はてなキーワード: 個人商店とは
絶賛劇場公開中の楽園追放を観てきたので感じたことを列記したい。
ネタバレを含むので注意。
映画館の環境で観るべき作品なので、BDレンタルを待ってる人は迷わず足を運ぶべきだ。
DVDで見ようと思ってる人は機会損失となることを予言する。今すぐ考え直せ。
「楽園追放-Expelled from Paradise-」
からだにぴったりと纏わり付くスーツ(というかタイツ)は、およそ進歩的な人類を服装で表現する時にありがちな手法だ。観始めたとき、スタッフがスター・トレックの呪縛から逃れていないのではと思った。おそらくそれはあくまで地球残市民との対比をわかりやすく表現することと、特定の市場を意識した結果だろう。緑色の装飾品の意味はアンテナ?それとも光合成するとか?これは最後まで分からなかった。
16歳といえば日本では法的に婚姻できる歳。アンジェラは「他の捜査官を出し抜きたかった」といって物理的な身体の生成時間を早め、16歳の少女の身体を持ち地球に降り立つ。降り立つ時は子宮をメタファーとした卑猥なディティールで表現された。ディーヴァでは人類が考えうる精神的探求を経験したアンジェラだが、地球で生身の人類と出会い、「大人」になるためには、最低限16歳となり、生まれる必要があったのだ。映画の最後のシーンでは、地球で、フロンティアセッターを旅立たせることに意味を見出し、身体的な異性と接触する。ディンゴに抱かれた時アンジェラが顔を赤らめたのには意味がある。
日々進歩するテクノロジーニュースに賑わう私たちの世界にとって、理解しやすい範囲で、そして400年後には思想的に陳腐化していることを心配したくなるテクノロジーが使われている。しかしこの映画にとってはテクノロジーそれ自体は主題ではなく、グレッグイーガンのようについていけないぐらいの言語環境を構築する必要もない。この映画が語りたい言葉は、観客側の現実世界の、テクノロジーに溢れた社会での人間性を表現することにあるのだから。
映画の冒頭部分でアンジェラがディーヴァで公安捜査を行っているとき、突如ハッキングしてきたフロンティアセッターの犯行からアクセス元(!)を割り出し、回線(!)の中で捕まえようとアンジェラが文字通り電気信号となり、何故か金平糖のようになったフロンティアセッターと光速のアクションシーンを巻き起こす。映画館の音響環境で見たときは疑いようもなくゲームの「REZ」だと思ったし、エレクトロミュージックは最高にシビれた。
私はロボットが出てくるアニメを観るたびに「何故その形状なのか」に意識がいきがちとなってしまう。今回も、何故人型で銃型の武器やわざわざ剣や盾を使って戦わないとならないのか、または運転席でバイクに跨らないとならないのか、最後まで理解できなかった。宇宙スケールでの戦闘を表現するために「ロボット」という記号を使わないこと以外に方法がないのだろう。
地球に残された人類は、400年も経っているというのにナノハザードから時間が経過していないかのような荒廃した世界に住んでいる。廃墟都市のイージーなイメージであるアジアンな看板と雑多な路地そして個人商店。ディンゴはゆきずりの傭兵であり、西部劇のようなアンジェラとの出会いはディンゴのキャラクターをよく表していた。
劇中では骨、つまり身体で感じる音楽というものについて、電脳世界にのみ生きてきたアンジェラが首を傾げる。これは物語のテーマを象徴するデータと身体性の対比についての比喩である。
なぜ400年もの間、リソースについて有限ではあるが最高権限を持つディーヴァ首脳陣がおよそ意味を見い出せるとも思えない自治を続けているのか。同じバージョンのシムシティを数百年繰り返して飽きない自信は私にはない。進歩を繰り返した結果がジョージ・オーウェル的なディストピア?まぁ所詮は故郷を捨てて自分達の世界に引きこもろうとする人間達だったのだから仕方ないとも言える。
押井守のスカイ・クロラよろしく、キャラ立ちした少女たちが金太郎飴のように、アンジェラと同じく露出の高いスーツでバイクに跨り戦闘が行われる。この戦闘ではアンジェラはフロンティアセッターの演算能力を使い、ディーヴァ側の捜査員達より一歩秀でた戦闘能力を発揮する。お互いの戦闘方法に進歩した戦術といえるものが見い出しずらいが、そもそも進歩した人間が未だ殺し合いで解決しようと考えるのは400年後にとって果たして合理的であるのか。余談だがバイクとロボットが男性の象徴であるとするのは考えすぎだろうか。
ディーヴァとの戦闘が終わり、ディンゴによって人間と承認されたフロンティアセッターが宇宙へと旅立つ。と、この見送ろうというシーンで初めてアンジェラのブーツの固い足音が私の耳に障った。まるでこれから地球に足をつけて暮らそうと言っているかのような耳障りな音。このシーンの後、靴を脱ぐシーンがあるかと思ったが、それは野暮というものだろう。
以上、観た勢いで思ったことを綴ってみた。
都合がつけば来週にも、もう1度は劇場で観たいと思っている。
自分はチェーン店より個人商店の方を応援したいので値段が多少高くても個人商店を利用するようにしていた。
今回はクリーニング屋さんの話。
先日布団をクリーニングに出して出来上がりの日付から1週間過ぎ位に引き取りにいった。
というか手もつけていなかった。
理由を聞くと一つだけでクリーニング機にかけると効率が悪いからとの事。
知らねーよ。
と文句を言ってもしょうがないのでいつ出来るか聞いてみたら2,3日あれば出来ると。
昔はそれで良かったかもしれない。
でもこの時代ではやっていけないだろ。
そりゃ一定の品質を安定して安価で提供する所に顧客流出するわ。
あんたらの営業努力不足だよ。
高くても品質が良ければ利用する層なんて沢山いる。
それを昔からの利権にあぐらをかいてふんぞり返ってたのはお前ら個人商店の方だ。
誰かのせいにする前にもっとやれるべき事はあっただろ。
少し自分の胸に手を当てて考えて欲しい。
え?散々あったじゃん。もともとAmazonの方が弱くて逆転されただけでしょ。
むしろ個人商店がある場合はAmazon/楽天で調べて個人商店があるなら個人商店で買ってもいいよ。
セキュリティーが心配だけど、結構 個人商店級でも買うことがある。
大手企業だったら自社サイトと楽天サイト両方持っている所も多くてどちらも変わらない
Amazonも楽天も、楽天は精々メルマガ解除が面倒くさいくらいで大して変わらんよ
さっきから必死でAmazon持ち上げて楽天disってる増田が分からんわ
どちらも一長一短で使い分けだよ、Amazonみたいに全部送料無料&配送早くて楽天並みの品揃えのサイトあったら最強だけど、無理だろ
そういうふうに文脈と独立した基準を求めちゃうとわからなくなる。バランスの問題なんだよ。
たとえば今の米国で、個人がやってて地元の常連さんがほとんどの田舎の店で、「俺は昔日本人にひどい目に合わされたから日本人お断りでぇ」というのは、それ単独ではさほど大きな問題じゃない。もちろん拒否された日本人客がそれを非難するのも自由だけど、そこのレストランが嫌なら行かなけりゃいいだけだし、感情的な問題は個人間で解決してくれってことになる。
ところが、社会的に反日感情が高まってる状況だとどうだろう。日本人お断りポリシーはその店の話だけに止まらず、反日感情を後押しして、結果的に日本人がそのレストランからだけでなく、他の所でも拒否される「社会的な不利益」を受ける可能性がますます高くなる。そうなると差別問題だ。注意して欲しいのは、「差別を解消する」という目標はあくまで社会的な状況を改善することにあって、そのレストランを攻撃することが目的ではないこと。声をあげて「そういうことはまずいんだ」という合意を形成することで、他の店が倣うのを防ぎ、社会的な状況を改善できる。
個人商店より大きなチェーン店での差別的行為がより大きな問題とされるのも、社会的影響の大きさから。
ちょっと前に車椅子来店を拒否して炎上したレストランがあったでしょ。あれも、「レストランはどんなコストを払っても車椅子を受け入れなければならないのか」なんて議論にしちゃうと解決しない。「今、車椅子では行動しにくい街になっている」って社会的不利益があって、それを全体的に改善してゆくのが目標で、逆行するような行為があれば「そりゃまずいんじゃないの」と声を上げてバランスを動かそうとする。その解消のためにひとつのレストランの負担が大きすぎるなら、それは社会的制度の問題だから、そんじゃ負担をもっとうまく分散させるにはどうしらたいいかを議論しようや、ってことになる。そうやって落としどころを少しづつ探って行くプロセスが差別問題への取り組みなんで、これをしたら悪、これはok、というような規則を決めてゆくことじゃない。
コンビニに求められるサービスは地域や時間、周囲の環境なんかによってもまったく違う。
この人は大都市のビジネス街のお昼休み、くらいなイメージがすべてのコンビニに共通な求められるべきサービスと思ってるんだろうけど、全然違うよ。
田舎じゃ、個人商店もスーパーもないけど、国道沿いにコンビニはある、ってとこもある。
電車の駅なんて車で20分行った先ですよ、みたいなエリアとか、高級住宅地のそばとかもある。
そのすべてで、スピードが最優先されるべきと考えているのは浅はかだわ。
中には、ちょうどよく袋に商品がおさまるように試行錯誤したあげく、もう少し大きめの袋にかえて詰めなおしたりするコンビニもある。
雑誌は袋わけますか? とかすら聞いてくれず、最初から雑誌の袋をわけてしまうところもある。
高級住宅地のおだやかなマダムもコンビニくらいいくし、そういうところはそれが嬉しいんだろう。
だから、サービスは店舗によってわけるべき、といえるかもしれん。
東京のオフィス街では、700円でくじサービス、ってのは深夜限定にするとかな。
そういうのがいいかもしらん。
ちなみに俺は大都市からド田舎に引っ越したが、たかだか雑誌と飲み物かっただけで、袋ふたつ持たされるのがたまらなく嫌なので、
都会なら聞いてくれてた。
このド田舎では、それがさも当然のサービスだ、みたいな感じで袋2つ持たせおる。
まあ、ここの住人達は、それが嬉しいんだろう、きっと。
ちなみに俺は、くじあたるとうれしいです。
くじはやってくれ。
ま、ローソン派なんですけどね。
普通の人が、昔ながらの小さな個人商店(お花屋、雑貨屋、ケーキ屋、など)を開いて、のんびり仕事をする事が出来ない。
普通の人がどんどん貧乏になるから、そうした個人店で物を購入する事ができなくて、大量生産格安の大型店でしか物を買えなくなる。
で、大型店の経営陣に巨万の富が一極集中する。この悪循環をどこかで止めないと世界は崩壊すると思う。
言いたいことは分かるが、タイトルに「幸せ」とかいう曖昧な言葉を使うから、本来言いたいこととは関係ない批判がいっぱい飛んできているように思える。こういう議論をするとき「幸せ」とか言うワードを使ってはいけない。
幸せかどうかはともかく、個人商店が成り立たなくなって、amazonとかイオンとかに一極集中、寡占状態が進みつつあるのは事実。そして、これが長期的に世界の崩壊を招く可能性があるというのも、決してありえない予想ではない。
オートメーションとITによって仕事がなくなり、失業者が溢れる社会は、急にはやってこなかったが、確実に進行している。たとえば、普通の会社でネットビジネスをやっても、amazonが扱うような商品を扱っている限り、コスト面でamazonに太刀打ちできない。これは、「ソフトウェアはコピーのコストが低い」というものすごく基本的な事実に由来している。ビジネスの多くがIT化されると、規模が力となり、弱小勢力は淘汰されるようになる。イオンがITを使って経営を物流を効率化している傍ら、中小スーパーはそれよりも何世代か前のシステムで効率の低い経営をせざるをえない。
こうした中、寡占が進み、人々の「労働」が大きな変化を強いられるのは間違いないだろう。新石器革命や、産業革命を誰も止めることができなかったと同じように、この流れはもはや誰も止めることができない。こうした流れが、新しい形態の経済への緩やかな移行を意味するのか、劇的な世界の崩壊を意味するのかは誰にも分からないが。
なんの才覚もない人間は、他人に使われるだけ。個人商店を経営できてる人間に、なんの才覚もないわけがない。
すでにいくつかつっこみ入ってるけど、それほんとに普通かどうか確認した?
例えばこういうデータがあるhttp://www.tsr-net.co.jp/news/status/transition/
高度経済成長期でも結構倒産してるでしょ。バブルのころの倒産件数すごいでしょ?なんでこんなことになるかっていうと、たくさんの人が商売はじめたからなんだよね。たくさんの人がはじめて、たくさんの人が失敗する。
個人商店なんて昔からすぐつぶれるか、初代ががんばって2代目がつぶす(もしくは整理する)みたいなパターンばかりなんだよ(平均存続年数30年くらい)。
のんびりやってるように見えて土地担保に銀行から結構金借りてて返せなくなったら店畳めばいい程度にやってたり。
昔と今の大きな違いは店つぶしても再チャレンジしやすかったこと。
例えば私の身近にはあの高度成長期に3度店を潰した家族がいる。4度目の商売でやっとうまくいったんだけど今つぶれてまた再起できるかって言うと大変難しそう。
ちょっとトレンドに乗った感じの記事、というかこの記事、http://anond.hatelabo.jp/20140321060847に便乗した釣りなんだが、
数年前まで就活やってて思ったこととか、成長ベンチャーに対する感想とかを書かせていただく。
学歴的には早慶。やりたい仕事がいまいち見つからなかったため、
大企業ばかりうけず、あまり成長ベンチャー的な会社も幅広く受けてきたつもりだ。
で、結局非常に保守的な業界に入って、今はのらりくらりとやっている。
成長ベンチャーのCTOとかとはほとんど交わらない世界にいる。
人事はうちの部の隣で、若いということでたまにアドバイスを求められる程度。
それを前提に聞いてくれ。
成長ベンチャーの印象は、とにかく上から目線だ。もちろん全部ではなかったが、まず採用担当は若い奴が多い。
入社3年~5年くらいで新卒採用を担当するくらいだから、社内での評判はいいのだろう。
また今考えたら事務的なミスなど不手際が多かったのももう一つの印象だ。
社内には新卒採用のノウハウがゼロだから、自分で作り上げていくしかないのだろう。
それでいて、成長ベンチャーには社員教育にかけられるコストがないから、
社会人として基本的なマナーや書類の精査スキルが身につかないままやらされているからだろう。
ただし、担当者も「頑張ってる自分かっこいい」という自己心酔が出来ているのでwinwinか。
他にも受けた企業で上から目線だと思ったのは、青色メガバンクや二文字の広告代理店などあるが、
そういった態度で接してくる社員の多くは、40代まで本体に残った幹部社員で、実績に裏打ちされた
若い社員とも接したが、成長ベンチャーのような「君の合否は俺が握ってるよ」的な中二的なものではなかった。
少なからず居たのが「俺の実績、志望動機」を説明会でたらたらと語り始めるお方。
「大手を蹴ってベンチャーにきた」とか「独立すると宣言して面接に望んだ」とか。
その時は、ふむふむと思っていたのですが、今考えればまともな会社の人は
聞かれても居ないのに、プチ自慢大会をはじめる人はいなかった。
ベンチャーは会社の看板が弱いから、そういう個人としてのアピールをしていく必要があるのかなと
思ったけど、今考えたらその自慢があまりにも低レベルで、やっぱベンチャーってこういう人の集まりなのね、
って思い返しているw
そういえば、うちに研修の営業に来たベンチャーがいて、そのプレゼンに立ち会ったのだが、
とか「成長させることには自信がある」とか面接でであった成長ベンチャーくんとまんま同じで吹いたw
もちろん丁重にお断りしたが、こういうところで中途半端な自信ついたら不幸だなと思った。
会社の評判も「うさんくさい会社」、個人の評判も「おかしな人」になっちゃう。
ここは同意。
なぜなら、ベンチャーは大手にいけなかった落ちこぼれがいくところをいう認識だから。
俺は早慶法学部だから、書類は簡単に通過したが、軸が定まっていなかったから、面接で苦戦して
なかなか内定が出ず、就活には苦労した身だ。まあ、それでも恵まれていた方だとは思うが。
なぜなら、残業代もまともに出ず、まともなトレーニングを受けないままキャッチセールスのような
そんな会社に入るのなら、もう一年やった方がいいとさえ思った。
そして、周りを見渡してもベンチャーに行った奴にまともな学生はおらず、
カンニングで留年になった先輩、誰とも話さないキモオタ童貞、自慢が大好きなビジコンくん
結論として、そんなことはないと思いますw
自分自身で培った力より、たいていの場合は応募条件に記載された年齢が優先されます。
・部下を持たない社員なら未経験なら35歳まで、できれば20代。
20年後会社がつぶれたとして、40代だと課長~部長クラスの転職ポストがメインとなります。
となれば、評価されるのは自分自身で培った力というか上司として部下をまとめる経験です。
面接でのしゃべくりで逆転できるのはせいぜい20代、1回目の転職までです。
「何をしてきたか」は同じ業界では聞くまでもなく知れ渡っていてごまかせません。
「成長ベンチャーでトップセールスマンでした、でも会社はつぶれました」より
「大企業で課長をやっていました。●●の案件はうちのチームでやりました、でも会社はつぶれました」
聞いたこともないベンチャーでバリバリやってたという方より、誰でも知っている会社の課長のほうが信用されるのです。
部下を持たない社員として応募するなら、若い20代や30代前半の方々と競合することになります
その場合、どれだけ力を持っていても、若い応募者を企業は選びます。
給料が安くて、化ける可能性が少しでも高いほうが魅力的な投資対象なのです。
元記事の方が、どのような人材会社の方なのでご存知だと思うのですが。。。
また、ベンチャーの方が大企業に転職できたって言うのも、20代を除いてあまり聞きません。
ていうか、それやるなら最初から大企業入ればいいじゃんって話でしょw
ベンチャーからベンチャーに移りやすいという点では、確かに元記事の方がおっしゃるとおり。
けどそんなことして意味あるの?w あえて茨の道をいく自分がかっこいいとか? 年取ったら後悔しますよw
とにかく強い社会人になれば全て解決するという昭和的な発想をひけらかすのは罪。
大企業に居たらルールや規制を知りすぎてしまいとても起業なんて出来なくなる。
もちろん、不安定が怖くなる。
起業の初期では必要ないかもしれないが、大きくしていこうと思ったら必ずぶち当たる。
IPOを目指しながら、大企業はくそだ何にも身につかない、というのは矛盾してると思う。
小さな個人商店でいたいんだ!って方は、資格業を目指したほうがいいと思う。
就活生は内定が欲しいからあなたと会っているし、社員に会いたいと思ってもいない媚を売り続けているのです。
あなたと道端ですれ違っていたら、ただのオッサンです。就活生は一つでも内定をとって安心したいだけで、
別に何かを学びたいからあっているわけではありません。副次的に何か学ぶことがあるかもしれませんが、
それは人と会うという行為に遍く存在するものです。別に路上でホームレスと話していても学ぶことはあるはずです。
たぶん一つくらい。。。
第一義に考えるということは、冒頭で紹介した痛い採用担当くんと同じ思考回路なのではないでしょうか。
バイトして、授業にたまにいって、ふらふら遊んでただけなんだから。
それが彼らの全世界であり、パワハラや有無を言わさぬ業務命令を受け続けた社会人からしたら
赤ちゃんと同じなのです。そもそも学びを期待すること自体が、間違いなのです。
ただ個人的には若い人と話すのは、まっさらな発想・疑問や自分の過去を振り返る機会が得られるので、
とても勉強になると思っている。何よりオッサンばっかりの会社にはない活気をもらえる。
これは元記事とは関係ないが、今にして思うのが
どんだけ頭が良くて、努力家で勉強家であっても最初は必ず苦戦するし、
仕事を処理しているのを見て、かっこいいと思ってしまうのが新入社員です。
(まあ半年もすれば実際にやっている仕事のしょーもなさを知ってその評価は撤回されるのだが)
そういう意味でいきなり起業して生き馬の目を抜くごとく売上あげちゃう人は天才だと思うし、
ベンチャーにいきなり入ってうまく行っている方も天才だと思います。
ただ、ビジネスというものは武士がチョンマゲをこしらえ、騎士が紋章を崇めるごとく、
武士道や騎士道が重んじられる世界です。そういった積み重ねが信用となり、円滑な経済活動を許しているのです。
名刺交換が出来なかったり、メールの「お世話になっています」が書けない時点で、
就活生時代は全く気にも留めなかったのですが、今思えばそういう部分の軽視が
就活を苦戦させた一因なのかもしれません。。。菣
合コンで、めんどくさい女に出会ってしまったときのあの後味の悪さに似てる。
知名度のない会社(業界のなかで名前を聴くことがほとんどない)
企業としての利益を得たいがために、すぐに仕事を引っ張ってこれそうな人を
採用したがっている。面接で、いくらくだい仕事を持ってこれそうですか?って。
でもね。
仮に結構な額を持ってこれそうだったとしてよ。仮にその人のお給料分の利益を
十分に担えるくらいの仕事を引っ張ってこれる、そんな実力があったとしてよ。
なんで、そんな知名度のない会社に入らなきゃならんのさ?
しかも、そんな個人商店の集まりみたいな会社、だれがロイヤリティを感じるの?
だれがその会社のために尽くしたり育てたりするのだろうか?
会社は特に何もソリューションを与えてもくれないんだよね。そういう会社は。