はてなキーワード: ナンバガとは
カラオケでリライトしまくった世代にとってナンバーガールの名前は「あの伝説のバンドね」という印象だろう。
この世代で楽器を持ったことがある奴なら、聴いたことはなくても名前は知っているはずという存在だ。
当時は飾り気のない、そこらへんのお兄さんが楽器を構えているようなバンドが人気を集めていた。
今考えるとそれはAIR JAM世代やモンパチ、HYといった沖縄出身バンドの躍進でインディーズレーベルの存在感が増したことや、
ヴィジュアル系ブームに代表されるオーバープロデュース気味だった90年代からの反動があったんだろうと思う。
ELLEGARDENやバンプ、ベボベはまだしも、アジカンやフジファブリックの志村は飾り気のないというラインを超えて、モッサい予備校生にしか見えない出で立ちだった。
思えば一世を風靡したオレンジレンジも全身スウェットでMステに出たりしていたな。
というのが中高生にとってのカウンターカルチャーになっていた。
アジカンやくるりはメガネロックという雑な括りでメディアに取り上げられることもあった。
当時はバンドのフロントマンが公務員のような銀縁眼鏡をかけているというだけでも斬新に映ったのだ。
そのメガネロックのはしりとして紹介されていたのが、僕がナンバーガール、通称ナンバガを知るきっかけなのである。
当時既にYouTubeやWikiが浸透していたので、聞きなれないバンド名を見聞きしたら僕はすぐにググっていた。
ヒットしたサイトからアーティスト写真と簡単なプロフィールを見るところでは、
華奢な女性がギター、アンガールズ風のきのこ頭がドラムらしい。かっこいいと思った。
僕が思い出す限りではWikiを見ると
「eastern youthやbloodthirsty buchersらと並び、ピクシーズなどに代表されるオルタナティブロックを日本でいち早く取り入れた」とか
「向井のシャウトは『喉を切り裂いたようだ』と評された」とか、
「くるり、スーパーカー、中村一義と共に97年世代と呼ばれた」など、
よく知らないアーティスト名ばかりでいまいちピンとこなかったが伝説ぽいフレーズのオンパレードで胸が高まった。
そしてつべで「透明少女」「Omoide in my head」の動画を見てみたのだがその時はあまり良いと思えなかった。
理由は単純で「School Girl Bye Bye」「School Girl Distotional addict」収録の曲はどれも構造が複雑なのである。
AメロBメロサビというポップスに慣れきった中学生にとって「透明少女」はアブノーマル過ぎた。
ボーカルにまで楽器用マイクを使い、福岡にある馴染みの貸しスタジオで録ったローファイな音もとっつきづらかったのかもしれない。
終始キメキメな「U-REI」
無闇矢鱈にソリッドな「鉄風、鋭くなって」
アルバム「SAPPUKEI」は特に何回も何回も聴いたお気に入りである。
無論他のアルバムもZAZENもToddleもVolaもよく聴いたが。
イントロがいい。
すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。
それは向井の「俺押さえ」と、ジャムセッションをする上での向井とギターのひさ子のコンビネーションによるところだ。
ナンバガにおいて向井はローポジでコードをカッティングしていることが多いが、
理論上ではジャズで用いられるセブンスコードと似た響きを持つこれらのフォームは「俺押さえ」と呼ばれている。
その「俺押さえ」にジャムセッションを重ねていく過程で、ひさ子がギターの音を補完すべくハイポジで弾きまくるわけだが、
何せ向井オリジナルのコードに絶対音感があるわけでもないひさ子が勘で合わせていくので結果的に分数コードになっているときもある。
複雑でごちゃつきながらも何故かスムーズに聞こえる、そんな奥行きのある響きを作り出せる。
つまりナンバガはバッキング主体で深いディストーショントーンという疾走感あるオルタナのスタイルにのっとりながら、
なんとなくわかる。
BLUE ENCOUNTや04 Limited Sazabysとか
Mrs. Green Appleとか何かみてくれいいもんな。
確かにかっこいいんだけど。
すごい。すごいぞナンバーガール。
この時代に改めてナンバガを褒めちぎられているの、すごくテンション上がった。
現役高校生だとするならば、一昔前の、
ボーカル遠っ!
第一印象はそんな感じだった。バンド名は有名だからかなり前から知っていたけど、ついこの間名前を目にする機会があって、それで聴いてみようという気になった。
私が普段聴く音楽といえば、最近で言えばRADとかストレイテナーとかアジカンとかで、90年代後半の音楽はほとんど知らない。何せ自分が生まれた年代辺りの曲なんて、よっぽど機会がない限りは耳にしないからだ。
最近の音楽はレコーディングの質が上がったのと、オーディオ機器の性能の向上でめちゃくちゃ鮮明に音が聞こえる。細部まで気をつけて聴いたりすると息遣いまで聴こえたりする。ていうかそれが当たり前の時代に育ってきた。
そこにやってきたナンバーガール。
なんだこれ!!!?音質以前に声遠くない?!!仕様なのかこれは……でもこれこそが現代のあらゆるロックバンドに影響与えたナンバーガール……
最初はそんな感じで、このバンドの良さが正直わからなかった。確かに今のバンドの土台のようなものは感じるけど、ワンオクみたいな衝動とか、スピッツみたいな軽やかさとか、万人が掴みやすい個性はなくない?
そんなこと考えながら適当に流してて、何曲か聴いた辺りでハッとした。
イントロがいい。
すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。
この、何とも言えないクセになる感覚の正体が知りたくて、何回も何回もリピートする。歌詞は相変わらずわからない。でもなんでだろう、すごく、ノれる。そしてがむしゃらなだけじゃない。基本的にはすごくクールだ。演奏のクールさが、ボーカルのシャウトといい感じに調和してる。声質がそんなに重くないから、曲の雰囲気自体も暗くなりすぎなくて丁度いい。
すごい。すごいぞナンバーガール。
実はここまで書くのに、すでに5周ぐらいは軽く聴いている。聴いても聴いても、どこか正体の掴めない音をしているからだ。それが知りたくて、また何度も聴く。耳に残る演奏のかっこよさは、どれだけ聴いても色褪せない。
最近流行りのバンドは、何となくやっぱりルックスで売る傾向が強くて、その上音も薄っぺらくて心に響かない。別にルックスだけで売ってる訳じゃないけど、どの音も同じように聴こえるのだ。青春の眩しさを歌った、あの純粋なロックの衝撃を求めていた私にとって、ナンバーガールは、革命家だった。
高校3年の今、若くて凡庸で純粋な青春の賞味期限は近い。受験勉強に必死な人や、はたまたそんなの関係ない人もいる。それぞれの高校最後の一年を過ごしている。苦くても、幸せでも、楽しくても、それでも年が明けたら、みんな揃って卒業なのだ。だからこそ、あと4ヶ月の間に、少しでも多くの高校生が、高校生である間に、どうかナンバーガールを聴いてほしい。そして、青春の結び目として、ナンバーガールを思い出の曲に加えてほしい。そのくらい色褪せないバンドだと思っている。ぼんやりしたセンチメンタルに訴えかける、思わず走り出したくなる、そんな力がナンバーガールの曲にはある。大人になってから思い出してほしいバンドだと思っている。だってナンバーガールはかっこいいからだ。
だから青春真っ只中の、若い君たち私たちよ、ナンバガ聴いて熱くなれ!胸の奥まで!
追記
RADの知名度は某映画でかなり上がったので大抵の高校生はわかる。テナーとかアジカンとか、最近好きになったバンドばかりを挙げてしまったことは申し訳ない。確かにミスチョイスでした。ワンオクとかドロスが入り口で、そのまま好きな方面を探してたらアジカンに行き着いた、が正しい。
俺の大好きなナンバガが入ってない。やり直し。
「俺がそこにいた!」
初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い
『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ
これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある
つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる
だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる
自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井は映画監督を目指していたそうだが、
カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける
だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう
その対象が持っていた熱や存在感、当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まりを向井は冷たいと感じた
そういった客観性の集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる
語り手の俺が登場人物としての俺や少女を描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか
ではザゼンだとどうなのか
カメラの技術が進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳のカメラ技術もこなれてしまった
だが、世間の当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動)
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
だから語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない
そこで向井はリフレインに注目する
同じ場所で言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマ一コマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常)
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井はカメラのシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ
とはいえこの主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代は当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色も自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写の対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在のザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか
ブログもツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ
年と性別は察してください。思い出しながら、自分の音楽遍歴を書く。
姉が19のファンクラブにいた影響で、19を聴き始める。真面目に音楽を聴き始めたのはたぶんこれが最初だ。あとは、姉が定期的にヒット曲のCDをツタヤで借りていたので、それをちょいちょい聞いてみるなどしていたが、ヘビロテしていたのは19だった。朝早起きして「音楽」をリピートしながら勉強するのが楽しかった。
中学生の自分にとって326の歌詞はやたらと心地よく、将来は作詞家になりたいなどと本気で思ってしまっていた。
ひょんなことからブルースハープを始めることとなり、その関係でゆずを聴き始める。ゆずのブルースハープのパートはハーフベンドができれば大体の曲はコピー出来るので、ゆずのCDと一緒に楽譜も買い漁った。なお、ギターはFコードをうまく押さえることが出来ず断念している。ブルースハープをやっていくうちにハイロウズと山崎まさよしもちょいちょい聴いていたが、ヒロトは化物だと思った。個人的にはボディは木より樹脂のほうが好き。
また、やはり姉がミスチルのベストをツタヤから借りていたので、その影響で自分もミスチルを聴き始める。ファーストから最新までのフルアルバムとミニアルバムを全部借りて聴いていた。桜井和寿は天才だと思った。
椎名林檎は、中学時代から姉がCDを持っていたので、その影響で聴き始めた。当時好きだった女の子も林檎が好きだったので、相乗効果でやたらと聴きまくった記憶がある。虐待グリコゲンとか発育ステータスとかツアーメンバーにバンド名をつけてるんだぜ!って自慢気に高説を垂れていたので、今思えばとても恥ずかしい。あと、「一期一会」を聴いて、スピッツもちょっと聴いていた。「花鳥風月」と「フェイクファー」でお腹いっぱいになった。
ゴイステは、当時やっぱり童貞ソー・ヤングが流行っていたので、「さくらの唄」をヘビロテした。捨て曲がまったくない!と思った。峯田最強だぜ!って思った。
ちなみに、ゆず/ミスチル/林檎(事変)/ゴイステのヘビロテは、大学の2年くらいまで続く。
どうでもいいが、受験シーズンはなぜか大塚愛にドハマリしてファーストのPretty Voiceをヘビロテしていた。
先にも書いたが、当時はやたら大塚愛が流行っていたからか、可愛かったからか分からないけど夏ぐらいまで大塚愛をヘビロテしていた時期があった。ただ、夏が過ぎたら飽きた。
大学に入ってからは、CDだけではなくライブDVDにまで手を広げるようになっていた。当時は桜井和寿がBank Bandでライブなどをやっていて、ライブDVDを傷だらけになるほど見た記憶がある。東京事変のライブDVDも見まくった。透明人間を見て、ヒイズミすげーってなってた。そこからPE'Zを聴くようになった。
バンプは、先輩が聴いていたからだと思う。ヒット曲バシバシ飛ばしているのに厨二くさい歌詞と曲が、遅れてやってきた中二病患者の自分にとっていい感じでマッチしていたと思う。ただ、ユグドラシルより後あたりから、なんか曲がポップになってやる気がなくなっていった。
ちょっと前に遡るが、ピロウズ15周年だかでコンピレーションアルバムを出したときにミスチルも曲を提供していて、久々に聴いてみたらStrange Cameleonいいなあ、おっ、ベスト出てんだ、んじゃそれ借りて聴いてみようってなったのが最初だったと思う。ベストなんで良い曲ばっかりなのは当たり前だよね。いろいろなアルバムを借りては聴いてを繰り返した。個人的には巴里の女性マリーが好き。
音速ラインは、ナツメが良かったのでちょいちょい聴いてた。ジャケットが盗作じゃねーのって噂にはなっていたけど、そんなのはどうでもよく、逢いたいを聴きながら手塚治虫のMWを読んでいた。
銀杏は、そもそも忘れていた、っていうのはある。銀杏のアルバムが出てから何年か経ってたけど、峯田が新バンド!?んじゃ聴いてみよう、ってなってた。冬の寒空に東京をヘビロテしながらタバコを吸っていたのは本当に良い思い出だった。
あとは、スキマスイッチ/レミオロメン/7188/エルレ/テナー/ART/ブランキー/アジカン/ミドリカワ/時雨など、数えたらきりないけど、なんかそこらへんの所謂ロキノン系をいろいろ聴いて回ってた。十把一絡げにロキノン系で括るのは良くないかもしれないけど、なよいロックでインディーズから上がってきたのはだいたいロキノン系でいいんじゃないかなって今でも思っている。
この頃からだんだんとマイナーなバンドばかり聴くようになったため、メジャーどころはあんまり聴かなくなっていった。
「とりあえずガッツリ邦楽を聴いてから洋楽に行こう!」というなんだか良くわからない縛りを設けて音楽を聴いていた。
きっかけは忘れたけど、どこかの動画でミドリを発見して、後藤まりこYABEEEEEEってなったのが春先での出来事だったと思う。アドレナリンがヒルルク状態のままわりとすぐにライブハウスに赴き後藤まりこを生で見た。パンツが見えるとか見えないとかはわりとどうでもよかった。山本直樹画のTシャツをわりと愛用していたけど、大学卒業と同時に処分してしまった。もったいない。このあたりから、「ライブに行く」というのをちょいちょいやるようになる。
向井については、ちょうど向井秀徳が大好きな烈海王そっくりな奴がいたので、その影響でちょいちょい向井秀徳バンドのCDを聴いて回った。その関係でイースタンとかブッチャーズとかをヘビロテして回った。当時の心境を振り返ると、「アジカン?イースタンと向井のパクリじゃねーか!」というひっじょーに恥ずかしい理論を脳内で展開しており、脳内で展開するだけならまだしもmixiで毎日のように「◯◯はすごい、☓☓はクソ」といった日記を書いていた。すんごい恥ずかしい(ちなみに今はもう退会済み)。今思えば、イースタンもブッチャーズもナンバガも、夏の日の午後とか7月とか透明少女とかすっごいヘビロテしたし人にも勧めたい曲はちょいちょいあるのだけど、アルバムを通しで聴くとすっごいダレる。
どう贔屓目に見てもクッソ痛々しい中二病患者のクソ理論をmixiで展開しつつmixiで情報を拾うという蛇が蛇を食うような生活をしていたある日、ゆらゆら帝国を知ることとなる。経緯は忘れたけど、mixiで「このバンドがおすすめ」みたいなコミュがあってそこから知ったと思う。はねるのトびらにゆら帝の曲が使われていたのは、ゆら帝をちゃんと聴き始めてから知った。メタルとかフュージョンみたいにバカテクではないけど上手い演奏、なんだか良くわからない歌詞と歌、耳をつんさくギター、そして一グラムも人気になろうと思ってないルックスとビジュアル、どれもがやばくて、深夜、学校帰りに「なましびれなまめまい」の星になれたをアホみたいにリピートした。数年に1回くらいのペースで亀川ベースがすっごい変態的になるイメージだった。
もうここまで来ると流れがお分かりかと思うが、亀川千代が灰野敬二にそっくり、という流れから灰野敬二もちょいちょい聴き始める。「わたしだけ?」の捧げるが個人的にはスーパーフェイバリットなのだが、試しに友人に聴かせてみたら大不評であったため、このあたりから自分の音楽の趣味を人に言わなくなる。
そしてCasiopeaだが、亀田誠治って本当に上手いよね。って思っていたのだけれど、2chのスレを漁っていたら、もっと上手い人がいるんだ!?ってなって、どうやらこのテのスレで頂点に君臨するのは櫻井哲夫で、彼はCasiopeaのベーシストらしい、という流れでCasiopeaを聴き始めたのだった。だが、最初に見た動画はライブ中満面の笑みでチョッパーを連発しつつ客席に乱入する変なおじさんだった。このあたりから、所謂「フュージョン」というジャンルに手を染め始め、Jaco Pastoriusに出会うこととなる。
並行してなんかロキノン系もちょいちょい聴いてたけど、もういいや書くのめんどくさい。ベボベの例の動画からヤマジュンを知ってヤマジュンパーフェクトを買ってしまったのが大学生時代最大級の黒歴史ではないかと思う。
当時ジョジョを読んで、なぜか四部だけのスタンド名の元ネタバンドのアルバムを聴きまくった時期もあった。
あと、相対性理論の自主制作盤を買ったけど、見た目がすごくしょぼいCD-Rで、数年後売ろうとしたら「売り物なのか自分で作ったのかこちらでは判別出来ないから買い取れない」と言われたのは良い思い出だ。
Jaco Pastoriusについては多くは語らない。件の烈海王がやたらプッシュしていたので、聴き始めた。彼については、Weather Reportに加入するときも超上から目線で「君の音楽すごく良かったYO」「俺は世界最高のベーシストなんだZE」と言って門前払いされたのは最高にロックだと思う。その関係で、Sex PistolsとかJoy Divisionとか早世アーティストのバンドをやたらヘビロテしていた。
ゆらゆら帝国と灰野敬二は引き続き聴いていたが、ゆらゆら帝国はどうも昔のバンドのごった煮らしいぞという情報をキャッチしたので、このあたりからクラウトロック/プログレ/USパンクやらに傾倒していった。MagmaとかAmon Düülとかいろいろ聴いて、CANはすごくいいぞ、ってなって、当時海外で生活していたけども、ずっとCANの「Tago Mago」と「Ege Bamyasi」を聴きまくっていた。ダモ鈴木を愛でまくっていたし、けいおんのMMDでCANのPaperhouseとか出来ねーかなとか思ったものである。Thiefをヘビロテしながら就活して回った。
当時はやたらとけいおんが流行っていた。けいおんのメンバーはだいたい実在するミュージシャンの名前をもじったものであることは周知の事実だが、HTTのモデルであるP-MODELは知らなかったので、その絡みでP-MODELとヒカシューとPlasticsが競演している動画を見て、ヒカシュー、というか巻上公一YABEEEEEEってなって、オーガス02などを見て、アニメにハマり始めた。あと、テクノ御三家ってことで、YMOもちょいちょい聴き始めたのがこの頃だったと思う。
なぜ古代祐三にハマり始めたのかは詳しくは覚えていないけど、確か世界樹のサントラ動画を見たのが最初だと思う。そこからイース→ソーサリアン→スキームなどといろいろ聴いて回った。並行してファルコムのゲーム音楽にもハマっていったのを覚えている。
バレスタイン城の埼玉最終兵器アレンジのイントロがStratovariusのHunting High And Lowにそっくりとか、偉大なる試練がYngwie MalmsteenのFar Beyond The Sunのモロパクリであるなどといった理由から、ちょいちょいメタルを聴くようになる。
特に事故前のインギーのJet to Jetは本当に圧倒的で、音の弾幕がすごくて、なんだろうこの人、なんでこんなにいろいろ弾けるんだろう、すごいなあって思った。そんなある日のこと、たまたまハンターのアニメを見ていたらEDが思いっきしメタルで、バンド名もGalneryusで「あっ…」てなったりした。バイオリンの名前がバンド名って絶対メタルだよね。
そんなに数は多くないし、XとかIRON MAIDENとか超メジャーなところは意図的に避けてたけど、所謂ネオクラとかメロスピとかにカテゴライズされるバンドをちょいちょい聴くようになった。特にガルネリはANGEL OF SALVATIONあたりから入っていって、Silent Revelationを聴いたら「あれっ、ハンターの人じゃない」ってなって、YAMA-B超SUGEEEEEEってなってちょいちょいコミケでYAMA-BのCDを買うようになった。ジョジョ四部の主題歌はYAMA-Bやってくれないかなって今でも思う。
Jet to Jetの動画を漁っていたら、横山やすしみたいなおっさんが歌を歌ってるぞ!となり、Alcatrazzにハマった。比較的クリアなハイトーンボイスに慣れていた自分にとってグラハム・ボネットのだみ声は最初はハマらなかったけど、聴くうちに良いと思えるようになった。
やっぱり多くは語らないけど、「メタルといえば革ジャン」みたいな風潮にあって横山やすしみたいなリーゼント+スーツ+グラサンで自分を貫き通したところが最高にロックで、聴けば聴くほどハマる声と合わせて、最近のフェイバリットになっている。
振り返ってみると、なんかいろいろな音楽を聴いているなあって自分でも思った。ただ、mixiでクソ理論を展開しまくっていた黒歴史と相まって、自分の音楽の趣味をあまり人に語らなくなったし、ライブにもいかなくなったけど、かなり前から動画で気に入ったらアルバムはレンタルせずにお店かiTunesなどで買うというサイクルは徹底しているため、数多のミュージシャンに対して幾ばくか活動の足しにはなっていると思う。
これからどんな音楽が自分を待っているのか楽しみでしょうがないのです。
http://anond.hatelabo.jp/20150502164612
音楽きかず
小学校高学年
ミスチルにハマる。
父親にLed Zeppelin セカンドアルバムもらう。聴く。ハマる。
父親に雑誌ロッキングオン(日本のじゃなくて洋楽の)を教えてもらう。
Nirvana直撃。ハマる。
Radiohead直撃。ハマる。OK Computer、KidA、アムジーニアック辺りは良さが分からず放置。二年後くらいにハマる。
ロックンロールリバイバル特集で、strokes,White Stripes,リバティーンズとかやってた気がする。
メタリカ、ガンズ、レッチリ、クラプトン、レイジアゲインストマシーン、ビョーク、BECK、NIN、シガーロス、Muse今でも聴く。
グリーンでイ、リンキンパーク、ハマるがすぐ飽きた。もうあまり聴いていない。
エミネム、ボンジョビ、ジェフBECK、ディラン、Who、ボブマーリ、全然ピンとこず。今でもあまり聴いていない。
コールドプレイ、ハマる。2nd聴きまくり、今でも2ndが一番すき。
オアシス、ハマる。1st,2nd以外評判よくなかったが、実際聴いてみても微妙だった。1st,2ndは凄い。
ネットで名盤ランキングみたいのがあったら、そっからアルバム借りて聴いていくスタイルに。
ミスチル熱はまだあったので、全アルバムを買うが、気がついたら全然聴かなくなる。
なんかかっこつけたくなり、クラシック100というベスト盤を借りる。
ピアノ好きだなーと思い、ショパン集める。ついでに有名なんでモーツァルト集める。
なんかかっこつけたくなり、ジャズを聴き始める。ジャズ雑誌やらジャズ本やらで知識を集めて、ジャズの名盤を20枚くらいツタヤで借りる。ハマる。
アニメを見る奴を見下していたが、アニメにEva破でハマる。アニソン少しずつ聴き始める。アニメのサントラ、ゲームのサントラとかも。
大学で中学高校のときハイスタ流行ったよなーとか、の話題についていけず。一応そこらへん後から聴いたけど、悪くないけど、ハマらず。時代かなあ。
ホルモンとかエルレガーデン、ワンオクなんかは好きかも。でも、好き止まり。ハマらず。
あーアニメのMADでよく使われてたPerfumeとかハマった。capsuleも。カプセルのほうが好きかも。メロディーしっかりしてて。
ゆらゆら帝国とかナンバガとか国内バンドの有名なのは、今度借りてみようかなあと思ってるが。。
音楽より優先順位がアニメやらサッカーやらになったため、手つかず。
ああ、サッカーのプレイ動画って洋楽かかってるから、そっから発掘したりも。
あーあと、今の売れ線?リアーナとかアデルとかニーヨとかそういうの?は正直こない。カーペンターズみたいなもんかね。Youtubeの再生数凄いよね。
プログレはフロイド、クリムゾン、イエスと良さが分からなかったが、ジョジョのアニメで使われていて、ちゃんと聞き出したらイエスにハマる。これは割と最近か。
あとは、好きだけどそこまで聞き込まなかった。プログレじゃ一番イエスがキャッチーで聴きやすい。
好きなバンドを挙げよと言われたら、
Led Zeppelin,Nirvana,Radioheadかなあ。ベスト3。全アルバムがっちり好き。Radioheadの直近の一枚は苦手だが。
洋楽どうこうより、ハードロックが好きなのかも。Led Zeppelinに耳をかえられた。T.Rexとかブラックサバスと凄い好き。クリームとか。
そういう好きな音楽はこれ!!っていう軸があるからか、中学のときに聴いた音楽が一番で、それ以降はそれを超えるものには会えないよ、とかいうのとは無縁。
音楽に関しては。ゲームなんかは青春時代のやつが一番で、今のゲームに面白さを感じなくなった。
最近だとDeep Purpleベスト盤とライブ盤しか持ってなくて、なんてつまらない単調なロックなんだと見下していたが、普通のアルバム聴いたら凄いよかった。
あと、イギリスのロックの方が好き。アメリカのは苦手なことがわかった。ボンジョビとかスプリングスティーンとか。ああいうの。
ここ最近のバンドで好きなのは、Vintage Trouble,Alabama shakes。たしか、、はてなのどっかのブログで見てハマった。
iTunesには全部で17000曲。評価1-5で5評価は5000曲。その5000をメインに聴く。
こんな感じですかね。
少しおっさんになりかけな年齢なので、記憶があやふやなんで時系列ぐちゃぐちゃかも。
ああ、質問ちゃんと見ないで答えてたわ。
ソウルミュージックならオーティス、マービンゲイ、アレサフランクリン。
レゲエならボブマーリ、あんま合わなかったけど。
エレクトロにか、プロディジー、プライマル、マシッブアタック、クラフトワーク、ジャスティス、ベースメントジャック、ポーティスヘッド、ディスクロージャ、アニコレ、オウテカ
アンビエントだと、ブライアンイーノ、オーブ、ピーターガブリエル
なんつーか、有名どころばっかロッキングオンで紹介されるし、アルバムランキング100とかから聴いていくから、有名どころばっかだね。いいのかわるいのか。
昔、HUNGRY DAYSというバンドがいた。
wikipediaによると、
2003年、TEENS'MUSIC FESTIVALに出場し、ティーンズ大賞を受賞する。大賞受賞曲となった「明日に向かって」でメジャーデビュー。さらに、映画「ビートキッズ」のオーディションを受け合格し出演している。元気で飾り付けないストレートな歌詞が魅力。若いリスナーにメッセージを送り続けていたが、2006年春に解散した。
この「明日に向かって」が流れていたのが僕とHUNGRY DAYSとの最初の出会いだった。
【LIVE】HUNGRY DAYS 明日に向かって ‐ ニコニコ動画:Q
「あーメンバー僕と同い年なんだなー」
「なんじゃこのゴイステみたいなサウンドは」
「うわー青いなーほんとうに青いなーこいつら」
とゲンナリしつつも青春だらけの歌詞と曲に魅かれていった僕は彼らの曲をヘビロテしまくっていたのを覚えている。
曲がやたらとゴイステに似ているのは、今は亡き公式サイトによるとメンバー全員がゴイステ好きだったから。
とは言うものの、高校を卒業してから彼らの曲は聴かなくなり、気付いたら解散していたのをwikipediaで知った。
バンドを解散した後メンバーが何をしているのかさえ分からなかった。
とは言うものの、1年に1、2回くらい「こんなバンドがおったなー」って感じで曲を聞いていたりしていたわけだが、
昨日ベースの人とイケメンドラムの人が女性ボーカルを迎えてバンドを組んでて「ポストいきものがかり」と呼ばれて
ブレイクし始めている事を知った。昨日のドラマの主題歌歌ってるし。
それはもうびっくりである。閃光のようにバァっと光ってひっそりと消えていった人たちが、今こうして
彼らを見ていると、デビュー時期とかは微妙に違うけど、ほぼ同年代のBase Ball Bear と RADWIMPSを思い出す。
ゴイステの影響を受けまってたHUNGRY DAYS。
ナンバガの影響受けまくってたBase Ball Bear。
早々に解散してしまったHUNGRY DAYSと違い、ベボベとradは今でも活動を続けているけど、
ベボベはなんだかスタイリッシュヒカシューみたいになっているし、
radは色恋まみれのBUMP OF CHICKIENみたいになっている。
思い出は変わらないけど、人って本当に変わるもんだなあとしみじみと思ってしまったのだった。
知人と帰りに世間話をした。クロマニヨンズが好きらしく、「へー、ロック好きなんだ」と言おうとして思いとどまる。
自分も邦ロックは割りと好きだ。ナンバガなりシロップなりその他もろもろ、近ごろのには疎いが結構聴いてる方だと思う。
ただ、邦ロックを「ロック」と言い切ってしまうのには抵抗がある。
結論から言ってしまえば、邦楽だろうと洋楽だろうと「ロックやってる」って言うなら「ロック」なんだと思う。「ロック」っていうのは姿勢みたいなもんだろうし。
けれど洋ロックの方がクオリティの高い楽曲が多くて、洋ロック最高邦は糞みたいな、「ロック」っていう「権威」を邦ロックに与えるのは憚られる、という気持ちが自分の中にある。
ナンバガもシロップも、紛れも無く「ロック」だとは思うんですよ。でもそれを他人に伝えるのは恥ずかしい。邦ロックしか聴かないような友人にもやはり躊躇われる。
これは一例でしなかない。マンガだって小説だって面白い理由を伝えることができない。議論なんてもっての外だ。自分は定見を何一つ持っていない。
邦ロックを「ロック」と呼ぶことが躊躇われるのは、定見を持つことで自分が間違うことを恐れているからだ。そして定見を持っている人間を好きな位置からあざ笑うためだ。邦ロック好きに対して「洋ロック最高邦は糞」であることを俺は知っているのだよと、内心ほくそ笑み、安堵するためだ。大して聴きもしないくせに。
定見を持たなければ自らの「無教養さ」を恥じる必要などない。しかし「無教養さ」をひけらかすきっかけもまた定見なのであって、そのためだろう、自分は自ら語り出すことができない。
他人の言葉に相槌をうち、それなりの返事をすることはできるが、自分から話題を提案することは殆ど無い。根は明るい人間であっても、その明るさが発揮されるのは話しかけられてからだ。こうして「話しかけられてはしゃいじゃってるキモオタ」が完成する。
そうした自らの定見を持たない姿勢は、自信にまで波及する。
世の中のわからず屋たちは何故あんなにも無根拠な自信に満ち溢れているのだろうと思っていたが、今になってようやく分かった。彼らには他者から影響されない確固とした信念が、定見が存在していて、それが自信の源なのだと。自信は定見に依存するのだと。筋が通っていなくても彼ら自身は納得しているのな。
俺にとって自信というのはいずれ瓦解してしまうものだという諦観がある。物分りの悪い彼らの表面だけを見て「バカな奴らだ」と忌み嫌ってきたのだ。わからず屋になることを恐れたのだ。だから俺は「物分りの良い」定見を持たない人間になった。恥を書きたくないから全てをふんふんと頷いてしまうような人間になった。
賢人というのは物分りがいいが、同時に確固とした信念を持ち合わせているのだろうな。その下にはわからず屋がいて、一番下に俺がいる。
死んじゃうのがかわいそうだからペット飼わないんじゃダメなんだよな。糞のこと考えて寿司は食わないもんな。邦ロックは「ロック」だと言え。マンガの、小説のここが好きで堪らないのだと伝えろ。わからず屋になるのを恐れるな。
そうすりゃ自信もつくだろう。
けっこう話題になったサブカル系ブログで音楽何が好き?と聞かれたら
くるりと答えておけば安牌みたいな話があって、あるあるネタとして受け取ったんだけど
自分なりにそのあるある感の仕組みを考えてみてちょっとこれはいかんなと思った
あまり音楽を知らない人とサブカル系音楽好きの中間地点より少しサブカル寄りサブカルの入り口あたりにくるりがいることじゃないかな
それを他人に説明する煩わしさとそれによって得られる成果の期待度の高さ
そしてサブカル好きの自分のセンスに対するプライドとそれに対する対外評価を計りにかけて
彼女たちの最小公倍数兼最大公約数、妥協点兼試金石として丁度いいところにいるくるりの名前を出すんだと思う
それがわかるからこそ、そのあたりしか聴いてない人のことを
ミーハーサブカルやヴィレバン厨と言って揶揄する人もたくさんいるわけで
でもそれはそれを揶揄してるもっとマニアックな音楽を聴く人や聞かれる側のアーティストにも当たり前のようにあるわけで
いわば音楽におけるセンス競争にアーティストもリスナーも驚くほど様式的な形で参加してしまっている
たとえば2chの音楽スレでよくあげられがちな面々ビートルズやフーから始まりミッシェルゆら帝ナンバガ村八分toeガスターデルソル武満徹などなど
自分の嗜好と対外評価を計りにかけその中で一番センスがいいとされる
いわば無難なアーティストをこぞってあげた結果一里塚のようにぽつぽつと偏りが現れてくる
センスのよさ競争で外し要素は重要だがセンスの良い外しかたというものが漠然とあってそこからさらに外れたものは叩かれる
だんだんコツをつかむとより危険牌に近い安牌がわかるようになるから安全にスタンドプレイもできるようになる
一見このバンドは○○だが、こういう視点から見ると○○で面白い式の
当然みんな単純に好きだから聴いてる部分がほとんどだろうからそれだけに
自分の中のそれをやっつけるべきかどうかは未だにわからないけど