はてなキーワード: 古墳時代とは
https://president.jp/articles/-/49027 「腕っぷしは強いが、知力や教養は乏しかった」
日本人はどこから来たか。倭国の記録がない紀元4世紀、西晋は退廃してモンゴル周辺から来た匈奴に蹂躙されていた。一方、日本は古墳時代で、オノを使う弥生人がいたが、古墳人が刀を持って諸国に遠征していた。弥生人も蹂躙されて神話のオノゴロ島(斧御老島だか斧御覧島だか)に埋葬されたのではないだろうか。モンゴル語と日本語の文法が同じなのは、おそらくどちらも匈奴語に方言の単語が混ざって出来たからではないか。
漢人は蛮族に仏教を布教しようとした。それでもまだ日本人は文系は弱いしお笑いはイジメ系で面白くないし、弱者の思いなどわりと気にも留めない風だ。モンゴル人は知らないけど、世界から見れば匈奴の後裔だと思われているかもしれないな。
JR枇杷島駅から城北線に乗り換えましたわ!一両編成のワンマンのディーゼルカーでしたわ!こんなチンケな車両が大都会名古屋を走ってるんですって?
途中、味美駅で降りましたわ!駅のすぐ近くの小さな公園は、前方後円墳を滑り台に魔改造した罰当たりな公園でしたわ!
そこから2,3分ほど歩いた所にある二子山公園のハニワの館へ行って、古墳を勉強しましたわ!入館料は無料でしたわ!
昔のこの辺りは古墳だらけだったけど、今はほとんど潰して住宅街にしちゃったんですって!だから公園の滑り台に魔改造したとはいえ、古墳が残っているだけまだましな方ですわね!
公園内の味美二子山古墳には入れないけど、周囲にある小さな古墳には登れましたわ。木々に囲まれたパワースポットになっていて、古墳時代のロマンを感じましたわ!
もう一度城北線に乗って終点の勝川駅まで行きましたけど、JRの勝川駅とは繋がってないってどういうことですの?乗り換えに10分近く歩かされましたわ!
JR高蔵寺駅に着いたら、次はゆとりーとラインに乗り換えましたわ!駅のロータリーにある路線バスに乗ったと思ったら、いつの間にか高架上を走る電車になってましたわ!催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃなかったですわ!これがガイドウェイバスってことらしいですわ!
ナゴヤドーム前矢田駅で降りて、近くのイオンモール内の矢場とんに行きましたわ!ブタのマスコットがドラゴンズのユニフォームを着てましたわ!
名物の鉄板とんかつを注文して待っている間は、店内テレビに流れていた矢場とんのオリジナルアニメを見てましたわ!声優陣が豪華でしたわ!
店員が鉄板の上に乗ったとんかつを持ってきたと思ったら、シャバシャバした味噌だれをぶちまけるパフォーマンスを目の前で見せつけられて、びっくりですわ!せっかくのとんかつの衣が台無しではなくって?
でも食ってみたら、味噌だれが衣に染み込んでいるくせにサクサクしていてうまかったですわ!とんかつの下に敷かれたキャベツも、鉄板で焼かれたのと味噌だれが染み込んだのと合わさって、うまかったですわ!
複数の切り口に分けられる
ブックマークコメントの中に、メガネが有史以降かなり最近になって発明されたデバイスなのに、何故にフェチになってしまうのかというコメントがあった。
これについては、個別の作品が引き金になる、という問題とは別に考察の余地があるように思う。
個人的にはかつて人類が今よりもずっと当たり前に行なっていた刺青の風習が関係しているように思う。
本州人は、『魏志倭人伝』の記述を信ずるのであれば「鯨面文身」していたという。
当然、刺青の風習が長く残った北海道や千島・樺太に住んでいたアイヌ民族の事例もある。
近代国家の軛によりアイヌ民族の刺青は厳しい抑制を受けたが、元来はああした風習は少なくとも東アジアにはあったのだろう。
顔に何か意味を持つものが付いているってのはフェチに十分なりうると思う。黒子とかでもなるんだから。
時は流れて、科学的なものや文字に依拠した社会を構築している我々の時代においては、その機能を補助するメガネというものは実利的な意味合いに力点を置きつつもおしゃれの一つとしても位置付けられている。
ムロに大根取りに行くと、普段のすえた匂いではないものを感じた。
奥のちょっと広い空間に稲わらで丁寧に編まれたと覚しい筵があり、そこに片膝を立てて座る女がいた。
義務教育で習った通りの貫頭衣で、部分的に絹があしらわれている。
義務教育で習ったものとは異なり、服は薄汚れシミなども目立つ。
これは宮に籠められ、ほとんど衣服の交換がないことが原因と後で知る。
義務教育で習った銅鏡や珠を装飾として身につける。
女の周りには青白い燐光がわずかに散り、時を超えた名残を示す。
筵の手前には幣や火鉢(弥生土器!)、鉄器などの祭祀具がある。
何かを焚いており、それがムロのすえた匂いを変えていた。
女は弥生〜古墳時代の日本語を話すものだから何が何だかわからない。
私もだんだんキレてきて「俺んちのムロは古墳じゃねーんだぞこのタコ助!」と現代語で応酬する。
女は偉そうに食料を要求してくるので、高度経済成長の成果を見せつけてやる。
ペヤングと、家の冷蔵庫にあったスーパーの惣菜(コロッケ、唐揚げ)やごぼうのきんぴらなどとともに、電子レンジて温めた米を持っていく。
やっぱ弥生人には米でしょ! あとでハンバーガーやガパオやエビチリも食わせてやったが(楽天ペイで)。
ペットボトルのお茶と、ドラッグストアで売ってるサンガリアのいちごみるく(超うま)もセットだ。
その頃には俺も冷静になって、言葉はわからないけど身分高いから漢字わかんないかなーと思って、適当に「卑弥呼」とか「景初三年」とか適当な弥生人にトレンドの言語を紙に書いて持って行った。
女は驚いて私から紙を奪って、それで書くものを要求した。意地悪して鉛筆渡した。
それで女が卑弥呼だってなんとなくわかったんだけど、あとで詳しく聴いてわかったことには本当は「壱与」らしい。
今は2駅離れたちょっと大きい駅の前で占いして生計立ててるよ。
今でも藁はあるからしめ縄は作れるし、服はシラミもいたので呉服屋にそれっぽいのを設えてもらって、香とか火鉢は仏壇屋、亀の甲羅はペットショップで揃えて、勤労の義務について説明したらあとは自分から働きに行ったわ。
ヨーロッパじゃ長らく、フランスはドイツと仲が悪く、ロシアもドイツと仲が悪く
イギリスとアイルランド、ロシアとウクライナ、アメリカとメキシコ
「隣接してる国だから言葉も文化も近くて仲がよい」なんて想像する馬鹿は日本人だけ
これも陸続きの隣国がないことが影響してる……と思うのだが
日本人も昔は分かってたんだな
日本と一番近いのが新羅なんだから新羅と仲がよかったなどという話はなく
で、比較的に友好的関係だったのが新羅の反対側に位置してた百済
ところが、百済と高句麗がなくなって朝鮮半島全部が新羅になった途端
今の日本人は「韓国が中国とグルになって日本をいじめている」という図式が好きだが
今の韓国(新羅)と中国(唐)が仲良いのは間に北朝鮮(高句麗)が挟まってるからだよ
中国大陸と朝鮮半島の国の間じゃ、間島とか白頭山とか潜在的な領土対立は少なくない
北朝鮮は社会主義国同士の同盟のため、南朝鮮の了解なく無断で今の国境を決めた
2002年ごろには中国が「高句麗は中国王朝の地方政府だった」とか言い出して
韓国民は大怒りして高句麗王朝を題材にした歴史ドラマをばんばん作った
――といった歴史をふり返れば、日本が外交的に中韓の離間をはかるスキは幾つもあるし
中韓の頭ごしに北朝鮮との独自パイプを作れば中韓の面目を潰せる
とかいうようなことを考える頭が、日本の「特亜厨」にはまるでない
瀬戸市の愛知県陶磁美術館と瀬戸市美術館、瀬戸蔵ミュージアムに行ってまいりましたわ
事務員に送り返されたことに怒っていたりして、にゃんともかんともでしたわ
展示のため土偶にドリルで穴をあけた話も破壊にあたらないのか気になりましたわ
おそらく時代が違うのでしょうね
展示では驚くほど豊富な史料が展示されていて、そのボリュームに圧倒されましたの
土器に描かれたこぶ牛の絵などはゆるキャラに通じる可愛さがありましたわ
ピチピチの成魚ですわ
入るといきなり猫力士の土俵入り人形がお出迎えしてくれましたわ
招き鯖展も開く許可をさしあげましてよ?
瀬戸蔵ミュージアムでは瀬戸市の若宮地区で発掘された古墳時代の土器が展示されていました
どうせ土器が二種類ありました卑弥呼がいましたくらいしか習わへんし
「土器が普及してから大和王権が成立するまで」の先史時代的な定義で。
「大和王権が成立してから大宝律令が制定されるまで」と定義して、
で、そのあとは王朝国家体制期という意味での「王朝時代」なんかな、よくわからんけど。
仮に朱雀天皇の即位および藤原忠平の摂政就任を区切りとすると930年か。
ここは短すぎるんよなあ。
明応の政変から安土桃山時代までを「戦国時代」として独立させるほうがええかもしれんね。
またなんか大きな変化があるまでひと括りでええんちゃうの。
昭和・平成・令和から取りつつ憲法にも引っ掛けて「平和時代」とかどうやろ。
土器時代 | 〜3世紀 | |
大和時代 | 3世紀〜701年 | |
律令時代 | 701年〜930年 | |
王朝時代 | 930年〜1185年 | |
鎌倉時代 | 1185年〜1336年 | |
室町時代 | 1336年〜1493年 | |
戦国時代 | 1493年〜1603年 | |
江戸時代 | 1603年〜1868年 | |
帝国時代 | 1868年〜1945年 | |
平和時代 | 1945年〜 |
どやろ?
俺自分用に古墳造営しているんだけど、ちょっとアドバイス欲しくて投稿する。
農業系の自営業。経営者をしている。好きに使える金とユンボとかがあるから、生前から墓を造っている。
空閑地を買収して土木工事させている。5世紀ころの個人的に一番いいと思う時期(でかくていいのだ)の前方後円墳。
大きさはそこまで大きく出来ない。ある有名古墳をトレースして半分くらいの大きさにして造営している。
ええと、古墳名出さなくていいよね? よくオタクが作品をぼやかして語ることあるだろ。それとおんなじだ。
皇族が眠っている可能性が高いから、実名を出したくない。大きさを小さくしたのもそのためだ。
もちろん、諸研究が明らかにする通り、被葬者は在地勢力の可能性もあるし、王朝が変わっている可能性もあるのだが。
んで相談てのが葺石どうするのか? って話だ。
他の人はどうしているんだろうか。
基底石を用いるパターンかそうでないか以前の問題で(俺はそこはどちらでも構わない)、
日本中、河川を護岸工事したせいで、河原の石が変容を遂げてしまった。
北海道とか行けばあるんだろうか? 古墳造った人やその親族がいれば教えてほしい。
日本人は無宗教です仏教は形骸化して人々はクリスマスやバレンタインデーを適当に楽しんでいます、みたいなよくわからない無宗教信仰が昂じてしまってこうなってしまった。
相撲は太古の昔より神様に奉納するために行われてきた、ということと相撲の女人禁制の議論が行われている。そこで、日本の神様の歴史を考えてみた。
縄文時代以前は狩猟時代であったので、大きな集落が形成されることはほとんどなかった。各集落の長は、部族の長たる酋長と呼ばれていた。この時点ではまだ神様は発明されていない。
温暖な気候の下、採取される木の実などが多かった時代の後、地球全体で寒冷化が始まる。寒冷化によって狩猟が出来なくなり、日本人は「農耕」を始める。農耕を始めたことによって食糧生産量が増え、人口が増え始める。狩猟と違って、農耕社会ではその地に定住することが基本となる。
農耕社会になると、各集落同士の争い・戦争が激しくなる。狩猟時代であれば、どちらかの部族が他に移動すれば争いは回避できるが、定住が基本となる農耕社会においてはすぐに戦争になってしまう。その過程で、定住する集落を守るための武人の階級が出現する。この武人階級が集落の中で次第に力を付けていき、王の誕生=国家の誕生とつながる。
武力や財力のある農耕国家は周辺の集落を併合していく。戦争によって領地を広げていく過程において、部族の崇める神が、平和の神から、軍事をつかさどる軍神へ変化していく。
弥生時代から古墳時代にかけて、西日本(九州~近畿地方)において、広域を統一していた部族国家が「ヤマト王権」を名乗る。王権を統一していた王=神は天皇を名乗る。
香典帳というのは、お葬式の時の香典を誰から何円もらったかを一冊の帳面に記したものだ。
古くは近世期のものもあるが、私の仕事場は北海道なので、近代以降の香典帳を主に集めている。
集めているのは、正確に言うと香典帳だけではない。
香典の他に、葬式で必要なものを一式記してその代金をまとめた買物帳や、お布施を払った際の布施帳なども付随することが多い。
どうしてこういうものを集めるのかというと、物価がよく解るからだ。
人の死というのは今も昔も絶え間なく続く。
だからそれに際しての香典や、調達物資は、物価の移り変わりの物差しとして極めて優秀なのだ。
昔は、コメが物価の指標になっていた。高度経済成長期以降、食料の多様化により、コメという物差しはぐにゃぐにゃとあやふやなものになってしまった。
他の、価値があると考えられてきた指標すらそうだった。貨幣で買える貨幣も横行した。
だが、未だ死ぬことは、医学が発展したとは言え平等だ。共同体があれほど変質したとしても、寺なり神社なり教会なりで、古墳時代とさして変わらない営みが続いている。
今日は、古い家の仏壇に入っていた香典帳を見た。昔ながらの折り紙状の和紙の帳面だ。9才で死んだ男の子のものがあった。尋常小学校の同級生一同で香典が出されていた。
親族(子孫)からいただいた付随データを網膜上にダウンロードする。昭和11年に腸チフスで死んだのだという。
昨日は、古いHDDに保存されたpdfの香典帳を見た。元々はエクセルというデータ形式らしい。94才で死んだ女に、101才の姉が香典を出していた。
これも親族からの付随データが功を奏して判明したもの。平成29年の香典帳。死因は老衰。小学校教諭を長く務めた勉強熱心な女で、この時代にしては香典が多い。
香典システムから物価や人的ネットワークを構築するのはよい手法だが、そもそも香典を出さない葬式(家族葬や新しい宗教観に基づく葬式)の形態が増えたことによる影響はどう考えているのか?
関市にある岐阜県博物館と塚原遺跡公園に行ってまいりましたわ。
鉱物や歴史など総合的に展示されていて全体を回るのは大変でした。
周り終わる頃にはお疲れ鯖ですわ。
学芸員の方がお子様を集めての説明会を開いていらっしゃいました。
他の鉱物も「鉱石」と言った感じの迫力ある標本が観られましたわ。
上から修正のシールがたくさん貼られていたことが物悲しかったです。
企画展は関ヶ原の戦いに関するものと、刀剣のものがありましたわ。
関ヶ原の戦いは美濃の武将に注目した展示が三角形の小さな部屋で行われていました。
ストーリーを与える解説があるでもなく、物足りませんでしたの。
常設展で関ヶ原の戦いの発光ダイオードを使ったジオラマが観られ、
古今伝授の里でみた、北美濃の東氏の篠脇城模型が岐阜県博物館にもありました。
並べて見比べたいところですわ。
博物館関係者ではない日本美術刀剣保存協会の方がやってらっしゃいました。
写真撮影可能でたくさんの刀と押形を鑑賞することができましたわ。
塚原遺跡公園は縄文時代と古墳時代の遺跡が重なっているところで、
展示室では縄文時代の復元模型があって、登場する人物に家系図が
設定されているところが面白かったです。
縄文時代の平均寿命は15歳。平均8人を産まないと人口を維持できないとのことでした。
模型の家系図では片方の家は子供が7人、もう片方は6人に設定されていました。
娘さんは他の村に嫁に出た設定のようですわ。乳児死亡率を考えれば二軒の子供は多めでしょうかしら。
また、古墳の石室が南方向に開口部をそろって向けている点が印象的でしたわ。
方位は血縁と関係があるとの研究もありますし、すべて同じ一族のお墓なのでしょうか。
関係者以外駐車禁止の看板に驚きましたけど、来園者以外駐車禁止の看板も一緒にあり、
来園者は駐車して良いようでした。
お前らなんでそんなにチビなの?そんな低身長で恥ずかしくないの?
もちろんそのチビには俺自身も含まれるわけだが。。
中国の広州や潮州、福建に行った時も周りは大体同じか低いぐらいだった。
コイツらでかい、かなりの奴が180近くある。中には190近くある奴もちらほら
同一種は北になるほど大きいと言うベルグマンの規則から考えてもおかしいではないか。
さらにおかしいのはフィリピン人でも若い奴は180近い結構でかい奴がちらほら居る。
おかしいではないか。
俺は泣きながら考えた。俺がチビな理由を、チビを理由に女にふられた理由を、そして一つの結論にたどり着いた。
答えは牛である。
いっぱい牛を食う。牛等の動物性タンパク質は高身長に貢献するのだろう。
そう考えると牛乳を飲むと身長が伸びると言うのも理論的に合っている気がする。
また、日本はかつて古墳時代まで身長が伸び続けたらしいが、その後鎌倉から江戸までは平均身長が下がったらしい。
これは仏教による肉食の忌諱が原因ではないか?
俺が子供の頃食べた給食を思い出してみてもあまり肉を食べた記憶が無い。特に牛の肉は稀である。
成長期の大事な次期に牛の肉を食べなかったのは痛い。高身長ならもてていたであろう俺の青春は返ってこない。