2010-03-23

全力を出すってことは快感なのだな、と思う。

全力で生きている人が輝いていて、気分がいいのは当然だなと思った。

楽しんでいる人が輝いているのもそりゃあそうだ、と思うので。

全力ってのはなにもそんな人生単位だけでもなくて、身の回りのことでも全力の瞬間は必要だと思う。

カラオケに行って声を枯らすほど歌い続ければ挑戦すれば楽しくてストレスなんかぶっ飛ぶ。

限界まで酒を飲めばそりゃあ心から酔って次の日のことや二日酔いのことなんて遙か彼方だ。

何かに対して、無我夢中で、他のこと考えられなくなるくらいにぶち込めるその感覚が僕らのエネルギー源になる。

二の次言わさず、現在の優先順位マキシマムを尽くせる対称、それに対して全力になることができるならばその瞬間自分は輝いて見えると思う。

そしてその時の俺を見た周りの人は、俺を素敵だと感じるだろうな。

例えそれがどんなにも生産性が無くて、全くの自己完結な事物だとしても。

全力で何かに向かうことはもう嫌になるくらい素晴らしいのだけど、なかなかそんなことって見つからないよね。

力の限りを尽くした結果満身創痍になるならそれはそれで構わないけれど。

だから「全力で生きている」とか「毎日全力」とか本当に憧れるのだと思うのさ。

そう思っていたバイト帰り、俺は無性に全力で叫びたいと思ったけれど午前1時の住宅街でそれをすることは許されないし、人の目もあるし。

仕方ないからコンビニで350mlの発泡酒を買って全力で飲み干して、その缶を思いっきり投げた。

ビール1本はこの悶々とした気持ちを吹き飛ばすには全然足りないし、投げた缶は力みすぎて全く見当違いの方向の民家のトタンの壁に乾いた音を立てて当たって、落ちた。

気持ちは晴れずにこんなことを書いている始末だけれど、少しだけいい気分になったかもしれないな。

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