はてなキーワード: ヒューマンとは
才能ある人の努力の話題で、女子短距離走の福島千里選手のことを思い出した。
https://www.nhk.jp/p/ts/KQ8893GKX6/episode/te/JWX461W8JY/
才能もある、努力もできる。
しかし、身体の限界がきている。結果も出ない。だけど、「速く走れないなら死んでいるのと同じ」と葛藤しながら競技を続ける姿を観ていて、こっちが苦しくなった。
才能があり努力したら結果が出る人生はいつか終わる。努力した結果が出るという快感は、いつか自分の首を絞めることになるのかもしれない。
結果が出ない、限界を知り諦める、方向転換をする経験こそが生きるための才能なのかもしれない。
とも思った。
シン・ゴジラで人間が葛藤する様子をたくさん描写したにもかかわらず「ヒューマンドラマがない」とかいう浅すぎる感想を抱く視聴者にまでリーチしてる問題は映画公開の当時からあるけど、それってのはヒューマンドラマを陳腐な「男女がくっついて終了」だと思っているような視聴者までもがシンゴジラを見た、ってことなんだなあ。
サンマをホネとって解体してはらわたを味わうようなことなく、カマボコしか食えない人間みたいな感じ。これだから若い男は。
でも時代の流れ的に仕方ないような気もするんだよな。ライトノベルが流行っているように。読者層やニーズの変化。
めっちゃ長いラノベタイトルは何故か?というと、消費者が「失敗したくないから」だ。今の人はお金がないのでコスパを重視する。お金を払って買ったコンテンツが面白くなかったらコスパが低下してしまうから。内容あらすじがある程度わかってる必要がある。
本邦は30年も経済的に失われているので、国民もそれに最適化した処世術になるわけです。若い人は特に。生きていくというのは、そこに適応していくということですね。適者生存。強いお金持ちだけが生き延びるのでなく、お金がなく経済的に弱い人もその状況に適応して生きていく。
「自分で考察して楽しむ」というのも、古いオタク世代の楽しみ方なのかも知れない。第四第五世代のオタクはあまり考察をエンジョイしないのかも知れない。ラノベですら、ラノベ作者が「読者が読解力が低すぎて困ってる」みたいな嘆きをしてるの見たことあるくらいだから・・・。謎を楽しめないのかも。忙しく拙速なので、じっくり考える余裕も習慣もない。YouTubeの動画も少しでもつまらんと視聴者はすぐ離脱するから、そうさせないために視聴維持率を高めるためにとめどなく喋るように編集する。
それこそこないだのNHK特番で「謎を残すようなことが好まれなくなってきている」みたいな話で、それを反映してかシンエヴァのDパートは怒涛の答え合わせだった。全自動魚の骨とりマシーンみたいな。
「すいませんサンマ食べにくいですよね、ホネとっておきますんで、どうぞお召し上がりください」よろしく
だから今後の庵野作品のテイストって、焼きサンマが出てくるか、カマボコが出てくるか、それが見どころになるのかなーと思った。
NHK特番で「自分が面白いと思うものは好まれないじゃん」みたいな愚痴をブツクサこぼしてたのは、本当はサンマが食べたいしお出ししたいけど仕方なく時代に合わせてカマボコに近づけてるってことなのかなと。
元気なおバカキャラはよしよしをしたくなるし理解ある彼くんごっこしたくなるしで好き
リアルでも割とすこ
『なるほどね』っていうのが好き
母親ぶるな!からの〜真面目なヒューマンドラマ(例:少年と自転車 Le gamin au vélo )とか
サイコホラーとかエログロならありだけどそうではないのならまったくピンと来ない
リアルも割と嫌い
しらっとした気分になる。ハァ(笑)とか言いたくなる
例外として漫画太郎のババアと東方の二次創作そばかす魔理沙の人の加奈子様は好きだ
早 苗:神奈さまー
神奈子:よかろう
https://www.nicovideo.jp/watch/sm24674935
加奈子:いいじゃないか。人は歴史あるものをありがたがるものだ。ババアこれ最強
早 苗:ステキ♡
小さい頃、よく焼き芋やらお菓子やら貰ったが、あのジジイやババアはいまも存命だろうか?
幸せな日々を送っていて欲しい
https://anond.hatelabo.jp/20210315235816
ブクマのアホどもは自分の頭で考えられない畜群だから、どいつもこいつも聞きかじった知識と脳内コピペで脊髄反射するだけ。
増田の疑問は正しい。
いいんだよ。
「優生思想がいけない」という連中は、「将来どんな形質が生存に優位になるかわからないから多様性が大事だ」という。
ならばなぜ社会体制そのものが多様な戦略をとることが許されないんだろうね?
この世界は個人だけでなく、個人の集合たる国家や民族といった共同体が、いろいろな戦略で競争してるんだよ。
それらの共同体が個人の多様性を重視してもいいし、特定の形質を排除したり優遇したりする、ある種の優生思想を採用したっていいだろう。
将来、どんな形質が有利になるかはわからない。それは正しい。
だからこそ。
「結果的に見れば、優生思想が共同体の生存戦略上、有利でした」ということも起こりえるわけだ。
将来、火星で進化したゴキブリが人類に襲い掛かってきたとき、ゴリゴリの優生思想でデザインされたスーパーヒューマンでないと生き残れない可能性だってあるわけだよ。
もちろん逆もありえる。
共同体の生存戦略として優生思想を行使したことによって、特定の形質を排除したせいで絶滅したということも起こりえる。
みんな大好き人権先進国のスウェーデンでは、ダウン症が極端に少ない。
なぜかというと、出生前診断でダウン症と分かれば中絶するからだ。
将来、ダウン症だけ生き残るウイルスが人類を襲ったとしたらスウェーデンは滅びるだろう。
強固な家父長制からくる男児志向で、妊娠して女児だとわかったら中絶するからだ。
だが、勢いある経済力によって、東南アジアを中心に「花嫁を輸入」している。
女性を吸い取られる国にとっては、結婚できない男性が増え、男系の子孫が残せないことになる。
昔なら、物理的に侵略して男性を皆殺しにして、女性をレイプしなければ実現できなかった民族浄化を、経済の力で実現できている。
さて。
これらを「倫理的に正しくない」と責め立てることは容易だ。
「ダウン症の中絶は良くない」「女児を選択した中絶は良くない」と責めることも可能だ。
だが誰が止められる?
誰もこうした戦略をとる国家、民族、宗教を止めることはできない。
彼らがダウン症を中絶することも、子供に男児を志向することも、金の力で周辺国から女性を輸入することも誰も止められない。
共同体の生存戦略として、優生思想が成功するか否かはその思想に依存しない。
「優生思想は良くない。なぜなら多様性こそ将来の淘汰圧に適応できる可能性を残すからだ」という単純な反論は、共同体そのもの淘汰圧を想定できていない。
「将来に何が起こるかわからない」からこそ、「優生思想が勝ちました」ということもあり得るわけだよ。
増田の疑問は正しい。
「多様性が生存競争に有利だ」という立場をとるのならば、共同体が採用する社会制度の多様性(ダウン症中絶、女児中絶、イスラム教etc…)も、将来の淘汰圧に対して有効かもしれない、という可能性に思考を巡らせるべきだ。
原発は確かに設計上は安全に作ってあるが、原発を工事するのは高卒中卒である。何も理解せずに言われた通りに作るわけだが、作る過程を監視してる職員もまた、原発とは関係ないところからやってきた(農水省で米の検査なんかをやってた)役人。だから間違いがあっても誰も気づけない。
というか、原発みたいなでかい建設物でヒューマンエラーなく建造するのなんか普通にめちゃくちゃ難しい。
完成した原発の検査をしても、エラーには気づきにくい。しかも検査に来るやつも素人だからよくわからんけど判子を押すばかり。
定期検査の工事をするのも、季節柄ひまな漁師とか。もちろんど素人。
原発の第三者委員会は、通産省の天下りだから第三者でもなんでもない。専門知識のある本当の第三者がいないとやばい。
あと、10年耐久と言われた原子炉を、解体や廃炉ができないから30年以上使っててやばい。原子炉は止めると、冷却用の水で金属が錆びて放射能が漏れちゃうから止めておくことができない。燃料を取り出しても、放射能が減るまでずっと冷却し続けなきゃならないけど電気も作らないのに動かすようなことは電力会社がしたがらない。
みたいなことを書いてて、ちょっと怖くなった。
良く考えたら原発について何にも知らないし、危険か安全か判断するような材料は何もなかった。誰かが安全と言ってるから、危険と言ってるからぐらいの判断で生きてたが、どう考えても非科学的な思考停止だった。反省。
政府はTwitterを結構うまく活用していると思う。でもTwitterユーザーとインスタユーザーはやや分断されているんだよね。
TikTok、インスタ、YouTubeあたりをもっと効果的に活用すべき。
特にインスタは、反ワクチンなんかの入口になりやすい。これは本当に危険だ。
ポンチ絵も、もっとインスタナイズドしてわかりやすくすべきだ。
世の中にはインスタから殆どの情報を得ようとするちょっと頭の弱い人も多い。文章が読めない人が想像以上にいるのがこの世だ。
でも、そんな人々の頭の弱さや情報リテラシーの無さ、人格を否定しても意味がない。情報教育が重要。その通り。でもみんなが教育されたことを身につけられるわけではない。
天才もいる。馬鹿もいる。教育である程度は改善できるだろうが、教育だけでなんとかしようとするのは根性論だ。
ヒューマンエラーは避けられないと、エラー前提でシステムを組むように、馬鹿の存在は仕方がないと割り切って、どんな馬鹿にでもわかる正しい情報を発信してあげないとダメなんだよ。
政府広報は頑張って欲しい。
遺伝子を残すにあたって、ホモサピエンスってメスが不利な生き物だよね。
これはオスとメスで有利不利はない。なぜならオスとメスの数が一対一だから。
これに関してオス的には「そうは思えない」と感じるかもしれないが、
それは全く相手にされない、男性がいる「表」に出てこない見えないメスの存在が計算に入っていないからだろう。
そんなメスを入れた全体を平均すれば、オスとメスの数が一対一である以上、期待値は同じはずである。
これはメスだけにあると言っていいよね。
いうまでもないけどメスは繁殖のために一年近いあいだ腹が膨らみ動きが鈍り、
出産時には(医療技術により減ったとはいえいまだに)死のリスクもある。
これもメスの方が不利。メスは35歳をすぎると出産することの命のリスクや、
50歳前後で閉経すれば遺伝子を残すことが完全に不可能となる。
オスは人にもよるが少なくとも50くらいまでは射精できる場合が多いし、頑張れば70くらいまでいける人も多い。
尚且つ、何歳であっても命のリスクは無い。
つまり、自然界で生き、遺伝子を残す上で、そもそもメスは損な役回り。
人間はオスが効率よく遺伝子を残すように進化した生き物なんだ。
黒人と白人の間にそういった生物としての差はないからだ。「同じなんだから」という論理が通じる。
でも男性と女性はそもそも生物として、オスとメスという違いがある。
同じように遺伝子を残そうとしたとき、同じように交尾相手を探したあと、
女性は腹が膨れ、体調が優れなくなり、動きが鈍くなる=自分で自分を守るのが難しくなる。
こういったダウンタイムがあることで、オスが社会を回した方が効率的ということが、説明できてしまう。
でも今それをそんなに意識せず生活できてるのは、「男女を同じように扱え!」と言えるのは、
社会、技術により安全が確保されて、自分の今持っているもので自分を守ることができる、先進国の人間だから。
そしてこの社会、技術によって確保された安全は、オスにとってもメリットであったから今ここにある。
つまり、「メスが安全に暮らせるようになって、上記差異の重さが減った」のは、
「安全な暮らしというオスにとってのメリット」の副産物でしかない。
だが差異は当然、今もゼロではない。そこに関して今、「同じように扱え!」という声が高まっている。
だが前述の通り、オスはそもそも有利。そこで今以上メスを優遇しても、オスにメリットはなく、デメリットしかない。
「メスも意見を出すことでアイディアが増え、大きな目で見たら社会全体の利益になるからオスにとってもメリットだ」という人もいるかもしれないが、
自分の立場を脅かしてまで社会全体のメリットを考える者がそういるだろうか。
つまりは「同じように扱え!」とメスがいくら叫んでも、それはオスの社会性、もしくは善意に訴えることにしかなってないわけだ。
あーあ、メスって不利だなあ。
嬉しくもありつつ、心のどこかで
(そろそろ出会わないとまじでやばい、二人産むとしたら一人目は32までには産まないと。そうすると31で受精してなきゃだから30くらいには結婚してないといけなくて、
でも1年は付き合ってから結婚したいが、うーんまあ妥協して半年付き合うとしても来年までには「その人」に出会わなきゃいけないけど
昇進、、最初はハードな勉強が必要だろう、少なくとも平日は仕事しかできない、部下のレビューとか客との会合とかあるし、でも土日も勉強しないと、
同期もそうするだろうし、それに比べて劣った上司になってしまったら部下に申し訳ない、あれ、てか産休とって大丈夫なのか?ああああ、、、、
昇進、、うれしい、、、これまでの頑張りが認められたってことで、、、なのに、、あああ)
あーあ、メスって不利だなあって。
家畜に生まれるよりはずいぶん良くて、しかも先進国に生まれたからこそ、
だから個人的には不満はない。私は十分幸せだ。自分の運命を受け入れている。
メスの叫び声が聞こえてくる。
でもそれを実現するには、
これをなんとかするしかないように思う。
男女はここで決定的に「同じではない」んだから。
つまり私が言いたいのは、、、、、作りましょう!!
※ちなみに代理母っていう選択肢が今もあるけど、これは貧困とか格差と切り離して考えにくいらしく、あまり関わりたくないので一旦スルー。
買ってきたヒューマン・エッグに、受精卵をセットすると、十月十日後に、赤ちゃんが誕生する!
誕生予定日前後は休みをとって、誕生を見守り、育休は今の制度のまま、パパとママが平等に取る。(え、育休は今も平等だよね?w)
ヒューマン・エッグは、最初はきっと高価だろう。結婚する時、男は購入を反対するかもしれない。
でも、出産は命がけという前提がある。
愛する女に「お金と私の命、どっちが大事なの?」と言われたらなんて言える?
それでも妻の腹を使った繁殖を望む男性は、そこにおいて婚活市場価値を下げていく。
こうして需要が高まっていけば、商品開発が活発になり、安価なものも発売されていくであろう。
リケジョのみなさん、ぜひ作ってください。
リケダン(?)のみなさんも。儲かりますよ。こんだけフェミフェミした世の中になってきてるんだから。
私はITエンジニアなので、プログラミングとかが必要になったら言ってください。
力になります。
どこが人気なのか……やっぱ正論を大声で叫んで土下座させることですね。
「おどりゃぁ!ワシの正論を聞けえ!うんたらかんたらロンパッパラッパードゲザショモース!!!」と呪文のごとくドヤ顔で正論を叫んで相手に(。>﹏<。)な顔をさせるシーンが昭和オヤジの心に響いていると各種のインタビューには書かれています。
これがなんで昭和に受けるのかというと、昭和ではそれこそが正しい仕草であり、同時に平成令和となるに連れて誤りであることが判明した歴史があるからですね。
昭和ってのは結局声がデカくて相手に「コイツに喧嘩を売ったらヤバい」と思わせられる人間が勝つ1億総ヤクザ時代だったわけです。
その時代においては正論を言っている人間が気弱だと他のヤクザに押し負けますから、正論であるという自信を言葉の汚さによって表すのが正しい社会人仕草とされていました。
強気をアピールすることで自分が正しいと信じている度合いを表現し、弱々しく喋っている詭弁野郎を下ろすのが、正しさを世に広める道とされていたとも言えます。
ですが、結局強気で喋るのと内容の正しさは別に一致しておらず、むしろ誰もが強気で喋る競争をすることは集団の毒になるとされ、その文化は廃れました。
それでも、昭和に生まれ育った人間、そういった人間から教育を受けた人たちの中には、新時代に適応できない人もいました。
彼らは今でも「正論を吐いてるときはがなりたてるのが正しい仕草である」と本気で思い込んでいます。
ですが社会とはズレているので、そういった人達は知らず知らずのうちに「口汚いチンピラ」「いざという時のヒューマンスキルがゴミ」「昭和頭のパワハラマウス」と嫌われていきます。
「正論は怒鳴るものなんだ!!!倍返しだ!!!土下座100倍拳!!!」と叫ぶ姿に昭和の人々は信じていた教義の正しさの証明を見出します。
まさに、教祖の復活なのです。
でもね、やっぱりそれは時代遅れなんですよ。
アニメを信じて「この世界には妖怪が隠れてるんだ!」と言うのが許されるのは子供までですよね?
それと同じです。