はてなキーワード: 成果物とは
タイトルそのまま、オンラインゲームに疲れてしまった。(だと思っていたけど書き進めていくうちに友人に疲れた話だと気付いた日記)
オンラインゲーム経験皆無な自分がある日ふと思い立ってとあるMMOを初めてみてそれなりに経とうとしている。
元々ソロで遊べるゲームはがっつり遊ぶスタイルのゲーマーなのだが、MMOに関しては多少興味はあったものの伝え聞く他者との交流ありきなゲーム設計がコミュ症で人との交流が苦手な自分には合わないと敬遠してきた。
それがある日ちょっとした興味本位で、友人から「ソロでも出来る」という謳い文句で誘われたMMOを始めてみた。
人生何事も経験だし自分が踏み込んだことのない世界で遊んでみるのもいいかもな~~くらいの軽い気持ちだったと思う。
ソロで遊べると思い乗り込んだ世界で、実際半年以上ソロプレイを満喫した。
どうしても他プレイヤーと協力してこなす必要のあるコンテンツはあったけれども、それは一期一会のインスタントなマッチングをしてくれるシステムが用意されていたので特に苦労はしなかった。それくらいのオンラインプレイは他のゲームでも経験があったので抵抗も全くなく楽しかった。野良のマッチング相手にたまに変なのがいるのもよくある事だしね。
自分のペースでストーリーを追いつつ成果物をコツコツ積み上げていくゲームプレイは性に合ってる部分もあったし、それが自分の操るキャラクターの財産として形成されていくのも面白かった。
ちなみに自分はオタクなので、プレイキャラクターを己のアバターではなく俯瞰で眺めるその世界のキャラクターの一人として見る楽しみ方をしている。周囲にもてはやされる系主人公がそんなに好きではない自分は最初はいきなりヒーローのように担ぎ上げられる立場になった自機に困惑していたけれど、最近は色々乗り越えてなかなか頑張ってるじゃん…と愛着もわいている。
閑話休題。
ここからちょっと自分の醜い感情というか、あまり直視したくない部分になるんだけれど、まあ増田の独り言なのでいいか。
このゲームに誘ってくれた友人は元々他のMMOやオンラインゲームの経験も豊富でとても人脈が広かった。
それは各々の築き上げてきた環境の違いなので当然だし全く何も問題ない。熟練者のフレに支援してもらった話や、高価なアイテムをもらった話もMMOって温かいんだなあ、先輩優しいねえ良かったねえ、と楽しく聞いて装備も見せてもらっていた。
ただ、一緒に遊ぶうちにだんだんその感覚の違いがストレスになっていくのがわかってしまった。
初心者である自分が手探りでやり始めていることや味わっているストーリー、それらをちょっとでも話題に出すとすかさず友人が熟練者に聞いた話の披露や友人も知らない事はその場で直接熟練者に聞いてくれたりもする。そこには純粋に善意しかなくて、自分と一緒にゲームを楽しもうとしてくれる気持ちしかないのはわかるのだが、どうにも楽しみをスポイルされてしまっているような感覚が拭えなかった。
自分は手探りで自分自身で世界を知っていきたい、けれど自分が感じたこの世界の話を友人していると必ず熟練者からの知識やエピソードを披露され、一緒に考えてみたいと思ったことも即座に熟練者に聞いてみようと言い出されてしまう。
多分一緒に遊ぶたびに毎回一度はそういう話をされていた気がする。その都度、なんだか自分は好奇心や興味に水を差されたような気分になってしまう、の繰り返しだった。
友人から「先輩が」という言葉が出てくるとゲンナリしてしまうほどに嫌な気持ちになるワードとなってしまった。
…書いてて思ったけどこれってあれだな、友達とサシで遊んでる時に毎回その場にいないし自分の知らない「友人の友人」の話をされて微妙な気分になる不快感も含まれそうだな。
ああ、腑に落ちた。これが毎回されていたらそりゃなんだかな~という気分にもなるなあ。
自分がこのゲームを始めて友人は喜んでくれて、ゲーム内で一緒にいる頻度はめちゃくちゃ高かった。けどその一緒に遊んでいる際に毎回必ずこういう話が差し込まれるのが地味にストレスだったというだけの話。
元々自分は色々な友人と遊んでいても相手の知らない人の話をすることはほぼないタイプなのだけども、友人は楽しい話だと思えばどんどん知らない人のエピソードでも披露してくれるタイプだった。
適度な距離の友人としてなら気にならなかったけれど、MMOという世界で急激に距離がバグってしまった結果の悲劇ということかなあ。
多分自分と友人は、人付き合いの感覚もゲームの楽しみ方もあんまり相性が良くないのだろう。
自分が気難しすぎるのかもしれないな。
で、とりあえず現状は自分もそういうことを気にしないようにゲーム内で自分の交流を広げ始めてそれなりに楽しくやれているのだけども。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/echo-news.red/Japan/Nitos-hatred-driven-67-reports-tremble-by-heart
・日報ならこんなもんでは。全員にPC支給とかできないだろうし。
・なぜ複数人で書いてたらダメ感出してるのか知らないが、前例に倣って作文したらこんな感じになるんじゃねーの。何でこんな拙い作文で通るのかといえば、行政的には上3項目が有れば足りるからでは。
・企業なら有り得ないだろうがNPOかつ毎日の日誌系ならどこもこんなもん。年度末にだす全体報告書がこれだと流石に呆れるが。この手の支援事業は儲からないから委託の受け皿が少なくなりがちで行政も選ぶ余地がない
・ こう言う重箱の隅突かれるのは今までの言動で敵を作っただけだから自業自得。ただ、指摘する側も彼女の活動を評価するとこはちゃんと評価しなければしっぺ返しに会うよ。
・こういう確認しようのないものより会計の数字とかを見た方がいいと思う。
・ わからんけど、屋外でクリップボードみたいな安定しないものの上に紙を置いてその場でペン書きしてれば字も覚束ないものになるとは思った。
・これを見る限り活動自体は熱心だと思うが税金を貰うには値しないって感想。Colaboは莫大な寄付も貰えてるのでそれで活動していただいて、税金しゃぶるのをやめたら暇空茜に指摘されるような隙もなくなるし良いのでは?
私はこのくらいの温度感。
・これで都は成果物として受け取ってるの?本当に?と疑問視したくなる内容。国自治体問わず仕事で役所と付き合ったことある人は似たような感想になるんじゃないかな
・自治体相手の報告でこんな雑なのが通るわけないので通るように都議から職員に圧力かかってるんだろうな
・おれんときは自治体のチェックすごい厳しかったんだよ。1円未満は切り下げだの切り上げだのってレベルで。だからこれで金がもらえるってことは都もグルなんだろという感想になってる
・「買春者が40〜50人位」「スカウトが200人」どうやって数えたんだろうか?そっちの数は数えられるのに何で肝心のカフェに来た女の子の数は数えられないんだろうか?
・スカウトは判断つきそうだが売春者って判断基準が難しくない?
・買春者が50人ぐらいいる、ってあんまり想像できないんだが。立ちんぼが30人ぐらいはいないと需要と供給が成り立たないのでは? 都会にはそんな場所があるの????
・もし数人が分業で書いているとすると、その全てに売春者への言及があるあたり、組織内で日常的に売春関係者への憎悪を組織内で語り合っているのだろうと感じる。精神的に健全な環境には到底なり得ない気がするよ。
・ブコメにもあるけど、若い女が繁華街歩くだけで売春を誘う男がわらわら寄ってくるんだよ。存在知らずに生きてこれるのうらやましいくらいだ
・繁華街苦手な芋っぽい私でも20代の頃は売春のお誘いがそれなりにあったから、20歳前後のギャル系の子は、そりゃあ、たかられるでしょうな。保護活動の苛立ちがその手の男達に向いたとしても、それは仕方ないのでは。
・熱心に活動しているんだなと好印象が強まった。手書きだの平仮名だのはみ出しているだのむしろ現場優先で活動している証では。
・ 逆に現地で本当に活動してる証左だなと思った。これを事務所に戻ってPC立ち上げてWordで打ち込んで印刷?深夜まで活動した後に?そんなことする暇あったら他の活動したいだろう。
自分が常に怒っている理由ははっきりしていて、とにかくめちゃくちゃバカみたいに労働してるのに、もっと時間をかけて丁寧にやれ、と言われること
仕事の量が死ぬほどあるのにじゃあほかの人がやってくれるかというとそうじゃない
上司が細かくて厳しいせいで、ほかの人と成果物の差はあまりないように思える(実際にそういわれる)のに、もっと丁寧にやれと、細かい部分をつつかれる
時間がないからイライラしている、だから時間のとられることを言われるとすごく怒ってしまう
自分が奴隷だと思って自分のすべての時間を会社のために捧げるのだ、そのぐらいの勢いでないとこの怒りは収まらない
もちろん会社で怒りを表明したりはしないようにしているが、己の中の怒りはどんどん蓄積されていくばかりで消えない
会社にささげたってアラサーの私がそのあとどうなるかなんて会社は知ったことじゃないだろう
この怒りはどうマネジメントしたらいいんだ
ずっと怒っている 半年以上ずっと
誰にも言えないままずっと怒っている
なんだかよくわからない基準でよくわからない名前の賞を授与されていた。
渡す側が一番楽しそうだ。気持ち良さそうなオナニーだ、よかったな楽しくて。
私は誰かに『選ばれる側』に回るのが嫌いだ。ひいては『誰かを選ぶイベント』も大嫌いだ。
理由は当然「いつも自分は選ばれなかったから」だ。つまり私怨だ。
就活では何十社も受けて何十社も落ちた。最も景気が良いと言われていた時期にだ。
実のところ、誰かに「自分を」選ばれるような仕組みでなければ得意だという自負もある。
成果物を作ることには自信がある。卒論はゼミで一番よくできていると言われたし、数千人に一人レベルのコンテストで受賞したこともある。
だから厳密には「人間を審査して選ぶというイベントが嫌い」なのだろう。単に自分が苦手なことを嫌っているだけ。
だが、実際それが嫌いな人は少なくないのではないだろうか。
なぜなら「選ばれる側」は常に少数なのだから。大多数は「自分が選ばれないとわかっていて選ばれない」という結果を突き付けられるだけだからだ。
『就活が好き』だなんて変人は、就活でいくらでも望む内定を取れた上澄み1%未満だけだろう。
成果物系の選考も嫌いな人だっているはずだ。むしろそちらにも共感する。当然、無様に落ちた経験だって何度もあるからだ。
「人が人を選ぶ」という行為は傲慢で、おこがましい。それがシステム上必要だとわかっていてもだ。
それならまだしも、「人が人を裁く」という行為の方が理解できる。罪に対する罰。それは、そうあるべきだ。自分が対象となるとしても、納得できる。
だが……「人に選ばれる(選ばれない)」という行為は、罪も犯していないのに罰を受けるような気分になる。
なぜ選ばれなければならない? ふざけるな。
まぁ、それが嫌なら「選ばれない」立場になるために起業でもしろという回答にはなるのだろう。それは正論だし、自分でもそう思いはする。
ただ、今ここで書きたいのは正論でもなければ対策でもない。『選ばれる側』という状況がとにかく嫌いだと叫びたいだけだ。
その点において、数値式のテストは好きだ。
機械的な基準が明瞭で、それに従えば絶対に受かるか落ちるかに二分される。正当で迷いがなく、疑う余地もないし、何をすれば結果がどうなるかもすぐにわかる。
人間などという曖昧なものに意図的に選別をされるぐらいなら、数字によって結果が出る方が遥かにマシだ。
自分より能力が高かろうが、低かろうが、同じくらいだろうが、人間なんてものは曖昧で適当だ。
認識は不完全で、やり方は千差万別で、条件と与える情報次第でいくらでも結果が覆ることをよく知っている。別に、それはいい。人間の長所も短所も、それ自体はいい。
だがそれに選ばれたくはない。審査機構として、人間はあまりに不十分すぎる。
選ばれる側に回るのが嫌いだ。
ただそれだけの話。
働く妻には理解のある夫が必要だが、夫がクソすぎて腹が立っているので記録する。
夫はずっと非正規雇用だった。
非正規雇用だが業績が必要で業績がないと職に就けない部類の仕事を目指し日夜努力をしていた。
私はずっと正社員で、年収も一般的な男性の平均年収より高かった。
夫には朝子供を送ってもらって、帰りは私。
顧客が成果物を待っている仕事。納期も内容が求められるのは当然。
子供が急に熱を出しても、お迎えは私。
急な病気で対応して急に休むのも私。何度も急にRSや手足口病になって突発的に休んだ。
インフルエンザみたいな風邪をひいて、1か月のうちに何週間も休んだこともある。
そんな風に夫をフォローしまくっているうちに夫は正規ポストに就いた。
そしたらいきなりクソ自慢し始めた。
家事をやっている。
お前のせいでみんなに迷惑かけているんだぞ!
こんな罵倒を大声でする。
急な休みがどれだけ迷惑かわかるか?どれだけ妻が今まで気を遣って生きていたか何もわかっていない。
何度も説明したけどわかろうとしない。自分だけが苦労したと思っている。
病児保育を利用したり、風邪をひかないように少しの体調変化を気にしたり
おそらくだが、何かしらの物作りって楽しい側面も大きいが、創り出す辛さもある。
その辛さの先に出たものを読み込まれる際に、成果物が技術に貢献出来て誇らしいと思うか、辛さの部分を無視されたと感じるかの差なんじゃないだろうか。
対してプログラミングは完成の区切りが曖昧で成果物として実感しづらいのが関係してるのではないだろうか。
そもそものやりがいを見出す先が、ユーザー(閲覧者)に快適に使用されることなのか、デベロッパー(絵師)自体が評価されることなのかで根本から違うんじゃないかな。
社歴も肩書きも上の奴らが自分で言った期日は守らない、進捗遅れてるのに相談もしない、納期直前の長期休暇取得を数日前に連絡してくる。
自分で出来るからと言って結局仕上がらず期日直前に泣きつかれて助けると、次からは助けてくれるのが当然みたいな顔をしてやがる。僕があなたの仕事を助けるために、家族との時間を犠牲にしているのがわからないのか。
社内失職おじさんに仕事をあげて欲しいと上司に頼まれて雑務を頼むと、一時間の打ち合わせの議事録作成に丸一日分の工数を使われる。出来上がった議事録は間違いだらけで結局ほとんど自分で書き直す。僕がどんな思いで技術営業をかけて、その時の自分の売り文句に見合う成果を出そうとしているか理解しているのか。
どれだけ顧客の業務背景や目的を語ってリーダを任せても、逆算して計画せずに言われたことだけをやっていれば良いと思っている。そして言われたことすらやれない。それが年収800、900万円持っていく人間の仕事なのか?
俺はお前らよりも安い給料でお前らの尻ぬぐいをさせられているのに、嫌味の一つすら言うことも許されずにこんなインターネットのゴミ捨て場に愚痴をこぼすしかない。もう他人の成果物に毎回毎回同じ指摘をするのは疲れたよ。まだ30前半、未来があるうちにまともな環境を探します。
わざわざ「なぜ」を聞いてる以上、増田的にその部下の報告内容に問題があると感じた・イマイチだと思ったところについて聞いてるんだろうけど、何故って聞くのってけっこうキツい詰問なんだよ。
「なんでそうしたのか」
てのは、結果に対する評価や質問じゃなくて、その人の内心・人間性に対する質問だから、そんなん開示したくない人だっているわさ。
叱る・指導する時は、結果・成果物に対してやる。人間性を叱らない。褒めるときは人間性を褒める。ってのが部下に対する鉄則対応の一つなんだけど。
大前提として、部下は増田に対する信頼を失ってるんだよ。見限られてると言っても良い。
だから、増田はその部下に対して内心色々思うところはあるだろうが、まずは「不快な指導をしてすまなかった。もうしない」と謝罪しないと部下の信頼は回復しないよ。
ほんで、増田的にはこの成果物にこういう問題があると思って、その理由はこうだ、こういうふうに改善して欲しい、的な伝え方をすればどうか。
二人上手くいってるつっても、その二人も本当に上手くいってるか割と怪しいぞ。内心不満溜めてるんじゃね?
https://anond.hatelabo.jp/20220829193650
https://togetter.com/li/1937447
自分に被害がないと思うとマウント取りに行く相変わらずのはてブよ。とげの後半の議論をあまりよんでいない気がするのだけれど。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/h30_hokaisei/
機械学習は良いとされているけれど、それを利用した成果物についてはそれほど明言されていない。
検索用のデーターベース構築やパターンマッチング用のデータのインプットととしての利用は想定されているが、そこから類似の成果物を生み出すまでは想定していないように見える。
一方で著作権はスタイル作風を保護しないというので、学習結果から同じ作風の作品を自動的に生み出せてしまうなら軽微な利用ではなくがっつり業務に影響してしまう。
という意味では機械学習での利用は許可するが、機会学習の結果が生み出す成果物に関する権利の制限はまだグレーゾーンだと思うんだよなぁ。
ディズニー風/ジブリ風を自動生成してつかうのは本当に許されるの?とあるイラストレーターの一枚絵から微妙にデザインを変えて任意の構図の絵を生成できるサービスは本当にフェアなの?
成果物の権利は世界で調整すべき範囲で、やらないから負けるではなく、やられて権利者が保護されないを世界と調整すべき案件。
機会学習自体NGは無理筋としても成果物の利用については考えることは無限にあるのに一方的にバカにしようとする風潮はいかがなものだろうか。