はてなキーワード: タコ焼きとは
そこの学生君!年収100万なら贅沢で優雅な暮らしをしていると勘違いしていないか?
今日はそんな誤ったイメージを正し、実際にどれくらいの生活レベルか教えよう。
36歳男、独身、関西田舎在住、年収100万ほど。100万と120万ではだいぶ変わるのでこれは誤差じゃない。
なおマウンティングなどと言われるかもしれないが、そんなつもりは全く無く、
家賃は1万、3DK、破棄された古民家をリフォーム。別に広くもない普通のボロ家。
古民家がある地域の治安はたまにヤンキーが多いが、部屋自体はボロい。
窓から綺麗な田園風景が見れるとかも無い。クーラーとかももちろん無い。
自家栽培の野菜と実家から送られてくる玄米、蕎麦など。ザ・肉がなつかしい。
安いスーパーの売れ残った激安弁当とかは買えないが、それ意外は普通。
さすがに学生価格帯の居酒屋は行かないし居酒屋自体に行けない。
ワイワイ飲む時は自宅で500円くらい。
たまにスーパー総菜などで一人あたり800円を超えると、
その代わり行った店では値段を気にしまくりながら飲む。
自宅で安いウイスキーやワインを飲むようなことがすべてである。
800円のワイン買ったら奮発したな、という程度。
でも88円の1カップ焼酎と98円のチューハイを悩まず買うくらいで、
豪勢な生活と呼ぶには程遠い。
しまむら。
「カネ目当ての女性がやってくる」というのは婚活パーティーとかだけの話で、普段は全くそんなことはない。
モテないということはあるが、よりどりみどり選べるなどと言うことも全く無い。
さすがに年収100万程度でこれをイメージしている人は少ないと思うが、
女性との飲食代はすべて女性持ち。価格帯は色々で、タコ焼き屋行くこともあれば180円居酒屋に行くこともある。
というわけであまりに普通すぎて、やま無しオチ無しになってしまった。
普通というと「もっと貧しい人がたくさんいる、わかってない」と言われそうだが、
学生が抱いているような豪華なイメージとは程遠いということをお伝えしたかったのです。
普段バイクで移動するので、なかなか駅から自宅まで歩く機会は少なく
お店がオープンしてから、開店にに気づくまでしばらくかかった。
その店が入る前はタコ焼き屋が入っていた。
ひげ面で丸眼鏡の痩せた小柄な日本人の店長が一人で切り盛りをしている。
健康に気を付けてとか、節約になるからとか外面のいい理由はたくさん思いつくのだけど、
一番の理由は食事を終えて満腹の状態ですぐに寝るという悪癖を好むからだ。
どのお店もなかなか訪れる機会がない
このタイ料理屋さんもそんなお店の一つだった。
初めてこのお店を訪れたのは、普段遣いのバイクが突然パンクをしてその修理の手配をした帰り道だった。
突然のトラブルにうんざりした自分は、気分転換にランチを外で食べたくてそのお店に立ち寄ることにした。
店のドアを開け一人の入店であることを伝えると、店長はこちらを見ずに
「カウンターへどうぞ」
と自分を席に案内した。
店内を見回すと、自分の住む6畳のワンルームより一回り狭いぐらいの広さで
二人掛けのテーブルがふたつ、カウンター席が1席のすごく狭い造りだった。
テーブル席の一つはカップルがすでに食事をしていて、一人はカオマンガイをもう一人はガパオを食べている。
時折女性は自分の食べているカオマンガイを男性に食べさせて、男性は自分の食べているガパオを女性に食べさせていた。
店内を見回すと、店内の壁にはタイ語のカラフルな張り紙のメニューが張られていて、その下には日本語でそのメニューの説明が書いてある。
それに目を通していくとランチはカオマンガイとガパオこの2種類のメニューしかやっていないようだ。
どちらを食べるか思案していると、以前ネットでガパオのレシピというのを調べて自作したのを思い出した。
レシピりの調味料と材料を集めて、それなりの金額になったガパオはとても美味しいと言えるものではなかった。
きっとプロの手によって作られたガパオは別物のような美味しいものなのだろうけど、
素人が材料を集めて作れる料理を、めったにしない外食で頼むのは悔しい気がした。
「カオマンガイですね」
注文を終えて、スマホを弄りながら待っていると意外と早く注文はテーブルに届いた。
思ったより量の少ないジャスミンライスの上に、
鶏もも肉がたくさん載せられ、その横に小さなお椀に盛られたスープが添えられている。
食べてみるとこれは意外といっては失礼なのだがなかなか美味しい。
だがやっぱり量が少ないな、何か追加で食べようか。
そう考えながら壁のメニューに目を通していると、店長が突然話しかけてきた。
「うちのお店のカオマンガイは本物なんですよ」
「日本にあるタイ料理屋さんはね、カオマンガイだけ出しているわけではないでしょう。だからジャスミンライスをほかの料理にも使えるように必要な工程を飛ばしてたりするんです。うちはそんなズルしないですからね」
びっくりしながら何か返答しようにも思いつかず、
自分はこんな美味しいカオマンガイ食べたことがないという社交辞令を言うしかなかった。
それから店長とカウンター越しにしばらく会話をした。店長はいわゆるタイに沈没していたバックパッカーらしく
タイ料理やタイでの思い出について聞くと店長は早口で饒舌に語り、日本にあるタイ料理はいかに本物と違うものか演説が始まった。
その日からまたこのお店を訪れるまでしばらくの時間が必要だった。
帰宅しインターネットで食べログを開くと、店長の接客に苦言を呈する投稿をいくつも見つけた。
なんとなく自分だけではなかったのかと安心するような、心配するような気持ちになった。
店のインスタを見つけフォローした、今日も客が少ないと文句を言いながら元気に営業している。
仕事ができないと言われたくなかった。
「俺、コミュ障だし」「俺、アスペだし」とは笑って言えるのに、「俺、仕事できないし」とは言えなかったのである。
現代社会においてコミュ障であることは、仕事ができないことに等しいのは明白なのにだ。
俺はコミュ障だが勉強だけはそこそこ出来た文系という、最も潰しの効かないタイプのゴミである。
まず俺は締め切りが億劫で守れない。
それに叱られるのが怖くて問題を先延ばしにする上、報連相が不能な典型的な使えない新人だった。
取引先相手につい嘘をついてしまい、会社にあらぬ損失を与えたことも何度もある。
こういう時、職場はこいつは排除しよう、という正当な動作をする。ということで俺は孤立した。
さっさと辞めちまえ、という周囲の心の声が聞こえてくるようだった。「仕事ができない」ことを認めたくない俺のプライドはズタズタである。
病院をググるのが面倒なので病院にはいかなかったが、当時は掃除と洗濯、風呂に入るという行為が1週間に一度くらいしかできなかったので、多分適応障害かプチ鬱病だったのだと思う。飯も録に食えなかった。
そんな俺の転機は、同じ社の、俺の尊敬する穀潰しの先輩にアドバイスをもらった時に訪れた。
彼は始末書のレコード記録と横領じみた行為の数々による犯罪者スレスレの経歴を持ち、
「議事録を社内サーバーに上げておく」というだけの仕事を振られていた伝説的カス社員だった。
しかもその仕事すらサボり、散歩とコーヒーブレイクだけをしに会社に来ていたという偉人である。
だが、そんな先輩の栄光の日々も、ついに終わる時は来たのだ。社が新たなビルに移転する際に、更なる完全窓際部署へと追いやられることになっていた。
使えない新人として名を馳せていた俺は、その人の溜め込んだタコ焼き器だとか、やたら派手な扇風機だとか、そういうガラクタを含めた机回りの移動という雑用を振られた。
あらかた俺に荷物を運ばせた先輩は、俺の買ったコーヒーを飲みながら言ってくれたのだ。
「君なら、僕みたいになれる」、と。
その時、俺は目が覚めた。
「そうか、自分は、仕事ができないサイドの人間だったんだ!」と、ストンと胸になにかが落ちた。
それから、俺は使えないサイドの人間として、積極的に会社を使い潰してやろうという意識が生まれた。
その時、ようやくわかったのだと思う。俺は、他人というものが、集団というものが、ルールというものが、嫌いだったのだ。
なぜ生まれた時から法律なんてものを強制されるのかわからず、法律科に行った時の、初心を思い出したような気分だった。
俺は社会人であり、社会の恩恵を受けながら、社会というものが嫌いでたまらなかったのだ。
楽しそうな人間は楽しそうだから嫌いだし、つまらなそうな人間はつまらなそうだから嫌いだった。
この世の、ありとあらゆるコミュニケーションが嫌いだった。好きになる理由がなかった。
おそらく、先輩は俺にそういうことを伝えたかったのでは全くないと思うが、彼の言葉が俺の頭の中のスイッチを押して、回路が上手く繋がったのである。
社会が嫌いなのに、社会に報いようだとか、社会のルールを守ろうだとか考えていた方がおかしかったのだ。
ということで、「仕事ができない男ですが?」という、ある種の開き直りをした俺の快進撃が始まった。
まず、俺は意図的に締め切りを守らないことにした。
あと、挨拶はしない、電話は取らない、メールは気分が乗った時だけ返す、といった自分ルールを設けるようにした。
さらに、積極的に会社になるべく損失を与えるギリギリのラインをつく仕事をするよう心がけた。
するとどうだろうか。
そもそも、俺はルールが嫌いで、ルールを守れない。その病気を上手く利用した形になる。
「意図的に締め切りを守らない」という自分のルールが守れず、そこそこ締め切りを守るようになったのだ。
さらに、締め切りを守らないぞ!という意思は逆に締め切りを意識させることに繋がった。締め切りを完全に忘却していなければ、締め切りを破ってもどうとでもなった。
さらに、会社になるべくダメージを加えようという姿勢は、逆に業務を知ることに繋がったのだ。
例えば、うちの会社はマニュアルをPDF化すらしてなかったので、そのマニュアルを悪戯で勝手に改竄する計画なんかを練ったわけだが、
どこを改竄すれば訴えられず、かつそこそこのダメージを社に与えられるか、というような遊びをしているうちに俺はすっかりマニュアルを暗記していた。
情報に捕まらないように、ITの知識や自分の会社のセキュリティの脆弱性に滅茶苦茶に詳しくなった。
勿論俺はそもそも仕事が出来なかったので、ミスは起きたし、会社に損害も与えた。
始末書や顛末書も幾度も書いた。だが、左遷されるようなことはなかったし、懲戒や減給もなかった。上手く綱を渡れたのだ。
「どれだけ叱られても会社に残る根性のあるやつ」という評価になったのである。大丈夫かよこの会社、と思ったがとりあえず人間関係もまともになった。
仲良くなると、個人情報も結構教えてもらえるようになったので、それも利用できるようになってまさにギブ&ギブの素晴らしい関係だったと言えるだろう。
人間は1人で生きるのではない。俺ような人間のミスをカバーしてくれるアホ共がいるから世の中は回るんだな、と心が温かくなったのを覚えている。
あと、ニュースで報道される、不正を行った人達も優しい目で見られるようになった。人は罪を許し、助け合うことが大事なのだ。
しかし、いよいよ俺の薄汚いリーマン生命でもって罪を償わなければならない時がきてしまった。
うっかり、社に億に近い額の損失を与え、しかも太い取引先を激怒させてしまったのだ。
今回ばかりはヤバい、という空気をヒシヒシと感じた俺は、世話になった会社に報いるべく、何とか多くの人間を巻き込んでメガンテを撃てないか考えた。
だが、告発書をしたためたり、転職サイトに悪評を流そうとか、上司の名刺のコピーを色街にバラ撒こうとか考えていた折、
なんと俺を救ってくれる人間が現れたのである。それは、例の左遷されたはずの、穀潰しの先輩だったのだ。
彼は役員になっていた。
俺はビビった。この会社大丈夫かと思ったが、カラクリは簡単な話で、その先輩は創業者から直接の血が流れる男だったのだ。
仕事なんてしてなくても、していても関係なくいつか役員になる、そういう運命の元に生まれていた人だった。だからこそ大出を振ってサボれていたというわけだ。
とにかく、彼のおかげで俺はクビにはならずに済んだ。
それどころか、俺は業務改善や社内法規を決める部署に転属になったのだ。会社的には出世である。
顔に小じわの増えた、クズの先輩はこう語った。
ルールを破らない人間が作るルールほど穴だらけになるものはない、と。なるほど、と思うと同時に、その時、俺は先輩の隠れたメッセージを受け取ったのだ。
「俺達のような人間を出世させる、こんな会社に復讐してやれ」と。
俺は密命を果たすべく努力しまくった。明文化されていないが仕事を円滑にするためにあえて定まっていないルールというものが会社には多い。
だからこそ法や業務効率の名の元に、仕事がものすごくやりにくくなるやろうなあ、という社内ルールを通すべく俺はあらゆる手を使った。
会社がどんどんギスギスしていく姿に、きっと役員の先輩も喜んでいてくれているに違いなかった。
そういう日々が続くうちに、俺にもいつの間にか妻と子供が出来た。(こればかりは本当に相性のいい人とたまたま出会った)。
基本的に残業は一切しないので、子供の世話もしているが、仕事と違って楽しいものだ。手当も出て給料も上がり、順風満帆な人生を送っている。
何故幸せになれたのかというと、やはり「仕事ができない人間である」というのを認められたからだと思う。
自分が正しい人間だとか、優れた人間だとか、そういうところから脱却するのが肝要だ。
子どもの食について考えてみませんか?(写真:プラナ/PIXTA)
食品添加物の現状や食生活の危機を訴え、新聞、雑誌、テレビにも取り上げられるなど大きな反響を呼んだ『食品の裏側』を2005年に上梓した安部司氏。70万部を突破する大ベストセラーとなり、中国、台湾、韓国でも翻訳出版され、いまもなおロングセラーになっている。
その安部氏が、『食品の裏側』を発売後、全国の読者から受けた「何を食べればいいのか?」という質問に対する答えとして、このたび『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』を上梓した。15年の間に書きためた膨大なレシピノートの中から、たった5つの「魔法の調味料」さえ作れば、簡単に時短に作れるレシピを厳選した1冊だ。
発売後、たちまち6刷5万部を突破し、各メディアで取り上げられるなど、大きな話題を呼んでいる安部氏が「子どもの食生活に迫る危機」について語る。
『食品の裏側』がベストセラーとなったことで、私は講演会や食育セミナーに招かれ、全国を飛び歩くこととなりました。そこで私は「家庭で今、なにが食べられているのか」、その実態をうかがい知ることになります。
『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん』にも書いたことですが、衝撃的だったのは、「手作りのおにぎりを初めて食べた5歳の子ども」でした。
『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
ある保育園の食育講座で、「おかか入りのおにぎり」を作ったときのことです。それを食べた5歳の子どもが「おにぎりってこんなにおいしいんだね」と言って感動しているのを、保育士さんが「よかったね」と言って抱きしめて泣いているのです。
その子は「手作りの温かいおにぎり」を5歳になって生まれて初めて食べたということでした。おにぎりとは「コンビニの冷たいおにぎり」であって、手作りのものを食べたことがなかったのかもしれません。
別の保育園では「味噌汁が『臭い』と言って飲めない子どもがいる」という話を聞きました。
給食に味噌汁を出すと「こんなものは飲んだことがない」「変なニオイがする」と言って飲めない子どもが、毎年必ず何人かはいるというのです。
子どもたちの食生活の実態がどうなっているのか、疑問に思った私は、機会があるたびに子どもたちに「今日は朝ごはんに何を食べてきた?」と聞くようにしました。
「ご飯とみそ汁と焼き魚」「トーストとハムエッグとサラダ」などという、いわゆる一般的な朝ご飯を食べている子どもももちろんいましたが、それはむしろ少数でした。
多かったのが「菓子パン」。それと「インスタントのポタージュスープ」という組み合わせも多くありました。
なかでも好まれているのはコーンポタージュで、「冷凍のタコ焼き」「ロールケーキ」というパターンもありました。
それから、これはあるお母さんから聞いたのですが、その家では朝ごはんに「(冷凍食品の)餃子」を食べると言っていました。
そのお母さんは、「餃子はお肉、野菜、小麦粉と、栄養バランスが一番いい。この(冷凍食品の餃子)1品で必要な栄養が摂れます」と胸を張っていました。それは確かにそうかもしれませんが……、私は返答に困ってしまいました。
これで驚いてはいけません。さらに驚いたのは「カップ麺の牛乳戻し」です。カップ麺をお湯で戻すのではなく、熱々に沸かした牛乳で戻して食べるのだそうです。
「なぜそんなことを?」と思いますよね。「お湯を使うよりも、牛乳のほうが栄養価が高いから」だそうです。
朝からカップ麺ではあまり体によくないから、牛乳を使うことで罪悪感を帳消しにするということでしょうか。とにかくそれが「5歳の子どもの朝食」だというのです。
返答に詰まるどころか、絶句してしまいました。「朝から冷凍餃子」の朝食が立派に思えたほどです。
「カップ麺の牛乳戻し」は極端な例としても、私が気になったのは、朝から「甘いもの」を食べる子どもがとにかく多いということです。
「朝はパンです」といっても、よく聞いてみると、食パンではなくて「菓子パン」なのです。「あんパン」や「メロンパン」「デニッシュ」といったものです。
親も朝は忙しいから、トーストを焼く時間も惜しい。菓子パンなら買っておいたものをそのまま食べさせられるから便利だということでしょう。
「食パン」という人もいましたが、「マーガリンと砂糖を混ぜたものを塗る」「チョコなどの甘いスプレッドを塗る」などのパターンが多いのが印象的でした。
それに呼応してかどうか、今は市販の食パンもビックリするほど「甘いもの」が多いと感じています。糖分をたっぷり入れていて、菓子パンと変わらないほどの甘さになっています。
折しも「高級食パンブーム」だそうです。店によっては行列ができるほどの人気だといい、メディアでもよく取り上げられています。
どの食パンも「しっとり、モチモチ」がウリだそうですが、あれは私などに言わせれば糖分と油の入れすぎで「じとっ」としているとしか思えません。
「何もつけずにそのまま食べてもおいしい」というけれど、あれだけ糖分と油が入っていれば、何もつけなくておいしいのは当たり前です。
いずれにしても、私が食品加工の現場に立っていた現役時代からは考えられないほどの糖分の使い方です。
それをみんな「おいしい」といって奪い合うように食べているのです。昔ながらのオーソドックスな食パンは、姿を消していく運命にあるのかもしれません。
日本人が糖分を摂りすぎていることについては「日本人の体を壊す『隠れ糖質』とりすぎの深刻盲点」に書いたように、かなり深刻な問題だと私は思っています。
ましてや、子どものうちから、糖分をたっぷり体に入れることがどんなにリスクが高いか。親御さん方には、ぜひ危機意識を持ってほしいと私は切に願います。
しかしこの話をすると、「うちは子どもの自主性を大事にしたいから」とおっしゃる方がいるのです。つまり、子どもの食べたがるもの、好きなものを与えることが、「子どもの自主性」を尊重することになるというのです。
たとえば子どもが野球をやりたいというなら野球をやらせてあげるとか、ピアノが習いたいというならピアノを習わせるというのは、確かに自主性を大事にするということでしょう。
でも、それと「好きなものだけを食べさせる」のは根本的に違う話です。「子どもの好きなものだけを食べさせる」のは、たんなる「好き嫌い」をさせているだけです。
「野菜を食べないと、栄養が足りなくなって元気が出ないよ」「魚を食べると頭が良くなるよ」などと教えるのが家庭教育ではないでしょうか。「子どもの舌を作る」のは親の教えなのです。
好きなものを好きなだけ食べさせる食生活を続けたら、子どもの味覚はおかしくなるに決まっています。
全国を回って、子どもたちの味覚がおかしくなっていることに危機感を覚えた私は、「令和の時代の和食のバイブル」を目指し『安部ごはん』を出版しました。
家庭で「手作りの和食」を増やすことが大事ですが、面倒で手間のかかる作り方では、誰しも忙しいので、作ってくれない。そこで「5つの魔法の調味料」を考案し、「これさえあれば、おいしい和食が簡単に、時短で、誰でも失敗せずに作れる」レシピを開発しました。
「子どもの舌」は発達途上です。今ならまだ取り戻せます。そのためにはやはり「和食」で、「天然のだしを使った和食」を食べさせることが一番だと私は思うからです。
「だしの素」をやめた家族に起きた変化
私の講演を聞きに来たことがきっかけで「だしの素」をやめたお母さんがいました。昆布とかつおぶしで、だしをとるようにしたのです。
「だしの素をやめたい」という人に対して私がいつもアドバイスするのは、「徐々に切り替える」ということです。
「だしの素」をいきなりやめると、必ずと言っていいほど家族から「おいしくない」「味が薄い」と文句が出ます。だから、最初は少しずつにして、徐々に切り替えることが大事です。そのお母さんもそのとおりに半年かけて「だしの素」をやめたのです。
ところが、半年後にそのお母さんの妹さんが来て「今日はおばちゃんがご飯を作ってあげるね」ということになったそうです。
妹さんは台所に残っていた「だしの素」を使ってみそ汁を作ったそうです。その味噌汁を飲んだ子どもたちは「いつもと違う」「後味がもわっとしておいしくない」と言い出したそうなのです。
わずか半年で、子どもの舌は「だしの素」ではなく、「天然のだし」をおいしいと思うようになっていたのです。
これはだしの話ですが、もちろん糖分、油分についても同じことです。「正しい味」を教えれば、必ず「子どもの舌」は取り戻すことができます。そうすれば自然と「甘すぎるもの」「油っこすぎるもの」「人工的なつくられた味」を遠ざけるようになります。
「頭」ではなく「体」と「舌」を変えることが「糖分や油分のとりすぎ」を減らす、確実な、そして大きな一歩になります。
保育園では「味噌汁が『臭い』と言って飲めない子どもがいる」という話を聞きました。
給食に味噌汁を出すと「こんなものは飲んだことがない」「変なニオイがする」と言って飲めない子どもが、毎年必ず何人かはいるというのです。
子どもたちの食生活の実態がどうなっているのか、疑問に思った私は、機会があるたびに子どもたちに「今日は朝ごはんに何を食べてきた?」と聞くようにしました。
「ご飯とみそ汁と焼き魚」「トーストとハムエッグとサラダ」などという、いわゆる一般的な朝ご飯を食べている子どもももちろんいましたが、それはむしろ少数でした。
多かったのが「菓子パン」。それと「インスタントのポタージュスープ」という組み合わせも多くありました。
なかでも好まれているのはコーンポタージュで、「冷凍のタコ焼き」「ロールケーキ」というパターンもありました。
それから、これはあるお母さんから聞いたのですが、その家では朝ごはんに「(冷凍食品の)餃子」を食べると言っていました。そのお母さんは、「餃子はお肉、野菜、小麦粉と、栄養バランスが一番いい。この(冷凍食品の餃子)1品で必要な栄養が摂れます」と胸を張っていました。それは確かにそうかもしれませんが……、私は返答に困ってしまいました。
親もそんなもんばっか食ってたんだろうなぁ