はてなキーワード: ヤバいとは
マジで男が怖いよ
痴漢する奴も社交辞令を本意だと勘違いして近づいてきてトラウマ植え付ける上司も体目当てでナンパしてくるヤリチンも全員死んでくれという感情しか湧かなくなってきたのが嫌だ 全ての男のチンコ切り落としてそのまま人類絶滅した方が幸せになれるって一瞬でも思ってしまったのが嫌だ 人間は全員生きていていいのにね
ツイッターで男と交流をしてもこいつなんとなくストーカーやられそうだなとかこいつなんとなくオフパコ狙ってそうだなとか女だからって理由で近づいてそうだなとかそういう事ばかり考えてしまって何も楽しめなくて嫌だ〜〜〜〜つらい〜〜〜〜私はただ同好の志が欲しいだけなのにね どうしてこうなってしまうんだろうね 私はどうしたらいいんだろうね どうしたら楽になれるんだろうね
ツイッターでこういう奴はだいたい体目当てのヤバい奴っていう情報を集積したサイトがあればなあって何度思ったことかよ
ネトストと痴漢と上司のセクハラで精神を全部殺されてしまったよ 肉体も死んで楽になりたいよ ここで「どうせ死ぬならその前にやらせてくれ」とか考えた男全員のチンコ輪切りにして肉体は八つ裂きにして全部土に埋めて虫の餌にしてから自殺したいよ あ〜あ お前らのせいです
始めは頭と頭くっつけたら子供できるようにしたんだけど
そうするとおじぎするたびに子供ができちゃって大変になっちゃったんだよ
ヤバいんで次は腋と腋をくっつけたら子供できるようにしたんだけど
今度は腕組むだけで子供できるようになっちゃってまた大混乱だったのよ
それでもう誰も日常でやらないことで子供できるようにしようとして
その時の試行錯誤の名残りで、頭と腋と股間に毛が生えるようになっちゃったんだけど
もう使わないからお前の頭の毛は徐々に消しておくね
問題視される様になった初期からずっと思ってて、その初期から思ってる事に変化がないので、そのお気持ちを書いておく。
https://togetter.com/li/1775677#matome
「氷河期非モテ弱者男性」よりかは、この手の「バカッター的な倫理観の崩壊したクソガキ」の方が、ある意味では自分自身を投影しやすいという受け入れやすさが無いことも無い。(もう「クソガキ」って歳でもなくなってしまったな、我々の世代は。)
https://www.adect.net/archives/2038
一応、このニュースサイト(?)自体がVtuber団体と提携関係にあるらしい。
「敵」か「味方」かと言うと、どうか敵側であって欲しいと願わずにはいられないが、残念ながらこの時代を生きたアラサーのリアルな実感として、「コイツらが味方で、コイツらを守っていく必要があるんだろうな」という諦観のようなものがある。
持ち上げたり関わらない方がいいのは確かだが、彼らは彼らなりの考えがあるのだろうと尊重はすべきだとは思う。ヤクザだって家族や友人が殺されそうになれば抵抗はするだろう。それを「ヤクザが他人を助けるわけが無い。きっと裏があるに違いない」というような、ゲスの勘ぐりをするのであれば、それはそれで反対したい。
https://www.youtube.com/watch?v=qewYDZYndWc
重体から復帰して呼吸のリハビリをするという平和な動画なのにコメント欄は誹謗中傷の嵐で低評価爆撃中。
何かと思ったらワイドショーで自民党の感染症対策を批判をしたのが原因らしい。
えー、これヤバくないこれ?
例えばはてなで例えると政治思想右寄り思想なつるの剛士がコロナで死にかけて復帰してリハビリ動画上げたとして、それにこんなコメント書くかって言われたらそらやらんでしょって。
反ワクチンやQアノンがコメント欄占領してたりとかYouTubeのコメント欄って5ch以上に闇深いよなあ。
どうにかならんものかね。
立憲民主党みたいに玉石混淆しただけの組織が存在していることがヤバい。
せめて自民党みたいに派閥あればいいのに、ただの烏合の衆なってるし。
その果てが、今の無政策だろ。
甘いとかじゃなくて「もともとずっとヤバいのに今更何言ってんだ?」って話。
知識がないからか元増田は「最近の中国ヤバい!」みたいなこと言ってるけど、中国がヤバくなかったことなんて今まで無いし、表現規制も今更なのに周回遅れすぎる。
反出生主義は、団塊ジュニア世代はマジだと思う。連中は、本当に報われなかったし、そして価値を創造できてない。あの時代、公務員の方がマシって言われていたけど、どう考えても「数が多すぎて」偏差値が高い領域が永続するってありえんだろ。たとえば、私立大バブルだが、英語に関しては「英文法マンセー」の頃はヤバい。だって、早慶のレン中は英語を全然喋れてなかったのだから、間違っていたのは教育だろ。それを、すんなりと受け入れていて、変だといったヤツから採用されていないのを是といった連中が、さも当然「救われる」のはおかしい。
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
文章書くのが得意じゃないので簡潔にまとめると
・血そのものは好きじゃない。アニメやドラマなど創作でも多少のグロ描写で目を逸らしちゃうレベル
・血の匂いが嗅ぎたくて自傷とかはしてないけど、自分が怪我したら匂いを嗅ぐ程度はしている
どう考えてもキモい趣味?性癖?だから治したいんだけどこういうのって治るもんなの?小さい頃に大怪我してたとかそういうルーツになるような出来事もないからどうしてなったのかすらわからん。
まあ気にせんでいいかなと思って放置してたんだけど、今日擦りむいた時に匂い嗅げる!やった〜って思って自分がヤバいことに気づいた。昔はウワ痛い最悪が先に来てたので、間違いなくエスカレートしている。メンタル壊したり一歩踏み外したら自傷しちゃいそうで怖い
水上バイクで事故が起こり、3人が死んだってニュースがあった。
水上バイクはイキり御用達のイメージがあるけど、実は運転が難しかったりする。
その昔は小型船舶免許旧4級を取れば運転できたけど、今は独特の運転スキルが必要なので免許が独立したほど。
ではヤバい点を挙げると
止まってからならバックに入れることもできるけど、運転中にはできない機種ばかりだと思う。
じゃあ緊急回避はどうやってやるかっていうと、ハンドルを切ってアクセルを吹かす。
アクセルは、自転車やバイクで言うところのブレーキレバーに相当する。握ればアクセルオン。
障害物が目の前に迫って、パニックになってブレーキのつもりでレバーを握ると逆にアクセルオン!
前述の緊急回避を落ち着いてできる人はベテランじゃないと難しいと思う。
ま、わざと泳いでる人の横を通過してイキるようなアホは全滅してほしいけど。
この記事やコメント見ててなんかすごく懐かしい感覚を思い出したのだけれど、あんまり普遍的な感覚でもないのかなとふと心配になったので記録がてら自分語りする。
高校時代、マジで勉強が手につかなくてずっと最下位周辺の順位を取りまくっていた。
("周辺"なのは割と最下位の層が厚いからだ。"我々"しか知らない世界、なんだか誇らしい)
最下位ともなるとほぼ全教科赤点なので先生からの再指導が入り、各教科5回目くらいの再試でほぼ自分専用みたいな糞雑魚テストにしてくれるお情けを経て、基準点ギリギリで単位を掠め取っていた。
もちろん放課後遅くまで指導してくれる先生への申し訳なさもあったし、自分自身結構な情けなさもある。
「勉強しなきゃいけない」という謎の理由で部活をやめたせいで基本ぼっちだし、テスト期間も特に話す内容がないため周りの人間にも絡めず、
何よりまったく意味不明な文字列を眺めているだけのテスト時間はキツい。
でも勉強はできなかった。しなかった。自分の文章力ではこの「どうにも勉強ができない」感覚は正確に記せないのだが、
確かに頭では、目の前の一歩目としてやるべきことは分かっている。1年4月の単元からやり直す、それでも無理なら中学校、小学校の学習へ。
ただ当時の自分にとって、その一歩から現在に追いつくまでの道のりはあまりに長く、遠いものだった。
そしてその遠さは1年、2年と一切勉強できなかった自分という存在によって更に確固たるものとなり、圧倒的な「不可能」として目の前に立ちはだかることで自分の手を止めさせた。
どうもこうもない。「不可能」なので喜びも悔しさもあるわけがない。
自分でも2点だとわかってるほぼ白紙のテスト用紙を提出した時も、課題を放棄し続け先生に諦められた時も、6回目の再テストで回答番号だけ思い出して40点取らせてもらった時も
虚しさしかなかった。
とか書くとどうにも大げさで気恥ずかしくなってくるが、中高の頃の感情なんて実際そのくらいクソデカか。
その後のことは大して面白くない。3年間溜めた無気力の勢いそのままにニート街道へ、薬自慢スレを見ていたら興味が湧いたとかいう最悪の理由で心療内科で薬をもらって(tips:鬱でなくても抗うつ薬はもらえる)こんなもんかとがっかりし(鬱じゃないので当たり前)、
薬もやめ流石にヤバいかと思い立って親に土下座して監獄タイプの予備校へ。現国だけはできたので、まだ拒否感の少なかった英語その他の教科を無理くりどうにかしてもらって国立大に滑り込んだ。
もちろん学費は親持ち。今流行りの親ガチャが胸にしみわたる。俺の親はSSRだ。
後遺症はなくはない。高校時代の記憶が一般的な学生生活の代わりに5ch(2ch)のゴミみたいな板での雑談に塗りつぶされているし(でも相手してくれてありがとう)、今でもそこ以外のネットのコミュニケーションは苦手だ。
なまじ周りが努力家や秀才かつ良いやつばかりで、ほぼ学校生活を放棄してる自分に負い目を感じて孤立の道を突っ走ったせいもあり、高校時代の友人はほぼ皆無。
なぜか就職はできたけど仕事以外の場面で同僚と話すと自分の空っぽさに引く瞬間も多い。
虐められたわけでもなく毒親でもなく、完全な自滅。今思うと貴重な経験だったような気がしなくもないが、でも、あの時つらかったと言っても怒られはしないんじゃないか。
だから『絶対に勉強が伸びない』『何故「悔しい」と思えない奴が軒並み駄目なのか』とか、そういう無闇に強い言葉はあんまりつかわんといてや、という呟きでした。