はてなキーワード: 正論とは
女性専用車両って男性側が差別を黙認する形で成り立ってる仕組みなんだって理解して欲しい。
差別って聞いただけで悪い事だって思考停止してしまうような人にだけにはなって欲しくない
差別を訴える人に対して、どこがどう差別的なんだって聞くべきだ
日本の多くの人たちが差別って聞いただけで擁護したくなるっていうのは絶対に変だし、女性専用車両に対して差別って言えば正論になるって思っている輩や、差別じゃないってカウンター行動を起こした輩に対しても再考のチャンスだと思う
ストーンから氷の微笑シャロン・ストーンの連想で色気ムンムンの悪女という表現になったのだろうか。
試合をちゃんと見ていれば気がつくが、この日のイギリススキップ、ミュアヘッドのショットはミスも
多かった。前半のエンド、後攻で複数点が取れない状況で、ブランクエンドにするつもりのショットを
ミスして1点を取ってしまう。終盤第9エンドでは日本にスチールを許す。
BBC解説者が第10エンドのラストストーンをミュアヘッドなら99%決められる、と評したというが、第9
エンドのラストストーンはそれ以上のイージーなショットだったはずだ。
もちろん日本の藤澤も、スプリットで2点取りにいくも決まらず1点だったりと、完璧だったわけではない。
それでも後半になるにつれて日本はチーム全体が調子が上がっていき、9・10エンドは先行ながらストーン
をハウスに集めて後攻のイギリスに十分なプレッシャーをかけ難しいショットを強いることができた。
第10エンドで藤澤のラストストーンがチップして目標に僅かに届かなかった時、ナンバーワンストーン
はイギリス。センターへのドローショットのコースは塞がれているがハウスの中央付近を動かさなけ
れば1点確実に取ってエキストラエンドへ行くこともできた。しかしそれでは有利な後攻は日本に渡る。
ミュアヘッドがあの時に2点以上を狙ったのは、同点エキストラエンドで不利な先攻を嫌ったのと
先攻は、人事を尽くして天命を待つしかできないが、後攻は自分の技術・実力で試合を決定づける
ことができる。難しいショットを決められる力と自信が世界トップのスキップ、ミュアヘッドにはある。
男子、両角のインタビュー記事に、攻めすぎると言われる意味が僕には判らない、とあった。リスクの
ある難しいショットを避けていけば強豪相手に勝ち筋が見えるのか。相手が難しいショットを決めてく
るのだからこちらも当然難しいショットを決められるようにならなければ、という正論だ。
第10エンドのハウスは難しい局面だった、しかしチャンスも十分にある、この局面を避けて先に伸ば
してもイージーな展開が巡ってくるわけではない。
…○○さんも政治から外交、安全保障まで幅広い分野にわたって、切れ味鋭い評論活動を進めておられますが、その基礎となっているのは源氏物語をはじめとした古典から現代文学まで、日本人の核となる精神文化に対する深い洞察である、そう確信しています。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」。以前、対談の折に新保先生から教えていただいた松尾芭蕉の言葉です。
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」というのはどう考えても「保守の精神」とやらを追い求めることじゃねえよ。
そもそもこの言葉の意味は、古人がかつて求めた跡(保守)を求めるな、古人が求めた理由や背景を理解して古人が今生きていたらどう判断するだろうかを考えろ(時代に合わせて変化せよ)ってことだよ。形を真似るな心を真似ろってことだ。ちなみに、この言葉は芭蕉自身が引用として使っていて、おおもとを言ったのは空海だよ。「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ(性霊集)」。書道というのは、古跡(昔の大家の書)に「似る」のをもって「巧み」とは言わない、古意(昔の大家が考えたこと)に「擬する」(大家の気持ちになったつもりになる)のを「善」とする、という意味だ。それを「風雅」にも通じるね、ってやったのが芭蕉の趣旨だ。芸術の創作における風雅なんて、前の人のやったことをただ真似してもただの猿真似だからな。
書と風雅は同じではないが、この点では通じるところもあるかもしれない。芭蕉が言ったのはその程度のことだ。決して世の中の永遠の真理について述べたわけではないし、そもそも「政治」なんて全く畑違いのところにこの言葉が適用できるのかどうかも分からない。なのに何が「示唆に富む」だ。古典を自分の都合のいいように解釈したり正直意味が分かってない人間が使う決まり文句だ。古典引用して僕ちゃん格好いい、って思ったか? 残念、馬鹿を晒しただけだ。だいたい、直前の別の人を褒めた文章で
わが国の悠久の歴史や伝統、文化に裏打ちされた価値観は、世の中がいかに変転しようとも揺らぐことはありません。そうした中で伝統的な価値観に立脚し、真の日本人の精神を復活させる
この発言のどこに「古人の求めたるところを求め」る姿勢があるんだよ。ひたすら「古人の跡」万歳万歳じゃねーか! その時点でこの記事上げてる「メディア」のレベルが知れるわ。
「日本人の核となる精神文化」を欠片も知らず理解もせず、こんな人間に得意げに「教えていただきました!」みたいに褒められるとかホント罰ゲームとしか言いようがねえ。その点は受賞者に同情する。まあ自業自得だけどな。それから、我が国の宰相におかれては、こんな阿呆丸出しの文章を平気で得意げに掲載する程度の自称「マスメディア」に担ぎ上げられて舞い上がっておられて本当に可哀想だ。その程度の人間しか応援もしてくれず周りにもいてくれない、その程度の人間としての能力しか持ち合わせておられないことに同情を禁じ得ない。心ある人には完全に見限られているってことだな。親父はもう少し賢かったのだから、母親がダメだったんだろう。まあ勉強から逃げ回っているとこういう人間になるといういい見本だからせいぜい恥を晒してくれれば少しは世間への教育にいいかもしれない。
・技術のデメリットを見ずにメリットのみを主張し、受け入れられなければ既得権益が、老害が、と感情的に叩く
・ルーチンワークや実作業を軽視し、講演や会議、異業種交流会、イベントなど単発のできごとを重要視する
・ネットや本、雑誌などで著名人の働き方(ライフハック)を真似する一方、クラウドによる情報漏洩などのリスクには目を塞ぐ
・働き方に年齢は関係ない(一部は正論だと思う)と主張し、学習や下積みによるスキルアップを軽視する
・(得てして備わっていないことが多いが)実力があればマナーやビジネスプロトコル(業界慣習など一般的な仕事の進め方)などは関係無いと主張する
・所得が少ないことを、断捨離やミニマリスト、お金に縛られない生き方として正当化する
他に何かあるかな?
ほんとだ。潮、第三文明、正論、文藝春秋… 政治学者じゃなくて雑誌のライターだろう、三浦瑠麗。
https://twitter.com/onoyasumaro/status/963066596028645377
三浦瑠麗、学術雑誌に載せた論文はないけど、皆様ご存知、あの「学会」雑誌にはやたらと論文を載せている。
https://twitter.com/NTUY_uncle_bot/status/962985762114301952
これは全くの正論だと思う。各世代が自分より10〜20歳下世代の常識を正しく内面化させる事は多分出来ないと思う。その上で社会を回して行く中心層が下世代に移行した場合は、上世代が社会の在り方から外れて行くのは、程度の差こそあれ、ホボ必然なのだろうと思う。これは基本的に遥か昔から繰り返されて来た必然というか恒例の出来事なのではないだろうか。
ただ直近20年の日本とそれを取巻く環境変化の大きさは、長い歴史の中でも類を見ない種類の物なので(戦争/疫病/災害以外で緩やかに人口減少して行く事態は多分相当珍しい)これに連動して、様々な局面で「以前の行動の意味が消失する」みたいな事が起き、ストレス含みの衝突が顕在化し易くなっている。というのはある様な気がする。
10年〜20年前に当然とされていた「教育/商売/家庭/性差/対人関係/etc...」の「社会を構成する主要な価値観」がことごとく崩壊し「次世代にそれ等を継承するメリット」自体が消滅する中で、旧世代と次世代との接触がストレスしか生まないタイミングに差し掛かっているんだろうと思う。想像でしかないけど、明治初期とか、太平洋戦争終結直後、とかも、似た様な現象が起きていたのでは?という気がする。
今というタイミングはそれくらいにインパクトの大きい「変化の局面」なのだろうな。とは思う。自分も40にさしかかるオッサンなので、ここ最近の変化の速度には相当戸惑っているが、ここから20年くらいはゴタゴタが続く気がするので、今の30代も、今の20代も、各々10歳下から疎まれ蔑まれる未来に直面するのでは?という予感が凄くする。大変な時代だな。と思う。
簡単に言ってくれるねえ。
子供に物を1つ教えるのにどれだけ手間がかかると思っているんだ。
一回「これはやってはいけません」と言えばそれで分かってもらえるとでも思っているのか?
そんな訳ないだろ。
大人だって一回言ったぐらいで完ぺきに理解してくれる事なんて半分あるかどうか、実際は何度も何度も説明してそれでも理解されないことがある。
何より一回子供に物を教えるたびにコッチは面倒くさい人間だと思われて嫌われていくんだ。
嫌われるたびに物を教えるのは難しくなる。
そうならないように努力しろと口にするのは簡単だが、じゃあお前はやったことがあるのか完ぺきにできたのかって話だ。
くっだらねーアニメや動画のせいで子供に嫌われてまで教えなきゃいけない事をポンポン増やされたらたまらねえっての。
それが年に1つ2つでその作品が歴史に残るぐらいいい作品で他の部分では子供にいい影響を与えまくってくれているってならこっちも目をつぶってもいい。
でも実際は子供に悪影響与える作品や人間は山のようにあるし、そしてそういうモノの中には子供にいい影響を与えてるなんて全く思えないようなのもウジャウジャしてるんだ。
そういう諸々に対して「子供が真似したらどうする。年齢制限付けるか、この世から消えるか選びやがれ」と言って何が悪いんだよ。
好き放題やって全部通るなんて思ってるんじゃねえぞ。
子育ての苦労舐めてんじゃねえ。
そこから少し手間増やされる度に自分の限界を超えては死にかけてるってことを理解してから「それは、お前の仕事だろ?」と言いやがれ。
テメーラがやってることはな、道にゴミポイ捨てしておいて「おっと悪いな。でもゴミを捨てるのは道を綺麗にしたい人が勝手にやってくれよ?俺は街が綺麗かどうか興味ねえからよお」ってレベルの戯言なんだよ。
その癖なんだテメエラその「俺たち正論言い過ぎ。ヤバない?ヤッベーカッケエエエエエ」って態度は。
何もかっこよくねえよ。
まずはじめにいっておきたいのは『うらら迷路帖』をけなす目的でこの文章を書いているのではないということだ。おれは『うらら迷路帖』のファンではなく日常系アニメのファンで、だからこそ書いておきたいことがたくさんある。
ファンの人はたくさんいるだろうけれど、人気が出なかった作品であることはファンも認めざるを得ないと思う。なぜ商業的な失敗をしてしまったのかを可能なかぎり客観的に書くことがこの文章の目的だ。
『うらら迷路帖』は2017年の冬クールにアニメ化された作品で、原作はまんがタイムきららミラクに連載されていた四コマ漫画だ。
同じクールにやっていた『けものフレンズ』に話題をかっさらわれたばかりか、『この素晴らしい世界に祝福を! 2』『幼女戦記』といったなろう系の注目作、『ガウリールドロップアウト』『亜人ちゃんは語りたい』『小林さんちのメイドラゴン』といったファン層がかぶりそうな作品などが放映されており、それらの影に隠れてしまった感がある。
たくさんある。
キャラデザがかわいい。とくに小梅のキャラデザがおれは好きだ。
OPの曲がかわいい。脳内でくり返し再生される。OP映像もそれなりにいい(もうちょっとがんばれたとは思うが)。
大正ロマン風の舞台設定がいい。建物や内装はもちろん、ちょっとした小物にまで配慮がある。
占いの番付によって入られる場所が制限される設定もいい。番付が上がる→入られる場所が増える→自然に新キャラが出せる(既存キャラのリストラも自然にできる)というシステムになっているからだ。
なにがダメだったか明確にするために、日常系最大のヒット作である『けいおん』を中心に他のアニメ作品との比較で話をすすめていく。
『けいおん!』は軽音楽、『ばくおん!!』はバイク、『New Game!』はゲーム制作、『ヤマノススメ』は登山、『ゆるきゃん△』はキャンプなど男が関心をもつものを盛り込むのがふつうだ。
『ひだまりスケッチ』や『GA芸術科アートデザインクラス』のように芸術をテーマにすることがよくあるけれど、それは視聴者の関心というよりは、芸術制作によってキャラの個性を出しやすいのと、作者の漫画家としての経験をテーマに活かすことができるという利点があるから採用されるのだと思う。
ところが、うらら迷路帖の場合は「占い」だ。これはかなりの悪手だ。しかも、おまけ程度ではなくがっつりと話に絡んでくる。
男というのは占いにまったく興味がない。馬鹿にさえしている。占い好きの男もいることはいるだろうけど、同好の男友達を見つけようと思えばかなり苦労するはずだ。
ギターを弾いている女の子は三割増しでかわいく見えるし(=萌え)、バイクをさっそうと走らせる女の子はさまになる(=萌え)けれど、占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ(≠萌え。いかんせん興味がないし馬鹿馬鹿しいと思っている)。
あと、占い師の番付が「十番占(見習い)」~「一番占(名人クラス?)」まである設定だけれど、たとえば五番占と一番占がどのくらい力がちがうのかがよくわからなかった。そういう少年漫画っぽいところは、せっかく設定を出したんだからもっと詰めるべきだ。
占い要素は、死に設定どころか死神設定になってしまっている。せめて似たような要素の「巫女」だったらまだよかったんじゃないかと個人的には思っている。巫女服という制服(萌え要素)があるし、エロ漫画やエロゲーで培われたオタク独自の巫女文化があるからだ。
ようするに関係性萌えができないということ。これが最大の失敗要因だとおれは睨んでいる。
メインキャラ四人は皆が初対面で、幼なじみだったり姉妹だったりするわけではないし、同じ占い学校の同期だから先輩後輩の関係性がない。だれとだれがとくべつ仲がいい設定なのかパッと見でよくわからない。あえていうなら、みんな均等に仲良し、あるいは千矢のハーレム?
このおれの意見にはこういう反論が来るんじゃないかと思う。「だれとだれが仲がいいかなんて最初からわからなくてもいいのではないか。話数がすすんでいくごとに徐々に関係性が構築されていく過程を楽しんでこその日常系だ」
たとえば、『けいおん!』。澪と律は幼なじみで仲が良く、軽音楽部の再立ち上げもこのふたりがはじめたことだ。担当楽器はベース(澪)とドラム(律)のリズム隊。唯は後輩の梓をとくに可愛がっており、梓はなんだか頼りない先輩である唯をどこか放っておけない(最高か!?)。担当楽器はふたりともギター。そして傍観者、紬。担当楽器のキーボードというのもまたそれっぽい。
たとえば、『ご注文はうさぎですか?』。ココアは、住み込みで働いている喫茶店の娘のチノを妹のように可愛がっており、チノは困惑しつつもココアを受け入れていく。ココアとリゼは同じ喫茶店のバイト仲間。ちがう喫茶店でバイトしているシャロは、学校の先輩のリゼに強く憧れていて、幼なじみの千夜によくからかわれている(からかいといってもかわいらしいものだけれど)。
ふたつ例にあげた関係性は、アニメを観た100人中100人が速攻で理解できる。そのキャラが出てきてから一話、長くても二話ほど観ればわかる。わかりやすいものであれば十秒でわかる。鼻クソほじりながら観てても簡単にわかる。
ようするに日常系というのは、関係性をはじめから色濃く匂わせていないといけないということだ。その点で『うらら迷路帖』で関係性がちゃんと構築できているのは、佐久隊長周辺だ。
佐久とニナは幼なじみで、ニナの妹のノノを昔から可愛がっている。部下ふたりは佐久に惚れこんでいる。
正直なところ、佐久隊長を主役にしたほうがよかったのかもしれない。
『うらら迷路帖』が日常系扱いされていることに違和感がある人もいると思う。なにせ、ストーリーがあるからだ。主人公の千矢が母親を探すために立派な占い師を目指すという大きなストーリーと、一話完結の小さなストーリーが組み合わさって作品ができている。
しかし『うらら迷路帖』はまんがタイムきらら系列の作品で、登場キャラは女しかおらず、日常系の雰囲気・印象がかなり強い。なので、このまま日常系ということで話をすすめていく。
日常系というのは身も蓋もない言い方をすれば、キャラ萌えさえできればそれでいいというジャンルだ。ストーリー性は萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)の邪魔になることが多いからできるかぎり薄くし、目的があっても自己実現(趣味的)であることがほとんどだ。
『うらら迷路帖』はストーリーがある。つまり、萌えが付加要素になってしまっている。付加要素はいいすぎかもしれないけれど、萌え(女の子たちが仲良くしててかわいい)よりもストーリーを展開させることを優先させてしまっているのは間違いない。
ストーリーがおもしろければ問題なかったのだけれど、ひいき目にみてもおもしろいものではなく、可もなく不可もないストーリーというのがおれの評価だ。
もう、出てくる人出てくる人、みんながきれいだ。清廉潔白。道徳的に正しい。メインキャラ四人はみんなまっすぐだし、人をからかったりしないし、目立った欠点もない。このやさしい世界には悪人がいないんじゃないかと思ってしまうほどだ(警備隊なんていらないんじゃないか)。
きれいなキャラ、きれいな世界は当然ストーリーにも影響する。きれいなストーリーほどつまらないものはない。なんでもいいから、おもしろいと思ったストーリーもののエンタメ作品を思い返してみてほしい。大きな障害があったり、殺人事件が起こったり、強大な悪人がいたり、世界そのものがおかしかったりすることがほとんどだと思う。
これはおまけ程度の難点だけれど、ネットで無料で観られるところが少なかったとおれは記憶している。すくなくともニコニコ動画では一週間無料期間がなく、一挙放送もなかった。萌えアニメにしてはめずらしく、ネット配信を拒んでいた印象がある(同期の仲間、ガウ・亜人・メイドラはそんなことなかったのに)。
ここまで読んでもらえば、なぜ『うらら迷路帖』の失敗について書きたかったのかがわかってもらえたと思う。ここまでハズしている日常系はそうない。
もちろん、男の興味を引く題材、関係性萌えの構築、ストーリーの希薄さ、ちょっとだけノイズのあるきれいなキャラたち、ネット配信に積極的、のすべてを満たしたところで人気が出るとは限らない。この文章に書いた『うらら迷路帖』の欠点もただのこじつけに過ぎないのかもしれない。でも、書きたかったんだもん、仕方ないじゃない。
それと、気になる反応があったら返信するつもりでいるんで、そこんとこよろしく。
※追記
ごちうさには、ちょっとしたからかい(ちょっとした毒)をしかけてくる千夜がいるし、青山ブルーマウンテンという駄目人間もいるため、キャラがきれいすぎることはない。
日常系というのは基本的にはストーリーを入れないジャンルだ。ただ最近はストーリー要素のある日常系も増えていて『New Game!』はその唯一の成功例。『New Game!』はいろいろとうまくやってるからストーリーを入れても大丈夫だったんだけれど、その「いろいろ」を語ると長~くなるので割愛。
そんなことはない。百合要素がほぼないのが『うらら迷路帖』で、百合要素たっぷりなほうが『このはな綺譚』。日常系ファンはちょっとした違いに敏感になる。
ka5me 自分は不必要な性的描写が多かったことだと思う。おなか見せられてまあ喜ぶんだけど日常系やライトな百合に求められている事じゃない。不必要なパンチラが単に下品と思われるのと同じ。
これは正論。でもおれ個人としてはもっとエロ推しでもよかった。後の方になるほどエロがなくなっていくんで、エロ要素も中途半端だったんだということにこの指摘のおかげで気づいた。やるなら徹底してエロくする、やらないなら一切やらない、という制作姿勢は大事。
いや、むしろきらら枠以外で『うらら迷路帖』を受け入れてくれる枠があるのかどうかが疑問。極端な話だけど、たとえばジャンプに連載されたとしたら確実に10週で終了だ。
好みに合わない理由というよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ。さすがに型なしになってるよ」ということを長々と述べさせていただいた。
shiju_kago ”ストーリーがある”が悪い理由というのもすごい話だが、一昔前のテンプレ以外やってはいけない時代劇がその位置にいたのかもしれない
ひと昔前の時代劇と日常系との共通項という発想がおもしろい。でもおれは時代劇のことがまったくわからないんで残念だ。
a-charin 私は女だからか占いも成長してくのもすごく楽しかったけど、あの唐突なエロが邪魔だったなあ。そういうのは個人でやるから表舞台では普通にしててくれ!やるならもうちょい自然にやってくれ!って毎回思ってた
女性向け日常系という道もあったのかもしれない、と思わせてくれる指摘。やっぱエロは余計なのかあ。
たまゆらはよかったよ。
dowhile 大成功した。話は以上だ
気もちはわかるけど(好きなアニメが人気が出なかった経験はアニメオタクならだれにでもある)、現実を見ようよ。
msdbkm "占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ" シンデレラガールズに藤居朋というアイドルがいましてね
アイマスは765のキャラを知ってるくらいでほとんど詳しくないんだけれど、そのキャラは占い師属性以前にアイドルじゃないか。占いは副業(おまけ)、本職はアイドルって感じなんじゃないの?うらら迷路帖の彼女らは占いが本業なんだよ。
他人の作ったコンテンツを「失敗した」とか断じて論じようとする人は一切信用できない。これが長年ネットしてきて得た知見ですわ。[……]「自分の審美眼に適わないから失敗」と言い換えて個人的な好みとの差異を詳述しているだけでしょ。
個人的な好みというよりは、「日常系の型をこれだけハズしているよ」ということを書いただけであって、おれ個人の審美眼なんてなにも関係ない。むしろキャラデザはいいと思っている(本文中に書いているよ)。『うらら迷路帖』を三話まで観てもらえれば書いていることを理解はできるよ(賛否はあるだろうけど)。
あと「他人の作ったコンテンツを失敗したなんて言ってはいけない」というのは基本的にちがうと思っている。つまり、どんな作品であってもさまざまな人びとが関わっていて努力しているのだからの悪く言ってはいけない、批判もしてはいけないということなんだろうけど、そんなのは馬鹿げている(評論家は観た作品を全部褒めないといけないのか)。成功した作品の成功要因について話していいのに、失敗要因は話してはいけない?そんなことはない。
どんな作品にもクリエイターたちの想いがこめられている。そのすべてが成功してくれればいいんだけれど、成功するのはわずかで、残りぜんぶは失敗だったり、微妙な成果だったりする。それが当たり前だ。成功を語ることもあれば、失敗を語ることだってある。それも当たり前のことだとおれは思うよ。
つーか、長年ネットをしてきた(自称)くせに、観たことのないアニメ作品の批判文を読んで(全部を読んですらいないらしいけど)「個人的な好みでしょ?」とか憶測で書き込んでしまって、あげく人格否定まで書いちゃうあたりどうなのよ。長年って何年?二年くらい?まあ、あれだ、このチーズは二年くらい蔵に寝かせて熟成させてるんですよ~、とか言われたら、二年!へえ長いですねえ~って返事しちゃうもんなあ。二年って長い。おれが十年弱ネットを見てきて得た「雑学」のひとつに「ネットは人を賢くしない」というのがあるんで、あなたの「知見」のほんの隅っこほうにでも入れてやってください。あと差異とか審美眼みたいなちょっとむずかしい言葉をあなたは使わないほうがいいよ、弱く見えるから。「違い」「好み」でOK