はてなキーワード: 国宝とは
どこに出すのが適切なのかもわからず、オタクポエムを書いても許されるだろうと増田を選びました。
未だに何が起きているのかよくわからず、とりあえず自分が落ち着く為に書いてます。
なので彼の事がとても好きだった方、好きな方、何の配慮もしていないので気分を害されたらすみません。
以降自分語りと共にその俳優さんの名前とかバンバン出していくのでやべーなと思ったら相応の所に相談するとかしてくださいね。今はメールとかでも相談できるそうで、知らないところで行政も頑張ってるんだなぁって思いました。
0570-064-556
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000188968.html
それまで各の話題で溢れていた土曜昼過ぎのtwitterTLが、ある一瞬を境に「三浦くん?」などと言った彼の名だけのツイート一色になりました。
最初は「お、結婚した?」とも思ったのですが、どうもそのような感じのツイートではない。いくつかまじる「嘘でしょ」という呟きに何かが起きたというのはわかりました。
「コロナになったとかかなぁ…重篤化しないといいなぁ」なんて暢気にニュースを検索し、件の速報を知りました。
一番に目に入ったのはそんな感じのニュース速報を携帯で撮影した画像でした。
いやいやいや、ドラマ上の演出か何かにしても趣味が悪いしご時世的にも冗談きついってか自殺って何。一瞬にして脳内をいろんな物がかけめぐり、最初に口をついたのが「へぇ」という感嘆でした。そして、近くに居た友人に「三浦春馬が死んだって」と言うのが精一杯でした。
タイトルでは「推し」としていますが、他の方と比べると私はそんなに彼を推していない側の人間だと思います。
常に一番熱量を持って応援してきた訳ではないし、彼が出るテレビ番組を全てみていた訳でも無い。現場も数度しか行った事はなく、ただ何かを選択する時に彼がいる事がファクターになる、という程度の推しでした。
出演している映画は可能な限り劇場に足を運んで鑑賞し、ドラマも出演している物は見る。その程度のどこにでもいる彼のファンです。
順位をつけるのだとしたら、安定して私の中で五番目くらいの位置にいる。それが私の彼への熱量でした。
実際のところ、私が彼を意識し始めたのは10年ほど前で、正確に推し始めたのは8年ほど前からでしょうか。
彼が所属していた事務所の若手プロジェクトに降れ、そこで改めて彼のお芝居や個としてのポテンシャルに触れ自然と目で追うようになり、そして推していくようになりました。
地方のド田舎在住だったのと、職業上のタイミングが掴めなかったという事もあり彼の現場に行けたのは片手で充分な程です。2018年のAAA、そして2月にあった2020年のハンサムライブ。
正直後者については棚からぼた餅とでもいうような、本当に予期していない出会いだったのであの演出と共に三浦春馬の文字を見た時現場で「なんで!?」と絶叫したのは昨日の事のように覚えています。
キンキーは行きたいなぁと思ったまま、気付けばチケットが買えずかつ仕事で行く事ができず見れないままでした。言い訳でしかないんですが。海盗セブンも、五右衛門ロックも。
私は2012年のハンサムライブに魂を未だに囚われていて、当時地元の映画館で見たライブビューイングでの彼が未だに忘れられないでいます。ラブファントム~truth~ホワセレが嫌いなオタクなんているのか????
2013のミュージカル、銀髪の神木君は国宝なのでなんで円盤にならなかったのかと管を巻いたり2014はまさかの壮ちゃんがインフルになって壇上で唐突にイチゴを食べる賀来先輩をアリーナで見たりとか2016はまっしまの壁でゲラゲラ笑ってたら神木君とお亮のキスシーンを見せられて混乱したりとか。
(フィルフェスは仕事の都合で行けなかったし宗教上の理由で未だにパッケージ開けられてない)
でもそこに春馬はいなくて、でも春馬がみんなと作り出した物はあって、毎回春馬達を思いながら楽しんでました。
2018年のAAAでゲスト参加したハンサム達と一緒に楽しそうに踊る春馬を見て感情がぐちゃぐちゃになって友達と2013年が来た!って連呼したり2020ハンサムで手を伸ばせば触れられる距離で春馬を見て言語野崩壊してうめく事しかできなかったりとか、ほんと昨日みたいに思い出せる。
しかも一昨日は2012年ハンサムの劇場+配信公開があって、それ見に行ってて当時のみんなで模索して今は一つの文化になった根っこの公演を見て、あんなに魂を奪われ続けているラブファントムをまた見る事ができて、そんな中で今回の報道で。
なんだかなぁ…。2012のエンドロールが春の華で2020の記憶と2012のカットが入り交じって、それまで積み上げていたハンサム(アミューズ)への情緒がぐちゃぐちゃにされてて、それでこれなので、本当に「なんなんだろうなぁ」という感じです。
ハンサムメンバーとか、彼との共演をした事がある人達のツイートや、ストーリーとかを見て、報道されている「三浦春馬」は私の知っている「三浦春馬」なのかなぁとじわじわ考えたりとかしてます。
まぁ事務所から公式な告知が出たので、その「三浦春馬」なのだというのは紛れもない事実なんですが。
正直な話「なんで」とか「どうして」とかは一切なく、最初に口から出た「そっか」という言葉以上の感情が私にはありません。
それは現実を受け入れていないのかもしれないし、未だに認められていないのかもしれないんですけれど、でも彼の死を、そのタイミングを受け入れています。受け入れているつもりです。
元々彼は昔から、いつかふっと消えてしまうような危うさを感じていて、友人とは「桜に攫われるのは三浦春馬、桜を惑わすのは神木隆之介、桜ごと受け入れるのは佐藤健」みたいな話をしていた事もあります。
どこかの番組で、ある日ふと1日だけ彼女の事を考えない日ができて、その日に彼女と別れた(=結局自分に自信がなかった)というようなエピソードを語っていた事もあり、切っ掛けがあれば、タイミングさえ合ってしまえば、どんな状況であれ今回のような選択をする可能性がある事のではないかなと思っていたのも理由にあるのかもしれません。
結局私はオタクで、推しが選んだ道については全てを肯定する事しかできず(よほどの犯罪だとかだとまた話は別ですが…)今回の件についても彼が選んだ結果がこれなんだとしたら「そっか」としか言う事ができませんしこれ以上の感想がありません。
そりゃ個人的にはこれから同じように年を重ねて、どんどんお芝居に深みが出てくるのを見たかったですし、いつか彼が結婚する事があれば所帯を持ったという事を喜び、彼が愛した人を共に愛したいと思っていたし、子供ができたら彼が望んだ子の未来を愛したかったです。
そんな、そんなあり得たかもしれない未来とも、今後見れる筈だった彼のあの繊細で、でも頑固なお芝居が新しい作品で見る事ができないのはとても悔しいですけども、だからといって「なんで死んだのだ」とか「どうして死んだのか」なんて事は考えてなくて。
彼が私にくれた「楽しい」とかはずっと忘れないでいたいし忘れることはないんだと思います。
実際それに砂をかけられた訳ではないし、これからも私は彼を好きでこれまでの彼を見て「楽しそうだなぁ」と思い続けるんだと思います。
とりあえず今日は酒を飲みながら、ひたすら彼について、彼が私にくれた作品を見ながら彼がくれた「楽しい」とか「好き」を追いたいと思ってます。
まだご冥福を~とか、ゆっくり休んで…なんて事は言えないんですが、言えるようになったらまたアルコール片手に増田で管を巻かせてください。
30年とちょっと、私が彼を知ってから10年ほど、お疲れ様でした。
好きをくれて、応援させてくれて、ありがとうございます。
私は女であるが手紙を書く人口は女性の方が圧倒的におおいので、グリーティング切手や特殊切手が女性をときめかせるデザインになっていて、思わず欲しくなってしまう。これは買うしかないとおもわせる魅力がある。郵便局の切手デザイナーは女性に買わせるため張りきってデザインしてるんだろうな。
今年は8通は手紙を書いてだした
しかし、欲しい切手を全部買っていたら手紙を書くペースを上回り、切手をもてあますことになる。
困る
切手収集家の死後、孫や子供の手に昔の切手コレクションが渡っていることがある
あの世に切手は持っていけないので、自分の死後は余った切手が誰かの手に渡ることになるのだろうが、その死者が使った切手代がお金の無駄になっていると私は考える。
私はコレクション目的ではなく使用目的で買ってるから、手紙だけでなくゆうパックや現金書留等にも切手を使う
買った切手はぜんぶ使いたいのに使いおわる前から切手を買って増やしてしまう
2020のオリンピック記念切手買ったけど来年またオリンピック切手出たら買うし
文通でもやればいいんだけど、
普通の文通はいやだから文通ボランティアでもしようかと思うんだけど、文通ボランティアはなんだか自分が思うような手紙のやり取りにならないのではないかとビビってしまい手が出せずにいる。
二月一日
間もなく、特別展「人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分は美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館の東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。
特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのものは常設展の最初の部分、すなわち中国や西域の仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもので構成されているというか、あまりにも時代と地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ、普段はなかなか見られないマヤ文明の仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである。
で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国や朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器や勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧の君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分が東アジアの文化が好きな人間だからそう感じるのだろうか。
とはいえ、自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに、黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代の象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。
あとは、天然の石を削ってザクロに見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。
もう一つ興味をひかれたのは、漢代の画像石だ。学生時代の古典の教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形で表現され、遠近法は無視されている。エジプトの絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代のチェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。
そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうである。しかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章の校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生は仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。
自分にはそれこそ古代中国の官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日の気分転換に成功したからなのだろうな、という気がした。
近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ。
二月八日
特別展「出雲と大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院の世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。
おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝や重要文化財がごろごろとある。三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国の神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。
他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪に肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要な技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。
下世話な話だが、自分は動物の彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器を表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。
脱線が続くが、本当に不思議なのは、世界中の文化で男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシア・ローマに由来する彫刻や絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである。
閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれたものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。
ほかにも、神社に奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。
帰りは東京駅の田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そばか天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。
歴史は面白いよね、特にギリシャ近辺の面白さってのは、あの時代に地球が丸いんじゃね?から 地球の直径を求めようとして 46,250 キロメートル まで求めていたこととかな(単位はkmではありません)
ギリシャ時代のパルテノン神殿の柱に代表される、あの柱がぷっくりしている建築
あれが、日本に伝わるまでに必要だった年数とか知ってる?いやネタ知識なんで本気にしなくてもいいんだが
おおよそ1000年かけて、えっちらおっちらシルクロードを運ばれてくるんだ、あの柱の感じ
今でもさ、ほら、海外で流行ったものを日本に取り入れたりするじゃん?
古代でも同じように「これが最近海外で流行ってるんですよ」って言って、時代の最先端を行きたい人がこぞって取り入れたんだよねきっと。でその中の一つがシルクロードを延々と同じように伝ってきたあの柱の形なんだだと思うとすごいよね
まあ、実際のところシルクロードの中に残ってないから、多分嘘知識なんだけどさこれは
おっと、まってまってw まあ待てよ
同じように運ばれてきたものが国宝の弥勒菩薩の作り方。こっちは本当でさ
ギリシャが衰退して、アレクサンドロス大王がインドの近くまで攻め込むじゃん?あの時ギリシャ文化とアジアオリエント文化が混じり合ってヘレニズム文化ってものになるんだが、仏像の作り方がギリシャっぽくなるねんあの時代に
弥勒菩薩半跏思惟像ってみたことある?いやまあ画像調べてくれればすぐ出てくると思うんだけど
すごいこう、顔の作りが華奢じゃね?鎌倉時代につくられた仏像と比べると、こううすーく微笑みを浮かべていてさ
私はオタクだ。
推しを応援している。好きだ。推しは顔がいい。そしてもはや存在自体が尊い。
オタクの私はその存在にお金を払い、推しは素敵なパフォーマンスを提供してくれる。それだけ。推しは私だけを見てないし、私の彼氏は推しじゃない。
だから付き合いたい繋がりたいとか、まったく考えたことがない。いわゆるリアコ・夢女子ではなくて、同担拒否というのも無い。 google:同担拒否
百人のオタクがいれば当然、百通りの推し方があると思っている。それは法を犯さない限り自由だ。
当たり前に、色々いるだろう。
それはわかったうえで、同担が本当に無理。ここでいう同担は特定個人のことじゃないです。
いわゆるオタ垢は持ってなくても(Twitterのオタクって強い言葉の声デカイもん勝ち感ないですか?それが苦手で。まあTwitterに限った話じゃないね)、オタやってるとなんとなく推し界隈の傾向は掴めてくるものだ。
Aくんのオタクは過激派が多いけど、落とすお金が桁違い。Bくんのオタクはミーハーですぐ次の推しに流れちゃう。とか。
私の推しCくん界隈は珍しいことに割と穏やかだ。
平和だけど、
「来世はCくんの靴下になりたい♥」
「見下して!踏んで!」
なんか終始こんなノリなのである。
……まあ、私とはスタンスが違うけど、うん、オタクは千差万別、十人十色だからね、
「Cくんのことそんなふうに見ないでくれます?」って謎の人格が出てくる。
最初に書いたけど私は推しにとって何でもない。恋人でも親戚のおばさんでもなければペットでもない。推しは推しだし私はただの匿名オタクだ。
じゃあこの感情、何---。
独占欲ではない。どちらかというと、推しの良さを、この世にもっと広めたい。
人と違う自分に酔ってるのでもない。推し側から見れば我々オタクは等しく金づるである。等しくキモオタである。
AくんやBくんが同じふうに言われてても「まあキモいけど人それぞれだもんな。思想の自由だな」とか余裕で思えるんですが、
冷静なオタクでいたいはずなのに推しに必死じゃん私。一気に視野が狭え!
繰り返すけど、推しにとっての特別になりたいとか願ったことすらないんですよ。
まあ私にとってはある種の特別ではあるけど(三次元の推しは彼ただひとりなので)
なんなら推しには配偶者と子供がいる(既婚者推してて楽しいの~?とか笑われるけど、ステージ上ではそんなこと関係ないと私は思います)。話が反れましたね。
じゃあお前は同担にどうしてほしいの?って聞かれても全然わからない。
まあオタクは推しのすべて知れるわけじゃないし(推しが見せたい部分だけ見せてくれればいいし全部知りたいとも思わないけど)、生身の人間に向かって解釈というのは失礼な話だから、違うかな……
ネーミングセンス無いので諦めました。誰かこの感情に名前をください。
名付けは可視化・顕在化。新たに病名がつくことで救わてきた人たちがいるだろう?
助けてくれ。
※だらだら書いたので恐ろしく長い。
※あくまで「自分の周りでの評価」の話でこれは決して一般論でない。面白さの感じ方は人それぞれということも重々承知している。ごくごく個人的な見解だと思ってもらえれば。
※推敲もせず勢いにまかせて書いたので、多少ふざけている部分もあるし、すぐ脱線するし、色々な意味で所々間違っているかもしれないし文章も順序も何もかもめちゃくちゃだけどおおよその意味は通じると思うので堪忍してほしい。
※小学生~大学生あたりまでは欠かさずジャンプを買い続けてきたオッサンなのでいわゆるWJお約束のアンケート事情等は踏まえている。
WJをずっと読み続けている友人が数人いるのだが、誰も火ノ丸相撲を読んでいない。読んでいない理由、ほぼ全員が口を揃えてこう言う。
「大相撲編からついていけなくなった」「高校相撲の時は面白くて毎週読んでいた」「ごちゃごちゃしてわかりづらくなり読むのをやめた」系統の理由。
自分は原作連載時の初期の方だけは本誌で読んでいて元々相撲好きというのもあり、珍しい題材なのに巧みに関心を引く、驚くほど絵が上手くて話も面白い漫画が始まったなという印象だった。
そしてアニメをみているうちに改めてもう一度通しで原作をちゃんと読み直したくなったクチなので、彼らの評価を確かめるべく単行本を最新刊まで読み進めた結果、なるほどそうか・・・と腑に落ちた。
火ノ丸相撲といえば・・・知名度のわりに本当に単行本が売れていない、アニメ化されても伸びない、掲載順はいつもだいたい後ろの方。(これらはしばしば公式でも自虐ネタに使われているようだ) このような状況でありながら打ち切りの危機を免れてきたのは、根強いタニマチ(後援者、ファン)の後押し、国技を題材とした作品である社会的な評価、少年誌作品とは思えない画力と構成力、質の高さ、純粋に作品としての魅力が高かったからに他ならない。
大相撲編がイマイチな理由の一つとして「異様なほどの性急さ」が挙げられる。これはWJ連載である限りある程度しかたないことかもしれんが・・・
本来であれば、
A★→B→C→D★→E→F→G★ (★は物語の進行上外せない重要な話とする)
と進むべきところが、
★以外のエピソードをすっとばして読者を置いてけぼりにしている感がすごい。 つまり、WJ特有の事情で話を早くすすめたいがために最低限描かなければ成立しない部分しか描かせてもらっていない印象をうけるのだ。この流れは非常にまずい。なぜならばかつて打ち切られた作品で幾度も幾度も目にしてきた流れだからだ。
高校相撲編ではここらへんが比較的丁寧に描かれていたので余計に異様さが際立つ。
なお、この「すっとばし」はキャラクターにも多大な悪影響を与えている。
一人目は主人公火ノ丸。高校時代までの彼はどこか浮世離れしたつかみどころのないキャラクターでまさに相撲の申し子、ある種神聖視された存在だった。ところが大相撲編では詳細は省くが色々な意味で「人間」にまで「落ちて」しまった。神の化身(横綱)になろうとする者がそこから遠ざかってどうするんだ!?と首を傾げざるを得なかった。(もちろん無垢であること=神性というのが単なる概念にすぎないのは百も承知として)
極論ではあるが、親方に薦められるままにお見合いの女性と所帯を持つ方がよほど彼らしかった気がする。それほど色恋には淡白なのが火ノ丸だと思っていた。
彼は一見他人にも自分にも関心があるように見えて実はかなり希薄に思える。かといって他者から本物の好意を向けられれば真摯に応える度量は持ち合わせている。相手によほどの理由がない限り彼は好意に応えようと努力するだろう。とかく恋愛経験値が低い者は猛烈な「押し」には弱いものだ。誰が主人公の心を射止めるかというのは少年漫画の面白さの一要素でもある。そういう意味ではあの咲や景子ですらヒロインになりうる一種のワイルドカード的な魅力が無自覚の神性を有していた頃の火ノ丸にはあったように感じる。
さらに言えば、主人公を射止めたヒロイン(レイナ)のキャラが強く立っているにも関わらず、動機付けの弱さ、たまたま近くにいた異性、半ば成り行きのような、描写不十分でさほどの必然性がないように見えたことがとても残念で引っかかるのだ。
いささか潮火ノ丸というキャラクターに幻想を抱きすぎた感はあるが、少年期の彼の印象はどうしても強いのだ。
二人目はヒロイン枠のレイナ。ライバルらしいライバルは千鶴子くらいのものだったので、これはまぁ順当ともいえるが(ちなみに自分は1話での火ノ丸との運命的な出会いからずっと彼をひたむきに愛していた千鶴子推しであった…)、あまりにも性急に距離が急接近したのにはさすがに困惑しかなかった。彼らが後々恋愛関係になることは容易に予想できたし特に異存はない。ただあのような相思相愛関係?に至るまでのプロセスがあまりにお粗末すぎるのでは?何なら高校相撲編のレイナが火ノ丸の相撲に魅せられていく名前のつけられないあの純化された感情を抱いた付かず離れずの関係性をもっと見ていたかった・・・。
三人目はチヒロ。主人公や国宝を脅かすほどの屈指の人気キャラでありながら夢を追うために渡米し実質的な退場となった時は「なんて潔いんだ!!」と感動したものだ。しかし彼は帰ってきた。それは別に良い。問題は特段なんの経緯も語られることなくいきなり彼がシングルファーザーとなっていたことだ。読者は大困惑でしかない。あきらかに悪い意味でのサプライズといえる。
実際この漫画がきっかけで相撲に興味を持った子供もいると思うが、高校相撲編はともかく自分の子が小学生以下なら大相撲編は読ませたいとは思わない。高校相撲編に関しては各種教育関連機関や業界団体等(?)からの推薦も十分受けられそうな内容だと思っていただけに遺憾だ。
安易なお色気(下ネタ)、ギャグ、過度な恋愛要素に逃げる作品は総じてレベルが低い。(余談だがお笑いに関しても同様だ)そんなものに頼らなくても十分面白いものこそ本物の面白さなのだ。
※火ノ丸相撲は今時珍しく「硬派」な漫画だと思っていたから(大相撲編での品格の落ち方、別方向への舵の切り方に)結構ショックを受けたとは友人の弁。
硬派イメージが強かったのは、高校相撲編までは極力セクシャルな描写が避けられてきたからだと思う。
第1話で満員電車で堀千鶴子が痴漢被害に遭うシーンがあるが、彼女はあまりのおぞましさに心底怯えた表情をしている。一見流してしまいそうだが賞賛すべき点がある。痴漢という最低の犯罪行為を決して性的な興奮材料にしていないことだ。他作品には被害女性の顔を紅潮させたり目を潤ませたりといった不適切な表現が見受けられるが、火ノ丸相撲はそのようなけしからん作品とは一線を画していた。
彼女は優秀な観察眼を持つ記者であることは言うまでもないが、若い男性(とりわけ少年)の裸体や尻に向ける欲望が度を超えておりセクハラまがいの行為が目につく。女性→男性であるから流されがちだが本来はあってはならないことだ。ギャグとして笑い飛ばすにはどぎつすぎるし、もはやそういう時流でもない。
これは本当に驚いた。①であのような配慮を見せた作者とこれを書いたのは同一人物なのかと目を疑ったほどだ。事のあらましは、意気消沈して部屋に引きこもる火ノ丸をレイナがドアを蹴破り強引に拉致し車でラブホテルへ連れていき、彼の合意を得ないまま性行為を迫るという驚くべきものだ(結果未遂に終わったが)。
たとえ交際していても合意を得ない場合の性交渉はレイプである。これも女性→男性だから見過ごしがちだが、この立場を火ノ丸が女性でレイナが男性だったとしたらどうだろうか・・・笑えねえよとなるはずだ。さらに悪いことに「成人が飲酒した状態で未成年に性交を強制する」構図なのだ。これはオチウこわぁいどころの騒ぎではない!マジでどうしたんだ川田先生!いよいよウェンカムイに取り憑かれたか?(??)
主人公の魅力度が落ちた作品はその人気も下降の一途をたどるのはいうまでもない。高校相撲編での火ノ丸は他を寄せ付けない魅力があった。あの輝ける国宝たちの中にあってもだ。大相撲編になってからはあきらかに精細を欠いている。主人公陣営(メインサイド)の話よりも童子切や草薙、大包平や三日月等の敵陣営の話の方に興味を引きつけられるほどに。むしろそちら側メインの話を読みたくなるというのは相当問題に思える。
火ノ丸はまごうことなき平成終盤生まれの平成の子だ。しかし彼の中に古き良き?昭和のスポ根漫画の主人公を見ていたのは自分だけではないはずだ。
不幸(両親を若くして亡くしており裕福ではない環境)、逆境(あまりにも小柄な体躯)、自己実現能力(自らを厳しく律し、徹底的に稽古で肉体を痛めつける)、黒電話、携帯を持たない、機械音痴、時代がかった物言い、兄貴肌、相撲のことしか頭にない、私生活が見えないなどいかにも昭和のヒーロー感(?)満載である。
潮火ノ丸の中に矢吹丈のような壮絶な最期を遂げる姿を夢見ていたのかもしれない・・・。モブも言っていた「鬼丸のハッピーエンドが見えない」。決してハピエンが悪いわけじゃないしそちらの方が良いに決まってる・・・が、いかにもな予定調和エンドだけは勘弁してほしい。
ハピエンではなくとも「あしたのジョー」は不朽の名作だ。主人公は最期に勝利し真っ白に燃え尽きて生死すらどうなったかわからないなんてこれ以上ハートが震えて痺れるラストがあるだろうか?ヒーローが完全に浄化され何者にも貶められない最上級の存在になった瞬間だと思う。
取組を殺し合い、命のやり取りとまで作中で表現しているならそれくらいの危うさがあってもいい。昨今の少年誌では厳しいかもしれんが。
第1部を第2部以降がクオリティで上回る作品はほぼない。あってもごくまれである。(ちなみに続編が悉く期待外れだった作品としては東〇喰〇等が挙げられる。続編の一報を聞いた時は飛び上がるほどうれしかったものだが、完成度の高い前作とどうしても比べてしまい、しだいに期待は失望へとかわっていった。)少なくとも火ノ丸相撲に限ってはそうはなるまいと思っていたのだが・・・
WJの数多くの縛りや規制、大人の事情に阻まれて駄作になるくらいならいっそしかるべき媒体(アプリ、あるいはヤンジャンなど)に移籍してのびのび描いてほしい。青年誌の方が表現の幅が広がるだろうし。もし角界の諸問題(暴力、八百長、パワハラやモラハラやセクハラ等)の闇の部分に切り込んだりする気があるのならばなおさらだ。
高校相撲編のような神々しいまでの輝きを取り戻すことはもうないのかもしれない。それでも自分は火ノ丸相撲という稀有な作品に魅せられた一読者して、最終話まで見届けたいと思う。
長々とかいてきてアレだが、要約すると
・・・だろうか。
もし、この作品などの詳細がわかってしまったとしても作品や役者個人に偏見を持たれたくないので、多少フェイクは入れるが、もし時間があれば少しだけ聞いてほしい。最初に言っておくが、作品も役者さんも素晴らしい。これは私が勝手に被害妄想して勝手に傷ついただけの話だ。フィクションだと思ってくれれば嬉しい。
私はある作品が大好きで今までの公式イベントの9割に参加していた。
公式トークショーやらなんやらがあれば必ず行き、出来るだけ全通したし、関連商品はストーリーに関係あるものなら全て揃え、公式ファンクラブにも入っていた。コラボカフェにも通っていた。
勿論公式に一番還元率が高い商品は全て買っていたし、CDはなんなら複数枚買っていた。
作品にハマったのはこれが初めてだからわからないけれど、使用額は30万〜60万くらいなので多少は金は落としていたと思う。いくら使ったのかなと覚えている限りで計算して、映像や楽曲関連だけで20万を過ぎたので数えるのはやめた。でも給料のほとんどはその作品につぎ込んでいたので(本当に給料−税金−作品経費=生活費だった)もしかしたら3桁行ってるのかもしれないがあまり考えたくない。この作品にハマってクレカを作り、初めてリボ分割キャッシングを覚えた。ギャンブルも覚えた。もうこの時点で狂わされている。
何故今まで女性向け作品にハマらなかった人間が、いきなり限界オタクになってしまったかと言うと、私はその作品のキャラに恋をしてしまったのだ。仮にその男の子を彼氏くんとする。(彼は私の中では彼氏なので)
彼氏くんは他人の考えを否定せず受け入れてくれるとても優しい子で、そしていつもポジティブで夢に向かって突き進むキラキラした笑顔の子だ。
その笑顔と優しさに人間不振をこじらせ統合失調による幻聴で引きこもっていた私は救われ、恋の為に引きこもっていた部屋から出るようになった。
勿論、上記のイベントで彼氏くん(の新規イラスト)に会う為だ。
私は典型的な恋愛に狂うタイプのメンヘラだったので、彼氏くんは自分の神様で、運命だと本気で思い込んでいた。次元の壁だとかは関係なかった。彼氏くんの抱き枕が出た時なんかは毎日添い寝していたし、毎晩照れていたし、毎朝惚れ直していたくらいは頭がおかしくなっていた。
都内の占いに付き合いで連れられた時に「貴方の運命の相手は20××年に現れますね」と言われた時は(ちょうどアニメがその年に放送予定だったので)「彼氏くんのことだな」と素で思った。友人達はそれは絵だぞと私を窘めたが、そういう言葉は聞こえなかった。
だって彼氏くんと私は相思相愛だから!相思相愛も何も彼氏くんからは認知すらされていないが……。
ちなみに私と彼氏くんのイニシャルを彫ったリングもオーダーメイドで作った。彼氏くんからすれば知らない女が自分とのペアリングを肌身離さず付けているのだから軽くホラーだと思う。本当に彼氏くんが二次元でよかった。現実なら完全にストーカーになっていた。
そんな生活を数年続けていた。
昔の話だ。
忘れもしないあの日、その作品で舞台が始まるのが発表されたのだ。私は正直2.5次元どころか現実の男が少し苦手だったので興味はなかったが、ほぼ義務感でチケットを取った。
仮にその俳優をAくんとする。Aくんは彼氏くんを演じる役者ではなく、彼氏くんのお助け役兼相方(ここをぼかさないと、知っている人には誰役か察されてしまうのでここは多少フェイクを入れていることを明言する)ポジションの推しくん役を演じる役者だ。
その作品での推しくんはまさに私の好みドンピシャな容姿をしており(ぶっちゃけ初恋の人に似ていた)性格やストーリーでの活躍も相まってグッズを集めたりするレベルで推していた。
勿論彼氏くんは彼氏なので別枠だが、彼氏くんが存在していなければ推しくんにハマっていたと思う(その場合は依存してなかったのですぐに足を洗っていたと思うが)
容姿も良く歌もダンスもキレッキレ、アドリブや日替わりは毎回これでもかというほど(一部界隈に)サービスしてくれるし、何より顔が国宝。あの低価格イタリアンレストランに油絵にして飾ってほしいと常々思うほど顔が良かった。
控えめに言ってかなり推せた。
だけど私は彼氏くんがいるのでガチ恋にはならなかった。あれ程顔がいいと彼女も勿論いると思うけど、万が一カノバレしたらちょっとショックかも〜とは思うが別に役者はアイドル業ではないので公演中だけ推しくんでいてくれればそれでいい。彼氏くんの役者に対してだって同じスタンスだ。
だけどやっぱりイケメンには弱いからイケメンを見るためにチケットを予定より多く取ってしまう時もある。(当日券)
その日は昼と夜を両方取ったのだが(彼氏くんが出演している作品と私は生まれる前からの運命なので必ずチケットがご用意される)なんと客降りがあったのだ。
私は2.5次元俳優周りをよく知らない。観劇マナーは触りは知っているがファンサだとか接触だとかの文化は特によく知らなかった。役者に触ろうとも思わなかった。(イケメンに近づくと死ぬと言うのも多少ある)
だから前方1m先にAくんがいた時も「めっちゃ顔がいいな〜、人間国宝にしてほしいが……」とガン見していただけで、無理にハイタッチも要求しなかったのだが(通路側端二番目辺りにいた)ガン見していたせいでAくんと目が合ったのだ。
だいぶ長い時間見つめ合っていたと思う。
だがこれが全然嬉しくなかった。何故なら終始笑顔を崩さなかったAくんがその時めっっっちゃ真顔だったからだ。今でも思い出すとわりとショックを受けるが、例えるなら汚物を見るような目だった。もっと具体的に言うなら、恋も知らないくらい小さい頃好きな男の自宅を特定したのが本人にバレた時にされた顔と同じ顔をしていた。
その時は「向こう側にいる別の役者さんとこの後のアイコンタクトでもしているのかな?」と思ったが、見つめ合ってんの私なんだからアイコンタクトもクソもない。あと向こう側に役者はいない。
そんな一抹の不安が心の端っこを引っかかるように残るものの、あまりに推しくんの顔が良かったこと、また彼氏くん役の役者さんが今までの公演のなかで一番彼氏くんだったことが濁流のように襲ってきた為、その後は思い出を反芻しながら楽しく次の公演までの待ち時間を過ごした。
1階中間位置通路端、そう。確実にファンサが貰える位置だ。この時点で嫌な予感がして友人たちにLINEで助けを求めたが、皆「ハイタッチできるじゃん!」と言うのみ。私はこの時点で吐きそうだった。何故なら人生というものは全て悪い方向へ行くのを知っていたからだ。
待ちに待った客降りの時間。何故かAくんはこちら側に来ないと確信があった。Aくんはマチネで二階席の方に行っていたからだ。むしろ彼氏くんが来るのではないかと若干ドキドキしていたのだが、頭が悪いので二階席に行くには私の横を通ると言うのを忘れていたのだ。
そして案の定Aくんは私の横を通った。ハイタッチができるように手を下に構えて。前の通路側の人が手を差し出すのを見て恥ずかしいけどそういうものなのかと恐る恐る私も出してみた。
私のところだけ手を引っ込められた。
嘘でしょ?!と後ろを振り向くと真後ろは普通にハイタッチしている。ちなみに私は避けられたが逆側の客席は普通にハイタッチしていた。
いやタイミング悪かったか偶然偶然よくあるよくあると自分に言い聞かせていたが、今まで横を通った役者全員にスルーされていたので流石に傷ついた。
ので、少し意識が飛んでいた。
気がつくと彼氏くんが横にいた。
あまりの彼氏くんに「ヒッ」と奇声をあげていたと思う。彼氏くんはハイタッチの準備をして通り過ぎて行ったが、私は固まって動けなかった為、ハイタッチ出来なかった。正に二兎を追う者は一兎をも得ず。でも彼氏くんに否定されたら生きていけないのでこれで良かったと思う。
舞台はとてもよかった。明日を生きるためのキラキラをいっぱいもらった。複数回行ったが一番いい出来だった。(毎公演言う)アンケートもめちゃくちゃ長文で書いた。彼氏くんのことも推しくんのこともベタ褒めした。
公演中のソロで泣きながらガン見していたから気持ち悪かったのかもしれない、きちんと朝風呂どころかスクラブまでしたが異臭がしたのかもしれない。私の容姿が気持ち悪かったのかもしれない、昼で顔を覚えられて避けられたのかもしれない。
勿論頭のどこかではたまたまだよ、顔なんか覚えられているわけないし、私より顔が悪い人なんて多分腐るほど見てるし、そもそも一々客の顔見てないでしょ(笑)なんてわかっている。
だけど、私は役者はお客さんの事を金のなる木としか考えてないだろうと思っていたので、あからさまに容姿で差別されたのが悲しかった。
事実は違うと思う。
でもそう思ってしまって、家に帰ってリスカして髪の毛をめちゃくちゃに切って泣いて作品関連のものを全てクローゼットにしまった。作品に否定されたら生きていけないから死のうと思ってドアノブにベルトを引っ掛けて首吊りの真似事をしてまた泣いた。死ぬ勇気がないのなんて毎日のようにわからされていた。
で、しばらく泣いた後に切り替えが早いのでネットでカラコンをポチった。(彼氏くんは前向きなので彼氏くんの彼女の私も切り替えが早い)
世の中顔なのだ。顔でAくんを好きになった私が言うのだから間違いない。気持ちが悪い顔ならば努力しないといけない。私はその日かなりメイクに力を入れたが、ブスだったのだろう。可愛く見えなければ全て無意味なのだ。
目指すはリズリ◯やアン◯ールが似合うガーリー系。目がぱっちりしていればなんでも顔がいい認定するから美醜はよくわからないが、なんか周りの人そんな感じだったし多分そういうのが可愛いんだと思う。
いまからずっと昔の話だ。
その日は泣いたし死にたいほど病んだし、作品から足を洗おうとまで考えたが、多分次の舞台があれば行く。というか行ったし現在進行形で次の予定が立っている。
だって作品が大好きだし、Aくんの顔はやっぱり国宝だし、彼氏くんが大好きで、彼氏くんの生きる世界である作品が長く続いてほしいから貢がなければいけないので。
この間2.5舞台でファンサを貰ったと友人が喜んでいたので思い出したから書いてみた。
余談だが、未だにファンサは貰えていない。でも当分この作品からは足を洗えそうにないし、きっと何があっても大好きだ。
まぁ何にしても彼氏くんに出会えて良かった〜!好き〜〜!(惚気)というのは変わってないので今年は私と彼氏くんのツーショ雑コラでも作るかな!(爆笑)
私は、運動嫌いでも動くことになる趣味を探した結果、美術館巡りにたどり着いて、
関西在住の身として京都国立博物館、奈良国立博物館、兵庫県立美術館、国立新美術館、神戸市立美術館、京都市立美術館、天保山ミュージアム、東洋陶磁美術館、堺市ミュシャに、
寺社仏閣の特別拝観などなど手当たり次第に見に行って、結果一日の平均歩数が1万歩を超えることができています。
さて、個人的には昨年、京都国立博物館120周年記念で行われた「特別展覧会 国宝」が、展示替えのたびに拝見させていただいたほどよかったのですが、
その開催と、展示替えに合わせて行われたニコ生が同じようによかったのです。
(多くの博物館、美術館、個人所蔵の品などを集めて行われたためか、視聴期間が会期と同じで、現在期限切れとなっています。)
その道の専門家が、目を輝かせながら担当範囲の魅力を思う存分語ろうとするものの、
時間不足で押され、先輩の圧で揉まれながらねじ込んだ結果大幅に時間が過ぎる、
映像はテレビと比べたら荒いけれど、それは実物を見ればいいわけで、現地で貸し出される音声解説をはるかに超える深い話、
なつやすみ子供科学相談のようにさらっと、今の研究ではそうなっているんですがと言い出したりするのを聴けるすごい番組だったわけです。
そして今年は、「京のかたな」が開催されます。今週末、9月29日からです。
こちらも今までになかった刀に集中した展覧会で、かなりの国宝、重文、作刀が少なく格を定められていないだけの希少で優れたな作品などがたくさん出展されます。
現在は、6月に行われた展示予定の記者発表のニコ生がアーカイブで残っていますが、
この時点でもどの時代のだれの作品がなぜ重要で、どのように技術がつながって、どの博物館から集めたのかが語られていて、
すでにわくわくしながら前売り券を二枚準備しています。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv313659246
【出品刀剣 発表】京都国立博物館 特別展「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」記者発表会 生中継
当時はまだ固まっていませんでしたが、現在は公式ホームページに、展示替えの時期を含めて掲載されています。
ここまでは前段、京都博物館の皆様ありがとうございますというPRですので、読み飛ばしてもらって結構です。
解説のようなことも書いていますが、全て素人目線、ただの高卒おっさんの感想を書いているだけですので、
的外れなことが書かれていた場合は突っ込みを頂けるとありがたいです。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296737289
みんなで巡ろう「ミュシャ」展 【niconico×国立新美術館】
ミュシャさんのお名前が、日本一有名な錬金術師兄弟の弟にも使われているアルフォンスで、それきっかけで私は見に行きました。
アルフォンス・ミュシャで検索してみてください。絶対に見たことがある絵があるはずです。
多くの方に影響を与えていて、初期はポスター、舞台衣装と多くのデザインをされた方で、
北斎漫画が動きを抽象化して書いていたように、草木を抽象化してデザインに取り入れていて、
抽象化がうまかったのは、当時のポスターも浮世絵も複数人により量産される作品だったからかもしれないと思っています。
そして、生涯最後の大作「スラブ叙事詩」が世界初チェコ国外に出ると話題になったのが今回のニコ生の展覧会ですが、
日本が最初に選ばれた理由の1割くらいは、ミュシャ作品の世界一の所蔵数が土居君雄さんが寄贈したミュシャ美術館で、
多くの作品を丁寧に保管されてきたことで文化功労章をもらったことも影響していると思います。
こちらは500円で入館できるので、JR大阪駅からでも、先日何とか復旧した関西国際空港からでも、関空快速で乗り換えなしで約40分、堺市駅に直結ですので、ぜひお立ち寄りを。
(スペースが小さいので、展示内容は時期により異なります。季節ごとくらいのペースで展示替えあり。現在は挿絵中心の展示ですが、白い象の伝説は絶版なのが惜しいほどに美しいんですがkindleで完全収録されているようです。未見)
スラブ叙事詩はヴェレトゥルジュニー宮殿にあるので、プラハ城の聖ヴィート大聖堂のステンドグラスと一緒にチェコに見に行きましょう。写真はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
https://www.travel.co.jp/guide/article/17165/
http://live.nicovideo.jp/watch/lv296734542
みんなで巡ろう「海北友松」展 【niconico×京都国立博物館】
カッコイイ龍が見たいなら、とにかく見てください。
龍が嫌いな男の子はまずいないと思うのですが、
わざと暗くした部屋で闇夜に浮かぶように見せるなど、
どうすれば一番格好よく見せられるのかを追及した展示で、
たらふくかっこいい龍をたくさん見られます。
最高傑作の一つは建仁寺にあった本坊大方丈障壁画の雲龍図(京博所蔵)ですが、
同じかそれ以上にと学芸員の方が絶賛している「月下渓流図屏風」が日本に帰ってきたのもすごいこと。
アメリカ・ミズーリ州のネルソン・アトキンス美術館所蔵ですので、次に日本でみられるのはいつになるか。
最後の最後の展示がこの図屏風で、思わず立ち止まって10分は呆けていました。
そのあともう一度龍を見に行ったんですが。
雲竜図は大きすぎてなかなか展示できないようですが京博所蔵ですので、他の方の龍との比較など、国内の他の企画展で展示される機会があるかもしれませんし、
迫力は万分の一ですが、高精細複製画像がWebで見られます。実物大の複製でしたら、建仁寺に展示されています。
Canonさんはほかにもいくつかこの事業をされていますので、ぜひ一度ご覧下さい。
https://global.canon/ja/tsuzuri/works/08.html
東京は実物見れてないのが多いのと、力尽きたので以下は気が向いたときに。
タイトルで検索すれば、プレミアムなら今でもご覧いただけますので。500円でも十分元は取れるはず。
東京国立博物館 特別展「名作誕生―つながる日本美術」を巡ろう ...
東京都美術館「プーシキン美術館展――旅するフランス風景画」を巡ろう 【niconico美術特集】
国立西洋美術館「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」を巡ろう 【niconico美術特集】
東京国立近代美術館「生誕150年 横山大観」展を研究員たちが自由奔放に語り尽くす生放送【niconico美術特集】
横山大観 大作「生々流転」日本一長い画巻40.7mノーカット放送 ~東京国立近代美術館「生誕150年 横山大観」展より~【niconico美術特集】
京都国立博物館 「池大雅 天衣無縫の旅の画家」展を巡ろう 【niconico美術特集】
東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」を巡ろう
葛井寺の秘仏・国宝「千手観音菩薩坐像」と対話する24時間放送 ~ 東京国立博物館 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」より~
特別展「深海2017~最深研究でせまる“生命”と“地球”~」を巡ろう~解説生放送
【niconico×大兵馬俑展】みんなで巡ろう大兵馬俑展 解説付き
新発見があったパブロ・ピカソ『海辺の母子像』だけど何か質問ある?【ポーラ美術館】
世界遺産・国立西洋美術館を巡ろう! ~無限成長美術館とル・コルビュジエの夢~
(書き起こし始まり)
徹子「今日のお客様はとっても可愛い方でいらっしゃいます、雑誌JJのモデルでいらっしゃいまして、何といってもその日本語が、お可愛らしい・・えっとね(資料を見る)独特の「四字熟語」よんじ・・じょく熟語っていうんですか(笑)あたくしも今日これから伺ってみようと思いますけど、あたくしにもとても素敵な、あのそういうので付けてくださいました、後で伺います。滝沢カレンさん今日のお客様です。」
(ドアが開き滝沢入場)
徹「どうぞお入り下さい。去年の番組出演本数が200本以上を越すという大変な人気者でいらっしゃいます。どうぞお座り下さい・・あ、素敵なお洋服。ね、なんて素敵なんでしょう。・・・さっきも申しましたように、雑誌JJの人気モデルさんでいらっしゃいます(雑誌の表紙写真を見て)あ、こんなね、こういう感じなんですけど。お父様がウクライナの方でお母さんは日本の方で、で日本にお住まいになって。」
カレン「もうずっと、あの〜おも、生まれてからもずっと日本ですし、ウクライナに別にどうも思ってるわけじゃなくて、あの日本でしか生きてないんで」
徹「ウフフ・・・どうも思ってない(笑)でも言葉は日本語の他に何かお出来になる」
徹「ウクライナ語もお出来にならない」
カ「もちろんです」
徹「で、あなたはお生まれになる前に、もうご両親がお別れになってらしたの?」
カ「そうなんです、お腹の中でそういう事があったので。離婚して、で、産まれた時はママしか、逆に良かったというか。逆に・・お父さんという存在を、知ら、分からなかったというか、居る事も分からなければ居ないことも分からないから、そういう人間なので・・なんか欲しいとも思ったこと無いですし、もう、お爺ちゃんが男のパパ、みたいな」
徹「あ、お爺さまが居らしたから。お爺さまは甘くて良い方だったんでしょ?」
カ「ほんっとにもぅ・・目ぇ見れば500円くれるような男だったので」
徹「あら良い〜(笑)良いわね〜そんな人居ないわよ見るだけで500円くれるなんて」
徹「さて、あなたは今日は念願の徹子の部屋初出演でいらっしゃるんですけど、大好きでらしたんですって?」
カ「そうなんです!あの〜こんなとこで言う話でもないんですけど、あの、ホント小学生から、お婆ちゃんと見てたぐらい」
徹「あ〜そうなの。お婆さまと一緒に」
カ「お婆さま・・お婆ちゃんなんですけど、あの私がずっとお婆ちゃんに育てられた娘でして、ここまで来たんですけど」
徹「(祖父母と写っている幼少期の写真を見ながら)お祖母様?この方?」
徹「何処でしょうね〜これ白樺があって、素敵な所ね」
カ「これは北海道の方です。で、この下向き加減な人がお爺ちゃん(笑)なんですけど、このお爺ちゃんとお婆ちゃんに育てられて。もちろんお母さんも居るんですけど、あのお婆ちゃんがほぼお母さんみたいな人でやってました。」
徹「だからまたそういう方で育つと、色んな事を覚えるでしょうね」
カ「あのホントに・・昔の人なので、あの・・色んな事を知っていて、テレビの事もやっぱり、徹子さん、の部屋をずっと二人で横並びで見てたりとか、であの。ここには凄いあの・・歌の方とか女優さんの方とかが・・すぐお婆ちゃんそういうのであのアガっちゃう人なので、それでキャッキャ言いながら」
徹「ホントに。でも残念ですね、なんかお亡くなりになったんですってね」
カ「そう〜あの、もちろん、ァもちろんじゃなくてあの、寂しいことに亡くなってしまったんですけど、でも全然寂しくないというかそのまぁ全てをやりきって、あそこまで生きたっていう女は居ないので」
徹「女は居ない(笑)うん」
カ「なかなかその・・引き止める訳にもいかないので自然なので」
徹「まぁねぇ・・80歳で3年前にお亡くなりになったそうですけど」
カ「そうですね・・・」
徹「そうですか」
カ「はい」
徹「あの、四字熟語、というのを駆使なさいまして、ええ・・ホントに(笑)お可愛らしい、それでまた有名になって。なんか私の事も付けてくだすって、あたし嬉しいと思ったの「早口国宝」って言うんだって?」
徹「これはどういうフッフッフ」
カ「フフフ・・あの、申し訳ないぐらい、あのやっぱり早口なので(笑)やはりそういう事をずっと私はちっちゃいながらも、徹子の部屋・・さんっていうんですか、こういう所を観てて、この方すごい早口だなぁと思いながら、でも全部を、巻き込む。力強さとか、あのこく、国並み、くに。国宝並みだなぁっていう、やっぱり普通の早口とは違うっていうのをやっぱ分からせたかったので、やっぱり早口、の国宝で、たか・・あたしはもうホントに、何かあったら徹子さんっていうぐらい、あの、気付いちゃう(※築いちゃう?)人なので、やっぱり徹子さんは国宝だなっていう、みんなが思っている事を言いました。」
徹「ありがとう存じます・・そんな事言われたことないのよあたし。だから本当に嬉しいと思います。でも面白いのでは、出川哲朗さん。あの方の事をやはり四字熟語で仰ると」
カ「あの人は、えと「職業激痛」って言わせて頂いてるんですけど(笑)あのフッフ・・ホントに痛い事しかしてない。。【徹子「熱いお湯の中に飛び込むとか」】そうです!そうです、泥・・食べたりとか・・ッフッフあの分かんないけど(笑)そういう事ばっかされているので、それをやっぱり、尊敬をしました、あたしには絶対しないですし、出来もしないことをひとがやるって」
徹「ビックリしますよねぇ・・・そうそう。それから私あれが面白いと思うのは、梅沢富美男さん。フッフッフ」
徹「(笑)本業不明。あの方さぁ、300年に一度の俳優だって言ってるわよ自分のこと」
カ「そう!そうなんですご自分では、そう仰ってたんですけどやっぱりその、何をされてるのかやっぱあの色んな所で、こうこう・・あのトコトコ出てるので、なにしてるんだろうっていっつも・・なにしてもまぁ出来てるかもしれないですけど、全部が100点すぎて、ホントの話がわかんなかったです」
徹「ハッハ・・・そう。。ただその四字熟語というのは自分で研究したの?」
カ「研究ってか(笑)あの、ただの思いつきでやってますけど、あの〜あたし漢字がずっと好きだったんですよね。大好きで・・もう何かあったら漢字。書く、漢字ドリルっていうのがあの時はあったんですけど、あの時から大好きで、漢字ドリル、の、授業ばっかりをやる、っていう女の子でした」
徹「じゃあ漢字がお出来になると随分表現法がね・・。お子さんの時はどんなお子さんだったの?」
カ「子供ん時は、あの・・私の子供の時は、凄い、人見知りが無い、女の子でした。いっぱい人に話しかけちゃうし」
徹「あっそうなの〜(子供時代の写真を見て)あらかわいい〜これあなた?かわいい〜健康そう。目が大きくて」
カ「そうなんですちょっと何か大型な感じで」
徹「でもあなたは昭和の家庭で育ったということなんですけど、どういう家庭なの昭和の家庭って」
カ「そうなんです!本当に、ビックリするくらいあの〜家の中は綺麗なんですけども、お婆ちゃんが全部ホコリひとつ、ひとつもこうやってペタペタ自分の指で確かめて、あの〜家を周るっていうヘンな・・人だったんですけども、他にもあのすっごい厳しくて、靴、ゲタ・・靴箱の、下駄箱とかも、一足以上出してたら絶対ダメですし、そして教科書も床にちょっと置いて、トイレに行こうなんて思おうが、もう思った瞬間に捨てられてしまうので・・・【徹子「大変・・・」】ゴミ箱とトイレ・・・、ゴミ箱→トイレ、ゴミ箱→トイレ、っていう感じです。置いとくとすぐゴミ箱・・・ホントにバケツのゴミ箱を買ってきてるんで、あそこは。ウチのあのお婆ちゃんは」
徹「お母さまは通訳の仕事でお忙しくてらっしゃるんですってね」
カ「そうです、今でも通訳をさせまし、させてますけど(母と写っている幼少期の写真を見て)そうです、これが母です上の人が。旅行のときの・・いつも旅行をしたら写真を撮る、っていう前向きな家族だったので」
徹「素敵だなと思うのは、あなたのお家ではお食事の時にオペラの音楽をいつもお婆さまがかけてらっしゃって」
カ「そうです〜(笑顔)」
カ「そうですぃ・・」
徹「まぁ色々あるけども、マダム・バタフライとかこういう(「蝶々夫人」がかかる)」
徹「そうです」
カ「へぇ〜」
徹「どんな話をしながら食べるのそれで」
カ「あの〜会話というより、この時は会話っていうよりは、お婆ちゃんだけが鼻唄を食事中この許されてたので、ず〜とそんな感じで歌って、私達に聴かせてたし、もうこの曲が鳴っている間は私達は喋っちゃいけないタイムなので(笑)お婆ちゃんの聞き入りタイムなので、私たちは無言でご飯を・・」
徹「でもお婆さまはオペラ歌手になりたかった訳じゃあないの?べつに」
カ「ま・・・そこまでの話はしたことないんですけど、でもオペラ教室に、習ってました」
徹「じゃあやっぱりお好きなんだわね」
カ「年に一回、落葉松の歌とか歌いに行ったのを私は見に行きました」
徹「あらそうなの。いい声だった?お婆さま」
カ「んもうお婆ちゃんはほんっとに歌が上手で、もう、電話に出る音からしてホントに、誰この声?!って思うくらいの、私の自慢の声だったんで」
徹「あ〜そうなの、じゃあ普段の声もお綺麗だったんでしょうねぇ」
カ「もうホントに、怒鳴る時だけ(顎をグッと引いて)あの、グォッ、グォ〜、みたいな(笑)鬼みたいな、鬼のような声で」
徹「アッハッハ・・でもなんかお爺様は俳句をなさる?」
カ「あ、そだお爺ちゃんは、おか、お婆ちゃんも俳句するんですけど、あの私もその繋がりで俳句仲間になったんですけども、お爺ちゃんは、絵を書きます。」
徹「・・あ、お爺様絵をお書きになる。そいでっで俳句作ったりして」
カ「あの〜そうです、おば、俳句は、あのホントにふとした瞬間にしか作らないので、あの俳句作るぞっっていうことじゃないです」
カ「えっともうかなりの数を作ってきたので、今でもいつでも作れるくらい・・あの俳句は」
徹子さん 思っていたのと 全く同じ
(スタジオどよめく)
徹「アッハ・・・ありがとうございます(笑)徹子さん思っていたのと全く同じ。この方の今日の俳句でございます。大事にしておきましょオッフフ・・そうですか。おんなじだった?」
カ「あの・・やっぱり、凄く想像を膨らませて・・生きていたので、今日来てしまった、来てしまったというか(笑)あのホントに、自分の思っていたとおりの、人だなぁっていう人で良かったと思います。安心しました。」
(CM)