はてなキーワード: ご近所さんとは
仮に中国が日本と全く同じ政治体制の国だとしても、核兵器持ってるってだけで脅威だよ。
逆に言えば、中国が共産党の一党独裁国家であるかどうかは「日本にとって脅威であるかどうか」という
点を考えるにはどうでもいい。
なのでその点は少なくとも自分は恐怖にも脅威にも感じない。
増田みたいな人には逆に訊きたくなるんだが、
「じゃあどんな国がご近所さんだったら安心できるのか?(脅威や恐怖と感じないのか」
「じゃあ中国と韓国(それにロシアと北朝鮮か)がどんな国だったら安心できるのか?(同上」
ということだ。
「日本と同じく議会制民主主義で多党制で核武装もしておらずそう大した軍事力も持たず、平和主義を(少なくとも表向きは)取っている。
外国に対して過度に攻撃的になることはないし、政府も国民も親和的で、外国に対して友好主義を基本にして接してくれる。
貧富の差が全くないわけではないが、全体としてみれば世界の中でも豊かな方で、民族、人種的な対立も内乱や内戦なるような可能性は少ない。
全くないわけではないが人種差別は禁止されているし、人権尊重主義を貫いている」
国じゃなきゃ安心できない、というのであれば、それは結局ただの「空想平和主義」でしかないだろう。
そんな都合のいい国がそうそうあるわけ無いだろう、っていう。
職場と喧嘩した結果、お金をそこそこもらったのでしばらく無職生活を送ってた時、
暇だったので某無料通話アプリの話し相手募集掲示板で同世代の三人の女性とそれぞれしばらくやり取りをしてみた。
霊能力者というか、ヒーラー?
統合失調症にかかった辺りから色々と感じるようになって、色々勉強してそういう商売を始めたのだそう。
いつも彼女が一方的に親との確執や商売上の愚痴等をがーっと喋り、落ち着くと通話が落ちるとかそんなパターンだった。
具体的には忘れたが、親との確執も結構現在進行形で半端なかった感じで、こういう人が他人を癒すとか大丈夫かいなとか思った記憶がある。
自分をリーディング(遠隔視?)した際、「気管支に重大な欠陥を感じる」と言われたが、
ある時、彼氏になりそうな人がいるみたいな話をされたのでその素性を聞いた所、
やはりその通話アプリで知り合って実際に会い、好意を抱いた人だそうで、
キャバクラだかのボーイを転々とやりつつも碌に給料を貰えないらしく、極貧生活を送っているとのこと。
一方で婚活もしているそうで、年収1000万円以上が条件らしい。
その条件は厳しいのでは?と聞くと、前に付き合ってた男の年収がそれくらいだったからとのことだった。
その彼氏候補には堅気の仕事に就いてもらったらいいんじゃね?というと、
話している内に最寄駅と町界名までが同じことが解り、地元の店とかの話で盛り上がった。
そして最寄駅前で実際に飲むことになった。
当日現れたのはちんまりした感じのおばちゃんと言った感じの人。
しかしまあ、通話の際は気にしなかったが実際に会ってもとにかく喋りが止まらない。
彼女は家族の健康上の事情でしばらく実家暮らしだったが、今は実家からそう遠くない辺りで一人暮らしをしており、
家族が倒れた際に仕事を辞めてから、しばらく働いていないとのことだった。
二時間くらいのつもりだったのだが、向こうの勢いが止まらず、19:30に店に入って出たのが23:30を回っていた。
ご近所さんだしお互い暇だし、時間が合ったらランチでも近場で食べに行きましょうやみたいな話になってその日は別れた。
それから何度か通話のお誘いがあり、話している中で「好きな人がいて悩んでいる」みたいな話をされた。
その人は株かなんかでめっちゃ稼いでいるバツイチのイケメンで、自分みたいな干物女とは全然釣り合いが取れていないんだけど
何故か相手をしてくれるのでどうしていいか解らないと言うので、共通の知人使って外堀埋めたら?みたいな提案をしたら「その彼も無料通話アプリで知り合い、一度飲みに行っただけなのでそこまで踏み込めない」とのこと。
そのバツイチイケメンは彼女に「女性としての自信をつけさせる為」ひたすらセックスしようと言ってきているらしい。
んじゃエッチをちらつかせて思わせぶりな態度とってればいいんじゃないのとかいやむしろエッチしちゃえばいいんじゃないのとか適当な返答に終始した。
また、某有名婚活サイトに登録して活動を開始したとも言っていた。
その後何度か誘われてお茶をする機会があり、バツイチイケメンや婚活の進捗の話を聞いた。
バツイチイケメンにはメールをしているけど忙しいのか反応が良くない、婚活は今度都心に住む年収1000万円の自営業と会ってくるのと並行して、年収400万の40歳リーマンとやり取りを始めたとのことだった。
このあたりから、彼女に対して口調がぞんざいになっていたと思う。
いやもう、バツイチイケメンとエッチしたらいいんじゃね?とか。
テクニック的な所で頑張れば食い込めるんじゃね?とか。
ある時、夜中に彼女から「急ぎの話がある」とメッセージが来たので通話してみると、バツイチイケメンの家に突然呼ばれて行ってきたのとのことだった。
うろ覚えな経過としては、突然バツイチイケメンから彼女に「体調が悪くなったが誰も呼べる人がいない、来てくれないか」みたいなメッセージが来たので駅三つほど離れた彼宅の場所まで料理を抱えて自転車で持って行ったが、別にそんな具合悪そうでもなく、彼宅で一晩を過ごしたが何もなかった。彼は延々DSやったりテレビ見たりしていた。夜は彼がベッドで寝て彼女がソファーで寝た。昼くらいに帰るねって行って出てきた。
うんまあ、家に上がれたってことはこれ以上ない前進だろうから、やりたいようにやればいいんじゃないでしょうか…。
自営の人とは会わなかった、40歳リーマンからはほぼ毎日メッセージや通話が来るけど面倒くさくなってシカトしている時もある、云々。
ところで今時間ある?ご飯食べた?
ふーん、あ、そう。まあ、好きにしたら?いや、今起きて飯食ったばっかだから。
すると彼女が豹変した。
機嫌悪いの?あたし平和主義者だからさ、八つ当たりされても困るんだけど。
私はあなたにとやかく言ったことないのに何でそういうデリカシーがないこと言うの。
こっちだって空気読んでるのに。仕事したらいいじゃん。逃げているだけでしょ。
これで通話を切られ、最後に
人のせいにばっかりしていないでもうちょっと大人になったら?
世の中そんなに甘くないし(笑)
あんたとやり取りしていると心が荒むのでコンタクト切るわ。」
というメッセージがご丁寧に送られてきた後にブロックされていた。
その20分後、携帯に「私の連絡先、消しておいてください」と更にご丁寧にメールが来たので
「本当にありがとうございました」と返信した。
その後、生活圏がまるで一緒ということもありスーパーと最寄駅で一回ずつ見かけた。
スーパーでは向こうが気付いたらしく、結構な勢いで逃げて行った。
普通に働いている人で、地方名産の食べ物の話とか彼女が片想いしている人の話を聞いたりして、ほぼ毎日通話していた。
プロフのツイッターアカウントにそこそこの個人情報が載っててあぶねー人だなとか何となく思ってた。指摘しなかったけど。
最初こそは普通に楽しくお話していたが片想いの人にこっぴどく冷たくあしらわれた辺りから何かおかしくなり始めた。
それまでこちらが応援モードだったので何となくその愚痴を聞くことになったが、もう人生ダメだみたいなことを言ってる彼女にそう世界は捨てたもんでもないですよ的な話をしたような気がする。
すると、その感情の矛先が全部こちらにきた。
通話するたびに子供が欲しい、女の厄落としは出産、結婚しようとかまあまあなテンションで言ってきた。
あり得ん感じではいはいいいですよーみたいな感じで相手してたが、ある時それを端緒にやっぱり爆発した。
彼女は不妊体質で、若い頃に婚約者とその親族にまあ酷い言葉を浴びせられて破談にされたことがある…
産まれなかった子供は、賽の河原で石を積んで、鬼にそれを崩される仕打ちを受ける…
子を産めない自分は欠陥持ちなんだからそういう札を首から下げればいい…障碍者は障碍者って解るけど私はパッと見で解らない…
…そんな話を微に入り細に入り三時間こってり聞かされた。
通話が終わる際に彼女の「ああ、すっきりした」という一言はなかなか印象深かった。
しかし、すっきりしたはずだが、次の通話でもまるで同じ話をしてきた。
ああ癖になってきてるなあと思いつつ、潮時感も満載だった。
でも、この日は一時間半で終わった。
そこからはそもそも通話アプリを立ち上げることもなくなったので、もう彼女とも話していない。
自分とのやり取りの感想等が、自分が告げた名前と共に書き込まれていて、(アカン)となった。
・ちゃんと働こう。
・心療内科通院歴のある人には接し方を気を付けよう。ていうか、最初にそれを確認しよう。
・やっぱり年収1000万!
ぼくのイメージする保守とは、共同体や人のつながりを大切にする考え方だ。
個人の権利や自由を徹底しようとする革新は、その結果として町内会やご近所さんや親戚や家族であってさえも、他人に口出しすることを許さない。
もちろんそれによって従来の抑圧から解放されるというプラスの面があったことは否定できないだろう。
でも、他人のあなたには関係ないでしょ、というような態度ではなかなか助け合いの気運というものは生まれにくいし、そんな社会が幸せだとは思えない。
だから、ご近所づきあいが少々面倒でも、多少プライバシーその他の権利が制約されても、今よりもう少し共同体や人のつながりが重視される社会になればいいな、と思っている。
そういう意味で、ぼくは割と保守的なところのある人間だと思っている。
そんなぼくから見て、自民党のどこが保守なのかよく分からない。
小泉首相が行ったような自己責任を前面に押し出した改革はむしろ個人を分断し共同体を弱らせるものじゃないんだろうか。そしてその路線は今も堅持されている。
菅義偉さんは先日母校での講演で「他人は助けてくれない」ということを言ったそうだが、こうした言葉にも助け合いを否定し自己責任・自助努力を強調する自民党の考え方が滲んでいるように思う。
ぼくにはそういう考え方が良いのか悪いのかは分からないので、そのことを批判するつもりはない。そのような考え方を持つ政党がなぜ保守と言われているのか不思議だ、という日記。
分母が大きくなると関係が相対化されて薄くなるように感じる、
1/1と1/100は違うもんね。
ただ、時系列の中に並べていけばその時点時点は1/1じゃない?
今までの経験人数の総和を基準にするのは男が処女処女って騒ぐ影響もあるのかな。
あと経験人数とか正直に言う必要ないでしょ!責任もって隠し通してあげればさ。
うーん、年齢差別はどうだろう…。
確かに年齢の十の位が1だと、それだけでモテるよ。
40から50とかになると市場もだいぶ縮小するけど、それはノンケでも同じだろうし…。
あとね、老け専ってノンケにも通じる言葉だと思うんだけど(ノンケだと熟女専?)、
オケ専は通じるのかな。この「オケ」って棺桶のことなんだけどね。
棺桶に片足つっこんでるような人がタイプ!って人たちがいるわけ。
それでも誰専とは違うっていうんだよね。
その辺になるともう俺とは別世界って感じ。
http://anond.hatelabo.jp/20121205232647
「わらわら」みたいな、大手チェーンのわいわい店もあれば、個室中心の落ち着いた店もあるし。それは、客層がいろいろあるからでしょ。
カウンターがある店なら、テーブル席って言っても、奥に4人掛けの席が3つ4つある程度でしょ。
問題はさ。奥さんがご近所で飲んで欲しくない理由が「あなたのことが噂になるから」ってところが、私は解せないわけ。逆はあるよ。飲み屋の常連さんたちが、ご近所さんで旦那さんが飲んでると「あんたの奥さんは、昼間、これこれこんなことをしている」ってご注進してくれる奴は。旦那の耳に入れるのは、同じ場所で飲んでる「仲間」として当然の行為だとでも思ってるんだろ。
でもね。幼稚園で「あなたの旦那さん、夕べ、どこそこで泥酔して大変だったのよー」なんて言ってくる幼稚園ママがいる? そういう目撃は、その場にいる人じゃないと出来ないわけでしょ。旦那と同じ時間帯に飲んでて、かつ、他人のことをとやかく言える状態なんてあり?
奥さんが掲げている理由、変でしょ? 成り立たないじゃない。嘘だよ。と私は言ってるんだよ。
だから「居酒屋って場所がうんぬん」なんて言ってないで「これこれ、こういうシチュエーションなら成り立つ」ってのを例を出してみなよ。「無い」ことを証明するのは難しいけど「有る」ことは実例一つ出せばいいんだから簡単でしょ。
地方だけど
「あれ、○○さんとこのお爺ちゃんが一人で歩いてる。たしか認知症で、外に出る時はいつも付き添いがいたよね。心配だからちょっと知らせてくるわ。」
なんてことがよくある。
ご近所づきあいがあまりない家だと「ちょっと知らせてくる。」のあたりで億劫がられるかもしれないし、そもそもどこの誰かわからなかったりする。
震災直後の混乱の時も、計画停電の情報とかどこのお店には米や野菜が残ってるかとか情報交換しあったし
小さな事かもしれないけど、食べきれない程の頂き物があった時も、気楽に分けられるご近所さんがいるといいし
離れたとこでも酒癖悪いのは問題だし、ご近所さんがきょーび何の頼りになるのかねえ。
自宅から遠い所で飲んだらいいだろ
うちもお酒は飲まないけど、ご近所さんがやってる飲食店には行かないルールがあったよ
ご近所づきあいちゃんとやるつもりなら気にするよ
> ・・・「亭主が一人で外で酒を飲む」というのは、幼稚園的には、許されないのか?
> 幼稚園パパたるもの、仕事が終ったら、真っ直ぐ帰って、マイホームパパを演じなきゃならないのか?
> そういう「肩肘張ったライフスタイルの押し付け」が、世の中の男性を子作り子育てから遠ざけてる気がする。
> マイホームパパ、理想的なパパ以外にも、「ぐうだらパパ」「飲み屋で飲んでるパパ」が
> いてもいいじゃないか。
月一回でもいいから、奥さんに「ぐうたらママ」、「パパが会社から帰ってきたら夜遊びに出ちゃうママ」を経験させてあげられるのならいいんじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20120805002433
↑えらい盛り上がってまんな
ウチも足りん。ソーシャルゲームっていう括りで言うならば、当方もご多分に漏れず始めたので、この増田と同じような会社と思われるんだろう。もしかしたらご近所さんなのかもしれない。けっこう同じ場所に密集しとるからな。
正直に言う。足りない。いない。集まらない。
外注で声かけてもシカトされる。あるいは、よくある「○ヶ月先まで予定が埋まっています~」というアレ。
当然社内でもイラスト制作やデザイン業務を行う必要があるので、発泡尽くして人材紹介会社や求人サイトと呼ばれるところで求人かけるんだが、やってくるようなのは上の増田さんと同じような感じ。しかも、増田のように美大卒や芸術家なんか見たことないです。そんなスゴイ人が来たら速攻採用するって。
正直に言うね。
デザイン業務ったって、ぶっちゃけ雑用みたいなモンだから、最悪、画力なんかどーでもいいのよ。むしろ画力ある絵師様からして見たら、とても退屈な仕事なのではないでしょうか?で、その程度しかできない雑務要員ならもう吐いて捨てる程いるからいらないのよ。探してもいないから。現状我々のような下々のディレクターがやっていますから。デザインったって大体やり方決まってるから誰でもできますからね。私がやってるくらいですから。
私どもが求めているのは、売上に直結できるようなイラストを沢山描いてくれる人。うまけりゃいいってわけじゃないです。
「デッサンを~」「構成が~」「色合いが~」、それ、ぶっちゃけどうでもいいです。そんなの我々のような絵を知らぬ下々の人間はわからないですし、客はもっと理解できませんから。ちゃんとしたまともな人間や絵が描けているなら芸術的な要素とかどうでもいいっす。いくら絵を理解できぬ下々とはいえ、よくある異次元デッサンくらいはさすがに分かります。反転すればいいって聞いたし。
発注側の要望を的確に聞き出して素早くアウトプットしてくれる絵描きさん。ま、絵とかデザインに限らないでしょうが、いわゆるコミュニケーションって奴ですか。それができる人は意外に少ない。こっちが「こんな感じで絵描いて」と他社様の参考例を持ってこないと理解できなかったりする。で、しかもそれを丸パクリするし。そうじゃねえって。それじゃ所謂「パクり」じゃねーかよ。
バストアップでこのキャラクターが、って説明して、ああ、この分類のグレードのイラストが欲しいんですね、じゃあこの装備グラフィックでこんな角度とかを既存と被らないような数パターン・・・と、こちらのタスクをその場で理解してくれるような人。そういうのを求めている。多分だがその増田もそういう事を言いたいのかもしれん。偉大なる芸術家先生にそのような下賤な要望をするのもおこがましいと考えているかもしれんがね。
こっちは芸術作品を生み出しているのではなく、所詮は大量に消耗品を作って、売って、売上上げているのだ。それを理解できない、見下しているなら、正直言うが商業の世界に来ないで欲しい。個人で好きなだけ芸術でも何でもやっていればいい。
というかこれは持論なんだが、「ギャラ」を持ちだした時点でそれは商業・ビジネスなんだから、少ないとか言うなら取引しなければいい。当然修正要望なんかバシバシ出しますよ。よくそこんとこ聞き入れないで勝手にペン入れしちゃったんですけど~とか抜かす絵師様いらっしゃいますが。金貰ってやってんだからあなた様の良し悪しなんか知りません。金を払って使う側である我々が判断するからそれ。金貰ってプロ名乗ってんならそのくら分かれ。
それとさ、面接でも打ち合わせでも、その場でスケッチブックにペンでちょっと描いてもらおうとすると急に地蔵になる絵師様が最近多いけど、あれ何で?絵なんかまともに習ってない俺や若い衆でさえ、この女の子こんな感じにしちゃおっか?いやここはこうして萌え要素をだな、先輩それセーラームーンみたいでセンス古いッスよ、最近はこうだwwwってラクガキ同然にウキウキ描き描きしちゃってんだけど、なんでプロ名乗ってる絵師(またはその候補)が、あ、いや、はい・・・みたいに、その場で硬直しちゃってんのさ。もちろん「あ、おっけーっすよ、こうっスか?」みたいにその場でサラサラと、いやアンタここまでやらんでもええっちゅうねんっていうくらいデッカく描ききっちゃう絵師さんもいますがね(ニコ動等で講座みたいなのやってたそうです)
年金がもらえないー税金が高いーって騒いでる奴ってエネルギーの無駄だと思う。
年金はもらいませんって決めてしまえば、あとは申請するだけでこんなにおトク。
年金→払いません。
税金→0円です。
保険→月々1000円で。
この申請、年一回30分ですむんですね。
コツはご近所さんの細かい仕事をコツコツこなして、ぜんぶ現金で貰う事。
なんで1000円に設定してるかというと
領収書も請求書もつくりません。
ちゃんと払いたくなる生き物なんです。
1000円でっていうと、だいたい食事やお土産がついてくるんです。
それがご縁で、いまは住んでるとこもタダです。留守番役ですね。
なんだかんだで、月10万円くらいになりますが
どんなに啓蒙しようが個人自体の情報精査能力がアレなら手のうちようがない
がん患者が妙な民間医療に頼りだして医者に行かずに手遅れになったり
母親学級行けって言われたのにスルーして栄養管理がグダグダな人、いるでしょう
追記も読んだが増田は周囲に期待しすぎ
正しい情報が広まってれば自分はこんなことにはならなかったんだ、
そう思いたい気持ちはわかるがそれはifでしかないよ
情報潤沢に与えても、その情報自体を見ない、もしくは見ていても否定するんだからさ
たとえばワクチン嫌がる人珍しくないよね
大抵の人間は、悪いことは自分にはまさかおきないだろうと思ってる
そんなところに「(病気名・年齢)でも妊娠出産した人いるから大丈夫よ頑張ってね」ってご近所さんに言われれば納得しちゃう人間っていうのがいる
自ら正解とは程遠い着地点に行こうとするから
増田も、今は混乱してるだけだと思うんだけどね
認めたくなかったことを突きつけられれば、心理的にそういう状態になってしまうというのはわからないでもない
ただ、メディアを責めるのはお門違いだよ
だってもう十何年も前、それこそ一般人がネットなんてしてない時代から、それなりの頻度で情報は出まわっていたんだから
かといって自分を責めるのもお門違い、誰か近しい人を責めるのもお門違い
誰かが死んだわけじゃないんだから、考え方を前向きにな
坂口綾優さんのすごいところをみんな分かってない。これからの人生に降りかかるこんなリスクを全部背負った覚悟を決めたんだ!坂口さんはすごい!坂口さんを褒め称えよう!
「あ、あれ坂口さんじゃない」「ネットで話題の!」「遊びまくって奨学金打ち切られて退学!」「からの〜、ネットで」「完全に乞食だよねー」「不真面目な私だって一応単位は落とさないようゼミは来てるし試験だって受けてるのに」「赤点のくせにー」「坂口さんよりはマシ−!」「だよねー!」(一同笑)
「ああ、あれが噂の坂口さん、だっけ」「いいわよねー、ネットにお友達が多くて」「時代なのかしら」「私たちには分かりませんね」「少し甘やかされてる気もしませんか」「だから私たちがいるのでは」「他生徒よりもキビしくしましょうか?」「まさか」「我々は」「公平な立場ですものね」「ええ」「そんなことありえませんよ」(一同笑)
「坂口さんってもしかして?」「あ、やっぱりそうなんですか」「ネットの」「ああ、そうなんだ、似てると思ってましたが」「だいぶ昔の話ですけどね」「有名ですよね」「ネットの力使って給料交渉とかされたら嫌ですね(笑)」「彼女は仕事中も自由にネットを使えますか?」「おそらく」「●●くん、少し監視じゃないけど見ておくように」「えー、そしたら僕がクラウドいかされちゃいますよー」(一同笑)
「彼女、あれなんだっけ?」「あれって?」「坂口さん、だよね、ネットで有名な」「ああ、知られてるんだ」「有名だよ、どうなの?」「どうって?」「やっぱ四六時中ネットしてるの?」「うーん、まあよく見てるよね」「嫌じゃない?」「まあ、仕方ないよね」「知って付き合ってるんだもんね」「結婚は?」「考えてはいるけど…」「ネットの人に結婚費用出してもらいなよ」「マジか、それやってもらおうか」(二人で笑)
「坂口さんって、あのインターネットでお金を集めた方?」「そうだよ」「相手のお家は財布が苦しいのかしら、いくらお嫁さんだからといってウチも大変なんだから全額負担とか難しいわよ」「うーん」「困ったらインターネットなのも困るな、私の家族がネットで紹介されては少し躊躇してしまう」「そうね、お父さん」
「あれが坂口さんかー」「いい嫁さん貰ったよなー」「でもあれなんだろ」「あれって?」「ネットでお金集めるのが趣味らしいぜ」「どうやって?」「知らない人にお金貰うんだって。新宿の日記売りみたいに」「えー、マジ印象違う」「でもそれで有名人なんだって」「この結婚式ももしかして?」「かもなー」(一応笑)「おい、声でけーぞ!」「後でアイツに聞いてみようぜ」
「あそこに引っ越して来られた、●●さん」「ああ、若いご夫婦。アタシも若い頃思い出すわー」「それがね、あのお嫁さんなんだけど」「少し愛想ないけど可愛いわよね」「旧姓、坂口さんって言うんだけど、インターネットの、ほら、あれ、知ってる?」「あれ?」「見知らぬたくさんの他人からお金をせしめたって言う」「ええ、怖い」「しかも自分で大学サボってストップされた奨学金を払わせたんですって」「ええ、本当それ?!」「ほら、このページ(スマホでまとめサイト見せながら)」「あら、確かにあの方ね」「怖いわねー」「でもあまり騒ぐとインターネットに言われちゃうから」「もっと怖いわねー」「ちょっと距離おいたほうが良いかもしれないわねー」
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※このエントリを書くきっかけとなったのはこの記事です。→http://hamusoku.com/archives/6930329.html
※「知人」には許可を取ってあります。
昨年引っ越しをして、ようやく新しい生活が落ち着いてきた知人に会ってきた。
もともと彼は仕事を辞めるつもりはなかった。何と言われようと東電に勤め続けるつもりだった。
が、秋頃に彼の子どもが、学校でイジメに遭っていることが発覚した。
机に「原発」とか「放射能」とか彫られたり、日本から出て行けと罵られたり、
その子がおとなしいのをいいことにどんどんエスカレートしていったらしい。
彼は子どもを救うことを優先し、生まれ故郷(偶然私の実家に近い)に引っ越した。
家族全員まだまだ立ち直れていないけど、幸い何とかやっていけそう、とのことである。
この話を聞いて、あなたはどう思っただろうか。
「東電社員転落人生ざまぁwwwww」とか、「子どもに罪はないだろ!いい加減にしろ!」とか、
「だから何だ責任放棄するな盗電野郎が」とか、色んな感想を抱いたことだと思う。
でも、「その人東電の"どこ"で働いていたの?」という疑問を持った人は、どれくらいいるだろうか。
彼は、火力発電関連の部門で働いていた。
3.11以降、原発にかわってフル稼働している火発の技術者だった。
彼が東電で働き続けるつもりだったのも、月並みな言い方をすれば、自分の仕事に誇りを持っていたためである。
「原発が"直ちに健康に影響ない"発電所なら、今の火発はまだ"直ちに健康に影響ある"発電所」
「焦って火発を乱立させるくらいなら、3.11の経験と今の技術(※1)をもとに原発をつくった方がずっと安全」
と語っていた。そんな火発だけど俺たちがどうにかしてみせる、とも言っていた。
そして自分の仕事については、近隣住人にきちんと話していた(※2)。
にも関わらず、イジメが起きた。イジメっ子の家庭は間違いなく彼の実情を知っていたのに、である。
連日の報道であまりに自然に「東電=原発」のイメージが染みついてしまっているが、
「東電=原発」の間違った前提で行われる東電叩きは、明らかに脱原発の道を遠のかせる。
別の部署で事故が起きたので必死で働いてください、でも給与は削減します、
社外からはその部署と一緒くたにされて叩かれます、私生活で嫌がらせを受けるかもしれません。
これで「仕事に誇りを持ってるなら堂々としてろよ。(※3)」と言われるのは、さすがに理不尽ではなかろうか。
東電という企業が叩かれるのは仕方ない。仕方ないどころか当然だ。
でも「東電社員」を叩いている人は、その相手があなたが別の場所で応援していた、
原子力以外の発電に携わっている人間かもしれないという想像を、一瞬でいいからしてほしい。
私には彼の他に数名、発電所で必死に関東の電力をまかなっている知人がいる。
はっきり言って同じような話は、もう二度と聞きたくない。
【2ch】ニュー速クオリティ:女子小学生「〜でさぁ、マジでさ〜」 男「うるせーよカス死ね」→通報
こういう話が出る度に「嫌な世の中だ」みたいな反応してる人がいるけど、「知らない人から話しかけられたら注意しろ」とか「知らない人についていくな」みたいな教育って何十年も前からあったじゃん。お前らがどんな子供時代を過ごしたかは知らんけど、少なくも俺の時は常日頃からそう言われてたし、そもそも、知らない大人から声をかけられる事自体、俺自身が何か悪戯でもしない限り滅多にない事で、声をかけてくる大人なんて、ご近所さんや母とよく一緒に行ってた商店街の店主、塾の先生みたいな顔見知りの人ばかりだった。
お前らは「普通に声をかけただけじゃん」とか言うけど、そこには「面識がない」っていうわりと重要な側面があるんだよ。もちろん、それで通報する事を肯定すべきかどうかは俺には分からんけどさ。とは言え、不審がられたくないなら、近所付き合いとか、あるいは地域的な活動にある程度参加して、親にしろ子供にしろ、顔を見ただけで「あ、この人はどこそこの誰々だな」くらいは判断出来る材料を普段から用意しとけという話だし、そういった地域ぐるみの生活が出来ないだろう都心部では、正直、一定の過保護さみたいなものには不可抗力という側面もあると思うんだよ。
昨日、親から「とにかく今すぐ来い」と呼ばれたので、実家に帰った。
わけがわかりません。
怒られるなら理由くらい聞いてみようと思ったんだけど、激高しちゃって話にならない。
一旦外に出たら、ご近所さんが白い目で遠巻きにヒソヒソ。
引き返してよくよく話を聞いてみると、増田が夜逃げしたので親が肩代わりしろと、闇金の取立てが押しかけてきたのだそうだ。
ありえません。
カフェでボーっとしつつ本を読むのが唯一の趣味な奴が、そんな大金をどこで使うんだ。
本人はずっと家にいるし会社にも行ってるから逃げてないし。第一、さっき連絡してきたのは当の親だ。
ようやく家の中へ上げてもらい、冷たい麦茶を飲ませてもらった。ウマー。
しばらく待っていると、親の話のとおりコワモテの取立てが来た。
玄関先で「借金返せ」の大声・・・そりゃ近所も白い目になるわ。
しれっと出て行って、言いくるめて借用書のコピーを見せてもらった。
明らかに増田の書いたものではなかったので、「誰かが増田の名前を騙った借金だから、一切払わない」と宣言した。
「息子の不始末なのに責任逃れか、ふざけんな!」というので、「増田は私だ!」というと、鳩豆状態に。
増田の名前、男でも女でもありな名前なのね。薫とか千秋とか圭とかそういうの。増田は女で、息子じゃない。
親は「子供がケツを拭けないなら親が責任を取れ」と言われたので気づかなかったらしい。
あわてたのは取立ての人。どこかへ電話をかけていろいろ説明してた。
「用事が済んだならお帰り下さい」で帰ってもらった。
野次馬に聞こえるように「騒いですまなかったな」とも言ってもらった。(警察沙汰にはしないということで)
塩撒いてたら、勇気のある野次馬が事の次第を聞いてきたので「なんか人違いだったみたいです」と言うと、安堵9割残念1割な感じでw散っていった。
今年と去年、夏の過し方はどう違う?こう尋ねられたら、「今年は節電のために冷房をつけず窓を開けている」という人は多いのではないだろうか。
かくいう私もそうである。そして、私が住まうマンションの、私の部屋の真上の世帯もそうだった。
少し前、いよいよ暑さも本格化して、就寝時も網戸にするようになったところ、目覚ましよりも2時間早い7時に目が覚めた。暑さのせいではない。上の部屋の小さな子どもが絶叫していたためだ。月曜日のことだった。
絶叫は、困ったことにその後たっぷり10分は途切れず続いた。暑いわ蒸すわ睡眠時間は足りないわ、という状況で聞く子どもの絶叫は、なかなかに不快指数が高い。そして、同様の状況は金曜日まで休みなく続いた。
「子どもの絶叫ってどんなの?」と思われた方もいるであろう。「そんな大したもんなの?お前が神経質なんじゃないの?」と思われた方も。ここで簡単に階上の子どもの絶叫について説明したい。それはまさに絶叫で、恐怖映画でしか聞けないような類の、「きぇー」ど「ぎゃー」の間を取ったような金切り声である。ボリュームは極めて大きい。持続時間は短くても10分、平均20分程度、いちばん長いときは45分ほど続いた。驚くべき体力だ。合間合間に母親の「○○ー、やめなさーい」という低いテンションの注意が入る。その後数秒は声が止むが、基本的に注意は成果を上げない。走り回る足音も結構に響く。
虐待ではないようなのだけが救いだが、どうにもうるさい。集合住宅で生活する上での騒音の上限を、遥かに超えている。
金曜の買い物帰りに、同じ階に住む若い女性と会った。挨拶を交わすと、彼女は眉根を寄せ声を潜め、「あの…お子さんの声、凄くないですか?」と尋ねてきた。「そうですよね、私もう毎日睡眠不足で…」と苦笑すると、彼女は苛立ちと疲れを滲ませながら、「私きらいなんですよ、子ども。ほんとイヤで。もう限界なんですよ。これって我慢すべきなんですか? 私が窓閉めたり耳栓したりしろっていう話なんですかね?」と吐き捨てるように言った。
絶叫は次の土曜日も容赦なく響き渡った。私は7時に目が覚めた。シャワーを浴びて汗を流し、もう一度ベッドに入る。今日くらい、目玉が溶けるほど眠りたい。もうフラフラだ。せっかくの休みに…などと思いながら眠り、そして子どもの絶叫で目が覚めた。その時は訳がわからず、自分が24時間眠っていたのかと思ったが、時計を見るとベッドに入ってから1時間も経っていない。思わず舌打ちし、ウィークデーはバタバタして成せなかった不動産会社への電話をすることに決めた。
昼ごろ電話した。電話口で名前と物件名を告げた瞬間、「恐れ入りますが騒音の件ですか」と尋ねられた。担当氏いわく、今日になって何件も苦情が入ったらしい。小さな子どものことだし、と気後れしていたが、週末まで睡眠を妨害されては我慢ならない、と何人もが話していたという。ちなみに苦情は私で何件目ですか?と何気なく聞いたら、5~6件目とのこと。部屋数が15もないマンションとしては異例の数だ、よほどひどい状況だろうから午後に早速調査に行く、という担当氏の話を聞き、すこしほっとした。
階上の子どもは出かける気配もなく、順調に騒いでいた。不動産会社が来たときだけすごく静かだったらどうしようかとの心配も、まったくの杞憂だったようだ。
午後3時ごろ、「だって子どもなんですよ!」「他の部屋が何時に起きるかなんて言われても知らないですよ!」「じゃあ節電節電言ってる中でうちだけ冷房つけろっていうんですか?うちだけ冷房代払うんですか?」といった内容の女性の金切り声が聞こえた。不動産会社が来たのだなと思った。それにしても、あれだけの騒音にクレームがつかないと考えていたのなら凄い話だ。そもそもあの子どもは、歌うでもなく喋るでもなく、悲鳴だけをあげ続けているって…大丈夫なのだろうか。前にすれ違ったときは4歳くらいに見えたけれど。母親はなんか…ナチュラルっぽいスタイリングのわりにトゲのある雰囲気の女の人だったな…などとぼんやり考えていたら、浅く眠っていた。そしてその眠りは、階上から聞こえた「何であたしだけ…!」という凄まじい叫び声と、力いっぱい窓を閉める衝突音で破られた。
それからは静かなものだった。叫び声は聞こえるが、今までを10としたら1か2程度のボリューム。突き刺さるよう鼓膜を攻撃してきた音の質も、くぐもってマイルドになっている。これなら眠れる。それがただただ嬉しかった。
それからしばらく経った今、階上からは相変わらず、小さくくぐもった音で叫び声が聞こえる。前とは違う点は、母親の金切り声が聞こえるようになったことだ。たまに、父親の声らしきものも。
「子どもが嫌いだ」と話していたご近所さんと顔を合わせたとき、彼女は話していた。あの騒音のおうち、お母さん凄いこわいんですよ。すれ違うと睨んできたり。この前挨拶したら、なんか知らないけど鼻で笑われて。意味分かんないですよね。私が怒られてんの?はぁ?っていう。むしろご迷惑かけてすみませんとか無いわけ?みたいな。なんか完璧こっちが悪者だと思われてるっぽくて。
私(あるいは私たち住人)は、きっと母親を追い詰めたのだろう。いま、子どもへの虐待に発展する可能性を考えると恐ろしい。
では、私は不動産会社にクレームを入れるべきではなかったのだろうか。私が窓を閉め耳栓をすれば万事丸く収まったのだろうか。もしかしたら、階上の子どもは情緒や発育に何かしらの障害があるのかもしれない。母親はギリギリのところで子育てに奮闘しているのかもしれない。しかし、その母親に「目が覚めるほどの騒音を立てないこと」を期待するのは間違っているのだろうか。
それが友達なら刺激しないようにするし、
同僚なら愛想笑いを振りまいて喧嘩にしないようにするし
ご近所さんならゴミ出しのタイミングで一緒にならないようそれとなく注意するし
とりあえず喧嘩とか自分にマイナスが大きすぎる事態にならないようやり過ごすしかない
それが自分の子どもならやり過ごす期間がちと長いけど、それでもやり過ごせばいい、
いわゆる武術の心
「ママンが愛情を注いでくれなかったせいで私の人生めちゃくちゃよ!!」とか
後から言われたって
運がよければやり過ごしてるうちに愛情っぽいものも湧いてくるかもしれないし
てきとーに刑務所に行かないようにがんばれー
君を縛るのは愛情じゃなくて法だけだ
ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。
悲しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。
ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員の場合
■3/11以前
地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。
■3/11
その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常ではない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社がビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルやマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長や上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした。電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした。発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新党連合会という右翼の街宣車が自慢の拡声器で交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波が漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいのだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい。仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節もヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校が避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議したり予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこからは上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビのテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかわからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電で冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚やギター、パソコンのモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時、情報を得る手段がラジオとツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリンを無駄にしたはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。
■3/12
7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官が交通整理をしていた。父曰く倉庫にしまわれていた新車両のパトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニや携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニも開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器のキーンという音がした。電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫も電子レンジも炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社にカップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。
■3/13
この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出したく会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞。スーパー、コンビニ、ガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかい?ごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクはガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターやメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所が若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した。津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンション内はところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニ、ガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300の死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道やネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀正しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり、灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした。風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在にスタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。
■3/14
この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパーの情報や給水所の情報、ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件が震災で中止になったが、スーパーの広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい。広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事は仕事だから」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気と水道が通り、そこかしこで炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司がたまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円のカレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達と遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをした。ネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽな情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報はほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談みたいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災は過去の話ではなくて、現在進行中だ。
■3/15
そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列や渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所や時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい。原発に関する情報も、政府や報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。