はてなキーワード: 指導力とは
演説してる側に感情移入して上から目線な気分が気持ちいいとか、指導力ある存在に酔ってるとか、そういうのなのかな。
それとも偉大な人の演説に聴き入って「うおおお!」とか一体感を感じるの?
アニメにはやたら演説が出てくるし、演説気分で長文書いたり、普段の会話でも突然演説の一部分の台詞みたいなの喋り出して「うおおお!」ってなってるし。
日本人って演説上手い人ほとんどいないよね?なのに何でアニメだとやたら演説多いの?
演説上手い人多い海外の、たとえば洋画でも演説シーンってあんまり無いよね。演説下手な国が演説シーン多くて。演説上手い国が演説シーン多くない。この比率おかしくない?
どうして日本のアニメは演説好きなのよ。アニメだけじゃないか。実写もか。
なんか、そういう演説シーン見てるとちょっとゾワゾワするんだけど。だ、だせぇって。
演説するのって、かっこいい人ばっかりだし。かっこいいというか、かっこいいキャラ付けされているキャラ。
で、演説の内容はやっぱり上手くない。そりゃそうだよね、演説が下手な国なんだし。自分の理想を高らかに宣言してるのばっかりで。あとなんか、すげぇどうでもいい自分の事情を語り始めたりとか。おまえは質問コーナーで延々と自分語りするジジイかよって思うんだよね。演じてる声優さんは大変だよ。演説っぽくない台本を演説っぽく演じなきゃいけないんだから。
たぶん一番有名な、ガンダムの演説もさ、あれも酷い演説だよ。あれを演説のひな形にしちゃダメだよね。
まぁ、「創作物における演説は演説として優れているか否か」っていうのは本題じゃないんだけど。
なんでみんな演説好きなの?
小学校では2018年度、中学校では2019年度から道徳教育が「特別の授業」として教科化する。道徳科の指導・評価方法も変わり、文部科学省はその在り方の一例としてノートやワークシートを用いた教員と子どもとの人格的対話を挙げている。
このような対話では子どもが教員に自らの感性や価値観、普段は口にしない本音などをさらけ出すことになるため、教員と子どもの間の信頼関係が欠かせない。しかし、教員もまた一人の不完全な人間であることから、両者の相性によっては子どもの人間性、道徳性の否定につながりかねないと感じる。とりわけ狭い世間に生きる小学生は教師の考えを絶対視しやすく、「先生の価値観」と「自分の価値観」を相対的に捉えることが難しい。そのため、子どもに「自分の価値観や感性は間違っている」という自己否定的な感情を抱かせてしまうかもしれない。
また、前述のような対話的指導では、子どもが「先生に読ませることを想定した文章」を書く可能性もある。子どもは大人の世界に本音と建前が存在すること、学校で教わる自由や平等などの理念を大人がかならずしも重んじていないことを知っている。彼らがその矛盾に気づいていながら教員の求める「模範解答」を汲み取り、自らの感想として書き記すということになると、子どもが早くから欺瞞を覚え、言葉を信じない態度を身につけることにもなりかねない。
もちろん授業中の活発な議論で多面的な視点を養い、自己と他者への理解を深める点で道徳の授業は意義深い。しかし、そこで得たものは子どもひとりひとりの胸のうちで咀嚼されるべきものであり、生徒に感想を書かせて評価するやり方は危ういと感じる。
教員の指導力向上を含め、新しい道徳教育の導入には慎重を期さなければならない。素直な子どもが素直なまま育ち、同時に素直でない子どもが否定されることのない社会であってほしい。(N)
夏休みとかに映画のお誘いがあったり(結局一度も行かなかった)、ホンニャラの法みたいな本を急にくれたりしてた。
生徒の人数はそんなに多くないのに、気付けば近場の中学校5校の成績トップがどこもその塾の生徒で占められているような感じだったから指導力はあったんだと思う。
教え方に合う合わないが極端だったのか、学校でついていくのに必死だったのに、通い出すと半年もしないうちにトップ争いができるぐらい成績が伸びるような子も何人かいた。
逆に合わない子は数回授業を受けたらすぐやめてた。雰囲気がたえられないらしい。
教室内が全体的に自己啓発セミナーっぽい雰囲気に包まれるから、怪しさで警戒心が高まって拒絶したくなる気持ちもなんとなくわかる。
個人的には怪しい部分も含めて非日常空間っぽくて楽しかったけれど。
普通の授業に混ぜるような形で、恐らく幸福の科学の教えであろう精神性を少し薄めて、
こういう風に考えるようにしていけば伸びていけるんじゃないかと思うけどどう?的なことを何度も伝えていたのが印象的。
これ読んだらそういうこと書いてあったよってホンニャラの法とか出してきてたから、恐らくある程度大川メソッドをベースにしているのは間違いない。
まあ、そういう刺激が合う子供にはちょうどいい感じに子供らのやる気に働きかけたりしていたのかなー、という感じ。
先生と喋っていると、不思議と頑張ろうかな、次の目標立ててチャレンジしてみようかなっていうような気分にはなりやすかった。
田舎で地域的に割と上から押さえつけて黙って言う事を聞けって感じの先生が多かったので、
中学生を一人前扱いして、意見や考えを聞いて人格を尊重した対応をしてくれる大人という存在自体が結構貴重だったように思う。
あと、大川さんのイタコ芸については黙殺してるような感じだった。もしかすると家では崇めていたのかもしれないけれど。
謎のお香焚いてたり、オーガニック信仰っぽかったり、ヨガ大好きだったり、言霊がどうとか言ってたり、
パワーストーンやお守りも好きみたいなスピリチュアル系の気配も妙に強かったけど、
多方面に意識が高いのか情報を仕入れるアンテナの感度が田舎の人としてはかなり強かった。
逆に新しい情報を仕入れたり、常に進歩し続けていることに病的に固執しているというか、
止まったら死ぬマグロみたいな人たちだなあというイメージを持った覚えがある。
学校の先生が発達障害について全く知識とかなくて、散々学校で異端・変人・みんなと同じにできない問題児扱いを受けていた自分について、
英語の文献まで読んだ上で「増田くんは発達障害と呼ばれる特性を持っている可能性があります」と親に伝えてくれたりしたことは感謝している。
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2017/01/29/215244
http://nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2017/01/30/174304
こういうこと書く人、小学校の先生とちゃんと話したことあるのかな
知り合いにいるから、雑談で運動会の準備がたいへんーとかそういう話出るけど、聞いてるとヤバいよ
北朝鮮かな? って感じ
まあそりゃそうだよな、戦前日本の全体主義が生んだ兄弟みたいなもんだからそりゃ似てるよな、小学校の運動会と北朝鮮のマスゲーム
子供の身体を鍛えるならその時間別の運動させてた方がよっぽどいいわ
本末転倒すぎるし結局運動会は教師と保護者の自己満ってはっきりわかんだね
集団行動にある程度の規律が必要なのはわかる、わかるけどきれいな行進するスキルまでは要らんだろ。軍隊じゃないんだから
軍隊とか毛嫌いしそうな進歩的な人なのに自分のやってることが軍隊みたいだって気づかねーのかな
(別に軍隊が悪いわけじゃない。PTAと同じで志願した人たちだけで回してるなら有意義な存在なんだろうと思う)
普段は善良で気のいい人間が学校の先生になると急に全体主義者になるの怖すぎるし、上のブログ記事見てるとPTAもその一端を担ってるみたいだから解体していいわ。運動会もなくそう
「何故学ぶことが必要なのか」具体的な作用を挙げて語っている。
日本はまだまだ、必要論者であれ不要論者であれ認識の根本が呑気な人が多いね。
切実になった頃には、もう何もかも遅いかも知れない。
J・D・ヴァンス
https://www.ted.com/talks/j_d_vance_america_s_forgotten_working_class/transcript?language=ja
0:11
初めて洒落たレストランに 行った時の事をよく覚えています 高級なレストランでした 法律事務所が主催した 面接ディナーでした ウエイトレスが食事前に歩き回り ワインが欲しいかと聞いてきたので 「もちろん」と答えました 「白ワインを少し」 と
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すると彼女は即座に言いました 「ソーヴィニヨン・ブランと シャルドネが ございます」
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その途端頭によぎった事が 「かっこつけたフランス語できどるなよ とにかく白ワインをくれ」 それでも推理力を働かせ シャルドネとソーヴィニヨン・ブランは 白ワインの2つの種類だとひらめき 「シャルドネをください」と答えました その方が僕にとって発音しやすかった それだけが理由でした
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僕がエール大学ロースクールに通った 最初の数年は たくさんこういう経験しました 見た目はみんなと同じでも 文化的には よそ者でしたから 僕はエリート層の出身ではありません 東海岸の北東部や サンフランシスコ出身ではなく 故郷はオハイオ州南部の鉄鋼業の町 様々な社会問題に喘いでいる場所です アメリカの労働階級が抱えた問題を 体現している場所です ヘロインが浸透し 僕の知り合いも含め たくさんの命を奪っています 家族間のもめごと 家庭内暴力 離婚により家族が引き裂かれています 社会にも悲観的なムードが 浸透しています このような地域で 死亡率が上昇している事を考え この状況で暮らす 人々の多くにとって 目の前の問題こそが 地域の死亡率を押し上げる 直接の原因だという事を理解すれば 問題は身に迫ったものに感じられます
1:42
僕はそんな葛藤を 目撃しながら育ちました 僕の家族は長年その苦労と 共に生きてきました 僕の家庭は豊かではありません コミュニティーを汚染した中毒は 僕のファミリーも汚染し 悲しい事に 母も犠牲者の一人です 家庭内では たくさんの問題に 直面しましたが その原因は ある時はお金がないこと ある時は 人材や物資や 人間関係に基づく支援が得られないことで 僕の生活にも 大きな影響を与えました
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もし14歳の僕の生きざまを見て 「この子は将来どうなるだろう」と 考えたとしたら 学者が「社会的地位の上昇」と 呼ぶ面で苦労するという 結論に達したことでしょう 社会的地位の上昇は 抽象的な用語ですが 「アメリカン・ドリーム」の核心に 大きな影響力を持っています 社会的地位の上昇とは 意識であり 僕のように貧しい境遇で 育った子どもが そこから抜け出し もっといい生活ができるのか 今よりも経済的に豊かな生活が 可能になるか それとも今までと同じ状況に 止まるかを判断できるのです 残念ながら 立証されているのは この国における上昇移動は 期待するほどは進んでおらず 興味深いことに 地域によって ばらつきがあります ユタ州を例にとりましょう ユタ州の貧しい子供は 実はそんなにひどい境遇ではないのです アメリカン・ドリームをそれなりに 享受できる可能性が非常に高いのです ところが僕が育った地域 南部や アパラチア地方や オハイオ州南部では 貧困から抜け出す可能性は少ないのです これらの地域でのアメリカンドリームは 事実上 夢に過ぎないのです
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何が原因でそうなるのでしょう? まず考えられるのが経済 あるいは構造的な原因です これらの地域を思い浮かべてください 石炭や鉄鋼業といった産業を 取り巻く景気動向は最悪で 人々が向上するのを難しくしています それが一つの原因なのは確かです また頭脳の流出も問題で 優秀な人々は 高度な技術を要する仕事がないため 地元から離れていきます 地元にビジネスやNPOを 作るのではなく 別の場所へと去っていき 結果的に才能が流出します このような地域では破綻した学校も多く 子供たちへの教育的支援ができず 将来チャンスを手にすることを 妨げています これらの要素は どれも重要です こういう構造的障壁を 軽視する気はありません ただ自分の生い立ちや 育った環境をふり返ると 別のことがおきていて それも重要だったのです その影響を測るのは難しい事ですが 同じぐらい現実的な問題でした
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まず最初に言えるのが 計り知れない失望感が 僕のコミュニティーに漂っていた事 子供達は自分の選択は 無意味だと思い込み 何が起きても どんなに一生懸命努力して 向上する意欲をもっていようと 良い結果には ならないという絶望感です 子供が育つには厳しい環境です そんな思い込みを切り替えるのは 非常に困難で 思い込みは時に 疑いの原因になります 例えば いま盛んに議論されている 政治問題である 「積極的差別是正措置」です 差別是正措置は 政治的な見解によって 仕事場や教室の多様性を促す 賢明な方法かどうか 評価が分かれます このような地域で育つと 差別是正措置は そこに住む人々を 抑え込むものだと考えがちです 労働階級の白人だと 特にそうです この措置は単に政策の良し悪しの 問題ではなく 自分の足を引っ張るために 政治力や資金力を持つ人々が企てた 陰謀だと考えるのです 差別是正措置に対する いろいろな陰謀論が 現実であれ妄想であれ存在し その結果 将来への希望は 歪んでしまいます
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そんな世界で育って どうしたらよいか考えた場合 答えは2つになりそうです 1つ目は「一生懸命 勉強するのはやめよう どんなにがんばっても結果は同じだから」 もう1つの答え方は 「一般的な成功の基準を 求めるのは止めよう 例えば大学の教育や一流な職業 等 そんな基準を気にするのは 自分とは違う境遇の人間だし どうせ彼らには 受け入れられないから」 僕がエール大学に合格した時も 家族に聞かれました 「入学審査委員会に通るために リベラルのふりをしたのか?」 これは本当の話です もちろん大学の願書には リベラルが付けるチェック欄など ありませんでしたが これは こういった地域で 様々な社会障壁を通過するために 自分を偽る必要があるのではという 極めて現実味のある 不安感を表しています これは重要な問題です
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たとえ悲壮感に落ち込まずに 例えば 自分の選択には意味があり 適切な選択をしたいと願い 家族と自分のために 向上したいと思ったとしても 僕が育ったような環境では そもそも どんな選択肢があるのか わからない場合があるのです 例えば僕は弁護士になるには ロースクールに行く必要があることすら 知りませんでした 調査で明らかになっているように エリート大学は低所得層の子供にとって 割安だということも知りませんでした なぜなら有名校には より多くの寄付金が集まり より多額の学資援助が可能だからです 僕自身この事を知ったのが エール大学から資金援助の案内が届き 数万ドルの「所得に応じた援助」と 書いてあった時でした そんな表現さえ 初めて知りましたが その手紙を手にしながら 叔母に言いました 「これって 生まれて初めて 貧乏なおかげで すごく得したってことだね」
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僕が その情報を 手に入れられなかったのは 僕を取り巻く社会的ネットワークが その情報を得られなかったからです 僕はコミュニティーから銃を撃つこと それも上手に撃つことを学びました すごく美味しいビスケットの 作り方も学びました ちなみに 秘訣は常温でなく 凍ったバターを使うことです しかし 社会で成功する方法は 教えてもらえませんでした 教育や将来の可能性に関する 適切な判断 すなわち この21世紀における知識経済の中で チャンスをつかむのに必要な事は 習いませんでした 経済学者は 私的な人間関係 つまり友人や同僚や家族から 我々が得る価値を 「ソーシャルキャピタル」と呼びます 僕のソーシャルキャピタルは 21世紀のアメリカ社会では 通用しないことは明らかでした
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もう一つ とても重要な要素があります 今も続いていて 地域ではタブーとされていますが 現実的な問題です すなわち 労働階級の子供は 「子供時代の逆境体験」— 要は「トラウマ」のことですが これを経験する可能性が 非常に高いのです 親から繰り返し殴られたり 怒鳴られたり 罵られたり 親が乱暴されるのを目撃したり 麻薬の常習やアルコールの乱用を 目撃するといった経験 これらは全部 子供時代の トラウマの例ですが 僕の家庭では よくおきていました さらに重要なのは 家でよくおきていた トラウマは現在だけのことではなく 数世代に渡っているという点です 僕の祖父母は 子供が生まれた時 当然の事ながら子供を 良心的に育てるつもりでした 2人は中流階級で 製鋼所の仕事で まともな収入を稼げました でも 結局 彼らは子供たちに たくさんの トラウマを与えてしまったのです 何世代も前から続くトラウマです 母が12歳の時 目撃したのは 祖母が祖父に火をつけるところでした 祖父が犯した罪は酔っ払って 家に帰ってきた事です 祖母は警告していました 「酔っ払って帰ってきたら 殺してやる」 と そして その通り実行しました 子供にどんな衝撃を与えたか 想像してみてください
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ごくまれな出来事と 片づけられそうですが 実はウィスコンシン州 児童信託基金の調査によると 低所得層の子供の40%が トラウマを複数回 体験するのに対し 高所得層の子供では わずか29%なのです これが何を意味するのか よく考えてみてください もし皆さんが低所得層の子供なら およそ半数がトラウマを 数回は体験するのです これは まれなことではなく とても深刻な問題です
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そのような体験をした子供が 歩む人生は予測できます 麻薬に手を出す可能性も 刑務所に入る可能性も 高校を中退する可能性も ずっと高くなり それにも増して心配なのは 彼らも自分達の子供に 自ら体験した事を 繰り返す可能性も高まるでしょう このトラウマや家庭内の混乱は この地域の文化が子供たちに残す 最悪の重荷であり 延々と引き継がれていきます
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これらの要素の全て 絶望 落胆 将来に対する悲観 子供時代のトラウマ ソーシャルキャピタルの欠如を 総合して考えると 14歳の僕が 統計の数値の一部として 逆境に負けた子供の1人になる 寸前だった理由がわかります
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ところが予想外の事が起きたのです 僕は逆境に打ち勝ったのです 僕にもチャンスが訪れました 高校を卒業し 大学も終え ロースクールに行きました 今は満足できる職についています 何がきっかけだったのか?
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一つ目の要因は 祖父母の存在です 人に火を放った あの祖父母が 僕が誕生した頃 自らの行いを改めたのです 2人は僕に安定した 家庭環境と家族を 提供してくれました 子供にとって必要なことを 両親ができない時には 必ず手を差し伸べて その役割を果たしてくれました 特に祖母は意味のあることを 2つしてくれました 1つ目は 僕が勉強や 子供として必要なことに集中できる 平和な家庭環境を作ってくれたこと さらに それだけではありません 祖母は中等教育さえ 受けていませんでしたが とても鋭い人で コミュニティーが 僕に向けて発するメッセージ 僕の選択には意味がなく 不利な立場だというメッセージに 気づいていました 祖母は ある時こう言いました 「ジェイディー 自分を不運と思うような 負け犬になっちゃダメ やりたいことは何でもできるんだから」
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もちろん彼女自身も 世の中の不公平を認識してました 子供に人生は不公平だと伝えつつ 自分の選択に意味があるという事実を 子供にしっかり分からせる これを両立させるのは難しいことです でも おばあちゃんは うまく両立させたのです
11:40
もう一つ 助けになったのが アメリカ海兵隊です 一般には米軍の一部として知られ もちろんその通りなのですが 僕にとって海兵隊は 人格を形成する 4年間の特訓コースでした ベッドを整えることや 洗濯をすること 朝早く起きること 自分のお金を管理すること 僕のコミュニティーからは 学べなかったことです 初めて車を買いに行った時 ディーラーで21.9%という 「超低金利」を勧められて 危うく契約するところでしたが 結局は断りました 将校に相談したからです こう言われました 「おまえバカか 地元の信用組合で もっとましな契約をしろ」 言われた通りにしました 海兵隊に所属していなければ そのような知識は得られず ハッキリ言って 家計は破綻していたでしょう
12:25
最後に伝えたい事はこれです 僕は指導してくれる人や 僕の人生で重要な役割を 果たした人々に恵まれました 海兵隊から オハイオ州立大 エール大学 そして その他の場所で 人々が手を差し伸べて 明らかに僕に欠けていた ソーシャルキャピタルを 確実に補ってくれたのです 僕にとっては幸運でしたが そういう幸運を得られない 子供たちも多く この状況を どうやって変えるかという 我々全員が考えるべき 重要な問題を提起していると思います 我々は崩壊した家庭に生まれた 低所得層の子供たちに 温かい家庭を どうやって提供するか 問う必要があります 我々は低所得層の親たちに 自分の子供や伴侶と より良い関係を築く方法を どうやって教えるか 問う必要があります 我々はソーシャルキャピタルや 指導力の恩恵を受けていない 低所得層の子供たちに それを どう提供するか 問う必要があります 我々は 労働階級の子供たちに 読解力や数学といった 知識や技能を教える方法だけでなく 対立の解消や財務管理といった 社会的技能を 教える方法について 問う必要があります
13:32
僕は答えを全部 知っているわけではありません 問題を解決する方法を 全部知っているわけでもありません ただ これだけはわかっています オハイオ州南部では 今この瞬間も ある子供が 不安そうに 父親の帰りを待ち お父さんがドアを開けた時 しらふか 酔って千鳥足か 気をもんでいます ある子供は 母親が注射針を腕に刺し 意識をなくしてしまい なぜお母さんが 晩ご飯を作ってくれないのか わからないまま お腹をすかせて眠りにつきます ある子供は 将来への希望はないけれど 必死の思いで より良い暮らしを求めています どの子も より良い暮らしへと 導いて欲しいだけなのです 僕はすべての答えはわかりませんが これは わかります なぜ僕がこれほど幸運だったのか そして この幸運を より多くのコミュニティーや この国の子供たちに与える方法について もっと意味のある 問いを発しなければ この厳しい状況は永遠に続くのです
14:32
ありがとうございました
14:33
(拍手)
アメリカこそ悪の枢軸。人類の歴史の中で、イラク戦争ほど無意味な戦争はあったでしょうか。フセイン大統領は暴君と思われている方が多いかもしれませんが、独裁者の中では比較的善政を敷いていました。サウジアラビアには言論統制もとんでもなく、反対者は処刑されるというのに、アメリカは何も言いません。アメリカは最初からイラクが兵器を持っていないことも分かっていたようです。
アメリカが潰したカダフィー政権下のリビアもそう。アメリカが『悪』とした、カダフィーは国の富を国民に分配し、国民を思い、国民の幸福のために頑張っていた。
医療費、水道代、電気代はタダ、ガソリンも1リットル10円という格安価格。ローンに利子はなし。全国民に家を持たせ、失業者には家等の生活に欠かせないものを無料で支給。農業を始める人には農地を無料で支給、政府の売り上げの一部を国民に現金で支給、識字率を90%まで上げた。スウェーデン顔負けの高福祉の社会主義国家でした。
アメリカが挙げてる悪態は『カダフィーは独裁者である』以外すべて嘘。反政府勢力もアメリカの犬。カダフィー信者と言われるかもしれませんが、そう言う人たちも大体はアメリカ信者です。今のリビアになって国民幸福度も下がってるし、識字率も下がってる。貧富の差は拡大し、失業率も増えた。アメリカとアメリカの犬になった連中や、リビア人の少数派が多数のリビア国民の生活を破壊したのです。
NATOが攻撃したとき、リビア国民の約1/3に当たる170万人が、反対デモを行っていたといいます。西側諸国のマスゴミはそのデモを報道しませんでした。マスゴミは都合の悪いことはすぐに隠したがります。中立的な立場で、事実を報道しなければならないはずのマスゴミが、事実を報道しないのです。
『民意を踏みにじるな!悪者め!』と叫んでいる西側諸国が民意を踏みにじったのです。最低最悪です。西側諸国が殺した数万人をカダフィが殺したことにし、悪者に仕立て上げる。プーチン大統領も、各国の政治家もこのアメリカを初めとする西側諸国の悪事を批判しています。現地にいた外国人たちも、そのような事実はなかったと主張しています。私も当時リビアに行ったとき、良い国ではないかと思った。国民の1割にも満たない人たちによる反政府デモをいいことに、反アメリカ主義の国を潰そうとしたアメリカ。『民主主義』を口実にいろんな国を潰していくアメリカ。世界で一番悪なのは北朝鮮でも安倍政権でもなく、アメリカです。独裁が必ずしも多くの国民を不幸にするわけではないのです。
しかし、人が変われば政治が変わる。1代目がどんなに良い人でも2代目が恐ろしかったりする。ユーゴスラビアもチトーが死んだら内戦が始まったし、北朝鮮も金日成は庶民の気持ちを良く分かってたが、2代目の金正日は国民を不幸にし始めました。
ソ連は例外的で、レーニンが指導者になっていたが、レーニン本人はスターリンを後継者にする気など全くなく、彼の遺書には『スターリンは決して権力者にしてはならない。私の後継者は民を思い、忍耐強く、思いやりがあり、指導力もある者を指導者に…』と指示があり、後継者を決める選挙もされようとしましたが、この遺書はスターリンの命で封印され、政敵と思われるものを排除し、権力の座に就き、独裁を開始しました。
アメリカは自分の利益になる独裁国家は放置するどころか関係強化!
アメリカはフルシチョフ以来のソ連にもいちいち細かいところまで非難しました。そして、何かしらの行動をしました。
しかし、ソ連と対立していた中国に対しては激甘。毛沢東はスターリンの倍の人数を殺しました。それを認知している人間はどのくらいいるでしょうか。
また、チベット人の虐殺も見て見ぬふり。騒がれると口だけで非難をして、一切制裁無し。残虐な独裁者を許さないのなら、チベット人やウイグル人の支援をすればいいのに...
第二次世界大戦後の戦争は間接的なのも含めて7割アメリカからおこしたものです。戦争をすれば、アメリカ経済が潤うのだからアメリカは戦争を繰り返すのです。人の命より金が大事というアメリカの腐った思考は本当に考えられません。スターリンみたいなものです。
原爆を落としたことをアメリカの大統領は謝罪するべきなのに、一度も日本に謝罪しに来ていません。保守派の方々が言う『日本の誇り』を奪ったのもすべてアメリカ。日本人を沢山殺し、戦後の日本に不平等条約を押し付けたのもアメリカ。
それなのに、日本人がアメリカを恨まないのは、アメリカに洗脳されている証拠。北方領土の領有を主張するくせに、アメリカが武力で日本から奪ったグアム島の領有を主張しないのは、アメリカを贔屓しているってことではないのでしょうか。
ソ連軍が北方の島々に侵攻しようとしたときも、事前に出ていくように警告し、日系住民の命をできるだけ助けようとしました。それに引きかえ、アメリカは事前通告も無しに、罪もない市民を何人も殺害したではないですか。
アメリカはソ連への見せしめの目的(口実:戦争を早く終わらせるため)だけに核爆弾で数万人もの日本人の命を奪った『犯罪国家』です。