はてなキーワード: 不可能とは
○ご飯
○調子
明日仕事なのに遊んだゲームが面白くてその余韻を楽しみたい気持ちで飲んじゃった。
美少女ゲームの文法で作品の構造自体に仕掛けがあるSFを書くことと、こめっちょのクオリティに定評がある infinityシリーズや極限脱出シリーズのライター打越鋼太郎さんのAIシリーズ第二段。
前作から3か月後、身体を真っ二つにされその半身だけが見つかるハーフボディ連続殺人事件が発生する。
なんとその6年後に、見つからなかった半身が見つかる、しかも6年経ったとは思えない真新しい死体が。
6年越しに見つかる半身を巡る殺人事件を、前作から3か月後を舞台に新人捜査官の龍樹と、それから6年後を舞台に捜査官になったみずきの二つの視点で追うことになる。
しかし、話を進めていくと、事件の捜査は二の次で人間関係、愛をテーマにしたそれの解きほぐしが始まる。
ソムニウムパートと呼ばれる対象者の夢に潜り込む装置を使って、彼らが人間関係の中で秘めた気持ちをスッキリさせる。
大きく分けると3組のお話が主軸になっている。
売れないお笑い芸人の父親が息子を思う気持ち、そんな父親に向ける子供の本当の気持ちを解きほぐす、米治、祥磨ルート。
元犯罪者ながら成り上がろうと努力する男性と、大金持ちの娘という立場でその男性のプロポーズに悩む、ライアン、絆ルート。
醜くい自信の肉体を受け入れてくれたがそれを信じきれずにいる苦悩のお話の、厳、亜麻芽ルート。
この3組の相手を思うが故に相手を守りたいと思うが故の苦しみが、ソムニウムパートによって解きほぐすされていくのが感動する。
特に最初はストーカー気質な上に元犯罪者というヤバさのせいでドン引きなライアンが、本当の本当に絆のことが好きだと伝わってくるパートが僕は好き。
お嬢様ながら「興奮するとオシッコ漏らしちゃう犬みたい」と下品な例えをされてしまう激情的な絆とのカップリングは面白く、今作のソムニウムパートの主役と言っても良いだろう。
そんなわけで、人間関係感動パートがかなりの文量あるのだけれど、当然このゲームそれだけではない。
最初に書いた通り、6年越しに死体の半身が見つかる、それも死亡推定時刻は6年前ではなく最近、という奇妙な謎を解かないといけない。
読者である僕からするととんでもない謎なのだけど、どうにも登場人物たちは謎と思っていない。
それどころか彼らの話す仮説の方がより謎を深めていく。
正直、今までそれなりの量のミステリを読んできているので、殺人事件の仮説の要点を踏まえることは得意だと思っていた。
その通り今作も最初のうちはふむふむと読み進められる。
歯車というか、そもそも主人公たちと読者である自分との間に齟齬がありすぎる。
と、事件の謎よりも、謎の仮説の方がどんどんと混迷を極めていく。
いったいぜんたい、根本的に「ナニが起きて、ナニを解決しないといけないのか?」そういう枠組みから疑う必要がある、そう気付かせられる。
まあ、そりゃそうなのだ。
打越鋼太郎という作家性、どう考えても物理的不可能な不可解な事件現場、登場人物と読者との情報の齟齬。
これらを踏まえれば、物語の構造に仕掛けがある類のトリックであることは明白だった。
なのだけど、僕はかなりあっさり引っかかってしまい、おどろきの声を上げてしまった。
ゲームで物語を遊ぶという構造的に疑うことをやめてしまう部分をうまく利用しているのが面白い。
正直ちょっと前作を踏まえると矛盾するのでは? と思わなくはないのだけど、どうも作者自身もそれはわかっていたらしく、かなりわざとらしいフォローが入っていた。
そんな物語の構造に仕掛けられたトリックを乗り越えて、お話は幕を下ろす。
完全にシリーズ恒例にする気満々のアレで締め括られる。
前作で始めてみた時の衝撃は本当にすごく、今作でも期待していたのと同時に、このハードルを越えられるか? と不安だった。
なのだけど、全くもって問題なし、前作並みのアレでの締め括りで感動的で、泣けて、笑える。
前作でも感情が泣き50パー、笑い50パーで半々になってしまいどんな顔して良いか分からずただただ感動したが、
今作も泣きと笑いの感動が同時に味わえた。
いやあ、よかったよかった。
そんな前作並みの感動の完結後、前作ではたった一文で示唆され、シリーズを跨いで追っているファンの度肝を抜いた、打越鋼太郎作品で度々登場する「アイツ」の件。
今作では1文ではなく、短いながらもちゃんとしたシナリオが展開することになる。
「物語の構造に仕掛けがある」という構造に仕掛けがあることが明かされる。
これ自体は、シリーズは異なるが同じ作者の作品を踏まえるとさもありなんではある。
しかし、その味わいは全く異なっていた。
そもそもこの種明かしがグランドフィナーレの後に来るという構成が根本的に何かおかしい。
これを「アイツ」の功績によって得られたシナリオグランドフィナーレにするのではなく、「アイツ」が少ししか登場しないシナリオをグランドフィナーレにする。
これになんの意味があるのか。
俺も坊さんとか誰かに相談したいことってあるけど、それは原理的に解決不可能な問題があるからなんだよな。解決不可能な問題については「それを受け入れろ」以外に何も言えることはないのはわかる(クソが死ねとは思うが)。
学力が要件に満たない女子を入学させない限り男女比半々はおろか3割とかも達成不可能だという話をしている。なぜなら理系男子の学力の高さはASDの過剰なこだわりでのめり込んだ結果であることが多いから。
遺伝子と文化資本最強で定型発達でも学力の高いキラキラ学生を増やせばいいんだみたいなことを政府や大学は妄想してる節もあるけど、そんなの数が少なくすぎる上に縮小再生産にしかならないので最初から詰んでる案なんだよな。
だからそれは(研究レベルを著しく低下させない限り)不可能だって言ってるんだよ。女子向けの環境を整えたところでASDを弾かない限り絶対無理。ASDを弾くということは理系の実力で評価するのをやめるということと実質的に同義だと言っている。
だからそれは(研究レベルを著しく低下させない限り)不可能だって言ってるんだよ。女子向けの環境を整えたところでASDを弾かない限り絶対無理。ASDを弾くということは理系の実力で評価するのをやめるということと実質的に同義だと言っている。
ここでの前提:少子化は悪いことだ
未婚率が上昇していく状況において、「婚姻した人のすべてが4人も5人も産み育てる」なんてことは絶対に起こりえないわけで(3人以上育てているご家庭(構成問わず)、あなたがそう考えていなくても未来のために本当にありがとう。)、少子化に対してどうするのかという話。いくつかパターンを考えてみよう。
少子化対策としては優先度低。あげられる量が決まっている。仮に「結婚したいけどできない人」を全員結婚させても、「結婚したくない人」の数が多いため、少子化対策として弱い弱すぎる。
例外として「結婚しよう!」という洗脳プロパガンダを流し「結婚しないとかダサい!したい人はこちらに来れば絶対にできます!」という仕組みを構築すれば効果はある。しかしこれは完全に悪である。言い切っておく。
少子化対策としては優先度低。やれるのであれば効果はある。でも実際はほぼ不可能である。なぜなら子供を産むかどうかは完全に自由意志だからである。
例外として、産んだ子供の経費をすべて確定申告で返ってくるようにし、理由不問時間預け放題の保育所(18歳まで対応)を作成するなどすればできる可能性はある。財源と人員リソースは「なんとかする」
ここでタイトル。自由意志の婚姻制度に依存し、すべてのしわ寄せを育児世代に丸投げする現状では結局どうにもならない。
考えられるのは以下か。
うーむ難しい。賢明な方々の考える「婚姻制度に依らない子孫の増やし方」があればお聞かせ願いたい。もしくは議題に沿った全く別の解決策があればお聞かせ願いたい。(悪いが金ばらまけば子ども増えると思ってる愚鈍に用はない)
マジメな話、出産というリスクを背負う側が相手を選ぶという行為の選択権と責任を持っていいと思うんだよな。
その場合、男がATMとして働きアリとして暮らすことを役割とするって現代社会と噛み合うしな。
元々男女の力関係ってそういうものだったはずなのに、女が告白の責任を取るストレスから逃げたがり、男が選択権を欲した結果、どちらも得しない役割のトレードが起きてるのが問題。
まあ肉体的な力の強さから生じた男によるレイプを、後付で合法化するための手段として、告白は男からする(告白OK即セックスも可)っていうルールに進化した感じはある。
捕まる人はやらないでしょ。
だいたい海外の熱心なオタクがネットにアーカイブしていくんだよ。
日本も北朝鮮と同じでいつアクセス不可能になるか分からん世界と思われてるんじゃね。
まあどこだってそうだが。
2年振りの周年ライブということで久々に現地参戦。なんやかんやで配信でライブを見るのは楽というか、運否天賦のチケで米粒を見たり現地ライブビューイング状態になったりするのと比べればほぼ安定して表情まで見える上に何よりTwitterで実況しながら見られるのが楽しい、あと声出しが不可能な状態で現地は拷問が過ぎるのだがスキップされ続けてきた周年ライブならやはり現地で見たかった。
まず物販、事前通販無しのくせに早々にパンフとペンライトとタオル以外を当日分完売させて一体何年ライブやってんだ???という安定の運営。不良在庫が怖いのも分かるが機会損失が酷すぎる。
座席はA5、センター寄りで最前から3列目という希に見る良席。二次元アイドル系にしてはライブでの女性割合が何故か高いコンテンツだけあって左は全身のボディランゲージで高ぶった感情を表現するお姉さん、右はカップルだった。激しく動かれるのも困るけど、迷惑で無い程度に人が全身で楽しげにしてるのを見るのも楽しいのでこういうのも現地の魅力なのだと思う。ただ席と席は普通に詰めていたのでちょっと狭い。
ステージとの距離はかなり近めに見えるので、演出の炎が上がる度に確かな熱気を感じて驚いた。あの炎って特殊効果的なやつかと思ってたのに本当に熱い本物の炎だったんか…。
ゴンドラ演出があるので後方にも一応人権はあると思う。以前のライブであったような身長より高いアクリル板(ライトが反射して最悪)はなかったが、腰から下が覆われて何も見えないというのはどうだろう。簡易な柵状のだったりした時もあった気がするのだが。
セトリは初期の曲から人気曲、新曲とバランス良く組んだ感じ。やはりポエム要素は無しなのでまたフェス的なあれか。音響はいまいちというか、5人以上が歌う曲になるとやけに甲高く聞こえて安っぽく聞こえてしまう。この傾向は以前のライブ配信でも気にはなってたので音響的な問題なんだろうか。温存し続けてきたAcross the Rainbowを出すとは思わなかったけど残念音響なのが惜しい。
新規デビュー組、伊波杏樹と顔文字さんはそりゃソロでも十分強いというかむしろ組むと相手の方が大変じゃねという物凄い安定感と貫禄。りっか様も凄かったのでこの3人がソロなのは必然だし納得感がある。8年越しのライブデビューとなったが次に顔文字さんを見られる日は来るのだろうか。
どうせまた2時間程度のライブだろうとタカをくくっていたので中盤あたりでかなり足が疲れてきた(MCで前方が座らないので座れない)のは運動不足と体力低下のコンボかと思っていたが終わってみれば約4時間半、ほぼ5時間近いライブで手加減無し。こういうのでいいんだよこういうので。
特に発表とかは何も無し。周年ライブだから何かやると思うのだがまさかこのまま何も発表しないとかもやりかねんのだよな。
まあ端的に言えば久々の周年ライブは最高でした。
少し毛色が違うかも知れないが、こんな事件があったよね。
…
表紙と1ページ目の間に明らかに”陰毛と思われるもの”が挟まってました。きちんと発送前に確認していただきたかったです。
「こんなことで許してもらえるか分かりませんが、”私は20代前半の女性”です。」
ヤフオクの取引での面白い寓話として語り継がれてる話なんだけど。
だけど実はこれ、酷い話だと思う。
素人とはいえ商取引きしてるんだから社会的な責任は持っているはず。女性は、仕事人として誠実に対応するなら、謝罪一択でしかないのに、性を差し出すことで代替してしまった。
男性の方も叱りつけたりはしなかった。女性を対等に相手できるマトモな取引先として見ずに、女性性を搾取できる対象として消費してしまった。これでは、女性とは、いざとなれば性を差し出すだけの、理性や意思を発揮して問題解決する必要がない・できない——社会の二級市民になってしまう。
輪をかけて酷いのは寓話自体が「微笑ましいエピソード」として世間に流通している事だ。「しょうがないにゃぁ…」と同様に、それらが微笑ましいエピソード扱いになってること自体が、もう、ただただ絶望でしかない。社会の大多数の大人達が自分を1ミリも疑わずに不気味な微笑みを浮かべてるのを思うと背筋が凍るし、内臓全部を吐き出しそうになる。男の人には理解不可能だろうけど。
遊戯王マスターデュエルをしているんだけど、話を聞くと大抵「クソゲー」いうんだよね
そりゃー確かに禁止制限を不定期にするし、カードゲームとしては非常に一方的な展開だし1ターンにおける行動に対して制限も無いため、はっきりいえばお子ちゃまゲームではある
その一方でルールがやたら複雑でテキストを読み込むことすら難しいと来ている
いくらゲーム側の補助があったとしても人間がこれを直に扱うのは不可能に近いと思うし、やっていることの大半が普通の人には意味不明だ
なのでクソゲーだとは思われても仕方ないが、それとは別に一般人にとっては「良くない部分が多いものは全部クソゲーとよんで構わない」って認識なんだろうな
というか日本人全般は減点方式での評価に慣れすぎているんじゃないかな
コアなファンが楽しければそれでいいゲームだってあるのに、一般向けじゃないから、ニッチ過ぎる仕様だからと言う理由でクソゲーと呼ばれる物が最近特に多い気がする
この増田読んでずっともやもやしてたんだけどようやくわかった。
この増田はまあ確かに合ってるところもあるけど、根本的にファンを数字でしか見てなくて質を無視してるんだよ。
だから「ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかったのだから、話の出来が悪かったから盛り下がったのだという主張は失当である。」みたいな的外れなこと言うんだよ。
1個ずつ反論するわ。
これはまあそうだね。好きなキャラのルートしか読まない人も少なくないだろうから読者が減ってくのは同意する。しょうがないよね。
これは半分詭弁だと思う。確かに本編の内容と関連付けて語ることはなくなるかもしれないけど、それだけじゃないじゃん?
考察みたいな頭使うことしなくてもここのキャラが可愛かったとかこのシーンが好きとか普通に語れるじゃん。
それに1人しか好きなキャラがいなかったら他のキャラのことは冷めた目になるかもしれないけど、大体のファンって箱推しじゃない? 1番好きなキャラがいても次に好きなキャラがいるとかみんな好きとかが普通でしょ。
ギャルゲーだってあるヒロインが好きだとしても、他のキャラのことも普通はある程度語れるし、いいよねって他のファンとも言い合えるじゃん。
ぼく勉でそういうことを語る人がいなくなったのは単純に話がクソでみんな離れてったからでしょ。
パラレルルートの始まりにヒロインを脇役にして今までに1話しか出てない幽霊とサブヒロインメインの話されたら誰だって呆れるわ。
文乃にしても本編ですでに許されてるのにまた許されないだの何だの言い出しても結果わかってんだから緊張感ないし、怠慢も生徒と教師とかいう旨味をかなぐり捨てて教師同士の恋愛とか誰も求めてないことやりだすし。
唯一良かったあしゅみーだって離島で大人になった後の話で、成幸の父親とあしゅみーの父親が親友でしたとか無から湧いた設定まで出てきて今までのぼく勉と何の関係もねえじゃん。成幸の父親も町医者に手術しろとか頼み込むアホになって株クソ落とすし。
たとえパラレルルートで読む人数が減ったって、この辺のストーリーが良ければその話で盛り上がれるよ。
たとえファンが減ったとしても語りたいと思える内容ならそういうファンが盛り上げてくれるんだよ。ファンの質ってそういう意味な。
単にストーリーが良くないからこんな思い出共有したくなくて盛り下がっただけ。
これはもう詭弁じゃね?
「中途半端に与えられると足りないものが目についてしまう。半端な救済は逆に恨みを買ってしまう」とか「それまでの話にいくらいいシーンがあったとしても、個別ルートの出来が良くなければ満足されない」とか抽象論で言えば確かに正しいけど、じゃあ具体的な満足されるラインって決して「全教科満点取れば入試に受かる」ほど高くないでしょ?
理珠派 ほぼ関城さんがメインで理珠がサブ扱いなので不満の声が目立つ。
文乃派 話自体にはそれなりに満足しているがパラレルがなければ本来は文乃が勝っていたはずだという幻想に縋って不満が渦巻いている。
あすみ派 とりあえずやってくれたことに満足している。
これを例に挙げてるけど改善点なんて明らかじゃん。
うるか→花火のアップで終わらせない、サプライズの発表にしない、ちゃんと正史だと言うか言わないなら他と同じ扱いにする。
理珠→関城さんじゃなくてちゃんと理珠がメインの話にする。
文乃→そもそも焼き直しの話をやるから本来は勝ってたとかいう不満がでるんだから焼き直しの話にしない。
真冬→生徒と教師のままにする。(マガジンで女教師と男子高校生の恋愛なんかいくらでもやってんだから少年誌じゃ無理だとかいう妄言はやめろ。作者が逃げただけだ)
このあたり普通にやってればファンは満足するわ。こんなの誰でもできるぞ。
評判いいあしゅみーのルートだって成幸の父親筆頭に細かいとこ粗だらけだけど、あしゅみー好きみんな満足してるしそれ以外のファンもいい話だとか言ってるだろ。
誰もぼく勉に非の打ち所がないストーリーとか求めてないんだから、なんとなくそれっぽい雰囲気の話が読めれば満足するんだよ。
誰でもできることを作者が出来なかったから呆れられてるだけなんだから、あたかも実現不可能な高いハードルかのように言うなよ。
ぼく勉が盛り下がったのはパラレルストーリーが悪いわけではなくぼく勉が悪い。
パラレルストーリーでどんどん読者が減っていくことは確かだけど、それでも残るファンはいるし、残るファンが語れるようなストーリーをやれば盛り下がるだけにはならない。
そして残るファンが満足するようなストーリーをやることは決して高いハードルではない。
ファンなんて元々作品に好意的なんだから、よっぽど酷いもの出されなきゃ普通に歓迎するわ。
ぼく勉はそのよっぽど酷いものを何度も見せられたからファンが呆れて見限られただけ。
「ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかった」かもしれないけど、それでも80点のようないい話の期待じゃなくても赤点回避の30点くらいの期待はしてたんだよ。
その程度の期待に応えられなかったのはぼく勉が悪いでしょ。
パラレルストーリー自体はラブコメ漫画の新たな可能性なんだから、ぼく勉のような失敗作を例に挙げてパラレルストーリー自体を否定するようなことをしないでほしい。
まあ信頼を切り売りする手段なのは間違いないから、一度パラレルやった作者が次にラブコメやったときにまたパラレルやるんでしょって思われたら熱心な読者はつかないかもしれないけど。
あとついでに人気がないからメディアミックスのボイスドラマ打ち切られたって書いてたけどこれは間違いだから。
うるかの分は単に元から作る気なかっただけ。アニメで3分位やったでしょ? 作者にもアニメサイドにもあれで十分って判断されてんの。
自分の考えた話を別物に改変されたあれで十分って判断する作者なんだから、話にこだわりないのわかるよね。
人権も多様化もポリティカルコネクトレスも、個人という弱者が政府や企業といった強者からリソースを奪うためのツールに過ぎないんだよ。
だから基本的にクッソ高い理想の上面だけ拝借して、相手が道徳的でないから悪!って殴って対価をぶんどってくるのが正しい使い方なわけ。
ところが最近の若い奴はそういった概念がマジで人を救うと思ってるから始末がおけない。
彼らは理想をマジで信じてるから、それを振るう弱者側にも理想を要求してくるし、当然弱者は弱者なので理想を体現することはできない。
それで「なんだ結局そんな理想無理なんじゃん」とか言って冷笑し結果的に強者におもねるネトウヨになる。
証拠不十分じゃなくて明白な虚偽だよ
30cmしか隙間のないソファと応接台の間に押し倒されて暴行されたとか言ってたんだから。
理想社会の実現に向けて、神の視点を究めようと日々努力研鑽を惜しまない人。
そもそも、祥子さんがレイプを訴えた時、まず第三者委員会で調べるべきとだけ言っていて、
「祥子さんがレイプを訴えた」までを事実と考え、実際に何があったのか?までは判断を保留している。
神の視点でモノを言うから、やれ、上から目線だ、他人事だ、と非難されがちだけども、実は物凄くフェアな見方をしている。
草津温泉を好むか、嫌うかは個人個人が決めるべきだし、個人が風評に流されること自体あってはならないのだという、
被害者救済のためなら、どんな犠牲をも払う覚悟のある人道主義者。
隠岐さんが、司法で決着がついたら全てという立場に対して、郡司さんは、司法が完全ではないことを指摘していて、
証拠が無くて立証不可能な性犯罪被害に対しても、最後まで被害者側の立場に立ち続ける強靭な意思がある。
本人から聞いたわけじゃないけど、祥子さんがウソつきの異常者に変貌してしまったのも、
祥子さんへの周りの長年にわたる酷い扱いに原因があると考えているんじゃないかなと勝手に想像してる。
良くも悪くも文学少女。
フットワークの軽さから、フェミニズム問題にもいっちょかみしてるけど、本当は死ぬまで本を読んでいたいだけの人。
『所詮は人間、いかに優れた者でも時には我を忘れます(シェイクスピア)』
『悪口を言われて我が身を正すことの出来る人間は幸せと言うべきだ。(シェイクスピア)』
シェークスピアを学んだ彼女は、どんな人でも過ちを犯すことがあるし、
本人自身も含めて過ちに気づけば謝罪して正すべきだと信じてる。
『天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない。(シェイクスピア)』
(個人の感想です)