はてなキーワード: オープンとは
分散SNSはオープンなものだから分散SNSの機能を内包するWebサービスが現れるたびに人が増えるって特性があるんだよ。
上記のnoteを読み、感銘を受けたので分散SNSを中心に活動するユーザ達が今どのように分散SNSと付き合っているかMastodonを例にして記す。
悪を発見した者たちは自身の言動が正義として疑わず執拗なまでに発見した悪を追い詰める。
どう解釈してもその者たちは正義の味方【ヒーロー】ではない。悪を徹底的に追い詰める悪の敵【ダークヒーロー】である。
我々が幼少期に憧れたアンパンマンや仮面ライダーやウルトラマン、セーラームーン、プリキュアetc...などが取るような言動では決してない。
はてな匿名ダイアリーを利用するようなユーザは分散SNSをよく知っているだろう。ただしそれはおそらく誤解を多く含んだ理解だ。
分散SNSの多くはオープンな形で開発されており、情報技術者やギークの多くはオープンな技術を好む傾向がある。
だからこそ分散SNSに集うユーザは情報技術者やギークが多いのだ……これが既に間違いである。
確かに分散SNSにはその傾向はある。しかしながら分散SNSを使うようになった者は「Twitterに疲れた」という理由を持っていることが多いのだ。
いっときの、いわゆる「Twitterアカウント凍結祭り」が切っ掛けだったとは言え、分散SNSへ定着したユーザの大半は分散SNSに心の安寧を得ている。
悪の敵が跋扈するTwitterと比較して分散SNSは明らかに悪の敵の数が少ないのだ。何故だろうか?
その解答の1つとして、そもそも分散SNSには「Contents Warning(CW)」機能と「Not Safe For Work(NSFW)」機能がある。
CW機能は日本語へ意訳すると「テキスト閲覧注意」のための機能だ。CW機能を使うと指定した範囲のテキストが隠蔽され、他のユーザはそれを読むときは能動的に操作して隠蔽を展開する必要がある。
NSFW機能は日本語へ意訳すると「画像閲覧注意」のための機能だ。NSFW機能を使うとCW機能と同様に投稿画像は隠蔽され、他のユーザはそれを見るときは能動的に操作して隠蔽を展開する必要がある。
これらの機能の存在は大きな意識を各々のユーザへ与えてくれる。それは「アナタの言動によって心を痛める人が居るかも知れない」というもの。
分散SNSユーザはこれらの機能があるため先ず投稿へひと呼吸置く傾向がある。もちろん「この投稿はCW(NSFW)を使うべきかな?」というひと呼吸だ。
別にこれらは強制的なルールでもなく分散SNSが村社会的に暗黙のルールとして絶対となっているわけではない。しかし分散SNSのユーザはひと呼吸置く。
なぜならTwitterの現状があるからだ。Twitterが反面教師になっているのだ。Twitterユーザのように自分がなりたくないのだ。
もちろんTwitterのようなマイクロブログ型SNSは気軽につぶやけるというのが美点だ。しかし自分の気軽さは他者の気軽さではない可能性は十分にある。それを分散SNSユーザはよく知っている。Twitterを見てきたから。
少なくとも戸田真琴さんが例に挙げた凄惨な画像は分散SNSだとNSFWになったことだろう。そしてNSFWになっていない凄惨な画像は共有ボタンを押すことへ躊躇がなされただろう。
更に分散SNSは、戸田真琴さんは少々否定気味だったが、Twitterよりもカジュアルにブロックやミュートが行われる文化がある。
これは前述した「アナタの言動によって心を痛める人が居るかも知れない」の裏返しだ。自身の心の安寧を守るためブロックやミュートをして見えないようにするという自由が価値観として分散SNSユーザ全体で共有されている。
この件についてはPixivが運営する絵描きが集うMastodonサーバのPawooが、外国のMastodonサーバから連携拒否(ドメインブロック)されたことに関して、Pawoo側のユーザが外国Mastodonサーバのその決断を称賛したことにも現れている。
外国のMastodonサーバではPawooの絵描きが投稿する一部のイラストが問題視されていた。性的なイラストは見たくない、性的な対象として描くのはおかしいという価値観が外国のMastodonサーバで起き、その外国のMastodonサーバはPawooとの連携を切る決断をした。
Pawooのユーザたちはそれへ対して「住み分けは大事」と言ったのだ。自分たちが生み出す作品への「無理解」へ対して怒るでもなく悲しむでもなく、Pawooのユーザたちは外国のMastodonサーバの決断へ「理解」を示した。
分散SNSはMastodonを含む分散SNSサーバ同士が相互に接続しあってSNSとしての体を作り出している。
分散SNSを知る人々がこの辺りに誤解を持つことが多いが、Mastodon=分散SNSではない。
こう言うと少し詳しい人は「知ってるよ分散SNSってMastodonの他にGNU SocialやFriendicaとか色んな種類があるんだろ?」というが、それ間違いである。
MastodonはMastodon=分散SNSサーバだ。GNU SocialもGNU Social=分散SNSサーバ、FriendicaもFriendica=分散SNSサーバだ。
分散SNSとは分散SNSサーバ同士が相互に接続しあって形成するネットワークそのものを指す。
すなわちMastodonは種別として分散SNS対応SNSということになり、だからこそ非常に誤解されやすい。SNSが2回出てくるためよくわからないことになっている。
Pawooがなぜ外国Mastodonサーバから連携拒否されたことを受け入れられたのか?
そもそも分散SNSにはルールが無いからである。分散SNSは分散SNSサーバ同士が相互に接続しあって形成するネットワークそのものを指すのであれば、ルールを作るのは非常に難しい。
ルールを作りたいのであれば、ルールは分散SNSサーバ毎に決めなければならない。というかそれ以外にルールを定める方法がない。
つまり、だからこそ外国MastodonサーバのルールとPawooのルールは違うものなのだ。そしてPawooのユーザは外国Mastodonサーバが独自のルールを運用する自由を認めたのだ。Pawooには好きに絵を描く自由があり、アナタたちには絵を見ない自由があると。
そして外国のMastodonサーバはPawooのユーザが自由に絵を描いていることを制限しようとはしていない。外国のMastodonサーバのユーザたちは絵を描く自由を認めて居るのだ。
分散SNSのネットワークには非実在青少年のような問題は無い。外国のMastodonサーバにはあるかも知れない。しかしPawooには無いのだ。双方のルールの違いを認めあっているからこそ分散SNSのネットワークにはそういった問題が存在しないと言えるのだ。
無理だろう。TwitterはTwitterのルールという1つの価値観しかないのだから。
例え今後TwitterにCWが導入されようがNSFWが導入されようがTwitterではたった1つのTwitterルールに則らなければならないのだ。Twitterのネットワークではルールの違いは認められていない。
SNSでの自分の価値観、他者の価値観を両立しようと思えば分散SNSというのは間違いなく現状ではTwitterよりもより良い解決策を示していると言える。
分散SNSでは自分自身が分散SNSサーバの管理者になり、自分自身が分散SNSサーバのルールを作る側に回ることすら可能なのだから。
戸田真琴さんが分散SNSサーバ、例えば戸田真琴さんが自分自身のためのMastodonを立ち上げれば、そのMastodon内でのルールは戸田真琴さんである。
他の分散SNSサーバは戸田真琴さんの価値観を「ルールの違い」として認識して、戸田真琴さんが特定の分散SNSユーザをブロックしようがミュートしようが、特定の分散SNSとの連携を切ろうが、すべてはルールの違いであり、他の分散SNSは戸田真琴さんのMastodon内でのルールの行使を受け入れる。
例えば戸田真琴さんが自身のMastodon内で傍若無人に振る舞い絶対権力者として君臨していることを誰かが非難したとしよう。戸田真琴さんが法令に違反していないのであれば他の分散SNSサーバ管理者たちは戸田真琴さんを全力で擁護する。戸田真琴さんのMastodonでは戸田真琴さん自身がルールなのだと。
もちろん分散SNSとはいえ倫理はあるし戸田真琴さんが自身のMastodon内とは言え暴言を吐きまくれば非難する人が現れ、その非難は多くの人が理解を示すだろう。
しかし、戸田真琴さんのMastodon内での暴言を止める権利は誰にもない。戸田真琴さんの暴言が気に食わなければ戸田真琴さんのアカウントをブロックするかミュートするか、戸田真琴さんのMastodonとの連携を切ることが分散SNSとして正しいやり方なのだ。
分散SNSは個人個人が違うこと、コミュニティー毎にルールがあることを前提で成り立っており、だからこそブロックやミュート、ドメインブロックがカジュアルに行われ、それらがカジュアルに行われるという認識があるからこそ言動の前にひと呼吸置くという文化がある。
これこそが2ちゃんねるやmixiやFacebookやTwitterを経て、SNSで心の安寧を得るための現在想定できる最も良い方法なのだ。
インターネットを日常的に利用する諸氏はMastodonというマイクロブログサービスを知っているだろう。
ある程度のITの知識を持った者ならば自身でマイクロブログサービスを始められるオープンソースなソフトウェアだ。
2017年当時学生だったハンドルネームnullkalがmstdn.jpというドメインを取得しMastodonサーバーを開設したことによって日本で注目を浴びた。
しかし、本質ではない。一部の真実を表現しているので誤りでは決してないが、本質かと言われれば決してそうではないと返せる。
Mastodon(と分散SNS)という言葉と存在を知る多くの人々が本質を理解できていなかったため「劣化Twitter」などと評価せざる得なかった。
そして、不幸なことにMastodonが話題となった当初、それを報じるインターネットメディアもまたMastodonの本質を理解できていなかったので、Mastodonに関する記事を読んだ多くの人々の評価がMastodonへアカウントを作らずとも「劣化Twitter」として固定されてしまった。
私の友人はMastodonを指してこう言った。
「Mastodonって不人気だけど何故かプログラマーな人が多いよね」
おかしな話だ。コンピュータやインターネットの技術に詳しく専門分野に関しての審美眼には信頼のあるプログラマーが何故か不人気なものへクールさを見出していると言うのだから。
そこでこのエントリでは、日本語情報も多いMastodonを例にして分散SNSの本質を解説しつつ、何故プログラマーが分散SNSへクールさを見出しているのかを語っていこうと思う。
2007年、インターネット上に「OpenMicroBlogging」と呼ばれる通信プロトコルが登場した。
OpenMicroBloggingは分散SNSで使われることを想定した通信プロトコルで、OpenMicroBlogging実装SNSとして「Identi.ca」が開設される。
Facebookは2004年設立、Twitterは2006年設立であり、Facebook設立からわずか3年後、Twitter設立からわずか1年後に分散SNSが登場したことになる。
オープンなSNSでよく語られるのは「中央集権SNSへのアンチテーゼ」だ。
これらの表現は悪いわけでない、悪いわけでないが分散SNSの理解へ誤解を生む。
誤解を生む理由は「わかりやすい」のだ。「自身のサービス内で強権を奮うFacebook運営やTwitter運営へNOを突きつけよう!」「我々の手にオープンなSNSを!」といういかにもな正義は非常にわかりやすい。
だからこそ一部でこの表現が支持されてしまい声たからかに叫ばれ、多くの人々の分散SNSの本質的な理解を妨げた。
インターネットを長らく観測してきたお歴々はご存知だろうが、そもそも「ユーザー自身が管理者となり自分自身のルールを運用できるオープンなSNSは分散SNS登場以前から存在している」のだ。
日本国内であればmixiクローンSNSとして「OpenPNE」などがFLOSSコミュニティでは非常に有名だ。
では、これまでのオープンなSNSと分散SNSは何が違うのか?
分散SNSは大前提として通信プロトコルありきで開発されている点が違うのだ。
思い出して欲しい。Identi.caの前にOpenMicroBloggingが作られていることを。
後に整理されてIdenti.caは「GNU Social」と、OpenMicroBloggingは「OStatus」と呼ばれるようになるが、Mastodonもまた通信プロトコルありきで開発されており、MastodonがありきとしたのがそのOStatusなのだ。
OStatusのベースであるOpenMicroBloggingは設計が古いため、現在ではOStatusの事実上の後継であるモダンな設計のActivityPubへ差し替えられるという大きな変化はあったが基本は変わらず、MastodonはActivityPubありきで開発されている。
多くの人々はSNSと言えばTwitterやFacebookやInstagramなどを想像してしまい、分散SNSと言われるとMastodonやGNU Socialを連想してしまう。
はっきりと言おう、この認識自体が根本的に最初の誤解であるのだ。
分散SNSは通信プロトコルありきで開発されており、ActivityPubなどの通信プロトコルによってSNSサーバー同士が相互接続し形成されている。
このネットワークそのものが分散SNSだ。Mastodonは分散SNSを形成するSNSサーバーでしかない。
すなわちMastodonは分散SNS方式SNS、分散SNS型SNSなどと表現したほうがより正確な意味を持たせられるのだ。
ただこれは情報技術に詳しいはずの技術者でさえ誤解しやすい部分であり、よりわかりやすく説明するためにActivityPubなどで形成されるネットワークのことを「Fediverse Network」と表現することが多くなっている。
つまり「Mastodon ≒ 分散SNS」「Fediverse Network = 分散SNS」という図式が成り立つ。
Mastodonはやろうと思えばFediverse Networkに接続しないこともできるということを理解しておかなければならない。
ActivityPubなどの通信プロトコルによってSNSサーバー同士が相互接続することにより形成されるネットワーク(= Fediverse Network)そのものが分散SNSであると言った。
それを知るためにはFediverse Networkの特性を知らなければならない。
Fediverse Networkを形成するActivityPubを現在は様々なSNSがサポートしている。
代表例を挙げればマイクロブログサービス型の「Mastodon」「GNU Social」「Pleroma」「Misskey」「microblog.pub」、Facebookのような名鑑名簿型の「Friendica」「Hubzilla」、写真投稿型の「PixelFed」、動画投稿型の「PeerTube」、電子掲示板型の「Prismo」などがActivityPubをサポートしている。
ここで疑問を投げかけてみよう。
もし、何らかの理由でMastodonの開発が停止し、この世から完全にMastodonサーバーが消滅した場合、Fediverse Networkはどうなるか?
答えは簡単だ「Fediverse Networkは維持されたまま」である。
単にこの世からMastodonが消え失せるだけであってActivityPubが形成するFediverse Networkへ対応しているのはGNU SocialやFriendicaなど他にも多数あるのだ。
Mastodonが使えないのであればGNU Socialを使えば良いというような形式のネットワークをインターネット老人会のお歴々はよくご存知で、おそらくこう表現するのではないか。
GMailが使えないのであればYahoo!Mailを使えば良い。それと全く同じだ。
そうつまり、分散SNSの本質それは「SNSの形態を取った次世代のE-Mail」なのである。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ「Twitterの代替」や「中央集権SNSへのアンチテーゼ」などという言説は分散SNSの本質を表現できているとは言えないのだ
TwitterはE-Mail Networkのような特性を持っておらず、E-Mail NetWorkはそもそも分散されている(E-Mail NetWorkはそのように設計されたから)。
ましてや、そもそもシステムの根本から違うので「劣化Twitter」という言説もまた分散SNSの本質などではない。分散SNSはTwitterクローンですらないのだから。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ、そのアカウント数はE-Mailと同様にゆっくりと増え続ける。
過去の日本ではユーザーが望む望まない、ユーザーが使う使わないへ関係なくDoCoMo携帯電話のiモードへ加入するだけでE-Mailアカウントが付いてきた。
分散SNSのアカウントはそのようにして増える。今後登場するであろう人気WebサービスがActivityPubをサポートしているとユーザーは意識せずともFediverse Networkへアクセスできてしまうのだ。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ、プログラマーたちにとってクールなのだ。
現在、GMailアカウントがどのように使われているか?を少し考えるだけで、SNSの形態を取った次世代のE-Mailである分散SNSがどれだけ刺激的で新しいインスピレーションを生み出してくれるかが理解できるだろう。
旅行でもいきてえなあ~と思って、星野リゾートのページみてたら、
また潰れたところから施設買ったんだろうなぁ~と思って調べたら、元「二期倶楽部」だってんだよね。
へぇ~二期倶楽部ってどんなとこだったんだろ、と思って調べたらまだホームーページが残ってて、
ホテルの写真とかみてたらここ、どっかで見たことあるなぁ~って既視感がもりもり湧いてきたんだよね。
しばらくどこで見たんだっけなぁ~ともやもやしてたけど、ハッと気づいたんだよ。
そう、おれの好きな吉田修一の短編小説「初恋温泉」の一篇で舞台で出てくるんだ。
って思ったんだよね。まあ俺が初めて読んだときに二期倶楽部を既に調べてて、
それを忘れてるだけって可能性もなくはない。
どちらも個人事業主として「契約」してるわけだから、同じ1600円だとしても文句は言えないわけだけど、やっぱ外資系ウーバーイーツは巧みなんだよね。腹の中に不満を溜め込ませない感じ。
日本企業はなんつーか、農耕民族というか「地主と小作人」から抜け出せないよね。なにかにつけて搾取する側とされる側をつくっちゃう。「どんなに努力しようと作物の採れる量は天候で決まっちゃうから、利益を増やすには小作人を安く使うしかないよね」感。
「広告では2500円で募集してましたが、はい、あなたの査定金額は1600円です」
どこのだれだかに査定された時給。胸糞わるいし、腹の底に不満が残る。ウェットでジメジメ!
狩猟民族っぽいというか、ぜんぶ明らかにして受け持った役割でもらえる割合が決まる的な、ドライ!
基本料金300円ね、それと受け渡し料金170円ね、そこに距離加算(150円/km)を足して、さらにブースト倍率。雨が降ってたし人手不足だったから倍率ドーーン! はいそこから手数料350円引きまーす、の結果「時給換算1600円」
各料金もブースト倍率も結局は「中の人」が決めてるわけだから同じことなんだけど、なんとなく「需給のバランス、マーケットが決めた値段だから仕方がないよね」と納得したうえで仕事ができる。
生理日数を学校が申告させてたってやつ、男性教員の発言とかは最悪だけど、申告自体はそんなに悪くなくないか。なんというか、その情報ってそんな隠すべきこと?なんでだろう。
女性に対する配慮は必要だし、大変な人は本当に辛いって聞くし。
配慮するために必要な情報は提供してほしいとも思う。それ無しに察せというのは無茶じゃない?
なんか変に知りたがるオッサンの気持ちも意味不明だけど(そんなもの、知ったところで配慮する以外になにか意味あるの?)、隠すべきもの、知ろうとする輩は死すべし、みたいな態度もよくわからない。
というのも、元同僚が生理重くて毎月のように数日休む人だったんだけど、個人的には休んでいいと思うし会社は休ませてあげるべきだと思う。
だけど、その人がいない分負担がかかるのも事実で、それがいつなのかわからないと結構困る。
しかし、たぶん、よくはわからないけど生理に対して多くの偏見があるのだろうし、自分自身も何かしら偏見を持ってて、第一にそれが解消されるべきなんだろう。
だからその解消なしに、生理の情報を全員開示すべきなんて全く思わないけど、個々人の情報じゃなく、生理全般のことが社会にもっとオープンになって偏見が少なくなればいいなと思う。
上段が「ウーバーイーツ配達員」、下段が「プログラミングスクール講師」
三人ではなしていて、思ったこと。
『THE FALL 警視ステラ・ギブソン』などを手がけた英国のTV&映画プロデューサーのヘンリー・スウィンデルは、映画やTVの結末は3つのタイプに分かれると説明している。それは、ハッピーエンドorバッドエンドのように結末が決まっている"クローズドエンド"、クリフハンガーで視聴者の捉え方に委ねる"オープンエンド"、そして"皮肉なエンド"の3パターン。
https://dramanavi.net/news/2019/06/losttv.php
人の生き死にに例えたらどうなるのだろう。
爺ちゃんが死んだときはクローズドエンドだった。文字通りの終わり。息子に先立たれた不幸が最後にあったが静かに、婆ちゃんがもう少しだけ余生を生きていけるお金を残して死んだ。
オープンエンド。この世の全てをそこに置いてきた!と言えばそうなるのかな。
皮肉なエンド。スクルージおじさんはそうならないように心を入れ替えた。でももしそうなっていたら?その死を周りの僕たちは覚えているのだろうか?
私の姉夫婦の旦那様は不妊で、姉と子供は絶対作れないので姉は誰かに精子を提供してもらって子供を作るらしい。姉はまだ妊娠していない。
妹である私自身は妊娠中。私の夫が「お義兄さんも年齢的に早く子供作らないとやばいよ」と私に言ってきて、「男性は生殖機能の寿命が長いでしょ。大丈夫だよ。男性は40代50代でも子供を作ってる人いるし」と言って誤魔化した。
きょうだいだからって姉夫婦のプライベート事情を夫に話さなくていいと思った。
私の姉はオープンタイプの人間で家族の悩みを何でも身内に話してしまう。私は必要がなければ夫婦間の悩みを身内にも話さない。
私の実母がスピーカータイプの嫌な人間で、私が話すなと言ったことを簡単に他人に話してしまう。たとえば私が妊娠していることは安定期に入ってから親戚に報告したいと母親に言っていたのに、安定期に入る前に母親は親戚に勝手にベラベラ妊娠のことを話してしまった。
オープンタイプの姉が夫婦や親戚間のトラブル、悩みを母親に話すから、スピーカーの母親は姉のプライベート事情を包み隠さず私に報告してくる。
姉は母親が自分の親だからプライベートのことを話しただけで、妹である私にまで知られたくなかったんじゃないかと想像している。
旦那様の不妊のことに関しては、私の夫にまで伝えなくてもいいよねと思っている。でも、将来姉の子供が産まれたら姉の旦那様の種ではないことを夫に言った方がいいのか?いや、でも姉の子供の遺伝子の事情は私の夫に何も関係ないし、別に言わなくてもいいよねと思う。