はてなキーワード: 他力本願とは
君は本当に可哀想なほど馬鹿だな。可哀想だから答えてあげよう。
読んで貰えればわかるが、さっき書いたように、「定義がどのように意味が無いか」を正しく認識する必要がある、という話をしてる。
その話をするのが無意味だというんだ。君が問題解決能力とは何かを定義するのに時間をかけているのは、問題にぶつかったことがないからだろう。グダグダ言ってないでさっさと勉強するなり仕事するなりしなさい。問題にぶつかったらそれを解決するために必要な能力は何か分かるから。そしてそれは、問題によって大きく異なるから。
苦難というのは何と比較して?
俺は俺が苦難に晒されているかどうかには興味が無い。
ならばよし。しかし、君の文章の「大学教授や優秀なエンジニアの息子で日常生活からふんだんに教育と文化的刺激を受けてきたような人たちに、家では安いビール飲んでテレビ見たり寝たりしてるだけだった親の子供である俺はどうやったら勝てるか。」という部分は、『教育と文化的刺激を受けてきたような人たち』とくらべて自分がどれだけ苦難に満ちあふれているかということを述べる以外に効能が無いので以降似たようなことを言う時は気をつけるように。
環境の影響は避けられないよ。それを「他力本願」と考えるのは、自分の信条として自分自身に課している分には自由だけど、他人にそれを強要するもんじゃないよ。
環境の影響が有るか無いかという話をしているんじゃない。自らのパズルを解く能力の低さを親のせいにしているところが下らなくて気に入らないと言っているんだ。
いかにもスカウトですみたいなカメラを持ったお兄さんに声をかけられた。
人材発掘会社のカメラマンを名乗るお兄さん(名刺くれた)曰く「有職者限定で雑誌の街角スナップコーナーに出る人を探していて、スタイルがいいと思って声をかけた。この場で写真を撮って一次選考をして、翌営業日に結果を連絡する」とのこと。学生で単発のバイトしかしていないことを告げつつ、簡単なエントリーシート(名前・身長・電話番号くらい)を書いて写真を撮られて別れた。
ちなみに私は、顔は十人並み、脚は長いと言われることもある、身長は160cm台、BMIは20を切るくらいの20代前半の女性である。これといって目を引くところはないだろうが、ときどき今回みたいなスカウトを受けることがある(怪しいのでだいたい受け流す)。
今回のスカウトも正直怪しい。しかしたまには口車に乗ってみてもいいかもしれない、とも思った。
翌営業日、その人材発掘会社とやらから電話がかかってきた。一次選考は通過したらしい。二次選考は雑誌サイドの選考になるらしく、その説明をしたいので営業所に来られる日を教えて欲しい、と。直近で空いている日に行くことにした。
営業所に行くと、アンケート的なものを書かされた。撮影経験の有無とかいろいろな項目があった気がする。説明を待つ間、たぶん私より若いだろう女の子が説明を受けているのをなんとなく聞いていた。
しばらくするとこの間とは違うお兄さんが出てきて、選考の説明を始めた、のだが。「有職者」と言うにはバイトの回数が足りないことが判明した(月8回くらい働いていないといけないらしい。知らねぇよ)。となると今回の雑誌のスナップモデルには応募できない。
すると、「うちの人材発掘会社から人材を紹介している芸能事務所に興味はあるか」と聞かれた。こうなったら徹底的に口車に乗ってやらぁ。
「なくはないです」
「じゃあ、担当者を呼んでの説明会に来てもらいたいので、空いている日を教えてください」
「○曜日のXX時ですね、わかりました」
今度は事務所のアンケートを書かされた。撮影とかしてないのに、「撮影をしてみてどうだったか」などの項目があったのでスルーした。
今回出てきたのはまた新たなお兄さんだった。イケメン。事務所の仕事をしながら、所属して俳優をやっているのだという。
街頭で書いた用紙と前回書いた用紙と今回書いた用紙を見ながら、イケメンが話を始めた。
「今日はうちの事務所に登録するかしないかの話をします。話が終わったら即決してもらいます。すぐに決断できない人は芸能の世界にはいらない(以下、説得力を増す話)」
この時点で、登録料とかレッスン料とかを払わせる手口だと思った。だがどんな話が展開されるのかは聞いてみたい。
「実家です」
「だったら、芸能やるって言ったら親御さん心配しない? 成人だから自分で決めることだけど、親に反対されたからやめる、ってくらいなんだったら、今ここで断ってください。例えば大好きな彼氏がいて、結婚したいと思ったけど親に反対されたら諦める? 諦めないでしょ?」
なんだその喩えは。
そしてまた怪しいッ! 「親に反対されたので」って理由で後から辞めるという選択肢を封じに来ているッ!
説明が始まった。
「今回、この説明会にはみんなを呼んでいるわけじゃないんですよ。興味があっても呼ばれない人もいるし、興味がなくても呼ばれてる人もいる。なんでかわかりますか?」
「わかりません」
「うちの事務所で確保している枠(事務所への最大在籍人数?)は多くないので、良い人材だけをこの説明会に呼んでくださいって、人材発掘会社にお願いしてるんですよ。もちろん芸能をやることを強制することはできないけれど、こないだ話した担当者が、○○さん(筆者)を見込んで、この説明会に呼んだってことなんで、それはわかっていてください」
「はあ」
これも怪しいッ! 「あなたは特別ですよ」ってのを匂わせて虚栄心をくすぐる手法!
仕事の内容についての説明内容は長いので端折る。
などなどの話を聞いた。実際の仕事の依頼例なども交えつつ。それなりに面白かった。
私には言いたいことがあったのだが、タイミングを逸していた。一段落したら聞いてみようと思っていたら、ちょうどよくイケメンが話を振ってくれた。
「そういえば聞き忘れてたんだけど、どこの大学ですか」
「某大です」
「そうなんだ! 学部は?」
「医学部です」
「えっ」
「卒業したら2年間は初期研修をしなくちゃいけなくて(医師法第16条の2)、その間は研修に専念することが求められている(医師法第16条の3)ので、どこの病院でもアルバイト禁止なんですよ(法律で禁じられているアルバイト診療だけでなく、アルバイト全般)。なので、芸能をやるにしても学生の間だけだと思っているんですけど、それって可能ですか」
「みんな芸名を使うから、職場とか周りにはバレないよ。人間って不思議なもので、例えば○○さんの写真が雑誌に載っていても、名前が違ったら『○○さんにすごく似てる』で終わるんだよね」
「はあ……」
そういう問題かよ。
そして話は佳境に入る。
「それで、事務所に登録するとき、お金がかかる事務所とかからない事務所があるんだよね。うちはどっちだと思う?」
「その聞き方ならかからないんじゃないですか?」
「いや、うちはかかるんだ」
「ほう」
「お金がかかる事務所とかからない事務所の違いは、マネージャーが付くか付かないか。マネージャーが付かないところだと、仕事は自分で取ってこなきゃいけないし、その仕事のギャラは事務所と折半」
「それは馬鹿みたいですね」
「マネージャーが付く事務所だと、これこれこういう(※忘れた)お金がかかって、大手だと数十万とか百何十万とかするところもある」
「ほう」
「でもうちではこのお金はもらってない」
「はい?」
話が見えなくなってきたぞ。
「うちでは、このシステムを維持するところにかかるお金は事務所持ちにしてる。でも、宣材にかかるお金39000円と、レッスンを受けるための入会金60000円の計99000円は、個人に属するものだから負担してもらってる。クレジットで払ってもらって、クレジット会社への支払いは月5000円って子が多いかな」
「はあ」
10万か。これくらいなら払う人いるんだろうな。
「うちでは、ワークショップ(講師が仕事を持っていて、仕事をくれるかもしれないレッスンのことらしい)を1回3500円(安いらしい)で受けられる。その環境づくりのためのお金がこの60000円」
「はぁ」
「で、1年間使える宣材を撮って、これでクライアントに売り込んだりする」
「いや、それは無料」
「ほう」
なんだか疲れてきたしやっぱり胡散臭いので、ちょっとやめておこうかな的意思の表示を始める。ここも長いので端折る。
「いやー、そこまでのお金を払ってやるもんかなってのがちょっとあって」
「はあ」
「喩えるなら今はこういう状況。浜辺を歩いていて、沖の方に島が見える。そこには見たこともない世界があるけれど、自分で泳いでいくことができないのはわかってる。そこにちょうどよく船が通りかかっていて、それに乗るか乗らないか。乗らないならふーんそっか、もったいないねって」
「はあ」
「言っちゃ悪いけど、女の人が何もしないで綺麗でいられるタイムリミットは2X歳(※筆者の年齢)だよ」
「はあ」
「何に悩んでるの? 例えばかかるお金が0だったらやる?」
「趣味程度ならやるかもしれませんけどね」
こうやって話している間に、この兄ちゃんは手に持っている紙を筒状にしていじっている。いやそれ私が書いたやつですよね。話している相手が書いたアンケートを丸めていじってる社会人初めて見たよ私。
「自分には本分があって、新しくその『趣味』を加えるだけのキャパがあるかも不安です。それに、それだけのお金を払ってやるくらいなら、自分の本分に時間を使ったほうがいいなって思います」
「そりゃそうだよ、でも」
「本分を趣味にする感じで」
「それは趣味って言わないよ」
「時間とってすみませんでした、でもそんなんじゃ何も始められないよ」
と言いながら兄ちゃんは事務所の奥へ去って行った。帰っていいと言いに戻ってくるかと思ったけれど戻ってこなかった。
常識人である私は、せめて声をかけて帰ろうかと思って事務所の奥を覗いた。しかしどこにいるかわからなかったし、待ってろと言われてなかったことを思い出して帰ることにした。
営業所から出て歩きながら、2時間かけて何やってるんだ自分、と思った。しかし、話を聞くだけ聞いたのは面白い経験だったかもしれない。
もしかしたら、この事務所は悪質な事務所ではないのかもしれない。けれど、相手に「怪しい」と思われたら、こういう商売は負けだ。
やっぱり、そうそううまい話は転がっていないんだな。人の夢で飯を食う商売もあるんだな。みんな気をつけようぜ!
以下追記。
予想外に多くの反応をいただいて驚いています。読んでくださった皆さんに何らかの形でお役に立てば光栄です。
ブコメをいただいたので全てにではないですがお返事を。
id:hisawooo “怪しいッ! これは怪しいッ!”ジョジョっぽくてかわいい。ジョジョ子力高い。
ありがとうございます。頑張ります。
有識者限定の街角スナップコーナー、見てみたいようなやめておきたいような。
id:eurisko1 うーみゅ。これかなり前からあった手口。増田医学生よ、今後へんな奴らからの連絡に気をつけろ。本業に邁進されよ。
知らない番号からの電話は留守電がなければ無視する主義です。一番大事なのはやっぱり本業ですね。精進します。
id:catbears 利用されることを望んでいる人は他人に利用されることが本望だという事の他力本願を推して知るべしとか、チャンスは巡ってくるのを待つのではなく与えるもの、みたいな話にはならないのか。
何をおっしゃりたいのかよくわかりませんでした。すみません。
id:ophites 自分の頭の良さを過信してる感がちょっと危うい。断って帰ろうとしたら怖いお兄さん数人に囲まれて、おいおいお姉ちゃん社会ナメてもらっちゃ困るよ、とかなっても切り抜ける自信はあった?怪しいとこは行かぬが最善
まさにおっしゃる通りで、自分の頭のキレを過信気味でした。他に説明を受けている人がいたので、彼女らが見ている前では危ない目にあわないだろうと判断しましたが、行ってからの判断では遅いですね。そもそも行かないのが一番ですし、行くにしても筋肉を付けてからの方がよさそうです。
世の中怖いですね。こういう商売って儲かるんでしょうかね。
>文章や頭をお褒めくださった皆さま
恐縮です!
筆者は一瞬だけモバマスに手を出して、課金しそうな自分が恐ろしくて手を引いたことがあります。渋谷凛ちゃんかわいいですよね。
地元から東京に出てきて、今年で13年目となった。年も30を越え、配偶者も、もちろん子供も居ないものの、仕事も生活も安定してきている。
でもふと実家に目を移すと、そこには愛する両親、そしてもう80を越える(けどまだ元気な)祖母が3人だけで住んでいる。
私の家は農家で、3人兄弟の長男である私が地元を離れて東京の大学に行きたいと言った時は家族中大騒ぎとなった。
いずれ家長(もうそんな制度無いけど)となるべき人間が家を離れ、もしかするともう帰ってこないかもしれないのだから当たり前だ。
だけど、やっぱり自分の人生だし好きに生きたいと思っていた私は両親と話し合いを持ち、結果的に「好きにしろ」という一言を貰う事になった。
(当時は当たり前だと思っていたけれど、今になってそのときの両親の気持ちを考えると、心が痛む。)
家の事を思わないでもなかったが、幸い3人兄弟だったので、2人の弟のうちどちらが一人でも家に残っていてくれれば、それで丸く収まる、家は存続する。他力本願もいいところだけど、そう思っていた。
でも、そうはならなかった。好きな事をやるために家を出て行ってしまった私の背中を見てか、弟二人も高校の卒業と共に家を出て行ってしまった。
それでも就職先が地元になれば、と淡い期待を持っていたけれど、そんな事は起こらなくて、二人ともそれぞれ首都圏の会社に就職してしまい、あの家に住む者は両親と祖母だけの3人となってしまった。
父親は私達兄弟が全員家を離れてしまった後しばらく、毎晩酒を飲みながらそのことを嘆いていたらしい。
その事を教えてくれた母親も、口には出さないけど祖母も多分同じ気持ちなのだろう。
私にとって帰るべき家はあの家でしかないと今も思っているし、若い頃は無くなってしまうなんて思ってもいなかった。
でも、もう時間切れが迫っている。
数年前には父親が大病を患い、その影響か最近は体力の衰えも顕著になってきている。母親はまだ元気だが、それでも今年はもう還暦を迎える年となる。
いつも元気な印象がある祖母も、最近は出歩く事が少なくなってきているらしい。やはり、寄る年波には勝てないのか。
このままだと、緩慢だけど、確実に、あの家は無くなってしまうのだろう。
私は家に帰るべきなんだろうか。近頃はそう思う事も多くなってきた。
でも、今の仕事も生活も捨てて、イチから地元で仕事を探しながら農家を継ぐなんて度胸は私には無さそうだ。
私にとって「家族」はあの家にしかないから、こんな風に悩むんだろうか。
配偶者を持ち、子供を授かり、家族が出来ればこんな葛藤も乗り越えられるのだろうか。
私はいつまでこんな悩みを抱えたまま生きていかなければならないんだろう。
全て終わってしまったら、後悔して生きる事になるんだろうか。
いっそ、投げ出してしまえば楽になるんだろうか。誰かが言うように、一度仕事辞めてみたら目の前が開けたりするのだろうか。
本当に私がしたかった生き方は今の自分なんだろうか。今ではそれも分からない。
書きたいことを書き連ねていたら眠くなってきた。寝よう・・・
追記:
トラックバックくれた方、こんな掃き溜めのような記事にコメントありがとうございます。
両親と相談すべきと言うのは本当にその通りで、臆病な私はこのことをタブーのようにしてしまっていて、まだ両親とこのことについて話し合った事はありません。
このままですと、状況は悪くなる一方なので、今度帰省したときに両親と膝を突き合わせてコの件について話し合ってみようと思います。
IT勉強会を活用しようと思う人は、まあ、一度は読んで、その時間の使い方が本当に有意義なのか一度落ち着いて考えてみるといいと思います。また、企業のエンジニア面接官は、エンジニアがIT勉強会などのコミュニティの活用をアピールしてきた場合、以下の現実を把握されてから、今一度候補者の言い分を検討してみるのが良いと思います。
まあ、現実的には、「なんかいろいろIT絡みで『うまくいっていない人』が必死にもがいてる姿を見て、自分も安心する会」ってのが多くのIT勉強会のリアルかと。非常にまれに良い勉強会もありますが、一瞬存在するだけです、そんなもの。
あまりに煮詰まっている。自分の子どもたちを優先順位の一番に出来なくなりそうでヤバいから精神安定剤的にカキコしようと思う。長文申し訳ない。
私は某宗教で育った。アメリカの再臨派から分かれてるのに唯一無二のキリスト教ってうたってるやつだ。
小さい頃から鞭でぶち回されるのは当たり前だったし幼稚園も行っていない。伝道活動に連れ回される中、幼稚園の前を通った。垣根越しに園内を覗いたことがある。にぎやかで楽しそうな世界だった。子どもながらに心臓がぎゅっとつかまれる気がした。
その時代は信者は週三日の集会、週五日の午前午後の伝道活動が当たり前だった。子どもは親と一緒に連れ回された。終わりが来る、とずっと言われ続けていた。高校なんて考えなくていいし、仕事は伝道活動を最優先にしてと言われていた。
小学校に上がってから、学校はとても楽しかったが、出来ない行事も多かった。日本の伝統行事、誕生日、クリスマス……。御神輿をクラスで作成する中、先生に言い、私は一人椅子で本を読んでいた。先生への証言は気の重い作業で、でも仕方なかった。校庭で校歌ダンスがあった時は、一人で膝を抱えて木陰にいた。
私は音楽が好きだった。高学年になってマーチングバンドに入りたかったし、少年団のソフトボールに入りたかった。
だが、諦めざるを得なかった。世との交わりになるし、優先すべきは放課後の伝道活動と集会だったからだ。
中学校になり、私は部活に入りたかった。本当にどうしても入りたかった。この時は多少抵抗したが、会衆の長老を含めて親の説得に負け、仮入部した部活を自分から取り下げた。応援してくれた先生や同級生に、本気ではないと思われ、信用をなくした。このとき多分全力で抵抗していれば順調に年齢通りに社会生活を送れたのだろうが、洗脳も強かったし、親を愛しすぎていた。組織を出るなら殺すと言われ、それに負け、無力感とともに青春を送り始めた。
その後10年思い出したくもないような宗教漬けの日々の後、その宗教を辞めた。
幸いな事に結婚も出来た。子どもにも恵まれた。やりたい場所でやりたい仕事をし、そのためにやりたい勉強をし、好きな家を買って暮らしている。
子どもはまだ小さい。4歳と1歳だ。平日は、保育園に預けている。とてもいい保育園で、子どもたちに毎月の行事をしてくれているし、園も季節感のある飾り付けになっている。リトミックや英語、図工に体育など年齢に合わせた遊びながらの教育もしてくれている。給食もおいしい。ほんと楽しい場所だ。
ふっと気を抜くと、最近子どもにイライラしている。子どもを応援する母親になりたい本心がある一方で、私は人生を取り返したくてたまらないし、たくさんわがままを言える子どもが羨ましくて仕方がない。子どもに嫉妬するのは馬鹿げていると理性が思う一方で、私の中の子どもが、楽しそうな上の子を虐めたがっている。
上の子の2歳後半から3歳にかけてのイヤイヤ期には本当に手を焼いた。自分は大人しい子だったし、常に人目を気にしていた。公園で泣きわめかれたりお店で転がれる気持ちがわからなかった。あまりにもひどいとき、とうとう手をあげてしまった。小さい頃の自分を叩いたようで、夜中吐いて泣けて反省した。だが、その後も元気がよく、私も我慢しすぎて階段から付き落としそうになるよりは、躾の範囲で言い聞かせてその場で服の上からお尻なりひっぱたいた方がよっぽどカラリとお互いのためにいいのではないかと、何度かはしているうちにイヤイヤ期が収まってくれた。
まずいのは、夫はこういう葛藤を理解できるはずもないという事だ。夫は育ちがよく、彼の母親は始終笑っている人だ。子どもも夫も動物も可愛がって楽しむ人だ。
上の子どもが赤ちゃんだった頃、何のためらいもなく行えた誕生日会。幼児期になってから辛くてたまらない憂鬱な会になった。
子どものイヤな面が私に似ている。それがまた私を責め立てる。自分の性格のせいで親からの自立が遅れ、上手くいかなかったのは単に自分のせいだったことに気がつかされてしまった。
気分が沈んだ日は、疲れているから、と言い訳にして、子どもを放置した時間だけが過ぎていく。子どもとの今日一日はかけがえのない日だと分かっているのに。エネルギーのあまっている子どもを休みの日に一日外に出さないで、たまった家事の解消にあてたりすると、もうへこむ。
さて、今朝のことだ。仕事で昇進し、今度はチームを動かすほうになった。チームワークについて、常日頃年下から学ぶ事が多すぎて、自分としては自信がない。学生時代に部活が出来たら経験になったに違いないと思ってしまう。だからつい、夫に学生時代に部活が出来なかった事がいつまでも経験の少なさとして尾を引いていると愚痴ってしまった。すると
と言われ、ついお互いムキになってキレてしまった。だが、こうして文章として起こしてみると、そんなに重いものを裏にして話す方が悪い気もしてきた。
午前中、悲しすぎて棒に振ってしまったから、せめてこれから子どもたちにも夫にもいい一日になるよう頑張ってみようと思う。
だが問題の本質は、分かってほしい人に分かってもらえないと、子どもをだんだん愛しづらくなっているという事だ。だがそれも他力本願な甘えでしかない。
レツゴーのやりとりに恐怖を抱いた。
なんか、大量の知識を正確に紐づけできないんだよね。あとすぐ忘れる。
それが語彙不足というか、語彙も不足するんだけど、それより深刻な常識不足とレツゴー的判断ミスに繋がっていく。
私は雄大で感情的で流行の最中にある美しいテーマソングを口ずさむ時、しばしば「ありのままに」のようなメモリへのアクセスに失敗する。
なぜみんなあんな正確に物事をいつまでも覚えてられるのか不思議で羨ましい。
昔は昔で、モー娘。やら阪神やらなんやら覚えられなくてついてけなかったし、自衛隊の基地の近くを通った時に「あ、ヘリだ!軍用ヘリー」と言ったらなんか隣から冷たい正式名称が飛んできて「お前○○(苛められ子)に似てるな」と言われたのがトラウマだ。
今は今で、懐かしい話についていけなくて辛い。マリオRPGのボスとか思い出したいのに思い出せない。漠然と面白かったよなーとしか言えず盛り上がれなくて悔しい。
喋ることなんかずれてることが多いみたいで、一般的なコミュニティではいつも弄られキャラに甘んじてたし、そういうところではほんとなにかしら笑って突っ込んでもらえないと辛い空気になってしまう。
突っ込んでもらえると、天然ボケコントみたいなノリになって、知的優劣の雰囲気を和らげてくれるので助かる。他力本願で申し訳ない。
一般人的にはこの手の間違いは恥ずかしくて穴があったら入りたいレベルだと思われるが、私はもう恥ずかしがってても仕方がないレベルである。穴熊してても負け続けたので、戦法を変える。
私はむやみに気を抜いて喋らない。話が合うように私なりに気を遣う。CMを観ても軽く口ずさんだりするに用心する。けど、安心する人の前では気楽にレツゴーと口ずさんで、「おまwレツゴーてww女王様雪山登りにレッツゴーww気高さ台無しやんwww」と突っ込んでもらったり「レイゴーやで」「あ、そか」「ん」と流してもらっている。
「ドゥーン」Done
「ハーマイト」Hermite
なぜかなぜかわからんが、学業的なのは比較的優位だった。勉強したら頭に入る。相変わらず常識を疑われるミスはするが、それでも比較的優位だった。
私もレツゴーを頻発させていたが高校の時全国模試はだいたい偏差値70を超えていた。日常の私の論理的思考どうした。
今もそれなりの待遇の中で生きさせていただいている。
私は自分のことが頭悪いと思っている。しかし、無能とは思っていない。ようは、こう、知覚に関する複雑な要因があってのことなのだと思っている。
この文からもお察しだと思われるが、喋ってる内容を逐一俯瞰的に制御できない、そういう感覚があって、それが口下手というかコミュニケーションにおける齟齬を生む感じだろうか。一概には言えないが。
仕事におけるコミュニケーションにはなかなか苦労はあるが、ただ、目的の案件に対しては、少なくとも私の仕事の場合は、雑談に比べて非常に取り組みやすい。
頭悪いのも事実だろうけども、会話のノリが合わないのは辛いことかもしれないけど、悲観して蔑まないでやってほしい。
この思いは私の保身である。世の中の多くの人がレツゴー的な間違いに寛容になってほしいと願っている。
こんなコミュ齟齬野郎でも誰かの価値にはなれている気がするし、生きてて楽しい思いもしている。姉ちゃんは私に毎日熊画像を送りつけ、私はそれにクマーとだけ返信する日々だ。なんかそれだけでも和むし良い気分だ。
論理的思考に問題があるかと言えば、あるのだろうけども、それでも彼は彼なりに良いところがあるのだろうし、頭の良い面もきっとあるのだろう。
増田の姉ちゃん怖いよう。