はてなキーワード: 投影とは
毎日働いた後に1時間~2時間くらい、参考書を見て模写してたまに書きたい構図を検索してトレスして。
一昨日くらい、うまくなってきたし自分が小学生の頃から抱えてたとある性癖を好きなキャラに投影させた絵を描いた。
今までにない高揚感、興奮、何とも言い難い満足感。
自分の頭の中の妄想が目の前で形になってる、1〇年間支部で探さなくてもよかったじゃん。
こんな達成感得られるならもっと頑張ってみようかな、そんな気分になった。
そんで今日、虚無。
愛あったはずなんだけどな~、いやあの時は最高だったんだよな…。
この思想抱えてたらいつの間にか犯罪者になるんじゃないか、いや現実と想像は区別してるつもりだけどな。
今は1〇年間付き合ってきたこの性癖と向き合う時が来たのかね。まったく誇れるものじゃないけど。
小さい頃からインターネットをやってて2chを見ていたので、流行のアニメや漫画を叩きまくる老害オタクをたくさん見てきた
ガンダムSEEDを叩きまくる1stガンダムおじさん、ワンピースを叩きまくるドラゴンボールおじさん、黒子のバスケを叩きまくるスラムダンクおじさん
「俺たちは元ネタを知ってるんだ!お前らゆとりより偉いんだ!」とマウントをとりたいのか、流行の作品を批判しまくるオタク、たくさん居ましたよね
ああいう人たちを見るたびに「自分は歳をとっても若者に人気のコンテンツを叩く老害オタクには絶対にならないぞ」と心に固い誓いを立てて今まで生きてきた
でも、今その誓いを守れるか自信がなくなってきました
それは「なろう系」と「Vtuber」
なろう系は主人公=作者の投影だなと気付いた瞬間、これ無理だと思うようになった
現実でうまく行かないから異世界に行きたい、乙女ゲームの世界に行きたい
現実で才能がないからチート能力が欲しい、現実で恋人がいないから異世界でハーレムを作りたい、、、
そういう作者の欲望が作品に入り込みすぎててどうも気持ち悪く感じる
顔と名前を伏せてアニメキャラのお面を被った配信者とそれにブヒブヒするオタクたち
配信のチャット欄は判を押したように同じコメントがずらずら並ぶ、テンプレコメントすると一体感を感じれて楽しいのか?傍から見てるとまるで宗教のようだ
お前ら本当にそれでいいのか、考え直せよ、中身がどんなゲテモノか分からないんだぞ?よく盲信できるな・・・と思ってしまう
これに金投げるなんて自分には考えられない・・・どういうキッカケでハマるのかも謎だ。なんで人気なのか本当にわからない。
なろう系は自分が見なければ触れずに済む、だから特に叩くことなくスルーしてる
アイマスとラブライブの合同イベントに参加したり、プリキュアフェスにも出てきたり、グラブルフェスではグラブルのキャラとVtuberのコラボライブという地獄があったそうだ
幸い、自分の好きなコンテンツとVtuberはまだコラボしてない、しかし時間の問題だろう
近い将来、自分が愛してやまないコンテンツとVtuberがコラボした場合、自分は「若者に人気のVtuberを叩かないオタク」でいられる自信がない
きっと運営とVtuberを叩きまくるだろう、最悪そのコンテンツから引退すると思う
誰か助けてくれ
空間コンピューティングというものに対して疑問を呈するとすれば、
画面というものをそれほど必要としなくなるのではないか?ということだ。
現時点でも、
「これはどうするの?」
コンピュータ(AI)が現実世界へと侵食していくというのが未来だと思う。
その部屋の中にいるユーザーが何をしているのか?
何を必要としているのか?
AIはユーザーの状況を判断してユーザーの求めに応じて素早い対応を行う。
どちらかというとアレクサのようなデバイスに近い存在=コンピュータというものとなるはずだ。
そこには従来型のディスプレイやメガネ型ゴーグル型のディスプレイ、コンタクトレンズ型、空間投影型などなど複数の未来が考えられる。
だが、それだけだ。
決してヘルメットやゴーグルをかけるようなコンピュータ体験がメジャーになることはない。
ニッチで専門的な分野に限られるだろう。
ここがAppleが見誤ったところだ。
そうでなくてもMacの市場なんて決して大きくないのを彼らは忘れてしまったのだろうか?
彼らはそもそも据え置き型のパソコンの市場の覇権を握っているわけでもない。
それなのになぜ空間コンピューティングなんてものに対して莫大な投資を行ってしまったのだろう?
本来はスマートフォンを代替するべく新しい何かを探していたのだろうが、それは見つからなかった。
その結果として出てきたのが
おおよそ製品として出荷する段階にはない、
あの役に立たないオモチャだ。。
そして驚くべきことにAppleはAIの開発に大幅な遅れを取っている。
これは致命傷になりかねない失点だ。
ブコメでは不評だったけど、人気観光スポットになる可能性はあると思う。
例えば人気のアニメとコラボしてそれを写したら、それだけで大混雑すると思う。
全然詳しくないけど、日本のプロジェクションマッピングの印象としては
・東京駅のような、すでに立派な建物をもっと映えるようなコンテンツ
というイメージで、あまり興味をそそられない。わざわざ見に行ったこと一度もない。
それを踏まえて都庁でプロジェクションマッピングをする利点としては
・常設展示なのでコンテンツを差し替えられる・準備できる(コラボとかしやすそう)
・都庁は建物的に特徴がないので、スクリーンとしては優秀なのでは
という感じ。
そこまで見据えて事業始めたとしたら、ある程度は機能するのではと思う。
逆に考えておらず、何も展開なかったらヤバいと思う。
物に光が当たると、明るく浮かび上がる一方で暗い影も生まれます。
人の心も同様に明るく光の当たる面と暗い影の面を併せ持っています。
光の当たる面は、自分が「このようにありたい」「このように生きたい」と望む内容です。
自然界の物は光が当たる面と影の面があるからこそ、美しく深みと奥行きを持つのです。
人も同じで光だけではなく影も併せ持つからこそ、豊かな人間になりより良く生きられるのです。
ところがたいてい影の部分は、当人としては好ましくない内容です。
自分では受け入れたくない部分です。
そこで否定され容認されずに捨てられた自分の面をユング心理学ではシャドーと呼びます。
捨てられたといっても実際にはシャドーは残ったまま存在しています。
シャドーは意識に上がってこないように無意識の中に抑圧されます。
当人はシャドーの存在にも自分で抑圧していることにも気がついていません。
シャドーは抑圧したままだと、歪んだ不健全な形で、様々な場面で私たちに影響を与えます。
たとえば他人に自分のシャドーが投影されるということがあります。
投影というのは自分の中の心的内容を自分のものとして認識せずに他人に映し出すことです。
「あの人のあの部分がどうしても嫌いだ」
お前に知識コンプレックス?があるのを他人に投影してるだけだろ
そもそも知識コンプレックスって何だよ、知識はすごい天才が協力して時間と努力を重ねて作り上げてきた人類の宝だろ、そんなものが全世界でシェアされてるなんて奇跡で感動で世界の善性だろ
知識がコンプレックスとか言うならもう現代文明の恩恵受けるのやめろPCもスマホも使うな人権も捨ててジャングルの奥地行けよ
知らないくせに批判するのをやめろ、不誠実で迷惑という話のどこにコンプレックスが出てくるんだ?
誠実不誠実の話をしてんだわ
強みの話なんか一度もしてないけど?
何の理由にもなってないよな?
それで他人を何の根拠もなくいきなり障害者とか自称YouTuberとか罵倒してるんか?
は?
おそらく誤解がある。
頭のおかしいクレーマーは女性オタクの中でも極めて少数派である。男オタクと女オタクでクレーマーの比率に差があるかどうかはデータがないからわからない。ただはっきりと言える両者の大きな違いはクレーマーに対する対応である。
男オタクの場合は攻撃されたら反撃する人が多い。それが頭のおかしいクレーマーなら皆が集まってタコ殴りにする。ちょうど元増田のようにだ。
一方、女オタクの場合は攻撃されると黙ってアカウントを消し泣き寝入りする。周りの人たちも鍵をかけて閉じこもりクレーマーには触らないようにする。そうしてまともな人は去りクレーマーだけが残り村を乗っ取ってしまう。
女性オタクの棲む暗い池、その沼の主のことを我々は「村長」と呼んでいる。
長文お気持ちコメントと当て擦りで村のルールを作り、自分の気に入らない人間は村八分にして虐めて追い出す。まともな人間は虐めに疲れて村を去る。村長のいる界隈は衰退の一歩を辿る。
村長は新入りに対して教育を行う。お気持ちルールを押し付け従わないものは村八分にする。
女オタクのちょっと困ったところは「強そうな人には逆らわずご機嫌を取り始める」ところである。自分が虐められたくないからなのか何なのか、とにかく攻撃的な人ほどその村の村長になりがちである。
もうひとつ、困った存在は「正義の学級委員長」タイプの人である。お気持ちルールから外れた人を探しまわり匿名コメントサービス(ましゅまろ)でかたっぱしから攻撃をしかける。彼らは村長のファンネルと呼ばれることもある。本人の自認としては界隈の治安を守るためにやっているらしい。このタイプの人は公式に突撃をかけることもある。ある意味村長よりも迷惑度が高い。
念のために言っておくと全ての沼に村長がいるわけではない。多くの場合、マイナー沼には村長はいない。基本的にマイナーな程平穏である。
ただし、1匹でも村長が迷い込むとダメだ。多様な生態系は失われ沼は壊滅状態になる。ブラックバスのようなものである。
最後にまとめよう。
女オタクにとってもクレーマーは迷惑である。ただ、彼らと戦う術を知らないだけだ。
女オタクは村を燃やされるたびに地下に潜り息を潜めて生きてきた。彼らの処世術は逃げること、隠れること、我慢することだけである。
だからこそ自分たちの内に怪物が生まれてしまった場合の対処法がわからないのだ
ただ息を潜めて生きていくだけである
id:drylemon 女性はとにかく「トラブルを起こさない」「悪目立ちしない」を傾向として感じる。まともな人ほどそっと身を引く。あと事前に予防線張りまくるけど、それが一定数を得ると空気を読みすぎる勢によりルールと化す。
このコメントに深く頷きました。配慮がその界隈のルールになっていくのはまさにそうですね
女性オタクは主にカップリングで勢力が分かれますが、男性オタクは性癖で勢力が分かれています。
発端の増田のように巨乳派と貧乳派が対立しているし、眼鏡キャラのメガネを外すとメガネスキーが突っ込んできます。
性癖にはさまざまな勢力がありますが基本的には住み分けて共存しています。これは女性向けでも同じですね。
男性向けにも厄介クレーマーはいますが彼らは1人で突っ込んできます。群れで行動しません。創作者はブロックで対応できます。この辺りが大きな違いを生んでいる気がします。
AxBを読んで BxA にしてほしいと文句を言っているのが元増田の主張になります
改変版:
AxBが苦手
悪いけどオエってなる
まあ楽しいんだろうね
(コメント:うまく変換できない文は除外しました。カップリングよりも女体化等の方がしっくりくるかもしれない?)
上の主張を二次創作者ではなくて 公式の方に文句を言っているというのが元増田です。
「公式が解釈違い」と騒ぐ人はクレーマーの中でも相当なハイレベルだと思います。
Xの炎上を見ているとハイレベルな人ばかりが目立ってしまうのかと思いますが、
普通の女オタクは炎上には触らず発言しない人が多いです。実はクレーマーはごく一部で大多数の人は普通の人なのです。
婚活漫画見たけど作者自身のことかどうかは言われてそうかも?ってなるレベルかと思った。
https://comici.jp/pachakoma888/series/49f0c865a1004
あーでもこういう奴よくいるわ
現実とフィクションの区別がつかず作品に火付けするのが好きなバカ
キャラが可愛い=作者も可愛い=作者が現実の人生を生きて既婚なんて許せない、って発狂してた奴
鋼の錬金術師も女キャラが出るたびに女作者の自己投影だと発狂してる奴がいた
好きな女作者だったら絵のように可愛いはずだと発情し、嫌いな女作者だったら嫌いなキャラは作者そのものだと思い込みキャラ叩きと作者叩きの区別もつかなくなる
結局元増田は婚活上手くいった女に嫉妬してその女作者のすべてを否定したくなって出自もキャラもまるで違う「女キャラ」を無理矢理作者自身と結びつけてこき下ろしたいだけ
「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家のスコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。
「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。
早稲田で映画を専攻し、学生時代に映画と脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。
自身の作品の映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。
「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現だからそのまま映像にすると不自然になってしまう」
脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。
死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。
その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画や小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。
ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまったから自殺した」
という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。
冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。
むしろ「自分の大切な原作を、自身の脚本で台無しにしてしまった自責の念」
と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまったことに対する責任」
の方が強かったのではないかと思う。
自分の大事な作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」
それを勝手に拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。
もちろん、本人にしかわからないし、本人にもわからないかもしれないが。
ただ私もクリエイターの端くれとして、
もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供の回復をしようと頑張るが、
もし周りを巻き込んだ挙句、自分で自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。
そんなふうに思ったからだ。
こんにちは、バーチャルってますか?昔バーチャルリアリティーの研究をしていたものです。
Apple Vision Proが現行VRの頂点にいままさに君臨しつつあることを簡単に解説したいと思います。
Virtual reality(VR)の歴史は古く、狭義の"コンピューターで作られた仮想空間を現実であるかのように疑似体験する"という意味でも50年以上前から存在します。
Computer Generated Image(CGI)を利用した模擬飛行装置、いわゆるフルフライトシミュレーターがJALに導入されたのは1977年です。
本物の飛行機に訓練生のせて飛ばすのに比べたら、安全で安価で何度でも使える大変にオトクな装置だったからですね。
(フライトシミュレーターはざっくり100年ほどの歴史がありますが、CGIを本格的に利用しだしたのはここ50年程です)
とはいえ、あくまで比較の問題で、設備投資としてはかなり高額ですし、維持費も結構かかります。
いくつものルーツを持ちますが、Head Mounted Display(HMD)が開発された要因には、より取り回しが楽である、という点があったことは間違いありません。
(直接的な祖先としては1961年のHeadsightと言われている)
ただ、実はHMDは主に技術的な課題を解決する目途が立たなかったことから、プロジェクタのような実空間に映像を投影する装置に一時期流行が移ったことがあります。
おそらく、国内で最も手軽に最先端の空間投影型のVRを体験できるのは、東京ディズニーシーのソアリン:ファンタスティック・フライトでしょう。
(豊洲にあるチームラボプラネッツは、アート寄りなのでVR体験としては若干特殊だと思う)
さて、その後徐々に技術的な課題が解決され、HMD型のVRは少しづつ実用化されたり、販売されるようになりました。
VRにはいろいろありますが、ざっくりとは以下の4パターンにわかれます。
No.1の表示装置というのは、いわば映画館のような大スクリーンをどこでも楽しみたい系のHMDです。
No.2の仮想空間に入り込みたいのは、VRChatのようないわゆるキャラクターになり切る、というものですね。
No.3の現実空間に情報を追加するのは、静止画ならプリクラ、動画ならサーモグラフィカメラなどもそれに該当します。
No.4がApple Vision Proが到達しつつあるものであり、かつ、ずいぶん昔から研究やパテントが飛び交うも実現が難しかったものです。
違和感なく重ね合わせるという部分が、最も困難でした。
人間の五感は大変に優れており、もうちょっと鈍感でも良いのになと思う程度には鋭敏です。
たとえば、任天堂switchのリングフィット アドベンチャーは、仮想空間に入り込むデバイスとしては大変安価で割と追従性も悪くありません。
しかし、"仮想空間に入り込んだ"と感じるかというと、これはかなり微妙でしょう。あくまでもコントローラーの一種だ、と思われるのではないでしょうか。
同様に、新型コロナが流行ったころに飲食店などに導入された、自分が映った映像に体温が重ねて表示されるものを"仮想空間の情報が重ねあわされている"と感じる人もまた少数派でしょう。
と、ここまで読んでいて少しVRに詳しい人ならこう思ったのではないでしょうか。
MicrosoftがMicrosoft HoloLens で実現していたのでは?と。その通りです。
(これに、映像をどう見せるかの方式として、ディスプレイ型、網膜投影型、虚像投影型などなどがありますが、今回は割愛)
Meta Questは基本的には非透過型、遮蔽型のHMDです。いわゆる没入感が強く、完全に視界を覆ってしまえるため、大掛かりな表示装置を安価に実現するには最適です。
HoloLensは透過型で、光学シースルータイプです。いわゆる実際の現実世界が透けて見えており、そこに仮想空間を重ね合わせています。非遮蔽型でMRが実現されています。
Vision Proは透過型で、ビデオシースルータイプです。完全に覆ってしまう遮蔽型で、ビデオで撮影した現実世界と仮想空間とを重ね合わせて見せています。
つまり、Apple Vison ProはMeta Questに近く、HoloLensはどちらかというとARに近いMRです。
目的です。
Meta Questは、VRとしては仮想空間に入り込む方に重きを置いています。そのため、大画面で映画を見たい等の場合は、Meta Quest 3などで必要十分でしょう。
HoloLensは、MRとして現実世界側に重きを置いています。産業用途、トレーニングや作業効率アップなど、空間に投影できるマニュアルとしての用途を押し出していますし実績もありました。
Vision Proは、MRとして現実世界に仮想のディスプレイを表示させることに特化しています。ディスプレイの品質を担保するために遮蔽型にし、現実世界を見せるためにおそらく専用チップでビデオシースルー処理をしています。
X(Twitter)の感想や使用感レビューを読む限りにおいては、(属性が極端に偏るという点をおいても)かなり広範囲な人がほぼ違和感なくビデオシースルーで現実世界を見ることが出来ています。
光学シースルーに匹敵するビデオシースルーというのは、その時点で光学シースルータイプの上位互換になります。
そして、最も大きな特徴は、仮想ディスプレイを表示することに特化したその目的です。
現実世界に仮想のディスプレイを表示するというその目的において、Apple Vison Proは性能面ではほぼ完成形です。
Apple Vison Proは、現実世界に仮想のディスプレイを表示させる手段としてほぼ完成形です。手軽に持ち運べるマルチディスプレイ環境が欲しい人には最終回答でしょう。
例えば新幹線の車内でトリプルディスプレイで仕事をしていても、他人から覗かれる心配は無く、かつ、車窓を楽しむこともできます。防犯の面でも安心でしょう。(キーボードを使うならショルダーハックに注意が必要なのは変わらず)
仮想空間のみが必要な場合は、Meta Questで充分です。どうせ自室には見るものないし、ゲームしかしないし、という場合には、Apple Vison Proを買うのは勿体ないでしょう。
HoloLensは、その性質上、専用のアプリやソフトウェアが必要になりました。例えばエンジンの修理用のマニュアルを表示させて効率アップしたいなら、それ専用のHoloLensに特化したマニュアルを作成する必要がありました。
大量導入してバッチリハマる用途なら普及の可能性はあるかもしれませんが、紙のマニュアルと無線ヘッドセットの指示を上回るのはかなり難しいでしょう。
そして、Apple Vison Proは普及するのか?という点において、一般的には普及しないでしょう。
ご家庭にはテレビがあり、レジャーでは映画館があり、一般的にはノートパソコンの一画面で充分です。
また、業務用途においてはWindowsに対応していないため、会社で支給されて出張社員がみな使うというのも考え難いです。
そのため、これはMacbook利用者のマルチディスプレイ環境として、使う人が使うような、ほそぼそと売り続けられるApple Studio Displayのような位置づけになるでしょう。
真に空間コンピューティングとして見かけるようになるのは、おそらく三年以上後、iPhoneとApple Vison ProとAirPods Proの3点のみで仕事が完結する人がそれなりに増えてきてからだと思います。
テレビ会議、メール、ブラウジングと動画視聴、主に文字が主体のコーディングや資料作成で仕事が完結する人にとっては、良い時代になりそうです。