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はてなキーワード: 地名とは

2020-08-02

アメリカアフターピル飲んだ時の話する

なんか流行ってるし、腐女子お気持ち表明よりは有用だと思うので書いておく。

ダラス駐在になった旦那に帯同した2年前の話。

値段や細かい事は当時の日記メモから書き起こしてみた。

子供は二人いて、二人目妊娠中に子宮トラブルがあって産後に今後の妊娠危険と言われていた。

避妊方法は当時コンドームのみ。

長子妊娠前に使ってた低用量ピルか、もしくはミレーナなど別の方法も併用したかったけど

慣れない英語婦人科に行く勇気が出ずに二の足を踏んでいたところ。

現在帰国したので低用量ピルコンドーム併用。

コトが終わって抜いた時に何か液体が出てきた感覚、明るくして見てみたらゴムの先端が破けていた。

シャワーを浴びて、モーニングアフターピル 英語 で検索emergency contraceptiveと呼ぶ事を知る。

今度はwhere can i get emergency contraceptiveと近所の地名検索してみたら、Targetで買えるらしい。

TargetWalmart匹敵するチェーン店で、近所の店舗は中にCVSという大手薬局が併設されている。

そこでPlan Bというのを買えばいいらしい。

翌日11時、開店と同時にCVSに行ってみたらカウンターにはでかいおっさん

すみません女性相談したいんだけど…と言うと奥から更にでかいテキサスサイズのお姉さんが出てくる。

お姉さんにググった時に出てきたPlanBの画像を見せると、どこからか白地に青の同じ箱を持ってきてくれた。

大丈夫よ、これを飲めばパーフェクトだからちょっと小声で慰めのような言葉をかけてくれる。

吐き気はしやすい方?と聞かれ、そうでもないと答えると、

もし必要ならもう一度来てね、今日明日いるから私を呼んでと胸の名札を指差す。

会計は50ドルくらいで、インフルエンザ予防接種クーポンがついてきた。

から何だか変に緊張して何も食べていなかったので、一旦COSTCOに行ってホットドッグを食べる。

ピルの箱を開けて錠剤を飲み、旦那に緊急避妊薬を飲んだ事と吐き気がする可能性が高い事を連絡し、帰宅

子供学校が終わり帰ってくる時間までは問題なかったが、夕食前になって怠さと吐き気

夕食作りは途中であきらめ、子供にはちょっと頭が痛いと言って横になる。

子供はこういう時UberEatsでタコスを頼めるので、階下で隠れて喜んでいる声が聞こえた。

船酔いのような吐き気がするが、吐く程ではない。

タコスを食べた子供達のスプラの音と歓声が聞こえるが、その声でやや頭痛がする。

旦那帰宅自分と私の分の夕食を買ってきてくれたので数口手を付けるがレタス外食べる気がしない。

低用量ピルは長く飲んでいたが、用量が多いからか最初に超えないといけないあの副作用よりきつい。

頭を冷やして就寝。

翌日、やや吐き気習い事の送迎だけこなして家事放棄

翌々日朝、茶色みがかった出血。昼に赤い出血生理よりはずっと少ない。

消退出血があった事で緊急避妊薬がちゃんと働いてくれたとひと安心

吐き気はないが、風邪の前のような怠さが残っていた。

これをまとめるに当たって調べてみたが、レボノルゲストレル1.5mgでノルレボと同じらしい。

手に入れるまでスムーズだったので、72時間というタイムリミットがあっても躓くところはなかった。

フェミニズムおかしな方向にいってリプロダクティブ・ヘルスライツについてあまり議論されないのが最近つらい。

2020-08-01

anond:20200801013817

ええやん

俺はタンゴ支店なんだけど?

でも丹後と誤認してくれれば地名っぽくて良いのかもしれない

2020-07-30

anond:20200729094426

そのへんの地理には疎いんだが、「鶴川」という地名から推測するに、川が流れている低地なんじゃないのかい

水害が起こりやすそうな地名だな。

2020-07-26

anond:20200726000051

ブコメレスも3つ連続限界みたいだな

しろ4つ以上が存在するのだろうか

すもももももも、とか助詞を使うのは何か違う。名詞のみの形にしたい

そう考えると、一番近い位置にいそうなのは「大(おお)」を使う言葉

上尾大岡(あげおおおおか)みたいな地名ありそう

同じ文字が3つ連続で続く言葉って7nm(なななのみり)以外にある?

同じ文字が3つ以上連続で続く言葉ってほぼないと思うんだけど、

7nm(なななのみり)は「な」が3つ連続していることに気づいた。

他にこういう言葉ってある?(人名地名特殊なので除外する)

2020-07-19

中国マンガ邦訳する時に、無理に日本人名にしなくていいんやで

ピッコマで仙術バトルみたいなマンガ多いんだけど、

どう見ても舞台中国の町並みで、出て来る人の服装料理中国なのに、

人名だけ取ってつけたように日本人名なの、不自然からやめてくだちいな。

ゾンビあふれた時も、自衛隊じゃなくて軍が出てきてんのに、「日本中が……」とか言い出しててなんじゃこりゃ。

妙に気を使わず中国人名中国地名でいいからね。

あんま変な変更して、そのうちアニメ化とかした時に困っても知らないぞ。

2020-07-18

anond:20200716233300

「住んでる地名 TRPG コンベンション」で調べると、TRPGが遊べるイベントサークルが出てくるのでおすすめ

いまはご時世がご時世なのであんまりやってないけど、もろもろ収束したら是非。

東京、嫌いだなあ

都民が「都内アンテナショップが沢山あって楽しい!」ってのを楽しそうに書いてさ、それにまた沢山ブクマがつくわけ

有用情報ありがとう!」「今度行ってみます」「助かる」ってさ

これが鹿児島市なんかの情報であってみろよ

鹿児島には5年くらい前に出張で行ったな」「すごい熱量w」「知らない世界だ」とか言ってせいぜい40ブクマ、なんなら誰も見向きもしねえよ

まあ鹿児島市内のアンテナショップの話なんかできねえけどな そもそも語れるほど数ないんだし

俺は他人が何かについて楽しげに語ってるエントリ好きだけど、アレは読めなかったよ ムカついてさ

東京レストランを紹介する 最寄駅の名前けが書かれて、「アクセスも良いですし皆さんも是非!」

富山レストランを紹介する 近辺の情報なんかから入って、最後には「遠いですが、近くに行かれる際には是非!」

から遠いんだよ 殺すぞ

遠いのは東京からだけだろうが 俺んちから池袋なんかのほうが遠いですけどね

というか、池袋なんてローカル駅の名前を覚えさせられてるのが本当に屈辱だよ 魂の陵辱だ

ローカル話題をさもみんな知ってて当然みたいな顔で全国ネットで垂れ流しやがってよ

なんのエクスキューズもねえんだ 都民の書く文章にはここはこんな街ですよって紹介がない そりゃそうかあみんな知ってるもんなあ、東京ローカル地名はもちろん全日本国民が知っているべき基礎的な地理知識ですもの

東京つぶれねえかなあ 俺はいま本気で、殺意を込めて、お前たちに対してこう思ってるぞ

 

エンガチョ

2020-07-09

anond:20200705222445

相楽郡(そうらくぐん)

相楽台(さがなかだい)

なお隣接する地名なので地元民でもよく分からない模様

2020-07-04

anond:20200703091146

それぞれの言語で呼びたいように呼べばいいだけ。そもそも言語が違えば発音が変わってくるのは当たり前で、英語話者日本地名発音する時も当然ネイティブとは違うわけだ(例: TokyoHiroshima、Nagasaki等)。目くじら立ててたらキリがない。

2020-07-01

anond:20200701110221

UFOも実は観光目的で来ているのが大半。

から、母星に持ち帰る情報ももっぱら観光地のことばかり。

宇宙人の中でよく知られいてる地名観光地ばかりだから

いざ攻撃しようとすると、観光地に行ってしまうのだ。

これが辺境侵略における観光バイアスというやつ。

2020-06-26

まだまたやれんだろ!武道館

アーティスト武道館ライブ盤を聴いているんだけど、

東京!とかじゃなく、武道館!って呼びかけているのな。そういえば、以前に別の歌手武道館ライブにいったときもそうだった気がする。

埼玉スーパーアリーナ!とか、キューアンドエースタジアムみやぎ!とか、呼びかけたりもするのだろうか。なんとなく、地方に行けば行くほど、地名で呼びかけそうな気がする。

ライブする場所ではないと思うが、仮にライブすることがあれば、鳥取砂丘コナン空港!とか南阿蘇水の生まれる里白水高原駅!とか呼びかけたりもするのだろうか。私気になります

2020-06-25

リベラル派がリベラリズムを捨ててるのになんで一緒にいなくちゃならんのだ?

いや、攻撃されてるのはオタク表現だけだと思ってた?

視野が狭すぎるよ。

世界中リベラル派はあらゆるものを、宗教裁判にかけてるんだよね。

その苛烈さはまじでやばいレベル

リンカーンガンジーすら有罪判決である

人形

タバコ

アニメ

映画

ゲーム

酒。

化粧品

地名

スポーツ

全てのもの適当リベラル宗教裁判にかけられて、有罪判決が出てるわけで、リベラリズムを信じている人ほど、今のリベラルから距離を取らざるを得ない。

問題なのはそういう人は、キャリアリベラル派に大きく依存してるので「お前らなんかリベラルじゃねえ。ただのナチの残党か文革の残党だ」と言おうものなら、即座に職を失う。

から世論調査ニュースの街頭インタビューでは「トランプけしからん」と答えるけれど、投票するときはやけっぱちの一票をトランプに入れるんだよね。

外山恒一が「やけっぱちの一票を」と言ってたが、実際に自棄の一票はトランプがもらってた。

2020-06-23

どういう文化

・ある単語Twitter検索をかけた。

とある国の、観光地にギリ届かないぐらいの知名度場所で、日常生活で出てくるような言葉ではない。

・すると、まったく同じ日付で複数アカウントが、次のようなシンプルツイートを投げていた。

・「@tos, ○○(その地名), #TFB(これはアカウントによってあったりなかったりする), #オタクは通学リュックが黒い(これもアカウントによってあったりなかったりする)

・それぞれのアカウントは、BOTに毛が生えたような自動運用っぽいものからちゃん実在の誰かが使ってると思われるものまで色々。

#TFBFBフォローバック? 「オタクは通学リュック云々」や地名は、それ自体には特に意味はなく、検索同好の士を探すための符牒なのだろうか?

なんとなく気味が悪いのと(だって、単に知り合い増やしたいだけなら他にやり方がありそうなものだ)好奇心とで、はてなで聞いてみる。誰か詳細を知ってたら教えてください。

2020-06-20

地名入ってる人に都知事とかやって欲しくないよね

愛媛まれ九州育ちの宇都宮東京都知事とかワケわからんだほ

立候補すんな

遠慮しろw

2020-06-18

anond:20200618210535

そうなんだよなー。地盤地盤大事だよな、まじな話。地盤がしっかりしているところはさ、昔から人が定住してたりするから地価の高い、一等地になっていたりするんだよな。自分が住んでいるところは歴史的にも地名的にも防災マップ的にも、完全に埋立地からね。もう気を抜くとすぐに地盤沈下やら液状化現象やら、そういうものに見舞われますよ、えぇ。やっぱ地震はロクなもんじゃないわ。

2020-06-09

地名」+「事件」で一番おっかないやつ優勝

プロレス禁止

2020-06-08

設定改変が分かってるメディアミックスを観るための準備運動



 観たら絶対自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。

 しか最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。

 観た後では感情が大きく動いて今の気持ち100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。

 (ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメント映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)

 映画タイトルは『悪童日記』と言う。原作小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。

 十年以上前、私は好きな作家たまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。

 しかそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。

 (このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品映画原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画メチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画原作では構成人物もかなり別物だからだ。原作ではティムレックスティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラン博士最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)

 改変箇所について書いていきたい。

 映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親存在」「日記帳というアイテム出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。

 原作小説主人公双子少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。

 父親云々の話に戻ろう。

 主人公家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。

 描写があるという事は、書き手である主人公双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要ものけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号国名地名人名などの固有名詞ほとんど出てこない。<大きな町><さな><解放者たち>などの言葉しかからない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞役職あだ名などでしか呼ばれない。双子自身名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。

 父親は出てこない。ラスト数頁まではほとんど。

 「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフ作品はわりとどれも)に通底するテーマひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢主人公たちの無関心を示しているのだから映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しか作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファン気持ちを言わせてもらうならば。

 以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。

 原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子その男自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。

 亡命決行の日、父親国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全亡命のやり方だ。

 原作小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子別離が同時に強く印象づけられて終わる。

 それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくそ日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要位置を占めるはずだ。

 それが映画はいきなり、別れる父親から最後プレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。

 日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語からだ。

 「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。

 「彼らが巻き込まれしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。

 そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。

 とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。

 観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳パラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作文体淡々事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。

 

 もちろん、映画化された事によって現代日本の読者から想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らし風土感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。

 主人公双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。

 私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさら気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。

 だから私はこれから記憶思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義ことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう

 せめて映画ではラスト父親ちゃん地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。

☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたり証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。

2020-06-07

渋谷から30分くらいのアパート

渋谷から電車で30分くらいの駅の、駅から徒歩5-6分くらいのアパートに住んでいた。駅の付近は起伏の多い地形で、谷のように降っていく地域と、丘のように登っていく地域があった。住んでいたアパートは駅から緩やかに丘の上へ登り、2車線の道路を渡って降っていくかという場所にあった。アパート名前は忘れた。なんとかハイツとか、なんとかハイムというような、地名と無個性単語の組み合わせだったと思う。

アパートは確か5階建てくらいで、その3階に住んでいた。

部屋のドアの色は鮮やかな青色で、そこだけが新品のようにつやつやした手触りだった。ドアを開けるとキッチンの向こうにベランダがあり、やけに大きな窓が2方面に開いていた。窓は西向きだったのか、夕方に部屋の奥まで光が差し込んだ。アパートの向こう側は下り坂になっていたので窓の向こうの景色は開けており、他の建物から視線が気になることがなかった。カーテンはつけず、部屋の中の照明も控えめなものにして、1年中夕焼けが見えるようにした。冬は寒く、1日中毛布にくるまって過ごした。

駅の近くにあるスーパーで買い物をして帰ることができた。ぼけっとしていてスーパーを通り過ぎても、セブンイレブンがあったので弁当を買うことができた。何かの拍子にセブンイレブンも通り越すと、小さな蕎麦屋が家の向かいにあった。夜は半分居酒屋メニューで、テレビがいつでも小さな音量でついていて、麺がやわらかい店だった。

蕎麦屋メニューを覚える頃には、別のお店がないかと探した。Google Mapは今よりもずいぶんいい加減な情報を表示していて、個人のお店は載っていないことが多かったように思う。通りの雰囲気と人の流れを頼りに、アパートの向こうの下り坂を降りて、自室の窓から見えていた桜の咲く公園の近くへ歩いた。

この下り坂を降るとき、いつも不思議不安なような気持ちになった。あたりは夜でも十分に電灯はあったし、人通りもそれなりにあった。建物は2階建て個人宅が多く、昔から住んでいる人たちの木造建築はどれも立派な造りに見えた。アパートマンション比較的新しい建物のようで、大声が聞こえることも、不審に思える人物とすれ違ったこともなかった。

だが気になるのは、家々の窓から漏れ出る光。白からオレンジ色の光が、どの家からアパートからマンションからも、どの方角からも道に向かって漏れている。電灯から次の電灯までの間、辺りを見るとこの窓の光だけがぽつぽつと目に入ってくる。

それぞれの窓の中の景色想像する。自分と同じ一人暮らしの人も多いだろう。渋谷へのアクセスが良く、駅徒歩も10分以内といったところだ。不動産屋も紹介しやすいことだろう。二人暮らしの人もいるだろう。駅から離れるにつれてアパート敷地は広くなり、一部屋の間取りにも余裕が生まれる。ファミリー層向けのマンションには子供が生まれたばかりの夫婦が住むだろうか。昔から建っている立派な木造建築には、3世帯で住んでいる人たちもいるに違いない。夕飯の時だけは1階に集まって、テレビをつけながら談笑したりしているだろうか。そうした想像をすると、窓の光の一つひとつ生活があり、違った人生があるという当たり前のことが、リアリティをもって感じられた。この実感は、私をとても不安気持ちにさせた。

通勤電車が混むことが苦痛になり、2年でその町から引っ越した。今は生活が変わり、住宅街を通ってもあの時と同じ気持ちにはならない。でも、あの町の、あの坂道を通ってみたらどうだろうか。あの部屋で、夕焼けを直に受けるクローゼットの扉を見たらどうだろうか。

たまに思い出すが、何の用事もないような場所なので、あの駅に降りることはもう無いだろうなと思う。

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