はてなキーワード: 青年漫画とは
おれならこれを入れるね!
・『ヒカルの碁』の成功以降、マイナージャンル少年漫画が急増→青年漫画にも波及
・極論を言うなら『ヒカルの碁』がなければ『サ道』は存在していないと思う
・当時のリアルタイム基準だと『ネギま』もすごかったけど、まあ、やっぱり『GANTZ』かなと思う
・『おやすみプンプン』の背景作画における影響はものすごいと思うけど、水木しげるという怪物が昭和にいるので除外
●岳
・第1回マンガ大賞の受賞作
・M-1グランプリとか、日本ファンタジーノベル大賞とかを見てもわかるように、賞レースの格は第1回の勝者で決まるじゃないですか
・第1回マンガ大賞『岳』、第2回マンガ大賞『ちはやふる』って完璧な流れですね
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アニメ・漫画のテレビドラマ化作品一覧
・↑これを見れば、いかに『東京ラブストーリー』のドラマ化成功が特異点だったかが一目瞭然にわかる
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「じゃあ何を外すか」と聞かれると答えられないので、ベスト50まで拡大しよう
3年前のゴールデンカムイ評
@kaneda_junko
私もゴールデンカムイ2巻ぐらいのときは、「この表紙の少女(アシリパさん)が今後、本人が望んでいないエッチな目に遭わされたりするのでは…」とおびえていた時期があったんですが、
これまで「一度も」そんな描写はありません。かといってサービスがないわけでなく、良い男体が惜しみなく出てきます。
@Annan3
アシㇼパを自分の意思で動く人間に描いた場面と並び、野田サトル氏のフェミ的視点がうかがえる場面。
杉元の"弱みにつけこむな""子作りには責任を"。 (優しい…)
@kutabirehateko
ゴールデンカムイはフェミニズムやアイヌ民族の文化と歴史にも性的マイノリティにも配慮された上で
なお読み応えのあるすばらしい作品だという評価は「差別解消なんて持ち込んだら物語は堅苦しく不思議で窮屈なところになる」と嘯く層への強力な反証なのでめっちゃムカつくんやろな。
@Erinadinfinitum
ゴールデンカムイ面白いし色んな人が言ってるように子供を性的対象として描かないから安心して読めるというのも本当なんだけど、
@papurika_dreams
ゴールデンカムイ、大和によるアイヌ搾取を描いていないとの批判に「お説教や啓蒙漫画じゃない」との批判を見たのだけど、
社会の人権抑圧を否定的に描いてもエンターテイメントとしてどえらく面白い作品をたくさん見てきた洋画海外ドラマファンからすると日本の作品ってまだそこ止まりなの?って思う
@cul_de_sac15
「ゴールデンカムイを通じてアイヌにかんする知見が広まってよかったね😊」といくら和人が言ったところで、
結局のところ和人の裁量の範囲内で都合の良い〝アイヌ〟的なモノが搾取され、
一方で現実に生きるアイヌが置かれた現状は差別としか言い様のない構造の中でがんじがらめになっているわけで…。
それよりも「フィクションと現実は違う」「ゴールデンカムイは"人権"漫画じゃない」みたいな言説が多量に拡散されているという事象自体が、
これ書いた増田だけど、これ書いた以降にTwitterで色々と話し合っていたら、月曜日のたわわの広告を問題視している人たちって月曜日のたわわを男が非常に高く評価してる、月曜日のたわわは男にとって物凄く面白い漫画って思い込んでいるということがわかった
いやもちろん月曜日のたわわを物凄く高く評価している男は居るかも知れないけれど、それはもう極々一握りでレジェンドクラスの火の鳥とかと比較すると比較すること自体が失礼に値すると言われても仕方ないくらいの差があると大半は評価してると思うんだよね
そして宇崎ちゃんのほうが高い評価を受けているというのは間違いなくて、何故かというと宇崎ちゃんって女性目線の恋愛漫画なのよね
例えば「絶対にヒロインを裏切らない想い人が他の女たちからモテてる様子を見て酒を飲む」みたいな発想はなかなか男には出てこない発想(少なくとも自分にはない発想)で、ニコニコ静画などのコメントを見ると共感を寄せるコメントが多数あって「あ〜少なくとも宇崎ちゃんの読者層には女性も含まれてるなコレは」と思ってしまうわけだよ
それが悪いというわけでなく、月曜日のたわわよりも宇崎ちゃんは読者層が広いことが想定できて、そのため月曜日のたわわよりも高い評価を受けやすい作品になっているというのが素直な見方なのかなと
作者へ失礼になるから月曜日のたわわはつまらん!とは断定したくはないけれど、何が何でも持ち上げるほどのもんではないと広告の件に非難をよせる層は認識を改めてほしいなと思った次第です
これは良い質問だと思う
漫画はあらゆるジャンルが存在すると漫画はより面白くなると思ってるんだけど、今の月曜日のたわわ広告への非難は他作品まで十分に波及するような形の非難になってしまっているから、月曜日のたわわを好んでなくとも擁護せざる得ないんだよね
・頼むから誤解するな
誤解しないで欲しいのが俺は普通に巨乳キャラがたくさん出る漫画やアニメを消化しまくってる。
エロ本含めたらこの文章を読んでいる10000人中の10000人より読んでる。
ちなみに好きなサイズは顔よりも大きくて乳首も大きめ、パフィーニップルでロケット型が好きだ。
・目元が描かれない事と、その理由
本題に戻るが、単刀直入に言うと「男主人公の目元が描かれていないのが気持ち悪い」。
良く知らない人のために説明すると、エロ漫画において竿役(まんこにちんこを挿す男性役)の個性が強すぎると読者が集中できなくなってしまう現象がある。
それを避けるために竿役男性の外見の個性を減らしていった結果、「竿役の目を描かない」という表現を手に入れたのが現代のエロ漫画だ。
もちろん一般の少年漫画にも内気な少年や物理的に髪の毛で目が隠れてる男性キャラというのは存在する。
でも前者は個性を消すための目消しであり、後者は引っ込み思案や感情を表に出さないという個性のための目消しである。
ここまで説明すれば分かったと思うが、月曜日のたわわの主人公の目元を描かない表現は明らかに前者だ。
主人公は引っ込み思案なキャラでもなければ感情を表に出さないキャラでもない。
ヒロインが性的に魅力のあるキャラとして描かれており、男性主人公は「読者に気を散らさない竿役として個性を減らされたキャラ」として描かれている。
俺はこれこそが本作最大の問題だと考えている。
作中世界の1人格をもつ架空のキャラではなく読者として描いてしまっていることがたわわの最大の問題点なのだ。
作者の比村奇石はリスクを背負ってでも男主人公に人格をインストールするべきだったと思うし、
結局男の人格を生み出せなかった結果、次回作で相当な苦労をすると予想される。
エロ漫画というのは基本的に読者に抜かせることをゴールに作られている。分かりやすく言うと勃起して射精させれば勝ちである。
そのため、過去の時代では爆乳扱いだった胸のサイズも年々増大した結果、今では一般的に巨乳キャラ扱い。
過去の巨乳キャラは普通サイズとなってしまい、過去作を読み返すと違和感を感じるほどになってしまった。
他にはスレンダー派よりもムチムチ体系が主流になりつつあり、ライザのアトリエの下半身ややムチ体系の発達と周知により、グラマーどころかちょい太めまで世間のストライクゾーンとして確立されたのが現代である。
とにかくエロ漫画というのはモテない男性であろうが、モテる男性であろうが抜ければ何でもいいの精神で進化してきた。それがエロ漫画の根幹となる文法なのだ。
同人などで必要以上に胸のサイズが盛られるのも「抜ければ何でもいい」の精神だし、眼鏡かけさせるのも然り、とにかくシコリティ(シコシコしたくなる度合)が高ければ勝ちなのがエロ漫画の世界なのだ。
エロ同人というのは自由なようでいて実際は外的にも内的にも売り上げという数字で殴り合う過酷な生存競争の世界なのだ。
その結果、進化したエロ漫画業界は胸を盛ることを覚え、上半身は太らせずにふとももやケツの下半身をムチムチさせることを覚え、寝取られによって快楽物質を操ることを覚え、
メスガキによってロリコンの需要を満たしつつユーザー層の拡大を増やす手法を覚え、大爆発的な進化を遂げてきたのがこの30年間のエロ漫画業界である。
女性キャラに対して「スレンダー体系から下半身ムチムチ爆乳体系への進化」があったのなら男性はどうか?
その中の1つの表現や文法として「竿役の徹底的な無個性化」と「テンプレート化」が行われた。
竿役の無個性化は先ほど説明したように男性に必要以上に個性を持たせない徹底的な引き算の美学だ。
竿役が奇妙な語尾を使ったり竿が2本だったりあまりにも不細工だったりギャグ風のデフォルメだったりすると
女性キャラよりも男性キャラが目立ってしまいエロシーンに集中できないという読者は少なくない。
というか男性に個性は要らないと思うシコり手の方が多数派なので改善すれば数字として必ず結果が出るくらい鉄板と言われてる。
一方、無個性化の発達と共に「テンプレート化」も発展を遂げる。
ここまで書いたけど横道にそれ過ぎて長くなるし眠いので寝よう。
言いたいことは
たわわはエロいから問題でもないし巨乳だから問題じゃなくて、「エッチな青年漫画」ではなく、「エロ漫画の文法で描かれたエロ漫画が青年漫画のフリしてる」から気持ち悪い。
ふたりエッチはエロいけどエロ漫画じゃない。でもたわわはエロ漫画なんだ。ふたりエッチは「エッチの勉強として読める」けどたわわは「エッチの勉強として読める」か?
トラブルはエロいけど少年漫画なんだ。でもたわわはトラブルより肌の露出なくてもエロ漫画なんだ。「トラブルはラブコメディとして読める」けど「たわわをラブコメディとして読める」か?
いちご100%はエロいけど恋愛漫画なんだ。というか恋愛漫画って結局恋愛という戦場でのバトル漫画なんだ。たわわをバトル漫画として読めるか?
たわわを最近流行ってる人気のラブコメ漫画やファミリー漫画みたいに角度や解釈を変えることで読むことができるか?できないだろ?
エロ漫画なのが悪いんじゃない。エロ漫画の文脈で描かれたエロ漫画なのに青年誌で連載している。ルールから逸脱してるのが問題なのだが、それについて作者本人が全く気付いてない。
なんとも説明しづらいんだが、なぜフェミ婆から標的にされるのかというと、そういうことなんだ。
エロ漫画の文法は表に出しても知らない人は知らないが、感覚的に本質はバレてしまう。
しかし知らない人にとっては原因が分からず不快感だけをずっと抱え続けることになり、最終的に攻撃という行動に出てしまう。
昨今のフェミ問題の根底にはエロ漫画の文法・表現は表の世界に出してはいけないというオタク・製作側の自制心が欠けているのではないか。
もちろんこれはBLや行き過ぎたジャニーズの裸露出にも言えることだ。
確かに表現の自由は守られるべきだがエロ漫画の文化というのは裏に隠すからこそ発展してきた歴史がある。
それをもう一度考え直してくれないか。
・少年漫画から「女の裸」が日常的に消えたことによって起きた問題
・当事者が誰も気づかないフェミニストが攻撃的になってしまう最大の理由
・女性の権利を守りつつエロティシズムという芸術を子供に継承するためには
・「月曜日のたわわに対する批判の正体」と「フェミニズムによるグラマー女性(実在・非実在)への表現規制活動」は別軸で考えるべき
・無個性男性キャラは男の読者から非実在キャラと向き合うリスクを消失させかねない
でもたわわ、おまえという作品は創作の世界において守るべきルールを破っている。
まずそれから反省しなければこれからも問題は起き続ける。まず個人として解決しろ。
「りぼん」に新連載「りぼんの拳伝承者」を掲載して売り上げトップ飾って雑誌に貢献したとしても、それは絶対に許されないことなんだよ。
今回、平常通りになんでも噛みついてるネトフェミと、何でも擁護する表戦の他は「青年漫画のヒロインがビジネスマン向けの新聞に出てるんなら別に問題ないのでは」って言ってる一般人女と、「たわわは無理、引くわ」って言ってる一般人男が出てきてて面白いと思ってる。
たわわの場合、絵柄だけで言えば一般人女性が見た時に気持ち悪いボディバランスの絵ではなくかわいいと感じる一方、漫画として見たときに「女体大好き!都合のいい女体が身の回りにいて癒される!」みたいなエゴがダダ漏れなところに対して一般人男でノットフォーミーって言ってる人も多くて、そういうねじれが生じていると思う。
個人的には、漫画読んでくれってPRだったらいいんだけど「月曜日に癒やしを」ってコンセプトがさっぱりわからなかった。巨乳に癒やされる人って男女問わずメインストリームとは言えないと思うし。
◆はじめに。
まず注意書きから。
この記事には気が狂うような文体や、現行のネットコンプライアンスに相応しくない描写が含まれています。
閲覧して数秒で受け流せる、忘れれると思えるという自信の無い方はここから先の閲覧をお控えください。
なお、この記事のイメージBGMはバハムートラグーンOPテーマ、ヨヨのテーマ、
ライブ・ア・ライブOP曲、SF編移動曲、中世編関連曲となっております。
「男タク向けのラブコメって、どうして男女間に容姿格差なんてあるのだろう。
俺はデブでもボサボサでも構わないと思ってるがそれなのに美人のヒロインと付き合えるとかどうだよ。」
というツイートに対する反応
めっっっっちゃわかる!ヒロインたちは基本的になぜかうっすら主人公を好きな設定(主人公の魅力がマジでわかはん)ついでに主人公は常に受け身なのに物語を引っ張っていくのはその美少女たちに任せっきりな感じ https://t.co/p3cy0fElJl
女オタク向けのそれでも99.9%女は容姿端麗だもんな、、男はイケメンだけどモラも多い、、
私が一昨年秋から男性向け男女間恋愛モノについて似たようなこと思っていました。
ようやく数日前閃いたことは、それが1つのポリティカル・コレクトネスみたいなことが無意識で少年漫画やラノベの特定男女間恋愛案件にて形成されてしまってる事だよ。
男性側がコンプレックスやルサンチマンになるのがいやだからわざと解像度低くして書いてるのか?って思ったよ。
作者の意思なのか?
それだけでなく12年前にアニメ化されたある青年漫画原作ラブコメ(名前非公開)も主人公の男の異様なオーラの無さに違和感を感じた…
昨年秋クールにあるキー局で放送されてた(作品の名前はあえて伏せる、分割2クールの1クール目でもある)も…
それに19年10月にどっかの野党派タカ派ヴェンゴシさんにポスターのこと標的にされた漫画でも…
その様な思ったことが1月後半、1人のネット民の発言により確信を得ることになった…。
の答えについて。
事実上私にとって新規で禁断の蜜となるコンテンツとなる資格の一つです。
「じゃあ男主人公の特技はどうしたらいいんだ?」
そりゃあ、
対戦車用ライフルや暗○拳の扱い(それは危ないッすよ…!スペクタクル路線になりますよぉ)
(欠番)
弱者男性配慮名目としたアリもしない勝手な無意識ポリコレで男主人公を低解像度または目つき悪いとかにしなきゃいけないような新規ラブコメの風潮に敵意を覚えていますよ、マジで。
それを言いたかったんです。
だけど結果は「貴方ののぞみを詰め込んだ禁断の蜜たる作品は出せてもスパン短くても一年に1作ぐらいでしょう」が現実となります。
業界様も数年先まで予約多数あるので。。
◆3章(ここでは2章は欠番) 青虐・奈央虐へのメス
ー青虐編ー
そんなことしたらかっこいいっていうのか?
作品出る事に青髪のキャラ出る度におちょくるとかしなければアニメオタクの称号得られないって言うのか?
青虐についてだが、
10年前に見た某アニメなんて青虐の元凶戦犯アニメだろ、どこが名作だ?
一方で同期に放送されたギルティクラウンやブラックロックシューターは不当な袋叩き受けたのに…
主人公の髪ボサで眼鏡の男が地球の女の子捨ててメガネの異星人の女に付いた、けどメガネの女は故郷の異星に連れ戻され、続編の予感すらなし。
「島崎信長」への強いトラウマを植え付ける原因になりましたよ。
その年の下手なバトル・ホラーアニメより胸くそ悪いものでしたよ
デップー侍世界のサノスさんはデビルーク星じゃなくてあのメガネの女の母星を粉砕して欲しかったのに。。
終始青展開なのにニャル子や氷菓など男女間恋愛強豪台頭と不当な批判のダブルパンチ…
なにがいけなかったんだよ?
コピペブログで青キャラおちょくる記事作られそれを見なくても界隈を淀ませてくれましたよ。
それだけじゃない、ネット上でその年の男女間恋愛アニメにて主人公と結ばれなかったヒロインを
滑り台の画像と合成して「クビを宣告された女たち」だとか悪趣味すぎるじゃねえか!!!
あと「おさ虐」ってのもあったようだな。
ー奈央虐編ー
業界様は今年2年ぶりに奈央虐の準備をしてるんだよな。。
下手なバトルアニメの鬱回・胸糞イベントよりもショックで昼ごはん食べたのは1時半より後になるほどの放心状態だった。
無論強いトラウマに…
ああ・・・
一昨年に「ぼくたちは勉強ができない」原作ラストを複数の編に分けて作りいろいろあったけどぼく勉の作者の取ったことがどれだけ正しかったのかが身に染みるよ。
◆5章(4章はここでは欠番) クリスマス・スクイズへの疑問。
思ったけどさあ、
なぜ毎年クリスマスシーズンのSchoolDays一挙放送に何の疑問も抱かない?
その時期だと男女間恋愛へのルサンチマンやコンプレックスが爆発するので歪んだ結末を迎えるものの方が気が安定するからなのかな?
たまには2日かけてでもいいから腐夢か百合一挙放送すればいいのに、ABEMAさんは。
無論バレンタインやホワイトデー、ジューンブライド、夏休み、狐の嫁入りでも言えることです。
◆6章 茶みらい氏の悲劇。そして批判しづらい世の中になっていく昨今
「出会った女子高生は幼なじみのガキ大将だった」シリーズを展開してたけれど
結婚とクライマックス迎えた最中に、一部のネット愉快犯の荒らしにより
私が今まで知ってきた男女間恋愛コンテンツで最も悲劇の作品ですよ…
青年漫画やおじさん漫画で出て来る「良い連れ合いとの理想の食事」って、自分が通ってる居酒屋にいっしょに行って、腹を割った話をすることなんだよね。それが理想のモデルとしてある。
一方で少女漫画やハーレクインだと、やっぱり高級レストランで横文字の料理を食べることを理想としてるし、腹を割った話とかはあまりしたくない。ゲームというか、プレイというか、そういう形での「デート」を求めてる感じだよね(多分)。
そういう、デートについての価値観の違いの積み重ねが、サイゼ問題なんだと思うわ。
男にとってはサイゼは居酒屋の部類。女にとってはランクの低いレストラン。
デート、およびサイゼへの認識のズレがあるから、かみ合わないんだと思うんだよね。
どや?
宿直室でぬ~べ~が鼻血を垂らしながらエッチなビデオを見ていて
ああ、やっぱり世の中にはこういうエッチなビデオがあるんだな…って思った
風俗については未だに行った事も無いしよく知らないから何とも言えないけど
「そんな大金を使ってでも行きたいか!?」という気持ちと「そんな大金を使ってでも行きたい何かがあるんだろうな…」という気持ちの両方が同性の男達にある
「好きな人以外とこんなことしていいのか」っていうのはあれ、男って言うのはエッチしたい=その相手を好きになるみたいな感覚だと思ってるからおかしな事とは思わなかった
ピュアだったから好きでもない相手だけど性欲の捌け口には使う、って発想はベルセルクとか性的な描写がある青年漫画を読むまでは無かったけど
「女/性的体験を金で買うなんてキモい」も特に無かったというか、デートの時に男がお金を出すのと一緒くらいの認識しか無かったと思う
男は女に金銭や貢物を捧げる事でデートしてもらう、って観念が昔からあったのかな?男が魅力的すぎて女の方から自然と寄ってくるって発想が無かった
風俗を一度も利用した事が無い、成人しても童貞って男は多分極少数だと思うから「一般的な男」の参考にはならないだろうなと思うけど自分はこんな感じ
中学生か高校生くらいの頃?それこそ性欲のピークだった時期くらいに一度性嫌悪になった気もするけどあれは何だったんだろう
今ではそうでもないけど、どんな人でも一度は性行為を行った事があると考えるとそれが凄く汚らわしい事のように思えてならなかった
脳の溶けた恋愛漫画、作り込みの甘いスクールカースト、女性向けToLOVEるとでも言うべきBL漫画、そして安易なタイアップ、そういった作品ばかりに少女漫画雑誌が溢れてしまった。
いまや在りし日の少女漫画の多様性は青年漫画と少年漫画の間に滑り込む形でだけ生き延びている。
成人女性向けの雑誌さえもグルメとマウントと浮気とショタコン趣味を取り扱うばかりで根幹における価値観の多様さを欠いている。
情けないことだ。
今ではまんがタイムきらら系列の作品のほうがまだ個性豊かな程ではないか。
政治さえ取り扱っていたし、アクション、ミステリー、ホラーなどの基本的なジャンルであれば何かしらがそれぞれの雑誌に載っていた。
今やページをめくれば同じような作品ばかりが並んでいる。
どこかでみたようなおざなりな展開の羅列。
なぜこうなってしまったのか。