はてなキーワード: シイとは
なんで、紫外線=4色なんだよ。定義がオカシイだろ。緑の立場はどうなるんだよ、緑の立場は
赤外線なのか、紫外線なのかは関係ないよ。3点測量をするか4点測量をするかの差だよ。
こういう感じじゃないけど
http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/image/spectra-ret.gif
3点で 色を見るか 4点で色を見るかの差だよ。 周波数的に上が見えたり、下が見えたりという話じゃない。
一番外側の赤と緑の間に もう1色朱が見える人がいるという話だ。
だから、朱を持ってる人は緑の見え方が違う。という話だ。
4色というのは 朱赤緑青
で3色というのは 赤緑青 か 朱緑青 って事だ。 だから 3色色覚の人同士でも 違う色に見えることとが有るというのは、割と常識。
2013/5/5名古屋市教育館にて鈴木邦男氏の講演会が開催された。
新右翼一水会の最高顧問でありながら、現在は思想的にはリベラルであると自他ともに認める鈴木氏。「右からの脱原発」をテーマに講演会はこの日14時に始まった。
ゲストは地球上で唯一人封建主義者を自称する評論家、氏の過去の著作名の如く「危険な思想家」である呉智英氏だ。
彦摩呂似の司会者の合図で先ずは鈴木氏が登壇、呉氏がゲストという事で近著「真実の名古屋論」、「吉本隆明という共同幻想」を紹介し話は呉氏との過去の逸話や他の作家の話などを織り交ぜ、終盤思い出したかのように脱原発の話をして30分ほどで鈴木氏単独の公演は終了。公演は3部構成、2部は鈴木、呉両氏の対談形式で話が進められ、3部は質疑応答の時間。参加者は30~40人程度といったところか。新右翼の代表的人物である鈴木氏の公演であり、過激な発言で知られる人気作家の呉智英氏がゲストであれば会場は満員になっても何らおかしくはない。しかし、この公演に関してほとんど告知がなされていないせいか、最大収容人数200人の会場で二人はマイクを置いて地声で話していた。それほどに参加者の数は少なかった。
筆者がこの講演会を知ったきっかけは毎週欠かさずチェックしている鈴木氏のHP「鈴木邦男をぶっとばせ!」の今週の主張という毎週月曜に更新される記事によってだった。しかもこの講演に関してはその長~い記事のそれこそ最後まで目を通さねばわからないほど下の方に告知が載っているだけ。筆者は知らないが鈴木氏はTwitterをやっている為、そこでは告知をしていたのかもしれないが…。他にも一水会のHP、会場の名古屋市教育館のHPを覗いてみたが、特に告知らしきものは見当たらなかった。因みに筆者はイチ鈴木邦男ファンとして今年2月同じく名古屋の日本キリスト教団名古屋教会で催された鈴木氏による講演「いま、“愛国”について考える−排外主義への異論−」に参加したがその時は会場は満員であった。あくまでその教会のいち催し物である為に信者がほとんどであったし、一概に比較出来ないが…。何より福島原発事故から2年以上経てそれは既に風化し、もはや「反原発」というスローガンに訴求力がない事の証明であったように思う。20代の参加者はおそらく筆者1人であったし周りを見渡すと皆頭に白いものが…、中には自ら朝鮮人を名乗る者もいたし、聴講者の多くが戦後民主主義・人権主義思想に凝り固まった、言ってしまえば絶滅危惧種のサヨクだったと見える。そうなると呉智英氏の天敵が集まったことになるが…。筆者は思想的には新右翼寄りと勝手に思っている者だが、少なくとも一般聴講者の中に右派、保守系の人は見受けられなかった。新右翼の代表的論客・鈴木氏の講演であるし題目は「右からの~」だし、呉氏が来るのだからてっきり右の人がたくさんいるのだろうと思っていたのに意表をつかれた形になった。
今回の講演会のテーマは脱原発。しかし、おそらく遅れて呉氏がゲストに決まったと思われる為、急遽テーマからの脱線は止む無し、むしろ脱原発は公演の一要素に過ぎないといったところだった。2部の両氏による対談形式の講演は1部以上に話題は多岐に渡った。呉史は現在名古屋在住、名の売れた作家であるにも関わらず今は家賃7.9万のマンションに住んでいるとか、ライフワークである儒教についてや思想から政治、氏の私生活までその著作と違わぬ軽妙で鋭い語り口で会場を盛り上げていた。中でも印象的だったのは改憲についてだ。9条は戦略的に活用せよというもの。メモを忘れた為うろ覚えだが、憲法9条が現行のままである限り安全保障は続くのであるから改憲せず、これまで日本がやって来なかった謀略戦に特化しお隣りの2つの国を戦争させて漁夫の利を得よといった内容だった。もちろん危険極まりないラディカルな意見ではあるが、常々自衛隊の国軍化は必要だと考える凡人右派思考の筆者はそんな考え方もあるのかぁと目からウロコだった。もちろん本旨の脱原発についても忘れていない。呉氏は反原発派でありながら既存の脱原発デモを批判し独自の方法論を提示していた。封建主義者の面目躍如とばかりに鈴木氏の出る幕もないほど冗舌に語っていた。筆者にとって2部の二人の対談はとても勉強になったし何より刺激的でとても楽しく拝聴していた。
先に述べたとおり、参加者の多くは戦後民主主義・人権主義思想に洗脳された方々である。そんな彼等との質疑応答はまぁ無意味で退屈で不快なものだった。二人の質問者が、呉氏が講演の中で何度も口をついた「支那」という言葉を取り上げて「中国を『支那』と呼ぶことは差別でないのか?、石原慎太郎の真似でないのか?」(およそ60代の女性)続いて男が大声で「『支那』は不快!相手が不快に思うのなら中国と言うべきではないのか?」といった質問をぶつけた。呉氏はこれまで民主主義を否定し続け、ソ連解体で共産主義の崩壊とともに民主主義も終焉を迎えたと語る危険な思想家である。併せて氏は30年余り「支那」と呼ぶべき理由を、その正当性を、論理的に、何度も何度も口酸っぱく唱えてきた男である、石原なんかよりずっと前にだ!!その主張は呉氏の数々の著書に幾度も書かれている為詳細は省くが、中国を「支那」と呼ぶ事が差別であるかはともかく、氏は30年もそれを訴え続けているのである。何を今さら言うか!筆者は考える、参加者は今回の講演会に参加する限りは呉智英という男がどんな危険思想を持つ人間であるか少しでも知っておく、いや参加するには著書の2.3冊読んで予習しておく、それが無理ならさらっとウィキペディアでも覗いておく事が必要ではないのか?もちろんそれを強制するつもりはない。しかし知識人である呉氏への無理解、自身の無知を醜くさらけだし、それに気づかずにヒステリックに喚き立てる姿は憐れですらあった。他にも40代と思しき男が「反原発デモで左右連帯というが、グローバリズムを旨とする左翼が中国・韓国を非難する右翼と連帯するのは難しい、それについてどう思うか?」といった事を回りくどく長々と言い、鈴木・呉両氏を論破せんと意気込むも「じゃぁ別々にやれば良い」と冷ややかに返答されていた。当たり前だ。右翼が反原発に取り組む動機は、現在進行形で福島の大地が放射能に汚染され続けている現状を憂いての事であって最早ナショナリズムがどうとかそんな事は関係がない。サヨクの男は、今後中国・韓国を巻き込んでの反原発運動がどうたらこうたら言って、今そこにある危機を無視して下劣なイデオロギーの次元に落とし込む事を考えている。全く恐ろしい…呆れてものも言えない。右翼を非難し自分の論理を展開する事によって連帯の意味を履き違えている事を露呈し、さらには逆説的に左右連帯が不可能である事を自らが明らかにしてしまった。右翼は最初から反原発に限っては左右は関係ない、むしろ反原発の一点、そこだけ一致すればどんな思想の持ち主だって構わないという姿勢であるのに…。
そして最後の質問者の老婆は鈴木氏に対し「ウヨクってなんですかー!?全ッ然わからないんですけどー!!今日来た意味ないです!払った千円返してください!」だって。鈴木氏は最初はまともに返答しようとしたがとにかく態度と声のデカイ老婆の勢いに困ってしまい、封建主義者の呉氏がフォローを入れるという事態に。あぁそうそう、なんか8年前ぐらい前だっけ?騒音おばさんっていたじゃない、もうまさにあんな感じ…。両氏はもう顔を見合わせて苦笑い。そこでもう時間切れ、司会者が強引に中断して参加者一同二人に拍手。筆者はこれでもかってぐらい、もうババァ黙らせてやるって気持ちで拍手しまくってやった。それでも老婆は懲りずに怒声を発し続けていたけど。
今回講演会に参加して感じたことが幾つかある。先ずは主催者側の問題点を言いたい。やはり呉氏がゲストだからといってテーマは「右からの脱原発」であるからには、あくまでそこを中心に講演するべきであったように思う。脱原発の講演を期待して来場した人がほとんどのはずだから、その点で考えると参加者のほとんどが満足のいく内容でなかったはずだ。それに告知、今のご時勢ネットを活用すればもっと集客できたに違いないし、単純に参加者がもっと増えればより質の高い講演となったと思う。次に参加者について。まぁ誰が参加しても当然問題ないんだけど予備知識くらい入れてから来いよと言いたい。呉智英氏の事を少しでも知っていれば、氏が百万回くらい経験しているであろう不毛な「支那」問答に時間を取られる事も無く、参加者も不快な思いをせずに済んだのになぁ…。呉氏の思想を知っていれば来なかった人もいただろうに。まぁ本当に残念な講演会だった。最後の質疑応答さえ無ければ笑顔で帰り道を歩けたのに、あんな事になっちゃって全て台無し。参加者には文句言うまいという気持ちがあるにはあるが無知と無理解に無自覚なオソロシイ数人の人を前にして味わった事のない恐怖体験をしてしまったから、つい愚痴のひとつやふたつ言いたくなるよ。
単に、逆張りをして面白いことを言いたいだけの人なんだろうけど
法治国家において、法を守らないのを国家が放置する。というのは程度にもよるけど法治国家の定義を揺るがす重大な問題。
いくらなんでも、重度の違法行為は国が取り締まる義務がある。
軽度の違法行為を虱潰しに摘発するのは、恐怖政治だが、重度の違法行為を放置するのは無法状態だ。
鬱病に関しては、欝が治癒するのには長い時間がかかり、首にした企業はいいかもしれないが、
国家としては少なくとも、それなりの企業に就労可能だった人間一人を潰されて税収の対象である労働力を失った挙句、福祉のお世話になるわけだから、国益に反している。
法律に違反した上で、国益に反している企業を指導しないというのは、やはり、国家としてはオカシイだろう。
国がやるべきではなく、いずれも、(それが事実なら)国益に反しているので、取り締まらないのは変だろ。正義や何とかといってるのではなく、
国益に反している企業は国が法律の範囲内で取り締まるのは当たり前だろ。
逮捕しろっていってるんじゃなく、適切な指導をするのが、国の役目だろ。
墾田永年私財法(コンデンエイネン シザイホウ)
スリジャヤワルダナプラコッテ(スリジャヤワルダナ プラコッテ)((正しい読み方はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ))
メトロポリタンミュージアム(メトロポリタン ミュージアム)
サイン・コサイン・タンジェント(サインコサイン タンジェント)
タラちゃんちょっとそれ取って(タラチャンチョット ソレトッテ)
母さんこの味どうかしら(カアサンコノアジ ドウカシラ)
「どんぐりころころ」
お池にはまってさあ大変(オイケニハマッテ サアタイヘン)
15で不良と呼ばれたよ(ジュウゴデフリョウト ヨバレタヨ)
「丸竹夷二押御池」
「平家物語」
祇園精舎の鐘の声(ギオンショウジャノ カネノコエ)
「二条河原落書」
まず、日本みたいに福祉のレベルが高い国は難民を受け入れ難い。福祉の負担になる。
すくなくとも、ある程度の科学技術を保有している、つまり、文化がある事自体は証明されたし
政治をまともにすれば、まともな国になるだろ。
科学技術を有しているということは、論理的思考能力が存在するということで、文化度が高い人も住んでいる。という事だ。
ようするに、あの国は外交手腕的な問題があるのであって、ちゃんと人道支援して、ちゃんとした外交と政治が行われれば国としてはまともになる可能性を秘めているだろ。
アスペルガーは他人の気持ちを汲み取れないわけじゃないよ。
気持ちに対する、表現方法がマジョリティーと異なる。というのが”最近の”通説っぽい。
また、「周囲にとっては異常な行動」とあるが「マジョリティーから理解されない行動」というのが正しい。
分かりやすさで言えば、欧米人が日本にやってきて、茶碗のご飯をスプーンで食ってたら、周囲の人はオカシイと思いつつも、外国人だからと流すが
日本人だと、あの人は異常なんじゃないか?となる。 だが欧米人が異常ではないように、日本人でも異常ではない。
それが、アスペルガーに対する大きな偏見になっている。というのが、”最近の”通説っぽい。
つまり、自分たちと違うから異常と日本人は断定するが、そうではない。
自閉症とアスペルガーの大きな違いは、アスペルガーは、外国人が日本に来た時のように『後天的な教育』によって、マジョリーティーの行動文化その物は
理解することができるが、生来の常識にたいする見解が大きくマジョリティーと異るので奇異に映る。ということで
感情が理解できないといわれることが多いが、そうではない。
「グローバル社会に伍して行けるマルチ人間に仕立てなきゃならない」という強迫観念があるのでは?
だから、政府自民党内の議論で「大学生全員にTOEIC義務付け」とか、「文系大学生にも数学入試義務付け」とか、
「いや、理系学生にも、国際社会に出ても恥ずかしくないよう、日本史や古典を学ばせるべきだ」
と、とかく科目の積上げに議論が流れてしまう。
「文系大学生が、原子の崩壊方程式(って言うのですか?)を知らないのはオカシイ、義務付けるべきだ」と
吼えていたそうだが、文系の自分は、その意味がわかりません、ええスミません。
まあ曽野綾子は「文系に方程式を教育するのは不要」と語ったそうだが。
「自分の専門分野は、全学生、全日本人が知っておくべきだ」と視野狭窄に陥りがち。
こんな専門家の意見を真に受けて、学習科目を積上げていけば、日本の小学生中学生高校生は
「どのレベルの学習が、理系大学生には必須か?」という「積上げ方式」で設計すると、必ずパンクする。
無理やり詰め込みすぎると、消化不良を起こして、後々の躓きになる。
こういうのは、積上げ以上に「捨てる技術」「仕分ける技術」が欠かせないと思う。
「ここまでのレベルの学習が、理系大学生には不要では?」という引き算も定期的に行って、
あと、日経朝刊に
「大学を出たが就職できない日韓と比べ、ドイツは大学を目指さない若者が専門学校に進み、
それがドイツのグローバルニッチな中小企業に入って、ドイツ技術のレベルアップを支えている」という記事があった。
言われて見れば、ドイツには「オックスフォード、ケンブリッジ」「ソルボンヌ」
「ハーバード、スタンフォード」のようなビッグネームの大学は乏しい。
しかし、超名門大学は乏しいのに、ドイツの技術水準は高く維持されている。
言いたいことはわかるけど、扶養家族がいるから減税するとか、もはや差別だよね。とはおもう。
ひどい話だ。
家族がいない奴は手当分奪われる。家族がいない奴は税金も重くなる。
別に、好き好んで独り身なわけじゃねーよ。
おんなじだけ働いてるのに、もらいが少ない。
たしかに、家族がいない奴は、どこかオカシイ。36にもなって、結婚しない奴は、オカシイと言う奴までいる。
誰が聴いているてるともわからない、ネットの世界で、いくら匿名だからって、平然とそんなことを言い放つ。お前のほうが分別がない。とは思うが。
それにしたって。
重税重税、手当なし手当なし。
だが、労働の成果には関係ないじゃないか。むしろ、家庭があるんでって、そいつらのほうが速く帰って、事ある毎に、おれら独り身のほうが働かされてるんじゃね?
もう良い加減、そういうの全部なしにしてくれよ。
全員一律に手当出せよ、全員一律に控除してくれよ。
平等に扱ってくれ。
とはおもう。
大学は遊ぶ所という分化じゃねーが、いかに働かないかを研究する奴らほど、優遇される制度なのはもうんざりだ。
やめろとはいわん。 議論もしないで、影でコソコソやってほしいよ。
今までだと新聞とかはそれが事実かどうかを論ぜずに「他国を刺激するから悪い」みたいな言い方が多かったよな。
http://www.j-cast.com/2013/03/15169836.html
「記事を読むと、私の発言そのものに対する評論をするわけではなく『これだと連合国側(とくに米国)が怒るかもしれない』という何ともトホホな記事内容です。掲載の写真は我が顔ながらムズカシイ顔をしています(これも印象操作でしょうか)
かつては『その発言には、中国が怒るかも知れない!』と言って中国大使館への告げ口が流行ってましたが・・今度はアメリカですか(笑)」
http://anond.hatelabo.jp/20130301010727
まあもともと藤田田の個人商店だったんだし、上場後も米マクドナルド以外にはモノ言える株主もいないし、
優良無借金企業ということは、裏を返せばメーンバンク不在、メーンバンクによる経営管理も働かなかった訳で。
そもそも一時期外食日本最大手だった企業が、上場先に東証1部じゃなくナスダックを選んだ、という点自体がオカシイ。
いろいろな規制が煩い東証1部じゃなく、コーポレートガバナンスが緩くても上場できるナスダックを選んだ、というのが真相。
そもそも、資金調達する必要のないマクドナルドが、上場すること自体必要なかった。
http://anond.hatelabo.jp/20130227215106
マクドナルドが2012年12月期から深刻な決算を報告するようになった。
「突然」に経営状態が悪化したのであれば、
その「突然」に対しての原因が必ずあるはずである。
その原因を的確に指摘してる人はほとんどいない。
マクドナルドは2012年に何か重大な過ちを犯したわけではない。
今までと変わらないような経営を続けていながら「突然」経営が悪化しだしたのである。
実は2008.12.09に、日経新聞のみで小さく報道された記事があった。
その記事の一部抜粋がこれだ。その他の新聞やテレビは報道をしてないようである。
話題になっている。
しているためだ。
「この会計処理では事業の実力が見えにくい」との声が
上がっている。
そう、これこそがマクドナルドが突然減益、売上げ減少しだした理由なのだ。
マクドナルドはもともと直営店ばかりだったのだが、その資産を次々に切り崩し売却し、
そしてその「店舗売却益」の売上げをハンバーガーと混ぜて報告していたのだ。
これが弾切れになったわけだ。
当然フランチャイズを増やせば利益の一部はフランチャイズ店にもっていかれ、利益も減ることになる。
フランチャイズを増やせば反乱や独立などの経営のデメリットも増える。
いちばんわかりやすく説明してるのが、このサイトだ。弾切れがおきる未来を4年も前に的確に予言している。
マクドナルドは本当に「勝ち組」なのか? アヤシイ会計処理に“ひとこと”
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0902/25/news031.html
原田マクドナルド時代は「デフレの勝ち組」と称されているが、実は「あまりにも悲惨」な時代なのである。
その証拠に、
「残業代未払い」
「過労死」
「汚染鶏肉」
「行列擬装ステルスマーケティング」
「店舗大量閉鎖」
などなど、
下記リンクが非常に詳しい。
http://www.jpic.or.jp/dokushojin/
「はて、読書人とはなんぞや?」という気分になることでお馴染みの
「読書人などと名乗るのはおこがましいけど…まあ、話題作くらいは、少し、ね」
程度の方で構いません、ある程度本を読まれるモニター前のあなたは
このリストから、ご自分が読まれている本の推薦文をぱらりと御覧ください。
http://www.jpic.or.jp/dokushojin/kouho/2013/
百聞は一見にしかず、いかにこの賞がクソか一発で分る素敵な書評しかございませんので
どれを読んでも安心して怒りを感じることが出来るようになっています。
『スワロウテイル序章/人工処女受胎』『BEATLESS』がお好きなアナタは残念でした。
こちらの作品、候補作にもかかわらず一通も推薦文が集まらず自動エントリ落ちという
斜め上の展開になっておりまして、1本も推薦の書評を読むことができません。素晴らしい。
っつーか、候補作に推薦文の一本も集まらないこと、途中で分からなかったの?
そういうのは途中でサークル間で情報を共有して仕込みで入れるんだよバカが。
見た目だけでも整えろや。
話がそれましたが、こちらにある推薦文、
なんでも自分の体験に結びつけるのがクソ、あらすじのまとまりのなさがクソ
編集者がオビを書いているわけでもないのに無意味に煽ったり意味ありげに引っ張って伏線を回収しないのがクソ、
読書好きである自分によっていることを欠片も隠さないのがクソ、
明らかに文意を読み間違えているのがクソ
最後の1文が「…。」で終わることを余韻が残る名文と勘違いしていてクソ、
冒頭のエピソードが締めに帰結せずなんのためにあるかわからないのがクソ、
「この本ほど現代の学生が読むことを想定されている本はない。」って意味わからなすぎてクソ、
などクソな部分を100個でも200個でも上げることは可能です。
とはいえ、クソがクソがと怒ってばかりいてもしかがたありませんので、
どうしてこういうクソな「さくぶん」が沢山出来上がってしまったのかを
元凶なのではないかと思うんだよね。もう口調砕けますけどすんません。
アレってさ、あらすじとかよかったところを並べた後、
テンプレ的に自分の体験とリンクさせて落としこむのがほめられるじゃん。
この本によって私はこう感じて、現実の自分がこう成長しました~ってアレね。
あらすじ書いて~印象に残ったエピソードあげて~僕は私は自分の経験だと~って。
そのテンプレも上手に使えてるならいいけど、
全然まとまっていないので読むに耐えない。
しかも『それだけだとちょっと格好悪い、いい子なだけの自分はダサい』って
大学で文学賞の運営なんかしているバリバリに膨らんだ自意識は主張するから
結果、もうちょい小難しいことからめて「SFは僕らの人生を変えていくのだ」とか
それっぽいこと言った結果まったく意味わからなくなってんだよね。
小学生の作文レベルで「最後に主人公が、人の心を信じて立ち向かっていった姿が
とても格好良く感じました。僕もこういう大人になりたいと思いました。
今の世の中では、それがとてもむずかしいのだとしても。」とか言ってくれたほうが
ぜんぜん分かりやすいし、本を勧められている感じがする。
これは本の推薦のための賞だろう?
お前を推薦してどうすんだよクソが。
お前の自意識に飾ったブローチの自慢ご苦労様。
でもそのブローチ、馬の糞でできてるんだね。すごい臭うよ。
アップ完了…そういえば俺はなぜこのポテサラを皆に見せたいんだ?
俺が皆に見せたいのはポテサラではなく、向かいにいる彼女とメシを食っている自分じゃないのか?
しかし、「おやおやデートですか?」などといったコメントが欲しいのもまた事実。
その証拠に、俺は向かいのコップを若干見切れさせている!!
それよりも、この浅はかな作戦が誰かに気づかれていたら、恥ずかしすぎる!
…純粋にポテサラを見せたい気持ちってなんだ?なんだその気持ち。
そんなものに他人は興味があるのか?
そもそも皆は俺に興味があるのか?
というか俺はなんで他人に興味があるんだっけ?
他人の反応なんてどうでもよくね?ってなんでならないんだろう。
そういう奴も確かにいるのに、なんで俺は他人の反応が気になってしょうがないんだ?
なぜだ…なぜなんだ…!!
↑こうなるので俺はSNSが怖い。
道を歩いていても、知り合いに見つからないように、顔を手でかざしたり目を背けたりしている。
どこかで情けないなとは思いつつ、ニートになっていた。
働いていないし、将来の目標のための勉強をしているわけではないので、ニート確定だよね。
眠い時に寝て、食べたいときに食べて、散歩したいときに外に出る。
何かに属するって、規則正しい生活を送る上で必要なんだなって感じた。
たとえ院へ進んだとしても、ゼミの仲間にも指導教官にも迷惑をかけていた。
もう戻れないし、戻りたくない。
自分の選択が正しかったんだって、見返してやりたい。そんな気も起きたり起きなかったり。
社会人が輝いて見える。
もちろん結婚する予定の方もすごいなって。
公務員試験対策を始めてみる、
国家試験対策をする、
自宅で問題集開いて、解けないからって、ネットしてても意味ね~や。
逃げて逃げて逃げまくってもシャーね~や。と頭ではわかってい...。
この先どーしよ。
とりあえず、スマホ解約しようかな。
なんか、シッチャカメッチャカな文章になった。