はてなキーワード: トタンとは
お盆に田舎をドライブしたのだけど、信号待ちで少し衝撃的な住宅団地を見た。屋根はコンクリート瓦で、外壁は錆びたトタンと木造の戸箱、汲み取り式トイレの煙突が基礎のマンホールから出ていて、築50年はたってそうなボロ屋の1階建てが、10軒くらい並んでいるのだけど、うち2軒には人が住んでいるようだった。とても人が住めるような住宅には見えないのだけど、これは健康で文化的な最低限度の生活と言っていいのだろうか。ここに住んでいる人はそれで満足なんだろうか、役所の人はこれで問題ないと思っているのか、地元の議員は、などと思っていたら信号が青になって走り出した。住んでいるのはきっと老人なのだろう。建て替え交渉が難しいのかもしれない。予算がないのだとしたら将来はどうなるのかと、少し心配になった。
3億円募金で見事に炎上した西野。俺は彼を見ていると悲しい気持ちになる。
10年前のM-1グランプリ2007。結局3位で優勝できなかった西野は終わった後泣いてた。俺もDVD見てちょっと泣いた。
本当に笑いに対して熱い男なんだと" あの時は "思ってた。今や漫才熱は完全に冷め切ったように見える。
ただ、他の炎上芸人と違って俺はまだ西野で笑ってた。そう。「ゴットタン」である。
すっかりイジられ芸を確立させてしまった西野をゴットタンは見事に、というか劇団ひとりが見事に料理していた。見事に服をビリビリにしていた。
皆は考えたことないと思うが、順当にお笑いをやっていれば3億円を稼げる男だと思う。たとえ吉本だとしてもだ。
ただ紆余曲折があまりにも捻じ曲がった所に着地してしまって反吐が出るような3流以下タレントに成り下がってしまった。
一番悲しいのが「募金しない奴は下衆」の部分。
この言葉、どれぐらい本心か分からないが、読者を煽るために付け足したとしか思えない。
彼のことを思いながら僕はレジ横の緑の箱に100円玉を入れた。
向こうも結婚しているから、こちらも遊びでいいのだけど、向こうが独身になっちゃうとなんだかリアルになっちゃって。
こちらは家庭壊してまで向こうと添い遂げる気もないのだけど、向こうからすると何かの順位の第一位に据えられてしまったりして。
頼られても困るのだけど、夜に不安だとかさみしいとか電話がかかってくる。
口で、こちらは離婚する気ないからね、と念押しするんだけど、それでもいいと言うその目がどう好意的に解釈したって危ない光をたたえていたりする。
だからってフェードアウトして連絡を全部無視しても自爆されたりすると厄介だから、一気に切ることもできず、たまに会ってセックスして、それでいて向こうの順位第一位が他の人になるのをなんとなく待ちながらズルズルと甘くてさめかけた関係を続けていく。
まあ、こちらの白けた雰囲気は伝わって、だんだん向こうも冷めてはいくんだけど、並行して新しい不倫相手を探すために既婚者にあたりを付けながら、再婚した前の不倫相手にも連絡を取ってみたりして、たぶん世界と自分は6:4で自分のほうが悪いのだろうと思いながら、子供たちの成長も期待している。
こうして欝々として文章をつづるのも、きっと四割方、悪い世界のせいなのだ。
という妄想。
https://www.youtube.com/watch?v=fxyhfiCO_XQ
先進国の人々がネットに書き込んだ「ぜいたくな悩み」を、貧困国の住民らが無表情で暗唱する。
米NGO(非営利組織)が流す60秒間の広告ビデオが、インターネット上で大きな話題を呼んでいる。
このビデオは、途上国の飲料水確保に取り組む「Water is Life(WiL)」が、
活動への支援を呼びかける目的で公開した。先進国のぜいたくな悩みを
西半球で最も貧しい国のひとつであるハイチの住民の口から紹介している。
1人の男性がトタン屋根の小屋の前に立ち、「年収一千万の俺が一番税金で苦しんでいる」と唱える。
「保育園落ちた日本死ね!」と話す少女の背後には、川の水で洗濯する女性の姿が見える。
コンクリートの階段に座った少年からは「フェミが俺の内面の自由を奪おうとしている」というせりふ。
雑種の犬というのは大変すがたがよくない。
「雑種でも可愛い犬はいるよ」という声がある。確かに小型犬のミックスとかいう純血と純血の組み合わせは人気がある。可愛ければ。
しかし、中型犬以上の雑種というのは本当に可愛がられていないし、醜い容姿だ。
京都で古い木造住宅に住むジジババに雑に外で飼われている醜い雑種の犬を見た後、家の中で大切に飼われている黒柴犬を見た時は強烈な格差を感じた。
しつけや去勢などもあるのだろうけど、黒柴犬は人間に懐いているし、愛想を振りまいている。しかし、雑に飼われている醜い雑種の犬は吠えるだけだ。
黒柴犬は自分が可愛い姿で人から愛されているのがわかっているように、雑種の犬はその逆にみえる。
そのマンションから太い道路を挟んだ先にはトタン屋根の汚い家があって、それまた雑に飼われている雑種の犬がいた。
可愛くない姿をしていたし、吠えてばっかりだった。
ある夜、幼い自分は眠れず、太い道路をみていると、毛色がものすごい汚い、野良犬が足をすこし引きずって飼われている雑種の犬の前まで歩いてきて止まったのだ。
すると、飼われている犬は野良犬にものすごい勢いで吠えたのだ。吠えられた野良犬は、飼われている犬を通過して、またどこかへ歩き始めた。
子供のときは野良犬がかわいそうと思ったが、今は一番恵まれている犬というものを考えるようになった。
部屋の中で大切に大切に飼われているダックスフンドやらには、全く関係ない世界だ。
あの犬は雑種の盗まれる心配のない価値のない犬であるため、野良犬と遭遇したのだ。
犬というのは容姿である程度の一生が決まっている。醜く生まれたら負けなのだ。
人間もある程度そうかもしれない。
http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51386082.html
人によって求める条件は違う。自分が何を重視するのかはネットのどこにも載っていない。ネットを参考にして、「自分は」何を重視するのかを考えるべき。
→ネット上で送信ボタン押したとたんに鬼のように電話がきてすげー迷惑。うざい。利用してよかった引越業者は? 口コミ評判比較ランキングでピンポイントに見積もり頼んだ方がいい。自分の場合はフクフクにした。
→待機時間(積み込み後、引越先に自分より先に業者が到着した場合に、積み下ろしを始めるまで業者が待機する時間)が30分作業員一人あたり1500円とられたから、そんな感じで最初の見積もり価格以外のお金がかかる場合があることに注意すべき。ちなみにフクフク。あと高速道呂料金も別途かかる。とくに遠距離だったら待機料金はでかくなる可能性大。
→室外洗濯機置き場は想像以上に神経をすり減らす。雨に濡れたりとか。
→屋根がある場所に置けるかどうか。都心部では交通手段の命綱だから。外置きがいやで、仕方なく2階まで上げてる。
→あったかいものがすぐに食べられるかってすごく重要。外食も飽きる。コンロ、レンジ、ポット、ケトルとあったかいものが何も使えない状態だと、スーパーに行っても惣菜しか見れない。しかも冷えた惣菜を食うはめになってすげーみじめ。
→LEDシーリングライトとか事前に用意しとくべき。夜は本当に想像以上に真っ暗だから何もできない。特に冬は。
→大家の家が道路に面してて、その後ろにあるアパートなんだけど、すごい地味に不便。道路に面してるところからさくっと階段のぼって部屋まで行けたりっていう方がよかった。
→事前にある程度わかっていたとはいえ、やっぱり実際に暮らすとなるとダメージ累積が結構でかい。よく電車使うなら軽視すべきじゃない。
→休日とかにセッティングとか合わせてやるべき。パッキンが壊れててすごい水が噴出して使い物にならなくて平日夜にSEIYUまで買いに行ったのはめんどくさすぎた。1回もやったことないと意外と難しい(?)ものだった。
→布団干ししかり、日中の生活しかり、全然印象が変わってくる。
→寒い。
→東京ガスはクレカ払い、東京電力、水道は口座振替割引がオトク。
→都心は大家との距離が近い物件が多い。イコール、便利なところもあるかもしれないが、気を遣うというデメリットの方が圧倒的に大きくなるから要注意。大家が良い人だったら結果的にOKかもだが、面倒くさい大家だったら簡単には取り返しがつかない。
→剥がれかけていないか。立て付けは大丈夫か。閉めたときにスキマはないか。開け閉めするときにスムーズにいくか。
→コンロ・食材を切る場所・水道という順番になってるか。コンロ・水道・食材を切る場所というふうになってると、鍋を火にかけた状態で切った食材を追加するときに距離が遠くてイライラ。自炊する人は要注意。
→他のもので住所変更が間に合わなくても、郵便の転送さえしとけば届く可能性がグンと上がる。とりあえず引越の日程が決まったら即郵便の転送手続きをする。ネットからもできる。即反映されるわけではない(10日くらいかかると言われた)から、これは本当に早めにやるべき。
→荷物が少ないからとかで収納がない物件にするのはやめたほうがいい。まず布団袋がかなりでかい。これが常に部屋にあるだけでかなりのスペースを食う。あと引越の荷造りをするとダンボールの箱数も予想外に多いことに気付かされて後悔するパターン。カバンひとつ+アルファが相棒さ、とかいう人には収納なくてもいいかもだけど、よほど荷物が少ない自信がない限り、収納の有無にはこだわるべき。
→食べ物のニオイ、冷蔵庫のブーンという稼動音は地味にストレスになる可能性が高い。神経質じゃなければ問題ないけど。
→大きければいいってもんじゃない。不動産屋は「明るい」ってメリット言ってきたりするけど、東京なら窓の大きさ=寒さと言っても過言じゃないくらい寒いので注意。九州出身だから東京の寒さに驚いた。まだ未体験だけど、窓の大きさ=暑さというふうにもなるかもしれない。
→強風時にすげーうるさい。階段の屋根とかがトタンだったりしないか注意
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
妻は、悲しんだり喜んだりする感情が薄い。ほぼ無いといっても言いぐらいだ。
結婚してから10年以上になるが、涙を流しているのを見たのは1回だけ。
おいらが結婚して仙台から静岡まで嫁を連れていくときに、途中の福島のホテルで夜に「帰りたい」と言って泣いた。
それだけ。しかもそれもほんの10秒程度で、すぐにいつもの嫁に戻っていた。
喜んでいる所さえもほとんど見たことがない。
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妻は実は苦労人だ。
小さいころ両親が離婚し、父親側についたが、父親も飲んだ暮れで女遊びや博打がひどく
多額の借金を抱えている。
おいらの会社がだんだんと大きくなってくると、何度も無心をしてくるような輩だ。
そんな状況だから嫁は学生時分から兄弟3人を半ば養っていたに近い。
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いつ寝てるんだ、という生活を8年近く続けていた。
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嫁は飲んだ暮れのおやじと二人で滅入っていた。
嫁はおいらが何とかしなきゃと思い、結婚を申し込んだ。
ろくすっぽ付き合ってもいなかった。
嫁はうんともすんともいわなかった。
しかし一緒に来てくれた。
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その後だって、好きとも嫌いとも言われたこともない。
嫁に言わせりゃ、自分を取り巻く環境が変わり、生活のために結婚した、というが
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昨晩、嫁のおかあが無くなった。
癌だった。
嫁は二人の小さい子供をつれて、木曜日におかあのところに新幹線で行った。
基本的に連絡もほとんど取り合わないおいらたちの間だが、
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おいらは体調が優れずかつ仕事に追われていたので、特に返事をしなかった。
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そしてその日の夜、突然亡くなった。
夜中の2時56分ごろに電話がなり、不眠症もちで寝れずにもたもたしていたおいらはすぐにピンと来た。
「おかあ、亡くなったから。それだけ」
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嫁はおかあのことだけは、この世で慕っていた。
おかあおかあといつも言っていた。
おかあの面倒を見たいと、柄にも無いことを言っていたことさえある。
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おいらは今、新幹線に乗り、嫁の亡くなったおかあのところに向かっている。
おいらは感情のない嫁を何とかしてあげたいと思い続けている。
おかあもそれをおいらに言いたかったんだと思う。
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2ヶ月前に癌が宣告され、最後の旅行と言うことでおかあをつれて嫁含めて旅行に行った。
おかあは、おいらがそこそこの会社で働き、家も購入し、安定していることに深く感謝していた。
ただただ泣きながら嫁をお願いされた。
嫁は何でこうなってしまったんだろう、と後悔の念も口にしていた。
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でもそれは本心で、いつか嫁が心から笑ったり心から感動して泣いたりしてくれるよう
おいらは妻が安心できる状況を作りだすんだ。
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おいらはおかあにそれを約束しに行く。
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ありがとう、おかあ。
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ーーーーー
おかあは冷たくなっていた。
おかあは本当に亡くなってしまっていた。
おいら、おかあに謝りたいことがあるんだ・・・
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おかあは貧乏だった。
おかあは離婚後、よせばいいのに飲み屋で知り合った男性と一緒に暮らしていた。
いい人だったが、お金は全く稼いでこなかった。
おかあは毎日、せこせこせこせこと新聞配達や清掃のパートで働いていた。
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おいらも嫁もおかあが人と仲良く話しているのを見たことがなかった。
どちらかと言うと気が強く、
平気で近所の人と喧嘩するぐらいの威勢の良さだった。
それはそれで格好良かった。
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おいらはおかあのことが好きだった。
しかしおいらは正直、おかあの家に泊まるのが嫌だった。
おいらは全く心が休まらなかった。
言葉は悪いけど、おかあの家で出された食事も気が進まなかった。
嫁がおかあの家に泊まりたい、というと
おいらは何かしら理由をつけて遠ざけた。
嫁はそんな気を察して、おいらに不満をストレートにぶつけてきた。
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2DKの広めのアパートだったが、やはりおいらは泊まるのがいやだった。
広さの割りに家賃がべらぼうに安く、住んでいる住民たちもおかしな感じで、
遊びに来ているおいらたち家族に、聞こえるようにいやみを言ってきたりした。
壁もヒビだらけで、お風呂は今にも崩れんばかりであった。
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おいらはおかあを心のどこかで遠ざけていた。
それは、貧乏だったり、家がぼろかったり、汚かったりという理由だった。
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しかしおかあのもとには、80名以上の方がいらっしゃってくれた。
おかあは孤独ではなかった。
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嫁の弟が大きな声で呼んできた。
「おかあにお別れの言葉を読んでくれる人が来たよ!」
そんな人いたんだ、と皆驚いた。
物静かで清楚な感じの女性だった。
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「私によくお孫さんの話をしてくださいました。」
「二人目のお孫さんが生まれたあと、少しでも孫が来やすい様にと、広めの家に越されたんです」
・・・・・。
おいらは号泣した。人目をはばからず大きな嗚咽を出して泣いた。
おいらは雷に打たれたような気分になり、自分の気持ちと態度を恥じた。
おいらはどれだけバカなんだ。。
おかあはおいらたち家族が来てくれることを、何よりも楽しみにしていたんだ。
それなのになぜ、相手の気持ちも汲み取れず、自分の気分で判断をしていたんだ。
人間としてクズだ。本当に情けない。自分が許せない。。。ばかだ!ばかだ!ばかだ!!!
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そしてお葬式が終わった。
とにかく一からやり直さないといけない。
人として、おかあのように立派な人間にならないといけない。
こんなんで妻のことをきちんと養っていけるのだろうか?
小さな子供を立派に育てることができるのだろうか?
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そのなことを考えているうちに、ふと現実に戻った。
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おいらは嫁に聞いた。
嫁は抑揚のない声で淡々と言った。
「おかあは、葬式代もお墓も住んでいた家の整理も、その他すべて自分で整理して死んでいった。
おいらは再び号泣した。
だっておかあはお金もないのに、日雇いのお酒好きを養っていたんだよ。
なぜできたの?
おいらだったら延命したいとしがみついて、自分の亡き後のことなんて考えられないよ。
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おいらはもう一度やりなおす。
おいらは会社で若くしてそれなりの立場となり有頂天になっていたのだ。
おいらは新しいマンションを手に入れて、身の丈以上のモノや環境を手に入れていただけなのだ。
おいらは変わる。
おいらはおかあの前に自信を持って出れる人間になる。
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おかあ、ごめんなさい。
そして本当にありがとう。
全力を出すってことは快感なのだな、と思う。
全力で生きている人が輝いていて、気分がいいのは当然だなと思った。
楽しんでいる人が輝いているのもそりゃあそうだ、と思うので。
全力ってのはなにもそんな人生単位だけでもなくて、身の回りのことでも全力の瞬間は必要だと思う。
カラオケに行って声を枯らすほど歌い続ければ挑戦すれば楽しくてストレスなんかぶっ飛ぶ。
限界まで酒を飲めばそりゃあ心から酔って次の日のことや二日酔いのことなんて遙か彼方だ。
何かに対して、無我夢中で、他のこと考えられなくなるくらいにぶち込めるその感覚が僕らのエネルギー源になる。
二の次言わさず、現在の優先順位マキシマムを尽くせる対称、それに対して全力になることができるならばその瞬間自分は輝いて見えると思う。
そしてその時の俺を見た周りの人は、俺を素敵だと感じるだろうな。
例えそれがどんなにも生産性が無くて、全くの自己完結な事物だとしても。
全力で何かに向かうことはもう嫌になるくらい素晴らしいのだけど、なかなかそんなことって見つからないよね。
力の限りを尽くした結果満身創痍になるならそれはそれで構わないけれど。
だから「全力で生きている」とか「毎日全力」とか本当に憧れるのだと思うのさ。
そう思っていたバイト帰り、俺は無性に全力で叫びたいと思ったけれど午前1時の住宅街でそれをすることは許されないし、人の目もあるし。
仕方ないからコンビニで350mlの発泡酒を買って全力で飲み干して、その缶を思いっきり投げた。
缶ビール1本はこの悶々とした気持ちを吹き飛ばすには全然足りないし、投げた缶は力みすぎて全く見当違いの方向の民家のトタンの壁に乾いた音を立てて当たって、落ちた。
気持ちは晴れずにこんなことを書いている始末だけれど、少しだけいい気分になったかもしれないな。
萌えは個人の趣味趣向にすぎないかと。逆にそれに過ぎないものがひとり歩きしてる感じもするな。テレビなんかで。
田舎に旅行行って、田んぼの横とかにトタンで囲まれた無人自動販売機があっても誰も好んで話題にしようとはしないでしょ。むしろ見えてないという前提で
とか空々しいこと言うでしょ?日本人だけが、目の前に見えてるものなんだけど、それが邪魔だったり都合が悪かったりすると見えないものとして扱うことができる、などと東洋史学者の貝塚茂5が笑いながら対談してるのをどこかで読んだ記憶があったりしますが思い出せません(苦笑)もしかしたらケガレ思想とか被差別部落の問題かなにかを扱った本だったかもしれないですが。まぁそれはともかく、いくらトタンの中で売られているものが
「これはとても素晴らしい出来なんですよ」
と言われて手渡されたりなんかしても、フツーはまず目をそむけますよね?なにが素晴らしいのか?それがズリネタで使用するおっさんの求める文脈や目的に限っては、素晴らしいからだとわかるからです。他の用途で素晴らしさを見つけるのはまことに骨ですから。マルセル・デュシャンみたいに前衛美術です、っていきなり美術館に洋式便器がゴロンと置かれたりしても困るじゃないですか(笑)それと同じで。
http://anond.hatelabo.jp/20090318024902
誰かさんにニッキョーソというがっかり命名をされた仔犬は、私との邂逅以来、ブクブク肥え続けている。
曇天のあの日、公園で、か細く啼いたあのイキモノをお持ち帰りして以来、
あの小憎たらしいモバゲーのマキも、メルマガという名の産業廃棄物を押し付けなくなった。快適快適。
これではまるで、マキ避け目的でニッキョーソに鶏肉の水煮缶を与え続けているみたいだ。
お前の食費のせいで私は、ささやかな楽しみだったファミチキを我慢しているんだ。
それをこいつは分かっているのだろうか。 こやつめ、ハハハ。
恨めしいような羨ましいような気持ちで、ニッキョーソ唯一の取り柄であるふあふあの耳毛を撫でる。
こら、目を細めるな小首を傾げるな体をこすり付けるな。
私と暮らし始め、見違えるように毛並みが良くなった犬を眺めながら、思いがけず自分の頬筋が緩むのを感じた。
…相変わらずヨダレすっごい出てるけど、これって躾するべきなんだろうか。
ミヤネ屋を観ながら上の空で自宅を警備していると、トントン、と錆ついたドアが向こう側を敲かれる音がした。
ベニヤとトタンで構成されたボロアパートだ。響くから。ちょっとの衝撃で響くから。
はいはい今ドア開けますからもうノックやめてくれーと心の中でこぼしつつ、錆びたドアノブを回した。
「久しぶり増田さん。マキです。」
へ?
「え、と。どちらのマキさんでしょうか。」
「あはは、やだな増田さんてば。3ヶ月連絡しなかったぐらいで忘れないで下さいよぉ。」
「モバゲーの、マキです。」
「モバ…?」
こういう時なら当然の反応をさせてもらおう。
状況を飲み込めず鳩に豆鉄砲フェイスでフリーズする私と、部屋の奥からトコトコ出てくるニッキョーソ。
「あ、ニッキョーソじゃない。おっきくなったねえ! 増田さんにここまで育ててもらったんだ。」
…なんでこの女、ニッキョーソの名前知ってるんだ? 私の名前はともかく、この毛むくじゃらヨダレ団子の名前を。
頭がガンガンする。混乱して思考を展開できない。記憶を辿れない。
さっきまで満面の笑みで仔犬を撫で回していた自称モバゲーのマキが再び口を開く。恐ろしいほどの無表情で。
「ねぇ増田さん、明日からあなたが "次のマキ" になることが決まりました。」
それだけ言って彼女は、私の左肩をポンポンポン、と3度叩き、「それじゃ。」私の部屋を後にした。
踵を返す瞬間、彼女は口角をつり上げ奇怪に嗤ったように見えたが、真相は毛むくじゃらヨダレ団子のみぞ知る。
結論から言うと女でも一階に住めないことはない。
前に住んでいたところが山手線内のアパートで大通りから一本通り入った,だけどそれなりに交通のある道路に面したところだった。
木造で築35年だったかな。学生だったので結構汚いところだったんだけど周囲にアパートや一軒家が密集しているところで,常に人どおりがあるという感じ(夜中の三時過ぎても人が歩いてる)。
泥棒・空き巣などはなし。洗濯物はあまり外に干さなかったがほしてもとられたことはなかった。ただ,道路に面してる窓のところには自分で目隠し用のトタンを張り付けて,ドアというドア,窓という窓に鍵を増設したよ(よく窓が閉まらなくなって工務店をよんだりもしたが)。
壁があまり厚くなくて,常に人の目があって互助意識の強い,あるいは自治会がきちんとしているような地域であれば女子でも一階に住めないことはない(その地域は冬の間は町内会で火の用心の夜回りをするようなところだった)。隣に大家さんがいるならそれなりに防犯にも気をつけてくれるだろうし,ちゃんと交渉すれば鍵も増やしてくれると思う。入れそうな窓にはことごとく入りにくいような工夫をしといた方がいいと思うけれども。
ところで自分はそこを引っ越したんだけれども,理由は自分が入居する前に入ってたらしい空き巣が捕まったってので警察が来る→そんな話聞いてないんですけど→大家さんに対して不信感というので引っ越した。安心できる,信頼できると思うのならまぁ,たぶん住める。でも少しでも不信感ができてお金ができたなら即引っ越すことをすすめる。常に気を張ってるのはやっぱり疲れるよ。あともう出ないだろうな,と思ってももう一軒だけまわってみるとこれだ!と思う物件に出会ったりするから一応引っかかってるところがあるならできればこの物件にしようかとは思うのだけれども,と前置きをした上でもう少し見せてもらうなり別の不動産を当たってみてもいいかも。昔から地元にあって免許更新回数がものすごい多くて,持ち物件の多い不動産屋だったりすると案外いい物件が安くで転がってたりするし,大家さんと直接交渉して安くしてもらえたりする場合もある。もうすでにそういうところをまわっているというのなら余計な御世話かもしれないけれども。防犯はね,やっぱり気になるよね。