はてなキーワード: ご近所さんとは
前に増田に書いたあと、少し楽になったのでまた書く。
「おれのことなめてるだろう」と怒鳴られ、勘違いで怒っていることを指摘したら「だから何?」と言われ。
ついこの間まで「あいつは使えない」「仕事をなめている」って私に聞こえるように言ってたのに。
私がしたことは我慢したことと、仕事には自分の考えを入れなくなっただけ。
先輩の意見にずっと従い続けている。
親や友達に恵まれていたのもあるんだろうけど、転職するまで怒鳴られたことなんてなくて。
事務職から転職して、お母さんに「今度の会社は良さそう。私の意見も聞いてくれそうなんだ」って電話したらすごく喜んでくれて、だから辛いこと言えなくて。
もう実家に帰っていいかな。
いい年して実家に戻ったら、ご近所さんになんか言われちゃうかな。
お父さん心配するかな。
転職先も探しているんだけど、またこんな事になってしまうんじゃないかって考えたら、応募ボタンをクリックできないんだ。
疲れたよ。
私の友人Aが殴り込みに行くっていっています。
私は、一緒に行ったほうがいいんでしょうか?
友人Aは、コワモテで力も強くお金持です(実は生活が苦しいようですが)。
この友人Aは悪い癖というか、実直というか、何というか、異常に正義感が強いのです。
そのため、しょっちゅう、他人のケンカに割って入り、大抵、話をこじらせています。
そんな彼が、また面倒な事に首を突っ込みました。
でも今回だけはマズい。かなりタチの悪い相手。(以後、Bさん)
このBさんは、ここ数年、カネにモノを言わしてマッチョになり、札束で相手の顔叩いて黙らせるようなことをしています。
Bさん家のお父さんは、かなりの亭主関白で「私の言うことを聞きなさい!」といつも、子供たちを起こっています。
そんなBさんを、友人Aは気に入らない、と思っていたらしいんです。
私としては、友人Aには、過去に色々あったけど、今では「マブダチ」とか公言しているので頭が上がらないし、Bさんは商売上のお得意様で結構、ウチの商品買ってくれたり、作ってくれたりしています。
しかし、やっぱり人間関係というモノは複雑で、それぞに問題があります。
友人Aは、ウチの土地の一部を使って、なんかやっているんだけど、何しているのか教えてくれない。
Bさんとは、土地の権利のこととか、過去のトラブルの事が引っかかっている。
そういうめんどくさい関係だったんです。
それがついに、崩れました。
Bさんが、ご近所数軒と境界線のことで揉めているのに、勝手に砂場とかプールとかテントとか作って、ご近所さんたちを激怒させてしまったんです。
そのご近所さんたちとは「表面的」とはいえ仲が良かった友人Aは、それが気に入らなくて、文句を言ったんですけど、
『関係ねぇだろお前は!』ってBさんに無視されてしまいました。
もうその後は、泥沼。
言った言わない、昔からウチの土地だ、なんだかんだ、やんのかてめー、みたいな・・・。
で、殴っちゃったんですね。Bさんがご近所さんの一人を。
それに激怒したコワモテの友人Aは、Bさんの家に殴り込みに行くって、言い出したんです。
しかも『お前も一緒に来い。そうしないと、お前んちの家族もケガさせられるぞBに!』と・・・。
さらに、Bさんは私に「お前もやつの子分だよな?じゃあ、どうなるかわかってんだろうな?最近生意気だし。」と、遠回しに脅しをかけてきたんです。
確かに、今まで、友人Aのトモダチということで、調子にのっていたのは事実です。
特に最近は、態度がでかい、少し自重しなさいよ、と、親戚にも小言を言われることがありました。
そういう背景もあるので、友人Aに「ごめん、今回は無理。家族の反対が多すぎて」と、断りました。
思いっきり友人Aには怒られたんですけど、とりあえず、殴り込みは、先延ばしになったんです。
やれやれ、面倒な事に巻き込まれなくて済んだぞ、と思った矢先、今回の質問の原因になる事件が起こってしまったのです。
友人Aの家族とウチの家族が一緒に歩いているところに、Bさん家の一人が殴りかかり、友人Aの家族がケガをしてしまったのです。
ウチの家族は、「暴力反対」と言うだけで、震えながら見ているだけ。
しかも無傷。
さすがに今回の件は、友人Aも激怒し、手が付けられません。
「明日朝、殴り込みに行くから、お前も準備しとけよ!お前も色々持ってんだろ!!」
「お前んちの家族を助けたのは、ケガをしたウチの家族だぞ!わかってんのか?」
しかも、ウチにも友人Aが持っているような道具や、「ニンジャブレード」なんかもあるので、Bさんから見れば、友人Aと同類なんですよね。
いくら「泥棒除け」だとか「襲われたときの護身用」と言っても信じてもらえません。
私は、どうすればいいのでしょうか?
ゴミが捨てられない の経過報告です。
ようやく巡ってきたペットボトルの回収日!
ほんとは明日の朝なんだけど、暗黙の了解でご近所さんたちもみんな夜のうちに出してるので、うちもそれにならってる
朝はバタバタして忙しいからね
ブコメで言われたとおりにさっと水ですすいできれいにしたペットボトルちゃんたちを
あー、すっきりした!
たった1ヶ月とはいえ、ペットボトルを溜め込むのがこんなにストレスになるとは思わなかった。
なんという開放感。
ここしばらく、なんだかうつうつしてた気持ちが、すっきり爽やかに晴れ渡ってるみたい。
今ならミニマリストにだってなれるんじゃないか、くらいに気持ちが大きくなってます。
今週も乗り切りましょー!
6/14のことだ。仕事が終わり、かねてより約束していた飲み会が大阪某所であった。
酒に弱い自分も、今日は久々だからとそこそこ飲酒もし、解散後も日本橋の店やカフェを巡って楽しい時間を過ごして実家へと家路についた。
最寄り駅を降り、駅舎を出て歩きはじめ、自宅までちょうど半分くらいに差し掛かった頃、急に猛烈な便意を催した。
今まであまり感じた事のない、急激な下痢の予感。飲み会での飲酒飲食、その後のカフェでのコーヒー摂取がかなり負担になっていたのだろう。
深夜でもあり、周りに人気はほぼゼロ。もしこれが自宅そばでなければ、迷わず茂みに飛び込んでそこで放出する事も出来たが、生憎と遮蔽物も無い住宅地。
いくらなんでもそんなところでのグソは出来ないし、万が一ご近所に視られたら…無理な注文であった。
これまでも間の悪いタイミングで催し、限界ギリギリで難を逃れた経験は比較的あった。今回も何とかなるだろうと、お尻の筋肉に喝を入れて自宅に急いだ。
しかしこれがいけなかった。判断力も鈍っていたのであろう、あまりに急激に動きすぎてしまったのだ。
アルコールも回っているせいか、一歩一歩がとてもしんどい、ぜーぜーと息も上がってきた。
自宅前に立ちふさがる20数段の階段が非常に恨めしい、なんとか耐えきり、登りきった。
後は30数メートルまっすぐ進めば、実家が見えてくる。視界にそれが入ったとき、安堵感からふっとお尻の筋肉が弛緩してしまう。
突然、むりゅむりゅっとひり出されてくる感触に戦慄する・「ああ・・・!あああああああっ・・・・!!!!!」
無意識にお尻に手を当てて走る、もうなりふり構ってられない、とにかく走る、ちょっとくらい出てしまうのは仕方ない、とにかく鍵を開けてドアを開け、便所に駆け込むその一心だった。
自宅前のポーチに辿りつこうとした時だった、遂に粘ついた下痢状のモノがいよいよ溢れ出す感触が尻全体を覆い、太ももを伝って、靴の中にぬるっと入る感触を覚えた。
思わず、夏目漱石先生がうんこを漏らしてしまったくだりが頭に思い浮かんだ瞬間であった。
終わった、全てが・・・
汚れきったお気に入りの白いズボン、まだ新しかったベージュの皮靴、おろしたての靴下、全て見事に下痢便に染まってドロドロであった。
深夜なので、誰も外に居ない。放心状態でそれらを脱ぎ捨て、下半身裸の状態で、そばの排水溝で残りをすべて出し切り、もはや一人ではどうにもならないと悟って実家のインターホンを押した。
父親が出た。事の顛末を伝えて助けを呼ぶ。静かに出てきてくれ、後始末に使う雑巾、ビニール袋、水遣り用ホースなどなどを府一派りだしてもらい、下半身を洗い流した。
複雑な表情を浮かべつつ、時折怒りが抑えられず私の頭を殴りつつも、後始末を献身的に手伝ってくれた。全く頭が上がらない、情けない気持ち、消え入りたい気持ち、感謝の気持ち、アタマがぐるぐるした。
先に寝ていた母親と妹も起き出してきたので、全てが露見した。さすがに外には出てこなかったが、翌朝から今に至るまで一言も私と会話を取ろうとしない。家の中ですれ違うと露骨に避ける。妹にいたっては、私を汚物を見る目そのものであった。
父親にはここ最近の外出、生活態度からありとあらゆるお叱りを受けた。元々、あまりに出来の悪い息子なため、こういう事態になると日頃押さえている言葉が続々出てくるのも致し方なく、私はただ無言でうなだれ続けるしかなかった。
漏らしたブツの後始末すら、自分一人でやりきれず手伝わせたのだから、全く以て情けないの一言なのである。風呂の中で思わず、ほろりと泣いた。とにかく情けなかった。そして唯一叱ってくれる父親に対する感謝も。
その夜は全く眠れず、夜が白み始めた頃を見計らい、暗すぎて出来なかった後始末の残りを、一人庭先で手早く済ませ、汚れ物はすべて新聞紙にくるみ、ビニールを何重も被せ、ちょうどゴミの収集日という事もあり、ゴミ捨て場に。
記憶を総動員し、漏らし始めた当たりの場所もくまなく調べ、落ちていた汚物を回収し、雑巾と水入りバケツで手早くアスファルトをこすり続け、水を流し続けた。懇意にしているご近所さんのそばで零していたのだから、間違っても放置なぞ出来ない。
全てをやり終え、もう一度風呂に入り直した。上がった頃、父親が起きてリビングで待っていた。
表情は相変わらずの渋面だったが、日課の新聞を読み終え、外に出て汚れや臭いがまだ目立っていないか、共にチェックをしてくれた。
なんやかんやで気を回してくれる父親の存在が、本当にありがたく感じた。恐らく、今日の出来事は一生、言われ続ける事であろう。
願わくば今後、この私の失態が、笑い話に出来るようになるよう、少しでもマシな息子になれるよう、頑張ろうとちかいつつ、その朝も出勤した。(終)
daisya 娘にしか愚痴を言わない母親が多い(姑やご近所さんの愚痴とか、男の子に話したってウザがられるだけだし…みたいな)から、主婦はよっぽど楽な仕事だと思う男が増えるのだろうか、ひょっとして。
それに限らず、若い男が女と比べて常識がなかったり、現実を知らずにやたら青臭い事ばかり言うのは
親との会話が無いからかもしれないと思った。
女の子は大きくなっても母親とコミュニケーション取るけど、男の子は下手すると小学校高学年くらいで母親とまともに話さなくなるし
父親とも母娘ほどの会話はしないし、親戚付き合いとかからも女の子ほど関わらないから、大人と腹を割って話した経験が女の子より少ないわけで。
実際、もし「不幸税」が導入されたらどうなるのだろうか。
税金を払いたくなければ、必死こいて「自分が幸福であること」を証明しなくてはいけないことになる。「この前の休みは家族で旅行に行きましてねえ。夫婦円満で…」「子供も賢くてこの前私立に合格しましてね」「仕事も充実して、今度昇進が決まりそうで…」「友達関係も充実していて、今度の休みはBBQで…」「近隣関係ともトラブルなんてカケラもなく、ご近所さん仲良しで…」
でもって、その裏では陰湿ないじめや冷えた夫婦関係や親子関係が蔓延るが、誰も表だっては言わない。
逆に「幸福税」が導入されたらどうなるのか。みんな不幸自慢を始めるわけだ。「お宅なかなか幸福なんじゃありませんか」「いやいや、こう見えても持病があって、妻ともセックスレスで、子供が私立に入ったのでお金がかかるんで…」「近所ともうまくいっていませんでね。隣とは険悪なんですよ」そう言って、家族旅行とかクリスマスとかそういう幸福そうなイベントはこっそりやって、近所とは仲悪そうな振りをする協定を結ぶ、と。もちろん、嫌いなご近所なら盛大に本気で喧嘩したってよいわけだ。
以前は静かだったしネットの無害宗教一覧にも入ってたから、ご近所さんだからとあいさつ程度には付き合いもあった。
でもここ最近信者の出入りが凄く多いし、何より平然と家の前に何台も車を置いてて、おいらが仕事で車出すときにいつも
そこにお願いしてどいて貰ってたりしたけど、ここ数日は我が物顔でずっと置きっぱなしで、チャイムにも応答しない時がある。
また、最近改修工事が入ってか朝から非常に喧しいし、そういった工事をする時はある程度何がしかの挨拶か何かをしてくるってのが
おいらの地域におけるご近所付き合いだったはずだ。
ここいら在住35年。なんかオシャレなマンションのHPを観たので書いてみたくなった。
まずは中華富士 http://livedoor.blogimg.jp/mimitabu_ookii-betu/imgs/3/d/3d591742-s.jpg の写真を見て落ち着いて欲しい。
坂の上は強固な地盤。昔は浦和宿、今は高級住宅街。住んでいる人間も違います。
坂の下は大昔は海の底、昔は田んぼだった所。住んでいる人間も違います。
武蔵浦和は坂の下です。
ステータスを気にする人は坂の上の一戸建ても考慮したほうがいいでしょう。
タワマンの最上階より坂の上です。
まぁ、でも坂の上より駅前のほうが便利ですが。
駅前の保育園は倍率が非常に高いです。0-3歳くらいは片親か生活保護くらいのハクがないと入れないでしょう。
4-5歳くらいになると門戸が広がるので多分入れます。
その認可外、園庭とかほとんど無いです。
そして上記の通り4-5歳になると出て行ってしまうので、小さい子が多く、大きい子は少ないです。
ウチも一時期入れていましたが6歳の子はたった一人でした。
そしてその6歳の子は保母かよ!?ってくらい小さい子の面倒を見てました。
あれはあれで教育にいいなと思いました。
坂の上の中学は荒れないらしいですが、田島あたりは昔も今も荒れているそうな。白中沼影中は運。
埼大府中辺りに受かればいいんですが、あすこは合格者多数の場合抽選です。
僕は浦和西って私服の高校でした。楽しかったですが、進学に対するモチベーションは校内全体的に低かったです。
ちなみに恐喝(カツアゲ)には中学で1回、高校で1回遭いました。
混んでます。金曜の下り終電は骨が折れそうになりますが、ほかの時間帯は骨は折れそうになりません。
若いころ、満員電車でポコチンを触られました。話のネタになるなと少し放っておいたのですが、ファスナーを下ろされたので逃げました。
後に酒宴でその話をしたら、友人が「オレも遭った」だって。狂ってます。
花と緑の散歩道、別所沼→沼1周1km。ジョギングによし。公園も広い。
白幡沼→ただの沼。一周もできないので行く用事は無い。
秋ヶ瀬、道満→非常に広くBBQも出来るので、車があれば楽しめる。車が無ければ遠くて行く気になれない
沼影市民プール→ 有名なハッテン場。「沼プー」でググろう。知らなければ気に留めないので、子供の教育に悪いワケではない
レイクタウンは1回行けば十分。
コストコは外環使えばすぐに行ける。下道だと4-50分。ご近所さんに会員が多いが、僕ん家は切った。
少し距離があるがロヂャース、スーパーバリュー、業務スーパーがある。この3店舗を網羅すればかなり安価に食材は揃えられる。
それに惹かれてここいらに越してくる知り合いは多いのですが、僕の知り合いで、ここいらに縁のない人間の定着率は0%。
(ココが地元だった奴はここいらに戻ってきて根を下ろす人は多い)
まぁそんなコトもあり、ここに書けば覚悟を持って越してきてくれるかなと思い書きました。
祖母と母と三人で祖父の墓参りに行った。
お彼岸まではまだ遠いし、命日が近いわけでもなかったが、祖父母と実家の家が遠いので
行けるときにお参りをするのが習慣になっている。
実家と私の家は同じ関東圏といえど、父とは折り合いが悪かったことがあって
何のかんのと理由をつけて仕事を理由に家を出た後戻ることはなかった。
あるとき家に立ち寄った学生服の妹が、実家にある私の部屋は今お父さんのパソコン専用になってるよと
教えてくれた。多分、サーバールームかなにかなのだろう。そこまでするのかと当時はただただびっくりするばかりだった。
そんな次第で、母と会うのは久々だった。
記憶ではもっとふっくらした方だったのが、その面影はあとかたもなく、様相は一変していた。
20kg痩せたらしい。
ナイトメアビフォアクリスマスにまじっていても気付かないと思う。
祖母は変わらない。祖父が亡くなったことを機に髪染めを止めた頭は、
薄茶と白のまだらな髪だったはずだが、真っ白になっていたことくらい。
いつも穏やかに微笑んでいる姿はそのままだった。
会話が面白かった。
「私の孫です。」
娘をおいて挨拶するあたり、昔からなぜか自分に大甘の祖母らしかったが、その紹介がまさかの誤解に。
母とセットで兄弟に間違われたまま会話が進んで、
檀家さんが孫だと思っていた人が娘と知って目を丸くしていた。
東京オリンピックって何年だっけ。母の歳の計算を脳裏で思わずしてしまう。
恰幅がいいとは、親父のような男性に対する上品な言いかえだと知ったのは社会人に入ってのこと。
部署編成で久々に顔を合わした同期に先日も言われたが、仕事帰りにお酒で潰すほど呑ませた。
「まぁ、そんなに大きなお子さんがいるの」と対面のご近所さんに何度も言われて、
おかしいと思っていたら姑さんと奥さんと造作がよく似た二人に交互に言われていたのよと
祖母に自慢する母の姿は、確かに若かった。
私は猫は完全室内飼い推奨派。
父は「猫を閉じ込めておくなんて可哀想」派。(母は他界)
我々は長らく別々に暮らしていたのだが、最近同居を試みてみた。
しかし、私が以前から室内で飼っていた猫を、父が勝手に外に出してしまうので、言い合いになる。
馬鹿げた話だが、ここの食い違いが最終的な決定打となって、同居は短時間で解消となった。
猫嫌いのご近所さんに迷惑をかける、様々な病気になりやすい、交通事故の危険性など。
しかし父の考えでは、それらは全て人間の勝手で、猫の自由を束縛する理由にならないとのこと。
猫を飼う事自体が人間のエゴであり、自分以外の人間の都合よりも猫を尊重しては駄目でしょう、という反論も届かず。
まあ「可哀想」というのは理屈ではない。父の言い分も理解はできる。
世代によって、動物への接し方はかなり違う。父だけに文句を言って済む問題でもない。
でも私だってその辺のことは全部踏まえた上で尚、様々な要素を考えて室内飼いがやはりよかろう、と結論したのだ。
今更意見は翻らない。
15年位前から、実家の何軒か隣の家からはしょっちゅうヒステリックなおばちゃんの声が聞こえてきてて、
それが夜中まで続いたりするもんだから凄く嫌だった。
「なんでそんな事が出来ないの!!」とか、子供にどなりつけるような内容もあり、ほんとに「ふじこってる」というか。
声だけじゃなくて家の中で物を投げたり大きなものがドスンと倒れるような音がしたり、とにかく大変そうだった。
しばらく経つととおとなしくなる期間があってまた騒がしくなったりしたから、
まぁ一過性のヒステリーなんでしょうって感じで、ご近所さん達も諦めてた。
ちなみにその家の人はご近所づきあいもしていなくて、自分はその家の人を見たことが一度もない。
(旦那さんがいるらしいのは噂話が聞こえて来たけど定かではない。)
4年ほど実家を離れていて、去年また実家に戻ってきてもそのヒステリックな声は続いてて、「何すんのよ!やめてよー!」
とか夜中の2時とかにも聞こえてくる。まだやってるのかと驚いた。
ここ1ヶ月位はまた静かになってて、まぁ沈静化したのかなーと思ってたんだけど、ある日その家の前通ったら、
門から玄関までの間(アプローチっていうのかな?)に、生ゴミは無いにしろ、
布団や壊れた家具やいろんなゴミが散乱してるし、植木は荒れ放題。
郵便受けはパンパンで取り込んでいる様子もなく、夜になっても電気がついていない。
人の気配が無い。
そんな状況が続いていておばちゃんの声もしないし、とうとう入院でもしたか実家に帰されたかと思っていたけど、
自分の家にも入ってくる。
原因はわからないけど、少し怖い。
通報した方がいいのか迷っている。
今日は朝からずっと雪かきをしていて、体力的にも疲れたし、こういうときにはどうもいろいろとご近所さんに気を使ったりすることが多くてそういう面でも気疲れした。昼食を食べてから一休みしていたのだけど、その間もいろいろなところから雪かきの音が聞こえてくる。こういうものは、ここからここまではウチの責任、みたいなところがあるわけだけど、そういわれればそうかもしれない、でもちょっともう体力的にしたくない、みたいなところを朝からし続けていたのでもういい加減にしたいという感じになっている。
本当は周りはみな市道なのだから市がやるべきだと思うのだが、そういうことはほとんどやらないので結局住民が自主的に自分の家の周りを雪かきする、ということになる。それをやらないと行けない、と思うかどうかは人によるわけで、ウチはちゃんとやってるのに隣は、とか、行政がやるべきなのにそういう主張をしないで自分たちでやるからいつまでたっても負担がなくならないのだから間違ってるとか、そういうことから、結構雪かきを原因にした仲違いとか、そういうこともよくある話なのだ。
実際車を運転していると、「このうちの前はいつも雪がかかれていない」という場所がある。私の住んでいる地区は平均年齢が高いせいもあるのか、かなりみなきちんと雪をかく人が多いので、よけい目立つ。ほかの地区に出ると急に道路が凍った雪でぼこぼこになっていてハンドルを取られて危ない、ということがあるのだが、私の住んでいる地区では「あまり」ない。まあそういう共同体規制が強いからこそ、こういうときに雪がきちんと片付く、ということもあるわけだが。
この件に関しては、家の前の雪かきというのは、それが市道であると言う前提に立てば、基本的には本来はすべてボランティアになるわけだから、あまり目くじらをたてるのもどうかという面もあり、そんなことを言っていたら雪が片付かないということもあって、なかなか悩ましい。私は普段はそういうことにはあまり深入りしないようにしているのだけど、こういう具合に関わりを持ってしまうと、必然的にいろいろなことを考えさせられる。
働き方を巡るいろんな発言を見てて以前どこかで書いたことを思い出したので。
その集落には、90歳くらいのおばあさんとその娘さんらしき、これまた70歳くらいのおばあさんが経営する
小さな薬屋さんがあった。
私はその店の前を通って駅に出ていた。
ある中学生の少年が、朝、学校へ行く前にその薬屋さんの外で自転車を降りて、表から閉まっている店のシャッターを上げて、再び自転車にまたがって去っていく。
帰り、学校で部活でもしているんだろうか、6時ごろにもう一度この店の前で自転車を降り、外から棒を使ってシャッターを下ろして、帰っていく。
朝晩のそういう風景を何度かみたことがあり、一体これは何だろうと思っていた。
あるとき、その薬屋さんの近くの駄菓子屋さんでご近所さん同士が喋っているのを聞いてようやく意味が分かった。
高齢の親子が営む薬屋さんは近所で唯一の薬取扱店で集落では重宝されていたのだが、
そろそろ閉店しようと思うという相談が持ちかけられた。
理由は「シャッターを開けたり閉めたりすることが体力的に出来なくなったから」。
それを聞いたご近所の人が「それなら、うちの孫に朝晩シャッターの開け閉めだけのアルバイトをさせてくれないか?
孫はちょうどお小遣いを欲しがっていたところだから、その駄賃はわたしが出してもいい。一軒しかないこの店がなくなるのは不便で困る」と。
そういうわけだったのか。
田舎なのでシャッターに鍵もつけていないのだろう、少年は朝晩のシャッター上げ下ろしだけを手伝っていたのだった。
シャッターのあげおろしができなくなったんなら、誰かが手伝うわ、それでどうにか店を続けていけるなら続けて頂戴よ、
そういう話だったようだ。
その店はわたしもたまに利用していた。
売り方も買い方も独特。
例えば「バファリン、ください」というと、
90歳くらいのおばあちゃんが「はぁ、どれですかな?」と聞くので、わたしは「これです」とガラスケースから指を指す。
「これですか?」「はい、そうです」
少しお耳が遠いようで、商品名を早口でいうと分かりづらいようだ。
希望の商品を取り出してくれたおばあちゃんは、「これ、いくらになってますかな?」と買いに来たわたしに聞く。
バファリンには、大きく油性マジックで「930円」などと書かれてある。
眼が遠くなったおばあちゃんに値段がわかるようにこうしてあるのだろう。
店の奥ではもう一人の70歳くらいのおばあちゃんがこたつの前に積み上げた商品を手にとってなにやら書いているのが遠くに見えた。
「930円って書いてありますけど」というと
「はあ、じゃあ930円です」という。
で、1000円札を出すと「おつりは幾らですかな?」と聞かれ
「70円です」というと、
「はい、おつり70円です。合ってるか見て下さいな」と言われるので
わたしがその場で釣銭を数えて
こういうやりとりを実際にしていた。
けれど、100%完璧にできなくても、助けてもらいながらなんとか仕事を続けられる、というのは
とても大事なことじゃないかと思う。
様々な障害のある人の就労の機会のことが議論される。
わたしたちは何事にも完璧さや合理性、スピード、質の高い接客など、多くを求めがち。
でも、100%完璧なことができなくても、なんとかなる部分はもっとあるんじゃないかと思う。
わたしはこの田舎には5年間近く暮らしたが、ある年のの寒い冬に前を通りかかると、
お二人のうちのどちらの方が亡くなられたのか分からなかったが、
その後その店のシャッターは上がらなかった。
ほどなくして私はそこから転居してしまい、この出来事もすっかり忘れてしまっていたのだが、
数年まえに20年ぶりくらいにそこを通りかかる機会があり、今ではタイムズに代わっている元薬屋さんを見て
懐かしくこのことを思い出した。
それって本当に原因なのだろうか?
たしかに一人目は少し心配したけど、出産の補助もでるし地域によっては医者代もかからない。
金銭ではそんなに困ることはないと思う。
まあ、三人四人は大変だろうけど。
それよりもわたしの経験で辛かったのは二人の時間がまったくなくなること。
夫婦で住んでいたので親は遠くて子どもも慣れてないから預けられないし、
子どもの大変さを実感すれば、とてもじゃないけど悪くて友人知人には預けられない。
ご近所付き合い、いいほうだけどご近所さんにも預けるのは申し訳ない。
今は幼稚園なので割とゆとりがあるけど、そのときはとにかく辛かった。
もう、その経験はしたくないと思ってる。
その他時間がとれなかった理由はもろもろあるけど
やっぱり親が近くにいる人が多いなって思った。
ヤンキ―気質な人が多いから若いうちに生まれるのもあるかもしれないけど。
とにかく大変だけど預かってって言えるのは親だけかなあ。
ケースバイケースだろうけど、そうわたしは思いました。
初めて書いてみたけど、文章になってるかな。
ここのところ、家入さんが銀行口座晒し祭りやら電話番号晒し祭りやらをしている。
これらを批判する人にこんな事を言っているけど
「口座晒しや番号晒しを批判する人間はリスクばかりを強調するが、メリットを期待する人のみがやればいいんだよ。リスクをゼロになんて出来ないんだから、そのリスクとうまく付き合えばいい。安全圏からリスクばかり批判する人間が多くてうんざりするね。何かやる前に考えるから最初の一歩が踏み出せない
そもそも法人や個人事業主はウェブに電話番号や銀行口座を元々晒している訳で。番号や口座=個人情報、なんてのはただの思い込みだったりする。嫌悪感を覚える人がいるのは僕もよくわかるが、だったらやらなければいいだけの事。何も出来ないちっぽけなうちは、何もかも晒して戦うしかないと僕は思う。
「口座を晒したら入金してくれた方と仲良くなりました!」「電話がかかってきてまさかのご近所さんで今お茶してます!」そんな声たくさん。従来のいわゆる"常識的"なコミュニケーションツールでは繋がれない出会い。僕はその可能性を模索したい。口座も電話も晒して赤の他人と繋がってみようよ」
正直、家入さんに乗せられている人の多くはリスクを認識してない様に見える。
リスクを認めてメリットを取るのと、リスクを理解すら出来ないのは違う。全然違うんだよ。
この動きに乗っているのは高校生なんかの子供も多い。その年頃の子にこの人のする事が魅力的なのは理解出来るけど、その子達に何か起きても家入さんは責任を取れないし取るつもりも無いだろう。
こういう事を言うと子供扱いするなと言われそうだけど、子供だよ。
年の問題じゃない。
投稿を見てそう思った。
「誰でもいいから電話しよう!それぐらいひまなんです!w ちなみにJKだよ! 080********」
「もしかしたら自分と小さくても接点がある人からかかってくるかもしれないし、、、思い切って!!! 080********」
残念な投稿ばかり集めてるのもあると思うけど、リアルタイムで見た時もこんなのばかり目についた。
でも、彼のする事に足りない考えで追従する人はなんだか気持ち悪い。
そもそも電話番号晒しなんて昔から出会い厨がしてるけど何が違うの?
家入さんの動きに乗る愉快な繋がりさいこー!って感じの人が多いみたいだけど、そこが一番理解出来なかった。
家入さんは普通の人ではないんだよ。彼は自分を晒して芸能の世界で生きている人なんだ。
彼のする事は彼だから成立するんだよ。
もちろん、殆どの人はさいこーな仲間が出来たり出来なかったり、振込があったりなかったりで済むだろう。
でも、このままこんな事を続ければいずれ問題が起きる。起きない方が不思議だ。
その時、自分を好きな人たちにリスクを十分に説明していない家入さんを僕は許せなくなるかもしれない。
こんな事を書いても、実際に届けたい人には届かないだろう。
実際に卑怯だと思う。でも、僕は君らの為に実名で書くリスクを侵したくない。
届かないだろう事を書くのは不毛だし哀しいよ。
もうこれ以上書くのもやめておく。
でも最後に言わせてください。
多分あなたがたは上から目線だとか卑怯だとか余計なお世話だとか、僕を批判するだろう。
だけども僕は心配している。
どうか大好きな家入さんの動きに乗っかる素敵な君達に、素敵な縁だけが巡る様に祈っている。
そんな世界であって欲しい。