていた人で、私のことをよく知っているのに私のことを一切女として見ない居心地のよさを気に入っていただけかもしれない。
最近は結婚のことも考え初めてマッチングアプリを始めたけど、マッチングしてデートするところまでは行ってもその次のステップのことを考えると親密な関係になるのが怖くてその先に進めない。
仕事に生きるには能力が足りないし、趣味で時間潰すほど凝り性でもないし、30超えてから結婚相手を探せるほど美人でもない自覚があるので今のうちに彼氏を作りたいんだけど、相手の望むような性生活を提供できる自信がない。
かといって自分に女という性以外に差し出せるような魅力があるとも思えない。
生涯のパートナーがほしいのはもちろんだけど、彼氏にお弁当作ったり、記念日にはちょっといいレストランに行ったり、2人で旅行したり、っていう普通のカップルがするようなことへの憧れがある。ただ、そこに性行為は含まれてない。
セックスレスはDVだってコメントがあったけど、セックスがファンタジーでしかない世界で生きてきた人間からするとけっこうな衝撃だった。
実際のところその考え方がどれくらいの割合の人に当てはまるのかはわからないけど、もし大半の人がそう感じるとしたらこれからDVする可能性があるのに恋愛をしたいと思うのは傲慢なんだろうか。
今まで付き合った人に心を許せてなかっただけで、自分が本当に好きになった人に望まれて、ちゃんと心の準備ができれば普通にセックス出来るかもしれない。今はそれに賭けてマッチングアプリやってるけど、1回女風にでも行ってみた方が肩の力抜けていいんじゃないかとすら思い始めた。
こういう話をすると同じように性行為苦手な人と付き合えばいいって言う人いると思うけど、そういう人はまずアプリあんまりやってないし性欲のない男性探すのって若いDINKs希望の20代の婚活以上に難しいと思う。
トランスジェンダーとその差別問題が話題になってるから私の体験談を書きたいと思う
増田なので叩きは好きにどうぞ
小学校の時は、絵が上手い子で有名だったし、大人しくて目立たない子だったけど、女の子らしい子ではなかったな
昔出された性教育の本は読んでいたし、言葉の能力は優れていたので性知識はWikipediaで得た
精神科デビューの少し前に生理が来て、感覚過敏やら内科的な痛みに敏感なのもあってこの上なく嫌だった
後に知ったことだが依存症者から依存の対象物(例えばアルコール依存症ならアルコール)を取り上げるのはよろしくないんだってね
性同一性障害と思い込んだんだけど、これは性同一性障害のWikiを見て存在は知っていたのでそれを思い出して「GIDかな?」と考えてた
バイセクシャルなのかもとぼんやり思っていたが、当時は明言できる程ではなかった
今はミレーナ入れてるけど、当時はPMSと経血が垂れる感触が嫌で何とかしたかった
でも上下両方の手術、ホルはしたくなかったし、可愛らしい女性と思われたいので胸や女性らしい体型はまだ好きだった
当時好きだった椎名林檎が歌えなくなるのが大きかった
この頃から自分はジェンダークィア、ノンバイナリーと思い込むようになった
ネットで調べて当てはめていったらそうなったんだと思う
ネット禁止は1つ目の精神科だけど、2つ目の精神科の先生が若手の人で慣れておらず、暴れる度に薬を大幅に増やされた
3つ目の精神科なんか最悪だった
先生が、言っていることは間違いでは無いが伝え方が下手な先生だった
例えば中3の私に「過去5年間にやった事を反省しろ!」とか、殴りたくて殴っている訳ではないのに「人を殴るのは異常だ」とか
思えばこのストレスもあるんだと思う
その後高等部に進学した
養護学校では一応形だけの受験はあるけど、学力を見る側面が大きい
それもあって余計に自分の性について色々考え始めた
女性の体はそのままでいたかったから、エロ漫画であるようなふたなり女子になりたいと本気で思っていた時期があった
数年後
それを突き飛ばしたら婆さん2人だった
言い訳にもならないが当時は病院にもろくに行ってなくて、切羽詰まった状況だった
よく心神喪失とかあるやん?あれは善悪の区別がつかないと言うより、どちらかと言えば「そうせざるを得ないほど正常な判断ができない」に近いと思ってる
逮捕時の取り調べで部屋に連れてこられた
あるのは大きな白い机とシンプルな椅子、刑事ドラマであるようなライトはない、あるのは軽いデジタル時計だけ
危険防止の為らしい
少し温かく、普通に美味かった
3つ目の精神科だ
私は嫌だと言った
白い車に乗せられた
扉を開けると保護室だった
3つ目の精神科は、個室はおろか保護室にすらナースコールのない病院だった
すぐさま私は怒って退院請求をした
理由もきちんと述べ、転院したいと書いた
ここでの治療については、専門書の類ではないのと、読みやすさの観点や本題とずれるので詳細は控える
その頃から患者さんとのやり取りなどで異性愛の男女の作法や、一般常識を徐々に知り始め、自分はノンバイナリーではなく、本来はビアン寄りのバイセクシャルではないかと考えるようになった
退院後は一悶着あって、その反省で自立の為の繋ぎとしてだが、生保を貰い一人暮らしをする事になり、彼氏も出来た
まだ先だが、彼氏と同棲する事が決まればもちろん生保は切るつもり
最近、休息の為に入院したのだが、入院中に離人感(自分と外の世界の間に膜が張られているような感じ。現実世界がVRに見えて少し面白かった)と解離性健忘(色々忘れて彼氏に怒られるくらい酷かった時期がある)が治った
安心出来る環境であったことなど様々な要因が絡んでいるのだと思う
私は忘れていた記憶を取り戻した
ずっと抱えていたもの
さっき昼飯の弁当を買いに外に出たら寒すぎてサムシングエルスになった。
ここでいう「サムシングエルス」というのは我々の世代ではけっこう売れたバンドで、私が最初に知ったのはNHK「みんなのうた」で流れてた「反省のうた」という曲だった。
けっこういい歌だなーと思って聞いてたのを思い出す。
そんな中、「電波少年」というテレビ番組の企画の中で「ラストチャンス」という曲を作成してミリオンセラー、オリコン1位を取る。
この曲をきっかけにめちゃめちゃ売れた。紅白にも出た。我々の世代でサムシングエルスを知らない人は少ないはず。
こうやっていい曲を作ってるバンドが売れるのはいいことだと思う。
けど、最近ふと思うことがある。
ちょっとしたきっかけがあれば第二のサムシングエルスになっていたかもしれないバンド。
もっと売れてたらもっと長く活動して良い曲を作り続けてくれたかもしれない。
というわけでここでは私が思う、もっと売れてもよかったミュージシャンを勝手に選出するよ。
ブラッツ・オン・ビーも最初に知ったのは「みんなのうた」だったと思う。
私が好きなのは3rdアルバム『ゆらふわ』で、あの頃はヘビーローテーションで聴いていた。
他にも、「世界を変えて」や「ゆらり ふわり 行こう」も好きだった
なんで売れなかったんだろう?
ザ・カスタネッツは知っている人も多いと思う。
一番有名なのはアニメGTOのエンディング曲「ねない ねない ねない」かな。
私が好きなのは「ムーンパレス」や「僕はそれがとても不思議だった」。他にもいい曲がたくさんある。
そこそこ売れた印象だけど、やっぱり大半の人が知らないという意味で、もっと売れてもよかったのではと思う。
中村一義はけっこう売れたしコアなファンがたくさんいるが、メジャーにはなれなかった。
オリコン13位の「セブンスター」が一番有名な曲かもしれない。
「すべての人たちに足りないのは・・」のところの歌詞がとても好き。
1stアルバム『金字塔』を初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。
これはミスチルを超えるぞ、と本気で思った。
でも、そうはならなかった・・そうはならなかったんだよ・・ロック・・
だから、この話はここでお終いなんだ。
お弁当温めてもらっていいですか?
4万はちょっと言いすぎかな
1か月で使い切る分だけの食料でいいなら多分3万ぐらいになる
野菜と肉減らして炭水化物増やせば、食費そのものは減らせる気がするけど栄養バランスが終わってるし太るから絶対にやらないことにしてる
会社独自の処理も結構多いので色々な業務を通じて覚えたいのだが、そもそも業務が来ない
頻繁に何かないですか?と訊ねても、特に無いです。で終わる
上司がめっちゃ仕事を抱えてて、その辺から業務が降って来るのかと思っていたが
内部統制の関係で仕事が少ない方の担当(同じ部署でも担当が分かれる)にされてしまい、毎日が暇
正確に言えば月初は色々とやることがあるので残業する程度には忙しい
しかし中旬からはやることもなく、上司から依頼された仕事をこなすか、頻繁によく分からない会議(一切の説明が無いのでホントに聞いてるだけ)に参加させられるか、マニュアル作ってるか、社内向けの資料を作ってるかのどれか
上司からは「(会議に)参加してた方が分かるよね♪」と言われて参加させられているが、そもそも何の会議なのかを教えてほしい
そんなこんなで今週もなんとか乗り切ったけど、半分社内ニートみたいな感じで何も楽しくない。社長からは弁当の出来栄えを褒められた
そのくせ一部の日に、なぜか会議と打ち合わせと期限間近の業務が詰め込まれているこのアンバランス具合
休憩は勝手に取ってもいいというスタンスなので、休憩取るフリしてオフィスから出て行って何処かに遊びに行ってやろうかと思うぐらいには暇
辺りは既に暗くなった仕事の帰り道、道端からピポポポポといった音が聞こえたので何事かと目を向けた。
ちょうど電柱の隣。そこにはダンボールがあり、まだ幼いであろう小さなゼットンがつぶらな瞳をこちらに向けて鳴いていた。
そのとき俺は小学生のときのことを思い出し、捨てゼットンを拾って家に持って帰ったものの親に見つかり泣く泣く元の場所へと戻しに行った記憶が脳裏に浮かんでいた。
最近では捨てゼットンが社会問題となり、野生のゼットンが増えているといったこともニュースで見たことがある。
人間は身勝手だ。最初は可愛くて飼っていても、成長して世話が面倒になるとすぐに放り出す。
だからといって人間は悪だといいきれるほど俺は立派な人間ではないし、人の役に立つことをしてきたと胸を張っていえるほどの根拠も自信もない。
下請け会社に安月給で勤め、今日だってスーパーで半額弁当とストロングを買っての帰り道だった。
俺は捨てゼットンに歩み寄った。ダンボールは雨に濡れたのか萎れていて、捨てゼットンはまだ小さく体長は30センチほどに見えた。
俺のことを見上げ、ピポポ…? と鳴く。
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目元を細める。
ごめんな、いい人に拾われろよ。
後ろは見ないと決めて。見たら駄目だ。一度決心したことを改めてはいけない。
弱みを見せれば、そこに付け入る悪意の塊というものは確実に存在する。
片田舎の農村で牧歌的に育った俺は、就職と共に都会へと出て、それを嫌になるほど実感した。
俺は振り返らない。
目を下ろすと、俺の脚にさっきの捨てゼットンが抱きついていた。
目が合う。捨てゼットンはさびしそうな目を俺に向け、ピポポポ…と悲しそうに鳴いた。
俺は足を止めた。ぽつ、ぽつと雨が振り出すのが分かった。予報どおりだった。
だから足早に帰ろうとしていたのだけど、それでも動けずに居た。
雨はすぐに本降りとなって、俺と捨てゼットンを激しく濡らした。
それでもゼットンは俺の脚から離れず、顔を上げてずっと俺のことを見つめ続けていた。
そんな目で見るなよ、なあ、頼むよ。
心の中でそんなことを思いながらも、脚を払って捨てゼットンを放り出すようなことはできなかった。
しばらく雨に濡れ続けた。あーあ、スーツびしょびしょだよ。明日どうしよう。
そんなことを頭の片隅で思いながらも、頭のもう片方で俺は過去の自分を、小学生のときの自分を見ていた。
飼えないと分かって捨てゼットンを元のダンボールのところに戻しに行った、あの日のことを。
捨てゼットンは俺に抱きかかえながらキョトンとしていて、それでも抱き抱えられていることを嬉しそうにしていたっけな。
ああ、そうだ。あの日もこんな雨だった。小学生の俺は捨てゼットンをダンボールに戻すと、そのあと一度も振り返らず走って帰った。
頬を伝わる涙は、雨が隠してくれていた。
気付けば俺は捨てゼットンを抱き上げていた。
仕方ない、か。
俺はそのまま、雨に打たれながらアパートへ向けて再び歩みだした。
まあ、なんとかなるだろう。
既にびちょびちょになった革靴で歩きながら、そんなことを考えていた。