何かやりたくても「それはなぜか」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」
誰かに業務を依頼したくても「なぜ今なのか」「なぜやらないといけないのか」「なぜ私なのか」「そう考えたのはなぜか」
だから根回しというのが過剰に必要になるし、関係者すべての疑問点が100%解消するように取り組まないと、物事が1つも進まなくなる。
例えば中国はトップダウンで何もかも決まるから「なぜか」を説明する必要はない。上が決めたから従え、で終わりである。
実は米国も多分にこういうところがある。1段階目の「なぜ」は説明してくれるが、2段階目以上の「なぜ」の説明が求められることはまずないし、求めるのもタブーである。仮に2段階目の「なぜ」を求めたら、翌日からその職場に入れなくなるだけだ。
アジャイル開発やった事ある人ならわかると思うが、「ユーザーストーリー」は「Aが出来るようにする。それは何々だからだ」と言った感じで1段階目の「なぜ」は書かれるが、2段階目の「なぜ」が書かれることはない。
「なぜ」を過剰に求める文化、そろそろ止めようよ。
過剰品質が求められる時代じゃないし、スピード感が求められる今、腹落ちしないと動かないような人は生産性の足を引っ張る要素にしかならないから。
中国の例を見るなら「なぜなぜ文化」はあった方が良いように見えますね
何も自分から発信せず重箱の隅をつつくように他人のアウトプットになぜを問う人はノーコストノーリスク、何か成果物を出す人は刺されないため効果に繋がらない部分に膨大な労力を...