はてなキーワード: 過去形とは
https://anond.hatelabo.jp/20190617204447
これ書いた増田です。思ったよりコメントとかもらえてて、皆さんのお話を聞けて割と幸せです。一人で悶々としていると考えすぎてよくわからなくなっていく。
これを誰かに打ち明けられる人生だったら良かったのだけれど、そんな人を作れなかったので今ここにこうしている。
ありがとうはてな。私は確かに、増田に救われているものの一人である。
ただみなさんに一つ謝らなくてはいけない。
そう、私は医者にも行ってなかったし、診断も受けてなかった。だから、書いたことは全部想像で、こういう状況下ならどういう感情になるかをシミュレートしただけの文なのでした。
ただ、一つ弁解させて欲しいんです。
あの文は、嘘だった。
けれど、もう過去形です。
今は、本物に変わったのです。
そう、私は数日前に、発達障害である診断を正式に受けたのです。
なんであの文を書いたかというと、衝撃を分散させたかったから、というのが一番の理由です。文を書いた時、私には障害者である診断が9割は出るだろうと確信を持っていました。残りの1割はただの怠け者の健常者であるという結果だろうと。どちらにしても残酷ですね。
どちらにしても、割と衝撃的な診断になるだろう。だから、その前の心の準備があの文でした。いわゆる、リハーサルです。
私がこれから、どんな目を向けられて生きることになるのかを、確かめておきたかった。
実際の舞台で言う所の、記者を呼んで行う最終リハーサル、ゲネリハに近い感覚でした。
割と障害者であると診断される確信はあったので、自分が障害者だと診断された時の感情としては全く嘘偽りのない、赤裸々な言葉たちが確かにそこにはあるのですが、やはりタイミングとしては嘘になります。違っていた可能性もあったわけですし。ごめんなさい。騙すような真似をして。
実際の私の症状は、ADHDもありましたが想定外に自閉症スペクトラムも付いてきました。むしろ、こっちがメインでADHDの方がオマケ、くらいの状態だそう。
私は、思っていたよりも生きにくい世界で生きていたらしい。
想像以上に重めの障害として捉えてるような医者の口ぶりに、いささか狼狽を隠せないのでした。
その診断を、粛々と、穏やかな気持ちで聞くことができたのは、やっぱり皆様のおかげだと思う。ありがとう、増田の皆さん。割と人生ひっくり返るような現実を心安らかに受け入れられたのは、皆さんのおかげです。皆さんの忌憚のない意見が先にあったからこそ、その衝撃は和らいだのです。
医者からの言葉も、割と皆さんが言っていたことを要約して砂糖漬けにしたような耳障りのいいお話だった。
もし世界の脳のタイプの人口がひっくり返ったら、あなたの方が正しくて、今の多数派の方が自分は間違っているんだと精神を病むことになるんじゃないかな。あなたは、ちょっと運悪くこの脳のタイプが少数派の時代、社会に産まれちゃったけど、でもあなた自体、あなたの脳は問題ないんだよ。
まあ、正直、捉え方の問題でしかなくない?どんなに好意的に捉えても問題が解決するわけではなくない?とは思ったものの、それもまあ一つの優しさかな、と思って深くは考えないことにした。
そんなわけで割と心は、やはり穏やか。
結局のところ私はやはり自分が普通になれない理由を求めていたのだ。
普通になろうと頑張ることを諦めるための理由を求めていた。一般社会でそれを諦める理由なんて、病理的なものしかないだろう。
私は、詐病でもなく、真っ当に、それを止めることができた。ありがたい話である。
これで労力を無駄なことに使わなくて済む。
それに、これは自己肯定感の話にも繋がるように思える。
今までの自分なら、どうして私は普通になれないんだろうと悩みに悩んでいたところだったが、障害者であることが確定した自分なら、障害あるなりに頑張ったんだもんね!と納得ができるように思えた。
私は、「健常者でどう頑張ってもグズの私」は一切愛せないし許せないけれど、「障害者でトロいけど頑張っている私」にならば優しくできるような気がしたのだ。
それは、差別だろうか。だとしたらごめんなさい。
それに、本当ならそんなこと、障害のあるなしに関わらず、できるはずなのにね。どうにも不器用にしか生きれない。
話は少しズレるが前回の文は障害者への差別意識が高いために苦しむのだ、という意見があったが、それは弁解しておきたい。あれは、どちらかというと、自己嫌悪、自虐の色合いが強く、世間一般の障害をお持ちの方々へ向けたものではないことはご理解頂きたい。
そういう言葉を発せられる時点で差別なんだよ、と言われたら何も言い返せないのだけれども。ただ、あの言葉たちは、私に障害者という属性が付与されたから産まれた言葉たちなのだ。私がそうでなければ、発さなかった言葉たちなのである。そこは、信じて頂きたい…が、こういう言葉たちから自分の意識しない差別って浮き彫りになるものですよね。反省のきっかけにもなるので、そのあたりへのご意見、特にお待ちしてます。
そんなわけで、私の業火のように荒れ狂うような感情の波は、リハーサルの架空の時間のうちに消費されたために、今は穏やかに、障害者である自分を受け入れられている。
いや、ただ、薬が効いているから穏やかなだけなのかもしれないけれど。
フルニトラゼパムの眠りから覚めたから、穏やかなだけなのかもしれないけれど。
ただ、先生からのお話は、今までの人生の伏線回収みたいで、謎が解き明かされていくような感覚だった。
いや、むしろ思い当たる点が多すぎて、これはコールドリーディングじゃないか?とさえ思った。
あなたの地元の駅に商店街ありますよね?そこのパン屋さんの作るカレーパン、本当に美味しいですよね!みたいな。
理解してくれるかのような素振りすら今までの人生で得られなかったのだから、ほんの少し微笑みかけてくれるだけで嬉しくなっちゃう単純な人間なのだ私は。
それに、これが医師でも詐欺師でも、話に乗らなきゃ人生は微動だにしない。
なら、乗りたいのだ、私は。
不適合者に薬を飲ませて利便性を図りたい世間の思惑にはまっているのだとしても、それで人生が好転するならむしろWIN-WINだろう、きっと。
そう言い聞かせながら、不信感を拭うことにしている。
さらに加えると、思いがけない救いが一つあった。
こういう気質は、遺伝するから…親のどちらか、似たような人いたりしない?
母です。私に似ているのに、私よりも勝手にいきていて、私より傍若無人な母。
その、トゲのある無神経な言葉に何度も苦しんで、母親のことが理解できずにいた。
むしろ憎んでいた。憎くて、家から出た時、離れられてどれだけ嬉しかったことか。
それは、救いだと思いました。
今まで理解できなかった母を、許すための糸口を見つけられたから。
もしかすると、もしかすると、私は親に嫌われていたわけではなかったのかもしれない。
障害のために歪んで見えていただけで。
まだ何も確証はないけれど、そんな可能性が見えただけで、とても嬉しかったのです。
その話を医者にしたら、まずは自分のことだけ考えなさいと窘められましたが。
みんなが増田に求めるものは、きっと強い感情の奔流のようなものだと思うから、きっと私のこの安らかな文は、前回の狂いそうなほどの衝撃の中で書いたそれよりも、きっとつまらないに違いない。
けれど、やっぱりみなさんの存在に救われたものとして、その後をお伝えしたかったし、感謝の念をお伝えしたかったのです。
ありがとうみなさん。
頑張ります。
生きやすくなりたいともがいた日々は、障害の言葉で無に帰ったわけじゃなくて、むしろもがいたから障害という答えにたどり着けたんだと今は思ってます。そう信じてます。
病院からの帰り際、モンシロチョウを見かけました。太陽光が突き刺すような、アスファルトの熱が柔く伝わる、少し早い夏のような日。
そのモンシロチョウは、ゆらり、ふわりとまるで、よろついているかのようなおぼつかない動きで公園の緑の中へと消えていきました。
夏にもモンシロチョウは生まれるとは聞いたことがあります。けれど、この炎天下で、この蝶はどれだけ生きれるんだろう。
今までの自分なら、その姿に勝手に自分を重ね合わせ、世を儚んでいたのだと思います。
けれど、今の私には、別の姿に見える。
あの蝶に木陰という場所があるように。
きっと私にも、穏やかな、帰りつくことのできる場所が、あるんじゃないかって。
そしてこれからの人生で、そんな場所を見つけられるんじゃないかって。
今はまだ、蝶のように美しくはなく、蝶よりもおぼつかない、ゆらめくような足取りだけれど。
そう信じたくなったのです。
勝手に、蝶と私を重ねて見ながら。
どうか、私にも、そして読んでいるあなたにも、あなただけの、それぞれの木陰を見つけられますように。
もう見つけている方には、その木陰の中で、健やかに、美しく、揺るぎなく、生きれますように。
みなさま、本当にありがとうございました。
追記。
更に追記。
増田で文を書いたら、お言葉をいただけることが嬉しくて…ブログを立ち上げました。
もちろん増田だからコメントもらえてたのはわかってるんですが。
記録を、私という連続性を付与してつけていきたいと思ったのです。
もし私の文にご興味ありましたらお越しください。
私は写真が嫌いだ。
正確にいうと「写真を撮る人が大嫌いだ」。
嫌いというか、全員地球上から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味:写真撮影」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。
恋人は絶対に写真以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対に写真を撮る人とは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。
ここまで聞いて「お前、写真を撮る人に親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。
あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「写真を撮る人全員いなくなってくれ」だ。
なんでそこまで写真を撮る人を嫌いになったのか?
そもそも私は写真を撮る人だ。しかも、休みがあればその休みを全部写真撮影につぎ込むような人間だった。
更に言えば、写真好きが高じて「私も自分の手で大好きな写真業界を盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学と死ぬほど勉強をし、念願の写真関係の仕事に就く事になった。(過去形だけど。)
写真を撮る友達も沢山いたし、写真を撮る人のみっともない言動や言い争いを見ても「まあ、写真ってそういうものだしな」とスルーできていた。
そこから数年経って、仕事や私生活が忙しくなって写真撮影に行けなくなり始めた。新機種は追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。
今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「写真界隈ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。
新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量や写真歴でどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。
対する写真といえば、まず初心者や所謂「にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンスの人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、写真を撮る人であり運営側から少しだけ見ていた自分の印象だった。
本来であれば人の好きなものを自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかないから。
「赤色が好きで、洋服にはいつもワンポイントで入れてるんです。」という人に、「俺、赤色嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。
だけど、写真を撮る人には余裕でいる。余裕で言う。「写真ってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「こんなのちょっとした冗談じゃん」程度で普通に言ってくる。言われた側からしたらたまったもんじゃない。
さっきの例えに続くなら、「酷いことを言われたと言っても、お前が赤色が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。
極めて異常である。お互いにヤジを飛ばしたり、敵対心を持って対峙する撮影スポットでの空気がいつの間にかに染み付いて、現場の外にも持ってきてしまっている。
しかもこれが一般のファンだけじゃなく、内部にいるような「お前そう言う偏見持ちながら仕事してたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ユーザーを見下すような発言もよく見られた。
数年経って転職したのもあり、写真という話題から離れて、撮影に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。
写真特有の空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分は分別がついている」と思ってる人は多いが、普通の一般人から見たらおそらく大体の写真を撮る人はやばい人のくくりの中だと思う。
なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、飲みの場で新人の女の子が「去年から写真撮影をしてて、PENTAXを使っているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺PENTAX嫌いなんだよね!」「やっぱオールドレンズが安いからPENTAXにしたんでしょ?」、HELIOS-44が好きと答えると「まあ、安パイだよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払いのバカが複数いたのを見たからだ。
女の子の顔は引きつっていた。
やっぱり写真を撮る人は全員爆ぜていなくなって欲しい。
私ははてなが嫌いだ。
正確にいうと「はてなーが大嫌いだ」。
嫌いというか、全員地球上から消えていなくなってほしいくらいには思っている。一見見た目が普通の人でも、「趣味:はてブ」とか言われちゃったら、それだけで正直印象は悪いし仲良くしたくない。
恋人は絶対にはてなー、ひいてはネット以外の趣味をお持ちの穏やかな人がいい。絶対にはてなーとは深い関係を築きたくない。家族にいなくてよかったと思ってる。
ここまで聞いて「お前、はてなーに親でも殺されたのか?」と思った人は沢山いるでしょう。
あと、「頭ごなしに否定するのもやめろ!全員が全員悪人じゃない!いい人も居る!」と思った人もいるでしょう。そんなのはわかってる。わかった上での結論が「はてなー全員いなくなってくれ」だ。
なんでそこまではてなーを嫌いになったのか?
そもそも私ははてなーだ。しかも、休みがあればその休みを全部ブクマにつぎ込むような人間だった。
更に言えば、ネット好きが高じて「私も自分の手で大好きなネットを盛り上げる手伝いをしたい!」と思って、高校大学と死ぬほど勉強をし、念願のネット運営関係の仕事に就く事になった。(過去形だけど。)
ネットの友達も沢山いたし、SNSのみっともない炎上や言い争いを見ても「まあ、ネットってそういうものだしな」とスルーできていた。
そこから数年経って、仕事や私生活が忙しくなってブクマできなくなり始めた。ホッテントリは追っていたものの、前と比べるとぼんやりと追っていたと思う。
今までやったこともないような新しいことを体験して、知見が広まったような気がした。それでその時、「増田ってなんであんなにギスギスしてたんだろう」と思ってしまった。
新しい趣味はどれも来るもの拒まず、去る者追わず、何も知らない人に対しては「もっと好きになってもらって欲しい!」と全力で応援するようなスタイルだった。知識量やマウンティングでどっちが上とかもない。楽しんだもん勝ちで、みんながみんなお互いを尊重していた。ていうか、普通はそれが当たり前であって欲しい。
対するはてなといえば、まず初心者や所謂「にわか」にとって全然優しくない。「(個人差はあれど)自分と違うスタンスの人間が見逃せなくて、それを主張したくてたまらない人が多い」というのが、はてなーでありネット運営側から少しだけ見ていた自分の印象だった。
本来であれば人の好きなものを自分が嫌いだからと言ってわざわざ面と向かって否定はしないだろう。だってコミュニケーションを円滑に行う上でその行為は害しかないから。
「Togetterが好きで、アプリも入れてるんです。」という人に、「俺、棘嫌いなんだよね〜w」とかいう奴はまずいない。いたとしても、空気が読めないバカぐらいだろう。
だけど、はてなーには余裕でいる。余裕で言う。「はてなってそういうものでしょ?」という考えがあるから、言った側も「違う。こいつは滅んでよし」程度で普通にメタブしてくる。メタブされた側からしたらたまったもんじゃない。
さっきの例えに続くなら、「違う。酷いことを言われたと言っても、お前が棘が好きなのをオープンにするのが悪い。言われて当然なんだから我慢しろ(納得しろ)」とまで言うような人もいる。セカンドレイプもいいとこだ。
極めて異常である。お互いにトラバを飛ばしたり、敵対心を持って対峙する増田での空気がいつの間にかに染み付いて、ネットの外にも持ってきてしまっている。
しかもこれが一般のはてなーだけじゃなく、階級上位にいるような「お前そう言う偏見持ちながらブクマしてたらアカンやろ」というような立場の人にもいた。いたと言うかなんなら結構多い。「自分の方が上」とでも言いたいのか、ネット民を見下すような発言もよく見られた。
数年経って転職したのもあり、ネットという話題から離れて、増田に足を運ぶ機会もどんどん減って行ってしまって現在に至る。
増田特有の空気感や考え方が染み付いてしまうとおかしくなってしまう。めちゃくちゃやばいやつを見て「あいつ程ではない、まだ自分は分別がついている」と思ってる人は多いが、普通の一般人から見たらおそらく大体のはてなーはやばい人のくくりの中だと思う。
なんでこんな話を改めてしたのかと言うと、とあるオフ会で最近はてなブログ始めた女の子が「去年から増田鑑賞をしてて、AQMさんを応援しているんです」と言っていた所に、やっぱり「俺アクメ嫌いなんだよね!」「やっぱ連投してて星稼ぐからお気に入りになったんでしょ?」、有名ブクマカが好きと答えると「まあ、キモイよな〜笑」などと、平気な顔をして言う酔っ払いの古参気取りが複数いたのを見たからだ。
女の子の顔は引きつっていた。
やっぱりはてなーは全員爆ぜていなくなって欲しい。
みなさんこんにちは。
某ジャンルではフェイスパックまでトレーディング。面白い時代です。エンターテイメント性に富んでますね。私も実家でやりました。「なんか怖いね」って言われました。うん、そこは笑ってくれよカーチャン。
さて、本題。
トレーディンググッズも多く扱っています。
日々推しへ貢ぐ為、楽しく一生懸命働いているのです。接客業してる方ならあるあるだと思うのですが、正直なところ今までよく生きてこれたなって感じのお客様()もいます。でもいいんです。きっと虫の居所が悪かった。「なんか嫌なことでもあったのか...?酒でも飲むか?」と許しますよ。
→振ったら、握ったり、押したり、重さを測ったりして中身を確かめる行為
正直な、手に取った瞬間察せるモノもあるし、簡易包装故に、頑張って触ればピンポイントで当てる事も難しくないと思うよ!!でもなぁ!商品に傷ついたり包装に跡ついたりするんですよ。商品に傷があれば売れないんですよ!器物破損です器物破損。
バレてないと思ってやってる????
目線は商品以外に向けてもなぁ、手が!!!お前のその手はサーチだな???おっいい度胸じゃねぇか!!!
そんでさ、声かけるじゃん。
「サーチ行為はご遠慮ください」
「あっ、すいません〜💦」
一回で辞めたらこっちも笑顔っすわ!許すよ!!!わかるわかる、どうしても推し欲しいもんね!1回目は許しちゃう☆
...............
おいまて、2回目。お前それ2回目。
さっき注意したよね?
「すみません.....」
..............
ふざけんな3回目は流石に許さんぞ。お前は害悪だ。ふざけんなてめぇ!!!抹消すっぞ!
っていう心境です。
ほんと一回目はいいよ。というかこっちも勘違いの可能性あるしほんとごめんねって気持ち。
というかさ、謝るなら止めてよ。
なんで何回も注意しなきゃいけないの?注意されて嫌じゃないの?どんな気持ちでサーチしてんの??????
一度お客様から「サーチ行為やめさせてください」って電話もらったの。謝るしかないの。包装よく見たら明らかにサーチした跡あるらしいの。ごめんね。
謝るしかできないの。
注意してさ、嫌な顔されるの「私やってませんけど」みたいに半笑いで返されるの。
辛いの。
あと若い子に注意したら、友達同士でキャハハって笑ってたの。謝りもしないの。小学生からやり直せなの。あ、ごめん小学生かな????ごめんね〜☆
サーチ行為止めてください。
注意されたら、一回でやめてください。
お願いします。
あと、言われそうな意見に対して先に回答書いておくね↓
・サーチ行為してないのに声かけられて嫌な思いしたことがある。
→あ〜...正直申し訳ないです。たぶんあなたの前にサーチ行為してた人がいて警戒心MAXなんでしょう。それか、そのグッズを買う人にサーチマンが多いのでしょう。民度はみんなで高めたいものです。
→それな。そうしたいけど、レジの場所だったりグッズの数だったり。いろんな要因で出来ないんだよ...。ほんと、レジ販売が一番安全なんだよね。
・サーチできないような商品形態にすれば?
→してほしいよ!!!!!!!!!!でもコストとか!これも色々な要因があるの!私1人じゃできないの!ていうかそもそもサーチすんなよって話なんだわ!
もし、あなたの周りでサーチ行為してる人見かけたら「サーチ行為まじねぇよな」と友達と会話する感じで遠回しに言ってくれたら嬉しい。民度はみんなで高めていこうね。あと店員に「サーチ行為してる人いたんですけど!」って言っても過去形で言われると対応できないし。なんかもう、お互い注意してって思うそこは。すまないけど。現場見てないから「あぁ、うぅん、はぁ...ごめ...」ってモニョモニョするんだマイハート❤️
私はよく忘れ物や落し物をする。昔からよく携帯や弁当箱を忘れたり落としてきたりしては親や友達に叱られていた。
それでも忘れたり落としていたものは必ず戻ってくる。ん?あ、いや、そうじゃない。必ずじゃなくて戻ってくることが多かった。だった。
なんで多かった、と過去形なのかはこれから説明というか少し話すと。
最近私は財布を落としたか忘れたかはたまたどこかに置いてきてしまった。
四月の後半にどこかにやってしまった財布は未だに謎のままだった。電車かバスで落としたか、それとも盗まれたか。
私は財布を無くした。
大事なものがいくつか入った財布は、警察に電話しておいたから見つかったら届くはず。なのに見つからない。今までならもう見つかってもおかしくないのに。
胃が痛い。辛い。
なんというか油断大敵。
こういうのって治るんでしょうかね。
書いてる今も涙が止まらない。
よくボーっとするからケガもする。
この間は足をくじいて、指を刃物で傷つけて。これは心の病気なんでしょうかね。
なんかよくわからないし、すごい涙は出てくるし。
まるで子供みたいですね。もう大人なのに。荷物1つに1GPSってか。これはお金がかかる。でもここまでしないと出来ないぐらいもう自分はヤバイのかもしれない。
財布1つで私は今すごい泣いています。
大事な財布なんです。
とりあえず、見つまみかったらもう泣かなくなるかな。とかなんとか考えながら寝ます。
もしここまで私のぐちゃぐちゃした文を読んでくれた人がいたら、ありがとうございます。もし読んでいやな気持ちになったらごめんなさい。
それじゃ、またいつか。物を無くしたりするのには気をつけて。
「傷跡」を初めて聴いてKalafinaを知り、黒執事の「Lacrimosa」で再会し、NHKのアニソン特集でその姿を初めて見て、Magiaツアーからライブに参加するようになったそこそこ年期入ったKalafinaのファンでした。
「空の境界」のファンに「Kalafinaファンなら空の境界見なきゃ~」とかくそ鬱陶しいことも言われながら、うるせえ私はあの人たちの歌唱力と表現力が好きなんだよ黙ってろと返すこともできず、結局今日に至るまで空の境界は見ていません。多分もう一生見ることはないと思う。曲を聞きたくないので。
昨日母親から「Kalafinaって解散してなかったの?」と言われ、解散が正式に発表されたことを知ったのですが、もうね、所属事務所が極悪なのはこの一年でわかりきってた。
発表コメントも「プロデューサーの梶浦由記が退所して、メンバー二人も退所して、こっちはね!どうにかKalafina続けたいな~って話し合いしてたんだけど!無理っぽいわ!ってことで解散です!」というバカみたいなコメント発表して、なおかつ「KalafinaのFCはWakanaのFCにそのまま置き換わるよ!今いるメンバーはスライドでWakanaのFC会員だよ!応援してね!」っていうまるで誰もFC辞めないよね!っていうこれまたバカみたいな文章に辟易しました。
でも事務所がバカなのは約一年前からわかっていて、メンバーの一人が退所するって報道が出たときに「退所希望者が一名います」ってま~やめる人間は悪!って空気をぷんぷん匂わせてた。もうね、デパコスの売り場かってぐらい臭かった。最悪なことにこの一人が私の最推しだったこともあって、当時は怒り通り越して呆れてました。退所した二人の写真平気でHPに置いてたし。
だってここのFCのスタッフあれですよ、Twitterで「こんにちわ!」って言ってたんですよ。もうそんなのバカでしょ。
そんな事務所に対してはなーんにも期待してなかった。
一年前から口では「もうKalafinaは終わった」って言ってたけど、それでも梶浦さんの個人事務所に三人とも移籍して新しくスタートを切る日が来るかもと淡すぎる期待を心の隅で持って一年生きてきたんだと思います。
もう本当にこれが衝撃的で、二人残ってたうちのもう一人のほうがソロデビューするんじゃない??みたいな雰囲気あったけど、逆、違う、そっちかい、そんな雰囲気なかったじゃん。
ただこれは逆に言うとソロデビューの話がない状態でそのもう一人が退所してたら、「これは来年中に全員退所になって梶浦さんのとこにいけるのでは!?」ってめちゃくちゃ期待してしまっていたと思うから、良かったのかもしれない。精神面は。
この時点であ~はいはい終わった終わった、もうこれダメ、って状態になり、件のソロデビューシングルも聞いてみたけどアレルギー出るかと思いました。圧倒的なこれじゃない感で。
Kalafinaって歌が上手いのは当たり前なんですけど、梶浦由記が作ってたからより神々しさ増してたと思うんですよね。実際、一回他のアーティストが作った曲で一緒にコラボしてたけど全然ダメすぎてそれもアレルギー出た。それが今回も出た。
歌は圧倒的にやっぱり上手いんだけど、なんせ歌詞が薄っぺらすぎる。
今まで「君に残せる言葉もなくて だけど寂しくはなかったよ」とか「自由になれば 道を失くした」とか「春を待つ花のように 風の中震えていた」って歌ってた人間の口から「さよならは言わないよ また逢えるよね?この場所で」ってもうやめて本当に。
梶浦由記の作る詞に及ばないのはわかってるけど、なんかもうめちゃくちゃJ-POP。そもそもJ-POP歌う声じゃないんですよ、彼女。上手すぎて。そんで昔から悲劇的な歌声って言われてたけど、悲劇の内容が軽い。今まで歌ってた悲劇はこんなもんではなかったはずでしょ。
ただそれでも一曲目は事務所を去っていった二人へのメッセージでもあるのかな、って思ってたけど二曲目で「構うものなどないと 何もかも壊しながら」「運命など怖くないと ただ独り叫んでた」って踏ん切りつけるのが早い。あと地味にインタビューで「みんな歌詞を額面通りに受け取らない」って言ってたのも正直腹立って仕方がなかった。梶浦詞はいろいろ考えながら聴く曲が多かったので、それを十年間やってきたはずの彼女からこんな言葉がでたことがショックだった。
この時点で、もしかしてこの人ファンのことあまり考えていないな……?って思ってしまった。これは不信感です。
昨日の発表で事務所側は「協議してきたよ!」って言ってたけど、Kalafinaを続けるための協議の最中にソロデビューさせるのはまずおかしいし、するほうもどうなの。
実際協議なんて一切してないと思ってるんですよ。だってメンバーのうち二人いないんだから。
でも本当に協議を重ねてたのならソロデビューなんてファンを混乱させることする?できる?
「Kalafina守ってやるから、ソロデビューしろ!」って言われてたならまだしもそんなこと億が一ないでしょ。単純に絶対本人もソロでやりたかったんじゃん。事務所残るならソロデビューさせてあげる、って言われててもおかしくないよ。
それと二人目に退所したメンバーはTwitter始めちゃったりして、まあファンが沸いた。私も沸いたから。普通にうれしかったから。
そのあとTwitterで質問企画みたいなの始めて、これいよいよ事の真相話す覚悟ができたのかなって思ってたら「Kalafinaに関しては私一人のものではないので答えられません」って注意してて?????????????????頭の中はてなだらけ。
Kalafinaが彼女だけのものではないことは理解できる、けど、Kalafinaは彼女のものであるしファンのものでもあるんじゃないの。
こんな言い方は良くないけど、今まで応援してきたファンが払ったお金で生活している人間がそのファンを不安にさせたままでのうのうと自分の日常を発信していることにも嫌気がしていた。箝口令でも敷かれてんのかよ。
最初に退所した最推しは「Kalafina」という名前を守るためかどうかはわかりませんが、特許出願したものの却下され、その後はどうしているのか姿も見せないままでした。
そして今日、FictionJunctionで梶浦さんと退所した二人からのコメントが掲載され、(退所組のコメントが連名なのが納得いかなかったけど)梶浦さんのコメントに衝撃を受けました。それが記事のタイトルです。
「Kalafinaが大好きでした。」
過去形なんですよね。解散発表あってからいろいろTwitterとか見てたら「これからもKalafinaが大好きです」って言葉を目にしたんですけどその人たちは未来を見ているのに、プロデューサーはKalafinaを過去のものにした。もうKalafinaのことは好きじゃないのか、って思われても仕方ないんですよ、これ。
加えて説明文書の中にあった「旧Kalafinaメンバーとなる……」という文言も衝撃でした。もう退所した二人はKalafinaのメンバーではない、と。過去なんですよ、全部。表現が。歌姫が四人の時期もあったけど、間違いなくKalafinaのメンバーはプロデューサー+歌姫三人で四人です。
『旧』の対比って『新』じゃないですか、そんな意図がなかったにしてもその言葉を選んだことがつらかった。Kalafinaがこの四人以外で構成されるかもしれない可能性を感じさせる文章がつらかった。まかり間違って新体制でKalafinaってグループ作られたらたまったもんじゃない。
そんな感じで今日、Kalafinaを作った人間が、Kalafinaの終わりを宣告しました。
ここまでくるのに約一年かかりました。
Kalafinaの名前はあるのに、Kalafinaとしての活動が一切ない一年。
いろいろ言ったんですけど、別に誰か一人を責めているわけではありません。
仮に最推しが事務所に残ってソロデビューしていても、私は不信感を抱いていたと思います。
でも私は一人に裏切られたのではなく、Kalafinaだった四人全員に裏切られたと思っています。
本人たちはコメントを出したことで禊は終わったとでも思っているかもしれませんが、この一年なにかに期待していたファンの心はずっと置き去りでした。
退所、特許出願、ソロツアー、ソロデビュー。今までお金や時間をかけてきたファンを一年間混乱させ、不安を煽り続けていました。
認知度が違いすぎるので比較対象にするのはおかしいけど、あれだけ言われたSMAPも一人一人コメントを出してテレビでの五人の最後を決めたし、嵐も全員で記者会見をして休止の宣言とファンへの猶予を設けた。
いろんなバンドやアイドルが解散するけど、彼らだってラストライブでファンへの別れを告げている。いろんな形があるけれど、どんなアーティストもファンのことを考えていると思います。
Kalafinaはどうしてそうならなかったんでしょう。できなかったんでしょう。
事務所が一番悪いのはもちろんわかっています。箝口令を敷かれていた可能性だって十分あると思います。だけど、それでも、という気持ちがわかないわけがないんですよ。
彼女たちのコメントを読んだ人たちが、「十年間ありがとうございました」とか「これからも大好きです」とか「いつか再結成して皆さんの歌声を聞けたら……」ってまっすぐに思えることがひどく羨ましくて仕方がないです。
過去形になりつつある。
https://anond.hatelabo.jp/20190110142740
上の記事を読んだ。
普段全くアニメも見ないし、アイドルなんか全然興味もなかった自分が2017年末にハマったのも中の人を気にしなくて済む世界だったから。
アニメを見るとどうしても声優の存在は切り離せない存在だと思うし、実際周りのアニメをよく見る人たちは声優に詳しい人がほとんどだし何なら壁紙を声優にしてるみたいな人だっている。
趣味の問題なので悪いとは言わないけど、自分にとっては不要な側面だし、中の声優を気にしなくて済むコンテンツが欲しかった。そんなときにバーチャルYouTuberがブームとなり、すぐにハマった。
その後ブームも広がり、声優が中の人をやりだしたり、様々なオーディションが開催されたりした。初めは笑っていたんだけど、自分の望む場所ではないことに気づき始めた。
キャリアの問題というのもわかるし、素人よりも声優の方が良いというのもわかるんだけど、なんだかなぁという感じ。
それとも検索で上位に「中の人発覚!」みたいな記事が人気であるように中の人が気になってしょうがない人たちの方が大半なんだろうか。
タイトルまま。
数年っていう単位で同棲してる彼女が、もう自分とは違う方向を見てることにうすうす気づいてきた。
それに気づいた途端にものすごい喪失感が現れて、明日も仕事だというのに苦しくなってきて、窓を開けて外の空気を吸っている。
一緒に暮らしてていいことばかりではないが、悪い面もすべて忘れるくらいに一緒にいると穏やかな気持ちになるひとだった。まだ過去形ではないけど。
向こうからなにか言い出すのを待つことになるんだろうけど、こちらとしてはただただ悲しくて、でも相手がそれで楽しくやっていってくれるなら、という気持ちもある。
まったく何も整理がついてもないし、お互いの私物で埋め尽くされた部屋をじゃあどうするのかとか勝手に考えてしまって、もう何をどうしたものか気持ちも理屈もどうにもならんのである。
そこそこいい年なのでもう彼女以外の人付き合いも少なくなってしまって、ここ数年の写真なんて彼女のもの以外は無いレベルで、もし失ったら自分の中のものすべてがからっぽになるという恐ろしさも手伝って、どうしようもなくそわそわしてどきどきして怖くてたまらない。
インターネットがあってよかった。こうやって無心に書いてなければこの夜を耐えれなかったかもしれない。
しかしどうしよう。どうしようもない。つらい。
いや女性でも乳首感じない人はいると思う。開発されていないと感じない。自分がそうだった(過去形
自分は最初二十代前半の頃はくすぐったいのが大半だったけど気持ちよい感じも少しあって、その感覚を強く意識しながらクリオナする前に少しでも触るようにしてたら二十代中盤ぐらいから気持ちよくなった。
触ってるとクリと膣の中がうずく。体の性的興奮が性感が高まる感じがある。
だからこれ↓すごいわかる
https://anond.hatelabo.jp/20181027114634
指で直接さわると皮膚が擦れて痛いのでシャツとかの薄い服の上からや、薄い掛け布団の上からがいいです。
厚手と薄手で感覚が違うのでお好みで。
指の腹でこする、爪でひっかくなどなど。
クリにローターあてて脚ではさみながらフリーになった両手で乳首をいじるとか良いかも。
乳首が感じない人は開発によって感じるようになれる、が自論です