はてなキーワード: 堅苦しいとは
もう誰に話せばいいかわからないここ数年ずっと消えない自分の中の怨念をただ書いていく。
両親と兄の4人家族
母を専業主婦にして(母は働きたかったが父が許さなかった)気に触ることがあると怒鳴ったりするのは当たり前。私達も押し入れに閉じ込められたり怒鳴られたりすることがよくあった。
また偏屈というか理屈が通っていない&父が納得できないものは(世の中では正しいとされても)全て許されなかったので、何か大事な事を決める時は必ず父を説得する必要があった。
ただ何もない時は面白い人だったし抱っこしてくれたり普通に可愛がってくれたため、怒ると怖いけど父親として好きではあった。
18歳から大学進学のため上京しそのまま地元には戻らずに就職して結婚。
上京する時に「なぜ地元じゃないのか」と若干反対はされましたが、話し合いの末に納得し私はひとり暮らしへ。そのまま大学時代に出会った夫と就職を機に同棲。
同棲する時も「なぜ同棲する必要があるのか」「期間はいつまでなのか」など、当時彼氏だった夫と共に父へ事前に説明をしに行った。
私としては大学進学も同棲もきちんと自分の気持ちを話して、具体的な将来の話もして、父も納得したため全てをスムーズに進めていました。話し合いの時も言い合いになることはあれど強く反対はされなかったし。
そのまま2年ほどたちプロポーズされた。
母はとても喜んでくれたし父もおめでとうメッセージをくれた。
夫の両親にも挨拶をし、じゃあ両家顔合わせはいつにしようか〜と日程調整をしようと連絡を取ったら
顔合わせなんていらない
結納もいらない
俺は絶対に行かない
と父から言われた。
夫の両親が嫌いとかではなく、本当に必要性がないから会いたくないらしかった。
さすがに非常識すぎると言ったら父がマジギレした。最終的にはそんな無駄な事に俺を引っ張りだすなら結婚をやめろとまで言い出した。
こうなると絶対に意見を変えないとわかっているので誰が何を言っても無駄。
夫の両親には、父の仕事が忙しく休みがなかなか取れない(半分本当)。結納などの堅苦しいものは無くて大丈夫です。と話した。
夫の両親はすごく良い人達なので、大事な娘さんと結婚するのにそんなこと申し訳ないと言ってくれたがなんとか納得してもらった。
この時は義両親に本当に申し訳なかった。
特に義父はきちんとした結納式をしたかったらしく最後まですごく粘っていた。本当に申し訳ない。
その後入籍。結婚式はどうしようかな〜東京の方がお互いの友達が多いから東京でやろうか〜と式場見学をしながら考えてた。
入籍前にも親には結婚式はしたいと思ってる事は雑談程度に話していたので、日取りについても改めて相談した。
この時に父からは「本当に結婚式をするのか?」と一度言われた。
え、だめ?私は小さくても結婚式したいんだけど…と話すと、その時はふ〜んと言われて終わった。この時もっと突っ込んでいればよかったとあとで死ぬほど後悔する。
無事式場を決めて報告。
結婚式はするな。
理由は俺が結婚式をしたが、あんなものするべきじゃなかったから。
そんな金があるなら別の事に使え。
おいおいマジかよ。
というか私の意見は?自分がやって良くなかったからって娘までだめなの?
しかも夫は長男で義両親もとても楽しみにしてるのに?なんて説明するの?
両家顔合わせすら断ってるのに結婚式までなんて何考えてるの?
と疑問と悲しさと焦りでいっぱいの最悪のタイミングで世の中がコロナ禍に突入する。
式場からも打ち合わせなど一時中断の連絡がきた。このタイミングしか父と話す事はできないと思い、父、夫、私の3人で電話会議をした。
・義両親もとても楽しみにしていること
・父が結婚式をしない方が良かったとしても、私は結婚式をしたことがないから同じとは思わない
・コロナが流行ってて友達を呼ぶのも難しいかもしれないが、呼ぶなら人数をかなり減らすしワクチン接種などもした人のみにする
などなど私の思いを伝えた。
これに対する父の答えは
・俺が結婚式が良くないと言ったら良くない
・義両親が楽しみにしていようが関係ない。俺がそれに付き合う義理はない
・そもそもお前の結婚式なんで誰ひとり楽しみにしてない。お前の友達全員どうでもいいと思ってる。(父は私の友達に1人も会った事が無い)お前の友達なんて友達じゃない
・やっぱりお前を東京になんて行かせた事が間違いだった。地元にいさせるべきだった
友達にはコロナ禍になって結婚式が延期になるかも…と連絡した時点で慰めのメッセージがきたり、余興は準備バッチリだし絶対休みも取るから!結婚式楽しみにしてるね!って言ってくれたりする子ばかりだった。
こんなに優しい子達が友達じゃないって何?
東京に行かせなきゃよかったって何?
なんでこんなに全部を否定されなきゃいけないんだろう。
義両親への配慮のなさは何度も言ったが父には何も響かず。こんなに不誠実な事ばかり義両親にしたら申し訳ないと言ったら「くだらない」と言われた。
義両親への配慮をくだらないってなに。
この時にやっと私は気付いた。
父にとって大切なのは父だけ。
自分に従わない奴らは全員悪なんだなと。
後々、職場の人にこの話をしたら
普通は自分の娘が相手のお家で苦労しないように立ち回ったり、娘の立場が悪くならないようにフォローすべきなのにお父さんは自分の事だけが大切なのね。と言われたけどまさにそうなんだと思う。
その後何度も話し合ったが話は平行線のまま。
義両親もなんで結婚式をしないんだ、顔合わせもしない結婚式もしないなんて!と怒ってしまった。
私は不眠症になり食事もうまく取れず変な痩せ方をしていった。夫もすごく心配して、父にどれだけ私が苦しんでいるかを話してくれたりした。
数ヶ月話してようやく条件付きで許しが出た。
・人数を極力減らすこと。親族は呼ばない。お互いの両親と兄弟、どうしても呼びたい数人だけにしろ
・俺達は何もしない
義両親は結婚式の規模にはこだわっていなくて、ただ結婚式をしてほしいという希望だったのですごく喜んでくれた。
友達にもコロナのこともあるから人数を減らす事を話したら、全員が理解してくれ落ち着いたら改めてお祝いすると言ってくれた。中には式当日に電報をくれた子もいた。
結婚式当日。
私達にすら話しかけてこなかった。
帰りも母がまたねと声をかけただけだった。
コロナのせいで結婚式に敏感になっていたのはもちろんあると思うしそれは仕方ないと理解してる。
でも、その前から結婚式を反対されて、理由が俺が嫌だったからという謎理論が未だに納得できない。両家顔合わせを拒否したことも。
私の気持ちを一度も肯定してくれず、18歳からの人生を全て否定されたのもずっと胸に残ってる。
父とはそこそこ良い関係だと思っていただけにとてもショックだった。母とは上京してもほぼ毎日連絡を取っていたし、私の気持ちも話していたから味方になってくれると思っていたが一度も助けてくれなかった。
父の結婚式で何があったのかは知らないが、私はあなたのせいで普通の結婚式を望む事すら否定された。
(父達の結婚式のビデオを昔見せてもらったがよくある普通の結婚式でハプニングなどは何もなかったし、父達も笑っていた)
本当は祖父母にも来てほしかったし友達もみんな呼びたかったし、やりたい事もいっぱいあったのに何1つ希望通りにならなかった。
希望通りの結婚式が出来なかった事ももちろんショックだしその話し合いの過程で私自身を否定されて、あの日のショックがずっと胸に残ってる。そして何より私の気持ちを一度も汲んでくれなかった事が悲しかった。
あれから友達の結婚式に行くにも自分の結婚式を思い出して身構えてしまう。
両親からは「そろそろ顔を見せにきませんか?」なんて連絡が普通にくる。あの時の話なんて無かったみたいに。
このままゆっくり両親と縁を切りたい気持ちと、それでも家族だから会いたい気持ちがずっとぶつかりあっていてそれがまたすごく苦しい。
でももう今までみたいに実家に帰って心から笑ったりすることはもう無いと思う。
子供ができたとしても会わせたくない。
夫にはそんなに恨むと自分が辛いよと言われたけど、どうしても止められない。
お笑い番組とか、昔はタブーがなくてやりたい放題だった、みたいなことが言われたりするんだけど、そうじゃなくて、昔もタブーはあってマズイことをやれば苦情の電話が鳴り止まなかったりして、それはそれで問題だったんだけれど、時代の流れとして、そういうタブーとかで縛り付けてくる勢力には絶対に負けないぞ!という社会の空気感とかこれからの時代はこうなんですよ!意識のアップデート(なんて言葉はなかったが)して下さいよね、みたいな感じだったんだよな。
これはもう長い歴史の中で人類の文化に起こる繰り返し性みたいなものなんだと思う。
ある時期には開放的な方向へと振れていくし
ある時期には規制的な方向へと振れていくという。
ルネサンスやらその反動やらとかってそういうことみたいなことだろ?
まあ今の時代はそれが規制的な方向へと向かっていく時代ということで。
だからある時期に来ると突然、今みたいな堅苦しい主張をする人たちのほうが意識のアップデートが出来ていない老人たちってことになる時代に反転するんだと思う。
ふと思ったんだけど女の人ってなんで創作に関して物凄く繊細というかセンシティブというか 何かそんな感じなの?
とりあえず男性の作家と読者が多い界隈を「男性系」。女性が多い界隈を「女性系」としよう。
女性系は二次創作同人誌の注意書きだとかの話題もそうだし、オリジナル作品にしても物凄い熱意とこだわりがある。
たまにここに小説書いてる人が「私はどれだけ創作に捧げているか」みたいなエントリ書くよね。
俺はコミティアにたまに行くんだけどエッセイ漫画描いてる人で「私と創作」みたいなエッセイ作品描くのは必ず女の人だった。
あと、かなり前に絵に関してtwitterで女性系の人が「画風トレス」って問題にしてて「私と似た画風で描かないでください」とか塗り方が似てるつって怒ってた。
それは極端かもしれんけど、男性系ではこの作家さんはこの上手い作家さんが好きなんだな って当たり前にわかるくらいに真似て描いてても、特に問題になることもない。
こういうのはエロだとかBLとか抜きにしても女性系のほうが「掟」みたいな厳しく堅苦しいイメージがある。
描きたいから描く、作りたいから作るというのは男性系も女性系も同じなんだけど、女性系の人は「創作してる私」というのを特別なものとして考えてるような節がある。
これは女性だから、というか女性系界隈が持ってる世界のように思う。BLで隠れる必要があった とか理由も聞くけどそれよりももっと根源的に界隈特有の力学で発生してる現象だと思う。
大きく2つ。
一つ目は公的な窓口に行ったとしても、時間がかかる上に効果が薄いと思われているから。
これはこの件に限らず、ある大学の女子優遇教授の案件などにもみられる初手SNS晒しが有効な手段になりつつある現代において幅広く共通する問題なので今回は割愛。
二つ目はこちらが主要因だと思うが、規制をする側も内心は難しいと気づいているから。
風営法16条の時と同じように基準を作れば、確かに憎き萌え絵を規制できるかもしれないが、
恐らく同じ論理を用いて女児向けアニメ、BL系、一部の女性向け雑誌も等しく規制を受けることになると想定している。
だからこそ、法律や条例なんて融通の利かない堅苦しいものではなく、Twitterによる世論形成で選択的に規制したいのだろう。
労働時間なんてほとんどの人間にとっては少ないに越した事ないし
めんどくさい転職もしない方がいいし
成長とかスキルアップなんてしなくても生きていけるならそれに越したことはない
広告だからなんか明るくポジティブなイメージを打ち出しているだけで、本来は副業なんてのは人生においてネガティブなものだ
やらなくて済むならそっちの方がいい
日本はどんどん貧乏になっているので、国内で副業しようがスキルアップしようが限界が見えている
そうすると次は海外に稼ぎに行くことをいかにポジティブに見せ掛けられるかが商機になるだろう
これからはグローバル化の時代、英語スキルアップ、堅苦しい日本では許されない自由な働き方、せいぜいこの辺のポイントを使って出稼ぎのキラキラ広告化を仕掛けてくるだろう
ただの愚痴
3ヶ月ぐらい前にフォローされてフォロー返した人が文章を物凄い真似してきて
投稿した後に同じような文章書かれるから最初は「ん?」と思う程度だったけど、あまりにも頻繁すぎて気持ち悪い
試しに相手がTLにいる時にわざと堅苦しい言い回しを使ったり、
わざとひらがなだらけにしたり、普段使わない顔文字を予測変換の奥の奥から引っ張り出して使ってみると
やっぱりすかさず同じ物を使ってくる
わざわざブロックはしないけど、いくら何でもそれはミラーリングってレベルじゃねーぞ!と
でもしばらく観察してたら他の相互フォロワーの文章もすげー真似してるっぽくて
ユウヤケヒメーッス
本日は男はつらいよの映画シリーズ第一作が公開された日に因んで、『男はつらいよ』の日となっております。
この男はつらいよってタイトルも、車寅次郎のいろんな何かしらがあってだから男はつらいよってタイトルなんだ〜ってことじゃなくて
元々は『愚兄賢妹』って仮タイトルだったところを、堅苦しいからということで北島三郎の『意地のすじがね』の“つらいもんだぜ 男とは”って歌詞の一部を引用して『男はつらいよ』になったらしいです。
歌詞の内容も
悪い奴が居たらなんで殴ってでも物言わねえんだ、色っぽい話も欲に塗れた話もあるけどその中に人情もあるよな、惚れた女に惚れたって言えねえぜ、おとこはつれえぜ
みたいな内容でした。
なんだかわかるような、わかんねえようなって感じですね。
ということで本日は【意思の疎通よいか】でいきたいと思います。
都内の人出の多いある観光及び商業施設に行った時に遭遇した出来事なのだが、
飲食店のフロアからエレベーターに乗ろうとしたところ、初老の恐らくシルバー派遣と思われる清掃員の爺さんが拭き掃除をしながら中に乗っていて、
その直後に、ベビーカーを押した夫婦 (見た目30代後半ぐらいで、若い夫婦という印象では無かった) が乗って来たのだが、
清掃員の爺さんを見たベビーカーの中の子供が、突然「掃除してて偉いね!」「偉い!」等と大声で連呼し始めた。
俺は別にその時点で 2,3 歳児の発言の内容や行為自体は特に気にしていなかったのだが、
その後父親と母親が、清掃員の爺さんを見ることすらせず子供に向かって「そこはありがとうでしょ」と笑いながらつっこみを入れ、子供はエレベーターから降りるまで、清掃員の爺さんが苦笑いしているのを尻目に「ありがとう」を連呼し続けた。
俺は別に年配だから絶対に敬うべきとかそんな、堅苦しい儒教思想を持っているわけでは無いが、少なくとも自分の子供が他人の業務 (それが清掃であっても) の邪魔をした状況であるなら然るべき気遣いはあって当然と思うのでこの対応に強い違和感を感じたのだが、最近の親から子への教育では自主性を尊重した野放しが良しとされているのだろうか?
今でも誰かの
上辺ばかり気にしてる
その姿を指差して
笑って気付けば
鏡の中の自分だった
少し老けたおばさんなのに
全員注目してるらしい
脅された
今の職場で
何が正しいの?誰を救ったの?
知らぬうちにまた一つ
鬱憤を溜める
どこが駄目なのかな
すぐ否定されるね
私の年収を
覚えていますか?
そしたらもう
風に溶けて消えるだろう
今更何に変わろうが
ノートを黒く塗りつぶして
暴かれたらきっと終わり
永遠にもう会えない
何もかも
どこへ行きたいのか
わからないまま
逃げ出せば良かった
私はもう私じゃ居られないから
張り付けた笑顔で笑ってたんだ
怒号の飛び交う職場で
全てのミスを拾いながら
悲嘆にくれる日々
せめてあと一週間
親切さで
今はもう苦しくて
当て付けにされてるだけだけど
支えると言ってた人が
今更裏切り始めたんだ
靴を舐めるなら許すと
そう言って歪な笑みで
生きていくんだ
それだけだ
暑さにやられそうな都心の
オアシスは干上がった
ここには何もない
今は地球上どこにも
居場所なぞなく、輪に入れず
卑しい身分のまま
手を擦り合わせてる
音楽も聞こえない
忙殺されて、ひしゃげた
堅苦しい夢の途中
終わることもなければ
始まることもない
ただ胎のような、青空を蹴った
俺がそうなんだけど。以下に失敗のパターンや要因を考察して、少しでも失敗しないようにしたい。
袋が何個あるのか。
袋の中身をどのタイミングで入れるべきなのか。
フタの上で温めるのか。
パターンがありすぎる。また、例外が多すぎる。乾燥かやくの野菜はお湯を入れる前に入れるべきものが多いことは言えるのだが、後入れのかやくもある。
また、油系の袋はフタの上で温めるものが多いけれども、時たまフタの上で温めないタイプがある。
また粉系の袋も同断で、お湯を入れる前に入れるのか、お湯を入れた後に入れるのかわからないものがある。
これがわからない。暗くてラインがわからない。プラスチックの凹凸面が不確かな上(暗い)、ときに乾燥麺の付近にあり見分けがつかない。
わからない。世の中にカップ麺があまりに多すぎて、何分待てば良いのかわからない。
私の食べたことのあるカップ麺の中には、最短2分、最長5分の待ち時間が書かれている。
これを間違ってしまう。
また、分数を確認できたとしても、所定の時間を守ることができない。
例えば別の家事をしてしまい、そちらに夢中になって7分経過してしまう。
あるいはyoutubeやnetflixを見て、時間が経過してしまう。youtube等を見るのは理由があって、シークバーのところに時間が表示されるためだ。
動画を見ながらタイマーがわりに使っているのだが、動画に夢中になり時間を経過してしまう。
またあるいは、動画を見ながら時間を見るので、何分経過したかわからなくなる。
以上のように、カップ麺を作る工程には、適当なタイミングで袋の中身を麺に投入し、適当な分量のお湯を入れ、適当の時間待って食べ始める必要性があある。
ここまでお読みいただいた諸賢は、ちゃんと説明文を読め、と思うだろう。おっしゃる通りである。
ただ、そもそもカップ麺というものは、気軽に食べられるから良いのだ。
おいしいものを食べるのであれば外食もするしwoltを頼んだりする。
工程やお金を気にしないで食べられるのがカップ麺のいいところだ。
気軽に食べたいのだから、説明文を読むような堅苦しい思いをしたくない。
そんな気軽な気持ちのままでカップ麺を作ろうとしているところに私の悪いところがある。
何も考えずにチャチャっと作ってチャチャっと食べたい。
ところが、カップ麺の多様さはそれを阻むのである。すなわち、説明文をしっかりと読み込むことを前提として作られているのである。
これは本末転倒では無いか。またややこしいことに、ただお湯を入れるだけでいいカップ麺もある。
世の中の全てのカップ麺が何らかの能動的な袋の中身をいれるアクションを強いるのであれば、私ももう少しこれに心を配っていたと思う。
ところが、である。
お湯を入れるだけでいいやつもある。これがいけない。
いつも同じやつを食べればいいという指摘もあるだろう。本当にその通りで、焼きそば弁当ばかりたべている。
ところが、仕事の付き合いでよく私は売り出し中のカップ麺をもらう。だから難しいのだ。
多くの人が食べられるように設計されているのに、食べようとしたら油の小袋が容器の中に入ったままだったりするのだ。
多くの人が食べられるよう設計されているのに、お湯を入れすぎて味が薄くなってしまうのだ(お湯は粉に混じってしまうと捨てることができない)。
何故落ち込むのかというと、説明文と違う行程をとってしまうところがいけないと思う。
説明文は絶対的なものだ。そのようにできるか、説明と違うことをしてしまうかの2択になる。
説明文があると、何が正解か、何が不正解か明確になってしまい、不正確なことをしがちな私は落ち込むのだ。
こうしたことから、私はカップ麺を食べることをやめて普段は自炊をするようにしている。
例えば、私が野菜炒めやおいしい無水カレーを作るわけだが、ここには説明文がない。またもちろん説明文を作る予定もない。
説明文がないから、私の料理には不正解はない。もちろん生のまま食べてしまうのはダメだが、そういうことではない。
作る工程をあえて明確化しないから、料理の作り方の間違いが生まれないということだ。
① 堅苦しい質問は、そもそも読まれない。誰も読まなかったり、読む人が少数で回答がつかない。
⑤ 質問者は知識が足りないことが多く、質問の仕方が明瞭でなかったり、複合要因の現象を表していたりする
⑥ ネットの文章自体が論理が通っていなかったり、飛躍してたり、質問と違うことを回答したりする
⑦ 回答者は色んな状況を想像する必要があり、回答に時間がかかる
⑧ 質問するサイトの多くは表現の幅が小さく(画像がつけられない、限定されるなど)、質問者の質問力が高くないとそもそも質問がわからない
質問者が出せる金額なんてたかがしれており、回答者は報酬を目当てに行動すると、割りに合わないということになる。
人と話すのが苦手という人は多いと思う。
私もその1人で、人と会話するととても疲れる。逆に人との会話が楽しくて体力回復になる人もいるそうで羨ましい。
昔から、私は周りの人とは会話の内容というかテンポというか、何かが違うぞ、というのは感じていた。
周りの人と比較してみて気付いたのは、私は会話中に笑わない。コミュ力を身に付けたくて、周りの人の会話を聞いていると、とにかくよく笑っている。
多分私は愛想笑いが一切できないのだろう。
小さい頃から他人との会話が苦手だったせいで会話中は常に苦しく、笑えない。
また、会話を広げる事が出来ない。
これについても自分なりに分析してみた結果、相手に興味が持てない為と思われる。
人見知りなため会話している相手がいつまで経っても他人のままで距離が縮まらないのだ。
相手を他人から友人に認識を変える、相手に興味を持つ事で雑談ができるようになるのではないかと思っているがそれが出来ない。
上記の通り死ぬ程会話が下手くそな私が最近マッチングアプリを試してみている。
メインの目的は婚活だがメッセージのやり取りでコミュ力を付けたいという目的もある。
最初の挨拶に返事をしてくれる人はいるのだがそれ以降音沙汰がない。
基本的に最初の挨拶やそれ以降の話題の提供は男性から行う事が殆どなので、苦手なりに何か会話しなきゃと当たり障りの無い質問をしてみるのだが返事が来ない。
今時珍しいかもしれないがLINEもやっておらずメッセージのやり取りの経験がほぼ無い私は、ビジネスメールの様な堅苦しい何の面白味も無いメッセージしか書けない事を知った。
マッチングアプリは男性比率が恐ろしく高く、女性からすればメッセージの相手は掃いて捨てるほどいるので、私みたいなコミュ障に無理して付き合う必要は全く無いのだろう。
月額料金が高めなので諦めるか続けてみるか真剣に悩んでいる。
そんな感じで最近悲しい思いをしたのでより一層コミュ障を克服したいと思った。
楽しそうに笑いながら会話をしている人を見ると本当に羨ましく思う。
文章を書くのは別に苦手では無いのだが会話となると何も思いつかない。
暇だし途方に暮れたので日記を書いてみた。