はてなキーワード: ネットとは
これが分かんねえんだよな。
実際にそのポッドキャストの内容聞いたけど、インタビュアーの方が「弥助はサムライとして訓練してたの?刀振り回したりとか?」って聞いてるのに対しても「訓練をしたってのはそうだけど、記録として残ってるのは相撲の絵だね」みたいな感じでネットで喚かれてるようなことなんも言ってないぞ?
匿名のネットで主張するフェミやミサンドリーは腐る程いても弱者男性の女版はいないのを認められず「彼女達は主張できないだけなんだ!」とどこまでも自分に都合の良い発想をする
以前は毎日YouTubeやまとめサイトを見ていたけど、それを止めた
その分時間ができて、気になっていた本を読んだり、好きな音楽とじっくり向き合う時間が生まれた
情報の断捨離は物に対する断捨離ぐらい大切な考えだと思うのに、なかなか見かけない
「ネットで政治性・思想性の強い発言を日常的に繰り返す奴は嘘つきである」と言う説を立てて、
「あまりに使い古され過ぎた古典的なパラドックスだから、分かっててギャグでわざと言ってると思ってたんだけど、もしかして本気で言ってる?」、
って心底心配そうな顔で聞かれた。
今年3月の北陸新幹線の敦賀延伸以降、ネット広告で「福井を旅しよう」のフレーズをよく見るようになった。
恐竜が悪いとは思わないけど、福井のPRだったらもっと色々なものがあるんじゃないの?
福井県のことを良く知らない人が恐竜を持ち出しているようにしか見えない。
一概には決めつけられませんが、ヤバい社員には次のような傾向が見られます。
1□ あいさつがきちんとできない
2□ 仕事に対して、やる気が見られない
4□ 指示に対して取り組む姿勢は見せるが、完遂できない
5□ 何かと要求してくるが、やるべきことはやっていない
6□ 極論ばかりで話してくる
7□ あいまいさを許容できない
8□ 譲歩しない(できない)
11□ 異様なほどに固執することがある
18□ スマホ依存症の傾向がある
10個以上該当するとなると、モンスター社員化の危険人物と認定せざるをえません。
セーフ!!!
田舎の若者にそう望ませたのはテレビや雑誌・ネットという媒体で洗脳し続けて田舎から人・金・モノを吸い上げ続けてきた在京メディア(広告・スポンサー含む)だぞ
洗脳された若者らが出産適齢期を終えようとしてる時代に入って掌返しして、今の若者に逆のことを洗脳しようとしてる
そりゃ世代で分断するわ
ネットで最上川氾濫?を見たので確かめようとテレビつけたけどNHKから民放からほぼほぼ五輪からめたスポーツコーナーばかりやん、スポーツは好きだけどこんな時に全局同じようなことやらんでいいやん、と結局はネットに戻るという
こうなる前からアンフェ落ちしてその手のツイート多かったんだな
田丸浩史はそんなに好きだったわけでもないからちょいショック程度だが、かなり好きだった三家本礼も同じルートで暇アノンと化したのはだいぶショックだったな
一時期ちょっと売れる、冴えなくなる、何年も無職状態に、暇だけど遊べるほどの金はないのでネット傾倒、アンフェにハマる、暇空信者に
三家本は単行本のコメントなどで面白くてユーモアある人だったのに、スケバンチェーンソーの売れ行きが悪かったことでどんどんギスギスしていったの悲しかった
お前らはAI以外の科学研究分野になんて興味もないから知らないんだろうが、この業界には「もはやだれもできると信じてないけど、政治的にやり続けなければいけない研究」というものがある。
量子コンピュータがそうで、20年前には「無理。できない。ほぼ間違いなく」という答えが出てる。
それでもなぜ研究を辞められないか? 「ほぼ」でなく「絶対」でない限り、もし万が一にも億が一にも「敵対勢力」に先に開発されたら安全保障に重大なリスクが出るから、というだけの話だ。
違うのは、これらがある程度の結果にたどりつくことで開発競争にもケリがついたことと違って、量子コンピュータはどこまで行っても何にもならないから、ただ無駄に研究費を食うだけなこと。
成果が出ていると強弁するために、「量子超越性」などと20年前はなかった概念が作られた。しかし、今量子コンピュータと呼ばれているものは、20年前に量子コンピュータと呼ばれていたものとは全く違う。
具体的には何が違うか? 今の自称・量子コンピュータには「暗号解読」なんてできない。何もできない。
何もできないのに何かをやっていると主張するために「超越性」などという何の根拠もない言葉で誤摩化している。
専門外なので推測だが、「常温核融合」や「常温超伝導」も似たような状況なのではないか。
量子コンピュータの場合、先に開発した方が情報・通信セキュリティの覇権を握る絶大な武器を得る。
常温核融合や常温超伝導も、エネルギー利用に革命的な変化をもたらすのだから、勿論軍事上の脅威になるだろう。
そういう技術は、たとえ「ほぼ無理」でも開発を辞めることはできない。「絶対無理」を誰かが証明でもしない限り。
AIがそういう技術に当たるかと言えば、それはその可能性はあるだろう。膨大な生成情報によるネット情報の攪乱はセキュリティ上のリスクになり得る。
お前たちが量子コンピュータの可能性をいつまでも信じ込まされていつか何かになると思っているのと同じように、AIも(仮にどこにもたどりつけないとしても)そういう立場を失うことはないだろう。
反AIでもなんでも良いが、それぐらいの現実感覚は持たないで空回りしているのは傍から見ても忍びないぞ。という忠告。
大学院まで専門にしてても就職で全然違うところにいくなんてよくあることなんだがそんなことも知らないのか低学歴はw
量子ゲートが云々とかそれこそ素人向けメディアの受け売りばっかで量子チューリングマシンも知らないやつがどの面下げてと
って話をしてるの
岡ナントカっていう学者みたいな冷笑系左翼からSNS上でネトウヨネトウヨ言われるだけ?
じゃあデメリットなんて皆無じゃん。ウン十年後に「黒人奴隷は日本発祥。謝罪と賠償を要求する!」なんて言われるリスクを今摘んどくメリットがでか過ぎて話にならんよね。
言えば言うだけ日本の歴史改変リスク減らせるんだから、ネトウヨだろうが表自戦士だろうが「黒人奴隷は白人の文化!」とSNSで言いまくるべき。
情報を食って生きてる現代の俺たちからすると美術館なんか行かなくても図録だけでよくね?って話
たまたま買ったら展示物がほぼ網羅されて展示ルートにそって本の進行もすすみ後半のインタビューでは展示されてるものより多くの文章が掲載されてた
館内で見てた1時間半は現物を見たという経験なだけでコスパとしてはあんまり良くない
いや確かに実際にこの目で見ましたよというのは大事なのかもしれんけど話題だから見に行く程度なので実際に見ることはただのマウントの道具でしかないのは重々承知の助
それよか図録見てざっくりと頭に入れる方がコスパがいいし忘れた頃に見直すこともできる
美術館の役割って実は実際に見たよというマウント感とお土産とか買うのと美術館にあるおしゃれなカフェでおしゃれな料理の写真を撮ってネットにあげて私おしゃれでしょというだけの役割なんかもしれん
知らんけど
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
スポーツ未経験のチー牛はスポーツなんかやっても脳筋バカになるだけと言うけど、
少なくとも何かしらスポーツを経験して努力と根性を身に付けてる。
はい、ここで努力や根性というワードにアレルギー反応示したチー牛が何人かいそうだけど、
チー牛は「スポーツ脳筋バカは根性とか気合いしかない」と言うけど、そういう奴は底辺労働するしか無いけど、成功者は知力を使いながら最終的に気合いと根性があるから乗り切れる。
マラソンに例えると気合いと根性しかない脳筋は序盤で飛ばして中盤後半バテる。
成功者はまず計画を立ててプランを組んで序盤にペースを掴んで後半はライバルと差を付けるために気合いと根性でブチ抜く。
しかし、スポーツ未経験のチー牛はマラソンの攻略法をネットで調べ尽くして完璧なプランを立てた気でいるけど、いざ走ってもそもそもの体力が無いから序盤で脱落する。
マラソンと仕事は違うとか想像力の足りないチー牛が言いそうだけど、仕事も同じだよ。
まずは計画を立てて順調に進むけど後半になると自分の体力が減っていく、そこで必要なのは気合いと根性。チー牛は仕事なら体力が減らないと思っているのか?デスクワークでも頭を使うと体力は減るんだぞ。
どのくらい走れば疲れるとか、どのくらい練習すれば早くなるとか、身をもって経験してないから想像力が足りてない。
ネットでコスパよく知識を得てその通りにすれば自分も成功できると思ってる。だけどそのネットは真偽も怪しいし、必ず自分にも当てはまるわけじゃない。人間は個体差があるから自分の肉体を酷使してどのくらいやれるのか体感しないとわからないのに、チー牛はその経験から逃げて上っ面の情報で知った気でいる。
それで上手くいかないと自分の努力不足だと思えず、周りのせいにする。何故なら努力した事ないから努力の必要性がわからない。
自分はネットで完璧な知識を得た、なのに周りが評価しないというのは周りが間違っている。と思うようになる。
だけどスポーツ未経験チー牛は体力も知力も無い、何にも使えない。
自分は脳筋と違って体力は無いけど知力はあると勘違いしてるけど、チー牛が得てるのは知力ではなくネットの上っ面の知識だけ。
本当の知識や知力を得るには勉強しなくてはいけない。チー牛は勉強ができない。
何故なら努力が出来ないから。忍耐力が無いから。好きなことしかやりたくないから。
ゲームの攻略や遊戯王カードの戦略は一生懸命立てるけどそんなもんはクソの役に立たない。
それにチー牛が一生懸命やってるそのゲームのトップに立つプロゲーマーたちは意外とスポーツ経験者や筋トレを日頃やって体力作りしてる。
昨日(24日)、20年近く飼っていた猫(注1)が死んだ。今日(25日)火葬してきた。
(この増田は非常に読みずらいと思う。"備忘録"かつ、"増田が長文書きなれていない"ので。)
もう何日も何も食べてなくて、日曜日(21日)の時点でだいぶ弱っていた。この時点で離れて暮らす弟に「もう長くない」旨の連絡→猫と弟が会う。(注2)
月曜日は通常どうり出社したが(まぁ、サボってたけど……)、結果的に火(23日)~木(25日)まで会社を休み、増田が最後まで付きっ切りで見守りすることになった。
何の手助けも出来ず、ただ弱っていく猫を見続けるのは辛かったが、死んだあと後悔したくなかったので自己満足のために見守りを続けた。
月曜日の仕事から帰宅後、色々あった(後、少しでも一緒にいたかった)ので猫を見守りながら寝ることにする(猫が段差を昇る元気がないので床で寝る)。
火曜日の朝、猫の見守りをするために仕事を休むことにする(今、仕事が暇で本当に良かった)。見守りと言ってもやることは、猫を注視しながらたまに撫でるだけである。
猫は生前、散歩が好きだった。ほぼ増田が散歩に連れて行った(猫が増田を"散歩に付き合わせていた”の方が実態に合っているかもしれない)。
この日(火曜日)も、よたよたとしか歩けない状態だが、何度も散歩に行きたがるので、若干日が落ちてきたタイミングで最後の散歩に行った。
這うように移動して休憩を繰り返し、短い距離を長時間かけて散歩(といえるか微妙な気もする)した。
帰りは猫の衰弱具合に加えて、周りが暗くなってきたこともあり、増田が抱えた状態で家に連れ帰った(元気であれば抱えると激しく抵抗するのだが、そのような体力は残っていなかった)。
家に帰ってきた時点で、猫はもう歩くどころか立つことも難しい状態(特に後ろ足に力が入らない様子)だった。猫に注意を払いつつ適当に晩酌の準備→だらだら晩酌。
(非常にどうでもいいことだが、このとき水風呂に入ったかもしれない。が、もうあまり覚えていない)
猫はもうほとんど動けないので、生きてるのを確認しながら撫でるくらいしかできない。前日と同様、猫も俺も床で寝る。
水曜日の朝、猫はさらに弱っている。ときおり苦しそうに吐くような動作をする(何も食べていないので基本的に何も出ない。この動作は前からしていたかもしれないが、頻度が上がって目立つようになる)。
会社に連絡して水~木も休むことにする。前日から、床で寝ていることに加えて、猫が気になって熟睡できない。短時間寝てすぐ起きる感じ。猫が衰弱することと疲労が重なることで神経過敏になっている気がする。
精神的にも追い込まれて気が抜けない気がする。そもそも見守り自体、増田が勝手にやっていることで、誰にも強制されてないが……
徐々に衰弱しながら苦しそうな動作が増えてくる。正午前に黒い血のようなものを吐いて痙攣する。この後わりとすぐ痙攣して死んだらしい
( 「らしい」と言っているのは、増田は最後の瞬間を直接見ていないのである。猫が黒い血を吐いたときに、動揺し、また精神的に疲れ果てていたので、一時的に親に見守りを変わってもらったのである。)
猫が死んだので弟に連絡し、また市に連絡して火葬の手続きを進めてもらう→木曜の午前中に火葬する予定になる。ネットで調べたりして火葬の準備などをする。
覚悟していたつもりだが、実際に猫が死ぬと泣いてしまう。ひと段落ついた後も、疲れているのだが猫のことを思い出して眠れない。猫が鳴いてる気がする。酒を飲んで寝るがすぐ目が覚める。(ここまで猫の遺体がある部屋)
あまり寝れてないので当然疲れたままだが、さすがに火葬前に少し寝ないとまずいと思い、猫と別の部屋で寝る。(5:00位だったと思う)
2~3時間は寝れたと思う。(今日の出来事であるが、ここら辺もすでに怪しい……)少し吹っ切れた気がする。その後、猫を火葬して骨壺に入れて現在に至る。
増田は人生の半分以上を猫と共に過ごしてきたことになるのだが、増田は今まで人間の友達が居なかった(おそらくこれからも)ので、"人生で一番深い付き合いの存在"を失ったことになる。
(逆にいうと、増田は"まともな人間関係が築けないクズ"ということになる。自覚はある)
それにも関わらず、現時点で割と吹っ切れてる気がしている。上に書いたが、増田は友達がいなくても割と平気であり、それは他人への興味のなさや薄情さと紙一重ではないか?という懸念がある。
これは見守りをしたことなどで"やるだけやった"という自己満足も一因かもしれないが、"猫のこともすぐに忘れてしまうのではないか"という恐れを感じた。
自分の人間性は今更変えられないので、忘れてしまうかもしれないし、あるいは猫がいない寂しさにこれから襲われるのかもしれないが、いずれにしろ、振り返りのために現在の猫に対する執着を記録しておきたいと思った。
(単純に、増田は物忘れが激しいので、記録するならできるだけ覚えているうちに書いておきたいという意図ももちろんある)
普段、長文の増田書いてる人すごいね。集中力切れるし段々適当(誤用)になってしまったよ。これから酒飲んで寝ます。後、猫はもう一匹飼ってるので(全然性格違うけど)
その猫がこれからできるだけ良い猫生を送れるように努めたいと思います。増田はたった二日程度の見守りで根をあげましたが、普段、(人の)育児や介護してる人の大変さは想像を絶するなと思いました。
最後に猫、ウチに来て20年近く共に過ごしてくれてありがとう。お疲れ様でした。
(注1.実は最近まで(増田は)猫の年齢を勘違いしていた……)
(注2.増田はいわゆる”子供部屋おじさん”であり、家族構成としては猫、俺、両親である。親は基本的に家にいる。こんな事わざわざ言いたくないが、説明の都合上必要性を感じたのでここに入れた。)
おでこに粉瘤らしきものができてて、前から気づいていたのだけど
少しずつ大きくなったているようなので、時間を調整してネットで近所の皮膚科を探していった。
ホームページにはどちらかというと自費診療の美容皮膚的なことに力を入れてっぽかったが、対応する疾患の中に粉瘤もあったし、良性腫瘍をとるなどの小手術もやると書いてあったので、そこで取れるもんかと思ったのだ。
もう10年以上前だが、耳たぶの付け根に粉瘤ができたことがある。当時は“粉瘤”という言葉すら知らず、なにかデキモノができてるなあと思ってたらある日、炎症をおこしてしまい、とんでもなく膨らんでめちゃくちゃ痛かったので、当時住んでた場所の近所の、ジジイがやってたボロい皮膚科に駆け込んだ。
すると、ジジイ、見るなり“これはまず膿を出さなきゃダメだな”というなり、麻酔もかけずにメスで切開しやがって、その瞬間涙が出るほど痛かった。
膿がでたらスッキリして痛みはかなり引いたのだが。
今はさすがにそんな野蛮な処置するジジイ医者はいないのだろうと思うが。
で、それが粉瘤というものだと知り、根絶するには手術が必要だとわかり、でもそのジジイには不信感しかなかく、当時割と近くに大学病院もあったので、紹介状無しで飛び込んで選定療養費まで払ってそこでバッチリ取ってもらった。
で、今回の皮膚科。最近できたとこっぽいし初診ネット予約可だしと思って行ってみたのだが、でてきたのはホームページにのってるやり手っぽい院長ではなく、やる気なさげな中年男性な医者で、見るなり、患部を触るでもなく“多分粉瘤ですね、すぐに取らなくてもいいけど取りたい?、じゃあうちじゃ今、ちょっと手術できないんでね、紹介状書くから〇〇クリニックに。詳しくはそっちで相談して”って、なんじゃそりゃあああ!
ふざけんな。