はてなキーワード: ガイジンとは
そこそこのプログラムは書けるが、ロジカルに物事を考えることができない。
技術は手段ではなく目的。それをやることで誰得なことに全力を注ぐ。
合理性ゼロ。ゼロとかそんな次元じゃない。もう fucking irrational.
トレードオフなんて考え方はゼロ。どれだけ開発環境が悪化しようがお構いなし。自分がやりたいって思ったら。
人の話は聞かない。超利己的。 自分の言うことは全部正しいと思っている始末。合理性論理性ゼロでもだ。fucking egoistic.
著名なエンジニアですら畏敬の念を抱く、Uncleボブで有名なRobert C. Martiの言葉を引用してもお構いなし。ガイジは自分の意見が正しいと全力で感情的に喚き立てる。
でもわざわざアスペまで採用しないでくれ。こんな頭の悪い人間は流石に出会ったことはない。
最近差別に対する目がすごく厳しいけど、一緒にアスペと働いてみ?
あー、転職したい。
「なんか、ポリコレのせいで洋ゲのヒロインは美人にできないらしい」
「なんか、ポリコレのせいで黒人やLGBTを登場させるノルマがあるらしい」
「おのれぇ、ポリコレめぇ!」
もっと素直に考えれてみよう。
そうすれば、
・より純粋に黒人やLGBTの登用に(作劇的な)魅力を感じた。
というように考えることもできる。
なぜ冒頭のような錯誤した思考に陥るのか?
ポリコレへの不満は、まず前段階の「ブサイクや黒人、LGBTが登場するのが不満です」という部分を隠しているのだ。
つまり「ガイジンの美醜感覚や黒人、LGBT」をナチュラルに見下しているのだろう。
「ニュートラルな状態であれば魅力のないブサイクや黒人、LGBTが登場するわけがないのだから、それらが登場するのはすべてポリコレによる圧力の仕業に違いない」
というわけだ。
そもそもポリコレで作品がダメになるという説が事実誤認なのである。
強いて言えば「浅い理解のポリコレ」で作品がダメになると考えられる。
「そっかー、じゃウチもポリコレやってみっかー」
「ポリコレのやっちゃいけないことリスト守ったから、ポリコレやろ」
というゆるいノリでポリコレを取り入れるから、すべてがダメになる。
邪推すれば一部のクリエイターはポリコレが憎いから敢えてマッチポンプ的ボイコットをしているのかもしれない。
「ほれ見たことか!ポリコレを取り入れれば作品はみんな台無しになる。俺の言ったとおりだ!」
「ポリコレなんてクソだ」というのならポリコレに反抗した上で優れた作品を作ってみればいい。
まぁ、無理だと思うが。
「ポリコレ=つまらない」という程度の認識でしかないのであれば十中八九無理だろう。
おそらくは「ポリコレ=つまらない」のだから「つまらないポリコレに皮肉を言ってやったぞ!どうだ面白いだろう」程度のつまらない結末に終わるのが関の山だろう。
そもそも皮肉タップリの作風自体がすでに時代遅れになりつつあることにお気づきだろうか?
ポリコレの件も、そうした皮肉を得意とする作風の作家やそのファンが「ポリコレ・クレーマーによる綺麗事の強要で手足をもがれた」と被害妄想を抱いているに過ぎない。
Black Lives Matter運動、違和感がありつつもうまく言語化できなかったんだけど、色々読んでいくうちに違和感の正体がわかった気がした。
たとえばロヒンギャへの支援を訴える運動は、ビルマ政府のロヒンギャ弾圧はひどいよね! ビルマに圧力をかけてロヒンギャ弾圧をやめさせよう! というものであり、世界中でひどい扱いを受けているイスラーム教徒として連帯しよう! みたいな運動ではない。
ウイグル人やチベット人の抑圧を訴える人たちも、中国政府の扱いはひどい、中国政府は弾圧をやめろ、と言っているのであって、全世界的に仏教徒やテュルク系民族は弾圧されてる! ということが言いたいのではない。
本来、Black Lives Matterもそういう運動、つまりアメリカの黒人はアメリカ政府やアメリカの警察に弾圧されている、アメリカ政府ひどいよね、世界のみんな、アメリカに圧力をかけてくれ! という話だったらよく理解できるんだよね。
でも、全世界的に黒人がひどい扱いを受けてる! それぞれの国でBlack Lives Matterを叫ぼう! 日本でもBlack Lives Matterのデモをしよう! って言われると、は? ってなる。
確かに日本にも黒人差別はあるし、オコエ瑠偉とか大坂なおみとかが差別された体験を語ってるから、日本にそんな問題はない! って言うつもりは毛頭ないけど、警察官が特定人種ばかり狙って射殺してくるとか、無抵抗の被疑者の首を押さえつけて窒息死させたとか、若い黒人男性が刑務所にブチ込まれまくってて黒人コミュニティが崩壊してるとか、そんなんはアメリカだけの問題だろ!
10年以上前にFree Tibetが盛り上がってて日本でもデモをやってたけど、あれは中国はチベット人への弾圧をやめろ! 日本からも中国に圧力をかけるのを手伝うぞ! という運動であって、日本のチベット人差別はけしからん! という訴えではなかった。
でもBlack Lives Matterは、少なくとも東京で行われたデモは、アメリカは黒人差別をやめろ! 日本からもアメリカの警察に圧力をかけるぞ! という運動ではなく、日本の黒人差別はけしからん! という運動になっている。
なんかおかしくね?
なんでアメリカ人って自分たちの問題=世界の問題だって思い込んじゃうの?
こういう、自分たちの問題=世界の問題、アメリカの差別事情=世界の差別事情だって思い込むアメリカ人の自己中心性っていうかアメリカ中心主義、見事にアメリカおよび英語圏の持ってる権力に由来するものだし、非英語圏出身のアジア人からすると「け、権力勾配~~~!!!」って感じがすごいするんだよね。
ローカル事情を自分たちの母語で叫んでるだけで全世界に訴えを聞いてもらえる身分の人たち、肌が白いか黒いかを問わず普通に特権階級だと思うんだけど、どうも連中にはその自覚がないらしい。
まずは自分たちの特権を自覚したらいかが? 日頃自分で言ってることなんだからできるでしょ? としか言えない。
それでもってそのローカル事情に基づいて出来上がったローカル基準をまるでグローバルスタンダードみたいな風に装って他国にも押し付けてくるし、押し付けることのできる権力を持ってるわけでしょ。アメリカ人が自国内でブラックフェイスをタブーにしてる分には知ったこっちゃないけど、全然文脈が違う日本にそれを持ち込んで、褐色キャラのコスをするレイヤーさんに文句つけてるのとかもうわけがわからんよ。
繰り返しになるけど、日本にも黒人差別はあるし、それは是正されるべきですよ。でもそれはアメリカにある差別とは違うものだし(日本の方がマシと言いたいんじゃなくて、歴史的背景も社会の人種間関係も違うんだから当然問題点も処方箋も違ってくるでしょという話)、アメリカ大使館に向けてならともかく日本社会に向けてBlack Lives MatterとかI Can't Breatheとか言われても日本の警察に捕まった外国人はちゃんと息しとるわお前らの国の警察とは違うんじゃという話になるわけで(日本の警察の人質司法や外国人差別を無視していいとは言ってない)。
というか日本では白人も「ガイジン」として差別されてて、黒人とのハーフだけじゃなく白人とのハーフだっていじめやからかいの対象になるんだから、日本の黒人は日本の白人と連帯して非日系のエスニック・グループとして日本人による差別と闘った方がいいんじゃねーのと思うんだけど、まあ彼らは“全世界的な白人至上主義”(これ指を頭の横でクイクイしながら言うフレーズね)と闘う方が重要らしいから、白人と「同じマイノリティ」として連帯する気はなさそう。あのね、知らなかったかもしれないけどこの日本では白人もマイノリティなんだわ。お前らの国のローカルな人種間関係を無邪気にヨソの国に適用するのやめてくんない? というか、グローバルな白人支配を問題にするなら、まずその英語帝国主義をやめてくれない? っていう話。
東京のローカルニュースでもそれに価値があるなら全国放送で流せばいいと思うし(たとえば、香港やパレスチナや西パプアの弾圧もローカルニュースだけど、国際的に注目されるべき人権問題だよね)、災害とかで都民が苦しんでいるなら「都民がんばれ!」みたいなムーブメントが起きてもいいと思うんだけど、都知事や都庁だけがめっちゃ腐敗してるという話なのに、「都庁けしからん」ではなく「日本の政治腐敗は深刻で」みたいな話にされたり、東京だけが被災した災害で「がんばろう日本」ってスローガンが掲げられたら他地方の人はカチンと来るよね、という話。
この辺りはなかなか分かってもらえないと思うが、オンライン上だと日本みたいにガイジンとその他って区別はないっていうかそもそもガイジンって誰なんだ?て話である。英語が多数派なだけで、それがイギリス人なのかオーストラリア人なのかタイ人なのかスペイン人なのかコスタリカ人なのか、どこからがガイジンでどこからがナイジンなのか。たしかに拙い英語のpostはあって、ネイティブじゃないだろうなとは思うけど自分にとっていけてない創作を避ければいいだけでそれ以上でもそれ以下でもない。語学はグラデーションで、美麗な文章を書く人もいるしそうでない人もいる。増田は留学生や駐在を例に挙げたが、ああいうコミュニティの問題点はそこで固まって孤立することで、オンライン上で自分は英語圏のプラットフォームで他の日本人と自覚的につるんだことがないので、それと同じだと言われてもぴんとこない。
まあそれでも、お前がガイジンでアウトオブコミュニティなだけ、きっとガイジンの中では日本の女性向けみたいな忖度合戦があるに決まってるだろって言い張るなら仕方ないが...
日本にいる外国人が日本語をわからないと思って、すぐに英語で話しかけてしまうと、「おまえはガイジンでしかも英語しか喋れないんだろ?だから英語で喋ってやるよ」という自分自身の偏見を相手に押し付けているような気がするので、まず日本語で会話をしようとすることにしている。
そのうえで、相手が日本語で意思疎通が難しそうだと思ったら、自分の運用可能なもうひとつの言語として、英語でのコミュニケーションを試みるという順序にできるだけしている。
相手にとって違和感がないコミュニケーションの始め方をするには、まず何語で話すべきかという問題について、いまだに決着がついていない。
だからとりあえず、「あなたが何人か私は知りませんが、日本国の公用語である日本語であなたはコミュニケーションをとれますか?どうですか?」という意味合いを込めて、最初は日本語で話すことにしている。
東京あたりだと英語である程度の接客ができる人が増えてきて、明らかに外国人だとわかりやすい人(つまり白人)がレジに来ると英語での接客にスマートに切り替える人を見かけるようになった。だがその人の母語はアラビア語、ポルトガル語、あるいはスペイン語で、英語が話せない代わりにじつは日本語での基本的なやりとりはできる人だったら、相手はどう感じるだろうか、などと、そういうシーンを見るたびに考えてしまう。
モヤモヤして、答えが出ない。
ガイジンもだいたいそうやで