はてなキーワード: さいころとは
小さいころ、ゲームを与えられなかった。全然貧乏でも何でもなかった家だったけど。
よく遊んでた友達はみんなゲームボーイアドバンスとかゲームキューブとかDSとかプレステ2とかPSPとか持ってて、自分だけ持ってなくて友達がみんなでマリオカートとかスマブラとかどうぶつの森とかポケモンとかモンハンとかやっててうらやましかった。
そんな自分にも少しだけゲームに触れることができるときがあって、それは何かっていうといとこの家に遊びに行ったとき。
いとこの家にはゲームボーイカラーと64があって、遊びに行ったときはいつも自分はかじりつくようにゲームボーイで遊んでた。
そんなに高頻度で遊びに行くわけじゃないから次にまた遊びに行くときには毎回メモリが消えてて最初からになってたけど。
そのままずるずる大人になって就職して、自分のお金でPS4とswitchを買った。
えっ、ボタン多くない?
いや確かにゲームボーイアドバンスにはL/Rボタンあったな。触ったことないけど。
でもPS4なんてL/Rボタンも2つずつあるけどどうやって押すの?
そもそもこのスティックなに?十字キーもあるのになんで2本あるの?押し込みでL/Rの3つめになる?なんで?
ゲームするのに親指しか使ったことないからもう何もわからない。
ゲーム機買ったって友達に言ったらスマブラやろうぜって誘われたからやってみたけど反応が全部ワンテンポ遅いからお手玉にされるし、崖下からの復帰とかできなくてただふわーって落ちてくだけでストックなくなるし、明らかに手加減されてていたたまれなくなった。どうやっても反射的にL/Rボタンを押せなくてガードが出ない。
モンハンもやってみたけどこっちはまだなんとかついていけた。大剣ブンブンするだけしかできないけど。
でも属性とか覚えらんないから準備に人一倍時間かかる。あと部位破壊とかよくわかんない。尻尾は切ったほうがいいらしい。ラージャンだ!懐かしー!とか周りは盛り上がってるけど全然わかんない。全部初めて見る。
最近マリカーも誘われてるけど正直びりになるのが簡単に予想できてやりたくないっていうか一緒にやってなにか楽しいんだろうかっていう気持ちが出てきちゃって億劫になってる。
ゲーム下手な人ともやって楽しいっていう聖人がいるのならどんな感じで楽しいのか教えてほしい。
友人に直接なんて聞けないし、自分が思ってるほど周りが気にしてない可能性があるならまた友達とゲームしてみようかなって思えるかもしれない。
BLにかぎらず、ソフトエロ表現全般について、本屋で売ることについてはそんなに気にしてない。
本屋って、漫画にかぎらず、文庫本の並びにフランス書院文庫も並んでたりとか、その横には成人向けじゃないけど強めのセックス描写あるハードボイルドとかも普通にあるし、厳密なゾーニングはあんまりされてないけど、なんとなくの棲み分けはできてるでしょ。
まあ、すごい昔、かわいい少女漫画だと思って立ち読みしたらロリエロ漫画誌でショック受けたことはあるけど、今どきそこまでまぜこぜに置かれてるほうがレアだと思う。
初見じゃわからないって言っても、本屋に通う子供ってだいたい小さいころから地元の本屋にずっと通ってて本屋内の配置に土地勘あるのが普通じゃない?「あのへんの棚はいかがわしい本あるから入れない」みたいな認識はなんとなく持ってたと思う。大人向けの本と子供向けの本をまぜこぜに売ってる本屋は学校の中でも「あの本屋はエロい」って言われてて子供は入っちゃダメな雰囲気だったりとか。
初見時のショックについては、普通に生活してる限りどこでもあり得る話で、路地入ったら風俗店があったりとかするわけだし、そこまで全部浄化するのは難しいと思うよ。
で、これは自分の私見だけど、たわわ広告については、広告出稿の文脈に「新社会人に向けて」と公共性を持たせてるにも関わらず、ソフトエロ表現を「癒やし」「ご褒美」といった文脈で提供していることが問題だと思ってるよ。たわわ売りたいだけならそんなに気にならないよ。
抑え込んだ気持ちは一体どこに行くのだろう。
そういう時、胸が苦しくなる。痛くなって、息が浅くなって、ぐっと縮こまって耐えようとするほど、胸が苦しくなる。
そうなってしまったら、あとはその苦しみが引くまでをひたすらに待って、おさまると、「ああ、治った。健康って素晴らしい」なんて思ったりする。
親とか、友達とか、恋人とか、身近な人のちょっとした一言にぐさりと刺された気分になることが、私には多すぎると思う。
自分の気持ちを伝えたくても、話そうとすると涙が出そうになるから言えなくて、それでまた胸が苦しくなるような悪循環の中で、やっぱり耐えることしか私には方法が見つからなかった。
知ろうとしていないだけかもしれない。でも知りに行く場所もない。
こうやって抑え込んできた気持ちが積もるたびに、自分が何者なのかわからなくなって、そのたびに自分という人間が散らばって、そこかしこにちょっとずついるような感覚になる。
今抱えているぐちゃぐちゃな気持ちは決してなくなるわけはないのに、普段はきっちり鳴りを潜めて、最初からあるはずなかったような顔をしている。
それが堪らなく怖い。消化できない気持ちを爆弾みたいに抱えて生きることの怖さを、誰が認めてくれるのかも私は知らない。
そんな風に出来上がった自分という存在をなかったことにしたくて、もう今持っているものも何もかも投げ捨てて、どこか遠くへ行きたくなる。
私のことを誰も知らないところに行きたい。
胸が苦しい。
アラフィフ女。小さいころから自分の意志で選ぶところをだいたい親に決められてきた。
些細なことから将来のあるべき姿まで、例えば子どものころおやつを買いに行くと、自分では決めさせてもらえない。
これを食べなさい、と陳列された棚の中から親が食べさせたいものを選ぶ。
本にしてもそう。TVにしてもそう。服にしてもそう。これを読みなさい、これを見なさい、これを着なさい。いつでも親が選んだものを与えられていた。
自分で選ぶのを許されたのはごくたまに行くレストランのメニューぐらいだろうか。
常に自分に決定権はなかった。
将来についてもそうだ。専業主婦だった母親はインテリ職のお金持ちと結婚していいお嫁さんになりなさい、と言った。まだ家事手伝いがふつうに職業としてステータスだった時代だからその感覚で言ったんだろう。
そうやって育った自分は思春期にだいぶ反抗したものの親の呪縛からは完全に逃れられなかった。未だに自分がどうしたいのかわからなくなる時がある。
週末になるとみんなでビラを折るんだ。そこでビラをただ折りを手伝っていた。
小さかったので、折り紙の容量でどんどん折っていった。
他の友達は子ども会とか習い事をしている中で、自分は親に連れられて政治関連の大会に出ることもあった。
小さかったので、何かぼーっとお茶とお菓子を食べる場所として過ごしていた。
高学年くらいになると、段々自分の家と周りの家の違いが分かるようになってきた。
選挙時期になると親は土日は会議、平日も仕事終わりに会議に出かけていくし、電話かけとか選挙カーとかにのって、街頭ではチラシを配る。
そんな親たちと鉢合わせしたくなくて、逃げるようにその場を去ったこともある。
選挙ポスターも貼ってあるし、友人らにその意味を理解されたくなくて家に呼びたくなくなった。
大量の政治関連の新聞記事のスクラップや政党支持のチラシを広げて、テレビ番組のゴールデンタイムはBSのニュース番組がずっと流れてる。
社会問題に対する認識をずっと植え続けられることに拒否反応を起こしていた。何で自分は家に帰ってきてもずっと、社会に目を向けなきゃいけないのと感じていた。
それで親は家事は任せ、夜は再び会議に行く。政治家じゃないよ、一般の政党支持者の話だよ。家庭の事を省みない態度に思春期は辟易したが、もう諦めた。
大学を卒業し、社会人になって結婚とか色々考える時に、ますます親の事が気にかかった。
相手の家にどう思われるんだろう。家には絶対呼べないと思った。自分と親は違うけど、明確にある政党を支持してるって思想をもった家は繋がりをもてるのか?
だから、政治のことを半端に分かってる人じゃなくて、なんかよく分からないくらいの人が相手にいいなと思ったし、気にしない人がいいという願いもある。
何だろうな。政治が大事だと思うし、親の事は否定できない。けど明確に、指示政党の立場示す行為を続けることって何かタブーなんだよ。自分的にだけど。
すげー卑屈になってくんだ。親が必死になってる様を見てかっこいいなと思うより前に、狂信的な態度におびえちまったというか。それが与党だったらまだ許せたのかな?
とにかくすごい閉塞的な気分になってくんだ。親が政治活動やってるってことが。周りからどう思われてるのかすげー怖い。早く家を出ろって話なのかもしれないけど。
自分もその親の子どもだから、若手として期待されるような声をかけられることがある。ジェンダー?SDGs?貧困?・・・社会問題を一緒に解決しようという眼差しが自分にはすごく、辛い。
疲れた。もう何でもいいそんなの。
遺伝させること自体は加害ではない。統合失調症の遺伝的素養を持っていても、親になる権利はあります。
あなたのご両親はあまりにも邪悪で、極めて残虐な虐待をやっていました。あなたの日記に出ていたあなた以外の全員が加害者です。
お母さん本人を追い込んだのはお母さん自身と、お父さんと、過剰に責める先生方とママ友と、発達障害に理解のない社会と、そして不幸な病気です。
これに「子どものせいだ」と答える大人は、まともではありません。失礼ながらこの部分だけが「気が狂って」いるように見えます。小さいころのトラウマが大人なっても心の傷としてまだ残ってるせいでしょう。
そこ以外は、あなたは知性も精神も完全にまともに見えます。逆に、文章で紹介された周りの人間が、あまりにもどうしようもなく狂っていて、危険で、悪魔のような欲望で他人を攻撃するクセがしみついているようです。私はインターネットを長い間使ってきたけれど、こんな醜悪な連中が並んでいるのは見たことがない。
邪悪なお父さんや、邪悪なグループホーム職員から離れて、首を締めてくる入居希望者も近くにいない穏やかな生活ができるよう、祈っております。
親(69歳)が社長してる零細会社で10年働いてて、親ももう引退したいからって仕事からは手を引き始めてる。
そうして社長としての仕事が俺に流れては来るんだけど、給料と権力は流れてこない。
元々は4人で分担してた仕事を1人でこなす形になってしまい早2年、もう俺は死にそうだよ。
仕事の仕組みを変えて業務負担を減らしていこうと思っても、まず社長の反対意見からスタートなのでもう疲れた。
自分のため会社のために働くのは別に構わないのだが、会社に来てボケーっとしてるだけの親の給料のために働くのはもう嫌になってきた。
本当に親が引退してくれたとしても近い将来介護という問題も出てくるだろう。
父も母もそこそこの毒親だったし、家庭内の雰囲気はいつもピリピリしてた。
大学でうつ病になり卒業も就職もできず、稼げる未来はここしかないという判断で親の会社に入ったが、
親が重い。
もう疲れた。
今でも、毎日InstagramやTwitterを開くのと同じようにmixiやモバゲータウンを開いてしまう。
誰も日記など書いていないのにも関わらず。
マイミクの最終ログイン日は全員1週間以上前だし、足跡の一つも付かない。
自分はアラサーだが、教育方針上、小学生の頃から自分用のパソコンを買い与えられ
(これから先絶対必要な時代になるから小さいころから触れておいた方が良い、という考え方だった)
幼いころからインターネットに馴染みがあったのであらゆるSNSやネット上のコミュニティを経由してきた。
お絵描き掲示板みたいなものに始まり、魔法のiらんどやモバスペの個人サイト、
ネトゲだけどラグナロクオンラインとか、小規模のチャットやらも色々。
いわゆるそのコミュニティの常連になって、ネット上に友達を作るということを小学生の頃から続けてきた。
このあたりで知り合って、今でも連絡を取り合ったり、リアルで飲みに行ったりする友人も居る。
ネット上のコミュニティでゆるく仲良くなる独特の雰囲気が好きだ。
ただ今現在、InstagramやTwitterで同じことをやれば出会い厨認定されがちである。
俺が求めているのはオフパコではない。
顔の見えない、年齢も全然違う相手といきなりタメ口でどうでもいい雑談ができるスペースだ。
そうしているうちになんとなくコミュニティっぽくなってくるあの感じだ。
今では常連が集うタイプのこじんまりとした居酒屋とかバーに通っては
増田も好きだけど、匿名じゃなくてHNを使う絶妙な空気感のサービスがあったらいいのになと思う。
毎日見てしまうのは昔住んでいた街を訪れたとき、当時よく通った店の前を通ってみるような感覚だろうか。
ぎりぎり定型発達な俺の成長記録
子供のころから習い事などは続かなかった。そもそもタスクがあること自体がストレスで、いざ始めてしまえばそれほど嫌ではないことも、「習い事に行く」ことが嫌で続かなかった。
これについては、小学生に上がってから習い事を始めさせ、すぐに続けさせることを諦めた両親に感謝しかない。当然塾にもいかなかった。
なお、長じては飲み会嫌い、付き合い嫌いとなって開花し、無事、友人づきあいも交際も消失した。
継続ができないので、低学年の連絡帳などは、ほぼ真っ白だった。人生のやり残した感の端緒は連絡帳に違いない。
根気が無いので暗記もできなかった。例外は百マス計算で、多分自分の(興味ないことへの)集中力の限界がここらへんだったと思う。ミスは多かったが計算ができたことで何とか自我が保たれた。
テストはとにかく第一感で解いて見直ししない事で折り合いをつけた。空いた時間は、問題用紙にひたすら迷路を書いていた。
当然、ケアレスミスで点数は落とすし、漢字の書き取りなどは壊滅しているので満点にはならないが、8割くらいはとれていたので、ほおっておかれた。これも助かった。
すでにある程度分かっていることを繰り返すと激しく集中力が落ちたので、予習も復習もしなかった。小学生の頃はそれでも授業の進行が遅かったので、まだ終わらないのかと時計を凝視している嫌な生徒だったと思う。
待合室で漫画にかじりついていたので、近所のお医者さんに、この子は将来大物になるといわれたが、そんなことはなかった。
真面目に頑張ればなんにでもなれると、無責任に言う親だったが、中学生ぐらいには、医者とかパイロットとか100点をとれる人向けの職業には就けないと確信した。
なお、中学から始まった英語も暗記科目なので死んだ。たまたま近所に、例文の単語を隠してその単語を問う5W1Hの文章を作成するという特訓をしてくれる人がいて、英語の構文に慣れたので、全く筆記ができないにもかかわらずセンター試験でそこそこ点数が取れた。
理科は、とにかく根気が無いので、難しくて(解けなくても恥ずかしくない)薄いということでZ会の問題集にお世話になった。
なお、社会は地図帳にもかじりつくタイプ(鉄)の人間なので地理一択だった。
小さいころから人前が苦手で学習発表会とかは仮病を使ってよく休んだ。実際問題、風邪もよく引くし中耳炎なども一通りやられたが。
布団の中で横になって、NHKラジオの株価とか気象通報を聞きながら窓から雲を見ている時間が、今思えば一番幸せだったかもしれない。
そんなことだから、大学に入る前から卒論発表に怯えていた。後に、卒論発表よりゼミの方がつらいし、終わらない恐怖より恐怖の結末のほうがましだ、と知った。
基本、話ながら考えることができないので、人前に出る前には準備が必要、トラブったら諦める、と自分に言い聞かせているが、社会人になってもいまだにストレスである。
また、字の汚さもなかなかのもので、自分の書いたノートは自分でも読めないので残っていない。
高校の恩師が、教科書という立派なノートがあるからそれを見ればいいと言ってくれたのは、一生の宝物である。
あとは、両親があまりうるさいことを言わない人たちで、17時帰宅21時就寝という簡潔なルールだけを課してくれたので、生活が整いやすかったというのはあるかもしれない。(大学入学まで変わらなかった)
以上
今まで出会ってきた女友達の中には破滅的な恋愛ばかり繰り返す人が何人かいる。
大抵は天真爛漫で、はきはきと話すことができ、好きなものがあって目標に向かって行動できる魅力的な子である。綺麗な顔立ちであることが多いが、どんな人にも差別することなく対等で「一軍」に属していることは少ない。服装は無難なユニクロ系でモテ系ファッションやスカートは好まない。Twitter等でよく見る「メンヘラ」のテンプレートとはかなり異なっている。
しかし、恋愛や好みの異性が絡んでくると自分軸を失いたちまちメンヘラ化してしまう。サークルクラッシャータイプは、浮気と略奪を繰り返し、属しているコミュニティを破壊する。ある程度自分の属するコミュニティを聖域として捉えるタイプは、行きずりの男と寝まくる。普通の男ではなく、2回り以上年上のオヤジ、素性の知れない外国人、明らかなDV男など通常は考えられないような男と。男と寝ることへの抵抗が小さく、困窮しているわけでもないのに風俗嬢やAV女優として働いている人もいる。
また、本人たちもそれが異常であることを理解した上で自罰的な恋愛に走る傾向がある。誠実で優しい彼氏と付き合うと可愛い性格ゆえによく愛されしばらくは精神的に安定するが、最終的には誠実でも優しくもない男への浮気に走ってしまうのである。どの場合も止めても絶対に聞いてくれることはない。セ●クスが好きで楽しいからやっちゃうだけだと言いながら、結局傷ついてよく泣いている。人間関係で自罰的行動をとるから理解しづらいが、リストカットをしている人と行動原理は同じなのかもしれない。
偶然ではないと思うのだが、彼女たちは小さいころから父親がおらず母親も男性依存気味な家庭環境で育っていることが多い。何かしらの強い不満があるときに、人間は普通その不満を直接取り除くように働きかける。しかし、自分自身にはどうしようも解決できない不満があるとき、人間は「否認」という防衛機制をとることがあるらしい。家庭環境は子供にとって解決不可能な不満の典型例で、そういうったときに子供がとる反応はいくつかあるが、一例として不安や罪悪感を生じさせた行為をやり直したり、反対の行為をとって無効にしようとすることがある。これが、恋愛体質に陥るメカニズムの一つだと思う。だから、本当に必要なのは良い男でも理解のある友達でもなく、「人間関係の不満 (生い立ち) を、同じ人間関係 (特に男女関係) で自罰的行動をとることで和らげる」以外の生き方を教えることかもしれない。恋愛の方向性で真っ当に解決しようするとか、親身になって話してあげるとかそういうレベルの話では解決することはできず、医療の力が必要になるかもしれない。
何が彼女たちにとっての救いでどうすれば自傷行為のようなセ●クスを止めてあげられるのかずっと考えていた。彼女たちはたぶんとても寂しがりやだ。でもその寂しさは私たち女性がいくら親身になっても埋められるものではないのだと思うと、どうしたらいいのかわからずとても悲しい。相手に言われるがまま避妊もしないことがあり、シングルマザーになって歴史を繰り返す可能性も高いと思っている。魅力的な女性であり、いくらでも幸せになれるチャンスがあるからこそもったいないとも思う。ただしあくまで他人の恋愛沙汰なので首をつっこんでいいのかもよくわからず悩み中である。
目を凝らして待ちゆく人たちを見てみると、
服の首のところがダルダルだったり、ズボンのすそがボロボロだったり、
持っているカバンがすごく汚れていたり、何年も美容院に行ってないなぁという感じの人が子供を連れて歩いていたりする。
私は田舎に住んでいるので、それがとても顕著だ(人目を気にするほど道に人が歩いていない。移動はほぼ車なので、公共交通機関を利用することがないので、人に見られる機会が少ないため。と思っている)。
おすもうさんみたいにすごく太っている女性だったり、
人とまともに話すことができます?ていうくらい挙動不審な男性だったり。
お互いの経済力や、見た目、趣味、思考、めんどくさい親・兄弟がいるかなんていうのは、関係なくて、ただ一つ、その人のぼんやりでもいい人生設計の中に、
ただそれだけなのでは?と最近思うようになってきた。
小さいころから、無理せずとも将来の自分を思い描いてみたときに、
結婚して子供をもって、一軒家を建ててというようなイメージがいかに
なので、私としては、
今、結婚(したいとおもっていても)できていない人は、
そこまで、結婚という、今までの人間関係とは違う人間関係を築き、
ラッキーであればこの世に新しい命を落とすということに対して、
「あたりまえのこと」という意識がないんじゃないのかな。。と思ったりもする。
そうなれば、「無理してしないくてもいいじゃない」と思うわけで、
無意識のうちに「結婚しない」という結果になるように、小さな選択をたくさんしてきたんじゃないのかな。。と思うのだ。
だから、けっして「結婚する・できる人たち」の中に入れずに、振り落とされたと悲観する必要もないんじゃないかしら・・・
これからもっともっと生涯未婚の人が増えるから20年もすれば、
見渡せば未婚のジジババばっかりだよ。