はてなキーワード: 経口補水液とは
先週熱中症にかかったので感想を述べようと思う。文章まとめるのが下手だからなんかあれば直す。
かかったのは病院の検査でその日は絶食絶水だったから。
検査を終えたときに頭痛を覚えた。夏場に水を飲まなくて頭が痛むことが去年もしばしばあったので今年も来たかと思って、自販機でいちごオレを飲んだら落ち着いた。今思えばここで大事を取って水分をたっぷり摂ったり診察を受けたりすれば良かった。
家への帰りしな、バス車内で次第にぼーっとしてきてほてりも覚え始めて流石にやばいと分かった。
家に着いてすぐさまエアコンを最強にして保冷剤を頸動脈にあてて横になる。
だけど冷えない。むしろ体の表面がどんどん熱くなっていくのが分かる。
気づけば汗を書いていない。熱いくらいなのに肌さらっさら。
この頃は頭が痛くてあまり記憶に無いけど((たぶん意識薄らいでたと思う))、熱が発熱と違うように覚えた。
発熱したときは芯から熱いように感じるけど、今回のは皮膚の表側のあたりがじりじりと熱く感じた。
“発熱と鬱熱は違う”と前に聞いたことあるから「あー熱がこもるとこんな感じなんだー」ってどこか遠くのことのようにぼんやり思った記憶がある。
あとエアコンの冷風が寒くて辛かった。
体が熱いからちょうどいいように感じるかもしれないけど、顔や胴体は熱いのに手足が異常に冷えて凍えそうなくらいだった。
熱いはずなのに寒くて寒くて身震いをしていた。
足を布団に突っ込んでいたものの手がどうにも冷風に当たって辛かった覚えがある。
いつのまにか家族が来てくれて、なんとか頭痛が引き始めて歩けるようになったのでタクシーで病院へ向かうことにした。
体温と血圧を測定して、CTスキャンをして別の病気じゃないことを確認。
「はたらく細胞」で輸液が天の恵みのように描かれてるけど、かかった先生いわく水分の吸収は消化器経由のほうが効率いいらしい。
点滴や内服はなかった代わりに「経口補水液を買え」との先生のお言葉をもらって病院を後にした。(ここまで検査当日の話)
その日と次の日は歩けるレベルではあったものの頭痛とめまいがひどくて家のこともまともにできなかった。
ようやく良くなり始めたのは翌日夜からのこと。
だるさ・熱・頭痛のトリプルコンボで食欲が本当に無かったけど、カロリー切れで治らないんじゃないかと思ってウィダーインゼリーのハイカロリーなやつを何本か吸ったら少し調子が良くなった。
これで確信を得たので、食欲が引き続き無いもののおかゆを食べたりして半日ぐらいかけて治っていった。
翌々日には汗をかけるようになってきてようやく安心したのを覚えている。
汗をかくには水分のほかにカロリーが要る。カロリーを摂らないと体に異常が起こったときに対応できない。暑い季節ほどカロリー大事。
カロリーも要るけど水分が第一。なおポカリスエットは甘ったるくて二日目に突入するぐらいの頃からしんどくなってくる。
食欲なくても即席で食べられるものはあったほうがいい。
適宜使い分ける。
保冷剤は5つ以上あったほうがいい。使うときは直だと辛いのでタオルに巻いて。
みなさまもお気をつけて。
こんな話な。
学校 ポカリはジュースなので禁止です ポカリは経口補水液かジュースか問題 - Togetter
汗をかくから水分だけじゃなく塩分補給も必要だ! なのにポカリスエット禁止なんてひどい!! という話なのだと思うけれども。
水筒に水なりお茶なり詰めて持っていく代わりに、ポカリスエット500mlのペットボトルを1本持って行ったとして、それに含まれる食塩は0.6グラム。
ラーメン1杯スープまで飲めば6グラムだし、みそ汁だって1.5グラムくらいの塩分は入ってる。0.6グラムの塩分を期待して子どもにポカリを持たせることに必死になるぐらいなら、朝ご飯のみそ汁を多めにすれば済む話のように思える。
ソース:
ラーメンの塩分の量!スープを残すと摂取量はどれくらい? | ニュースと共に生きる
ていうかいくら汗かいたって風もない教室の中じゃあまり効果もないだろうし、水分塩分補給だけで熱中症が避けられるわけでもないだろうしなー。
昔のブコメは知識が多かったんだけど、本当に大衆が集まったなぁ。
https://togetter.com/li/1248036
xinsg こんな風にどうでもいいルールを作って議論して消耗するのが実に日本らしい。しかし、こうしてお上には逆らわない体質を国民に植え付けるのは国(=政治家とか?)にとっては大事なのかな?…って思う。
そんな事も分からん親と、基本アホである子どもとでガブガブいくわけですか。
自己責任で片付けてもいいと思うけど、救済するなら禁止が手っ取り早いわな。
生涯に一度くらい「WHO 糖分」でググってみようか。
kotobukitaisha 子供が死なないことが大事なのであって、死なないために必要な飲み物がジュースならジュースを解禁するしかないだろ。子供を殺すためにジュースに禁止にしてるのか?
湯〜園地に行ってきた。
新聞テレビネットニュース、多くのメディアが取り上げ、初日には指原莉乃も来園。
収支の部分はわからないが、動画が再生されたら実現→再生されたので本当にやります→地元のさびれた遊園地を活用して実現しました、というストーリーはもちろん、露出・評判ともに素晴らしく、大成功といっていいと思う。
実際、行ってみてとても楽しかった。
アトラクションは古い遊園地のそのままだけど、ちょっとの工夫で「湯〜園地」ナイズドされていたし、
1000人規模のボランティアスタッフはおじさんもおばさんもいて、めちゃくちゃに親切だった。接客に慣れていない人も多かったけれど、とにかく楽しんでもらおうという気概であふれていた。
薬剤師会の腕章をつけた人たちが経口補水液を沢山配っていて、熱中症予防につとめているのが伺えるし、
そもそもの別府のコンテンツ力、コンテンツを活かす発想力、発想をかたちにする実現力、すべてが備わった地域活性の手本となる好例だったと思う。
別府市長の自治体を動かす力は知らないけれど、彼自身のキャラクターも素敵だった。
でも、湯〜園地が成功した理由はやはり、クラウドファンディングで支援した人、事前に公式サイトで購入した人だけが入園できる仕組みだったからではないだろうか。
これから書くことは私の偏見だし、決して自分のSNSでは書けないようなことだが、はっきりと感じたことなので残しておきたい。
先ほど私が書いた「成功した理由」とは、報道やソーシャルでポジティブな反応がほとんどで、来場者の満足度が高い理由を指す。つまり開催中にうまくいった要因である。
こういったイベントは、大々的に開催が報道されることで、興味を持ち始める層がいる。
イベントを開催するまでのストーリーや努力を知っている事前購入者とは情報格差がある。思い入れや支援の想いが違う。
端的に言えば、前者は往々にして民度が低いんだろうと私は考えた。
湯〜園地の中はゴミなんて全く落ちていなかったし、ボランティアスタッフにいちゃもんを付ける客や、トラブルを起こすような客、列をきちんと守れない客がどこにもいなかった。
頭の悪そうな人はおらず、理解のある人ばかりだったと思う。
スタッフのオペレーションが悪いだの、待ち時間が長すぎるだの、衛生面が気になるだの、MAPがわかりにくいだの、別府駅-ラクテンチ間の誘導がよくないだの、悪いことを言おうと思えばいくらでも言える。
でも事前購入者は、どれだけ別府市民ががんばって、工夫を凝らしてくれたものだかはよくわかる。
ちょっと至らなくても、かなりの手づくりでも、ただただ実現したことに驚くし、嬉しいし、なんだって目をつぶれるのだ。
当日券を求めるような層は、他の遊園地と同じようなスムーズな対応、洗練されたおもてなしを求めるのではないだろうか。
クラウドファンディングを触ったこともないようなリテラシーの低い層は、正直なところ民度も低いのではないか。
うちも認知症の祖母結構な期間介護してたから気持ちは良くわかる。2年くらい前に死んじゃったけけどね。
経口補水液のゼリーとか、赤ん坊用の離乳食とかイヤイヤって拒否する祖母の口に流し込んでた。
トイレも出来なくなってるから、家で介護してた時もそこらじゅうに糞尿垂れ流してた。
普段下ネタ嫌いな母が片付けながら「これがホントのクソババアだわ」って言ってた。
食事を与えたり着替えさせたり世話するたびに、なんでも嫌がってよく助けて助けてってわめいたらしい。
自分が誰なのかも、目の前の娘たちのこともわからないし、何故自分がこんな状況になってるのかも
本当に何もわからない。
晩年の祖母を見舞った時の印象はとにかく不安そうでおどおどしてて
怖い目に会いたくないからかずっと愛想笑いみたいに引きつった笑顔をしてた。
自分はというと、その時期もう実家出てたし年に数回帰るくらいだった。
母は、もっと帰ってきてくれとか、今の仕事辞めて実家に帰ってこいとか無責任なこと言ってたな。
それだけ心身ともに母もキツかったんだろうけど、それでも自分は往復8時間かけて帰省する機会を増やす気にもならなかったし
ただ生き長らえさせられてる祖母に会うのも嫌だったし、あってもどうせ祖母は自分のことは分からない。
だから当時はそういう時間を自分の生活のために使ったし、今もそのことを後悔したりとかは特にない。
比較的近くに住んでいた弟は頻繁に帰ってたみたいだけど、俺のいないところで薄情野郎って思ってたろうな。別にいいけど。
とはいえ、必死に祖母の世話をする母たちにもうやめなよとはいえない。
何故なら、母たちにとって祖母だけが本当の意味での肉親だからだ。
祖父はもう10年以上前に死んだが、その祖父の無茶に振り回されながらも必死で子どもたちを祖母は守り続けてきた。
どんな時も味方であり続けた。その無償の愛の重みは他の人間には分からない。俺ら家族でも全部は分からない。
やっと終わったんだなって、当事者でもないのにホッとしてしまっていた。
最後に棺桶閉める時も手を合わせて、今まで大変ご苦労様でしたってそれだけ言った。
葬式は生きて残された人のためにやるってよくいうけど、終末介護も同じだよ。
今まで散々苦労かけて育ててくれた親だもの、最後くらいは自分の好きなように世話して、
寝たきりでもなんでもいいから生き続けて欲しいって思っちゃうんだよ。
もはや祖母の自我とか意思とかどうでもいいんだよ、ただ死んでほしくないから世話し続けるんだよ。
理屈とか合理性とは全く逆の判断だよね、でも人間だから最後は感情で動くんだよ。
今の自分なら子どもを育てることが最優先になっちゃうな。薄情と言われても自分の妻子の方が守りたいもの。
でも20年後ならまた違うんだろうなあ。