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はてなキーワード: 80年代とは

2021-11-18

anond:20211118180524

萌え絵発祥というと80年代ロリコンブームやろな。

ロリコンブーム少女漫画からの影響大なので「萌え絵の源流は少女漫画」とかよく言われる。

エロゲ原画家にも女性は多かったしな。

anond:20211118133428

爺さんじゃないか80年代わからんが、90年代頃もそういう奴らいたよ。見分け方は簡単大学ランク確認すればいいだけ。名門大に行ってる奴は有能で、そうじゃない奴はハナクソと思っておけば間違いない。

2021-11-12

anond:20211112052730

ゲームに限らず、とか、宣伝のこといえば80年代90年代のほうが派手(悪く言えばケバかった)だったでしょ。

2021-11-11

anond:20211109132706

80年代とかってDカップ巨乳って感じだったのに

90年代に入るとFカップの美巨乳を超える

Gカップなんていうモンスタークラスが現れた!

っていう勢いだったのが

令和になるとGなんて珍しくもなくて

Hカップとかでも当たり前にいて

JカップとかKカップかいう化け物がいるようになった。

一応AVとか風俗の話ではあるけれど

一般的にも胸の大きな人は昔に比べたらずいぶんと増えたよねえ。

anond:20211110130139

東京だけど、80年代くらいまでは、駅のホーム通路普通にあったのではないか公衆便所洗面所の下、病院廊下あたりにもあったかなぁ。

うちのばあちゃんの部屋にもあったよ。白い琺瑯製の円柱型で、上蓋が漏斗になってて中央に穴が開いてるの。元増田にあるリンク先の駅ホームにあったのと同じようなやつ。

駅にあるのなんて、通りすがりにややかがんだ姿勢でペっと吐いていくの。今考えると、よくあれで的中するもんだなと思う(してなかったのかも)。

anond:20211110150703

あれも多分80年代かな。こないだテレビでやってた。

昔多かった本編のキャラクターデザイナーが描いたアニメ風じゃないアニメグッズ

昔(80年代90年代中盤ごろまで?)はポスターやらレコードジャケットやらノベライズ版の表紙やらのアニメグッズは、本編に携わったクリエイターによって本編とは違う雰囲気の絵が描かれることが多かった。

自分はロボアニメくらいしか知らないんだけど水彩画が描かれていることが多かったね。安彦良和とか湖川友謙美樹本晴彦キャラクターデザイン担当した作品の高年齢層向けのグッズ(LDレコード小説版の表紙)などは。

要するにセル画風じゃないことが多かった。

最近もそういう「キャラクターデザイナーによるアニメ風に描かれていないアニメグッズ」もないわけじゃないんだけどあくまでも「アニメ風に描かれていないアニメグッズ」を念頭に置いた企画であることが多くて、そういう企画じゃない普通のグッズにまで描かれていることは少ないような。

80年代クリエイターがなんでアニメ本編と同じような塗りでグッズ用の絵を描かなかったのかはわからない。でも最近あんまそういう絵がグッズ用に描かれなくなったのは技術進歩により、「本編でもキャラクターデザイナーとしてやりたいことを比較的高い水準で表現できるようになったから」じゃないのかな。技術的にも人気的にも色んな画風の作品ができるようになったし。

2021-11-10

ヒドいものを観たレイトショー

教育映画だった、中学校強制的に見せられるヤツ。。。

キャラと表情は90年代の絵柄でな…

ちなストーリー展開と倫理観80年代

演出は幼年向けかなぁ

(これはたぶんアニメにしちゃいけない題材だったのでは)

(こっ恥ずかしいシーンは読み飛ばせるマンガか、演技過剰でも表情や動作は常に動いているのでコッテコテを開き直って楽しもうとできる実写か、そのどちらもできない逃げられないアニメは、ほんまキツかったのやで~)

anond:20211110180906

あなるほど、戦後すぐくらいからあったようなイメージがあるけど、実は80年代なんだよ、みたいなことか

anond:20211110175240

この上増田イマイチやけど「実は最近」ってのはイメージと実際の差が重要から80年代が意外と最近やなってなってもおかしくないやろ

anond:20211110175013

このトラバに限らず、最近、の定義80年代より後、みたいになっててちょっと不思議なんだよな。

anond:20211110082047

普段は「そもそも定義が云々」とか、すきあらば反論批判したがる

→こいつらの事か↓

kamm どういうスケール最近と言ってるのか謎すぎる。固定電話時代の話をしている?

dfk3 そもそも最近」の定義自体が年齢依存

neogratche 「最近」の範囲をまず定義付けてくれ。人によっては大正時代すら当てはまる

sysop 最近定義曖昧すぎるけどさすがに戦前最近じゃねえよ、なんだイメージって笑/ 果物やお米の品種最近定着したものが多いんじゃない? /水洗トイレ元祖武田信玄とかの逆Verも面白いよね

wapa 1990年果たして最近なのだろうか?30年前だよね?年齢別の「最近と思う年」の閾値を知りたいところ。戦前戦後は分かりやすいが。

youhey 話題がみんな30年前40年前ばかりだけど「最近」の定義ガバガバすぎないだろうか。

stassi 「最近」という定義が年齢層によって違うんだよね。Twitterで「お前平成初期かよ」という突っ込みを見て背筋に電気が走った

siesind 本を読むか読まないか最近定義は変わってくると思う。本を読まない人なら、5年前でも一昔。

strbrsh 最近定義について。20年前・30年前は最近なのか?10年前でも最近かどうかは疑わしい。個人的には100年未満のものには伝統という言葉は使いたくない。

matchy2 最近定義絶対年より事象による相対年によるな

shinichikudoh 増田も人気コメ明治とか昭和とか「最近」の定義おかしい。109年前の明治や32年前の昭和最近なんて感覚はない。それは伝統ではないって否定したいだけに思える。それならまず自分自身存在意義を疑うべきでは。

shiori_lov 最近定義がぶっ壊れてる

n_y_a_n_t_a 年齢によって「最近」の定義に幅がありすぎる

pon00 2000年よりも前が最近か?最近はいからなのか。

tsutsumi154 80年代とか90年代最近じゃないぞ

bystander07 最近とは

anond:20211109132706

深夜にアニメの本放送普通にやっていることかな

80年代90年代あたりのアニメの平日の本放送は19時から20時、再放送17から18時

休日はそれに加えて午前中に何本か

日曜14時に放送されていた初代マクロスはかなり変な時間帯だった

深夜に放送されるのはとても特殊アニメ、「ミッドナイトアニメ くりいむレモン」くらいだった

anond:20211110102522

ここらへんの話だろうね。

page 3 | 退社前に家族へ電話 80年代「カエルコール」の大ヒットは電話の普及率向上の決定打だった | アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM

当時の電話は「一家に1台」が当たり前のイメージですが、実際には1986(昭和61)年末時点で住宅電話の普及率は100世帯あたり81.1でした(『情報通信白書 昭和62年』)。実は2割弱の家には電話がなかったのです。

とりわけ東京場合電話がなかったのは上京してきた学生若者です。電話を敷くための権利は高額でしたし、学生向けアパートそもそも電話を敷く仕様になっていませんでした。

一連のキャンペーンを通じて電話必要性がより重要になったことで、1980年代末には電話はひとり暮らし必須アイテムとなっていきます

anond:20211110102522

一人暮らし始めたの90年代だけど、たっけーな、と思いながら電話引いてたよ。

バブル80年代ならもうちょい気軽に引けてたんじゃないか

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

anond:20211110010538

テレクラが出て来たのは当然インターネット以前のことでしょ。それも携帯電話の普及以前。全盛期はたぶん80年代とか90年代とか。社会学者の宮台が若い頃にテレクラで援交高校生を漁ってたと公言して叩かれてた。

最近またテレクラも盛り返してるみたいだけど。

anond:20211110011535

写ルンです」の発売は1986年だとか。ポラロイドカメラは出て来たのは相当古い(50年代?)みたいだけど、ホント普通に見かけるようになったのは80年代くらいかなぁ。まあ、大して普及はしなかったと思うけど。

2021-11-09

anond:20211109132706

ビニールレジ袋も80年代90年代から広まったんじゃないの。

70年代茶色紙袋で、さらに前は買い物袋持参。

anond:20211109225305

まあ、他の物はともかく、もしも電話の家庭への普及が80年代のことだとしたら、それは「意外と」最近の事だとは言えるよね。「最近の」というのは相対的概念から、一概に何年以降とは言えない。

他にも、例えば、白菜一般化したのが明治から大正以降だったそうで、俺にとってはこれも意外と最近のことだったし、フランスでの女性参政権獲得が戦後の事だというのも意外と最近の事だと思ったよ。

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