はてなキーワード: ラーメン店とは
元増田とは関係ないけど、関係ないはてブといえばid:cider_kondoさん
id:cider_kondo どうせ洋画だろうと思ったら洋画だった。あんま関係ないけど暴力団用語で「実子」っていうと一子分(実子分。今風の用語で言うところの若頭とか舎弟頭)と紛らわしいんだよね
id:cider_kondo 関係ないけどガールズユニオンが2周年を迎えた(これ自体、開始直後から考えたら驚天動地の出来事)けど、昨日のメンテ画面が面白かった。こういうの。https://twitter.com/ini_crois3t/status/758548599915552768/photo/1 (本当に関係ない
id:cider_kondo 関係ないけど(嘘)7月1日付更新で「選挙戦真っ最中のこの時期に、このていどのネタでこのタイトルはやっぱりやり過ぎだ」と週刊文春を批判した花田氏が今日発売号にどう反応するか、今から気になっている
id:cider_kondo 思ったことid:yorunosukeさんが書いてた。関係ないけどゾノきゅんの成長(というか適応?)があまりにも気になる。正直、スピンオフをNEXTあたりに連載して欲しいレベル
id:cider_kondo id:yas-mal<そういう名前の川ですね。https://goo.gl/maps/XYoJ1aGkFS22 インテルのオレゴン工場から車で30分ぐらいですよ(本当(いやそれ関係あるのか?
id:cider_kondo 関係ないけど替え玉100円のラーメン店があったのが、食い盛りの我らが来店しまくった結果、替え玉150円に値上げになったな(本当に関係ない
id:cider_kondo 関係ないけどヴィルヘルム1世は63歳でプロイセン王に即位し、3歳年下のモルトケ参謀総長、6歳年下のローン陸軍大臣、18歳年下のビスマルク首相ともにドイツ統一の大業に挑み、10年後に見事皇帝として戴冠したんだよな。
id:cider_kondo ガラスの靴なら素足に履いても許される気がするけど、革靴を素足に履いたら臭くなるような気がするので都知事選の結果は気になる(関係ない
id:cider_kondo 「論語をdisる」に空目して「いや孔丘先生は実行者としても相当なものですが」とか反射的に考えてしまった(関係ない
id:cider_kondo それ言ったらテイルズのかやのんは多少ほわほわしてるなと思ったら1話にして親しい部下・派遣した学者・出合った村人がいきなり全滅だからな(関係ない
思ってたより多くなかった…(上記七月のブクマより)
っていうか9割のブコメが関係ない話だし、元記事と関係ないブコメだからって誰も気にしてないのに、わざわざ「関係ないけど」って断っちゃうあたり人が良いんだろうなと思った
もしくはマウントを恐れすぎ
通勤で使ってる20代独身一人暮らしの俺が思う、橋本駅が微妙な理由。
町の歴史が浅いせいだと思うのだけど、同規模の東京郊外の町、例えば八王子、町田、立川と比べると深みがないんだよ。
失礼な言い方かもしれないが、「文化レベルの低い量産型ターミナル駅」って感じで無個性というか。
・新宿、横浜に電車一本で行けるが所要時間は40分。自宅から駅への移動と、新宿横浜の混雑を考えると1時間は見ておかないといけない。
武蔵小杉のように30分であちこち行けるのとは利便性の次元が違う。低い意味で。
・飲食店は多数あるが、チェーン店だらけ。一人で飲めるようなバーや、地域に根差した地元の居酒屋はあまりない。
相模原駅前のようにラーメン店が充実してたりとか言うわけでもなく、食べ歩き的な楽しみは期待できない。
・コジマ×ビックカメラは徒歩20分近くかかり、品ぞろえ悪い。八王子や町田、立川のヨドバシ、ビックくらいの商品がないと欲しい物が売ってなくて通販使うことになる。
・イオン橋本、ミウイ橋本、アリオ橋本と買い物するところは多いが、ちょっと気の利いたものを買おうと思うと新宿に出たり通販が必要。
大坂新世界署は1日、経営する飲食店の店員にコークを押しつけるなどし、けがをさせたとして傷害の疑いで、大坂市通天閣区にあるラーメン店「維新(ゐしん)」の店長・足下凍容疑者(34)を逮捕した。容疑を認めているという。
逮捕容疑は11月9日、仕事中に店内でよく凍らせたコケ・コーラ社製のコークを20代の男性店員の左腕に押し当てたり、太ももに置いたりした上、翌10日には綿製の棒で両耳を触り、心に傷を負わせた疑い。
同署によると、足下容疑者が凶器として使用したのはコケ・コーラと呼ばれる炭酸飲料でペットボトルに入っており、容量1.5リットル。綿の棒は「綿棒」で、長さ8センチ、太さ4ミリ。男性店員は「『耳がつまってそうな顔をしている』などと因縁をつけられた」と説明、同署に被害届を出していた。店員はすでに店を辞めたという。
同店は、バリウムの入ったメニューが人気の行列ができる有名店。
参考
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151201-00000118-sph-soci
先日、ラーメン店に入ってふと気づいた。ラーメンで感動したことが無いことに。
ふらっと入っていっぱい食べてさっと出る。その敷居の低さゆえついついラーメンを食べてしまうのだけど、未だに感動を覚えるラーメンに出会ったことがないのだ。
それには、余りにも低い参入障壁が関係しているのではないかと思った。
昔から食べられてきた日本のファーストフードと言えば、鮨に天ぷら蕎麦なのだけど、これらは修行期間が長い。
30歳やそこらではまだまだ若手という印象がある。
それに対して、ラーメン店で10代からきっちり修行をして40代で店を持つ人なんてのは殆どいないのでは無いだろうか。
むかしTOKIOのガチンコという番組の企画で、冴えないラーメン屋がその道のプロに指導を受けて一人前になるというものがあった。
精々1年程度でどれほど味が変わるのだろうか。
人の味覚というのは、うまいものを食べることでその味を覚えていくのだと思う。
一流店で修行をするということは、料理のイロハだけでなく、まかないなどを通して一流の味を覚えていくという事なのだと思う。
そこで、ラーメン店に入って、そこの主人を見て、自分より美味いものを時間と金を掛けて食ってると、こいつは強者だと思うことがあるだろうか。
修行期間が無くとも、意欲があれば積極的に美味いものを食べようとするだろうが、美食家の匂いがラーメン屋からは感じないのだ。
ここまで書いたのは全てn=1の主観と偏見なのだけど、満足度と修行期間というのはおおかた相関があるのではないだろうか。
何かと思えばニュースになってたんやね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151004-00000022-sph-soci
分裂が決定的となったのは、山岸氏の告別式が執り行われた4月8日だった。田内川氏らによると、焼香を終えると、雨が降る中、葬儀が終わるまで外で待たされ、火葬場の場所も知らされなかったという。「せめてマスターと最後のお別れがしたい」と火葬場を探し、たどり着いたが「身内だけしか入れない」と、古参を含め約20人の弟子は門前払いを受けた。
飯野氏は味が素晴らしいのかもしれないが、人格が最低ってことでおk?
一方、山岸さんの下で修業した後、「のれん会」には所属せず、現在、人気ラーメン店を営む男性店主は「うわさは聞いていたけど、自分には関係ないこと。『あっ、そうですか』という感じ」と冷ややかな反応。「(旧本店で)マスターが、鍋の前に立たなくなった2002年ごろから大勝軒は終わっていると思う」と話した。
うちもだよー。洗濯だけ自分でいつもやってるとことかだいたい全部同じ。
でもそういういい面をみせられるの元彼女たる嫁さんの前だけなんだとおもうよ。
あとこっちも「えっそんな感謝されるようなたいしたことしてないのに」
っていうことをたぶん細々とやってあげてるのを自分で忘れてるんだよ。
客観的にも、嫁が居るというだけでファミレスにいきやすかったり
(男一人ではちょっと敷居が高くて入れない。女性にとっての牛丼店やラーメン店のように)、
結婚しろっていわれなかったり社会的な体面がたったりするもんだよ。
つまり居るだけでイイ組み合わせになってるなら、そのままでいいんじゃない。
あとそれ他で言うとすごいノロケになるよ。
★先日、前から気になってた東池袋「メゾン青樹・RoyalAnnex」の外観見た。
そこの2階に「都電テーブル」という「いかにもイシキタカイ系のオーガニックな定食屋」があった。
男性一人だけだと気恥ずかしくて入れない雰囲気だが、たまたま女性同僚もいたので入った。
2階の店内に入ると、予想通りの店内レイアウト。配管は「わざと」剥き出しで、テーブルも椅子も木製。
BGMはジャズで、あちこちに店のコンセプトの案内とか、街づくりの書籍とか、「クラウドファンディング募集中!」とかの案内が。
★なんか「こだわりの食材の無農薬な定食」を1000円で食べたが、味音痴な自分は、それが1000円の価値があるだけの美味しさなのかどうか、わからなかった。
因みにヘルシーなボリュームなので、早くも3時頃にはお腹が空いた(笑)
★因みに1階に「なか卯」があり、ガテン系男性が連れだってなか卯に入って行って盛況だった。
「都電テーブル」の方は空いていた。1階と 2階の立地の差、値段の違い、ボリュームの差、でもそれだけじゃないと思う。
★一番の「差」は、都電テーブルの
「私たち、オーガニックでイシキタカイです、フェイスブックで応援お願いします」な雰囲気が、ガテンワールドと「対極」だからなんだと思う。
値下げしても、ボリューム増やしても、あのガテンな人達は、あの雰囲気の店は「入りづらい」。
港区とか渋谷区とかなら、この手の「イシキタカイお店」は「地域に馴染んでいる」が、
豊島区という立地だと、「イシキタカイお店」は「地域から浮いている」んだよね。
メゾン青樹のコンセプトは「街づくり」で、都電テーブルはメゾン青樹オーナー肝いり案件。
★突き詰めれば、フェイスブック的文化が似合うのは渋谷区とか目黒区であり、豊島区には似合わないということ。
豊島区でも、ラーメン店は単価1000円でも客はワンサカ来る。だから、「値段の問題ではない」
これ、サンシャインに新コンセプト店「リンガール」を出店して、見事にズッコケタ、リンガーハットと同じ失敗だよね
★「私たち、フェイスブックしてま~す」な店って、(遠くに住んでる)フェイスブックの友人100人を来店させる動機にはなるが、
フェイスブックをしない周辺地域住民10000人にとっては、「なんか、お高くとまっていて、入りづらい」と思われてしまうだけ。
日本におけるフェイスブックの普及状況って、丁度「イシキタカイ系」と「イシキタカくない系」の境目あたりだからなあ。
フェイスブックが「イシキの高さのアイコン」の役割を果してる現状では、フェイスブック普及率の低いエリアで、「フェイスブックしてま~す」な店を開店しても、地元民の反感買う
フェイスブック系のお店を、フェイスブック文化が根付いてないエリアで開店しても、最初のうちは「御祝儀」で遠くのフェイスブック友人が来店してくれるから、
「ああ、順調な滑り出しだ」と錯覚する。
でも、遠くのフェイスブック友人は、次第に来店しなくなり、閑古鳥が鳴くようになる
★だから、飲食店を「継続」させるには、フェイスブックに頼らずに、地道に地元に根付いた、泥臭い営業をするのが、急がば回れで近道だと思う。
「都電テーブル」は、そのような地元どさ回り営業を、キチンとやったのか?
★これって、単に飲食店だけの話じゃない。
いわゆる「街おこし、地域おこし」も、電通崩れなエセコンサルタントの作文に乗っかって、フェイスブックで完結するようなエセプランに終わってるようでは、早晩行き詰まる
★辛口なエントリ書いているのは、逆に言えば、メゾン青樹の青木氏や都電テーブルに「期待」してるからなんです。
期待してるからこそ、安易にフェイスブックワールドの殻に閉じ籠るのではなく、ガテンな人も含めた地元民を「巻き込んで」欲しい。
もともと都電テーブルは、子連れママの行き場所確保を目的としている、と聞いている。
その志は良いのだから、「子連れママと、ガテンなオジサンとの交流」という高い目標にチャレンジして欲しい。
今のままだと、自分みたいなオジサンは、気後れして、入店したくても入店できない
「これを機に、イシキタカイ系の人達が、目黒区辺りから豊島区、あわよくば自分のマンションに引っ越して来てくれたらもうけもの」ということなんだろうな
★この辺のフェイスブックなお店って、マスター側もお客側も、トシでも40歳台、まあ普通は30歳台が殆ど。
ミックスベジタブルいれたやつや毒々しい原色の植物やゲロみたいな豆腐が入ったハンバーガー出したところで、
健康志向の人は二度とマクドに行かないし、ハッピーセットのおもちゃがランダムになった今、おもちゃ売り場の
前を通過するかのごとく苦々しい場所になったマクドは、家族連れにとっては話題にも出したくない存在だ。
行くたびに、うわー、ここまでサービス落としたのか、というのが客に伝わる飲食店に未来などあるはずもない。
「新商品なんかいらない、150円で、モスバーガーよりおいしいハンバーガーを出すこと」だ。
ハンバーガーというのは総称ではなく、何も入ってないオーソドックスな、一番安い普通のハンバーガーだ。
いわゆるハンバーガーのことだ。
余計な健康志向も、余計な新商品も、余計な情報公開での信頼回復も、全然必要ない。
本当においしい「ハンバーガー」さえできれば、万の情報より信頼を回復できると思う。
商品こそが確かに変わったなという証明になるし、その印象が話題になると思う。
今のやりかたでの新表品は、中の具を変えただけで何も変わってないんでしょ、としか思わない。
いいハンバーガーができれば、頑固ラーメン店のように、うちはハンバーガーしか出さねえから、でもいいくらいだ。
それがない限り、一歩も始まらん。
しばらく前まで田舎に住んでたが、田舎は22時以降入れる店が何もなくなって、居酒屋出たら
こういう場所では貴重な存在としてマクドは存在し続けるだろう。
しかし、だからこそ、都会で受け入れられないものになると、途端にダサい店と化して田舎の
人々にも見捨てられるようになる。
田舎は、都会と一緒、全国一緒、というブランドに金を出してるだけだ。
都会人の心をつかむには、ミスター味っ子をよく読み返すといい。
そのくせにして傷つけられる人一倍恐れて、そんな脅威を感じ取ると
1人1人じゃ何も出来ないくせにして団結して悪人とみなしたそれを共同体から排除しようとする
"善良なる人々"がとにかくただ憎くてたまらなかった。
そんな奴らは個を消そうとしてまで空気を愛するのだから当然話していてもつまらぬ人ばかりだ。
テレビやタレントなどの低俗な話題に、低学歴がやるスポーツの話題に、誰と誰が付き合ったのだとか別れただの
こうして俺は退学した後に本を読み漁るようになった。自分が間違ってなんかいないと確信を持ちたかった。
マジョリティに苦しめつつ成功した人の本、日本の閉鎖的な文化を批判する本、孤独であることを肯定してくれる本など
とにかく色々と読み漁った。哲学書も読んだ。ショーペンハウアーは大変共感した。ニーチェはよくわからなかった。
本は俺に励ましてくれたり、時には厳しいことも言い放つこともあったが、それでも悪い気はしなかった。
しかしそんな生活も限界が訪れた。本でいくら励まされても行動しなければ意味がないのだ。
本で肥大に膨れ上がったプライドが邪魔をし、俺は行動するのをひたすら恐れてしまっていた。
しかし生活はもう成り立たなくなっていた。それでも俺は動けずにいた。
この肥大したプライドを抱えて自滅しようと考えた事もあった。でもそれすらも出来なかった。
ほぼ廃人になりかけた俺を救ったのは俺が"善良なる人々"として見下していた友人だった。
友人の協力でハローワークまで足を運び、それから事は順調に進んで小さな会社の正社員として採用された。
もう無理だと諦めていたはずの就職、それは自分の頭の中だけこねくり回した幻想だった。
その時、心の中の何かが崩れ落ちた。あれだけ愛していた本が一瞬にしてどうでもよくなった。
何度も読み返したのであろうの本もダンボールに詰めて売り払った。7千円ちょいで売れた。
俺の6年間は7千円ちょいの金になった。その金で友人に感謝の気持ちも込めて飯をおごった。
就職してからもうすぐ1年経とうとしてる。今の所は特にトラブルもなく上手く行ってる。
俺は"善良なる人々"に人生を救われた。
俺は完敗した。いや、最初から敵う相手じゃなかった。むしろ敵意を抱いたのが間違いだった。
彼らは生き残る為の術を身につけていただけだった。俺はそれに気づくまで30年近くかかった。
だから俺も"善良なる人々"の1人としてこれから生きようと思う。俺はそこまで強い人間じゃなかった。
こうして今は昔は嫌悪していたものを覚えるようにしている。ギャンブルは除いて。
バーベーキューのやり方、スポーツ観戦、ボーリングで高い得点取るコツ、今流行りのソシャゲ
http://todo-ran.com/t/kiji/13480
http://todo-ran.com/t/kiji/13485
全国のうどん屋店舗数は24,030軒で人口10万人あたりうどん屋店舗数は18.88軒。うどん屋店舗数はそば屋店舗数の24,924軒とほぼ同数だ。
店舗数がほぼ同じだし、互角と言ってもよいのではないでしょうか。
ちなみにラーメン。
http://todo-ran.com/t/kiji/11806
コンビニのカップめんの棚のまえで立ちすくんでさんざん迷ってしまい、途方に暮れた末に、結局カップヌードルカレー味にしてしまうことがよくある。最近はそば系のやつとかもよく食べるけど、カップヌードルのたまに帰ってきたくなる感は異常だ。
その中でもカレー味が1番好き。昔カップヌードルに入っていたよくわからない立方体の肉の塊、ネット上での通称「謎肉」はカレースープによく合った。いまは「コロチャー」という別の肉になってしまったけれど。いまのも別に嫌いではないんだけど、やっぱりあの肉がまた食べたいという気はする。(調べるとライトやリフィルのほうにはまだ入ってるらしいのだが)
カップ麺の世界も競争が激しくていろいろな新商品が出ては消えていく。その中でよく見るのが「生麺そっくり」というような、本物のラーメンと比べて遜色ないことを喧伝する謳い文句だ。あと有名ラーメン店とのコラボ商品とかもよく見かける。ふつうに鍋でゆでるタイプの袋麺をめぐる状況もだいたい同じ感じで、マルちゃん正麺という商品がヒットしてから、より生麺っぽい乾麺を目指す技術競争が加熱してきたようにおもう。
しかし、これだけ各社が技と工夫を凝らして新しい麺を開発してるのにもかかわらず、(他のカップ麺と比べれば相対的に値段が安いとはいえ)カップヌードルはこんにちに至るまで淘汰されず、同じ味を守りつづけている。他のインスタント麺が「まるで生麺!」とか「行列のできる店の味!」とかばかりにこだわっている中で、カップヌードルの姿勢のあの揺るがなさ。堂々たるものである。
それは、カップヌードルが自らひとつの評価軸になってしまったということを意味するのだろう。チョコレートやポテトチップスやコーラは日本人の記憶の中では比較的最近登場した食べ物だけど、チョコレートやポテトチップスやコーラをようかんやおせんべいやほうじ茶と比較しておいしいとかおいしくないとか言いだすひとはいない。チョコレートはチョコレート自身なのであって、他の甘いお菓子とは別のジャンルを確立しているからだ。それと同様に、カップヌードルはラーメンではない。ラーメンや他の麺類とはまったく違う、異質の食品が20世紀後半のある時期の日本に突然発明されてしまったということが重要なのであって、この一点においてカップヌードルの偉大さは他のカップ麺と比較できるものではない。
そういう食べ物って他に考えられる? いまちょっと考えたけど、乳酸菌飲料とかはそうかもしれない。ヤクルトとかおいしいとおもうんですよね。
後発のインスタント麺はしょせんラーメン的イデアの似像に過ぎないので、王道っぽいしょうゆ味やとんこつ味が多いし、カップの形からしてだいたいがどんぶりを模した横長だ。対してカップヌードルは非ラーメンなので、カレーとかチリトマトとかクリームシチューとか、かなりのゲテモノを投入しつづけ、しかもちゃんと受け容れられている。
そこでおもいだしてみると、カップヌードルCMでふつうの家庭人が家で平和にカップヌードルを食べてる風景というのはあんまり出てこないことに気づく。たいてい宇宙にいくとか南極に行くとかそういうSF。
ここまで考えると、あーまんまと広告戦略に踊らされてただけだったなーという気にはなるんだけど。まあ、それにしたって「カップヌードルという食べ物」のセルフイメージを確立するまでの道のりというのはなかなか平坦なものではなかったろう。
東京で大雪が降った翌日にあきらかになったのはそこに住む人々、生きる人びとの存在だ
1
浅草一帯や、人形町の商店街なんかはすぐに雪かきが行われており、歩行がとても楽だった(高齢者が多いはずなのに!)
2
土日休みのお店も含め、居酒屋ビルの前やオフィス街、アパートや低層マンションだらけの場所はまったく雪かきが進んでいない。具体的には麹町~四谷~四谷三丁目、西新宿五丁目
3
セブンイレブンなどのコンビニやカラオケ館などは、店の前を店員が自主的に雪かきしている。これは地域に根ざしているという側面よりも、こうした事態に対応できるだけのマニュアルやリソースを持っていることが関係しているのだと思う
4
一方、「磯丸水産」や数店舗展開する某有名店主腕組みラーメン店のような新興飲食チェーン店の前はまったく雪かきがなされていない
1、地域の側面
雪かきをしてもよい、しようと考える人々がどの地域にいるか(そこに地元への愛着心があるとか利他性があるとかいう話は置いておいて。一軒家かどうかとかも関係するしね)
2、資本の側面
大手資本・商業施設・オフィスでも、緊急事態・非常事態にも対応できるほどのリソースを持っているか(カネ・マニュアル・人材すべてだ)があるかないか
■オレんちの近くはどうだ?
書くのが遅れてしまって、ちょっと古い話なんだけど。11月15日~24日まで東京の駒沢オリンピック公園で開催されていた、東京ラーメンショー2013に行ってきた。今年で5回目となるイベントだそうだ。ラーメンマニアというわけではないが、立ち寄りやすい立地にあり毎年一度は足を運ぶ。今年は人付き合いもあってなんだかんだで開催中の10日間毎日行き、30種類以上のラーメンを食べた。
イベント価格というやつなのだろうが、それでもやはり高い。800円も取るのならそれなりに量を多くしてもらいたいところ。もしくは一度に何種類か食べられた方が嬉しいので量は変えないかやや少なくして、価格を安くしてほしい。小サイズがあってもいい。
100円~500円くらいの別料金を払ってトッピングを追加できるという店が大半だ。数年前の同イベントではトッピングは一部の店がやっているだけで、価格も50円~100円くらいだったと記憶している。今回見る限りチャーシュー1枚で300円くらいかかることもあるようだ。あとトッピング全部乗せ1200円の店があった。トッピングだけで1200円。ラーメン代との合計で一杯2000円。また、冊子や看板に掲載されているラーメンの写真がトッピング追加状態の写真という店もあったようだ。写真を見てラーメンを選ぶことが多いはずだが、追加料金を払わないとそのラーメンにならない。これはちょっとヒドイと感じた。トッピング入れた方がおいしいと自信があるのならば、最初から惜しまず具材を乗せてほしいと思う。コスト的にどうしても見合わないのならば仕方がないが、どうもそういう風には思えなかった。
人気のラーメン店がコラボしたり競い合ったりということで目を引くような奇抜なラーメンも見受けられたが、おいしいと感じるものの多くは正統派な感じのラーメンだった。また、味の方向性の問題もあるが全体的に多くのラーメンの味が濃すぎると感じた。舌や喉がピリピリするほどしょっぱいのだ。作っている人は自分の出したラーメンを食べておいしいと思うのだろうか。もしや計画段階とかけ離れたラーメンになってはいないか。作った人は疲れのせいでしょっぱい味を求めているのかもしれないが。味に関しては好みの問題もあると思うのでこの辺でやめておこう。しかし、トンカツラーメンは意外にもおいしかった。
ラーメン代のうち、ある程度の割合が被災地への募金やその他寄付に回っているようだ。こちらはラーメンに800円払っているつもりだが、店側には800円支払われたという意識はないのかもしれない。募金のような取り組みはいいことであるとも思うが、そのためにラーメンの味を犠牲にしているようなことがあれば残念ではある。
おそらく来年も開催されるのだろうが、今年と方向性が変わらないのであればもう今回のようには足を運ばないだろう。ただし、毎年楽しみにしてきたので今後に期待する気持ちもある。運営側にはおいしいラーメンが食べられるような工夫をしてもらいたい。