はてなキーワード: 心拍とは
フリースタイルラップはリズムに合わせて歌詞を即興で作るのだが、リズムに乗ると不思議と言葉が浮かんでくるそうだ。競技かるたもリズムをとってカルタを記憶するらしい。リズムにどんな意味があるのか?
その謎をとくカギは「グルーヴ」にある。ブラックミュージックの理解で日本人がまず躓くのが「グルーヴ」という概念。それはただ機械的なリズムに乗ることではなく、体感とのシンクロが要求される。
この理解困難な概念に対するわかりやすい喩えが心拍という名の音楽だ。ケージの4分33秒が音楽になるなら心臓だって音楽になる。君は心臓や呼吸に音楽を感じるかい?環境音楽的ワークってやつだ。
その先駆けは現代音楽家Pauline Oliverosだ。いまや小学校の音楽の教科書にもその種のワークが載っている。ゆとり世代以降の人間なら記憶にある人も多いはず。
心臓のリズムを感じるには目を閉じて心を静かにする必要がある。一種の瞑想だ。心拍が分かったら今度はそれに合わせて身体を揺らしてみよう。揺らすと心拍が変わる?そこが難しい所で、
心拍に干渉しないまま身体を揺らしていく。この感じがまさにグルーヴなわけ。がむしゃらに即興演奏すると必ず体感に干渉してしまい体感が迷子になる。ムードをぶち壊したらセックスは台無しである。
つまり機械的にリズムに乗るだけでなく、体感とシンクロすることで自然にリズムが生まれてくるわけである。身体がそんなふうにできている。それがグルーヴ。ジャズにおけるスイングも同様だ。
グルーヴあるリズムはリズムマシンの作る厳密に一定なリズムからは若干のズレがある。そこに生演奏の味わい深さがあると言われるが、正確に言えばズレかたに体感が反映されているから味わい深く感じる。
リズムの一定さやズレ自体には別段深い意味はない。あくまでもリズムの一定性やズレはグルーヴの副産物にすぎない。「世界はリズムに満ちている」とは某音楽家の言葉だが、正確にはそれはグルーヴなのである。
音楽以外にも思考や会話にもグルーヴというものがある。相手のテンポを崩すようにワンテンポ遅れた返事や食い気味の返事を返すとかみ合わない感じがするだろう。
だからテンポについて行けない人間どうしで深く仲良くなるのは極めて難しい。世の中の「親友」の多くはテンポがかみ合わないのに誤魔化し誤魔化し仲良くしているように見える。
トークのテンポというのはつまるところ、その人なりの言語的体感とのシンクロの仕方である。単なる会話の速度ではない。早口でも会話のテンポが遅い人はいくらでもいる。
また、熟練すれば無理に話題のテンポを速くできるが、結局は自分のテンポで話すのが一番快適なことには変わりないわけである。けだし会話のテンポはほとんど先天的である。
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一方、グルーヴには安定性という要素もある。ジャズでは「この人の演奏には安定したグルーヴがある」「安定したグルーヴにはノリやすい」「今回のセッションはグルーヴが安定しなかった」
などと言われる。グルーヴが安定しない現象は先ほどの心音が迷子になる現象と同じである。体感を見失って、形の上でしかリズムに乗れてない状態。それはどうしても演奏に現れ、バラバラでちぐはぐな印象を与えてしまう。
安定性はその人のメンタルを表している。気持ちが不安定ならグルーヴも不安定になる。熟練演奏者なら多少メンタルが不安定でも「いつもの体感」自体は出せる。
だけど、別の「普段にはない体感」が邪魔をしてきて、演奏に乱れが生じるわけだ。そんななか繊細な感覚をつかまえてグルーヴを表現するのは並大抵のことではない。
演奏家という仕事は一般人が考えるよりずっと鋼鉄のメンタルを要するのだ。
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強いメンタルになりたいと誰もが憧れるが、その秘密は形状記憶性にある。本当に強いメンタルとは、ガッチガチのオリハルコンメンタルなどではなく、柔軟に形を変えてはすぐ元に戻る形状記憶性にある。
「上善如水」を知ってるか?上善は水のごとしと訓読する。最高の善を説いた老子の言葉だが、これは最強の心を説いた言葉でもある。
宮本武蔵も五輪書で「水を本として、心を水になす也」と言った。水はどんな器にも合わせて形を変える。そんな心を養えという意味だ。
柔軟に適応しすぐ平常心に戻る。その様子はグルーヴから説明することもできる。ハメ撮りの帝王こと村西とおるは、黒木香にほら貝を吹かせた。脇毛で有名なAV女優といえば若い人にも分かるだろう。
村西氏はセックスの快楽を演奏の乱れで表現したわけだ。どんな演奏にもグルーヴはある。人間は体感のリズムに同期することでリズミカルな運動ができるのである。
ところが快楽があるとうまく体感と同期できなくなり、演奏が乱れてしまう。そこをなんとかうまく演奏しようとするところにエロティシズムがある。
現代的に言えば「ローターつけてお散歩」だ。pixivの「平然」タグもこれに関係する。くやビク(悔しいけどビクンビクン)はもう古い。大和撫子は奥ゆかしく「平然プレイ」だ。
そしてこの快楽ゲージがあがっても平静を装う平然プレイにこそ、形状記憶メンタルの秘密がある。それはフリースタイルラップにしても同じことだ。
なぜラッパーはあのような無駄に攻撃的ともとれるラップバトルをするか?それは戦いのなかでも終止安定したリリックを紡ぎ、安定したライム(韻)を生み出し、
安定したフロウ(歌い方)を展開することを競っているわけである。そんな「動中に静あり」の文化を理解することなくただただ攻撃的なディスり合戦をやったところで何の意味もないのである。
前者は書く必要ないよね?ジョギングやらサイクリングやらで心拍計くっつけて走ってる。もちろんGPS付き。ちょっと昔は心拍取るのに胸バンドみたいな大げさな機器くっつけてダルさを覚悟しても種類に乏しく信頼おけない腕時計計測他はスルーされていたが、今は腕時計型に移っている時期。家の中でも、睡眠状態やら、体重計にログ乗っけたり、ともかく健康志向まっしぐら路線。
後者だけど、ネットワークカメラ大漁に捜査して、遠隔操作で自宅警備するグッズを購入するのが周囲で流行りまくってる。暗視機能・パン・ズーム一通り揃ってるのがおすすめ。もちろんこうした経験は自宅にも転用できて、年老いた両親用に玄関先の天井にぶら下げておく。生存確認に使う。子供監視は、格安スマホを突っ込む。380円、最安SIM とかで調べる。○コムとか携帯キャリアが呈示してくる見守りプランはそれより遥かに割高。
こちらのエントリ(http://anond.hatelabo.jp/20140607133805)を読んで、わたしが経験した少し不思議なことを思い出した。トラバするにも失礼なほど自分自身の話になってしまうので、最初に…元増田の心と身体の健康と、来るべき未来の家族の幸せをお祈りしています。珍しいことじゃないとか頭では分かっていても辛いものは辛いから、どうかご無理なさらずに。
オカルト注意というほどではないけれど、苦手な方はそっと戻るボタンで。
突然やってきて凄く驚いてそれ以上に喜んだ一ヶ月間。初めてのたまごクラブとか買ってきちゃって、なんだかマタニティマークを付けるのにも照れくささよりワクワクが勝っちゃって。「次回の検診で心拍を確認しますから、母子手帳貰ってきてくださいね」と言われ、喜び勇んで貰った母子手帳には、一ヶ月後「稽留流産」の文字が記載されただけだった。心拍が確認されなかったのだ。
あの時の気持ちを思い出そうとすると今でも息苦しくなる。何だかお腹がすーっとしてしまったような、不思議な喪失感。昨日まで一方的にだけどずっと側にいて話していた人がいなくなっちゃって、寂しくて悲しくて、手術の後随分経っても気がつくとはらはら泣いていたりした。
わたしも元増田と同じで水子供養はしなかった。水子にしてしまうと、何だかそれで終わってしまう気がしたから。短い間だけど、わたしを親にしてくれたあの子にまた来て欲しいと切望していた。
話は少し飛んでしまうが、流産から数ヶ月後に祖父が亡くなった。寝たきりにはなったけれど、頭はしっかりしていてわたしの妊娠をとても喜んでくれていた優しい祖父。そんな祖父を悲しませたくなくて、流産のことを言えずにいるうちに云ってしまったことが後悔のひとつであった。
その祖父の四十九日を迎える頃、ある夢を見た。
夢の中で、祖父は生き返っていた。何だ、やっぱりじいちゃん死んだなんて嘘だったんだ。抱きついて抱き締められて、温かく大きな手で何度も頭を撫でてもらった。じいちゃんもう死なないでよ、そばに居てよ? 祖父がニッコリ笑ってくれたのを覚えている。
場面はいきなり変わる。壁に一枚の絵が掛かっている。明るくて楽しそうに道の真ん中で踊る人々。その両脇を彩る鮮やかな木々の緑が目に飛び込んでくる。綺麗な絵…そう眺めていると、わたしの横をすっと駆け抜けてひとりの女の子が絵の中に入っていってしまった。「待って!だめだよ、そっちに行っちゃだめだよ!」わたしの声は女の子に届かないようで、絵の中の道を踊りながらどんどん進んで行ってしまう。「行かないで、そっちはダメなの!」何故か分からないけど必死に叫び続けるわたしの横には今度は祖父が立っていた。「いいんだよ、あっちにいっても。大丈夫だから心配しないで」祖父はまたニッコリ笑ってわたしにそう言った。
うわーん、と声をあげて泣きながら目が覚めたのはこの夜が初めてだった。幽霊は居るかもしれないし居ないかもしれない、そんな程度にしかオカルトは信じていない。でもこの夢だけは、祖父が自分があの世に行くときに一緒にあの子も連れて行ってくれたと、そしてそれを知らせにきてくれたのだと、だいぶ身勝手な解釈だけれど夢の中での祖父の手の温もりが素直にそう信じさせてくれた。
現在のわたしはというと、歯磨きを嫌がる二歳児との追いかけっこを毎晩繰り広げている母ちゃんになった。あの夢から半年がすぎて妊娠した子は、家ではヤダヤダばかりだけどお友達にはどうぞと玩具を譲れる(ようになってきた)、母ちゃん自慢のやんちゃで優しい女の子に育ってくれた。
この子があの子かもしれないし、違うかもしれない。あの子はまだあっちで再出発の準備をしているのかもしれない。水子供養しとけばもう少しはやくあっちに戻れたのかもしれない。ぐるぐる考えは巡るけれど答えはない。ただいつかこの子が大きくなったときに、居なくなったあの子と祖父と夢の話をしてみようと思う。
射撃やボウガンやダーツ、吹き矢等を想像した人はごめんなさい。
いわゆる人力で弓を引いて的に当てる、言うなれば弓系スポーツネタです。
弓系スポーツでは、数百人に一人くらいの割合で、必要な技術をあっという間に吸収する、まさに弓を引くために生まれてきたんじゃないかみたいな人に出くわす。
ではそのまま試合や審査でみるみる結果を残すのか・・・と思いきや、そうなる前にあっさりやめてしまう。
彼らに言わせれば
「弓なんて単純、というかグーッと伸びていってピッと離すだけの動作の、何が面白いのか理解できない。そんな簡単な動作に他の人が苦労しているのが信じられない。しかも苦労しているのに入れ込むのはもっと分からない」
確かに弓の引き方は、相手の出方による駆け引きも絡んでくる他のスポーツに比べたら、動作的には決まり切っている。
むしろどんな場所、どんな体勢からでも同じ動作をこなし的中させる技術と言っていい。
普通に立った状態、野山を駆けたりスキーで滑走した直後の心拍上がりまくり状態、競馬の追い込み並に疾走する馬を駆る状態、座った状態、伏せた状態、色々あるけど。
その核になる部分を苦もなく体得できてしまえば、あとは何もないと思うのも無理はない。
なので、そのまま行けば国体やオリンピックを目指せそうな、天才的人材が居着かないと。
もちろんこれは射法の先にある、弓を引くことの意義まで、うまく教えていくことが出来ていない、指導側の問題も大きいとは思う。
元来、弓は非常に強力な武器ではあったが、鉄砲が登場した数百年前に武器としての歴史は終わってしまった。
そこでスポーツとして再定義・再構築された弓をやることの意味は・・・という話に向き合っていくことになるんだけど、ちゃんと教えられてますか?みたいな。
結論を先に行っておく。結婚していて特に理由もないのに「子供はまだいいかな」と思っているなら今すぐ窓の外にコンドームを投げ捨てろ。今すぐだ。
結婚から4年。嫁は40も過ぎて、よく見る年齢別の妊娠率のグラフが地を這う年齢になってしまった。一通りの不妊治療にも国産乗用車を買えるくらい投資してもダメで、ほとんど諦めて養子か里子を育てようかと話していた矢先の妊娠だった。田舎だと夫婦の生きがいは子育て以外に見出しにくいんだよ。
40歳を過ぎると妊娠確率(この妊娠の確率も何を指しているのかよく分からない。性交一回当たりの確率なのかな)が数%に落ちるというのは最近良く言われるようになったが、流産の確率も50%近くになることも知ってほしい。嫁は2度、妊娠初期に流産した。妊娠はしたが心拍が確認できずに流産に至るパターンだ。
私にとっては「ああだめだった。次がんばろう」くらいだが、嫁にとってはかなり精神的ダメージが大きかった。医者に言わせれば流産は一定の確率で起こるもので外的要因によるものではないらしい。そんなものに原因を求めるのは本当はナンセンスだ。サイコロを振って1が出ることに原因を求めるのがナンセンスなように。
しかし嫁の場合は「何が悪かったのだろう。仕事をしていたことか。食べ物が悪かったのか」と思い悩んでしまった。そして鬱を患うようにまでなってしまった。
お腹の赤ちゃんは今のところ順調に育ってくれている。私にできることは、家事をすること、嫁をいたわること、仏壇に向かって無事の出産を祈ることくらいだ。できることはほとんどない。
このまま無事産まれてくれれば結果オーライだけど、そこに至る道のりは辛すぎるものだ。子供は早めに作った方がいい。できれば35歳までに。それ以降だと悲しい思い、苦しい思いをする確率が高くなる。
何回か一緒に遊んで、友人はその子を気に入ったらしいが、女の子の方はそうはならなかったようだ。まあそう上手くはいかないものだろう。
Aがダメ元でもう一回だけ誘ってみたいと言うので、いいんじゃないと話していたら、意外とOKの返事が来たので内心拍子抜けした。
自分がAをプッシュしすぎなのは自覚していたので仕方ないと思う反面、どうしてAに直接言わないのだと思った。
別に本人に言うのが嫌なら紹介した自分に言ってくれてもいいし、なぜBを経由する必要があるのか。
そもそも遊びの誘いを断らなかったというのも解せなかった。
Bが酔って、茶化すようにそんな話をしてきたのにも腹が立った。もし自分がAの立場だとしたら、こんな断られ方は納得できない―
まるで自分が振られているかのように思えた。しかも自分がどうすることもできない所で。
女の子が迷惑に思っているというのはその通りなのだろうと思ったので、AにはBから聞いたままに話を伝えた。
Aは物分かりが良いやつなので、仕方ないですよーむしろ申し訳ないと諦めていたが、自分は納得できなかった。
女の子もしくはBは、Aに配慮したつもりなのかもしれないが、一番傷つく断られ方だと思った。自分一人が怒っていた。
迷惑かけちゃってごめん、と謝られた。と同時に会うのも断られた。
今さら謝るぐらいならなぜあの時普通に断らなかったのか、とまたモヤモヤした気分になった。
しかし全ては自分がまいた種である。自分に怒る資格などがあるのだろうか。
妊娠しても周囲に言えない人の気持ちは当然解ってるよね?しったかさんw
なぜ言えないと思うの?
遠方里帰り等受診出来ない事情があるならともかくって、ヲイヲイ
あほ杉 遠方で里帰り出産する人の事情まで分かってらっしゃるとは・・・
普通は検査薬陽性になった時点で分娩扱ってる病院さっさと受診するのが常識だとか
ひーぃぃぃ笑いすぎでおなか痛いぃぃぃ
不妊治療してるのに、さっさと自分の判断で病院決めて勝手に受診するのが常識なんだーとか
あなたの国では♪
受診さえしておけば早目予約が出来たり、心拍確認遅れても予約させてくれたりするからな
えーえーえー?どこどこどこの病院なのぉぉぉ?もちろん日本でお願いしますわー??
7時に110番通報したのであれば現場到着は10分程度であろう。捕縛術を使える警察官なら、単純な動作で暴れている者の行動を制圧することは可能。また警察官はコミュニケーション能力も訓練されているから、熟練した警察官なら、誘導術により行動を抑制することもできる。事件現場にいた警察官は、捕縛術や誘導術が使えなかった可能性があるが、そうではないという可能性もある。使えたのに使わなかったという可能性、すなわち殺人=現場処刑の可能性だ。
女性は報道によれば「子供のオモチャを投げた」だけど「刃物は持っていなかった」のであるから、物理的な制圧は必要なかった可能性が高い。被害者の精神状態の詳細は定かでは無いが、育児ノイローゼで情緒失調をおこす人などめずらしくない。また、警察には民事不介入の原則があるから、事件性を確認できない段階で私生活の事柄に介入するべきではない。「夫婦喧嘩は犬も食わない」は警察官の行動原則のひとつだ。にもかかわらず後遺障害どころか死に至らしめるほどの“民事介入”を強行した。殺意が無ければできないことだ。
暴力的あるいは物理的制圧は、事態の重大さと必要性に比例して適用されるという比例の原則は、警察官職務執行法のもとで適用される。ゆえに、背中の上に乗って呼吸や血流を停止させ、心臓を停止させる行為が、警察官職務執行法で言うところの「真にやむをえないと認められる限度で、行動を抑止するための手段」であるとは法的に認められないし、緊急性もない。社会一般通念に照らしても、そのような殺害行為が必要でありかつ正当であるとは認められない。
犯人が被害者女性の背中に全体重を乗せて心肺圧迫で低酸素血症に陥らせたのだとすると、おそらく数秒から数十秒といった短時間で意識を失っただろう。意識を失って呼吸が停止した瞬間から、脳に酸素が届かなくなり、3‐5分以上の呼吸停止が続けば、自己心拍が再開して呼吸がはじまっても脳障害(蘇生後脳症)を生じる可能性がある。こうした基本的な医学知識は、教育訓練や研修などで警察官なら知っていたはずだ。また民事不介入やそれ原則といった警察権行使のルールについても、警察官は徹底した教育を受けているので知っていたはずだ。だから、事件を起こした警察官たちは警察権行使のルールを知らずにやってしまったとは考えにくい。警察権行使のルールを知っていてあえてやったと考えるのが自然だ。
呼吸を停止させたのは遅くとも7時20分頃であろう。報道では「7時55分頃女性が意識を失っているのに気付」いたと報じているが、報道が事実だとすれば、35分間という長時間、犯人は呼吸が止まった女性の背中に乗り続けていたことになる。背中に乗っていて呼吸が停止するのに気づかないというのはあまりにも不自然だ。制圧をしに来て、過剰制圧にならないよう気をつけるべき警察官が、呼吸が止まったことに35分も時間がかかったという言い訳はあまりにも不自然だ。だからこの事件は、過失傷害などではなく、故意の報告遅延、すなわち死んでもとにもどらないことを確認してから救急を呼んだ。これはまさに殺人行為、しかも集団による組織的な殺害行為であった可能性が高い。
いずれにせよ、背中に乗って呼吸を止める必要性は無い。背中に乗れば呼吸が止まる可能性があったことは警察官なら予見可能だったし、呼吸が止まったことにすぐに気づいて救急を呼び応急措置をとることも可能だった。しかしそれをあえてやらなかった。複数の警察官が死ぬのを35分間なにもせずじっと見守っていた。しかも単独ではなく複数でだ。背中に乗ったことも、呼吸をとめてそのまま35分間放置したことも、殺人行為に当たる。これは単なる過剰制圧ではない。単独犯の突発的な事故でもない。複数の警察官による組織的な犯行だ。
警察官には、自分は正義の体現者であり、いかなる暴力も使えるし、たとえその暴力で相手が死ぬことになってもそれは正義の実現であるという、思い上がった動機を持っていたのかもしれない。またそのような正義の暴力を警察組織は日常的に産み育てる環境をつくり、正義のための暴力、正義のための処刑という考え方を称揚し、評価する環境が日常的に存在した。犯人たちの組織的な正義の暴走は、警察組織の日常活動の中で繰り返されていいたのかもしれない。
今回はたまたま家族が殺人現場に立ち会っており、加害者の行為は言い逃れできない状態にあった。今回はたまたま大阪府警に報告され、たまたま司法解剖にまわされ、たまたま司法解剖で物的証拠が確保され、今回はたまたま大阪府警が送検して事態を公開した。しかし、堺署は当初「問題はない」としており、組織的に事件を握りつぶそうとしていた。堺署の言い分がとおっていたら、事件はヤミからヤミへ葬られていただろう。そうなっていた可能性もあったし、かつてそのようにして握りつぶされた事件が各地で発生していた可能性もある。
こうした殺人=正義を認める現場処刑OKな警察組織の暴走を防止するためには、警察組織の刷新を実行するとともに、警察官職務執行法そのものを非暴力的なものへと改変する必要がある。裁判所は警察の正義の暴走を止めることはできない。またこうした事件を二度と繰り返させないために、実行犯だけではなく、立ち会った警察官、警察官を指導していた監督者に対する法的制裁が必要である。警察組織の社会的な信頼を失わせた責任を警察トップが引責することも必要だろう。ひとりだけ過失傷害で起訴だけして執行猶予つきで刑務所にも入らずに警察に復職するなどという事態は絶対に避けなければならない。過失傷害ではなく殺人罪による起訴。そして殺人現場にいた同僚は、殺人の共同正犯として起訴。上司は背中に乗って制圧するという方法を教えていたのだから殺人予備教唆で起訴。社会的な不安を生起させた事件であるから実刑が望まれる。
静かな部屋にいると自分の拍動が聞こえてくる。一人酒をすると過去を思い出す。僕は今、静かな部屋で一人酒をしている。
小学校中学年の時にやってきた転校生は、華奢な女の子だった。普段はとっきつにくい真面目な表情、仏頂面な感じだけど人と喋る時には笑顔がこぼれる。運動神経もよくて、そのくせ読書も大好き。気がつけば学年の男子のほとんどが彼女のことを好きになっていた。
もちろん、僕もそのひとりだった。
運動もできないし、カッコ悪い僕には高嶺の花のような手の届かない存在だった。同じ班になっても互いに嫌いだと言い張り、隣にならないように席替えをやり直したりした。けれど妙なところで意見が一致することが多くて、互いの感性に関しては認めていた。
僕は男の子だから、女の子には負けたくない気持ちってのがあった、特に好きな女の子には。でも悲しいかな現実は、音痴で走るのが遅いし泳げない僕、走るのが速くて綺麗に泳げる彼女というコントラスト。ミトメタクナーイ~○~ 、そんな現実。
それを認める機会になったのは、高学年で習ったある保健体育の授業だった。単元の内容は脈拍と呼吸についてだったと思う。自分で心拍を測ってみることになり各自左手の脈を抑えて拍をとった。確か僕の脈拍は78くらい、彼女の脈拍が幾つだったのかは覚えてないのだけれど、クラスで一番遅かった、少なかった。同様に呼吸数も彼女は圧倒的に少なかった。
その時になって、彼女と僕とでは生きるリズムが違うんだなと何故か納得した。ハリネズミの心拍数、象の心拍数とかの話を聞かされたせいかも知れない。多分これが僕の初恋が終わった瞬間だと思う。
その後、男子校に進学し、女子と無縁の生活を送る中で思い出が美化、彼女が神格化され、僕自身が拗れていったのは初恋の蛇足、後の火祭り、別の話である。
今日この頃、彼女とのデートでは20センチの身長差に歩くスピードへの注意が必要だ。もう何年も付き合っているから自然と調整出来るんだけど、たまにズレてしまう。僕たちは別人なのだからリズムが、歩幅が違うのは当然だ。大人になった僕には青い果実の酸っぱさが懐かしい。
お昼を食べながら会社の上司(女性)と話して思ったことがあるので、初めて書いてみることにする。
私はついてない星の元に生まれたんだろうな、と思うことが山ほどある。
私の人生など、地球の誕生と比べたら、ほんの一瞬、閃光が放たれるか放たれないかの問題だと思うが、
それにしてもついてない星の元に生まれたんだな、と時折思う。
両親には一切恨みなどない。
じゃじゃ馬どころか相当な暴れ馬の反抗期を過ごしてしまい、本当に後悔しているし、
お金のない生活の中から4年間の大学費用を捻出してくれたことは感謝しているし、
失恋して大学の単位もスレスレに酒浸りのやさぐれた生活を過ごし、
ロクに就職活動もせず、茶髪のまま公務員試験を受けに行ったら思った通り落ちたのに、
就職活動らしきことをしただけで嬉しがっていた親に申し訳ないほどだ。
殴られて育ったけど、かといってそれがDVだとか家庭内暴力だとは、思わない。
大人になってから両親とは、小さいころとは違って楽しく過ごしている。
楽しくしている風に演じているのかもしれないが、実家に帰ることは苦痛ではないし、兄弟含め家族みんなで食卓を囲むことはやはり幸せなことだ。
バツイチ子蟻とわかっていれば、付き合うこともなかった。
時間差で知らされた私は、なんと愚かだったのか。
都会の男はずる賢い、とショックだった。
気持ちをそっくり持って行かれた後に聞いたとしても、それはもう後戻りできない状態。
私の場合は落ちるというよりも、「堕ちる」が合っている気がした。
それがどんな学校なのか、田舎出身の私には得られる情報源もないが、私立ということはそこそこお金がかかっているだろう。
彼は授業料は支払っていないが、子供が大人になるまで養育費代わりに住宅ローンの支払いをすることになっている。
言葉では言わないが、どうやら子供のことは可愛がっているようだ。
部屋に不釣り合いな大きなディズニーのぬいぐるみも、おそらく子供との思い出の品だろう。
時折予定を明らかにしないまま外出し、時間が経ってから子供に会ってきたと報告してくれる。
彼と関わりのあった人であり、遺伝子を受け継ぐ一個体ではあるにせよ、私は直接関係していないし、何か言える立場の人間ではないからだ。
彼が子供を大切に思う気持ちを、私は大切にしてあげたいと思っている。
私と彼は、一度別れた。
2年後の東日本大震災があって、距離がもう一度近づいた。
一度別れていることもあり、もう一度付き合おうとおもって近づいたわけではない。
そうこうしている間に数か月過ぎ、もう一度付き合おうと彼が言い、少し考えたがそれに従った。
3か月後、妊娠検査薬で陽性反応が出た。
中絶してほしいと言われると思っていたが、彼は結婚しようと言った。
産休や助成金について調べ、形だけでもいいから式をあげようと、情報を探し回った。
3週間後、子宮内除去施術を受けた。
稽留流産だった。
泣きわめいて生活していたが、手術後は諦めたのか自分では落ち着きを取り戻したと思っている。
でもこうしてテキストにしてみると悲しい。
どうして育ってくれなかったのだろう。
両家顔合わせは昨年中にしたが、その後の進捗は特にない。
ただのプロポーズならともかく、デキ婚未遂のような状態で結婚しようと言われ、だけど子供は流産してしまい、今はお腹に誰もいない。
正直、辛い。毎日悲しい。
愛があったら大丈夫!キャピッ!!とか言える若さも、勢いもない。
私は大切な友達に
と言うことにしている。
せめて友達がつらい思いをしている姿は見たくない。
自分を五体満足、入院も骨折も歯医者も言ったことがない健康体に育ててくれた両親を悪く言いたくない。
両親の育て方の問題でこんな私になったとは思いたくない。
(おそらくはそうだとは思っているが)自分のせいだとも、できれば思いたくない。
となると星回りが悪いと思う他ない。
学生時代に大好きだった彼にフラれたのも、上京してからバツイチ子蟻彼と2度付き合うことになったのも、そういう星回りなのだ。
運がない人がいるから、良い人が際立つ。たったそれだけの差だ。
誰彼不幸になればいいとは思わないし、お祝い事も心の底からお祝いしたい。
繫留流産といって、成長が止まったまま妊娠組織が体内に留まっている状態。
いま、待合室で手術を待っている。全身麻酔だって、ちょっとこわい。
なんだろう、もちろん望んで妊娠したし、どういう気持ちかと言われればもちろん悲しい。
とても悲しい。
けどなんか、わあっと泣き出す感じでもない。経験したことのないできごとで、気持ちの収まりがつかない。
初診から約1カ月、ずっと心拍が確認できなくて、断続的な出血があり切迫流産との診断。
先々週くらいからおそらく無理だろうと思ってたし先生にもそう言われていた。
初診後に出血があったとき、すぐに病院に来なかった。そんなものなのかなと思って。
でももしかしたらその段階から投薬治療を受けていれば違ったのかも。
もう、それ以降にどれだけ安静にしてても、意味なかったのかも。
でも、初期流産は15%くらいの可能性で起こり、
手術してその原因を突き止めようとすると数十万かかるというので
結局は分からないのだが、6-7割は”本体”、つまり胎児側の問題らしい。
10代の頃、家でごたごたあって、精神的に危機的な状況に陥った。
いまは家族とも和解したけど、あの暗い冷たい孤独な状態よりもしんどいのは
もう近しい人が亡くなることくらいだろうと思ってた。
今回のできごとが、あの頃よりもつらい、とは思わない。
でも軽いわけじゃない。
あ、いってくる。
手術終わった。いま、全然なんともない。なんともなくてマックで続き書いてる。
麻酔がかかっている間、幻覚を見ていてこわかった。そうなる人が多い種類の麻酔らしい。
なんかね、自分の体が足先からほどけて、すごい数の白色のLEDのパネルみたいな切片になって
それが一方向にウロコができるみたいに光速でどんどん重なって進む。ジェットコースターみたいに。
自分という存在ってなんだっけ、いまこの瞬間はどれが自分なんだっけ、
いますごい速さでうねって進んでる意識の集合体が自分なのかな、とか思ってた。
これは覚醒する直前だったのかな、こわい、とか、せんせい、とか、うわごとを言っていた気もする。
酩酊状態で四角い白いのと丸い月みたいのを裸眼で認めたのが15:15。
ぐわんぐわんとなりながら、処置室に入ってきた看護師さんに時間を訊ねたので。
そのあと、さっきのは幻覚だったんだ、と思った。自分はちりぢりになってもう元には戻らないと思ってた。
いちばんに現在時刻を知りたかったので、自分は現実につなぎとめられていると知りたいのだと感じた。
四角い白いのは明かり取りの天窓で、曇ってた。月は室内灯だった、消えてたけど。
”本体”はエコーで分かっていたとおり、推定7週くらいの大きさで成長を止めていて
このまま待っても仕方がなかった、ということだった。
この1カ月間って、いったいなんだったんだろう。
初診から今日の処置まで全部で10万円弱を費やして、三度のメシより好きなお酒をやめて、
仕事をなんとか調整して安静にし、遊びの予定もキャンセルした。
快楽主義の自分がそうやって、生存がわからない血のかたまりを抱えて、じーっとしていた期間が
なんだったのかなって、かきわけて、なにか手応えをつかみたい。ような気持ちがする。
流産したらそれは「お空に忘れ物をしちゃっただけ」「またすぐ戻ってくる」などと言われている。
「妊娠できるよ」と教えにきてくれたんだ、とか。
最初に読んだとき、そういう考え方もあるんだと、少し救われた気にもなった。
子、でもない。先生が言っていたように。そう強く感じるのは、自分が臆病だからなのか。
比較していけば、それよりも妊娠後期で残念な結果に終わるほうがつらいだろうし、
そのあとは、つまり子どもを亡くすことで、わたしの想像にとても及ばない。
それから、不妊治療の末にというわけでもないので、その結果の流産ともまた違うだろう。
書いていけば延長線上になってしまうけど、これらのケースと今回は比較にならない。
だからといって、まだまし、と思いたいわけじゃない。
発生学上、初期のfatal errorはどうしようもない。
自分のせいである可能性は拭えないけど、擬人化してごめんねと思うことにもあまり意味がない気がする。
冷たいのかな。
結婚しておよそ半年。年齢も若くないし、互いの両親も孫を待っている。
自分自身の仕事も、ぎりぎり、こうした状況でも対応できる体制を整えられるようになった。
高齢出産は当たり前になってるけど、30代の妊婦はやっぱり警戒するよ、と
初診時に先生に言われて自分の来た道を振り返ったりもしたけれども
過去を変えられるわけじゃないし、やり直したって20代は仕事に費やすのだろう。
親を待たせていることについて、しかし夫は
「子どもをもつのは『誰のために』っていうわけじゃないでしょ」と言った。
ほんと、そう。
強いて言えば、夫に父親の顔をもってみてほしいという気持ちはあるけれど
親はもとより自分たちのために子どもをもうけたいわけでもない。
主に仕事との両立について大きな不安はあるけど、それはおいといて
やっぱり、夫とわたしの子どもに会ってみたい。
ああ、会ってみたかった。ということなのかな。
今回はただ、実現しなかった。いつの時点で実現可能性が消えたのかわからないけど
じーっと抱えていたものを排出していま「実現しなかった」という結果がある。
なんにでも結果はやってくる。
さっき、手応えをつかみたいと書いたけど
希望が叶わなかった、という結果を手にした以上でも以下でもない、たぶん。
ひとことで言えばやっぱり悲しいわけで、これから家に帰ったらわあっと泣くのかもしれない。
この先も、そんなことあったっけ?と忘れることはないだろう。
それはそれで、それとして、
繰り返すのはこわいけど、次は会って一緒に生きられるといい。な。
夫は、別に子供が欲しいわけではない。どちらでもいいと言っている。
それは嘘でも思いやりでもなく、本当に、心底どちらでもいいらしい。
できたら楽しいと思うけど、夫婦二人でも楽しいし、僕はそれでいい。
君がどうしても欲しいなら不妊治療するのは構わないし協力するけど、
3回体外受精をして、3回目で着床したものの、8週、心拍確認後に流産。
ホルモン補充でうつっぽくなる体質らしく、1年間常に後ろ向きな精神状態。
正直、これを続けるのはかなり気が重いが、可能性がある以上、もう少し取り組まないと、後で後悔しそうだとは思う。
そんな状態でも仕事を続けていられるのは、私がフリーに近い仕事だから。
ペースを落としても、今のところ誰にも迷惑かけない。
もっと集中して取り組みたいことがある。
その間、精神的にも肉体的にも負担が重く、仕事はおろそかになっていいのか?
それとも、もう子供を持つことはあきらめて治療をやめ、仕事に集中するのか?
2人の子のはずだけど、夫の意思はどこにもないので、私が決めるしかない。
もし、彼が「子供が欲しい」とひとこと言ってくれれば、1年といわず2年でも3年でも頑張れるのに、と思う。
でも、そんなこと強制できないし、それは仕方がない。
自然に授かれば考える必要などなかったこの問いを、突きつけられている。
一人は自分そのもの、もう一人は自分がネットゲームで知り合って、オフ会とかであった人。
あ、付き合うってのは男女の交わりじゃなくて男同士が単に飲み会とかで騒いでる風なやつなので。
自分がもう一人の前から失踪したのは、単純に生活環境の変化で、その人と遊ぶ時間がとれなくなってしまったから。ネットゲームもあまりやらなくなったし、ゲームでの交流に使われるIRCチャットシステムにもログインしなくなったから、もう連絡手段はケータイくらいしかなかった。
自分はネットでの関係はそれとして置いておいたので、自分の身を晒していても、実名や住所がわからないならすっと消えられるものだと思っていたし、実際何回かケータイに電話がかかってきたけど、それもとるのが億劫なほど忙しくなってしまったので、自分は彼の前から失踪したことになっているのだろう。ただ、忙しかっただけで、別に人生が大変で嫌になるということではなかった。
その人はゲーム内で割と付き合いの広いほうで、オフ会にも割と良く行くようであった。それでまあ、飲み会とかで自分らの話をするわけだけど、彼は会うたびに人生として危機的な状況に置かれているということを自覚しつつも、なんとかやっていくという感じだった。
最後に会った後、彼は付き合っていた彼女と結婚したー、というところまでは覚えていた。その後は自分の失踪によりよくわからなくなっていた。
それから相当時がたって先月、久しぶりに昔のことを思い出して、彼のSNSプロフィールを見てみた。
プロフィールが悲痛なものに。さらに、かなり前から日記が止まっている。いなくなってしまった。
実際は、自分がそうであったように、ゲームをやらなくなったから、こっち方面の関係はリセットをかけているだけなのかもしれない。ただそうであっても、実際に会った人の連絡が無くなって、どうなっているかわからないということが、これだけ心拍を上げることがわかって驚いた。
ゆるい関係、実際にいろんな助けができるかわからない関係、ハンドルネームで呼び合う関係でもこれなのだから。これからの人生で、もっと強い関係になったひとがこうなったらどうなるんだろうか。自分は平常を保っていられるだろうか。
こういうのに似た話は自分の記憶に会って、題材として増田に投げ込むには陳腐だなとは思うんだけど、情動に任せてしまったのでご容赦を。
不妊治療の病院に通って、二人目の待望の妊娠に大喜びでした。しかし6週の頃に赤ちゃんの姿は見えたけど心拍が微妙です、と言われ、半分覚悟してたけど、半分は次の週には元気な心拍が確認できるんじゃないかと思ってました。でも7週になっても心拍は確認できず赤ちゃんも大きくなっておらず、8週になっても同じ状態で、もうダメだと思っても無駄につわりが続くのがしんどくて、ネットで流産の掻爬手術のことを調べたりして恐ろしかったです。流産前は流産の陣痛並みの痛さや大量出血、もしくは掻爬手術が怖くてたまりませんでした。
でも結果的に生理痛の範囲内の痛さと出血で自然に流れてしまいました。
赤ちゃんが意外にも思ったよりあっさり流れてしまったので、主人にも妊娠を伝えた両親にも「大丈夫だよ」と言ってました。事実身体は生理のような痛さとダルさ程度で元気でした。仕事も休まず行けました。
流れて3日目くらいにブログやってる友人の二人目妊娠をブログで知りました。ちょうど同じくらいの週数で正直かなり落ち込みました。順調に妊娠が継続している友人のことをまったく喜べませんでした。5日目くらいに別の友人から二人目出産の報告が来て、以前から妊娠は知ってたしさすがに出産となるとあまり自分とかぶることもなく素直に「おめでとう」と言えたしその3日後には病院に赤ちゃんを見に行きました。
新生児室のちいさな生まれたての赤ちゃんたちも心からかわいく思えました。ちょうど彼女の妹も来てて、妹も第二子妊娠中で小柄なので7ヶ月のお腹がだいぶ大きく見えました。病院にいたときは、ほんとにいやな気持ちはありませんでした。
でも、家に帰って、子どもをお昼寝させて、ひとりで夕ご飯の準備をしているときに急にお腹に宿った赤ちゃんがいなくなってしまったことの喪失感と悲しみが押し寄せて、いままで泣けなかった分の涙がはらはらはらはら止まらなくなりました。私も来年の春には赤ちゃんが生まれるはずだったのに、私も順調だったらあんなふうにお腹が大きくなるはずだったのに、エコーにうつった赤ちゃんは小さかったけれど確実に姿が見えたのに、感傷的になっても仕方ないと分かっているのに、ひとりになって、ようやく実感とともに涙が出ました。神様、赤ちゃんを返して。
流産した人たちは「赤ちゃんは忘れ物を取りに行ったんだと思います。それでまた私のお腹に帰って来るんだよね」という言い方をしますが、いまになってようやく共感します。そう思うことで少しだけ救われる気がします。流産の確率は6-7回の妊娠に対して1回(化学流産含め)、よくあることなんだと知っていたけどよもや私が流産するとは思わなかったというのが本音。
子どもがいるので休日は公園に行ったりするけど、公園はたいてい80%子連れのうえに妊婦率が高いのでしばらく行く気分になれません。妊婦さんを目にするとやはりまだ辛いです。心が狭いのは承知で妊婦友達とはしばらくこちらから連絡することはしません。ママ友とはもともと第一子つながりの人が多いのでこのまま縁が切れても構わないといまは思います。
時間が過ぎて、早く立ち直れますように。